Friday 23 August 2013

パッキング

昨日、故郷から帰ってきた。
一晩だけ我が家で寝て、今日からまた仕事で家を出る。
8月は半ばまでイタリアにいて、帰ってくるなり3泊4日または4泊5日を繰返している。
小型のスーツケースがとても役に立っている。(というより、そこから荷物が出せない。)

昨日はあまりよく眠れなかった。
というのも
①荷物の準備が半端だった
②蒸し暑かった
からだ。

どうしても、この「宿泊の準備」というものが好きになれない。
夏休みに入って4回目のパッキング。
もう慣れているはずなのに、やはり手間どってしまう。
どうしてだろう?

前日の夜、すぐに終わるだろうと高をくくって寝る前まで先延ばしをしてしまう。
その結果、すぐには終わらず、睡眠時間が削られる。
先に寝ちゃって明日の朝やろう、と思うのだが、そうなると今度は気になってあまりよく眠れなくなる。

なんとなく不安は残るが今日の荷物は整えた。
あと30分くらいでここを出る。

はぁ、眠い。

Wednesday 21 August 2013

ひたすら眠る

18日からしばらくふるさとへ帰省している。
と言っても明日には東京に戻るのだが。

帰ってから、とても暑かった。
日中は38度を超えた日が2日もあった。
ニュースでも毎日言っていた。

今日は夕方から雨が降った。
ほんの少しだったがとてもうれしかった。
子どものころに感じた「雨のにおい」がしたのだ。
しかも、夏の夕方の、雨のにおい。

うれしくて傘を差さずに外に出た。
しばらく庭で雨に濡れてみた。

畳を見ると寝転がりたくなる。
ここに帰ってきて以来、横になるとすぐに眠りについてしまう。
夜は夜で8時間くらいは眠っている。
朝起きて、ラジオ体操をして、ごはんを食べて、しばらくすると横になって眠っている。
これが毎日続いている。
帰ってきた当日もそうだった。
午前中に着いてすぐ寝て、午後からもまた寝る。

これがすべて畳の上。

普段、眠りたくても寝つけないこともあるのに、一体どういうことだろう。
とは思うものの、実家に帰るとこうなっていることが多い。

緊張が一気にほぐれるのだろう。
たまっていた疲れを解消し、不足していた睡眠を取り戻すかのようだ。
郷里に帰っただけで、身体の反応はこうも変わるものなのだ。

さて、今日もすでに眠くなってきた。
ストレッチングをして眠ることにする。
おやすみなさい。

Friday 16 August 2013

Foto di Vacanza (2)

写真がたくさんあるのでいくつかあげておく。
 「くじら」という名前の、アンチョビのソース。くじらとは一切関係ない。

日本ではあまり見かけないのだが、スーパーにはココナッツがよく売られている。
だいたい1個で100円くらい。
どうやって食べるか?
叩き割って、中の白いところを食べる。包丁では「刃が立たない」。
これが並ぶと、顔みたいで面白かったので写真を撮った。


携帯電話の会社。大手の2社が隣り合って店舗を出していて驚いた。


路上駐車が常識。
だけどどこにでも停めてよいわけではなくて、青いラインは有料だし、黄色いラインは障害者優先。
だから無料で誰でも停めてよいのは白のライン。

しかしながらこのライン、よく見ると、もともとは青だったところが白く塗り替えられている。




とにかく暇をもてあます警察たち。
イタリアの警察は信号無視もするし、ナンパもするし、仕事さぼる。
なんというか、普通のおっさんたちです。



パラッツォ・グラツィオーリ。かの有名なベルルスコーニの家。
歩いていたらふと現れた。
実刑判決を受けた直後。
「今この中にいるのかな」と聞いたら
「きっと海だろうね、週末だし」。

Thursday 15 August 2013

リラ札を見た

テルミニ駅近くの両替所に行ったところ、昔のお札が並んでいた。

「ユーロだったらこれくらいの価値がある」という値段もついていた。

その国の「えらい人」をお札のデザインにするのはどの国も同じ。

ユーロではなくリラの時代に使われていたお札なのだが、なんとまあ顔ぶれの豪華なこと!!

