Tuesday 28 May 2019

万年筆ライフ

ここ最近、生活に大きな変化があった。と言っても転職したとか引っ越したとか、そういうことではない。

万年筆を買った。

なんとなく買いたいなあと思いながら過ごしていたのだが、思い切ることはできずに「万年筆 人気」とか検索する日々だった。ロフトで見た1000円の万年筆さえ買うには至らなかった。それが、5月中旬のある日、歯医者に行った帰り、京王の文房具コーナーでまたあの1000円の万年筆に出会った。試しに買ってみよう、と思った。

買って、職場に持って行って、万年筆を使っている同僚に教わりながらカートリッジを入れた。しばらくして、するする、とインクが出て来る。なんなんだこの快適さは。以来、革命的に書くことが楽しくなってしまった。

そもそも買いたいと思うようになったきっかけの一つは、アルバム作成だった。こどもの写真を整理して、写真とともにコメントの紙を入れることにしたのがここ最近。そのために新しいアルバムを買ったりしたのだがコメントを書くにあたり、どうせならちゃんと書きたいと思ったのである。持っているペンのなかで最もいいペンと言えば、元同僚から転職祝いにもらったWatermanのボールペン。大切に使っているのだが、やはりボールペンには結構な筆圧が必要になる。3月末に長い手紙を書く機会があった。(これも珍しいことなのだが。)そこでこのボールペンを使ったのだが、やっぱりだんだんと手が疲れてきた。

それにくらべると万年筆は紙面を「滑る」。その快適さに加え、文字をきれいに書きたくなる。英字なら自然と筆記体になる。そうかこんな世界があったとは。

最初のカートリッジがなくなったので、ついにボトル入りのインクに手を出してしまった。きのう、コンバータと、インクと、新しい万年筆がもう一本届いた。きのうからインクを眺めてはその美しさにためいきをついている。

文房具にこれほど興奮するのは、おそらく小学校の時にシールとかノートとか手に入れた時以来かもしれない。何年間もふでばこを買ってもらえなかった子供時代の不自由さを考えると、欲しいものを自分のお金で好きな時に変える、大人って素晴らしいなと思わずにはいられないのである。

Monday 27 May 2019

Bello, questo colore.

日曜朝。こどものオムツを変えようと、よっこらしょと抱えると、背中のほうから手を伸ばし、新しいワンピースを着た私の背中をさすりながら

"Bello, questo colore (この色きれいだね)"

と言った。驚いた。

イタリア語をしゃべることに驚いたのではない。絶妙なタイミングで、2歳の口から上手に褒め言葉が出て来るということに驚いたのだ。通常私には日本語で話しかけるが、これだけはイタリア語だった。それはそうだろう。 賞賛の表現が豊なのは、断然イタリア語のほうである。「だまってもわかる」文化ではない。日常で褒められるときもイタリア語で言われることが明らかに多いのでその表現が出て来るのは自然なことなのだ。私も通常日本語で話しかけるが、褒めるときはどうしてもイタリア語が出る。bravo!とかbello!とか、むしろ日本語でどう言えばいいのだろう?「良い子」?「かっこいい」?だいぶ違う気がする。

とにかく、ワンピースの色を褒められたのはとても嬉しかった。素直に笑顔になり「ありがとう」と言って抱きしめた。かわいすぎる。こうやってイタリア人は出来上がって行くのだ。

Sunday 26 May 2019

時間がないときに何を犠牲にするか

暑い。こんなに暑くなるとは。初夏を飛び越して夏がやってきた。これは困る。好きな季節だなと思っていたところだったのに。きっともう一回気温が下がる時が来るだろう。それにしてもこの週末はひどい暑さだ。サングラスと帽子を身につけて自転車に乗ったが、家に帰ると身体が火照り、だるく感じた。いっきに日焼けした感じ。

今週は土曜出勤だったので、長く感じた。と言っても月曜は休んでいるので5日間働いたことに変わりはないのだが。

10連休があったことはよかったのだろうが、仕事の絶対量は変わっていないわけなので必ずどこかでしわ寄せが来る。ということで職場でも5月はいろいろな「不調」を目の当たりにした。

