Sunday 30 November 2008

なんとなくとんかつ

時々、とんかつが食べたくなることがある。別に大好物というわけでもない。揚げ物が食べたいときというのは限られていると思う。ティーンエイジャーのように、揚げ物に対していつでも胃がOKを言うとは限らない。さらに、揚げ物なら何でも良いというわけでもない。とんかつなのだ。カツ丼でもない。とんかつなのである。月に1回か2回、「ああ今日はなんだかとんかつが食べたいな」と思う。
疲れを満たしたいのであれば通常、甘いものを食べたいと思う。外国産の、Fattyな、チョコレートまみれの何か、こう、Chunkを食べたいと思う。
でも、とんかつが食べたい時というのは、疲れている時というわけではない。一体どういうときに限られているんだろう。分析したことは無いけど、やっぱり、とてもおなかが空いているときだろうとは思う。
そして、確実にいえることがひとつ。それは、1人でとんかつを食べることは、まず無いということである。パスタとか、カレーとか、1人で食べて構わないけど、とんかつは、必ず誰かと食べる。というのも、カレーやパスタと違って家で作るのはあまり理想的ではないためだろう。

とんかつが食べたくなったとき、どうするのか。私は、誰かを呼び出す。
「とんかつを一緒に食べに行こう」と言う。そしてその相手はどうしても男友達である。
女友達を誘って女だけで、その店に、食べに行くことはまず無い。店の種類にもよるだろうけど、私が行きたいと思うその店に、ガールズはどうしてもふさわしく無い気がするのだ。そういうのって、わかるかな。

だからと言って、女友達とは決してとんかつを食べに行かないと断言しているわけではない。誰であっても、今度「とんかつの誘い」メールが来たら、「ああ来たな」と思ってほしい。いわゆる白羽の矢ってやつです。ただし、まったく私の気分によるものなので、「1時間後に西口で」とかそういう身勝手な呼び出しだけど、付き合ってくれたら嬉しいと思う。

写真は、先週行った店で。半年以上、食べてなかったけど、やっぱり美味しかった。

吉祥寺日和、Gokigen Music








どうしたわけか、昨日の午後の時点で既に、今日仕事に行くことを諦めていた。風邪をひきかけているのが分かった。喉が強烈に痛かった。数日もすれば治るくらいの痛みだった。熱があるとは思えなかった。そしてこれくらいの症状は毎年何度か訪れる。そのことも知っていた。


けれど今日は責任感よりも何よりも、自分の身体に従いたかった。身体が、到底、動くとは思えなかった。風邪よりむしろ疲れである。明らかだった。結局仕事を休んだ。


そして、8時ごろ、空を見たら、急に吉祥寺に行きたくなった。午前中、かなりのハイテンションで部屋の掃除をして、その後本当に吉祥寺に行った。中道通りの小さな店で、いかにも栄養がありそうな、煮込みハンバーグを食べた。これは本当に美味しかった。喉の痛みもだいぶひいた。


天気が良いと、人の気分は本当に変わるものだが、私が午前中ハイテンションで掃除をすることができたのはそれ以外にも理由があると思う。


まずは、仕事を休んだことによる解放感。

何か大きなことを成し遂げたような気分になった。しばらくの間、罪悪感を感じ続けていたが、だんだん気分が良くなってきた。実際問題、身体が、物理的に、ついていっていない。責任感というよりもむしろ強迫観念みたいなものにここ数ヶ月間は付きまとわれていて、未だに仕事の夢を見る。


そしてもう一つは、m-flo の存在である。え、エムフローってあの?と思ったそこのアナタ。そうです、あのエムフローです。留学中によく聴いていた「Astromantic」を数日前に引っ張り出してきて聴いたら、いっきに、あの当時の空気がよみがえってきた。日本人の友達と「いつまで経ってもさ、m-floって新鮮なんだよね。10年経っても20年経っても、古くならないよね」と言い合っていた。


何の音楽を聴きますか、と聴かれたらだいたい「ジャズ」あるいは「最近はロック」とか答える。しかし、m-floについて言えば「えむふろー」と答えるしかない。ラップとかヒップホップとかいうジャンルに分類できるのかもしれないけど、自分のなかでは、どれにも分類され得ないと思っているのがm-flo である。


無条件に良い


のである。耐えがたいほど、イカす人たち、あるいは音楽だと思う。疲れて帰宅したときも、パスタを茹でながら聴くと、だいぶ気分が良くなってくる。今朝みたいな天気の良い日に、大音量でかけると、掃除が楽しくなってくる。


嗚呼、なんたる、ゴキゲン・ミュージックなんだ…!



photo 1  煮込みハンバーグ

photo 2 ときどき、ゴダールの真似をしたくなる。単語のなかに単語を見つけて遊ぶ。tOKyo とかsoUPとか。

Friday 28 November 2008

No Head for Numbers

外国語を学ぶにあたり、苦労することはたくさんある。語彙が増えない、とか、文法に立ち向かう気力が無いとか。両者とも、自分の場合、当てはまるのだが、それよりも何よりも、苦手とするものがひとつある。

それは、数字に出くわしたときである。瞬時に読むことができないのである。そもそも母語を使っているときでさえ、数字に対してはとにかく「センス」の欠如を感じるのである。いわんや外国語をや。

1998 などという年号なら結構すぐに読めるのだが、例えば「日本の人口は」と訊かれたときに、英語やイタリア語だと、瞬時に出てこない。1億2000万という数字を、瞬時に変換できないのである。

…えっと、100万が、millionだから、一、十、百、千、万、一億…あれ? やっぱ書かんと分からんわー、 120000000だから…いち、じゅう、(再び数える。) 100万が、million で、ミリオン が…12個? ていうことは120 ミリオン? いや、 12ミリオンか。えーと…

毎回、こういった具合である。ただ、日本の人口についてだけは、すぐに「12ミリオン」と答えられるようになった。あまりによく訊かれる、お決まりの質問なので、そのうち暗記してしまったのである。

どうやら、ゼロの数が4つを超えると、頭があっぷあっぷしてくるらしい。povera...