ジュゼッペ・ヴェルディ、ミケランジェロ、ガリレオ、カラヴァッジョ、ベルニーニ、ボッティチェッリ、ダンテ、マキァヴェリ、マルコ・ポーロ、私の大好きなラファエッロ…そしてもちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

イタリアに特に関心の無い人でも、これらのうち数人はきっと「聞いたことある」と言うだろう。

ある程度、西洋絵画と世界史に親しみがある人なら、お札を見ただけで「あっ」と思うはずだ。

肖像画だけでもとても有名だ。ポストカードやあらゆるグッズとして売られている。

(私は、ラファエッロの自画像をヴェネツィアの美術館でたまたま見て、まんまと一目ぼれし、マグネットを買った。今も冷蔵庫にくっついている。)

それらが当たり前のように使われていたとは。

財布に、ガリレオとミケランジェロとダンテが共存しているなんて…!


経済的な問題はさておき、これらのお札を使わなくなったというのはまったく残念なことだ。

当時、イタリアの人々もきっと惜しんだだろうなと思った。

最後におまけ:
これは、レ ア !!

イタリア人の開店・閉店

帰国後の体内時計は順調のようだ。

帰国後2日目だが、時差ぼけ回避のため生活時間を無理やりこちらに合わせている。
いつもは、帰国したばかりの日は、(疲れの)勢いで、日中に睡眠をとりすぎてしまうため、夜は全然眠れずに朝4時ごろまで平気で起きていたりする。
当然ながらその翌日からも夜に眠れない。
一週間は悪循環が続く。

しかし昨日は、昼に2時間ぐらいしか寝ないようにした。
そして夜は1時には寝た。
今日は(暑いのもあって)8時AMには目が覚めた。
日本で目覚める第一日目の朝。順調である。

ふと、「これがローマだったら…」と思った。
朝はとにかく涼しい。
いや、昼でも、日陰にいる限りは涼しい。
日差しが強烈、というだけなので、汗をかくこともほぼ無い。
家でエアコンが必要なことはまずない。

それで、本題はここから:

ローマだったら朝起きてすぐにバールにいけるのに、と思った。
カプチーノとコルネットを注文する。
あわせて1.6ユーロ。200円未満。
こんな感じ。↓
東京だったら合わせて500円越える。
どうしてスターバックスがイタリアに進出できないのか。
その理由は説明するまでも無いだろう。

どんなバールも、朝は7時ごろから開いているのだ。
もしかしたら7時前かもしれない。
仕事に行く人たちは間違いなくバールに立ち寄れる。

もう一つ早く開店するのが、スーパーマーケット。
7時半~8時半に開店するのが標準のスーパー。

東京は何でも便利だとは思うけれど、店の開く時間はイタリアより断然遅い。
カフェだって7時に開いているところは、私の行動範囲には少ない。

スーパーも10時開店が多い。
行きたいと思うパン屋も8時開店なので、7時半に家を出る私には遅すぎる。

イタリア人はとにかく働かないというイメージが(世界
中で)共有されている―まあ、事実なんだけど―が、朝の開業に至っては、働き者な印象を受ける。

バールで働く人々の手際(手さばき?)の良さといったら!
しかもローカルな店ほど、来店するのはおなじみの客ばかり。
いつもの注文内容を既に覚えてしまっているので、顔を見るなり"Un cappuccio?(カプチーノでしょ?)"と言う。
日本のカフェにいる、偽の愛想をふりまくお姉ちゃんたちとはだいぶ違う。

