Monday 31 December 2012

よいお年を

今年もあと残すところ35分になった。

夜7時過ぎに、郷里に着いた。
空港はそれほど混んでいなかった。
うちに着いてから蕎麦をたべた。
味が薄い。
関東のそばを食べ慣れているためだ。

なぜこんなぎりぎりになって投稿をしているかというと、あと1つ投稿すれば今年の投稿件数が100になるからだ。

今年もまあいろいろあったけど、あまり反省はしないことにする。
そして来年を迎えるにあたりたてる目標は特にない。
いつものように、健康に気をつけて
(1.食べたい時に食べたいものを食べ、2.寝る前は適度なストレッチをして、3.12時までに寝て、朝7時までには起きる)
生きてゆくことにする。

それでは、よいお年を~

12月24~31日までのメモ

ここ数日のことをメモがてら書いておく。

【12月24日】
追加のクリスマスプレゼントを買いに表参道へ。午後になると混むのは確実なので、12時までには帰宅できるように早く家を出た。
クリスマス・イブには通常、肉を食べない。ということで大きなイサキを買ってきて焼いた。美味しかった。
見た映画…『ファミリー・ツリー』、『ハーフ・デイズ』

【12月25日】
仕事。街はまるでクリスマスが終わったかのような静けさ。クリスマス飾りをすでに正月飾りに取り替えている店もあった。
しかしながら今日はクリスマス当日。
仕事を5時ごろに終えて帰り、プレゼント交換をし、届いた荷物をあける。
幸せな時間だ。
その後レストランへ出かける。
ここもまた、「24日は予約でいっぱい」で、「クリスマス用ディナーしか頼めない」だったのだが、クリスマス当日は別にそんな制限も無く、人も特に多くなかった。
24日が本番、というのは、まったく変な習慣である。
翌日から仕事で東京を離れるため荷造りをしてさっさと寝る。

【12月26日~29日】
仕事。
行き先は新潟。
これほどの雪を見たのは生まれて初めてだった。

ニュースなどで「屋根より高い雪」を見ることはあったものの、完全に「ひとごと」だった。
いざ自分がその地に足を踏み入れると、完全なる精神的ダメージをくらっているのが分かった。
肉体的にもこの寒さには耐えられそうにない、と思ったのだが、精神的ダメージがそれ以前に来た。
そもそも寒いのが大の苦手なのである。
「それでもなんとかやっていこう」という根性をどうにかしてひねり出そうと頑張ったのだが、初日は無理だった。

吹雪に圧倒されて、まるで罠にかかったような気持ちになり、涙が出そうだった。
それに、四方八方を雪に囲まれていると、閉じ込められたような気分になった。
閉所恐怖症はこういう感じなのかもしれない。
行き場の無さが私に絶望感を与えた。
さらに、遠近感が無くなり、だんだん吐き気がしてきた。
車酔いに近い感覚。
雪酔いなんてものがあるのだろうか、と思って、現地の人と話したら本当にあるらしい。

吐くことこそなかったのだが、初日は最悪の状態だった。
吹雪いたのも初日だけだったので、その後はなんとかやっていけた。
演歌が雪国から生まれる理由も分かる気がした。
雪国の人々が我慢強いのは当然だ、と納得した。
「よかよか」と酒ですべてを済まそうとする(比較的)適当な九州とは完全に異なる。

それでもやっぱり私は冬より夏が好きだし、
ウインター・スポーツよりも泳ぐほうが好きだ。
いつだったか、父が「雪国には絶対に住みたくない、住めない」と言っていたのを吹雪の中で思い出し、やっぱりこの人の子どもだな、と思った。
お父さん、雪国の人たちはすごかです。

29日、ようやく東京に帰る。
全然寒くない。

現実に帰る。
いつのまにか年末が来ていた。

【12月30日】
壊れたので注文した掃除機のフィルターがやっと届いたらしいので受け取りに行く。
ついでに、壊れた外付けハードディスクを修理に出す。
そもそも修理できるのかどうか分からない。
朝からイタリアのコメディを見た。
表参道に行った。特に何も買わず。
昼から掃除。
約2ヶ月ぶりに掃除機を使って掃除ができた。爽快。

