Saturday 27 August 2011

床とお風呂

24日の昼ごろ日本に戻った。
いつものような浦島太郎感は特に無く、すんなりと日常に戻る。
仕事もぼちぼち始まった。

1ヶ月ぶりだというのに特に新鮮に感じるものが無いのも妙だなと思っていた。
しかし、家に帰宅したときのフローリングが素足に触れる感触がなんともいえない心地よさで、思わず、

「嗚呼」

と声が出たくらいだった。
床が、石でも大理石でもない。
この、「ひたひた」する感じがやっぱり好きだ。
ストレッチングもすぐできる。

ヨーロッパではいつも立つかソファか椅子かベッドかという感じなので、「地」に腰を落ち着けられない。
という話をしていたら韓国に留学していた友人が「韓国もそんな感じ」と言っていた。

ちなみにこんなに日本と近いところにある韓国だが、日本のようなお風呂文化は無い。
バスタブはあるが、浅くて細長いところが多い。

そう、お風呂。

これも1ヶ月ぶりにゆっくり浸かることができた。
やはりお湯につかるのは欠かせないとしみじみ思う。
身体の血がめぐる感じがする。
1ヶ月お風呂に入らなかっただけでも、身体の(とくに下半身)にリンパとか血液とか脂肪とかが留まっているような感じがしていた。
ただでさえ私は血の巡りが悪いのだ。

というわけで帰ってきてすぐに感じたこと二つ。床と、お風呂でした。

Thursday 18 August 2011

ローマ・レポート 街路樹の枝切り

お盆が過ぎたので日本はそろそろ涼しくなってきたのだろうかと思ったらどうやらそうではないらしい。
この夏最高気温を記録しました、というニュースを見た。ふぅー。
ますます帰りたくなくなる。


ローマは本格的にすっからかんである。
先週末までにみんな旅立ってしまったからだ。


ローマには街路樹が多い。
たいていポプラや樫の木である。
多いだけではなく、大きい。何年前に植えられたのかは分からないが背の高い街路樹が茂っている。


そのまま茂ってしまっては通行の妨げとなる。
たとえば、信号が枝に隠れて見えなくなったりする。


というわけで時には枝の切り落としが必要となる。
ふだんの交通量を考えると、とても昼間にはできない。

そのため、人がいなくなるこの8月の休暇中を使い集中的に行われるらしい。

作業が始まる数日前には、赤と白のロープが歩道に、派手に張り巡らされていた。
しかも結構な距離である。

なんでそんなことをするのか、と思っていたら、ロープに紙切れがくっついている。

「枝を切り落とすから、下に駐車してたらあぶないよ」
と書いてあった。

うーむ。
なんという警告方法。

作業当日、朝8時ごろ、通りから「がががががが」と音が聞こえ始める。
歌声まで聞こえる。

興味深かったので外に出てみた。
怒っているのか、嬉しいのか、注意しているのか、歌っているのか、もうどうでもいいけど、とにかくおじさんたちが叫んでいた。

クレーン車にのって、すごい高いところの枝を、ばっさばっさ、と切り落とす。
下に誰がいようとお構いなしである。

通行人に注意を呼びかける人なんていない。
そんな担当は無いのだ。
歩く人が、注意して歩けばよいわけである。

しかもクレーンの先っちょで枝を切ってるおじさんをよく見ると、なんとヘルメットをかぶっていない。
どこまでいい加減なんだ。

ちなみにこの人たちはただの「作業員」であり、「庭師」とかではない。
樹の、どの部分の枝を切り落とすとバランスがいいとか、あまり気にしていないように見えた。
そりゃ切り落としすぎじゃないの、と気の毒に思えるほどに切り落とされた樹もあった。


ちなみにこの間、いきなり道路が片側封鎖された。
先に決まっていたことなのか、その日に決まったことなのかはわからないが、市の警察がやってきて交通整理をしていた。
そこに来る人たちは当然そんなこと知らなかったわけだから、車一台一台が、警察と話す羽目になる。
「木の枝を切り落とす作業をしていて、ここからさきは作業が終わるまで封鎖なのよ」
というのをいちいち説明している。