ところで、つい昨日、40はfortyと綴るということを知った。いや、前から知っていたかもしれない。ただ、「4がfourなのだから40はfourtyじゃないのか」と他人から訊かれて、ふと、これまで自分が常識と思っていたものを疑い始めたのである。そうだよなあ、そりゃそうだよなあ、fourだからfourtyかもしれないよなあ、と思いながら辞書をひいたら、fortyが正解だった。知識や常識って、そういうものなのだ。

母語だって確信の持てないことはたくさんあるのだから、そんなことはしょっちゅう起きる。

言語に限らず、本当に確信の持てることなんて、ほんのわずかなのだ。何かに対して自信を持ったつもりでも、結局その期間って、長くは続かなかったりする。

自分のことすらよく分かっていない。まして他人のことがよく分かるわけが無い。それでも分かろうとする。共感して欲しいし、共感したい。ただ、そのバランスがとれていないから、世間はぐらつく。不安定なままどこかに進んでいる。

mm, adesso mi va a leggere Dazai.. 太宰治でも読んでから寝ようかな。

A proposito, sembra che abbia avuto rafreddore. Ho mal di gola... 風邪を引きはじめている。喉が痛いのだ。カモミールでも飲もうかな。

Thursday 27 November 2008

sono simpsonizzata!


mi somiglia?

自分をsimpsonizeしてみました。似てますかね。どうでしょう。SouthParkなんかもありそうだけどなあ。

Wednesday 26 November 2008

MSN、トマトの値段


久しぶりにMSNをダウンロードしてみた。MSNからSkypeに切り替えて、1年以上になる。変わったことは特に無いのだが、とにかく、"音"が懐かしい。留学していたころ(つまり2004~2005年ごろ)特によく使っていた。あの、誰かが話しかけてくるときの音が、私を3年前へ、いっきに引き戻した。



よく言われることだが、音声や嗅覚が持つ、記憶との結びつきはとても強い。毎度ながら感動する。




******
と、ここまで書いて、昨日はギブアーップ、していた。何かしら書くことはあるはずだし、書きたくないわけではないのだが、なかなか時間がとれなかった。ここ一週間はとにかくアップダウンが激しかった。それでも、良いか悪いかといえば結構良いほうです。

週末はたくさんの人たちと会って、普段とはだいぶかけ離れた生活を送っていた。殺人事件の犯人が捕まったことを知ったのが、逮捕から2日後だったことを考えれば、どれだけ部屋のテレビから離れていたか想像がつくだろう。

相変わらずパスタばかり食べているが、これがやはり身体に良い気がする。体重も変わらないし、身体の調子は良い。ほかの何かを食べたところで、パスタを食べないと食事をした気にならないので、パスタ以外のものを作るよりもむしろ、先にパスタを茹で始めたほうが、かしこい。食べ過ぎることの無いように。
半日勤務だったので昼に帰宅した。普通は寄り道をするのだが今日は天気も悪かったし、久しぶりに早く帰ってみようと思った。ずっと前から貯めていた貯金箱を持って、郵便局に行った。そのほか、必要と思われる食材を買い込んだ。ソーセージ、パン、牛乳、トマト…
トマト。
そう、トマト。
sono diventati piu costosi i pomodori. 高いのである。前から、安い野菜ではなかったしそのことは心得ていた。それを分かった上で、まあ、欠かせないからと思って買っていたのだが、今日は価格が最高値に達した。
具体的に言うと:
中くらいの大きさが4個入って300円である。以前は、小さめでも7~8個入って200~250円で済んだのに。
だからと言って買わないわけにはいかない。家に欠かすことのできない野菜・ナンバーワンである。スパゲティもブルスケッタも食べられなくなってしまう。
誰かも言っていたし、私も前から思っていたんだけど、野菜の値段ってどうして惜しんでしまうんでしょう。いや、野菜に限らないのかもしれない。いつも買っている牛乳が、20円でも値上がりしていると「えええ」と思ってしまう。
ほかの場所では20円なんて簡単に使うことができるというのに、なにゆえ、この20円を惜しんでしまうんだろう。
「キャベツ200円か!高いなあ!」と言うけれど、コンビニに行ってお昼を買うことを考えれば、どうだろう。あるいは、レストランに行って、パスタを選ぶとしよう。そこにあるメニューの、700円と900円の差ってあまり考えずに選んでいるのではないのだろうか。
なのにどうして、キャベツの200円を惜しんでしまうのだろう。
まだ実家にいたころの話だ。
家族で買い物に行った時、本当にキャベツが300円だった時があった。結果から言うと、それを買った。買ったのは父だった。我が家ではどうしてもキャベツを必要としていた、というわけでもなかったのだが、買うことになった。母か、誰か忘れたけど、誰かが買おうとして、迷って、いったんやめたのだが、結局買った。どういう経緯だったか、詳しくは覚えていないが、あとで父が「考えてみれば、300円なんてあっという間に使ってしまう。飲み会なんて考えてみれば、ねえ。」と言っていた。
当時の私にとっては300円という額は、結構高価だった。そして父の言うことの意味がいまいちつかめなかった。しかし今となっては、よく分かる。300円なんてあっという間に使ってしまう。それを惜しんでキャベツを逃すのであれば、その300円っていうのはあまり惜しくないのである、実は。300円で一週間分のビタミンを買うと思えば、実のところ300円は、特に惜しくないはずなのである。
まあここまで深くは考えていないが、今日トマトを買う時に少しそういうことを考えた。いや、むしろ思い出したというほうが、正しいかもしれない。
刻みながら、「ああ、そうか、これが、300円÷4個で…えーと、150円÷2だから…70円とか、そのくらいなのか。そんなにするのか、これ。」と思った。
まあ、しかし、トマトのおかげで健康が保てているのである。そう考えると、トマトの300円を惜しんだ結果、風邪をひいて病院に行かなきゃいけなくなったら、元も子もない。本末転倒よ、というお話。
Grazie a pomodori, sto bene.
ところで、写真も一緒にアップロードすることにした。いろいろと理由はあるのだが、純粋に、やはり、自分の撮った写真を見てもらいたいからだ。
今後とも宜しくお願いします。

