Saturday 31 December 2011

UGGブーツ

UGGというブランドがある。
靴のブランドで、「あぐ」と読むらしい。オーストラリア発。

流行っているらしい。
ブーツといえば、あぐ、らしい。

しかしながら全然かっこいいと思えない。
野暮ったいし、安っぽい感じがする。
もう少し洗練されたデザインがあるだろうに、と思う。
色によっては、汚れたように見える。

使用している人が気分を害されたらすまない。
私は足を入れたことも無いので、あくまでも「見た感じ」の純粋な感想である。
使ってみたらとても良かった、と思うのかもしれない。
ただあのデザインに惚れ込んで「ほしいな-」なんて思うことはきっと無いという自信が99%くらいある。

たとえ海外セレブがこぞって履こうとも。

99人が「よい」と思っていることに意義を唱えるのは、一般的に言って、勇気のいることだ。
99人が同じ方向に向かって走りだすときに、一人だけ正反対の方向に走り出せるか。

たとえば、組織のリーダーにはそういうことができる人であってほしいと思う。
そして学校ではそういう人を育てるべきだと思う。

己の直観に従うのは意外と難しい。
特に、集団の和を大事にする日本では。

少し調べてみたら、このUGGのブーツは本物の革と羊毛を使っているので動物愛護団体の目の敵だという。

はて、海外セレブって動物愛護を主張してる人が多くなかったっけ?
そしてUGGブーツを愛用している人が多くなかったっけ?

結局のところ動物愛護団体はファッションの一つに過ぎないのだろうか。

Friday 30 December 2011

年おさめラザニア

いい天気だ。ここ数日こんな感じの天気が続いて気分が良い。
今日は、これから、家族のいる家へ旅立つ。
ここで年越しはしない。

故郷には何もない。
何もなくもてあの、「ひらけた」感じがしてこその郷里だ。

空との境は、山である。

++++++++++++++++++

きのうは年おさめのラザニアを作った。
といっても普通のラザニアだが。

肉を入れずに菜食主義者バージョンで作ってみた。
人参2本、たまねぎ、なす2本、セロリを延々と刻みまくった。
ぜんぶきざむのに1時間くらいかかったかもしれない。
時間をかけた甲斐あって、とても美味しくできた。

巷ではいかに時間を短縮して料理するか、ばかりが注目される。
またそれに需要もあるのだろう。
みんな忙しすぎて、疲れすぎて、家で野菜を刻んでいる暇が無いから。

時にはこうやって午後じゅうかけて、手間ひまかけて、料理をするのも良いと思う。

Monday 26 December 2011

風邪ひいてない

そういえば今年は風邪をひいていない。
これは久しぶりのことだ。

考えてみれば、大学時代まで風邪をひくことは無かった。
熱を出すなんてことはさらに、無かった。
きっと、小学生のころが最後だったと思うがその最後がいつだったのかも覚えていなかった。

それが、働くようになって以来、年に1度は風邪をひくようになった。
最初は大丈夫だった。
それが、2008年、2009年、2010年と、連続して38度以上の熱を出した。

(特に2008年は振り返ってみるとなにかとついてないことの多い年だった。
常にストレスを抱えていて、何かにおわれている感じがして、夢でうなされることが多く、朝から胃の痛い毎日を過ごしていた。)

学生時代との差は何だろう。
ストレス以外は思い当たらない。

それが今年は、元気なのだ。
風邪をひく前の、のどの嫌な感じも、気配すら感じない。

去年と今年の差を考えてみた。

【食事】 …大きな変化は無い。相変わらずオリーブオイルとかパスタとか食べている。
【仕事】 …これも大きな変化は無い。
【睡眠】 …これも大きな変化は無い。
【運動】 …これも大きな変化は無い。


が、プールに行く回数が増えたかもしれない。
週に1回だったのが週に2回になった。
正確な記録は無いがおそらくそうだ。

違いといえばこれだ。
それに、体重は大きく変わってはいないが、身体が軽くなった気はする。

【家】 …引っ越したのもあるかもしれない。今はとても陽あたりの良い家にすんでいる。
やはり太陽は必要なのだ。


あるいは毎朝行うラジオ体操のおかげだろうか。

このまま風邪ひかずに冬を乗り切りたい。

Wednesday 21 December 2011

都会のにおいのするお菓子

母が骨折してからもう2週間が経とうとしている。

ある土曜の午後、仕事中に携帯を見ると妹からの着信があった。
母が椅子から落ちて骨折をしたという。
父親と電話で話しながら「いやまさか冗談だろう」という、ほとんど確信と言ってもいいような気持ちがあった。
なぜって今までそんなことは起こったことが無かった。両親とも、怪我も病気もしたことが無かった。
だからにわかには信じがたかった。
それが今度ばかりは冗談ではなかった。

入院することになったと聞いてすぐに、お菓子でも送ろうと考えた。
なぜだかすぐに「グラマシー・ニューヨーク」を思いついた。

私自身は数回しか食べたことが無かった。
だが間違いなく美味しいという確信があった。

美味しいものなら他にもあるだろう。
しかし、郷里には無さそうなものを送りたかった。

幼い頃、横浜に住んでいるおばから時々お菓子が送られてきた。それはヨックモックだったり、メリーのマロングラッセだったりした。

一緒に住んでいた彼女の両親、つまり私の祖父母に宛てられたものだったが、いつも皆それらを楽しみにしていた。

送られてくるお菓子はなんだか「都会のにおい」がしたものだ。
田舎を出たことの無い私にとっては、たいへん珍しく、素敵で、ワクワクするものだった。
こんな美味しいのは、ここには無いね、とか、なんだかおしゃれだねとか言いながらむしゃむしゃ食べたものだった。

グラマシー・ニューヨークにしようと思い立ったのも、そういう自分の記憶があってのことだろう。あの家にめったに無さそうなものを送ろうと思った。

小さな自分がそこに居たとしたら、箱が開いた瞬間「わぁー」と言って喜ぶような、そんなものを選んだのかもしれない。
ほとんど無意識のうちに。
選んだのは「ニューヨーク・ライブラリ」。
これがまた、たいへん好評だったらしい。

まだ自分で食べたことは無いので、今度はお土産に持っていって自分も食べよう。

Sunday 18 December 2011

「健康」にこだわらない

誰しもが健康を願う。

健康であるためのカギは、健康にこだわりすぎないことではないかと最近思う。

若くしてこの世を去ったスティーブ・ジョブズについてここ数ヶ月あちらこちらでよく話を聞く。
彼は極端な完璧主義者で、健康であるためにいろいろなこだわりを持っていたらしい。

あれをしなきゃ、これをしなきゃ、健康でなきゃ

…と思うことで、結局は自分にプレッシャーをかけてしまうのだ。
タバコはいけない、お酒はいけない、色の濃い野菜を摂る、油は控える、ミネラルとらなきゃ、などなど。
「心がける」程度ならまだしも、それが自分への「義務」となってしまうと、かえって負担となるのではないか。

先日、小学校のころの同級生と会った。
彼の「じいちゃん」は酒とタバコを愛する。
禁じられても隠れて摂取するらしい。
今はもう80歳をすぎているらしい。

実際に私がじいちゃんに会ったことはないのでどの程度元気か、までは分かりかねるが、案外そういう人のほうがストレスなく生きていけるのかもしれないと思う。

ことあるごとに「健康のために」と躍起になってジムに通ったり「ラン」したりサプリメントを摂取したりする完璧主義者よりも、おひさまにあたって、かぽーんとタバコでもふかしてリラ~ックスしている人のほうが意外と長生きして、病気も少ないのではないか。
いや、もし病気になってもあまりパニック状態にならずに受け止められそうな気がする。

私自身は、といえば、どちらかというと前者の気がある。
なるべく「~なきゃ」と思う回数を減らそうとは努力している。

ああ、もうその時点で(つまり「努力」してしまう時点で)リラックスできていないのだ。
どうしてもストレスをためやすい心身である。

深呼吸して、きょうみたいに天気のいい休日こそ何も考えずに過ごしたい。

Wednesday 14 December 2011

和菓子がすき

昨日、ブルーベリーマフィンを焼いた。
今朝食べたけど、昨日の焼きたてを食べたらもっと美味しかっただろうにと思った。

お菓子をよく作る。
もっぱら洋菓子を作るのだが、私自身、実は和菓子派である。
「あん」が好きなのだ。
あんこ党の党首、と呼べそうなくらいである。

あんパンは好きだけど「パン」の部分は要らない。
朝ごはんを食べずに家を出てきてしまいコンビニで何か選ぼうとしていたとき、そう思った。

「じゃあ、あんこだけを買えばいいのでは」
と思い、冷蔵庫にはあんこを常備しておくことにした。

以来、朝ごはんは小倉あん、という日が結構ある。

村岡屋総本舗をご存知だろうか。
九州は佐賀にある。
お気に入りの和菓子屋さんである。
小城羊羹は全国的にも高級羊羹として知られているがここがその「はじまり」なのである。
明治32年(1899年)創業という歴史の長さ。

他の羊羹を食べると違いが分かるほど、ここの羊羹に慣れ親しんでいる。
甘すぎない。
色々種類はあるが、まわりが固くて、ざくざくしているのが特徴的だ。
おみやげや贈答品には最適である。

店舗にいくと、店員さんが大変丁寧な対応で迎えてくれる。
お茶と羊羹が用意される。
たいてい、店の外まで見送りに出てくれる。

先日、空港店にて、思わず顧客登録をしてしまった。
そういうのは普通見向きもしないのに。
故郷への愛ゆえ、であろう。

若い、(もしかしたら10代かもしれない)女性の店員さんがとても喜んでくれて、よかったらどうぞ、と商品のお菓子をくれた。

先日、その店員さんからハガキが届いた。
直筆でメッセージが書いてあって嬉しかった。
「顧客」としてますますひいきにしたくなる瞬間であった。

Monday 28 November 2011

敬語がつかえない、というが

ふいー。

きょうも一日が終ろうとしています。
そして11月が終ろうとしています。
つまり今年が終ろうとしています。

早いですねまったく!

ゆるゆーる、と「生き」たいんですがどうもそうは「生か」せてくれないんです。つまり、日々が。

忙しすぎる毎日を、ゆとりがあるように見せたいだけなのかもしれませんが、さっきマフィンを焼きました。平日に、翌日の朝ごはん用のマフィンが焼けるというのはある程度余裕があるということかなと思います。
私は、自慢じゃないけど手際が良い。20分くらいで作ります。
片付けまで入れたら30分で終了させることができます。

****************

敬語について。

若い子たちが敬語を使えない、と嘆かれて久しいです。
普通に生きているだけなのにどうしてそういうことになってしまったんでしょう。
時代が変わっただけで言葉の使い方が変わる、というのは一体どうしてでしょう。

原因は「若い子たち」にあるのではなくて、周りの大人にあるのではないかと思います。
周りにきちんとした敬語、丁寧な言葉遣いをする人がいたら、子どもたちも自然とそういう言葉が使えるようになります。

昔は家の中でも敬語をきちんと使っていたんです。
小津安二郎の映画なんて見てみてください。
ですます、をごく自然につかっている。
かといって家族がよそよそしいかというとそうではありません。

家族との関係はあくまでも「公」であって「私」ではありません。
「ベタベタすること=家族愛」というのは近年よく見られる勘違いだと思います。

話がそれました。

繰り返しますが、子どもは、聞いたことば、あるいは聞こえてきたことばを覚えます。
聞いたことばを真似することで、フレーズのストックができあがっていきます。

ですから、周りの大人たちが「最近の子は敬語も使えない」と言っているのを聞くと「ふふふ」と思います。

ましてや、親が自分の子供のことを「言葉遣いがきたない」などと言っているのを見ると、その人のしゃべり方を拝見(拝聴)してみたくさえなります。

100パーセント、その言葉遣いを子供本人のせいになんてできるわけがありませんから。


ところで私は、相手が年下であっても敬語を使うように心がけます。とくに仕事の場では。
10歳以上年下でも、なるべく敬語を使います。

すると不思議なことに、相手も私に敬語を使うようになります。
少し時間が必要ですが、ここ最近その点に気をつけてみたら結果が見えてくるようになりました。
適度な「公」の距離と立場を保つことができます。


うーん、日本語ってすごいですね。そして素敵ですね。
ではきょうはこのへんで。

おやすみなさいませ。

Sunday 27 November 2011

大塚さんのニュース

http://video.repubblica.it/dossier/giappone-terremoto-tsunami/mangio-cibi-di-fukushima-ora-ha-la-leucemia/81594/79984 

http://www.libero-news.it/news/877148/Fukushima-mangi%C3%B2-verdure-in-tv-Ora-%C3%A8-malato-di-leucemia-.html 