おっと、話が脱線した。

ただし、イタリアのバールやスーパーが閉まるのは東京より2~3時間早い。
8時PMにはたいていの店が閉まる。

彼らにも友人や家族と過ごすための時間がある。
仕事でSocial Lifeを犠牲にはしない。

夜に開くのは、飲食店が中心。
ただこの飲食店も夜中12時~1時ごろには閉まる。
というか、閉めなきゃいけないという法律があるらしい。
何時だったか忘れたけど…。
「朝までやってます」を看板に出して売りにする店が、まず無い。できないのだ。

東京は、8時過ぎに会社を出るという人がいっぱいいる。
だから、8時にスーパーが閉まっていては困るわけだ。
当然ながら、開店時間も遅くなる。

ただ、勤めに出ている東京人の起床時間と朝ごはんの時間って何時ぐらいだろうか。
7時前という人は少なくないと思う。
なぜなら、それだけ通勤に時間を要するから。
郊外から2時間かけて都心部へ出勤する人なんて、全然珍しくないだろう。

ここがまたローマとは違うところ。
1時間以上かけて出勤するのはあまり無い。

つまり:
・朝、バールやカフェを利用する時間帯は東京もローマもあまり変わらない。
・だけど、ローマは開店が早くて閉店も早い。東京は開店が遅くて閉店も遅い。

生活の「循環」として2者を比べたとき、どっちが合理的だろうか。
などと問うたところでどうしようもないのだが、私は

結論:「東京人はもっと早く仕事を切り上げるべき」

だと思う。
平日にSocial Lifeを持てないことがどれだけ「人間としての質」を低下させていることか。
平日に友人と会う暇が取れないということはつまり週末しか時間と余裕がない。
週末というのは月に4回しかない。
会える人たちが限られるのは当然なのである。
そもそも週末は、たまった疲れを取るのに一人の時間も必要だし。

とかなんとか書いている間に10時になった。
近くのスーパーも開いた頃だ。
今日も暑いなあ。

しゃべる。全て、表に出す。

眠くないからいくつかメモがてら書いておく。

(分かっちゃいたけど)イタリア人はよくしゃべる。

私はイタリア語で意思疎通ができる。
しかしながら母語話者の集団の中に入ると途端に話についていけなくなる。
それは「リスニング力が足りない」とか「語彙が足りない」とかいうような問題ではない。

まず、母語話者どうしが共有している文化。
たとえ話されていることを文字に書き起こして辞書で意味を調べたとしても、その土地にのみ共有されている文化までには手が届かないことが多い。
例えば「すけさん、かくさん」と聞くとたいていの日本語母語話者なら一つのイメージを共有するだろう。しかし日本語検定一級の人でさえ「?」になる可能性は大きい。

そこから、母語話者の性格、気質は大きく影響する。
イタリアという土地で、イタリア人たちに育てられた人々がどういう話し方をするか、想像に難くないだろう。いや、想像を超えるだろう。
つまり我々日本人のような(ある意味レアなくらい)大人しい民族が集団の中で「ばしばし」意見を言うのはだいぶ困難を伴う。

イタリアでは空気を読む、などという概念がそもそも存在しない。
思ったこと、考えたことはその場で音声になって発せられる。
「何か言う前に一瞬止まって考えなさい」と家でも学校でもしつけられる私たち日本人とはだいぶ遠い。

そのため、みんな当たり前のように他人の発言をさえぎる。
常に"Mi fai finire, per favore! (最後まで話させてくれる?)"と、すごい勢いで叫んでいる。
それでも相手が黙らない場合は両方同時に話している。
当然ながら、声の音量が大きくなる。
とにかく大きい。
頭が痛くなる。

