Monday 28 November 2011

敬語がつかえない、というが

ふいー。

きょうも一日が終ろうとしています。
そして11月が終ろうとしています。
つまり今年が終ろうとしています。

早いですねまったく!

ゆるゆーる、と「生き」たいんですがどうもそうは「生か」せてくれないんです。つまり、日々が。

忙しすぎる毎日を、ゆとりがあるように見せたいだけなのかもしれませんが、さっきマフィンを焼きました。平日に、翌日の朝ごはん用のマフィンが焼けるというのはある程度余裕があるということかなと思います。
私は、自慢じゃないけど手際が良い。20分くらいで作ります。
片付けまで入れたら30分で終了させることができます。

****************

敬語について。

若い子たちが敬語を使えない、と嘆かれて久しいです。
普通に生きているだけなのにどうしてそういうことになってしまったんでしょう。
時代が変わっただけで言葉の使い方が変わる、というのは一体どうしてでしょう。

原因は「若い子たち」にあるのではなくて、周りの大人にあるのではないかと思います。
周りにきちんとした敬語、丁寧な言葉遣いをする人がいたら、子どもたちも自然とそういう言葉が使えるようになります。

昔は家の中でも敬語をきちんと使っていたんです。
小津安二郎の映画なんて見てみてください。
ですます、をごく自然につかっている。
かといって家族がよそよそしいかというとそうではありません。

家族との関係はあくまでも「公」であって「私」ではありません。
「ベタベタすること=家族愛」というのは近年よく見られる勘違いだと思います。

話がそれました。

繰り返しますが、子どもは、聞いたことば、あるいは聞こえてきたことばを覚えます。
聞いたことばを真似することで、フレーズのストックができあがっていきます。

ですから、周りの大人たちが「最近の子は敬語も使えない」と言っているのを聞くと「ふふふ」と思います。

ましてや、親が自分の子供のことを「言葉遣いがきたない」などと言っているのを見ると、その人のしゃべり方を拝見(拝聴)してみたくさえなります。

100パーセント、その言葉遣いを子供本人のせいになんてできるわけがありませんから。


ところで私は、相手が年下であっても敬語を使うように心がけます。とくに仕事の場では。
10歳以上年下でも、なるべく敬語を使います。

すると不思議なことに、相手も私に敬語を使うようになります。
少し時間が必要ですが、ここ最近その点に気をつけてみたら結果が見えてくるようになりました。
適度な「公」の距離と立場を保つことができます。


うーん、日本語ってすごいですね。そして素敵ですね。
ではきょうはこのへんで。

おやすみなさいませ。

Sunday 27 November 2011

大塚さんのニュース

http://video.repubblica.it/dossier/giappone-terremoto-tsunami/mangio-cibi-di-fukushima-ora-ha-la-leucemia/81594/79984 

http://www.libero-news.it/news/877148/Fukushima-mangi%C3%B2-verdure-in-tv-Ora-%C3%A8-malato-di-leucemia-.html 


めざましテレビのキャスターとして有名な大塚さんが急性白血病になったらしいです。 
そのニュースを最初にどこで知ったかというと、

イタリアの新聞。 
記事のタイトルは 

「福島の野菜を食べて、白血病」 


テレビで福島産の野菜を食べていたらしいですね。 
めざましテレビ見ないから知らないけど。 
そしたらそれが原因で白血病になった、と。 

ほんとかよ、と思って日本国内の報道を探してみました。 
しかし「大塚範一 白血病」の公式なニュース内には福島県産野菜との関連は強調されていません。 
むしろ、福島の野菜と大塚さんの白血病の関連性に触れた記事さえ今のところ見つけていない。 

ブログとか掲示板ではたくさん書かれてあるけど。 
http://www.google.co.jp/search?gcx=c&sourceid=chrome&ie=UTF-8&q=%E7%99%BD%E8%A1%80%E7%97%85%E3%80%80%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E3%80%80%E7%A6%8F%E5%B3%B6 