たちまち渋滞が起きる。
そもそも車の数が少ないので、まあそんな渋滞にはならなかったが、みんな「マンマ・ミーア」「しょうがないわね」と言いながら周り道をしていった。

近所の、おしゃべり好きのおじさんがとことこそこまで出て行って今度は警察と世間話を始めている。
ちなみにこのおじさん、住人いわく、経営しているはずの店では見かけたことが無い。
いつも妻と娘二人が店番をしている。

作業は2日かけて終わり。

おじさんもついにバカンスに出かけてしまい、しかも今日は日曜日ということで開いている店はほぼ無い。

お土産を探しに行くのは、明日にしよう。

Wednesday 17 August 2011

ローマ・レポート イタリアを離れた

13日から昨日まで、セルビアに行ってきた。
ベオグラードで働いている友人を訪ねていった。
ベオグラードに住む予定であるという話を聞いたのは去年のことだった。
当時、「来年の夏なんて、訪ねて行けたらいいだろうね」と話していたのだが実現したわけだ。

ベオグラードは小さな街で、動きやすかった。
東ヨーロッパに行くのは初めてだったのだが、東であれ西であれ、ヨーロッパはヨーロッパである。
人間も街も、イタリアとぜんぜん別物!という感じはしなかった。

ただ、イタリア人のアグレッシブさと陽気さと声の大きさに慣れていると、なんだか物足りなく感じる。人間は結構静かで、車の運転もローマほど荒くはなく、道で喧嘩している人も見ない。
炭酸の抜けたコーラというか、そんな感じ。
街全体が、ぐぉおおーっと迫ってくるような、そんな感じが無かった。
帰ってきてから気づいたが、三日間で一度も救急車を見なかった。
ローマにいると救急車のけたたましいサイレン音を1日に5回は聞く。

人の「適当」加減は、イタリアと同じ。ヨーロッパはどこでもそんな感じだ。
いや、日本人の目から見れば世界中どこでも、だいたいそう見えるかもしれない。

街にいるハトとかネコとか、なぜか黒かった。
汚れているのかそもそもその色なのか。

建物の壁はもう、崩れそうで、いろんなものがぼろぼろなのだが、特に直そうとしている様子は無かった。たぶん来年行ってもまたこんな感じなのだろう。

物価は、安い。お金があればここではけっこうな贅沢ができる。
ドナウ川が見渡せる船上バーで飲み食いしても、1000円にも達しない。
日本人はみんなびっくりするだろう。

セルビアの一般の人の平均月収は3万円くらいだと聞いた。
初任給でたいてい20万が確約される日本のような国って実は世界にそんな多くない。
という事実を以外と我々は知らない。

タクシー運転手の話によれば、共産主義時代は、もっとよい生活ができたらしい。
ユーゴスラビア連邦が終わってから、貧しくなった、と。

ローマの空港に着き、タラップをおりると暖かくてやや湿ったローマの風が吹いた。
パスポートコントロールを終えて到着ゲートの扉が開いた瞬間、イタリアのにおいがした。
コーヒーの香りだろうか。ああ帰ってきた、と思った。

帰宅は夜11時を過ぎていたが、満場一致(二人しかいないけど)でパスタをゆでた。
トマトをたくさん切って、オリーブオイルをかけて、シンプルなパスタを食べた。
ほっとして、眠りについた。

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(追記です。)

話題の場所を目的地とした「主要箇所はとりあえず行ったことあります」みたいな海外旅行もいいけど、やっぱり知人友人を訪ねて行く旅はぜんぜん違う。
より街に馴染める感じがするし、その土地への想い入れみたいなのが変わる気がします。
友人が毎日息をしている街はいったいどんなところなのだろう、と、違った方向からの興味がわきます。