今回も1つの家族(5人)と同じテーブルにつく機会が何度もあった。

なんてことない話題(Facebookのありかたについてとか、食べ物について、とか)なのだが、それぞれの主張が激しいのでどこからどう見てもケンカだ。
感情が高まるとジェスチャーも激しくなる。
ワイングラスや皿にぶつからないか、そわそわする。
耳がキンキンする。
(もう少し落ち着いてくれよ…)
何かうらみでもあるのだろうか、というくらいの勢い。
このまま家族が崩壊するのではとさえ思える。
というのは、私の家族では「まず」無いことだから。
しかしながら、食事が終わる頃にはスパッとそれぞれのモードに切り替わっている。
話していた内容をひきずることはほぼ無い。

西洋絵画を見て、人間の動きがやや大げさに描かれているという印象を持った人もいるのではないだろうか。
身振り手振りが劇的過ぎる、というか。

例えばこれとか↓













他にいい例が思い浮かばないのだが、日本だと、漫画が分かりやすいかもしれない。
実際の生活ではそれほど大げさな動きはしないのに、漫画だとこうなる↓みたいに。
私は西洋絵画も、あまり意識はしていなかったが漫画と同じ原理だと思っていた。

しかし、今回、食事そっちのけで論議を繰り広げるイタリア人を目の前にして、ああ、この人たちは本当に「劇的」なのだ、と分かった。
だから、何百年も前の昔のイタリアで描かれた絵と、日本の漫画は同じ原理ではない。
絵のモデルになった人々は実際に「躍動感」があり、描いた画家もその躍動感を共有できる土地に生まれ育った人だった。

トマトをつつきながら私はある光景を思い出した。

それは、小津安二郎の映画。
多くを語らず、全てを察し、情を通じ合わせる美しき日本人の姿を。

あの、「さらさら」とした感じ、この人たちには絶対分からないだろうなあ。
パンをちぎりながら思った。

もはや国民性(という言葉でまとめちゃうのもなんだか抵抗はあるけど)としては水と油ほどに違うのである。

というように、以上のように考えている、ということをその場でポーンと言えたらいいのだが、私のなかの「場を読む」能力がそれを許さないのだった。

Wednesday 14 August 2013

そんなこんなで

日本に帰ってきました。さっき。 

毎度のことながら、朝早くにヨーロッパを出て、朝早くに日本に着くのって、ほんとに疲れる。 

行きはいいんですよ。朝早くに日本を出て、ヨーロッパに着くのが夕方だから、「ちょっと長めの一日」て感じで。機内では必ずしも眠っていなくても、到着後になんとかなる。 

一方、帰りは延々と明るい中を過ごすことになる。 
だって、繰り返すけど、早朝に出て早朝に着くのである。感覚が狂わないわけがない。 
しかも着いたときにはまる1日失っていることになる。 

いつでもどこでも寝れて 
何でも食べられて 
誰とでも友達になれる 

以上は内田樹の言うところの「生存する力」なのだが、私は最初の1点に関してはだいぶ弱い。 
どこにどう行こうがどうってことない、という人が本当にうらやましい。 

少しでも睡眠が不足すると、吐き気がする。気の持ち様なんだろうけど。 

*************************** 

・2週間、あっという間だった。 
毎日それなりにやるべきことがあり、こなしている間に時間は過ぎ去ってしまった。 

・イタリアの体重計はやはり信用ならないということが分かった。今年もまたやられた。 

・成田に帰ってきて、出国審査のスムーズさに感動した。 
まず、すべてのゲート?にスタッフがいるということ! 
審査を必要とする日本人の数よりも、スタッフの数のほうが多いんじゃないだろうかと思うくらいだった。列さえできない。 

・手荷物受け取りのところに行くと、荷物が既に流れている! 
到着した人間より先に、スーツケースたちがベルトコンベヤ上に流されている。 

・こういうの当たり前と思うかもしれないけど、そうじゃない国が世の中の9割だ。たぶん。 

…と、ここまで書いたところで眠気が襲ってきました。 
今日の夜もちゃんと眠って日本時間に戻すためにも、1時間くらいしか寝ないようにしよう。 
おやすみなさい~

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...