時間がないのである。

時間がないのにいつもと同じことをやろうとすると
1、仕事の質を落とす
2、健康を犠牲にする

このどちらかしかない。全体的にスピードを上げて質を落とさないのが理想的なのだがそれができる人は限られていると思う。

私はどうしたって1をとる。睡眠時間を削るとか家で仕事をするというのはまったく間違っているしすべての崩壊の始まりだと思う。すべての、というのは健康をはじめとして自分の人間関係、日常における仕事のパフォーマンス、私生活、家族との関係、すべてである。

そもそも仕事量を減らす方向に全体で転換しなければいけないのだろうがそれが「全体」なものだからうまく行かないのが日本人。やれやれ、である。

「やりたくないことをやらない勇気」という言葉を前に聞いたことがあるが、まったくもって日本のみなさんに必要な種類の勇気だろう。

Monday 13 May 2019

自分を大事にする母の日

母の日だからと言って特別なことはしないが、自分にとっては「そうか母か」みたいな日でした。母になって3回目の母の日。感謝されるというよりも自分を振り返るような気持ちになってしみじみした。

朝9時過ぎからこどもをつれて図書館へ。特に予定もないのでいろいろしゃべりながらゆっくり歩いて行った。そのまま昼はpizzaを食べに連れて行った。子供の父親から花束をもらって嬉しかった。天気はとてもよく、いったん帰ったあとで美容院に行くことにした。きょうはtreat myself well、自分を大事に扱う日にしよう。髪を切ったあとでたちよったメガネ屋さんで試してみたら以前よりもだいぶレイバンの形が改良されていて日本人の顔に合うようになっている。1年か2年前のモデルのものをひとつ買うことにした。

最後に買ったのは3,4年前だった気がする。サングラスは買ってしばらくすると、どうも合わなくなってくる。流行り廃りもあるかもしれないが納得がいかなくなる場合が多い。それで数年後には新しいものを見つけて買う、を繰り返している。今度こそ本物だわ、とおもっているけどたぶん数年たったらまた新しいの見つけて買っているかもしれない。ま、いいよそれでも。サングラスは見つけたときに捕まえておかないと同じのに会うチャンスは結構低い。こうやって自分にお金をかけて更新するのも大事。

最高に気持ちの良い気候のなか、充実した土日を過ごしました。

Sunday 12 May 2019

初夏がやって来る、こどもメモ

だいたいいつも4月から6月にかけて「ああこの季節好きだなあ」と言っている気がするけどいよいよ本当に好きな季節に入ってきた。初夏がとにかく好きなのです。新緑がまぶしくて、空気が適度に湿気を含んでいる。視力がよくなったような、身体中の細胞が起こされるような感じがする。ちょうど「半袖でちょうどいいかな」というような気候が最高。

というわけで昨日は最高の気候でした。家の中では袖なしでちょうどいいくらいで、外は日光が強くはあるものの気温はそれほど高くない、そんな天気。

久しぶりに週末らしい週末。朝から子を連れて表参道に行って来た。30分くらいしかかからないけど目指す時間の1時間半も前に家を出た。こどもも出たがっていたし、何よりも天気がよかった。

消防署に寄って消防車と救急車に乗せてもらい写真を撮った。ゆっくり歩いて、駅に向かい、電車に乗った。ぜいたくな時間の使い方だなあと思ったけどこれを贅沢だと思うほどに毎日ドタバタしているのだろう。朝も夕方も、平日はこうやってこどもとのんびり過ごす時間はなかなかない。

ランチバイキングに行くと、だいぶおとなしい顔をして一緒について来ていたのだがしばらくすると調子に乗って私の視界から消えた。これが本当に困る。追いかけるとさらに逃げる。放っておきたいところだが、公共の場である。放っておくと何が起こるかわからない。追いかけて捕まえたところで、赤ちゃんのように軽く抱えることはできない。しばらく放っておくと不安になって遠くから「おかあさん!」と呼ぶ。だったらこっちに来ればいいのに来ない。参る。