めざましテレビのキャスターとして有名な大塚さんが急性白血病になったらしいです。 
そのニュースを最初にどこで知ったかというと、

イタリアの新聞。 
記事のタイトルは 

「福島の野菜を食べて、白血病」 


テレビで福島産の野菜を食べていたらしいですね。 
めざましテレビ見ないから知らないけど。 
そしたらそれが原因で白血病になった、と。 

ほんとかよ、と思って日本国内の報道を探してみました。 
しかし「大塚範一 白血病」の公式なニュース内には福島県産野菜との関連は強調されていません。 
むしろ、福島の野菜と大塚さんの白血病の関連性に触れた記事さえ今のところ見つけていない。 

ブログとか掲示板ではたくさん書かれてあるけど。 
http://www.google.co.jp/search?gcx=c&sourceid=chrome&ie=UTF-8&q=%E7%99%BD%E8%A1%80%E7%97%85%E3%80%80%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E3%80%80%E7%A6%8F%E5%B3%B6 

これとか。 
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7141946.html 


ちなみにこのイタリアの記事のニュース元はドイツらしいです。 

ヨーロッパにいる人たちは「ほれ見たことか」みたいな感じなんでしょう。 

関連性が全然明らかになっていないのに、この報道は行き過ぎだろう、とは思います。 
ただ、可能性がゼロだとは誰も言い切れないので、私はどちらを信じる、または支持するわけでもありません。 

しかしこの「差」には驚くのです。 
だってタイトルが 
"Mangiò cibi di Fukushima, ora ha la leucemia" ですから。そりゃびっくりする。 

最初に聞いたときは1回食べたくらいでそんなことは、と思ったんですが、1回どころか何度も、TVカメラの前で食べ続けていたらしいということを聞いて「うーん…」と思ってしまいました…

Friday 25 November 2011

セルフ歯医者さん

歯には気をつかっている。
といっても、高い歯磨き粉をつかったりするわけではない。
普通の歯磨き以外にすることといえば、デンタルフロスとマウスピースを毎日使う程度だ。

しかし、フロスを通すとしみる部分がここ数ヶ月、一箇所だけあった。
それが最近しみなくなってきたなあと思っていたら、フロスを通すとフロスが切れるようになってしまった!
一体どうしたことだろう。
歯がのこぎり状になっているとしか考えられない。
そのうち、フロスが通らなくなった。
無理やり通そうとしたら、今度は切れたフロスが歯にはさまって取れなくなった。

どういう状況になっているのか見ようと思ってがんばってセルフ歯医者さん(一応、あの鏡と、とがったスティック状の金属を持っている)を試みてみたが無理だった。
見ようにも、歯と歯の間までは見えない。

気になるのだが今日のところは放っておくしかない。
今度、歯医者に行ってみることにする。

カモミールティーが美味しい季節になった。
が、ココアが美味しい季節にはまだなっていない。
つまり、あまり寒くないと思いませんか。

もう少し「きーん」と冷える感じがこの季節にはあると思うんだけどなあ。
ま、暖かいほうが好きなので別にこれで問題ないけど。

昨日まで2連休で、今日と明日働いたら、またお休みがやってくる。

Sunday 13 November 2011

頭にキャベツ

シュシュというものが流行り初めてどれくらい経つだろう。
ナニソレ、という人のために説明すると、髪をまとめるためのゴムである。
ただし、普通のゴムではなくてその周りに布がついている。
ちょっとそのあたりを見回してみれば5分間以内に使用している女性を3,4人は見かけるだろう。

もともとはフランス語で

chou chou

と書く。chouは「キャベツ」の意である。
chou chouと繰り返すとmy favouriteの意になるらしい。

2004年当時、それは流行っていなかった。確実に記憶している。
なぜなら、イギリスに滞在していたときに日本人の友達とこういう会話をしたことがあるからだ。

「韓国人いつもあれつけてるよね」
「うん、あんまり綺麗じゃないよね」
「うん」
「あれがどうしても必要で、韓国からわざわざ送ってもらっているらしいよ」
「え、まじで」
「イギリスにはないしね」
「日本にもなかったね」


シュシュに対して「あんまりかっこよくない」というイメージしかなかったのだ。
それは私の個人的な意見ではなく、同年代の日本人女性にとってもそうだった。
そもそもシュシュという名前さえ浸透していなかった。いや、そもそも無かったかもしれない。

「韓国人がどうしても頭につけたがるアレ」

に過ぎなかった。
当時の(日本の)大学生たちが映った写真があればそれを見てみるとよい。
シュシュをつかっている子はほとんどいないはずだ。

2002年に初めて韓国に行った時、確かにそれをつけている女性は多かった。
どうしてもっとシンプルなものでまとめないのだろう、と思っていた。

それがどうだろう。
流行というものは恐ろしい。
「ダサい」はずだったのに、そこらじゅう皆シュシュをつけるようになった。
ただの布切れのはずなのに、1000円とか、1500円とか、法外ともいえる値段がつくようにもなった。


不思議なことに、ダサいと思っていた私も、だんだんと見慣れると「悪くない」と思うようになった。
シュシュも日本人の手にかかると進化を遂げる。
ただのふわふわゴムではなくて、エレガントなものや細かい細工を施したような進化系がどんどん出てきた。

もしかすると、そもそもダサいと思っていたのは私だけかもしれない。

しかし、ここまで皆そろって同じ髪型をしてシュシュ・パレードをしていると、すこし滑稽に見えてくる。
日本にはありがちなことだが、皆で一気に同じスタイルをし始める。そしてその時の勢いはすごい。

シュシュもだいぶ浸透したので、一時期ほど全員がこぞって「頭にふわふわスタイル」ではなくなってきた。

個人的な意見を言わせてもらうとあまりにもフリフリしているやつは好きではない。
フリルとかリボンとか、ああいうものを身に着けると、軽い感じに見える。
つまり、「頭」まで軽い感じに。


シンプルなのが一番よい。

ちなみにヨーロッパではシュシュをつけている人を見たことは無い。
すくなくともイタリアでは。

フランスはどうなのだろう。“chou chou”の生まれた国では。
2005年に行った時には、見かけなかったが。

正確な統計もしらないしそもそもそんなものは存在しないだろうけど、シュシュ人口がもっとも多いのは日本じゃないかと思っている。

Saturday 12 November 2011

ジャンクフードの教訓

きょうは暖かかった。
仕事は半日で終ったし、天気もよかったし、たまにはと思ってフリーマーケットに行ってみた。
なかなか良い品を3点手に入れた。
心残りといえばアルファロメオの描かれた古いプレートだろうか。
300円だったが、買わなかった。
家に入れた途端にがらくたと化しそうな気がした。

たまには、ということでバーガーキングのワッパーを食べた。
本当に久しぶりである。
この大きさに慣れると、普通のハンバーガーが小さく感じる。

ジャンクフードについて。
ジャンクフードが大好きなわけではない。新製品が出ると「おおお!行くべし!」と騒ぐ種類の人間でもない。どうでも良いと思っている。ジャンクフード、ファストフードは、機会があれば食べるという程度だ。

本当に美味しいと思えば、何でも食べる。
マクドナルドは、あまり食べたいと思わない。直感的に。ロッテリアは最後に食べたのがいつだったか覚えていない。バーガーキングは美味しい。モスバーガーは、肉じゃないものが挟まっている。むしろ魚肉に感じられる。

それで、何を言おうとしていたかというと、「私はジャンクフードいっさい食べません!」というポリシーを決め込んでしまうと、付き合いの幅というか視野が狭まってしまう、ということだ。

どういうことか。

食生活からジャンクフードを排除すれば、それはそれはクリーンな身体になるだろう。
しかし、そうなるとだんだんとジャンクフードを食べる人たちを見下し始める。
見下す、が言いすぎでも、「あいつら理解できないよまったく」と思う。
理解しようとすることをやめてしまう。
いくらかの人間関係はそういう、些細に見えることをきっかけに破綻してしまうこともある。

ベジタリアンもその例かもしれない。
(ベジタリアンのさらに上をいく、ヴィーガンの友達はやはり外食に誘いにくかった。)

何でも、二元論に持ち込むのは危険だ。
「こうじゃないとダメ」と決め込んでしまうとそれ以外のものはまったく受け入れられなくなる。
ポリシーはありながらもゆるやかにあらゆるものを共存させていくとよい。
他者を認め、尊敬すること。

その結果、何でも食べれて、どこでも寝れて、誰とでも話せる人間がもっと増えるといい。
そしたら婚活する人も減るかもしれませんね。

Friday 11 November 2011

さむい

寒い、寒い、寒いよう。
まったく、気温が下がった途端に動きが鈍くなる私の身体。
血の巡り悪いですねあなた、とでも言われそうな顔色をしている。
身体をあたためなさいとよく言われるけどどうしたらいいんだろうなあ。

今日はチゲを作ってみました。
雨まで降って本当に寒かったから。

身体があたたまったと思ったんだけどまた冷えてきた。
身体が脂肪を溜め込もうとしているのが分かる。

昨日はあまり気が乗らなかったのだがとりあえず泳ぎに行ってみた。
結果、やっぱり行ってよかったと思った。
身体がやわらかくなったし、あたたかくなった。

そうだ、ストレッチングをしよう。
身体を伸ばすだけ伸ばしてから寝ることにしよう。
代謝をあげておかないと、ありとあらゆることが「気がすすまな」くなってしまうのだ。

そういう季節。
これもこれで楽しめるんですけどね、まあ。
でも今日はいつのまにか「5月っていいよなあ」とか、初夏に想いを馳せていたのです。

さて、じゃあおやすみなさい。

Monday 7 November 2011

バックギャモン!

忙しいなあ毎日。
ブログとか日記とか、座ってゆっくりものを書く暇すらなかなかありません。
間違っていると思いませんか、これって。
人には ものごとをreflect する時間が絶対に必要だと思います。
土曜日も仕事で、帰宅したのは7時過ぎだったので、昨日日曜の休みは全然足りませんでした。
普段考えている「やりたいこと」の3割もできていない。

と、そんななか、息ぬき兼娯楽としてここ数日確保していることがあります。
それは、バックギャモン。

言ってみればすごろくなのですが、それほど単純ではない。
パソコンでできるゲームといえば、パソコンを使い始めたときからずっと「フリーセル」に決まっていたのですが、いつのまにかオンラインでバックギャモンができるようになった。
昔はできませんでしたよ、飛行機の上でしか。

そう、最初にはまったのは飛行機内です。
12時間フライトのうち10時間くらいプレイしていたのではなかろうか。。。

今日は30分くらいプレイして、ドイツ語圏のどなたかに1勝しました。
わーい。
昨日はトルコ語を使うどなたかに負けました。

気分良く、ここいらで寝るとします。
おやすみなさーい。

Thursday 3 November 2011

魚が食べたいときは

以前このブログでレシピを紹介したこともある、アクアパッツァ。
初めて作って以来、しょっちゅう食卓に登場する。
写真は、材料を入れたすぐ後なので、あまり煮込まれていないがこの10分~15分後には、トマトもレモンもくたくたになっている。
きょうは、さわらを使いました。
本当は魚屋に行きたかったのだが、きょうは祝日のためお休み。
スーパーは値が張るし、あまり新鮮ではないのだけれど仕方ない。
結果的に美味しかったから良い。

そう、祝日なのに今日は出勤でした。
5時半におきた。つらい。ねむい。
きょうはもうこれで寝ます。
おやすみなさい。

Tuesday 1 November 2011

ぴつあ

思わずにやけてしまうほどの良い天気だった。おまけにきょうは仕事が無い。ただでさえ他人が働いているときに自分だけ休み、というこの感じがなんともいえないのにこの良い天気だからますます嬉しい。
2回も洗濯機を回して、昼にはピツァを焼いてみた。
ホームベーカリーを使ってできるということは知っていたのだけれどなんとなく面倒な気がしていて今まで作ろうとしていなかった。それがふと作ってみようという気になったので、ホームベーカリーの冊子を開いてみたら、なんとまあ簡単だこと!パンを作る以外にはホームベーカリーをつかったことが無かったのだ。
材料を入れて、スイッチを押して、45分間待てば生地が完成していた。
引っ越したので生地を伸ばしたりするための場所はしっかりと確保できる。
急いでトマトとチーズを買いに走った。バジルは、母親が育てたものを大量にもらってきたのでそれをつかった。後から言われて気付いたのだが、通常、「ピッツァにバジルはのせない」らしい。そういえばそうだ。これも日本人によくあるイタリア料理の勘違い(カルボナーラにはクリームを使う、とか)のひとつだろうか。
なんとなくのっているイメージがあるのだが、実際そんなものをイタリアで食べたことがあるかというと、一度も無い。
まあ、見た目が綺麗だし、バジリコは好きなので、のせてみた。
焼き加減にしろ、薄さにしろ、まだまだ改良の余地ありである。しかしこれだけ楽に作れるのなら今後もっと上手に作れるようになろうと思った。