これとか。 
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7141946.html 


ちなみにこのイタリアの記事のニュース元はドイツらしいです。 

ヨーロッパにいる人たちは「ほれ見たことか」みたいな感じなんでしょう。 

関連性が全然明らかになっていないのに、この報道は行き過ぎだろう、とは思います。 
ただ、可能性がゼロだとは誰も言い切れないので、私はどちらを信じる、または支持するわけでもありません。 

しかしこの「差」には驚くのです。 
だってタイトルが 
"Mangiò cibi di Fukushima, ora ha la leucemia" ですから。そりゃびっくりする。 

最初に聞いたときは1回食べたくらいでそんなことは、と思ったんですが、1回どころか何度も、TVカメラの前で食べ続けていたらしいということを聞いて「うーん…」と思ってしまいました…

Friday 25 November 2011

セルフ歯医者さん

歯には気をつかっている。
といっても、高い歯磨き粉をつかったりするわけではない。
普通の歯磨き以外にすることといえば、デンタルフロスとマウスピースを毎日使う程度だ。

しかし、フロスを通すとしみる部分がここ数ヶ月、一箇所だけあった。
それが最近しみなくなってきたなあと思っていたら、フロスを通すとフロスが切れるようになってしまった!
一体どうしたことだろう。
歯がのこぎり状になっているとしか考えられない。
そのうち、フロスが通らなくなった。
無理やり通そうとしたら、今度は切れたフロスが歯にはさまって取れなくなった。

どういう状況になっているのか見ようと思ってがんばってセルフ歯医者さん(一応、あの鏡と、とがったスティック状の金属を持っている)を試みてみたが無理だった。
見ようにも、歯と歯の間までは見えない。

気になるのだが今日のところは放っておくしかない。
今度、歯医者に行ってみることにする。

カモミールティーが美味しい季節になった。
が、ココアが美味しい季節にはまだなっていない。
つまり、あまり寒くないと思いませんか。

もう少し「きーん」と冷える感じがこの季節にはあると思うんだけどなあ。
ま、暖かいほうが好きなので別にこれで問題ないけど。

昨日まで2連休で、今日と明日働いたら、またお休みがやってくる。

Sunday 13 November 2011

頭にキャベツ

シュシュというものが流行り初めてどれくらい経つだろう。
ナニソレ、という人のために説明すると、髪をまとめるためのゴムである。
ただし、普通のゴムではなくてその周りに布がついている。
ちょっとそのあたりを見回してみれば5分間以内に使用している女性を3,4人は見かけるだろう。

もともとはフランス語で

chou chou

と書く。chouは「キャベツ」の意である。
chou chouと繰り返すとmy favouriteの意になるらしい。

2004年当時、それは流行っていなかった。確実に記憶している。
なぜなら、イギリスに滞在していたときに日本人の友達とこういう会話をしたことがあるからだ。

「韓国人いつもあれつけてるよね」
「うん、あんまり綺麗じゃないよね」
「うん」
「あれがどうしても必要で、韓国からわざわざ送ってもらっているらしいよ」
「え、まじで」
「イギリスにはないしね」
「日本にもなかったね」


シュシュに対して「あんまりかっこよくない」というイメージしかなかったのだ。
それは私の個人的な意見ではなく、同年代の日本人女性にとってもそうだった。
そもそもシュシュという名前さえ浸透していなかった。いや、そもそも無かったかもしれない。

「韓国人がどうしても頭につけたがるアレ」

に過ぎなかった。
当時の(日本の)大学生たちが映った写真があればそれを見てみるとよい。
シュシュをつかっている子はほとんどいないはずだ。

2002年に初めて韓国に行った時、確かにそれをつけている女性は多かった。
どうしてもっとシンプルなものでまとめないのだろう、と思っていた。

それがどうだろう。
流行というものは恐ろしい。
「ダサい」はずだったのに、そこらじゅう皆シュシュをつけるようになった。
ただの布切れのはずなのに、1000円とか、1500円とか、法外ともいえる値段がつくようにもなった。


不思議なことに、ダサいと思っていた私も、だんだんと見慣れると「悪くない」と思うようになった。
シュシュも日本人の手にかかると進化を遂げる。
ただのふわふわゴムではなくて、エレガントなものや細かい細工を施したような進化系がどんどん出てきた。