言って聞かせてどれくらい効果がわからなくても話はすることにしている。これがごく正常な成長過程だ、と私の父は言っていた。確かに。辛抱するしかない。

それでも以前より外出がだいぶ楽になった。いつ泣き出すかわからないあの不安はほんの一時期しか続かなかった。しょっちゅうおむつを替えてあげなければいけないわけでもない。財布と鍵だけあれば出かけられる。

ところで最近こどもが車に限らずいろいろなロゴやブランドのマークを一回で覚えて言うようになった。きのうは表参道にいたせいかGUCCIを覚えていた。そしてさっきは「あ、これおかあさんと同じでしょ」と言ってサッカーボールを持って来た。そこにはadidasのロゴがあり、私がきのうはいていたハーフパンツもadidasだった。たくさんアルファベットが書いてあるものを持って来て「sはどこにある」ともきく。つまり文字を読んでいるのだ。すごいなあ。

Sunday 5 May 2019

連休が終わる

あっという間に連休が終わってしまう。明日東京に帰る予定だ。連休の前半は寒かったり雨が降ったりしたが、5月1日を境にはっきりと季節が変わった。ここ数日は夏のような天気である。おかげで外出するのにも子どもに帽子をかぶせるのが大変だ。いや、言うことを一発で聞いてくれれば問題ないのだが。

連休中のメモ:

1.こどもの成長
これは毎回のことだが、はっきりと成長が見える。言葉については言うまでもないが、それ以外にもこの10日間でいっきに「変わったなあ」と感じることが多い。いつも接している人(保育園の先生、両親)以外の人と意思疎通をはかり、うまくやっていくためには本人のなかでも変化させなければいけないことが多いのだと思う。しかもこの家はとにかくお客さんがよく来る。隣人と親戚をはじめありとあらゆる人たちが入れ替わり立ち代わりやってくる。毎日違う人と顔を合わせるという貴重な機会に恵まれている。しかも自然のなかでまさに野生に戻ったかのように遊びまわっている。

2.陶器市
両親の助けのもと、こどもをつれて陶器市に行くことができた。ものを増やしたくないのに皿が欲しい、というジレンマに苛まれつつ、前から探していた黄色い皿を一つ買うことができた。あとは青い皿を一つ。それからピアス。買いまくったわけではないが、まあ適切な感じで買えたのではないか。時間がたつと食器も違って見えてきたりするのでこれからこの二枚の皿が日常にどう馴染んでいくか楽しみである。

3.古い写真の整理
これは昨日と今日のことだが、古い写真の入っている棚を掃除した。古いといってももう亡くなった祖父母の若いころの写真が入っているのである。めちゃくちゃ古い。アルバムがあるのは分かっていたが、まさかその下にいくつもの封筒と袋が潜んでいるとは知らなった。たぶん誰も知らなかったと思う。祖母については「アルバム」が存在するのは知っていたのだが、その下に眠っていたのは祖父の写真だった。多くは職場からもらったであろう写真たちで、おそらくもらった時のまま、封筒に入っていた。おそらく40年ぐらい?誰も手を付けていなかったと思われる。その証拠に写真どうしがべったりくっついて大変なことになっていた。一枚一枚はがして、何も写真のないアルバムを運よく見つけたのでそれにランダムだがとりあえず入れ、見られる状態にしておいた。そしていくつかの貴重な写真はスキャンしてデジタルデータとして保存しておくことにした。しかしまだ半分も終わっていない。今回のところはここまで、である。それにしても貴重なのだ。なんてったって戦前の写真である。当時の生活の様子が見える。ものすごい写真の力強さである。普通の光景のはずなのに迫りくるものがある。ちょっと一仕事やった感じ。いつか誰かがやらねばならない仕事であれば、これを苦に思わない私がやるに越したことはない。とりあえずこれ以上の劣化からは救った。

さて、寝よう!

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...