日本語学習中の大学生にも会いました。

公園で日本人観光客を見かけ、嬉しそうな顔をしていきなり「日本人ですか」と話しかけていました。
それを見て、なんかもー、こっちもうれしかった。
その、意欲が手に取るように伝わってきて。

その大学生に「せんせー」と呼ばれ慕われるる友人を見てまたうれしかった。


日本語や日本の文化が、本やインターネットではなく、人から人に伝えられる様子を目の前で見て(珍しいことではないんだけど、あらためて)ちょっと感動してしまった。

ある文化と文化のあいだには、小さな誤解や勘違いが生まれます。
それは結構避けられない。

だけどこうやって少しずつ誤解は解けていくんですね。
「イメージ」だけで語るレベルからだんだん上昇していく。
いつも、世界中のどこかで、少しずつだけど理解は深まっているんだと思った。
日本とセルビア、という話ではなくて、あっちこっちの文化で。


それぞれがその一端を担えるわけです。
だから、やっぱり外に出ないと、と思います。
もっともっと、人と話さないと。

遠くから一方的に憧れたり、憎んだりしているだけでは近づけない。


「○○人は…だ」

と、実際に目で見たことすらないのに一般化をしている人って世界中どこにでもいます。
実は危険なことだと思います。


…と、実際にセルビアを見た者として、今回感じたことを人に伝えなければ!
と思いました。


あと、今回はキリル文字がぜんぜん読めなくて困った。

Friday 12 August 2011

ローマ・レポート 休暇について

昨日もまた海に行った。
おとといよりもっと遠い海。そこそこきれいだった。
日焼けについてブログを書いた後に、日焼けをしてしまった。
なぜか右の太ももが熱い。
左は平気だというのに。
はっきりとは覚えていないのだが、おそらく、日焼け止めがどのくらい効くのか試したくて左にだけ塗ったのかもしれない。
一晩たった今、やっとほてりがおさまった。
ビーチに寝転がるのが気持ちよすぎて、何度か眠った。
この開放感はたまりませんね!
やっぱり夏が好きだなあ。
そろそろ本格的に、街から人が消え始めている。
今週が終わるころにはほとんどの人が休暇に旅立っている。
もっと早くから行っている人も、もちろんいる。
たいていの人が海を目指す。
そして今月末まで帰ってこない。
大人も、子供も、少なくとも2週間は休む。
3週間休んだって特に長くはない。
だからローマの街は本当に観光客だらけである。
買い物をするとしたら今週中にしておかないといけない。
なぜなら来週にはほとんどの店が閉店してしまうからだ。
街が空っぽになるなんて、東京では本当に想像できない。
働くなといわれても働かずにはいられない国民なのである。
私の同僚でも、頼まれてもいないのに日曜にも出勤している人がいる。
仕事が終わらないから、と言っていた。
ご苦労なことである。
日本にはよく「暇になると何をしていいか分からなくなる」という人がいる。
分からなくは無い。
東京にいると時々そう感じることもある。
常に動いていなきゃいけないような気がする。
だからやっぱりすべてスイッチを切って、日常から遠ざかってしまうのは必要だ。
自分のいた環境をちょっと客観的に見る機会が、時々は与えられるべきだと思う。
あの街はやっぱりどこか狂っていると思う。
全員が一斉にある方向に動き出したらそれに倣うのが日本人の習性だが、まさに、身体を酷使して働き続けることもそのひとつだろう。
自分の身体が出しているシグナルに耳を傾ける余裕さえない。
これって怖いと思うんだけど。
身を滅ぼすことになると思う。
いや、実際のところかなり心身の破壊は進行してしまっているように見えるが…
全員が一斉に動き出す、という習性が「全員が3週間休暇をとる」という行動に出てしまえばいいのになあと思うんですけどね。
全員が必死で働かないと機能しないような社会は、システム上破綻しています。

