Tuesday, 10 March 2020

「なぜイタリアで」への4つの推測

イタリアでのCOVID-19感染者がたいへんな数に達している。イタリアに縁のある私としてはこれを少し興味を持って見ている。と言うと不謹慎な感じもするが、要するにあの国民性というかあの強烈な特性を集団として持った人たちがこの騒動にどう対峙するのかたいへん気になるのである。

ちなみにイタリア人というのは「ほかの国から嫌がられる立場」というものにまずなったことがない。私の知る限りではこういうのは初めてだと思う。だいたい世界中どこに行ってもイタリアというブランドは良い印象で、イタリア人は友達を上手に作っている。何百年も前からそうだ。戦争であってもその行き先あるいは寄り道先で何かいいことを見つけて楽しく過ごしている。そういうことに長けている。(少なくとも「比較的」にとどまるが。)それが今回みたいなことになってしまった。実際この15年ぐらいイタリアに魅せられ続けてきた者としては、この状況はとても不思議な感じがする。

何よりも気になるのは、一体なぜイタリアでこれほどの感染者が出ているのか、ということである。私は専門家でもないので答えを見つけることはできないのだが、時々、まるで謎解きのように考えてみる。「なぜイタリア」と。すると色々な可能性が出てくる。以下のような感じ。


1. キスやハグをする
→しかしこれはイタリアに限らない。フランスだってスペインだってそのはず。イギリスはそこまでじゃなかった。いずれにせよ日本よりスキンシップは多い。


2. 検査数が多い
→しらみつぶしに検査しまくっているという話。これはそうかもしれない。日本は検査数が少ないので本当はもっといるはずなのがわかっていないだけ、と。


ここまでは世の中でもよく言われている理由。以下は私が最近思いついた完全に個人的な見解:

3. ワクチンを打っている人が少ない(超個人的推測!)

もちろんCOVID-19に対するワクチンはまだできていない。だけどもしかしたら、インフルエンザとかほかのワクチンを打っている人はそうじゃない人に比べて今回のCOVID-19にはかかりにくい、ということがある「かも」しれない。ここにきてイタリア人は大のワクチン嫌いである。「ワクチンは打つ必要がない」と堂々と言う人がとても多くそういう政党が勝ったりする。超自然派とでも言おうか、薬に頼らず治す系の話は普段の生活でもよく聞く。それが今回、運の悪いことに蔓延させる結果になっているのではないか。もうこれは本当に私的推測です。


4. 言うことを聞かない

私が思いついたというよりは、イタリアに住む日本人のブログをここ数日読んでいて「そういうことか」とようやく腑に落ちたのであります。たとえばtsugumi-hiragaさんのブログにはこう言うことが書いてあった。



1メートル以上の対人距離確保という首相令が出ているのにも関わらず、残念ながらこれらが守られているとは全く思えない。 人が集まる場所で、人同士が接触を避けられるよう「1メートルの距離」を保つ配慮が求められる
とあるのだが、これを守っている人は、私が目にする限り皆無である。否、正確には”私は”出来る限り他人との距離を置くようにしているのだが、なにせ向こうが近寄ってくる。涙スーパーのレジにても然り。 そして、1メートルの距離どころか、当たり前のようにハグをしながら、頬にチュッチュと挨拶をしているではないか? (中略) 発症者が出た後でも、マスク予防をしている人を未だ一人として見かけたことがないのである。まあ、これは首相令にはないのだが、、危機感の低さが垣間見れるように思ってしまう。  不要な外出は慎むべきであるのに、普通に外出をしている周囲からもあまり危機感が感じられないのが恐ろしいところ。 これでは無くなるべくものも無くならないのではないか?汗
さらに、caianinaさんのブログでも「スキー場は大賑わい」と書いてある。

ツイッターなどで見ても、これだけの状況であるにも関わらずみんなワイワイ外出している様子である。よくある比較の画像を何個か目にした。Wuhanはこうだったのにミラノは、みたいな写真。自分が感染しているという可能性を完全に脳内から排除しているのだろう。これはイタリア人の長所の一つでもある。嫌なことは考えない、後回しにする。

4の推測が腑に落ちたのにはもう一つある。finalventさんの極東ブログを読んでからだ。記事はこれ。


以下引用

なぜ、日本で終息するのではないかと当てずっぽうだが思ったかというと、世間を見るに、日本人がまるで一致団結したように感染防止の行動を取っているからだ。こんなふうに全体として指定された規律通りの行動をする国民をもった国家は、実は、日本だけなのではないか、と思ったのである。