 焼いた後。焼き足りなくて生地がまだ白い。

Saturday 29 October 2011

たかな

母親が高菜を炒めた。
正式名称は「たかないため」なのだろうが、うちでは昔から「たかな」としか呼ばない。

物心ついたときから、それはそこにあって、「高菜」という文字よりも「たかな」という音のほうから先に覚えた。
あの見た目と、味と、香りのするたべものはいつも「たかな」なのであった。

西洋風の食べ物が食卓に出現する頻度は、和風のそれよりも低かった。
というのも幼少期から祖父母と一緒にくらしており、彼らの胃は乳製品や肉をあまりうけつけなかったため、私たちきょうだいが欲したとしても、西洋風の食べものが優先されることはそれほどなかった。
煮物や干物が中心だったし、膳の左前にはいつも白いご飯があった。

私はそれほど好き嫌いの激しい子ではなかった。
与えられたものはたいてい、よく食べた。

梅干し、漬け物、きんぴら-れんこんの時もあればごぼうのときもある-そして高菜は、毎回ではないにせよ、もっとも身近に、食卓にあるものだった。
季節によってそれは「ふき」の煮たものだったり、たけのこを炒めたものだったりした。

たいていのものはしょうゆで味付けられていた。
そこに関わってくるのはごまやかつおぶしであることが多かった。
油の摂取量は少なかったと思うが、塩分は相当摂っていたはずだ。

たかなは私の好物だった。
大量に盛られたその一皿を、これ全部食べることだって可能だ、と思ったのを覚えている。

上京してから食べてみた市販の高菜漬けはまったく別の食べ物で、驚いた。
味とかおりだけではなく、色と形まで違った。
世の中の人たちは、これを「たかな」と呼んでいるのか、と、当時18歳の私は驚き、同時に勝ち誇ったような気にもなった。

「寿司」や「天ぷら」は、世界に知られる日本の食べ物である。
しかし、高菜はあんまり知られなくていい。

とくに高級というわけでもないし、手に入りにくい食材というわけでもない、ふつうの菜っぱは、ここでこうやって食べて、ほっとするのが一番だ。

Friday 28 October 2011

郷里より

家族のいる故郷に戻ってきた。
日曜日までここで過ごす。

この家を出てかれこれ9年になる。
上京したばかりのころ、横浜に住むおじが「故郷にもどろうかと思っているんだよ」と言っているのを聞いて「そうなんですか」とは返事をするものの実感としてそれがどういうものかはわからなかった。

それがどうしたことかここ数年、ことあるごとに実家に帰りたくなるのだ。
恋しいのは家族というよりむしろ生まれ育った環境。
景色や、空気や、音がどうしても懐かしくなる。
たとえば「この秋のあの空気を、今味わっておかないと次の機会があるとしたらあと1年後になる」と思う。
そうやって、なかば焦ったようにして飛行機の席を予約するのである。

今回は故郷の「秋」を逃してはならぬ、と思ったわけだが、実際のところ、どの季節もそう思うのである。

帰ったからといって何か特別なことがあるわけでもない。
いつもどおりの静けさが待っている、ただそれだけだ。

それはなにものにも替えがたくて、なによりもあったかい。

ときどき抗いがたいほどに帰りたくなるとき、ほとんど、あきれてしまう。
1歳から18歳までをすごした場所というのは、こうまでも自分に「しみ込んで」いるのかと。
ふるさとの持つ力と、自分との結びつきに、参ってしまう。

幼少期に過ごした環境が人に与える影響は大きい。
この家に帰ると、自分がどれだけ恵まれていたか、幸せに生まれ育ったか、改めて思い知るのである。

人には自然が必要だ。
野山を駆け回り、自分の脚で歩き、自分の手で自然に触れた。
そうやって過ごした日々のおかげで、今の私がある。

Sunday 23 October 2011

「ドレッシング」不要

泳ぐ頻度も程度もいつもと同じはずなのに昨日から筋肉痛。どうしてだろう。
しかし運動をしたあとの筋肉痛ほど心地よく、そして嬉しい痛みもない。
筋肉痛は私にとって「痛」ではないのだ。
どこの筋肉を使ったか分かるのでむしろ、自分の身体を感じることができて良い。



そして運動(といっても私の場合水泳だけだが)したあとはどうしても野菜と、肉と、酢がほしくなる。とても。

単におなかがすいているというわけではない。

「食べたい」というより「摂りたい」に近いのだ。

どの栄養を身体が欲しがっているか、きちんと耳をかたむける。
ビールを片手になにかをつまみながら料理をする。

たいてい、レタス、アボカド、にんじん、卵、クルミ、たまねぎなどを入れてサラダをつくる。

ところで、よく一般家庭には「ドレッシング」というものが存在するが、うちにはない。
酢と、オリーブオイルと、塩があれば既成の「ドレッシング」を買う必要は無いからだ。



そして、ドレッシングを使わないほうが素材の味が分かる。化学の味に頼らない。
より美味しい。

そもそもドレッシングを買うほうが高くつく。
さらに、あの液体に「からだにいい物質」はあまり入って無いのではないだろうか。(それこそ値段にもよるが。)

さて、きょうは昨日よりも良い天気になった。
誕生日である。
同居人が、すさまじい大きさの花束を贈ってくれた。

とくに、まだ実感は無い。

ちょっとこれからまた外に出ようかな。
何か感じたらまたあとで書く。

Saturday 22 October 2011

20日と21日のこと

ふりかえり。
20日 木曜日。
住所を変更したのでその届出をするために役所へ。
この大都会も、平日の午前中となるとだいぶすいている。そんなに人は多くなかった。
天気も良く、歩きやすかった。
午後からは確か家の片付けをしたり、スーパーに買い物に行ったりした。
6時ごろからプールへ行き、久しぶりに1時間近く泳いだ。
夜はクロスタータを作りながら「ブラタモリ」の再放送を見て、11時半ごろねた。

21日 金曜日。
引っ越し以来初めて作ったお菓子はクロスタータだったわけだが、これがまた美味しかった。
アプリコットジャムを使った。いやむしろそれ以外のジャムは使わなくなってきた。
ちなみに最初に作ったときからすると、改良を重ねたのでレシピが変わった。
フランス菓子の、タルト生地みたいな感じだ。

バター70g
砂糖 35g
卵黄 1個
薄力粉 130~150g

それにレモンの皮を少し入れて適当にこねている。
生地の量が少ないので、薄めのものができる。
朝ごはんにはぴったりだ。
いつもどおり仕事に行き、4時過ぎには退勤する。
母校の同窓会に出席するためだ。

高校の同窓会である。出席するのはこれで2回目だが、相変わらずすごい盛り上がりを見せていた。
教育実習のときに教えた生徒が、大学4年生になっていた。来年4月から社会人だそうだ。
年月の流れるのは早い。
校歌を合唱して、おみやげをいただいて帰った。郷里の手延べ素麺と、みかんだった。

会場を出ると雨が降っていた。
大学に入学する時に親に買ってもらった上等のスーツを着ていったのだが、これが濡れてしまった。

ところで、18歳のときに買ったスーツがまだ入る。
途中、いろいろ変化はあったが結局10年経った今、体型はもとに戻ったのだろう。
大きすぎず、小さすぎないこのスーツは、上京以来の体型バロメーターでもある。
あと10年後も同じスーツを同じように着こなせるだろうか。

Thursday 20 October 2011

80年代の色

こんばんは。今夜は冷えますね。

半そではまだ使うとしても、短パンは、しまう時期が来たらしい。
そしてヒートテックの出番。
今「さむ」と思ってヒートテック一枚引っ張り出してきて着替えたのだが、やっぱり全然違う。
暖かくなった。

明日は仕事がない日。というわけでこんな時間までゆっくりしている。
普段は遅くとも11時までには寝ないと次の日がだめになる。
しかし今朝は失敗した。アラームが聞こえなかったのだ。幸い、出発すべき時刻の15分前に起きたので、遅刻には至らず。ほっとした。

そういえば最近、バターが無い。
スーパーマーケットには「売り切れですごめんなさい」の表示しかない。
日曜日に3件ものスーパーに行ってみたが同じだった。

せっかくキッチンが広くなったのに、作りたいお菓子が作れない。
明日また行ってみよう、バター・ハンティング。

**************

「かなり昔の有名な人」と思っていたら実は自分が生きている時期と重なっていたということに気付く、ということが時々ある。

アンディ・ウォーホルを知った/好きだと思ったのはいつのことかもはや何歳だったときのことか覚えていないが、彼は私が3歳か4歳のころに死んだ。

シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、私が3歳のときに死んだ。

彼らを「生み出した」時代ではないが、生きた時代とは重なっている。

たとえば60年代と聞いただけで、色とか音楽とか、様々なイメージが浮かぶ。
80年代とは、「自分が生まれた年代」でしかなかった。しかし、そろそろ「色」がつきはじめるのかもしれない。あるイメージが定まってくるのかもしれない。

世の中ではすでにそうなっているのだろうが自分のなかでそう感じ始めたのはごく最近のことである。

将来、自分に子どもがうまれたら、「80年代」と聞いたときにどういうイメージを抱くのだろう。私が60年代に感じるクールさ、それに手の届かないもどかしさみたいなのを、彼(女)も感じるのだろうか。

さて、寝ます。

Monday 10 October 2011

シャンプー革命・引越し

朝一番に目に入ってきたのは蜷川実花が髪を青色に染めたというニュース。

あ~あ、頭皮にいろいろやっちゃうと、からだによくないんだよ~

と思いながらコーヒーを置く。
段ボール箱の上に。

なにを隠そう、今日はお引越し。
ちょうど1ヶ月前に家を見つけたので急きょ引っ越すことにしたのだ。
といっても東に数百メートル動くだけなのだが。

最初の話に戻るが、頭皮にはやさしくしておいたほうがいい。
友達と話して、色々学び、結果として最近私にはシャンプー革命が起きた。

保存料や硫酸やシリコンがふんだんに含まれた市販のシャンプー。

実際に、薬局や家にあった、そういうシャンプーの裏に書いてある化学物質について調べてみた。
ぞぞっとするほど、怖くなった。

こんなのを毎日からだに取り込んでいたとは。
ちなみに頭皮の吸収率は、二の腕の柔らかいところを1とすると、3.5らしい。
そしてそれがどこに行くかというと…

子宮。

子宮は直接影響を受ける。
どれだけ医療の進んだ世の中になっても、アレルギーやアトピーの子が多いのは、無理もないことなのだ。

化学物質を完全にゼロにしてしまうのは無理があるとしても、極力減らす努力はできる。
今の時点で気付いてよかったと思ったのでした。

まあ時間の都合上簡単に書いてしまったけど、本当はもっと詳しく知っておいたほうがいい話。
私もこれからもう少しよく調べる。

とりあえず頭皮に直接つけるシャンプーだけは、保存料とシリコンと硫酸の入ってないものに変えた。見つけるのは難しいけどね…


さて、引越しに取り掛かる!