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今日は31日。午後の便で郷里に帰る。
楽しみである。
ラテン語の教科書を持って帰ろうと思う。
少し活用を覚えてみるつもり。
あとは、ごろごろする。(上のGIF参照)

立ち止まって考える余裕

いわゆる「独身貴族」と仕事をしたことがあるだろうか。
仕事をすると、私の経験では、以下の2つに分かれる。

1.とても楽
2.大変


30~40代の未婚男性は

A.体力
B.財力
C.時間

がある。
年齢的に、降ってくる仕事の量も多い。

プライドも高く、他人にお世話にならずに全部こなしたいというタイプの場合、一緒に組む人にまわす仕事の量が少ない。結果は1。とても楽。

2の、一緒に組むと大変、というのは多くの場合、「C.時間」が原因となる。あっちの時間に付き合わされるのだ。延々と会議を続けられたり、勤務時間外に仕事をさせられたりすると「おいおい、こっちはそんなに暇じゃないよ」と言いたくなる。家に待っている家族やケアすべき者が身近いないと、むしろ職場にいたほうが孤独が癒されるのだろう。彼らには、家族を持つ人たちのことが想像できない。

ただ、これからそういう人たちばかりが増えていったらこの国はどうなるだろう。
先日、ある同僚が趣味を尋ねられて「仕事」と答えているのを見てぞっとした。

「家族<仕事」という人(むしろ、パートナーは仕事、という人)が上に立つようになると、きっと全員がその人のペースに合わせなければいけなくなる。
下で働いているその人と、その家族が一緒に過ごす時間が減る。
その家で育つ子どもは寂しい思いをする。
大人というものはこういうものなのだと理解をする。
もし子どもが家庭というものを信頼しなくなったとしたら。
その子は10年、20年後に家庭を築くだろうか。
すべてはこうやって巡っていく。

だ か ら

フランスみたいに週35時間労働にしましょうよ~
そしたら仕事の生産性もあがるし
みんなの精神状態もよくなるし
平日の夜でも外出できるし
パートナーがいなくて寂しいという人も減るだろうし~
少子化にも歯止めがかかるかもしれないし~


…まあ、ありそうにないけど。
最初に出した「独身貴族」というのはあくまでも例です。
結婚していても「仕事>家族」という人はたくさんいるし、逆に、家族がいなくても「仕事はそこそこに」という人もたくさんいるし。

ただ、みんながプライベートな時間をたっぷり持つことができ、人とのつながりの中で心が満たされるような社会を作っていけたらいいなあと願う。

そのとき、その瞬間には仕事で成果をあげることがその人にとっては重要かもしれないけど、もっと長い目で見て、つまり長い人生の中でより意味を持つこととはどんなことか、それを考えてみるとおのずと見えてくるものがある。
そしてそういうことを考えるためには、まず「立ち止まって考える」ための(物理的&精神的)余裕が必要。

写真は、スティーブ・マックイーンと妻・ニール(1963年)。
この写真を見ると、とても幸せな気持ちになる。

Sunday 30 December 2012

ようやく

2012年の仕事が終わった。
今日は完全にお休み。
なのに雨… 

昨日まで新潟にいたので東京がだいぶ暖かく感じられる。
新潟から帰って久しぶりにハードディスクをパソコンにつないだら、何も反応しない…。一体どういうことでしょう。
注文していた掃除機の部品が届いたという連絡があったので、それをとりに行くついでに、ハードディスクも持って行ってみることにする。
データが全部消えたとすれば、これで2台目である。
ハードディスクは本当に頼りにならない。

それにしてもたくさんのデータが入っていた… 泣
頼りにならないと分かっていながらも頼りまくっていた自分を恨む。

雨が降ってはいるものの、外に出てみよう。
セールも始まっているらしいし。

Tuesday 18 December 2012

片付けについて

前回の投稿から時間が経ち過ぎてブログを書くときの感覚が失われてしまいそうだ。
ここ数日ゆっくり過ごしている。
19日(水)までにやるべき仕事を12日(水)に終わらせてしまったので、木曜午後から休みをとっている。
つまり一週間くらい頭の中を仕事から離し、Vacantな状態にしている。
ヴァカンス(Vacances)とか、ヴァケーション(vacation)とかvacancyというのは本来「空っぽ」という意味である。
頭の中を空っぽにできるくらいの時間的余裕が必要なのだ。
したがって2,3日の休暇を「バケーション」と呼ぶことはできない。
少なくとも私の場合、からっぽにはならない。