Saturday 22 November 2008

10時のパンケーキ

金曜日は赤いものを身に着けたくなるのは一体どういうわけでしょう。

11時ごろ、急に思い立ってパンケーキを焼いた。卵は一個分です。だから大した量ではないのだが、問題は、ちゃんと、ごはん食べた後だったのに、作った、ということです。あまり深く考えずに、ノリで卵を割り始めたのでそのまま作っちゃった。結果的に、美味しかったからよかった。メープル・シロップと、バニラアイスクリームをくるんで食べた。いつものように。

だいぶ寒くなりましたね。人肌恋しくて泣きそうです。

酔って帰って、一番最初に選んだ曲はミシェル・ペトルチアニでした。Live at bluenote in tokyo

そういえば明日も仕事なんだった。

Thursday 20 November 2008

誰かと知り合う予感のする木曜の昼について

今日はちょっとした日だった。そんな日にするつもりはなかったのだが。昼間に職場を出てから、まっすぐ帰宅したらまた鬱状態になりそうだったのでそれはやめて寄り道をしてかえった。本気でグアテマラに行っちゃおうかという気になったところだった。そして、平日の昼にこの街を歩いていたらきっと新しい誰かと知り合いになれそうな気がした。だからとりあえず少し歩いて本屋に行った。ハルキ・ムラカミのペーパーバックや、スペイン語の辞書を手に取った。

イタリア語も、フランス語も、Collinsという会社の、ペーパーバックで勉強をした。(フランス語は勉強と呼べるまでに至っていないが。)表紙も、中身も、デザインが好きだったし、そもそも重くなかった。イギリスでとりあえずイタリア語の辞書を買わねば、という事態に陥ったときに、最初にこれを買ったのが始まりだった。緑色の辞書で、10ポンド未満だったと思う。辞書ってこんなに手軽に買えるものだったのか、ふーん、と思った記憶がある。そこまで頑張ってイタリア語を勉強することになるとは、当時、思っていなかったので、Italian for Beginnersの教官、フェデリ~コから「何か一つ辞書を買うこと」と言われたときには「えー」と思ったものだった。そもそも日―伊ではなく、英―伊なのだ。それでも、使っているうちに、この辞書では足りなくなってきた。簡単な言葉しか載っていないのだ。それがちょうど「ビギナーズ」を脱した時だったのだろうと今振り返ってみて、思う。

でも今日は辞書は買わなかった。何故かというと、2000円未満で買えるはずのものが、2700円だったから。これはおかしい、と思って店員とも話をしたのだが、アマゾンの値段とそこで比較することもできず結局買わないことにした。だから、文法書を買おうと思った。白水社どうしで迷った結果、薄くて安いほうの「CDエクスプレス」を選んだ。昔からよく見るシリーズだったし、図書館でも何度も借りたことがあったが今までに一度も買ったことはなかった。

本題はここからです。

それを持ってレジに行こうかとしていたときに、レジの前に立っていた男の人と目が会った。なんと大学の友人だった。あまり関わりはなかったが、会話をしたことはあったし、一緒に勉強をした仲間であることは間違いがなかった。最後に会ったのがいつかさえ思い出せない。おそらく3年以上前だろう。

おたがいに目があって「ああああ」と声をあげた。びっくりですね、といいながら、30分以上立ち話をした。

やっぱり自分はついてる、と思った。今日の午後うろうろしたらきっと誰かに会える、という確信のもとうろうろしていたわけだが、本当に会ったのだ。なんて素敵な午後だ。限りなく、新しい出会いに近いような再会だった。気分がだいぶ晴れた。良かった。

それにしても世界は狭い。これだけたくさんの人たちがいるのに、みんな、たいてい同じようなところで同じようなことしてる。小さなエリア内を、かつかつと動いているんだなあ、と思うと、なんだかかわいく思えてきて、温かくなった。どうも、世間が、憎めなくて。

世の中たくさんのいろいろな人たちがいるけど、みんな根本的には似てるし、同じようなところがあるらしい。だって人間だしね。動物だしね。


銀杏の葉が色づいてきた。こうして11月も終わりを告げるのでございます。さてさて。

Wednesday 19 November 2008

Toothbrush Incident

帰り道、なぜか段々とテンションが上がってきた。どうせなら朝、このくらいの勢いがあれば良いと思う。テンションのあがってきたときに、イヤホンから流れてきた曲は、Destiny's ChildのIndependent Womanだった。べつにDestiny~のファンでもなんでもないのだが、この曲はチャーリーズエンジェルのサウンドトラックとして数曲取り込んでいたものだった。家に着いたけどイヤホンを取りたくなくなった。

The shoes on my feet -I've got it
The clothes I'm wearin -I've got it
The rock I'm rockin -I've got it
'Cause I depend on me -If I wanted
The watch you're wearin -I'll buy it
The house I live in -I've got it
The car I'm drivin -I've bought it
I depend on me

良い歌詞じゃないか。そうなんだよ、私は自立しているんだよ。自分で稼いで、自分で生きている。必要なものは買うし、欲しいものも手に入れる。I depend on me.
タイムリーに心に響く歌詞というものはどうやら存在するらしい。

