Saturday 31 January 2015

金曜、銀座、スペイン料理

1/30(金)のこと。
仕事の始まりが少し遅い金曜日は、目覚ましをかけない。起きたくなるまで寝る。とは言っても7時半には起きたけど。ハッと気づいた。そういえば雪だったよな、と。カーテンを開けると本当に雪が降っていた。

仕事には徒歩とバスという手段で行った。仕事始まりが遅くて助かった。職場につくころには雪が雨に変わっていた。凍ったり積もったりはしなそうだ。長靴をはいててくてく歩く。

歩くのは嫌いではない。ほかの交通手段では決して目に入ってこないことが、歩くと気づく。

仕事は、7時ごろには終わった。
それから友達に会うために銀座に向かった。スペイン料理のレストランを予約してあった。
久しぶりの銀座である。最後に行ったのは一昨年の夏だと思う。真夏に新しくなった歌舞伎座で歌舞伎を見たのだった、そういえば。

道に迷うかと思ったけど、ブロックが綺麗に分かれているのでとても分かりやすい。この道から向こうは5丁目、6丁目、と決まっている。金曜の夜に銀座にいるなんてまず無いなあと思った。

銀座には高い店ばかりかというとそうでもない。雰囲気が落ち着いているし客の年齢層も高い。買い物もしやすく、品がある。渋谷新宿あたりの騒がしさと尋常ではない人の多さは、ここでは感じずに済む。

たくさん話して、食べて、あっという間に時間が経った。
友人は、強く美しい。自立した人間とは話が弾む。
オムレツと、タコのマリネが美味しかった。

さて、今日は晴れた。
洗濯物でも干そうかな。

Friday 30 January 2015

雪の朝

書いておかないとどんどん忘れるのできょうも書く。

昨日も仕事の終わりが8時半だった。
4時半から会議を初めて8時まで続いた。
みんな会議が長すぎると文句を言うのにどうして毎度毎度こんなに長く続けられるのだろうか?
健康状態が害されるくらいである。

やっぱり昨日も、帰ってから料理をする気にはならなかったので、帰りにタイ料理屋に駆け込んだ。
うん、もう、駆け込むに近い。
自分で料理ができない状態になると、どうしても欠けるのは野菜である。
野菜を刻む暇が無い。

だから野菜炒めを食べた。
だんだんこうやって生活がすさんでいくのだなと思った。

今朝は少しゆっくりできるのでいつもより1時間ぐらい長く寝た。
そういえば今朝は雪の予報だったなと思ってカーテンを開けると、みごと、雪。

朝ごはん用に冷凍しておいたパンが無くなってしまった。
ろくに買い物に行けていない。
そういえば歯磨き粉もなくなっているのに買いに行けない。

朝食べるものが無いなと思ったけど、とりあえず紅茶をいれた。
かろうじてオートミールが作れるので、ブルーベリーを入れて食べた。

春休みにニューヨークへ行くことにした。
ずっと行きたかったところだ。
ラジオ英会話で聴きながらあこがれていた頃からもう10年以上経つ。
どんなものが待っているんだろう。

旅は、行ったそのときよりも行くまでが楽しいのよね、と、前の同僚が行っていたけど、まあ本当にそうだと思う。
さて、仕事に行こうかな。

Thursday 29 January 2015

水曜多忙

一応何か書いておこう。
昨日は仕事が終わったのが夜8時半で、つまり12時間働いたことになる。
9時過ぎに家に着いた。
すぐにでも寝たかったけど、近所のスーパーでカツ丼のようなものを買って食べた。
料理している時間は無い。
野菜を刻む時間、というよりも余裕があるかどうかは、生活のゆとりについての一種のバロメーターになっている。

今週と先週は、家と職場のどっちが住みかなのか分からないくらいである。

Monday 26 January 2015

自信を回復させるには

なにか書こう。
きょうはあまり寒くないようだが、夜から雨が降るらしい。
自転車で仕事に行こうと思っているので、帰りに雨が降ると困る。
そもそもそんなに遅くまで仕事をしなければいいだけの話だが、たぶんそうはいかないのだろう、きょうも。
今週は先週ほど急がしくなければいいなと思っていたら地震が来た。

3.11のときは、すぐにでも日本を出て暮らそうとさえ思っていたのに、慣れてしまうともうこんな感じなんだから、やっぱり人間っていい加減だよなと思う。原発のことも当時ほど考えなくなってしまった。

土曜に会う予定だった友人は風邪を引いてしまい、日曜に会う予定だった友人も、何か別の用があって会えなかった。

人に会ってなくても寂しいと思わなかった時期もあったはずだ。

10年ぐらい前、私は自信に満ち溢れていた。
何を失っても怖くなかったし、何も失うものがなかった。
機会はひとりでに転がり込んできた。
持ち物はスーツケース一つ分でじゅうぶんだった。
ああいうふうになるにはどうしたらいいんだろう。

今の私は失うことが怖くて、自分への自信を失っている。

Saturday 24 January 2015

忙しかった週のたのしみ

今週がやっと終わった。めちゃくちゃ忙しかった。
金曜日以外は毎日、帰宅が8時を過ぎた。
この仕事はチームで関わっていて、途中でやめるわけにはいかない類のものである。
こういう日々があと数週間は続くようだ。