Thursday 11 August 2011

ローマ・レポート 乾燥と日焼け

数年前までは、夏の旅行をだいたい2週間としていたのだが、それが徐々に長くなってきて、結局今年はほぼ1ヶ月となった。
もし2週間だったらもう今頃帰路についていたのかと思うと恐ろしい。
というのは言いすぎかもしれないが、やはり今ここで去るのは考えられない。休みきっていないからだ。
昨日はFregeneというところまで行った。ローマからはそれほど遠くない。
海があるのだが残念ながらあまり綺麗ではなかった。
2000年前は、モルディブみたいに綺麗な海だったそうだ。
ここ最近、昼に眠気がやってくる。
夜も8時間以上は寝ている。
なのに昼ウトウトしてしまうのだ。
東京ではこんなこと無かった。
東京では、寝ていても神経が逆立っているというか常に緊張感があって、完全にリラックスすることができない。家は狭いし、暑いし、外に出ても人が多くてストレスがたまるし、常に何か「たまっている」「張りつめている」状態である。
やっぱり夏休みって必要ですね。
仕事とかいやなことからただ遠ざかるだけではなくて物理的に距離を置いて、文字通り遠ざかるのは大事だと思う。
ところでヨーロッパは本当に乾燥している。
ここ数日、ますます乾燥がひどくなってきたような気さえする。
雨がぜんぜん降らない。
今朝なんて、肌と唇の乾燥で目が覚めた。
ニベアの、超乾燥肌用ボディクリーム(青いボトル)があるが、日本では真冬にしか使わないあのクリームが今、欠かせない。
あとは、ハンドクリームとリップクリームも必須。
化粧水はきっと足りなくなるだろうと思っている。
当然ながら髪もパサパサする。
先日、ベトナムとカンボジアに行ったときに、人々が、日本人以上に童顔だと感じたのだが、もともとそういう民族であるのに加えてやはり湿度も関係しているのだろうと思う。
ヨーロッパにいると、老ける。
乾燥していて、しかも日差しが強いので、肌には一番良くない環境である。
それにもかかわらず、ここの人たちは
「ちょっと太陽浴びてくる」などと言って、午後2時とか3時とかの一番紫外線の強い時間帯に日なたに寝ころがったりする。
一応日焼け止めは塗っているらしいのだが、やっぱり肌には良くないだろうよ、と思う。
50代を過ぎた女性のデコルテや腕をみると、紫外線でぼろぼろになっているのが分かる。
それでも焼き続けるのだ。
私は女優ではないので、それほど必死になって手袋や日傘や帽子を使ったりすることはない。日焼け止めを塗って肌を守ろうとはする。
サングラスは使う。袖の無い服でも太陽の下を歩ける。
ただ、ヨーロッパ人ほど堂々と紫外線に身体をさらすことはできない。
小麦色に焼けた肌というのはやはり健康的かつセクシーなので、みんな憧れるのだろう。
ジゼル・ブンチェンとか、道端ジェシカとかの肌を思い浮かべてほしい。あんな感じ。
しかし日本人の顔にはやはり白い透き通るような肌が合う。
舞妓さんとか究極ですけど。
この街で日傘に腕カバーに帽子といういでたちの日本人観光客を見るとやはり首をかしげたくはなるが、同時に、その努力に感心する。
ここまでして肌を守ろうとする民族はなかなかいないですねところで。
ま、私もやれるだけのことはやろうと思っている。
あー、でも、無理かなー。
面倒がりの性格がこういうところで出る…
日本から持ってきた日焼け止めがこっちの太陽に負けている気が、すでにしている。

Wednesday 10 August 2011

ローマ・レポート バールについて

イタリアにはスターバックスが無い。
タリーズも、ドトールも、エクセなんとかも、無い。

必要が無いのである。

ではどこでコーヒーを飲むのか。

答えは「バール」。
(Barと書くのだが、アルファベットを書いたとおりに読むイタリア語では「バール」という発音になる。朝も昼も開いており、日本でいう「バー」とは違う。)