そうなのかもしれない。この2ヶ月間、必死に手を洗いまくって外出を控えている日本人。私たち日本に住むものとしてはこれは当たり前の行動なのだがこれがイタリア人にはできていないのかもしれない。そこに1とか2と(もしかしたら3)も加わってこの感染者数なのかもしれない。

余談だが、先日3歳の我が子との会話

子「アルビコッケ(桃)食べたよね、イタリアで」
私「そうねいっぱい食べたね」
子「すいか食べたいなあ」
私「イタリア行きたいねえ」
子「イタリア行きたい」
私「でも今はコロナウイルスで大変なんだって」
子(2秒くらい私の顔を見たあと、しかめたような表情で)「イタリア人はあんまり手を洗わないかもね」
私(笑いながら)「そうかもね」

これもあんまり冗談じゃないのかもしれない。

おとといミラノが封鎖されることが決まったが、封鎖前にミラノ中央駅から外へ逃げ出そうとする人たちの映像を見た。もはや映画か何かのフィクションにしか見えない。電車に席はないと言われているのに無理やり乗り込んだりしている。もはやこんな非常事態にイタリア人がルールを守るとは思えない。やはり自分が感染しているという可能性を考えていない。こうやって外に出るから、また外で感染者が増える。

ただ、この非常時でも冗談を言ったりしながら楽しく生きようとしているイタリア人の様子が想像できる。むしろこれを機会に仕事行かずにどこか遠くに行って楽しもうとしている人もいるだろう。デフォルトでおとなしい日本人はこういう時は粛々と毎日やるべきことをやるし、そのようにおとなしいおかげもあり社会に秩序が保たれる。ミラノ中央駅みたいに、押しかけて列車で逃げ出すみたいなことはたぶん日本では起きないし、そもそも封鎖となってもたいていはその街に残りそうな気がする。

どっちがいいんだろうなあ。

これはこの15年間ずっと自分自身に問い続けていることでもある。どちらにもいいところ、悪いところがあるんだけどこういう緊急事態となるとまた見方が変わるのも事実。

繰り返すが上に書いたことは推測に過ぎない。そしてたぶん今イタリアにいたらまた違ったことを考えていただろう。さらに日本の検査数の少なさは実際おかしいと思っている。満員電車に乗っているのにこんなはずはない、と。

Wednesday, 4 March 2020

テレビを見ない

ここでも何度か書いたが我が家ではテレビを見ない。2017年の夏ごろからだったと思う。理由もきっかけも特になかった。あえて言うなら、1. テレビ自体が古く、電源を入れてしばらくすると熱をもったような状態になるのでその夏、スイッチを入れること自体をやめた 2.こどもが保育園に、私が職場に行き始めたのがその年の9月だったのだが育休中のように家にいてぼーっとする時間がなくなった。とかそれらも理由と呼べるかもしれない。

見なくなって3年くらい経つけど、特に困っていないし見たいと思うこともない。「見たいけど我慢している」という状況ではない。単純に、必要ないのだ。それでもテレビ自体はまだうちにあるのだが、それはパソコンからつないで大きな画面でYoutube等を見れるように、あるいはDVDを見ることがあれば、ということらしい。それでもほぼ使うことはない。当然ながら我が子もテレビはまったく必要としていない。子供向け番組も全然見たことがない。そもそもそういう存在を知らないので見たいと言い出すこともない。

そんなこんなで例えば実家に帰ってテレビがついているのを見ると、とてもやかましく感じる。そして広告をはじめとした無駄な情報の多いこと。

昨今のコロナウイルス騒ぎで世の中は大変なことになっている。見事に煽られた人たちが閉じこもったりマスク等のために列を作ったりしている。幸いテレビを見ない私は、煽られることも怯えることもなく普通に日々を過ごしている。マスクなしで。ところが、である。実家の両親とほぼ毎日話すのだが、ウイルス騒動に対しは特に温度差を感じる。あまりにもテレビを見ながらの「こりゃ大変やね」とか「…は〜したらしいね」という言葉の連続で、聞いているだけでこちらも疲れてくる。これはテレビを見るか見ないかの差だと分かる。逆に聞いていて「それは知らなかった」という情報を得られたりもするけど。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...