土曜になって今思うのは、よく具合悪くならなかったなあ、ということ。
家ではなんとかリラックスして睡眠時間も確保できたのでよかった。

最近の楽しみは、村上春樹が開設した「村上さんのところ」というウェブサイトを読むことである。
期間限定の読者⇔村上春樹交流サイトで、誰でも質問や相談を送ることができる。
それに対して村上さんが返事を書くというもの。
いずれ本になってまとめられると思うのだが、筆者の生の声を、リアルタイムで、こうやってウェブで読めるというのはなんとも贅沢なことだ。
何年も前に同じような交流サイトが開設されたらしいがその時点で私は村上春樹作品を読んだことが無かった。
今回は、開設期間中に私もひとつ送ってみようかなと思っている。

質問と答えを読んでいると本当に面白いものがあるのだがそのなかで昨日、「うんうん」と思ったことがあったのでその質問と答えをここに引用しておくことにする:


【質問】 
以前モラルについて「モラルというのは時代によって上がったり下がったりするものではない」(『そうだ、村上さんに聞いてみよう』p100)と、仰っていましたが、「おおらかさ」「寛容さ」についてはどうでしょうか? 勿論最低限のデリカシーは必要だと思いますが、社会からは「おおらかさ」「寛容さ」が失われ、叩けるものを徹底的に打ちのめす。その暴力は振り切るまで止みません。それは、神経症的なところまで来ていると思います。なんだか息苦しい社会だと思いませんか?  (ごんち、男性、46歳)

【こたえ】 
僕はできるだけインターネットは見ないように、テレビはつけないように、新聞は流し読みするようにしています。週刊誌なんかは電車で吊り広告を見ればじゅうぶんです。そうすれば、けっこう楽ですよ。ブログとかツイッターとかフェースブックとかLINEとか、そんなものただうっとうしいだけです。ゆっくりソファに座って、モーツァルトを聴いて、ディケンズを読みましょう。自分で自衛しなくちゃ。 村上春樹拝

「自衛」という言葉がなんとも良いではないか。
インターネットとの付き合い方はちょうど年始に考えたことだったのだが、やはり意識しておかなくてはならない。
ということでそろそろパソコンを閉じて図書館にでも行くことにします。

Tuesday 13 January 2015

半日休んでリハビリ

朝、起きてから仕事に行くまでの準備に手間取ってしまった。
慣れていないのだ、普通の日々に。
別の言い方をすれば休みボケということになる。

ふと気づくと、午後にやることが無い。
これは休みを取るチャンスだ、と思った。
昼ごはんを持っていってはいたものの、食べずに持ち帰った。

それから天気も良いので久々にハンバーガーでも、と思ってウエスト・パーク・カフェに行ってみたらなんと一時閉店していた。
これはショックだ。
建物老朽化のため、とある。
再開は今年の秋ごろだそうだ。
全然知らなかった。
リノベーションをするのにそんなに長い時間が必要なのだろうか。
身近な一つ楽しみが無くなってしまったので、新しい楽しみを見つけよう。

実を言うと昨日も牛肉を食べたので、今日ハンバーガーを食べるべきかどうかは確信が持てなかったというのもある。

こういうのって意識しているとよくある。
先日、手袋が欲しいな買おうかなと思っていたら、友達が「プレゼントに送ろうかと思ったら結局いいのがなかった」と紅茶とクッキーをくれた。そしてその翌日にまったく別の人から手袋の贈り物が届いた。同時に、その日に自分で買った紅茶はあまり美味しくなく、友達から送ってもらった紅茶がとても美味しかった。
誰か見ていたのだろうか、と思うくらいだ。
物事はめぐり巡っているのだなと思う。

とにかく、ハンバーガーが食べられないということが分かり、仕方が無いので蕎麦屋に行ってみた。今まで素通りするだけだったので、きょうは新しい場所を開拓してみようと思って入った。

サービスメニュー、全品750円。
「海老天南蕎麦」というものにしてみた。
天南?
てんなん、とは一体何のことなのか分からない。
てんぷらであることは違い無いだろうけど。
これが出てきた↓


かぼちゃのてんぷらもついていたので、「南瓜」の「南」を取って「天南」なのだろうか。

普段、200~300円程度の蕎麦しか食べないのでこういうのを食べるときは少し緊張する。
なんと言うか、「関東の文化体験」でもしているような気持ちになる。
食べ方は間違ってないだろうか、とか、頼み方はこれでよかったんだろうか、とか、色々気になる。西日本の人間として。

結果、とても美味しかった。
300円の蕎麦よりも量が多く、満足度は高かった。
味の違いと言われてもよく分からないが。

その後、公園に行った。
カラスの行水を眺めつつ、日向ぼっこと読書をした。
カラスはのん気だ。明日の予定も無いのだろう、こいつらは。飛んで、バシャバシャしていれば良い。シンプルに、生きるのに必死なだけ。