妙に、自分に自信がついてきた。一緒に踊って歌いながら、鍋を火にかける。ご機嫌すぎるぞ、これは。

埼玉と中野区の事件についてのニュースを見ながら、パスタを食べる。厄介な世の中だ、まったく。



事件が起こったのはその一時間後であった。

ゆっくりお風呂に入って、髪も乾かして、バスローブを羽織って歯を磨こうと思った。ベッドに向かった。歯ブラシをくわえたまま…

喉の奥に激痛が走った。

壁に、歯ブラシがぶつかったのだ。

くわえたままだったので、歯ブラシのてっぺんが、喉を刺したのだ。
どのくらい痛かったか、って、それはあまり説明のしやすいものではない。というのは、今まで経験したことのない種類の痛みだったからだ。吐くような気持ち悪さも同時にあった。とにかく涙が出た。口を洗ったら血が出てきた。当たり前だが。

しばらくしてから痛みが治まった。

ラジオ英会話を聴いていて、リピートをしようと思ったら、まだ痛みが強かった。これは困ったことになった。うまくしゃべれない。唾を飲み込むのさえ、痛い。何か食べるとなればそれは言うまでもないだろう。ホットミルクを飲もうかと思っていたのだが、無理だということを悟った。

明日の朝にはどうなっているんだろう。睡眠に差し障りはなさそうだから、今日は寝ることにします。

Tuesday 18 November 2008

Tables, they turn sometimes

相変わらずThe Strokesで、かっくんかっくんと頭を揺らしている今日この頃です。

ロックを聴く割合が増えてきたのは、精神状態を表しているんじゃないかと思う。「何やったっていいだろー 好きなように生きるんだー 知るかコノヤロー」みたいなノリが、以前に増して強まった気がする。それでもやっぱりジャズは聴くけど。

昨日は本当に10時に寝た。久しぶりだ、こんなのは。それで、今朝の目覚めはいつもより良かった気がする。

朝、起きてから家を出るまでの時間がどんどん足りなくなってくるのは一体どうしたわけだろう。以前から同じ時間に起きていたはずなのに、家を出なければいけない時間になると、時間が足りずにとても焦って準備をしている。寒くなってきたからだろうか。化粧に時間をかけるようになったのだろうか。心のどこかで「ああ~ん行きたくないよう」と愚図愚図しているのだろうか。よく分からない。色々理由はあるのだろうけど、イマイチどれも認められない。
不思議な現象である。

今日はおかしな事件が起きていますね。殺人事件が二件。気味悪い。東京だもんなあ。いくらでもヘンな事件が起きうるだろう。もっと起きててもおかしくないくらいだ。その辺に殺人鬼がうろうろしているのかもしれない。いやな世の中だ。使いたくて使っているわけではないがこのフレーズはとても便利だと思う。うん。やな世の中。

じゃあ、今日も早めに寝ましょう。腹筋して、腕立てして。明日も元気で過ごせますように。

Monday 17 November 2008

Your head's not right

先週のうちにたまっていた疲れを、昨日つまり日曜のうちに解消しきれていなかったらしく、今日は、疲れと眠気で頭がぐらんぐらんした。帰りの電車の中で特にそれを感じた。帰り道に―駅から家まで徒歩わずか2分であるにもかかわらず―よく、寄り道をしてチョコレートとかバウムクーヘンとかクッキーとか買って歩きながら食べることがあるが、今日はもう、どこにも寄らずにまっすぐ帰宅した。帰ってから4分以内にはパスタをゆでる準備にとりかかる。家に入ったとたんに、やることが「ばー」とやってくるのだ。時計、ネックレス、MP3プレイヤー、マフラーその他、装身具をとにかく外し、靴下を脱ぐ。服を脱ぐ。窓を開ける。カーテンを閉める。花びんの位置を移動させる。手を洗う。
これを一瞬のうちに、すべて同時に済ませられればいいのに、と思う。一秒でも早くリラーックス、したいのである。

どれだけ寝ても足りない気がするのだがそれは気がするだけじゃなくて本当に足りていないんだろうと思う。毎朝6時半に起床するような生活を送る人は、夜23時以降に寝てはいけないのである。村上春樹みたいな、農耕民族的な生活リズムを整えるのが望ましいのだろうと思う。

しかしながら私は、もっと家での時間が欲しいのである。夜7時から11時まで、家でゆっくりしていたとしても、たったの4時間ではないか。朝にいたっては、起床後30分もすれば家を出るのである。ということは、意識のある状態で家にいるのはたったの4.5時間である。その一方で、職場には10時間近く浸っている。日常は一体どっちだ。といわれたらそれはやはり仕事になってしまうのである。せめて半々であるべきではないだろうか。

同じ時期に大学を出た友達と話すと「だいたい終電でいつも帰るよ」という人ばかりである。毎度ながら、驚いてしまう。そんな生活は、人間の生活じゃないと思う。そんなことでほどよいバランスがとれるわけは無い。何かが狂ってしまう。そんなのを基準に生活のリズムを作っちゃったら、困るよ。

私は彼女たちに比べたらだいぶゆとりのある生活をしている。それでも「もっとプライベートの時間が欲しい」と思うことが多いというのに。一体この国はどうなっているんだろう。ヨーロッパでは、働きすぎの人に対してむしろ格好悪いなー、というイメージを持つ人たちが多い。プライベートが充実してこその仕事である。プライベートをなげうってでも仕事を頑張ることが美徳とされるこの国では当分叶いそうにない。でもさぁ、物理的に無理、っていう場合もあるでしょうに。

先日、恩師の誕生日だったので、メールを送ったら、返信が来た。仕事について「コツは、頑張り過ぎないことです」と書いてあった。なるほど。痛いほど身にしみる言葉であった。ぼちぼち自分のペースで行くのがいい。