Wednesday 5 October 2011

月、火、水あっというま

雨が降った。結構しっかり降ったので、帰り道は靴下までぬれてしまった。
毎週のことだが、月曜日から水曜日まで終るのがとにかく早かった。
くるくる回っている間に一日が終る感じ。
日付が変わって、朝になって、24時間前と同じ時間の電車にのって仕事に行きながら「あれ、今日って何曜日だっけ」と、一瞬だが真剣に迷うことがよくある。

こんな日々でいいんでしょうか。
このまま気付いたら30歳になってしまって。
全然よくない。やりたいことはほかにもいろいろある。
動き出さなきゃいけないのに、疲れとか時間が無いのを言い訳にして結局何も動き出してない。

というのも、どこかでは満足しているのだろうと思う。
たとえば今日は仕事が楽しかった。
結局、教室こそが「自分を表現する場」になっている。
そして教室を離れたあとも「これを言ってあげなきゃ」とほぼ無意識のうちに考えている。
本質は、この仕事に向いているのだろう。

欲張りだが、特にこだわりはない。
しかし新しいことを始めたい。
環境を変えたい。
やればできるはず。能力は決して低くない。

ま、とりあえず寝るか。

Sunday 2 October 2011

とみんの日の、嬉しい出来事

今日は都民の日だった。
今日はプールが無料で開放される。
というわけで行ってみた。
結局のところ、お金を払おうが払うまいが、休みの日は行くのだが。

無料のせいか、なんだか変な人が多かった。

後ろから追っかけるように泳いでくる男とか、話しかけてくる男とか、水着をギリギリのところまで下げた男とか。(明らかに、意識的に水着を下げ、見せようとしていた。)

ほとんど変質者だなこれは、と思いながら、近寄らないように別のレーンで泳いだ。

ものすごい変な泳ぎ方をする男もいた。
泳ぐのが上手な人だけがプールに入って良い、という決まりがあるわけでもないのでこればかりは文句が言えないが、ほとんど狂ったような泳ぎ方をするのでさすがに変と思わずにはいられなかった。

これだけ変な人たちに水着姿という無防備な状態で、しかも同じ水中で囲まれていると、さすがに不快感がある。普段は全然こんなことないのに。

結局、はやめにプールを出た。

**************

受付をしている女の子は、とても笑顔が素敵で、元気が良い。
気持ちよく挨拶をしてくれるので、彼女がいるときは気分よく入れる。

10月のスケジュール表をもらうついでに、「無料公開日のせいか、変な人多いですよね」と言ってみたら、「そうかもしれません」と、彼女は答えた。

それから、ぺらぺらしゃべりはじめた。
時々プールに来る「変な人」たちについて教えてくれた。

そして

「ずっと前から聞きたいと思ってたんですけど」

と言うので何かと身構えたら

「おねえさん、スタイルいいですよね」


・:*:.。.:*:・'゜:*:・'(照´∀`)ゞ・:*:.。.:*:・'



「いやいやいやいやいや、そんなこと無いっスよ!(//▽//)」
と否定してみせたが、実は天にも昇るほど嬉しかった。

なにか特別にやっているのか、というのが「ききたかったこと」らしい。
ずばり、
「このプールのおかげですよ」と答えた。


そのほかにもいろいろ話してくれた。

ずっと受付にいるのがいかに退屈か。
雑誌を持ってきてもすぐに読み終わってしまうこと。
じっと見つめてくるおじさんの対応に困ること。
今は学生なので休みの日にここに来るということ。




なるほど、学生か。
社会人、あるいは「おとな」特有の、「曇り」が感じられない。
世の中には同じ学生アルバイトでも、マニュアルどおりにしかしゃべることのできない、表情の消えた人もいる。

しかしこの子はまったく違うのだ。
学生だからストレスが少ない、というのもあるかもしれない。
だけど、学生か社会人か、という以前に、彼女自身が「曇ってない」。

基本的に人としゃべることが好きなのだろう。
そしてきっと身体を動かしているのだろう。
そのくらいの予想はつく。
表情がコロコロ変わる。
目がきらきらしている。


どんな家族のもとで育ったのだろうか。
(職業柄、なのかもしれないが)そこまで考えてしまった。



こういう子が、たとえば就職して、ストレス溜め込んだり、変な上司にこき使われたりしないといいなあと、帰り道、自転車をこぎながら思った。
この笑顔をつぶしてはいけない。

企業で働いたことは無いけど、カウンセラーとか、生き方の相談役とか、悩める人を助けられるような仕事があったら、それはとてもやりがいがあるだろうと思った。


あ、こんなに受付の女の子を褒めるのは、別に自分が褒められたから、という訳では無いですよ!念のため言っておきますけど!

でもやっぱり、良いと思ったことを直接声にして本人に伝えるだけで、こんなにも相手を気分良くさせる!今日あらためて実感した。
褒められると、背筋が「しゃん」となりますね。
すぐにでも、実生活で、仕事で、生かそう!

Friday 23 September 2011

要領よさとお菓子作り

台風後の公園に行ってみたら、刈られたあとの草が雨風によって綺麗に紋様をえがいていた。
最近、いかにも現実にありそうな夢をみる。まあ昨日の夢はブラジルとイタリアを高速で移動していたのでそれはあまり現実にありそうにないけど。ふと「ん?あれは夢だったんだっけ?」と思うことがある。


台風が過ぎたらだいぶ涼しくなった。もう9月も後半なのである。今日は秋分の日。涼しくならないとおかしい。暦の上ではすでに秋なのだから。

昨日はガトー・ショコラを作った。ガトー・ショコラって英語じゃありません。フランス語。チョコレート・ケーキという意味。だからどっちで呼んでも良いと思う。

お菓子作りは楽しい。うちの台所は広くないのだが、その狭いスペースをいかに上手く使って、そしていかに短時間で、洗い物も少なく、正確に、おいしいお菓子を作れるか。

食事を作る時もほとんど同じことが言える。

料理をするときはむしろ、正確すぎたり、神経質だったり、こだわりすぎたりするとうまくいかない。必要以上に時間がかかったり、シンプルなものもシンプルに作れなくなってしまう。

「塩梅」がわかるようになるには、ある程度の適当さが必要だと思う。

しかし、お菓子づくりの場合はこれに「正確さ」が加わる。これは料理とは全然違う点である。
肝心なところが少しでも欠けると、本当に「失敗」をする。
料理の場合は、よほどのことをしでかさない限り「大」失敗は起こらない。
(多少、野菜が固くても、野菜炒めは野菜炒めとして成り立つ。)

というわけでお菓子作りこそ、要領のよさが試される。

簡単に済ませられそうな種類の、ある程度の量の仕事が一気に降りかかってきたときに、ちゃかちゃか片付けるあの感覚に少し似ている気がする。

自慢じゃないが自分は業務処理能力は結構高いほうだと思っている。
というのも「適当さ」があるから。
時々、度を過ぎますが。

****************

今日は曇り空。半袖短パンでは寒いですねこれは。
サンダル好きの私はまだサンダルをしまいたくないんですが。

Thursday 22 September 2011

台風一過

久しぶりに九州の台風を思い出すような雨風だった。
いや、雨はそれほど強くなかったのだ。風がすごかった。
電車に乗る用事は午前中のあいだに済ませておいてよかったと思った。
夕方には強風のため電車が完全に止まってしまったらしく、駅は待ちぼうけをくらった人たちであふれていた。
近くの店の人に聞いたら、「2時間くらいこんな感じ」らしい。
地べたに座って待っている人もたくさんいた。
それだったらいっそのこと近くの飲食店で時間をつぶせばいいのに、と思った。
その気力も無かったのだろうけれど、ボウリング場もカラオケも居酒屋もある駅なのだからこのさい、楽しんでしまえばよいのに、と暗い顔のおじさんたちを見て思った。
FacebookやMixiを見ていたら、どうせ帰れないからと言って漫画喫茶で漫画をよみあさる友人や、居酒屋でのむという友人は何人もいた。そっちのほうが良いと思う。

と言っても、実際、きのうのような電車ストップの事態に自分も巻き込まれたらたまったもんじゃないです。
2泊3日の海外旅行なんてとんでもない話だった。

台風がおさまってから、実家の母親と電話で話していたら、次は地震がきた。
たいした揺れではなかったが、んー、まー、なんという災害大国…!

昨日はそんなこんなでうちに居たので、パンを2斤と、ブルーベリー・マフィンを6つ、ひさしぶりに焼いて、これまたひさしぶりにごはんを炊き、夕飯には豆とトマトと卵の料理をつくった。これ、なんという名前なのか分からないけど、作り方はだいたいカレーに似ている。暑くない季節は、うちではこれをしょっちゅう作る。

台風一過。
今日は良い天気。
お散歩にでもでかける。

Wednesday 21 September 2011

家と、こころと、身体には手入れを

ようやくお休み。

土日祝日も休まず働き続けた。
しっかり寝たつもりだが疲れがとれない。
はじめは、この連休を使って近場の海外にでも行こうかとしていたのだが、行かなくて良かったと今となっては思う。
疲れをとるのに、そして仕事を忘れるのに、少なくとも3日は必要である。

ここ数日間はずっと、夜に会議があった。
あまり参加する意味の無い会議だが、強制参加が求められる。
出勤時間は変わらないのに、退勤時間は遅い。
12時間、つまり1日の半分を職場で過ごすのである。
たとえば8時間の睡眠を確保したら、残りは4時間しかない。
通勤が往復だいたい2時間。

ということは、家にいて起きている時間はたったの2時間。
その時間は、お風呂に入るか食べるかという、人間として生理的欲求を満たすために使うのみである。

これはもっとも避けたいと思う生活パターンである。

掃除も洗濯も料理も、ここ数日全然できなかった。
手入れをされていない状態が続くと、家は雑然としてくる。
手の込んだ料理を食べることもなく、自分の身体をゆっくり休めて労わることもなく。
するとだんだんとこころも荒んでくるようなきがする。

たった4,5日間、これが続いただけで、自分の身体と心が故障しそうになっているのがわかる。
それは目に見えるものではなく、「不調」としてだんだんと感じられるようになる。

一般的な話。
仕事に時間をかければかけるだけ良いと思っている人たちが世の中には多すぎる。
中高生、学生だってそうだ。
要領よく業務を片付けるすべを知らぬまま大人になってしまい、結局毎日残業してストレスをためる羽目になる。

きのう同僚とその話をしていたちょうどその時、目の前にあった本(というか雑誌)のタイトルが「仕事が速いひとになる」とかいう類のものだった。

下には小さく

「6時に帰る仕事術」
等の見出しが書き連ねてあった。


本当に仕事がはやい人は、こんな本を買わない。

Thursday 15 September 2011

息をつくこと

水曜日は重い。
スケジュール的にはなんてことないはずなのに、会議があるから。
なんというか、あの、午後4時をすぎてからの始終見張られている感じがとてつもなく居心地を悪くさせます。


そんな重い一日だからこそ、時間を見つけて職場を抜け出します。
スタッフィーな職場を。
 少なくとも、週に1回は、30分以上、外の空気を吸うのです。 
そうしないと息がつまっちゃうから。

(といっても一時間の休憩は認められているから悪いことでも何でもないのだけれどうちの職場ではだれもゆっくりと休憩をとろうとしませんからこういうのはめずらしいのです) 

やるべきことはのこっていたけど、とりあえず、ちいさなカメラをもって近くのうどん屋さんまで歩きました。 

オフィス街のうどん屋。 
ピーク時を避ければ、ここは結構ゆっくりできます。 

ちなみに私は冷たいうどんが好きです。 
冬でも、冷たいうどんが好きです。 


Tuesday 13 September 2011

7年前のきょう

9月13日は、たしか、留学に旅立った日だったと思う。
2004年のことだ。かれこれ…7年も前になる。
留学のことを話すときはいつも「5年くらい前」と、きまり文句のように口にしていたというのに、実際のところ「5年前」は2年前に過ぎていた。

あの日は両親がとても心配していた。
家族が空港までついてきた。
朝早くに家を出た。
母親が、例によって、緊張のあまり眠れなかったらしかった。
おにぎりを作っていた。

家族のなかで海外に住んだ経験のある者は誰もいない。
それどころか日本を出た経験さえ乏しい。
ほとんど頼りになる情報の無い状態で、両親は私を送り出した。

空港まで父親が運転をした。
みんなで、空港で食事をした。

ろくに準備もしないまま、そして着いて最初の日にどこに寝るかも未定のまま、スイス行きのシンガポール・エアラインに乗り込んだのだった。

当時は、北周りでヨーロッパに行くのは南回りでいくのよりも断然時間が短縮されるし疲れずに済むのでよい、なんてことも知らなかった。
1度もヨーロッパに行ったことがない状態で、ヨーロッパに住もうと決めたのである。

怖いもの知らずだったなあと本当に思う。

ただ、大げさな言い方かもしれないが、あの日から色々なことがまわり始めた。
人生が大きく転換しはじめた時だった。
若干、20歳。

いつか自分に子供ができたら、地球の裏側に、ひとりで、送り出してやることができるだろうか。
不安ながらも私に留学を許してくれた両親に感謝してもしきれない。
彼らの援助がなければ今のわたしは無い。

(なんだか英文法の教科書に出てくる例文みたいですね。)


さて今日は、クロスタータを作っている。(この、写真の、アプリコットジャムがいちばんおいしい。)
夕飯はゴーヤ・チャンプルーだった。
ゆっくり、時間がとれるときは、洗濯をして、ちょっと片付けをして、お菓子を焼く。

こういう生活が好きなんですよ、本当は。
今の生活は、標準的な日本人にとっては「ふつうじゃないですか」レベルだろうが、私にはちと忙しい。
願わくば、DVDを見る時間もあると良い。
だからと言って主婦になりたいとは思わないのだけれど。

ということは、あれですね、午前中で仕事終了、というのが望ましいのかしらん。

さてと、ラジオ英会話を聞いて、ストレッチングをして寝るとしよう。
そういえば最近眠りの質が良い気がする。
もしかして、そして願わくば、ストレッチングのおかげなのかもしれない。

Monday 12 September 2011

12日。まだまだ暑い


目覚ましよりも前に起きた。5時50分ごろ。
それでも結構平気だった。やはり昨日の夜はやく寝たのが良かったのだろう。
パンにジャムを塗ったのを食べて、ゆっくり家を出る。

9月は、毎年のことだが、まだまだ暑い。汗だくになる。
いくら水を飲んでも足りない。

最近、江國香織の「抱擁、あるいはライスには塩を」を読んでいる。
長いこと、読みたかったものだ。
やっと図書館で予約の順番が巡ってきたのである。

村上春樹以外に、「欠かさず」読む作家である。
おもしろくて仕方ない。
やっぱりこの人しか書けないな、と思う。
我を忘れて「ワールド」に入り込む感覚、これこそが小説の醍醐味だなあと、久しぶりに、そしてあらためて思う。