どこの街、道でも、少し探せばたいていすぐに見つかる。
いわゆるカフェですね。
朝は早くから開店している。

たいていのお客さんは、一週間のうち5日くらいはそこに足を運ぶような地元の人たちなので、注文するものはすでに決まっている場合が多い。

世間話をしながらパクパク食べて、「じゃ、よい一日を」といいながら出て行く。

私も、家の前のバールでは顔を覚えられているので、入ると「カプチーノね」と言われる。

たいてい、メニューというものは無い。
お客さんはいつもBuon giornoと言いながら入ってきて、
「カプチーノひとつ」とか
「カフェ・マキアートひとつ」とか
「エスプレッソひとつ」とか
それぞれに、カウンターに向かって注文する。

朝はこれに、コルネットなどの、日本で言うと甘い(デニッシュ)パンを注文する。
ペイストリーっていうんでしょうか。
パンとはだいぶ違う。

中に入っているものはあんずジャムだったりチョコレートだったりクリームだったり様々である。
ちなみに商品名なんてどこにも書かれていない。
適当に並べてあるだけだ。
どうやって見分けるのか。

店員に聞くしかない。

前述のとおり、いわゆる「メニュー」は無いことが多いのだ。


ところで、不安になりませんか、メニューが無いって。

私は初めて飛行機に乗ったときに「何になさいますか」と飲み物を聞かれて、答えに困った。
そもそも何があるのか聞かされてないんですけど、と。

しかも、知らない店に入る場合は、たいてい、値段が気になる。
メニューを見ないと、店に入るのを決断できない。

なんてことありませんか。

普通はそうなのだが、たとえばここで法外な値段を請求されることは(日本人だからといってナメられてだまされる場合を除いて)無い。

カプチーノは1ユーロ(110円くらい)
ペイストリーは80セント(90円くらい)

相場はこんな感じである。
というわけで、こんなに満足で暖かい朝ごはんが200円程度で食べられる。

もう、こんなのを知っちゃったらスターバックスのコーヒーなんて飲めない。
1杯で300円を超えるというのはいささかの異常さを感じずにはいられない。

事実、イタリアには1件もコーヒーチェーン店が無い。
チェーンのカフェが入ってきたとしても、営業が成り立たないのである。
個人が営業するバールがこんなに安くておいしいのだから、必要が無い。

たとえばコーヒーチェーン店で一番有名なスターバックス。
同じヨーロッパでも、イギリスでは結構流行っていたし、イタリアとどこか似た感じのするスペインにもスターバックスはあった。

でもここイタリアでは今のところ1件たりとも見かけたことが無い。
もしかしたらミラノあたりにはあるのかもしれないけど、首都ローマには無いようだ。

しかも人々はスターバックスが入ってきていないことを誇りにしている。
僕らには必要ないから、と。

そもそもファスト・フード店が少ない。
ローマにはマクドナルドとバーガーキングがそれぞれ2件あるが、まあそれくらいだ。



どこに行っても同じ味が手に入る、というのはチェーン店の利点。
マックのポテトが食べたいと思ったときにすぐ探して手に入るのは便利なことだ。

ただ、そこでしか手に入らない味と雰囲気と、なによりもそこにあふれる人情を求めて、人々が集うバールを見ていると、こういう場所の貴重さを感じる。

郷里で、家の近くにあった小さな店がちょうどこれに近い存在だったかもしれないと思いだす。
店主はたいていのお客さんの顔を知っている。
近所の奥さんが「豆腐はあるかいね」と言いながら入ってくる。
世間話をしながら「じゃまた」と帰っていく。
50円玉を握り締めて駄菓子を買いに通った20年前の記憶。

いろんなものが、どんどん便利になり、加速しすぎて、人と人とのつながりが薄くなっていく。


昨日、ボルゲーゼ公園でごろごろしていたら日傘を差した日本人女性が一人歩いていた。
(ちなみにイタリアで日傘を差しているのはたいてい日本人だけ。)
道に迷ったらしく、立ち止まった。

即座に i phoneを取り出し、調べ始めた。

嗚呼、こうやって便利な機器はコミュニケーションの場を奪っていくのだと思った。

そこで周りの人に聞くことで会話が生まれるのに!
周りに、生身の人間がいるのに!!
そこから恋が芽生えることだってあるかもしれないのに!!!