もしかすると、そもそもダサいと思っていたのは私だけかもしれない。

しかし、ここまで皆そろって同じ髪型をしてシュシュ・パレードをしていると、すこし滑稽に見えてくる。
日本にはありがちなことだが、皆で一気に同じスタイルをし始める。そしてその時の勢いはすごい。

シュシュもだいぶ浸透したので、一時期ほど全員がこぞって「頭にふわふわスタイル」ではなくなってきた。

個人的な意見を言わせてもらうとあまりにもフリフリしているやつは好きではない。
フリルとかリボンとか、ああいうものを身に着けると、軽い感じに見える。
つまり、「頭」まで軽い感じに。


シンプルなのが一番よい。

ちなみにヨーロッパではシュシュをつけている人を見たことは無い。
すくなくともイタリアでは。

フランスはどうなのだろう。“chou chou”の生まれた国では。
2005年に行った時には、見かけなかったが。

正確な統計もしらないしそもそもそんなものは存在しないだろうけど、シュシュ人口がもっとも多いのは日本じゃないかと思っている。

Saturday 12 November 2011

ジャンクフードの教訓

きょうは暖かかった。
仕事は半日で終ったし、天気もよかったし、たまにはと思ってフリーマーケットに行ってみた。
なかなか良い品を3点手に入れた。
心残りといえばアルファロメオの描かれた古いプレートだろうか。
300円だったが、買わなかった。
家に入れた途端にがらくたと化しそうな気がした。

たまには、ということでバーガーキングのワッパーを食べた。
本当に久しぶりである。
この大きさに慣れると、普通のハンバーガーが小さく感じる。

ジャンクフードについて。
ジャンクフードが大好きなわけではない。新製品が出ると「おおお!行くべし!」と騒ぐ種類の人間でもない。どうでも良いと思っている。ジャンクフード、ファストフードは、機会があれば食べるという程度だ。

本当に美味しいと思えば、何でも食べる。
マクドナルドは、あまり食べたいと思わない。直感的に。ロッテリアは最後に食べたのがいつだったか覚えていない。バーガーキングは美味しい。モスバーガーは、肉じゃないものが挟まっている。むしろ魚肉に感じられる。

それで、何を言おうとしていたかというと、「私はジャンクフードいっさい食べません!」というポリシーを決め込んでしまうと、付き合いの幅というか視野が狭まってしまう、ということだ。

どういうことか。

食生活からジャンクフードを排除すれば、それはそれはクリーンな身体になるだろう。
しかし、そうなるとだんだんとジャンクフードを食べる人たちを見下し始める。
見下す、が言いすぎでも、「あいつら理解できないよまったく」と思う。
理解しようとすることをやめてしまう。
いくらかの人間関係はそういう、些細に見えることをきっかけに破綻してしまうこともある。

ベジタリアンもその例かもしれない。
(ベジタリアンのさらに上をいく、ヴィーガンの友達はやはり外食に誘いにくかった。)

何でも、二元論に持ち込むのは危険だ。
「こうじゃないとダメ」と決め込んでしまうとそれ以外のものはまったく受け入れられなくなる。
ポリシーはありながらもゆるやかにあらゆるものを共存させていくとよい。
他者を認め、尊敬すること。

その結果、何でも食べれて、どこでも寝れて、誰とでも話せる人間がもっと増えるといい。
そしたら婚活する人も減るかもしれませんね。

Friday 11 November 2011

さむい

寒い、寒い、寒いよう。
まったく、気温が下がった途端に動きが鈍くなる私の身体。
血の巡り悪いですねあなた、とでも言われそうな顔色をしている。
身体をあたためなさいとよく言われるけどどうしたらいいんだろうなあ。

今日はチゲを作ってみました。
雨まで降って本当に寒かったから。

身体があたたまったと思ったんだけどまた冷えてきた。
身体が脂肪を溜め込もうとしているのが分かる。

昨日はあまり気が乗らなかったのだがとりあえず泳ぎに行ってみた。
結果、やっぱり行ってよかったと思った。
身体がやわらかくなったし、あたたかくなった。

そうだ、ストレッチングをしよう。
身体を伸ばすだけ伸ばしてから寝ることにしよう。
代謝をあげておかないと、ありとあらゆることが「気がすすまな」くなってしまうのだ。

そういう季節。
これもこれで楽しめるんですけどね、まあ。
でも今日はいつのまにか「5月っていいよなあ」とか、初夏に想いを馳せていたのです。

さて、じゃあおやすみなさい。

Monday 7 November 2011

バックギャモン!