きょうは半日お休みをもらって早く帰った。
吉祥寺に行った。平日だが、人はいる。
病院と、役所に行く用事があった。
すべてが終ったころにはもう、普段の退勤時間と大して変わらないくらいになっていた。

日差しがまだ強い。

とおりにあるマンションのガラス戸に映った自分の姿をみて、日焼けしていることを確認する。
別に望んでいるわけではない。
見るたびに「黒いなあ私」と思う。
イタリアから帰ってもう2,3週間が経つのだが、ここ最近でますます焼けたような気がするのはどうしてだろう。
イタリアにいたときのほうが絶対に、日光を浴びる時間は長かったはずなのに。

今日の夕飯はカルボナーラ。
ペンネをつかった。
スパゲティじゃなくても、カルボナーラはできる。

ちなみに、何度もくりかえすが、カルボナーラはクリームスパゲティではない。
クリームなどというものは1滴も使わない。

卵、おろしたパルミジャーノ、ベーコン、それから塩。
それだけだ。
これ以外に入れるとすれば、ベーコンを炒めるときに白ワインを使うくらいだろうか。
むしろこれ以外に入れてしまったら、それはもはやカルボナーラではなくなっている。
どうして日本では
「カルボナーラ=白いクリームスパゲティ」
という式が定着してしまったのだろうか。
いまだに謎である。

ゆでたパスタに、上の材料をすばやく、そして手早く混ぜる。
これがカルボナーラ。

クリームじゃないから、全然重くない。まったくもたれない。

さて、ストレッチングをして寝るとします。
「ターザン」のバックナンバーの中から、「ストレッチ特集」を手に入れた。

ちなみに「ストレッチ」ではなく「ストレッチング」が名詞としては正しいですよね。
では、おやすみなさい。

Sunday 11 September 2011

日曜朝のうれしいできごと

今日は早く起きてしまった。7時半ごろだったと思う。
日曜なのに。
もっと身体は寝たがっていたのだが、なにせ、電車がうるさい。そして暑い。
あきらめて、起きる。コーヒーを飲む。
先日、富澤商店で入手したりんごジャムサンド(気まぐれにしか扱っていないのでいつも手に入るとは限らない)をざくざくと食べる。

混まないうちに、と思って9時過ぎからプールへ。

その帰りにふらりと立ち寄ったスーパーにて。
日曜はいつも朝市でにぎわう。
チーズケーキでも作ろうかと思って、タカナシの生クリームを手にし、レジへ。

すると、後ろからおばあちゃんが「ちょっと」といいながらついてきた。
赤い口紅と、赤いマニキュアをぬった小柄な女性だ。
帽子をかぶっている。
きれいなひとだ。

私に用があるらしい。

「はい」
と返事をすると

「あなた、姿勢がいいわね!」

と褒められた。
たいそうびっくりした。
それほど姿勢に気をつかっていたつもりはなかった。

私「ありがとうございます」
おばあちゃん「あなた、日本のかた?」
私「はい、そうです」
お「めずらしいわ、今の若い子はみんな背が曲がっちゃってねえ。姿勢わるいもの。なにか、スポーツでもやってらっしゃる?」
私「さっき、プールいってきました」
お「あのね、エアロビはいいわよ」
私「はあ、そうなんですか」
お「そうよ、人生変わるわよ」
私「へえー やったことないですけど」
お「私なんか80になるんだけどね」
私「えっ、80歳…!?」

おばあちゃんは人差し指を口にあてて、「内緒よ」と言うようなジェスチャーをした。
これには驚いた。
肌がつやつやしている。
足腰もしっかりしているようだ。

(そこでわたしが「じゃあ一緒にエアロビやります」とでも言えばよかったのかもしれないのだが今のところ残念ながら興味は無いので、まあご参考までにというレベルで話はおさまる。)

「なかなかこんなに姿勢のいい若い人を見ないものだから、これは伝えてあげなくちゃと思って、うしろからおっかけてきた」

のだそうだ。
なんとも光栄なことではないか。

さらに、私は赤いTシャツを来ていたのだが
「赤がとってもお似合いね。赤は元気をくれるわよね。」
と言っていた。

実際に、好きな色はと訊ねられたらと、赤と答えるのだが、似合うといわれると嬉しい。

おたがいに「これからも元気でがんばってください」と言って別れた。

そのあとも私は、このおばあちゃんのおかげですこぶる気分良く過ごせた。

「姿勢がいい」と言われた、ただそれだけなのに、こんなに嬉しい!

やっぱり良いと思ったことはその人に伝えないと、もったいない。
会いたいと思った人には会いたいって言わないと、もったいない。
今浮かんだこの感情を、そのまま流してしまうのはもったいない。
大学生ごろこういうことをよく思っていたし、言っていたし、書いていたのに、今になってそれを思い出した。
ここ数年間忘れていた。

こうやって明るく人とコミュニケーションをとることができるのは、私の経験では、たいていお年寄りである。若い人は、話しかけられるとぎょっとした顔をする場合が多い。まさに「こころの準備ができていない」ような感じだ。

むかしはきっと、もっと、話しかけやすい社会だったのかしら、と想像する。
今80歳ということは、1930ごろに生まれたわけだ。
隣近所どうし、助け合っていかないとやっていけなかった時代、東京はどんな感じだったのだろうか。

もっと住みよい世の中にするには、そんなに難しいことはしなくていいのかもしれない。
意外とシンプルなやりかたで、人は、ご機嫌になれる。
とりあえず今日おきたことと、思ったことを、人に伝えようと思った。

Saturday 10 September 2011

ピクニック土曜日

少し涼しくなったかと思ったら、なんとまあ、昨日と今日の暑いこと!

今日は仕事を早々と切り上げ、友人と待ち合わせをして公園でピクニック。
おたがいに、おにぎりを準備してきていた。
私が玄米で、友達が白米。
友達は、甘めのたまごやきと、ソーセージを焼いたのを持ってきてくれた。
人間観察をしながらぱくぱく食べる。


「おいしいねえ。」
「うん、おいしいねえ。」
「公園で食べるのもいいねえ。」
「うん、いいねえ。」

まじめにピクニックを計画し、朝からおにぎりを準備し、一銭も使わず遊べる友達、そしてこの場所。かけがえが無い。

公園のよさに気付いたのは仕事を始めてからだ。
東京にこんなに大きな公園があったのも知らなかったくらいである。

日陰に入るとだいぶ涼しい。
その点は夏と違うようだ。

私は夏のあいだ日本にいなかった。
日本に帰ってきた頃にはだいぶ涼しくなっていたのだが、やはり今年の夏も相当暑かった、と友達は教えてくれた。

セミがなく。
「つくつくぼーしかなあ」
「うーん。でも、つくつくぼーし、って言ってないよ」
「ほんとうだね」
「みんみんぜみかなあ」
「そうかもね」

ちなみにセミのことをイタリア語で「チカラ」という。
初めて聞いたときは冗談でしょう、と思った。
2匹以上だと「チカレ」。
あくまでもアクセントは「カ」のところにおく。

駅へ向かっていると、ふと明治神宮のくらやみが見えた。
ためしに歩いてみよう、ということになり、砂利道をじゃりじゃり歩く。

じゃりじゃり。

あっという間に、神社の出口へ到着。
それから10分も歩くと、代々木駅に着いた。
原宿駅と、代々木駅がこんなに近かったなんて全然知らなかった。

もういっそのこと、ということで、新宿駅までそのまま歩いた。
私はそこから電車に乗ったが、友人はそこからさらに北上して、歩き続けた。

夕飯は、リガトーニにした。トマト缶と、ツナと、たまねぎ。
今回は唐辛子も入れてみた。
そのほかには、(何度も書くが)、オリーブオイルと塩だけ。
このシンプルさが良い。

なんだか身体がバキバキいう。
きょうはもうこれくらいで寝ることにしよう。
そういえば先週の土曜は、9時前に寝たんだったなあ…

Friday 9 September 2011

スーパーのレジ打ち、秋刀魚のねだん

今日も、なかなか、くたびれた。昨日より暑かったのもあるかもしれない。

朝、いつもと同じ時間に起きるはずが、目覚ましの音に気付かず、ふと起きたときにはそれから20分が経過していた。

携帯のアラーム機能を使っているのだが、どうやら、テーブルや窓枠などに置いておかないと音が聞こえないようだ。ベッドの上に置いておくと、布が音を吸収してしまう。

昨日の夜作ったゴーヤ・ちゃんぷるーをお弁当に持っていった。
最近、ゴーヤを食べる頻度がたいそう高い。
なんとかの一つ覚え、みたいな感じで同じ材料ばかりを買っている。

今日は早く帰ってマフィンかクロスタータを焼く予定だったというのに、結局疲れきっていてそれどころではなかった。


そういえば今日、おもしろいことがあった。
しばらく前から目をつけていた秋刀魚のすしが安くなっていないだろうかと、ふとスーパーに寄った。
質の良いものを売るスーパーなので美味しい。当然ながら、値段もそれなりである。
3つ入りと、6つ入りがあったのだが、6つ入りに3つ入りと同じ値段がついている。
その隣にある6つ入りのお寿司は680円だというのに、この6つ入りのお寿司は340円。
ラベルを貼り間違っているとしか考えられない。

店員が気付いたらそれまで、と思ってレジに持って行ったら、何も言われなかったのでそのまま買って帰った。いわくつきではないはず。おいしくいただきました。


ところでスーパーのレジ打ちの人々って思考停止してますよね。
いつも同じセリフ、同じ動作をやっているとああならざるを得ないのだろうか。
ロボットと同じように見える。
少なくとも私が行くスーパーでは、マニュアルに書いてないことをされると、途端にパニックに陥る。

かれこれ10年前、シドニーに行ったことがあった。
当時まだ高校生だったのだがそこで、レジの人とお客さんが世間話をしている姿にたいそう驚いた記憶がある。
しゃべるくらいなら早く済ませてくれ、と思った。
しかし、なにかしらコミュニケーションをとっていないと、レジの人もそりゃ苦しいだろう。

イタリアでも、スーパーや店では、店員と客どうしでよくしゃべる。
昨日のサッカーの試合結果はどうだったか、とか、訪ねられて盛り上がったりしている。

日本でそういうことしたらきっと店長に叱られてしまうのだろう。
マニュアルに書かれてないことをするな、と。

だとしたら彼らはいったいどこで自分を表現するのだろう。



だったらもういっそのことロボットを雇ってしまえばいい。
そしたら人件費もいらない。

飲食店の店員の態度が悪いからと言って激怒し、窓を割ったというニュースを昨日きいた。
それだったらもう、ロボットにしてしまえばいいのだ。
ちゃんとおじぎのできるロボット。

そうやってみんなコミュニケーションの場を失っていく。
人間の相手をするべく、そこに人間がいるという意味は一体何なのだろうか。



ちょっとくらい天気の話とかしてもいいだろうに。
マニュアルに無いことをやってもいいだろうに。

そもそも、私が知る限りでは、ヨーロッパのレジ打ち係はたいてい椅子に座っている。
それで十分ですよ。欲しいものは買えるわけだし。
(ただし、計算さえ間違えなければ…)

Thursday 8 September 2011

日本人働きすぎ

いやあ、すばらしい天気。やっと夏が終った感じがする。
暑いけど、湿度がだいぶ下がった。

今日は休日。朝は寝たいだけ寝て(と言っても、遅くとも8時には目が覚める)、雑用を済ませ、料理をして、プールに行く。吉祥寺にも行く。

きのうは仕事で腹の立つことがあって、しばらく嫌な気分が続いた。

世に言われることではあるが、職場での自分と、家での自分を切り替えられない人たちが本当に多いと思う。

私生活を投げ打ってでも、仕事に全力投球することが良いことだと履き違えている人たちが、ほんとうに多い。
いや、もしかすると多くないのかもしれないけど、一部にそういう人たちがいると、いやいやながらも従わざるを得ない犠牲者がいっぱい出てくる。

「そこまでしなきゃいけないんでしょうか」とみんな思っているんだけど、怖くて言えず、従う。
そんな日々が続いていくうちに、私生活を犠牲にすることが「文化」あるいは「慣習」となってくる。
慣れは怖い。
自由な時間を優先させようとすると「非国民」ならぬ「非職員」となる。

そうやってギリギリ、限界のところまで自分を追い詰めて体調を崩したり精神を病んだりする人たちがいる。体調を崩すだけではない。顕著なのは「家での自分」がすっかり無くなることだ。つまり、24時間のうち100パーセントが「仕事」になってしまっている人。