ま、極端な例ですかね。
私もいふぉーんとかいぱっどとか欲しいわけですし。

ともあれ、イタリアに行く機会のある人は、ぜひバールに立ち寄ってみてください。

ちなみに、バールで一人日本人が働いていたら面白いだろうなと思う。
日本と同じ接客態度でちょこまかハキハキと動いていたらきっとそこらじゅうで話題になるだろうなあ。
日本人の勤勉さは輝くだろうなあ、と。

さて、今日もいい天気です。
海にでも行きましょうかね。

Tuesday 9 August 2011

ローマ・レポート 2週間が経とうとしている

もう8月9日。ローマに来てそろそろ2週間が経とうとしている。
あと2週間経ったら何て言っているか分からないけど、今のところ日本が恋しかったり懐かしかったりはしない。
日本にいても、和食よりイタリア料理を食べることのほうが多いくらいなので、日本食が食べたいとも思っていない。今のところ。
だいたい3週目くらいから日本のことを考え出すので、まあ、様子を見て見ましょう。
昨日は昼がパスタで、夜はピツァでした。
聞いてるだけだと、カロリー大丈夫なんですかという感じがするけど、実際、身体に悪い成分で作られたものではないので、アメリカ人みたいにぶよぶよ太ることは無い。
畑からとってきたトマトを切って、モッツァレラを切って、パスタをゆでて、オリーブオイルを入れて、バジリコを2,3枚入れてぐるぐる混ぜる、それだけなのに本当においしい。
日本のお店で作られるパスタって、いろいろな調味料をたくさん入れてあって、どうしても化学の味!がするので苦手。
おうちでこんなにシンプルでおいしいのが作れるのに、お店にわざわざ食べに行くことは、日本ではまず無い。
さて、バールに行って来ます。遅いけど、朝ごはん。

Thursday 4 August 2011

ローマ・レポート 身体的距離について

ブログ書きたいんだけどうまくいかない。エラーばかりおきて書く気が失せるので、別のにしようかなとすら考えている。
ローマに来て一週間が経った。ゆるい日々を過ごしている。
いつものことだが、ヨーロッパ人どうしの身体的な距離について考える。
初対面の人には握手をして自己紹介をするが、2回目以降は必ず両頬にキスをする。
たとえばその日に一回会うとすれば、会ったときと別れるときの二回ともこれを行うので、計4回、ほっぺにチュ。
フォーマルな場であっても、これが常識である。
もしパーティに30人の参加者がいれば、その会場を去るときにはもちろん全員に挨拶をするわけだから、帰るだけでも60回の「ちゅ」である。
もっと親しい人どうしだと、ことあるごとに抱き合う。
(お母さんの作ってくれたごはんがおいしくて、とか。)
頭やほっぺにいつもちゅっちゅしている。
両親の肩に手を置いてしゃべる(肩もみではない)とかはごく普通のことである。
親も親で、子の頭をよくなでる。
小さい子を見てみるとすでに明らかな違いが見えて面白い。
昨日、1歳半の女の子に会ったのだが、周りの皆のほっぺに、順番にキスをして回っていた。
以前会った、2歳の男の子も、魚のかたちのおもちゃを手にして、じっと見つめた後、何をするかと思いきや、ちゅ、ちゅとキスをした。日本で、おしゃぶり以外見たことなかったのでこれには結構感動してしまった。
両側の頬にキスをするとき、右からなのか左からなのかよくわからないときが多くて、イタリア人に聞いてみたが「えーっと…考えたこと無い」という返事が来た。
ふむ。そりゃそうですね。
生まれたときからこれが習慣だとしたらいきなり説明はしませんもんね。
 