忙しいなあ毎日。
ブログとか日記とか、座ってゆっくりものを書く暇すらなかなかありません。
間違っていると思いませんか、これって。
人には ものごとをreflect する時間が絶対に必要だと思います。
土曜日も仕事で、帰宅したのは7時過ぎだったので、昨日日曜の休みは全然足りませんでした。
普段考えている「やりたいこと」の3割もできていない。

と、そんななか、息ぬき兼娯楽としてここ数日確保していることがあります。
それは、バックギャモン。

言ってみればすごろくなのですが、それほど単純ではない。
パソコンでできるゲームといえば、パソコンを使い始めたときからずっと「フリーセル」に決まっていたのですが、いつのまにかオンラインでバックギャモンができるようになった。
昔はできませんでしたよ、飛行機の上でしか。

そう、最初にはまったのは飛行機内です。
12時間フライトのうち10時間くらいプレイしていたのではなかろうか。。。

今日は30分くらいプレイして、ドイツ語圏のどなたかに1勝しました。
わーい。
昨日はトルコ語を使うどなたかに負けました。

気分良く、ここいらで寝るとします。
おやすみなさーい。

Thursday 3 November 2011

魚が食べたいときは

以前このブログでレシピを紹介したこともある、アクアパッツァ。
初めて作って以来、しょっちゅう食卓に登場する。
写真は、材料を入れたすぐ後なので、あまり煮込まれていないがこの10分~15分後には、トマトもレモンもくたくたになっている。
きょうは、さわらを使いました。
本当は魚屋に行きたかったのだが、きょうは祝日のためお休み。
スーパーは値が張るし、あまり新鮮ではないのだけれど仕方ない。
結果的に美味しかったから良い。

そう、祝日なのに今日は出勤でした。
5時半におきた。つらい。ねむい。
きょうはもうこれで寝ます。
おやすみなさい。

Tuesday 1 November 2011

ぴつあ

思わずにやけてしまうほどの良い天気だった。おまけにきょうは仕事が無い。ただでさえ他人が働いているときに自分だけ休み、というこの感じがなんともいえないのにこの良い天気だからますます嬉しい。
2回も洗濯機を回して、昼にはピツァを焼いてみた。
ホームベーカリーを使ってできるということは知っていたのだけれどなんとなく面倒な気がしていて今まで作ろうとしていなかった。それがふと作ってみようという気になったので、ホームベーカリーの冊子を開いてみたら、なんとまあ簡単だこと!パンを作る以外にはホームベーカリーをつかったことが無かったのだ。
材料を入れて、スイッチを押して、45分間待てば生地が完成していた。
引っ越したので生地を伸ばしたりするための場所はしっかりと確保できる。
急いでトマトとチーズを買いに走った。バジルは、母親が育てたものを大量にもらってきたのでそれをつかった。後から言われて気付いたのだが、通常、「ピッツァにバジルはのせない」らしい。そういえばそうだ。これも日本人によくあるイタリア料理の勘違い(カルボナーラにはクリームを使う、とか)のひとつだろうか。
なんとなくのっているイメージがあるのだが、実際そんなものをイタリアで食べたことがあるかというと、一度も無い。
まあ、見た目が綺麗だし、バジリコは好きなので、のせてみた。
焼き加減にしろ、薄さにしろ、まだまだ改良の余地ありである。しかしこれだけ楽に作れるのなら今後もっと上手に作れるようになろうと思った。

 焼いた後。焼き足りなくて生地がまだ白い。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...