朝から晩まで仕事に明け暮れて、家に帰ってもひとり、という状況がたいていの大人たちが過ごしている毎日だと思う。
友達に連絡をとる暇も、会う暇も無く。

とくに女性は、仕事に打ち込んでいて、気がついたら子供を産める年齢を過ぎていた、というのはよくある話なのだと思う。
考えるだけで恐ろしいが、実際、社会はその傾向を推し進めてきた。
バリバリ仕事をする「キャリアウーマン」が女性のモデルとして掲げられてきた。
それで今さら問題となっている「少子化」。


人生は仕事でなりたっているわけではない。
職場での顔もあれば、家庭人としての顔もある。
夫として、妻として、親として、子供として、友人として、さまざまな顔がある。

さらに自分の身体という、必要不可欠かつ優先順位の高いコンディションがもうひとつある。

それらすべてのバランスがとれて初めて、いろんなことが動き出すのではないか。

あまりにも自分の身体の声を聞けない人が多い。
周りの人は忙しすぎてそういう同僚がいることに、気付けない。

友人と会う時間も無く、まともな食事をとる時間もなく、恋愛さえできなくなっている人たちを、どうにかして「ゆるめ」てあげられないのだろうか。

我々はロボットではない。身体には限界がある。いくら体力があっても、生物として生まれた以上、いつか滅びるし、生物としての欲求がある。
身体が出すサインを無視し続けると、怖いことになると思うんですが。
私はこの社会に危機感を抱いている。

Tuesday 6 September 2011

6日のこと


とりあえず何か書いてから寝るかな。

今日の朝は、ヌテラをぬったパンを食べました。幸せな気分になります。
昼にはお弁当を持っていきました。
玄米とトマトとたまご。これ、ものすごい頻度で作るんだけど、サラダなのか、ごはんなのか分かりません。オリーブオイルと塩かけただけなのにほんとうにおいしくて飽きない。
夜はゴーヤをいためました。
それと、そうめんを1わ、ゆでました。
ゴーヤは最近よく食べます。

きょうもつかれました。
きょうが何曜日なのかもわからなくなってきました。

明日まで働けば、あさっては休みです。
さてそろそろ寝ることにします。
おやすみなさい。

Sunday 4 September 2011

踊るコマーシャル・メッセージ

「日本のCMはどうして踊ってばかりなの」


とイタリア人から聞かれたことがある。
「そんなことは無い」といいながらもちょっと見てみると確かに踊ってばかりである。
いや、でもCMってそもそもそんなものでしょと思ったけどふと気付くとイタリアでこれほど踊るCMは見ない。変わりに官能的な映像とナレーションが多い。携帯電話のCMでも水着のお姉さんが出てくる。人間の本能に訴えかけるという点では後者の方が強いのかもしれない。
しかしダンスも悪くないのではと思う。コミカルな動きで印象を残そうというねらいなのだろうけれどとにかくみなさんちょっと気にして見てみて下さい。
本当に踊るのばっかりなんですよ。

Saturday 27 August 2011

床とお風呂

24日の昼ごろ日本に戻った。
いつものような浦島太郎感は特に無く、すんなりと日常に戻る。
仕事もぼちぼち始まった。

1ヶ月ぶりだというのに特に新鮮に感じるものが無いのも妙だなと思っていた。
しかし、家に帰宅したときのフローリングが素足に触れる感触がなんともいえない心地よさで、思わず、

「嗚呼」

と声が出たくらいだった。
床が、石でも大理石でもない。
この、「ひたひた」する感じがやっぱり好きだ。
ストレッチングもすぐできる。

ヨーロッパではいつも立つかソファか椅子かベッドかという感じなので、「地」に腰を落ち着けられない。
という話をしていたら韓国に留学していた友人が「韓国もそんな感じ」と言っていた。

ちなみにこんなに日本と近いところにある韓国だが、日本のようなお風呂文化は無い。
バスタブはあるが、浅くて細長いところが多い。

そう、お風呂。

これも1ヶ月ぶりにゆっくり浸かることができた。
やはりお湯につかるのは欠かせないとしみじみ思う。
身体の血がめぐる感じがする。
1ヶ月お風呂に入らなかっただけでも、身体の(とくに下半身)にリンパとか血液とか脂肪とかが留まっているような感じがしていた。
ただでさえ私は血の巡りが悪いのだ。

というわけで帰ってきてすぐに感じたこと二つ。床と、お風呂でした。

Thursday 18 August 2011

ローマ・レポート 街路樹の枝切り

お盆が過ぎたので日本はそろそろ涼しくなってきたのだろうかと思ったらどうやらそうではないらしい。
この夏最高気温を記録しました、というニュースを見た。ふぅー。
ますます帰りたくなくなる。


ローマは本格的にすっからかんである。
先週末までにみんな旅立ってしまったからだ。


ローマには街路樹が多い。
たいていポプラや樫の木である。
多いだけではなく、大きい。何年前に植えられたのかは分からないが背の高い街路樹が茂っている。


そのまま茂ってしまっては通行の妨げとなる。
たとえば、信号が枝に隠れて見えなくなったりする。


というわけで時には枝の切り落としが必要となる。
ふだんの交通量を考えると、とても昼間にはできない。

そのため、人がいなくなるこの8月の休暇中を使い集中的に行われるらしい。

作業が始まる数日前には、赤と白のロープが歩道に、派手に張り巡らされていた。
しかも結構な距離である。

なんでそんなことをするのか、と思っていたら、ロープに紙切れがくっついている。

「枝を切り落とすから、下に駐車してたらあぶないよ」
と書いてあった。

うーむ。
なんという警告方法。

作業当日、朝8時ごろ、通りから「がががががが」と音が聞こえ始める。
歌声まで聞こえる。

興味深かったので外に出てみた。
怒っているのか、嬉しいのか、注意しているのか、歌っているのか、もうどうでもいいけど、とにかくおじさんたちが叫んでいた。

クレーン車にのって、すごい高いところの枝を、ばっさばっさ、と切り落とす。
下に誰がいようとお構いなしである。

通行人に注意を呼びかける人なんていない。
そんな担当は無いのだ。
歩く人が、注意して歩けばよいわけである。

しかもクレーンの先っちょで枝を切ってるおじさんをよく見ると、なんとヘルメットをかぶっていない。
どこまでいい加減なんだ。

ちなみにこの人たちはただの「作業員」であり、「庭師」とかではない。
樹の、どの部分の枝を切り落とすとバランスがいいとか、あまり気にしていないように見えた。
そりゃ切り落としすぎじゃないの、と気の毒に思えるほどに切り落とされた樹もあった。


ちなみにこの間、いきなり道路が片側封鎖された。
先に決まっていたことなのか、その日に決まったことなのかはわからないが、市の警察がやってきて交通整理をしていた。
そこに来る人たちは当然そんなこと知らなかったわけだから、車一台一台が、警察と話す羽目になる。
「木の枝を切り落とす作業をしていて、ここからさきは作業が終わるまで封鎖なのよ」
というのをいちいち説明している。

たちまち渋滞が起きる。
そもそも車の数が少ないので、まあそんな渋滞にはならなかったが、みんな「マンマ・ミーア」「しょうがないわね」と言いながら周り道をしていった。

近所の、おしゃべり好きのおじさんがとことこそこまで出て行って今度は警察と世間話を始めている。
ちなみにこのおじさん、住人いわく、経営しているはずの店では見かけたことが無い。
いつも妻と娘二人が店番をしている。

作業は2日かけて終わり。

おじさんもついにバカンスに出かけてしまい、しかも今日は日曜日ということで開いている店はほぼ無い。

お土産を探しに行くのは、明日にしよう。

Wednesday 17 August 2011

ローマ・レポート イタリアを離れた

13日から昨日まで、セルビアに行ってきた。
ベオグラードで働いている友人を訪ねていった。
ベオグラードに住む予定であるという話を聞いたのは去年のことだった。
当時、「来年の夏なんて、訪ねて行けたらいいだろうね」と話していたのだが実現したわけだ。

ベオグラードは小さな街で、動きやすかった。
東ヨーロッパに行くのは初めてだったのだが、東であれ西であれ、ヨーロッパはヨーロッパである。
人間も街も、イタリアとぜんぜん別物!という感じはしなかった。

ただ、イタリア人のアグレッシブさと陽気さと声の大きさに慣れていると、なんだか物足りなく感じる。人間は結構静かで、車の運転もローマほど荒くはなく、道で喧嘩している人も見ない。
炭酸の抜けたコーラというか、そんな感じ。
街全体が、ぐぉおおーっと迫ってくるような、そんな感じが無かった。
帰ってきてから気づいたが、三日間で一度も救急車を見なかった。
ローマにいると救急車のけたたましいサイレン音を1日に5回は聞く。

人の「適当」加減は、イタリアと同じ。ヨーロッパはどこでもそんな感じだ。
いや、日本人の目から見れば世界中どこでも、だいたいそう見えるかもしれない。

街にいるハトとかネコとか、なぜか黒かった。
汚れているのかそもそもその色なのか。

建物の壁はもう、崩れそうで、いろんなものがぼろぼろなのだが、特に直そうとしている様子は無かった。たぶん来年行ってもまたこんな感じなのだろう。

物価は、安い。お金があればここではけっこうな贅沢ができる。
ドナウ川が見渡せる船上バーで飲み食いしても、1000円にも達しない。
日本人はみんなびっくりするだろう。

セルビアの一般の人の平均月収は3万円くらいだと聞いた。
初任給でたいてい20万が確約される日本のような国って実は世界にそんな多くない。
という事実を以外と我々は知らない。

タクシー運転手の話によれば、共産主義時代は、もっとよい生活ができたらしい。
ユーゴスラビア連邦が終わってから、貧しくなった、と。

ローマの空港に着き、タラップをおりると暖かくてやや湿ったローマの風が吹いた。
パスポートコントロールを終えて到着ゲートの扉が開いた瞬間、イタリアのにおいがした。
コーヒーの香りだろうか。ああ帰ってきた、と思った。

帰宅は夜11時を過ぎていたが、満場一致(二人しかいないけど)でパスタをゆでた。
トマトをたくさん切って、オリーブオイルをかけて、シンプルなパスタを食べた。
ほっとして、眠りについた。

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(追記です。)

話題の場所を目的地とした「主要箇所はとりあえず行ったことあります」みたいな海外旅行もいいけど、やっぱり知人友人を訪ねて行く旅はぜんぜん違う。
より街に馴染める感じがするし、その土地への想い入れみたいなのが変わる気がします。
友人が毎日息をしている街はいったいどんなところなのだろう、と、違った方向からの興味がわきます。

日本語学習中の大学生にも会いました。

公園で日本人観光客を見かけ、嬉しそうな顔をしていきなり「日本人ですか」と話しかけていました。
それを見て、なんかもー、こっちもうれしかった。
その、意欲が手に取るように伝わってきて。

その大学生に「せんせー」と呼ばれ慕われるる友人を見てまたうれしかった。


日本語や日本の文化が、本やインターネットではなく、人から人に伝えられる様子を目の前で見て(珍しいことではないんだけど、あらためて)ちょっと感動してしまった。

ある文化と文化のあいだには、小さな誤解や勘違いが生まれます。
それは結構避けられない。

だけどこうやって少しずつ誤解は解けていくんですね。
「イメージ」だけで語るレベルからだんだん上昇していく。
いつも、世界中のどこかで、少しずつだけど理解は深まっているんだと思った。
日本とセルビア、という話ではなくて、あっちこっちの文化で。