と、こんなことを書くと、ああ仕事辛いのかなと思われそうだが、なんとかかんとかやっていっています。9月、10月に比べるとだいぶストレスも減って、日々も比較的安定している。日中のイライラが少なくなった気がする。

その代わり、朝、出勤前にイライラする時があって、仕事に行くまでに気分が乗らないことがある。だから今日は天井に向かって、えいやッ!とジャンプをした。奄美大島から来た友達がくれた黒砂糖の欠片を幾つかと、アールグレイを飲んで出かけた。

イライラするのは仕事のせいじゃない。結局のところ、もっと早く寝るべきなのだ。10時くらいに寝れば次の日の寝起きが良いだろう。寝起きが良いと、その日もポジティブに生きれるだろう。ということで今日は昨日より早めに寝たいと思います。

The strokes のDarling, your head's not right というフレーズが気に入っているここ最近。

Sunday 16 November 2008

週末は天気が悪かった。

何度読んでも『村上ラジオ』が面白い。エッセイというか「ぼやき」である。

さて、いつの間にか11月も半分が終ってしまった。早い早い。一週間が過ぎるのが早い。

昨夜は、一週間前から約束していた友達と会った。そして今日も昼頃から、上京している友達と会った。色々なことを話した。それぞれの生活があるなあ、と思った。

昨夜、12時前に友達が帰った後で、お風呂に入って写真をアップロードしていたのだが、いつの間にか眠っていた。はっと目を覚ましたら4時ごろで、パソコンも、電気も、つけっぱなしだった。これってとても珍しいことです、私にとっては。いつの間にか寝てしまうという経験がないわけではない。けれど、普通はどんなに眠くても、電気とパソコンその他の電源は切る。それを付けっぱなしで寝ていたという事実が、妙に新鮮で、知らない領域に達してしまったような、嬉しいような、罪深いような、変な気分になった。

結局今朝は九時過ぎに起きた。もっと寝たかったのだが、まあこんなものだろう。天気が悪いから、掃除洗濯をする気にはあまりなれなかった。最終的には洗濯しましたけどね。

一週間の休みが一日というのは、精神衛生上、かつ、生物学的観点から見ても、よろしくないと思う。全然足りないのである。人間はもう少し休息をとってこそバランスのとれた心身を保てるようにできているのである。眠りが足りないとかそういう問題じゃない。眠りだけなら平日だって回復できる。何が足りないのか。それは、ぼうっとする時間である。もっと必要なのだ。一人で色々考えたり、趣味に没頭したり、まあ、ぼうっとしていなくても、私的な時間が必要なのである。それが、一週間7日のうちに、たったの一日じゃあ足りるわけがないのである。理想としては、三日働いて四日休息するのが一番良い。当分のあいだ、叶いそうにはないけれど。

とにもかくにも、腕時計を外して過ごせる日が欲しいのである。時間も曜日も気にせずに過ごしたいのだ、たまには。

あと一週間頑張れば、二連休が待っている。よーし。早めに寝よう。

Thursday 13 November 2008

カモミール、レディオヘッド

追記:

RadioheadのCreepは名曲ですが、カモミールティーを飲んでいたらふと聞きたくなったのでRadioheadを数曲かけてみた。そういうときってある。

歌詞をまともに確かめたことがなかったなあ、と思い、radiohead creep lyrics と検索した。歌詞を見ながら聞いてたら、なんというか、主人公?の不器用さが切なくて痛々しくて、急に泣けてきた。

男も女も、考え方は基本的に異なるものの、やっぱり似ているところはある。みんなもっと、素直になれたらどんなに楽だろうね。

些細なことを気にせず無神経かつ鈍感に見える男の人でも、実際のところ、瞬間的であってもこういうことを考えたりするものなのだろう。なんて考えたら、人間の弱さというか脆さというか寂しさというか、そういうのが、一気に迫ってきてキューンとなった。ああ、良い歌詞だ。

カモミールティを飲んで、レディオヘッドを聞いたら、泣けた、とFくんに言ったら、「ひどい組み合わせだ。おまけにレディオヘッドは好きじゃない。ゆっくりすぎて」 と言われた。しかし、誰が何と言おうと、泣かせたのだ、Creepは。

今日も早めに寝ようかね。

食べ歩き、村上春樹

食べ過ぎているとは思えないのだが、午前中の吐き気、胃のむかつきが続いている。どうしようもない。おなかがすいているはずなのだが、そんな感じだから、食べる気はしない。言うまでもなく。

木曜日は半日勤務で帰宅するので、そのあとはたいていゆっくり料理をして早めに夕飯を食べるのだが、今日はどうしたことかいつまでたってもおなかが空かない。というのも、まあ、プリングルスを歩きながら食べたせいだろうけど。

私は歩きながらものを食べることを悪いと思わない。マナーがなってない、といわれるんだろう。確かに、見ていて気持ちの良いものではないのかもしれない。しかしながら、食べながら歩くからこそ、あるいはその逆で歩きながら食べるからこそ美味しい食べものって、ある。店頭で「ああこれが食べたい」と思って買ったものは、どの瞬間でもなく、「今」、それが食べたかったわけであって、家に帰って食べても同じ美味しさは味わえないのではないかと思う。つまり、その場で食べないと。

スウェーデン人が、学校からの帰り道に食べ歩きしているところを後から注意されて、とても不思議そうな顔をしていたことがある。What's wrong? を連発していた。洋服を汚してしまったらそれは問題だけど、それ以外に何の問題があるの、と。ごもっとも、である。全然悪くない。もっと言えば、電車の中で、携帯でしゃべるのがダメだという理由も、よく分からない。何がいけないんだろう。うるさいということだろうか。私が不思議なのは、むしろ、何でこんなに静かなの、と言いたい。人に聞かれたらまずいような内容をしゃべってしまったらそれはいけないだろうけどさ。

さて話を戻して:

6時過ぎ、さすがに何か食べなければいけないだろうと思って、トマトを二つ切って、パンを焼いて、ブルスケッタを作った。トマトを食べていればまず悪いことは無いような気がする。

*********

読まなければいけない本はたくさんあるのに、借りても結局読まずじまいで返している。こういうのって良くない、と思いながらも、気分がどうしてものらない。村上春樹にしか手が伸びない。もう何度目かすら忘れてしまった『パン屋再襲撃』と『100パーセントの女の子~』、これらによく手を出す。名作中の名作である。最近は特に100パーセント~のほうがやたら心に響いてくる。読んだことない人は読んでみてください。英語版も読むとさらに良いです。

昨日と今日は、二回目である『村上ラヂオ』を読んでいる。やっぱり面白いなあ。長編もエッセイも短編も。

ところで最近、寝起きの悪さにも関わらず、仕事が楽しい。一つ一つ、真剣勝負でやっているから。それだけにレスポンスも良い。

こんな感じで一年は終っていき、雲は流れ、私は歳をとり、桜は咲き、レディオヘッドは歌う。
ああ、諸行無常。こんなに良い言葉があろうか。

Wednesday 12 November 2008

タカナシ、ローファット

だいぶ寒くなってきた。容赦なく脂肪分の多いものを、夏と同じように、食べつづけていたら、おなか周りのみならず、身体全体がfattyになってきた気がする。なんとかせねばならない。放っておくことはできないのである。

昨夜は生理痛で死にかけた。夜中に起きて、薬を飲んだ。吐き気まですることはあまりないのだが、昨日は本当に吐きそうだった。絶対に仕事を休んでやる、と思いながら、起きてみると、だいぶマシになっていたので結局仕事には行った。そんなに苦しんだにも関わらず、恋人に去られるという夢を見た。久しぶりい恋人が出てきた。手に届く位置にいて、楽しく過ごしているのに、ずっと遠くに離れてしまう、という場面で、夢を見ながらも、実際に私は泣いていた。


タカナシのローファットについて。

これだけ聞いて「ははーん」と思ったアナタは相当な「ツウ」である。まず、牛乳の話だということは分かるだろう。まあ、回りくどい話を抜きにして言うと、最近「タカナシのローファット」を飲むようになった。今までは、普通の、成分夢調整の牛乳しか飲んでいなかったというのに。これは一体どういうわけか。

村上春樹の影響である。いや、村上さんがこの牛乳を飲んでいるかどうかは知らないのだが、「アフターダーク」に出てくるのである。アフターダークは別に好きな小説というわけではない。というかむしろ、苦手な小説である。よく分からなかったしあまり惹かれなかったから。

それでも、どうしたことか、あの白川さんが買う「タカナシのローファット」は、とにかく印象に残ったのである。先日ふとした拍子に「ああ、タカナシのアレを買ってみよう」という気になって、スーパーで探したら、あった。と言っても、「ローファット」と表示してあるものではなく、結局のところ普通の低脂肪乳なのだが、それでも、タカナシはタカナシである。そしてファットがロウなのである。いわゆる「タカナシのローファット」となると、あまり売っているのを見ない気がするし、加工乳であるのであまり美味しくないと思われる。今度みたら買ってみようとは思うけれど。

村上春樹がきっかけで
・ビールを飲むようになった
・スパゲティを茹でるようになった
etcの食べ物に関する影響はよく聞くのだが、
・タカナシのローファットを飲むようになった

という人もいるらしい。ためしに、グーグルで「タカナシ ローファット 村上」と検索してみてください。世の中には、同じことを考える、というか同じ方向、手段に走る人たちがたくさんいるらしいです。

というわけで昨日は散々な夜だったために、今日はもうこれで寝ようと思う。肉も野菜も食べているというのに、顔色がとても悪い。それにしても今回は、生理の始まる前にしては、精神的に落ち着いていたように思う。比較的。

Tuesday 11 November 2008

甥も、姪も、孫も、二ポーテ

昨日書こうと思っていたことをうっかり忘れていた:

イタリア語で、甥っ子のことをnipoteという。つまり、兄弟姉妹の子ども、のことである。それはよく知っていたのだが、なんとnipoteがさすものはもう一つある。
それは

孫。

初めて聞いた時は信じられなくて、直接イタリア人の口から聞いているにも関わらず「イタリア人ならもっとちゃんとイタリア語を勉強しなよ。まったく、嘘でしょ。だって、nipoteは、兄弟姉妹の子どものことを言うのに。Nephewのことだよ…」と、笑って言った。相手もまた「あれ、いや、たぶん、間違ってないと思うけど」という感じだった。

それ以降あまり気にしないまま時は流れた。

そして昨日、ふと、それが気になって調べてみたら

nipote
①姪、甥
②孫

とあるではないか。信じられない。姪と孫なんて、区別して当然のことではないのか。そんな言語があったなんて。

また、①と②を区別しないという事実と同じくらいにショッキングなのが、イタリア語を勉強し始めて今までの間に「孫って何て言うんだっけ」と、一度も思わなかったことである。思わずにいられたことである。つまり、3年近く、その場面に遭遇しなかったわけだ。「孫」という、実に基本の基本と思われる単語をおさえないまま、これだけの年月を過ごすことができたわけである。

どうやって、孫という単語を使わずにいたのだろう
①一度も会話の中に登場しなかった。
②他の単語で置き換えて回避していた。

可能性としてはこの両方がありうるだろう。もし、自分に孫がいれば、会話の中での頻度は高かったかもしれない。しかし、自分のことを話す場合、「私は、おばあちゃんから見たら孫で…」なんて言い方はしない。figlio di figlio(息子の息子)という言い方はできるけど、そもそも自分には子どもが居ないので、そこまで話す必要は無いのだ。
やっぱり、会話の中に、なかなか出てこないのである。