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映画をよく見ている。
1週間あたり3~5本は見る。
今のところ「これは時間の無駄だった」と思うようなものはあまり無い。

と書きながら一つ思い出した。
だいぶ前に見たのだが、「ジュリエットからの手紙」という映画は見ないほうがいい。
これはまったくの時間の無駄である。
久しぶりに「信じられないくらいにくだらない」映画を見た。

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数日前に「だんしゃり」をした。
つまり、色々なものをたくさん捨てた。
要るかどうかわからないものが詰まった箱が2つあって、その中を片っ端から出して、整理しなおした。

そもそも必要最低限のものしか持たないタイプの人間なので「モノにあふれた」部屋ではないのだが、整理しているときに気になるのは、写真のアルバムと、CD、DVDである。
これがかなりのスペースを占めているような気がする。

すべてデジタルでデータをとっておけばこれだけかさばることも無いのだが、やっぱり印刷したもの、ディスクとして焼いてあるものも置いておきたい。
では、その点は仕方が無いとして、どこをスリム化できるか。

アルバム自体の厚さである。
やけに幅をとっているアルバムが一つあった。
それが本当に必要なのだろうかと思った。
だいぶ前に人からもらったものである。

そこに入っているものを全部出してみると、写真とポストカード自体はとても薄いということが分かった。それで、すでに持っていた薄めのアルバムにおさめてみたらきっちり入った。
だからそのアルバムは捨てた。

ほかにもCDを売りに行ったり、かつての携帯をリサイクルに出したりした。
やっぱり、気分が良かった。

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「とりあえず、全部出す」

一つの棚や箱を整理しようと思ったら、とりあえず全部出してしまうほうがいい。
入れた状態で整理しようとせずに。
まずは、持っているものを把握しなければいけない。
そうすると「あれ、これはうちにあったっけ?ま、いいか、買おう」と言って既にあるものを買ったりすることが無くて済む。

さて、今日はいい天気のようです。
プールに行ってこよう。

Sunday 2 December 2012

ヘアクリップ

昨日は寒かった。
しかし朝はたいして寒く感じなかったのでプールに行った。軽く30分くらい泳ぐ。
DVDを借りて家に帰る。
お昼ごはんを食べようと思ったが、どうも、料理する気になれない。
その辺にあるものをつまみながらうろうろしていたが、どうしても、やっぱりそばが食べたくなって電車に乗って新宿へ。
裏路地にある例のそば屋や行く。

その後特に用もなかったが、ふと、懐かしい場所へたどり着いた。
そこでずっと前に、ヘアクリップを買ってもらったことがあった。
父親に。
もう10年も前だ。

ちょうど仕事で東京に出張していた父親と、新宿で会った。
食事をした後、クリスマス抽選会用のカードをもらった。
10枚あつめないと抽選ができない。
だからあと1枚だったかを集めるために、一つ髪につける何か買ってよいといわれたのだったと思う。
それで抽選をしたら商品券があたった。
その券でもう一つヘアクリップを買ってもらった。

「券を使える期間にもう一度戻ってくるとも限らないだろうからここでいっきに使ってしまったが良い」という父の意見だった。

たいそう嬉しかったのを覚えている。
おそらく上京してから初めての冬だった。
自由に使えるお金も限られていたので、いっきに2つも買ってもらえるなんて、とても贅沢な感じがした。
弟も妹も母親も知らない場所でこうやって1人だけ買ってもらったということもまた特別な感じがして嬉しかった。

その場所はこれまでも通ったことがあったのに、どうして昨日になってふと懐かしく思ったのだろう。
きっと季節のせいだろう。
あのときもちょうど、このくらい寒くて、クリスマス前で街がざわざわしていた。
10年前の空気と、シンクロしたのだ。

もう12月だ。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...