それぞれがその一端を担えるわけです。
だから、やっぱり外に出ないと、と思います。
もっともっと、人と話さないと。

遠くから一方的に憧れたり、憎んだりしているだけでは近づけない。


「○○人は…だ」

と、実際に目で見たことすらないのに一般化をしている人って世界中どこにでもいます。
実は危険なことだと思います。


…と、実際にセルビアを見た者として、今回感じたことを人に伝えなければ!
と思いました。


あと、今回はキリル文字がぜんぜん読めなくて困った。

Friday 12 August 2011

ローマ・レポート 休暇について

昨日もまた海に行った。
おとといよりもっと遠い海。そこそこきれいだった。
日焼けについてブログを書いた後に、日焼けをしてしまった。
なぜか右の太ももが熱い。
左は平気だというのに。
はっきりとは覚えていないのだが、おそらく、日焼け止めがどのくらい効くのか試したくて左にだけ塗ったのかもしれない。
一晩たった今、やっとほてりがおさまった。
ビーチに寝転がるのが気持ちよすぎて、何度か眠った。
この開放感はたまりませんね!
やっぱり夏が好きだなあ。
そろそろ本格的に、街から人が消え始めている。
今週が終わるころにはほとんどの人が休暇に旅立っている。
もっと早くから行っている人も、もちろんいる。
たいていの人が海を目指す。
そして今月末まで帰ってこない。
大人も、子供も、少なくとも2週間は休む。
3週間休んだって特に長くはない。
だからローマの街は本当に観光客だらけである。
買い物をするとしたら今週中にしておかないといけない。
なぜなら来週にはほとんどの店が閉店してしまうからだ。
街が空っぽになるなんて、東京では本当に想像できない。
働くなといわれても働かずにはいられない国民なのである。
私の同僚でも、頼まれてもいないのに日曜にも出勤している人がいる。
仕事が終わらないから、と言っていた。
ご苦労なことである。
日本にはよく「暇になると何をしていいか分からなくなる」という人がいる。
分からなくは無い。
東京にいると時々そう感じることもある。
常に動いていなきゃいけないような気がする。
だからやっぱりすべてスイッチを切って、日常から遠ざかってしまうのは必要だ。
自分のいた環境をちょっと客観的に見る機会が、時々は与えられるべきだと思う。
あの街はやっぱりどこか狂っていると思う。
全員が一斉にある方向に動き出したらそれに倣うのが日本人の習性だが、まさに、身体を酷使して働き続けることもそのひとつだろう。
自分の身体が出しているシグナルに耳を傾ける余裕さえない。
これって怖いと思うんだけど。
身を滅ぼすことになると思う。
いや、実際のところかなり心身の破壊は進行してしまっているように見えるが…
全員が一斉に動き出す、という習性が「全員が3週間休暇をとる」という行動に出てしまえばいいのになあと思うんですけどね。
全員が必死で働かないと機能しないような社会は、システム上破綻しています。

Thursday 11 August 2011

ローマ・レポート 乾燥と日焼け

数年前までは、夏の旅行をだいたい2週間としていたのだが、それが徐々に長くなってきて、結局今年はほぼ1ヶ月となった。
もし2週間だったらもう今頃帰路についていたのかと思うと恐ろしい。
というのは言いすぎかもしれないが、やはり今ここで去るのは考えられない。休みきっていないからだ。
昨日はFregeneというところまで行った。ローマからはそれほど遠くない。
海があるのだが残念ながらあまり綺麗ではなかった。
2000年前は、モルディブみたいに綺麗な海だったそうだ。
ここ最近、昼に眠気がやってくる。
夜も8時間以上は寝ている。
なのに昼ウトウトしてしまうのだ。
東京ではこんなこと無かった。
東京では、寝ていても神経が逆立っているというか常に緊張感があって、完全にリラックスすることができない。家は狭いし、暑いし、外に出ても人が多くてストレスがたまるし、常に何か「たまっている」「張りつめている」状態である。
やっぱり夏休みって必要ですね。
仕事とかいやなことからただ遠ざかるだけではなくて物理的に距離を置いて、文字通り遠ざかるのは大事だと思う。
ところでヨーロッパは本当に乾燥している。
ここ数日、ますます乾燥がひどくなってきたような気さえする。
雨がぜんぜん降らない。
今朝なんて、肌と唇の乾燥で目が覚めた。
ニベアの、超乾燥肌用ボディクリーム(青いボトル)があるが、日本では真冬にしか使わないあのクリームが今、欠かせない。
あとは、ハンドクリームとリップクリームも必須。
化粧水はきっと足りなくなるだろうと思っている。
当然ながら髪もパサパサする。
先日、ベトナムとカンボジアに行ったときに、人々が、日本人以上に童顔だと感じたのだが、もともとそういう民族であるのに加えてやはり湿度も関係しているのだろうと思う。
ヨーロッパにいると、老ける。
乾燥していて、しかも日差しが強いので、肌には一番良くない環境である。
それにもかかわらず、ここの人たちは
「ちょっと太陽浴びてくる」などと言って、午後2時とか3時とかの一番紫外線の強い時間帯に日なたに寝ころがったりする。
一応日焼け止めは塗っているらしいのだが、やっぱり肌には良くないだろうよ、と思う。
50代を過ぎた女性のデコルテや腕をみると、紫外線でぼろぼろになっているのが分かる。
それでも焼き続けるのだ。
私は女優ではないので、それほど必死になって手袋や日傘や帽子を使ったりすることはない。日焼け止めを塗って肌を守ろうとはする。
サングラスは使う。袖の無い服でも太陽の下を歩ける。
ただ、ヨーロッパ人ほど堂々と紫外線に身体をさらすことはできない。
小麦色に焼けた肌というのはやはり健康的かつセクシーなので、みんな憧れるのだろう。
ジゼル・ブンチェンとか、道端ジェシカとかの肌を思い浮かべてほしい。あんな感じ。
しかし日本人の顔にはやはり白い透き通るような肌が合う。
舞妓さんとか究極ですけど。
この街で日傘に腕カバーに帽子といういでたちの日本人観光客を見るとやはり首をかしげたくはなるが、同時に、その努力に感心する。
ここまでして肌を守ろうとする民族はなかなかいないですねところで。
ま、私もやれるだけのことはやろうと思っている。
あー、でも、無理かなー。
面倒がりの性格がこういうところで出る…
日本から持ってきた日焼け止めがこっちの太陽に負けている気が、すでにしている。

Wednesday 10 August 2011

ローマ・レポート バールについて

イタリアにはスターバックスが無い。
タリーズも、ドトールも、エクセなんとかも、無い。

必要が無いのである。

ではどこでコーヒーを飲むのか。

答えは「バール」。
(Barと書くのだが、アルファベットを書いたとおりに読むイタリア語では「バール」という発音になる。朝も昼も開いており、日本でいう「バー」とは違う。)

どこの街、道でも、少し探せばたいていすぐに見つかる。
いわゆるカフェですね。
朝は早くから開店している。

たいていのお客さんは、一週間のうち5日くらいはそこに足を運ぶような地元の人たちなので、注文するものはすでに決まっている場合が多い。

世間話をしながらパクパク食べて、「じゃ、よい一日を」といいながら出て行く。

私も、家の前のバールでは顔を覚えられているので、入ると「カプチーノね」と言われる。

たいてい、メニューというものは無い。
お客さんはいつもBuon giornoと言いながら入ってきて、
「カプチーノひとつ」とか
「カフェ・マキアートひとつ」とか
「エスプレッソひとつ」とか
それぞれに、カウンターに向かって注文する。

朝はこれに、コルネットなどの、日本で言うと甘い(デニッシュ)パンを注文する。
ペイストリーっていうんでしょうか。
パンとはだいぶ違う。

中に入っているものはあんずジャムだったりチョコレートだったりクリームだったり様々である。
ちなみに商品名なんてどこにも書かれていない。
適当に並べてあるだけだ。
どうやって見分けるのか。

店員に聞くしかない。

前述のとおり、いわゆる「メニュー」は無いことが多いのだ。


ところで、不安になりませんか、メニューが無いって。

私は初めて飛行機に乗ったときに「何になさいますか」と飲み物を聞かれて、答えに困った。
そもそも何があるのか聞かされてないんですけど、と。

しかも、知らない店に入る場合は、たいてい、値段が気になる。
メニューを見ないと、店に入るのを決断できない。

なんてことありませんか。

普通はそうなのだが、たとえばここで法外な値段を請求されることは(日本人だからといってナメられてだまされる場合を除いて)無い。

カプチーノは1ユーロ(110円くらい)
ペイストリーは80セント(90円くらい)

相場はこんな感じである。
というわけで、こんなに満足で暖かい朝ごはんが200円程度で食べられる。

もう、こんなのを知っちゃったらスターバックスのコーヒーなんて飲めない。
1杯で300円を超えるというのはいささかの異常さを感じずにはいられない。

事実、イタリアには1件もコーヒーチェーン店が無い。
チェーンのカフェが入ってきたとしても、営業が成り立たないのである。
個人が営業するバールがこんなに安くておいしいのだから、必要が無い。

たとえばコーヒーチェーン店で一番有名なスターバックス。
同じヨーロッパでも、イギリスでは結構流行っていたし、イタリアとどこか似た感じのするスペインにもスターバックスはあった。

でもここイタリアでは今のところ1件たりとも見かけたことが無い。
もしかしたらミラノあたりにはあるのかもしれないけど、首都ローマには無いようだ。

しかも人々はスターバックスが入ってきていないことを誇りにしている。
僕らには必要ないから、と。

そもそもファスト・フード店が少ない。
ローマにはマクドナルドとバーガーキングがそれぞれ2件あるが、まあそれくらいだ。



どこに行っても同じ味が手に入る、というのはチェーン店の利点。
マックのポテトが食べたいと思ったときにすぐ探して手に入るのは便利なことだ。

ただ、そこでしか手に入らない味と雰囲気と、なによりもそこにあふれる人情を求めて、人々が集うバールを見ていると、こういう場所の貴重さを感じる。

郷里で、家の近くにあった小さな店がちょうどこれに近い存在だったかもしれないと思いだす。
店主はたいていのお客さんの顔を知っている。
近所の奥さんが「豆腐はあるかいね」と言いながら入ってくる。
世間話をしながら「じゃまた」と帰っていく。
50円玉を握り締めて駄菓子を買いに通った20年前の記憶。

いろんなものが、どんどん便利になり、加速しすぎて、人と人とのつながりが薄くなっていく。


昨日、ボルゲーゼ公園でごろごろしていたら日傘を差した日本人女性が一人歩いていた。
(ちなみにイタリアで日傘を差しているのはたいてい日本人だけ。)
道に迷ったらしく、立ち止まった。

即座に i phoneを取り出し、調べ始めた。

嗚呼、こうやって便利な機器はコミュニケーションの場を奪っていくのだと思った。

そこで周りの人に聞くことで会話が生まれるのに!
周りに、生身の人間がいるのに!!
そこから恋が芽生えることだってあるかもしれないのに!!!

ま、極端な例ですかね。
私もいふぉーんとかいぱっどとか欲しいわけですし。

ともあれ、イタリアに行く機会のある人は、ぜひバールに立ち寄ってみてください。

ちなみに、バールで一人日本人が働いていたら面白いだろうなと思う。
日本と同じ接客態度でちょこまかハキハキと動いていたらきっとそこらじゅうで話題になるだろうなあ。
日本人の勤勉さは輝くだろうなあ、と。

さて、今日もいい天気です。
海にでも行きましょうかね。

Tuesday 9 August 2011

ローマ・レポート 2週間が経とうとしている

もう8月9日。ローマに来てそろそろ2週間が経とうとしている。
あと2週間経ったら何て言っているか分からないけど、今のところ日本が恋しかったり懐かしかったりはしない。
日本にいても、和食よりイタリア料理を食べることのほうが多いくらいなので、日本食が食べたいとも思っていない。今のところ。
だいたい3週目くらいから日本のことを考え出すので、まあ、様子を見て見ましょう。
昨日は昼がパスタで、夜はピツァでした。
聞いてるだけだと、カロリー大丈夫なんですかという感じがするけど、実際、身体に悪い成分で作られたものではないので、アメリカ人みたいにぶよぶよ太ることは無い。
畑からとってきたトマトを切って、モッツァレラを切って、パスタをゆでて、オリーブオイルを入れて、バジリコを2,3枚入れてぐるぐる混ぜる、それだけなのに本当においしい。
日本のお店で作られるパスタって、いろいろな調味料をたくさん入れてあって、どうしても化学の味!がするので苦手。
おうちでこんなにシンプルでおいしいのが作れるのに、お店にわざわざ食べに行くことは、日本ではまず無い。
さて、バールに行って来ます。遅いけど、朝ごはん。

Thursday 4 August 2011

ローマ・レポート 身体的距離について

ブログ書きたいんだけどうまくいかない。エラーばかりおきて書く気が失せるので、別のにしようかなとすら考えている。
ローマに来て一週間が経った。ゆるい日々を過ごしている。
いつものことだが、ヨーロッパ人どうしの身体的な距離について考える。
初対面の人には握手をして自己紹介をするが、2回目以降は必ず両頬にキスをする。
たとえばその日に一回会うとすれば、会ったときと別れるときの二回ともこれを行うので、計4回、ほっぺにチュ。
フォーマルな場であっても、これが常識である。
もしパーティに30人の参加者がいれば、その会場を去るときにはもちろん全員に挨拶をするわけだから、帰るだけでも60回の「ちゅ」である。
もっと親しい人どうしだと、ことあるごとに抱き合う。
(お母さんの作ってくれたごはんがおいしくて、とか。)
頭やほっぺにいつもちゅっちゅしている。
両親の肩に手を置いてしゃべる(肩もみではない)とかはごく普通のことである。
親も親で、子の頭をよくなでる。
小さい子を見てみるとすでに明らかな違いが見えて面白い。
昨日、1歳半の女の子に会ったのだが、周りの皆のほっぺに、順番にキスをして回っていた。
以前会った、2歳の男の子も、魚のかたちのおもちゃを手にして、じっと見つめた後、何をするかと思いきや、ちゅ、ちゅとキスをした。日本で、おしゃぶり以外見たことなかったのでこれには結構感動してしまった。
両側の頬にキスをするとき、右からなのか左からなのかよくわからないときが多くて、イタリア人に聞いてみたが「えーっと…考えたこと無い」という返事が来た。
ふむ。そりゃそうですね。
生まれたときからこれが習慣だとしたらいきなり説明はしませんもんね。
 