単語の由来がやはり気になって、少し調べてみたら、インターネットでは、ロマンス語、ラテン語、ルーマニア語、と言ったワードとともに、色々な説が紹介されていた。詳しい説明はここでは避けるので(というか単に面倒だ)、グーグルで「イタリア語 nipote」と検索してみてほしい。

イタリア人を笑い飛ばしていた私だが、相手は全然間違っていなかったことになる。(それにしても、相手も自信が無さそうだったのだが…。) 面白いのは、対して区別をしていないということである。nipoteには二種類ある、と意識している人はどのくらいいるものなのだろうか。実は我々人間にとって、甥と孫の区別なんて大した問題ではなかったのである。イタリア人に限らず、きっとそういうことなのだ。面白い。

Monday 10 November 2008

Everything Real

スカイプもFacebookも、オフラインにしてしまうと気持ちが良いですね。ほかのことに気が向くようになるし。I like something -everything- real. Especially communication - it should be real, i mean, nothing is as great as face-to-face, in terms of communication. I love to see you, talk with you, touch you, with all the expression such as smile, happiness, sadness, even anger.
Now cut the PC line, turn your phone off, go out, look up skyward, breathe the air. Sometimes you need it. Then you'll be feeling free, relaxed, and even getting sort of good inspiration - Look at how blue the sky is, how tiny you are, and how huge the world is.
All the world and his wife are waiting for you. Yes, the world is your oyster!

今、自分の中に創作意欲が湧いてきているのが分かる。画がかけそうな気がするし、何か書けそうな気がするし、撮れそうな気がするし、読めそうな気がするし、作れそうな気がするし、勉強できそうな気さえする。帰り道にそういう気分になるときは、とても明るい、なにかこう、開けたような気分になる。こういうところが私の長所だと思う。いわゆる、クリエイティヴ、ってやつだ。かつ、向上心がある。

色々書いたけど、今日は私が読むブログを一つ紹介します。
冨永愛のブログ



高校時代から、どうしたわけか好きで好きで仕方がなかった。今となってはまあその熱も収まったが、この人の存在を知った当時私は16歳で、わずか1歳違いの彼女の写真を見てはため息をついていた記憶がある。欧米のモデルにも感服するが、冨永愛にはまったく別の種類の魅力を感じたのだ。同じ日本人という人種であるだけに、その美しさが強烈に響いた。いや、そもそも、美しさ、というカテゴリに入れていいのかどうか、という問題もある。

マスコミ・メディアには叩かれまくっていて、私も、「ああ実は大したことないのかな」と思ったことも何度かあったが、結局のところ、それほど嫌いになる理由は、これと言って見つからなかったのだ。

というのも、この人と私は個人的な付き合いがあるわけではないから。本当に、なにか、迷惑を被ったことなんて一度もないから。だから、この人の写った写真を見ているだけの立場、つまり、見せられる側としては、十分に満足している。とことん美しいと思う。ただそれだけだ。

私が16歳当時、どうしてこの人の存在が気になっているのか、それを説明するときは必ず「日本で満足してないところがすき」と言っていた。当時から、日本におさまっていないというのはすぐ分かった。あまり日本で名の知られていない時期に、既に有名デザイナーのショーに出演していた。ポートフォリオを持って、パリの街を奔走する姿が印象的だった。まだ10代の、日本人の女の子が、ビシバシと英語で指示をしている姿は、もはやショッキングだった。そして文句なしに格好良かった。

だからって今、大ファンなのかといえばそうではないけど、時々こうやってブログを見て、ああそれぞれの人生があるよなあ、と思うのです。"Ognuno ha la sua vita."

しかしこの人、頭が良いのか悪いのか分からない。思うに、発信しすぎないほうがいいのではないか。イメージ戦略というのも色々あると思う。スーパーモデルなのにすごく完成度の低い映画やCMに出てしまっているのを見るにつけ(そういうのに疎いわたしでも)、もう少しよく考える(あるいは、止めに入る)人はいなかったのだろうか、と思ってしまう。

久しぶりにハービー・ハンコックを聴いています。

ああ、そういえば、右のquotation of the day、ご覧になってますか。面白いですね。今日はデカルトの言葉でした。
"I am indeed amazed when I consider how week my mind is and how prone to error."

ほほー。

Sunday 9 November 2008

孤独、グアテマラ、スペイン語

土曜日の予定がキャンセルされた。
それは金曜に分かっていたことで、まあ良いか、たまには1人で過ごすことにしよう、と思っていたにも関わらず、いざ土曜の午後となると寂しくなってくる。1人の時間は基本的に好きなのだが、いつの頃からか定かではないが、人に会っていないと、飢え死にしそう、と思うようになった。学生時代が終ってからだろうか。職業柄、だろうか。数年前までは「趣味もたくさんあって、1人でいても決して退屈しません」と豪語していた。むしろ人と会わずに過ごしたいと思うことのほうが多かったのに。それは単に、学生時代はいつも人と会える環境にあったからだ。キャンパスを歩いているだけで、たくさんの友達とすれ違った。「最近どう」「卒論は」「就職だっけ」「院は大変?」「彼氏はどうなったの」「留学らしいね」
そういう話題を、日常のなかで交換できた。それが今となっては、「公」の顔と「私」の顔をもつようになった。疲れるのも、寂しくなるのも、結局すべてはそのためである。

なんていうことを一ヶ月くらい前にも書いたような気がしますね。


話は戻って、そういうわけで土曜も結局、友達に会った。2件"はしご"して、結局家に帰らなかった。

会える人を探していて、ふと困ることがある。というのは、ダブルブッキングをしてしまうことだ。後先考えずに、相手から返事が来るのを待ちもせずに、どんどん連絡を送ってしまう。「どうせあたしゃロンリーなんだ。」というモードに、頭が突入しかけているため、その時点では「いいよ、会おう」なんて言う人はいない、という前提がある。それで連絡をしまくった結果、3者くらいにOkをもらう。そこで初めて「あら、身体が足りない」ということに気付くのである。まったくもって迷惑な話だ。