たまには半分休暇をとるのも良い。
いきなり働き始めると身体を壊すよね。
明日以降忙しいということが分かっているのでこのあたりでバランスを取っておかなければ。

これから読書タイムにする。
養老先生の「身体巡礼」をもう少しで読み終える。
冬はこういうゴロゴロが楽しい。

Monday 12 January 2015

名所江戸百景 One Hundred Famous Views of Edo

天気も良かったし、博物館へ行った。
東京都国立博物館は毎年「博物館に初詣で」をやっている。
12日までで終わってしまうのが分かっていたので、行ってみた。

東京で美術館に行くとなると絵画というよりも人を見に行ったのではと思うようなことが多い。
しかも料金も高い。
文化的に後進だと感じる。
イタリアやフランスでは無料で入れるミュージアムがたくさんある。

その点、博物館はいい。
特別展を見るのでない限り、料金は600円程度で、混みまくることもない。
気軽に行けるのである。

ボランティアガイドが1時と2時に2回あるというので参加してみた。
1回目の近代美術ツアーは、中年の女性(複数)がガイドだったが、緊張していて声が聞こえにくいだけでなく、なんと原稿をまる読みだった。しかも途中でつっかえながら読む。
これではガイドツアーに参加している意味が無い。
だったらその原稿配ってくれれば良いのに、と思った。
いくら学芸員ではないとは言え、これは無いわと思うくらいにひどかった。
かなり失望した。
参加者が50人以上いたのもあり、だんだんと耐えられなくなってきたので途中離脱した。

一方で2回目の浮世絵ガイドツアーは良かった。
(参加者が100名を越えていた。こんなガイドツアーは普通無い。)
学芸員並みに詳しい中年の男性が解説をしてくれた。
もちろん原稿を読んだりしていない。

それで、思わぬ収穫があった。
広重の名所江戸百景があると知らずに拝見することができた。
以前行ったときにもあったのだろうが、その当初は私自身があまり詳しくなかったのだと思う。
見ることができたのは以下の3点。
「霞がせき」 
「山下町日比谷外さくら田」
 「する賀てふ」

特にこの「する賀てふ」は気に入っていたので「おっ」と思った。
3点とも、構図がすごい。

「山下町日比谷外さくら田」は、ぐーっと手前に(しかも端に)羽子板、羽、門松など正月モチーフを出している。この遠近感を、しかもこの時代に絵で表現しているのである。かっこよすぎる。

ほかにもたくさん気に入ったのはあったが、とりあえずこの3点を挙げておく。

葛飾北斎ばかり見ていたのだが最近ふと広重の良さに気づかされている。

Tuesday 6 January 2015

2015年はじまりに思うこと

2015年になった。このブログも2008年に設立して以来7年が経つ。
とは言ってもブログという媒体自体を使い始めたのはもっともっと早い時期だったのでブログを書き始めてからの年月は10年以上になる。考えの整理に役立っていると言えるほど頻繁に書けていない。それでも、なくなると困る。

新年の抱負というものを考えたところで、どうせ守れない。
2014年を見てみると「仕事漬けの日々にしない」みたいなことを書いているようだ。
2015年の1月、つまり1年経ってそれを見て驚いた。
まったく守れなかったし、抱負を書いた直後に抱負のことを忘れてしまっている。
口で言うのは簡単なのだがその言葉にどの程度責任を持つことができるかという話になると、これはまったく簡単ではない。

ただ、気持ちを新たにするという意味では色々と考えるところがあるので少し記してみる。

・もう少し本を読んで賢くなる。
自転車通勤をするようになってからというもの、まったく本を読まなくなってしまった。英語の本を手に取ることは増えたけど、読んでいる本の数としては結果的に少ない。以前のように習慣づける。話していて面白い人になりたい。

・人とのつながりを大事にする。
去年はちょっと精神的にこたえることがあって、そのときに色々な人に話を聞いてもらった。そういうときに心に浮かぶ人って、年々限られてくる気はするけど、つながりは深くなって行く気がする。友人というのは、そのつながりには血縁関係も契約も無い。仕事もまったく関係ない。それでも時間を割いてくれる人、または割こうと思える人がいるということはすごいことだと思った。本当に大事にしようと思った。

・インターネットとのつきあい方を考える。
気づいてみたらものすごい時間をパソコンの前で過ごしている。それで有益な情報を得ているかというとそうとも限らない。あらためて考えてみると、ネットサーフィンをし始めると3時間でも4時間でもあっという間に過ぎて行く。インターネットの力はすごいと思う。Facebookなんて一体何のためにやっているんだろう?と思うことがある。連絡の手段としてとても便利だと思うのだが、あれに費やす時間が長過ぎないだろうか?パソコンを思い切って閉じる勇気を、持つべきである。しかも意識的に。そうすると自然と1点目の読書の時間もできてくるはずだ。

仕事と健康については特に考えないでおこう。仕事については日々やるべきことを単純にこなしていくだけで十分だし、運動は普段から足りているし、食べるものに関しては意識しても時間の都合上どうしようもないことがあるから。

というわけで2015年のはじまりはじまり〜。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...