最後に自分の両親に「触れた」のがいつだったかさえ覚えていない私にとっては、何度体験しても、見ても、ものめずらしく新鮮な行為であり、すっかり感心してしまう。
私は人に触れるのもあまり慣れていないし、人に触れられるのもあまり慣れていない。
イタリアでこういう人たちを目にしてからは、だいぶ身体のバリアが弱まったとは思うのだがそれでもやはり母親に抱きつくなんてのは想像できない。
それでも、である。
そのイタリア人が感心(とあこがれ)する地域がある。
あいつらのアツさに比べちゃ、おれらはかなわねぇよな、という地域がある。
どこか。
答えは、南米。
ここではよくブラジル人の話がでる。
ヨーロッパ人よりもっともっと、身体的に親密なのだそうだ。
南米に行ったことは無いが、知り合いを考えてみるとそうだったかもしれない。
じゃあアジアはみんな日本人みたいかというとそうではない。
韓国に行った時に、よくみんな触れあっていたのを見て驚いたことがある。
なんで日本人は相手に触れないのか、と聞かれた。
うーむ。
なんででしょうね?
ひとつには、島国だから大陸の「抱き合う」文化が入ってこなかったというのがあると思う。
けどそのくらいしか思い浮かばないんですよね理由が。
ちょっと調べてみようかしら。
さーて、朝ごはん食べに行ってきます。

Monday 1 August 2011

ローマ・レポート

先週木曜からローマにいます。
日差しは強いけど湿気が無く、日陰に入るととても涼しくて、朝晩は寒いくらいです。

まったく汗をかかないかわりに、肌が乾燥してしまう。
アジアの湿度がやや恋しくもあります。

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3月11日、揺れる島の上で「今、地面から足が離れたらどんなにいいだろう」と思っていました。飛行機に乗ってれば何も感じずにすむのに、と。


だから成田から飛行機が発った瞬間、何か起きるなら今のうちに起きてくれ、とさえ思いました。(地上にいるみなさん、すみません。)

そしたら先日、どうやら東京で結構地震が起きたらしいですね。
まあ1ヶ月も東京を離れるのでその間に何か起きないわけは無いと思っていたのだけどあまりにも早速だったのでびっくりしました。
だいじょぶだったのでしょうか。

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私は毎回、飛行機にはなるべく最後に搭乗します。
というのも、あの狭い場所に閉じ込められる時間をなるべく短くしたいから。

今回、私の後から数人やってきました。
(ま、そういうこともあります。)

でも大きなカメラを抱えた人たちが、ふと気づくとゲートのところにかまえている。
そしてぱしゃぱしゃ撮影している。

「誰か有名人でもいるんですかね」

と近くにいたおばちゃんズにたずねたら、口をぱくぱくさせながら私の後ろを指差すんですね。

顔はよくわからなかったのですが、なでしこジャパンの有名な選手だったらしいです。

ま、たとえ顔を見ても名前わからなかっただろうなー

それにしれも空港のゲートまでテレビ局が嗅ぎつけるなんて、いい迷惑ですね。それよりもっと報道しなきゃならんことがあるんじゃないのかねと思いました。

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首都とはいえ、ローマは落ち着いていて、バールのお兄ちゃんとゴミ収集車以外は誰も働いていません。
(どこかで妖精や小人が働いているのかもしれませんが少なくとも私の目には見えません。)

相変わらずみんな店の入り口や道端でぺちゃくちゃおしゃべりをしています。

みんな、家族と、あるいは友達や恋人と「ヴァカンツァ(おやすみ)」に出かけてしまっているのでだんだんと街はからっぽになってきます。


ありとあらゆる話題が

「vacanzaだからいいんじゃない」とか、
「だってvacanzaですもの」

で締めくくられます。

(年中言っているような気もしますが。)


肩なんて凝ったことないんだろうなー、この人たち。
はぁ。


このお気楽な国で、今月末までお気楽にいくとします。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...