こうやって人を誘うことが多いのだが、あまり人から誘われることはない。いや、誘われても、自分の都合でほとんどの場合断ってしまっている。これも、まったくもって迷惑な話だ。連絡が来なくなるのも当たり前である。

日曜だというのに久しぶりに、泳ぎに行かなかった。その代わり、この前買ったブーツキーパーを返品しに行った。1980円が戻ってきた。そこで、皮の手入れ製品を買ったら、これがとんでもない不良品だった。だから、もう一回同じ店に行くことになった。ショックだ。お金を返して欲しい。

話は変わって、スペイン語を始めることにした。昨日の夜に決めた。そして、将来的に、中米を目指すことにした。いや、正確に言うと、目的地の候補に仲間入りしたのだ。具体的には、グアテマラに行きたくなった。

なんでもかんでも、急である。急に新しい世界が開けた。この一年で、スペイン語習得。それから、来年の夏にはグアテマラを見てみる。そういうわけである。

それにしてもどうして今までスペイン語をやってなかったのだろう。スペイン語をしゃべる友達が比較的多いのだが、一度もまともに取り組んだことはなかった。ドンデ・エスタ~とかオラ~とかパエージャとかセビージャとか、そういうレベルだ。

おそらく、理由の一つとしては「響きに惹かれない」というのがあるだろう。フランス語を始めてみたいと思った人は、あの響きに惹かれて、という理由からの人は少なくないだろう。けれどスペイン語ときたら…あれに魅力たる魅力を感じないのである。まず、ニワトリみたいだ。そして、口に液体が溜まったまま、のようなしゃべりかたをする。実際に聞いてみれば分かると思う。

しかし、スペイン語をしゃべれなくて悔しいと思ったことは、今まで生きてきた中で結構多かった。英語のしゃべれないドイツ人はなかなか居ないが、英語のしゃべれないスペイン人は結構多い。ノリで会話はするものの、スペイン語さえ分かればもっともっと通じることができたんではないか、と思うことがよくある。やって損はない言語だと思う。そして、イタリア語とフランス語の学習経験のある自分としては、今一番、手近に学べる言葉なのでは、と思う。

今日買った本はちなみに、スペイン語の本ではない。「フランス語、イタリア語、スペイン語が同時に学べる本」というものだ。こんなのあったのかー、と、感動してしまった。まだ数ページしか読んでいないので、構成の良し悪しも分からないが、買って後悔は無さそうだと思った。

もっと色々書こうと思ったけど、ちょっともう眠いからこれでやめます。またねー、おやすみなさい。

Wednesday 5 November 2008

終った時代 その2

昨日、一つの時代が終ったと書いたが、今日またそう思った。アメリカの新大統領が決まったから。演説を聴いて鳥肌が立った。何を隠そう、私は、そもそも政治には関心がない。何度も、無理に関心を持とうとしたが、やっぱりできなかった。

でも、スピーチには感動したし、この人が大統領になったことをとても嬉しく、喜ばしく思った。そして世界が少し動き出した気がした。この私にも、それだけは、その振動だけは伝わってきた。

今日の夕飯はNYチーズバーガーとチーズまみれのポテトとベーコンとクランベリー・ビールでした。
ジャンク!
満足!

Tuesday 4 November 2008

終った時代

仕事中を除けば、比較的気分の良い一日だった。そのかわり、仕事中のイライラはすごかった。
また壁を破壊しそうになった。早めにボクシングをスタートさせるべきかもしれない。
夕飯に、キャベツを1/2個食べた。
トマトとピーマン、たまねぎ、人参以外の野菜はあまり買うことすらないのだが、久しぶりにキャベツを山ほど食べたくなったのだ。

小室さん逮捕されました。
一つの時代が終りました。

いや、あの時代はもうすでに終っていたんだけど、はっきり終止符を打たれたというか、終ったことに気付いていなかったというか、そんな感じがした。
90年代は、もう終ったのだ。

とても眠いので、今日はこれで寝ます。


ところで誰か、カモミールティーにはカフェインが入っているかどうか、知っている人がいたら教えてください。昨日、2回も飲んだら、よく眠れなかった。気のせいでしょうか。

Saturday 1 November 2008

スパイダーマンに会う

11月になってしまった。今週はとても、長い一週間だった。

朝、おなかがすくまでにだいぶ時間がかかる。起きてからはとにかく、コーヒーか紅茶で限界だ。そうじゃない日もあるが、以前より、食べられない日が増えた。何か食べると、たいてい、通勤中に吐き気を催す。気付いたら夜の8時ごろまで、チョコレートひとかけらしか口にしていなかった、という日もあった。夜に限っては、ちゃんと食べている。生きるのに問題はない。

だいぶ涼しくなった。肌寒くなった。
ほらね、やっぱりね、秋はあっという間なのだ。落葉のスピードと同じか、それより早い。

"Everyone has their bad days."


家のドアに、この言葉を貼った。ラジオ英会話のテキストにあった「キーフレーズ」から切り取った。朝、ドアを開けると同時に、つぶやく。ほとんど無意識だ。
エブリワン ハズ ゼア バッドデイズ―

ここ数日間で、村上春樹の短編をいくつか読んだ。まだ読んでなかったものも、既に読んだものも。


ところで今朝、スパイダーマンに会った。
通勤中に、電車に乗り込んできた。びっくりした。全身スパイダーマンだった。野球少年たちと、仲良くなっているようすだった。やたらと周りの人に話しかけるスパイダーマンだった。フレンドリーだ。
無口だったサラリーマンたちが、話しかけられると急に笑顔になっていった。
ひどく愉快で、素敵な経験だった。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...