最後に自分の両親に「触れた」のがいつだったかさえ覚えていない私にとっては、何度体験しても、見ても、ものめずらしく新鮮な行為であり、すっかり感心してしまう。
私は人に触れるのもあまり慣れていないし、人に触れられるのもあまり慣れていない。
イタリアでこういう人たちを目にしてからは、だいぶ身体のバリアが弱まったとは思うのだがそれでもやはり母親に抱きつくなんてのは想像できない。
それでも、である。
そのイタリア人が感心(とあこがれ)する地域がある。
あいつらのアツさに比べちゃ、おれらはかなわねぇよな、という地域がある。
どこか。
答えは、南米。
ここではよくブラジル人の話がでる。
ヨーロッパ人よりもっともっと、身体的に親密なのだそうだ。
南米に行ったことは無いが、知り合いを考えてみるとそうだったかもしれない。
じゃあアジアはみんな日本人みたいかというとそうではない。
韓国に行った時に、よくみんな触れあっていたのを見て驚いたことがある。
なんで日本人は相手に触れないのか、と聞かれた。
うーむ。
なんででしょうね?
ひとつには、島国だから大陸の「抱き合う」文化が入ってこなかったというのがあると思う。
けどそのくらいしか思い浮かばないんですよね理由が。
ちょっと調べてみようかしら。
さーて、朝ごはん食べに行ってきます。

Monday 1 August 2011

ローマ・レポート

先週木曜からローマにいます。
日差しは強いけど湿気が無く、日陰に入るととても涼しくて、朝晩は寒いくらいです。

まったく汗をかかないかわりに、肌が乾燥してしまう。
アジアの湿度がやや恋しくもあります。

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3月11日、揺れる島の上で「今、地面から足が離れたらどんなにいいだろう」と思っていました。飛行機に乗ってれば何も感じずにすむのに、と。


だから成田から飛行機が発った瞬間、何か起きるなら今のうちに起きてくれ、とさえ思いました。(地上にいるみなさん、すみません。)

そしたら先日、どうやら東京で結構地震が起きたらしいですね。
まあ1ヶ月も東京を離れるのでその間に何か起きないわけは無いと思っていたのだけどあまりにも早速だったのでびっくりしました。
だいじょぶだったのでしょうか。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

私は毎回、飛行機にはなるべく最後に搭乗します。
というのも、あの狭い場所に閉じ込められる時間をなるべく短くしたいから。

今回、私の後から数人やってきました。
(ま、そういうこともあります。)

でも大きなカメラを抱えた人たちが、ふと気づくとゲートのところにかまえている。
そしてぱしゃぱしゃ撮影している。

「誰か有名人でもいるんですかね」

と近くにいたおばちゃんズにたずねたら、口をぱくぱくさせながら私の後ろを指差すんですね。

顔はよくわからなかったのですが、なでしこジャパンの有名な選手だったらしいです。

ま、たとえ顔を見ても名前わからなかっただろうなー

それにしれも空港のゲートまでテレビ局が嗅ぎつけるなんて、いい迷惑ですね。それよりもっと報道しなきゃならんことがあるんじゃないのかねと思いました。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

首都とはいえ、ローマは落ち着いていて、バールのお兄ちゃんとゴミ収集車以外は誰も働いていません。
(どこかで妖精や小人が働いているのかもしれませんが少なくとも私の目には見えません。)

相変わらずみんな店の入り口や道端でぺちゃくちゃおしゃべりをしています。

みんな、家族と、あるいは友達や恋人と「ヴァカンツァ(おやすみ)」に出かけてしまっているのでだんだんと街はからっぽになってきます。


ありとあらゆる話題が

「vacanzaだからいいんじゃない」とか、
「だってvacanzaですもの」

で締めくくられます。

(年中言っているような気もしますが。)


肩なんて凝ったことないんだろうなー、この人たち。
はぁ。


このお気楽な国で、今月末までお気楽にいくとします。

Sunday 24 July 2011

オニババ化する女たち

最近ブログの調子がおかしい。以前もこういうことがあった。
投稿された記事がすべて記号になってしまったり、保存されなかったりする。

だからメモ帳に書いてからコピペすることにしよう。

ここ最近涼しい日が続いている。
先日、おそらく20日前後に、台風が来るかもと騒がれた時からだ。
9月みたいな感じで、風が少し冷たい。汗もかかない。

今日からはまた少し暑くなるらしい。
だって7月ですものね。このままだとおかしいです。

最近また本をよく読むようになった。
といっても内田樹さんの本ばかり。
私が読むのが早いか、内田先生が書くのが早いか、というくらいの早いペースで新しい本が出されるので、あと1年くらいは読む本に困ることは無さそうだ。

なぜこの人の本ばかり読むのだろうか。
たとえばほかの人の文章を読んだところでイマイチ読む気にならなかったり、頭に入ってこなかったりする。
読んでも「それは違う」とか「くだらないことを言っている」とか「浅い」とか思ってしまう(のだ。たぶん。ここ最近全然読んでないから分からないけど)。
読んでいてここちよい。
読者に「わかるように」書いてくださっている。
難解なことをさらに難解なことばで書き綴る人がいるけど、彼はそうじゃない。

だから内田先生が信頼する著者というのは、信頼できる。
というわけで先日、内田先生の本の中で触れられていた

『オニババ化する女たち』

を読んでみた。
これは読んで正解でした。



話題になった頃には読んでなかったのだけど、今出会えてよかった。
「女性の身体を取り戻す」がテーマ。

からだをコントロール(ゆるめたり、力を入れたり)は意識すればできるのだ。
うまく身体の声を聞いてあげれば、すべてがうまく「流れる」ようになっている。
身体っていうのはよくできているのに、われわれ現代人はうまく付き合うことができずにいるようだ。

とくに女性の身体について書いてあるので、月経やお産の話が多い。
(「子宮をつかうべきです」という一言が印象的だった。)
現代の女性がいかに「しまりが無い」か分かった。
なんというか、昔の女性は、ほんとに「女」だったのですよ。
昔と言っても、今、80、90歳くらいの人たち。

この夏に何か一冊、と思っている人はぜひこれを。
女性だけではなく男性にも読んで欲しい。


読んでからというもの、今までよりもっと身体に耳を傾けるようになった気がする。
週に1度はプールに行って、なにもせずに水に「ぷか~ん」と浮かぶ。
本を読む前からのこの習慣(とまではいえないかもしれないが)はやっぱり必要なことだったのだとあらためて思っている。

さて、ではプールに行ってきます。

Tuesday 19 July 2011

あぼ

今朝は突然の雨のせいで、通勤途中に濡れてしまった。四国と近畿では大変なことになっているらしい。故郷を出てからというもの、本物の台風にはご無沙汰している。今日もだいぶ湿度が高く風も強いがやはり「台風」にはほど遠いと思う。

アボカドについて。
アボカドが好きだ。しかしスーパーで選ぶ時には慎重にならなければいけない。
柔らかすぎても、硬すぎてもダメだ。
まさに「食べごろ」を選ばなければいけない。
この季節は特にそれが難しい。

今日はきれいなやつを選ぶことができた。
二つ買って、切って、しょうゆをかけて食べた。
アボカドのさしみ。シンプルで美味しい。

アボカドはカリフォルニアやメキシコから輸入されているものがほとんどなので、放射性物質の心配をすることは無い。
レタスやブロッコリを選ぶときのような懸念が要らない。

さて、今日は寝ます。
昨日は夕方にレッドブルを(はからずして)飲んだせいで、眠れなかった。
睡眠を取り戻さねば。

Monday 18 July 2011

「あなたの週末は如何でしたか。」

日焼けしないように気をつけているつもりだが、日焼け止めクリームを手の甲に塗り忘れることが多い。
または、塗っているのに流れ落ちているだけかもしれない。手はよく使うから。

昨日は予定の無い休日だった。
プールに行き、洗濯をし、チーズケーキを焼いて、本を読んだ。

週末、休日に予定が無いのはよいことだと思う。
食べたい時に食べたいものを食べて、寝たいときに寝る。

ただ、イギリスではそうじゃなかった。
週末が来るごとに(というか水曜日くらいにはもう)「今週末は何をするのか」と訊かれる。
週末があけて月曜、火曜には「週末には何をしたのか」「週末はどうだったか」を訊かれる。

イギリスでは週末というものは何か特別なことをして当然であり、誰にも会わない週末となると「なんで?」ということになる。いつもどこかでホームパーティが開かれており、特に知り合いでなくとも呼ばれて参加するのは珍しくない。ビール片手に、音楽の鳴り響く家のチャイムをピンポン、なんてことは普通だった。

そのため、週末は1人で過ごすものじゃない、一緒に過ごす相手を見つけなければいけないという強迫観念(というと言いすぎかもしれないが、本当に結構なプレッシャー)を感じていた。

週末に1人でいること=寂しいヤツ

だと感じずにはいられなかった。


その面倒なプレッシャーから開放されたのはここ数年のことである。
日本に暮らしている限り、週末に1人でいることはおかしいことでもなんでもないし、「何で何もしなかったの」なんて訊ねられることもない。

日本人はいつも1人で、寂しそうに見えると、ときどき外国人が言うのを聞くが、日本人は一人で過ごすのが上手なだけかもしれない。

ただ、パーティは楽しいものだし、日本ももっとそういう「集い」に対する敷居が低くなれば良い。それであって、週末に対するプレッシャーは感じずに済む、というのが理想ですな。

さーて、プール行ってきまーす。

Monday 11 July 2011

帰郷

三日間だけ郷里に帰っている。
どうしても帰りたくなったのだ。
東京は人が多すぎて、吹いているはずの風も感じられない。
家のつくりがそもそも風を通さないようになっている。
東京は人が多すぎて隣の人の暑さまでもを感じなければいけない。
エアコンをつけないとよく眠れない。
そんな感じで最近すさまじいイライラがたまっていた。

一方で、田舎はいい。
家が夏用にできている(それもそれで冬は問題なのだが)ので、とても涼しい。
今のところ一回もエアコンのスイッチを入れていないが、常に山から風が吹いてくるので涼しい。
家全体に開放感がある。

郷里はいつも恋しいものだが、特にこの季節、夏になると帰りたくなる。
強い夏の日差しのなか、山水を飲みながら、道草しながら学校からの長い帰り道を歩いて帰ったものだった。その記憶と感覚がいまだに、身体に染みついている。

夜風が涼しくて、おふろあがりにアイスクリームを食べながら夕涼みをした。
特になにもせずに、畳の上でごろごろしているこの幸せ。
聞こえるのはセミの鳴く声だけである。
ここで育って良かったと本当に思う。
もじどおり「のびのび」と育ったのだなあとしみじみと感じている。
人間はそもそもこういう暮らし方をしてきたのだ。
これが合っているんだと思う。

嗚呼、明日から仕事だ…。
心底、帰りたくないと思う。今からあの雑踏の中に戻るなんて信じられない。

ところで、昔の写真を整理した。
昔といってもたとえば自分の生まれる40年前の写真だ。
祖母も生まれていないときの写真さえ出てきた。
ほこりかぶっているどころか、白いかびだらけのアルバムをひっぱりだしてきて、通気のよいところにおいておいた。
はがれかけている写真は元通りに貼り直した。
劣化を止めるためにも、ハイテクのスキャナでデータにしておいた。

イタリアでルネサンス期の絵画を修復する人たちはこんな気分かな、とか思った。

それにしてもどうして昔の人の写真はこんなにきれいなんだろう。
ものすごく鮮明なのだ。
切れ長の目がはっきり分かるほどに鮮明。50年以上前の写真だというのに。
みんな俳優みたいで、肌がとてもきれいに写っている。
祖父母の結婚式の写真があったが、肌が陶器みたいだった。
プロが撮ったんだろうか。

はっきり言って今現在我々がデジカメで手軽に撮る写真よりもずっと綺麗にとれているのである。
今のデジカメみたいな加工技術はもちろん無い。
そのためかもしれないが、一瞬が劇的なのである。
古いからそう感じるだけであろうか。
1942年の祖父の出兵時の写真なんて、あまりに貴重すぎて触るのに緊張した。

写真ってやっぱりすてきだなと思った。
そして記録を残すことの大切さを見た。

Saturday 9 July 2011

冷麺 냉면

冷麺が好きだ。
下の写真、あまり冷麺ぽくないけど冷麺。
この食べ物を開発した人は偉い。そして敬意を表したい。

付属のスープを水で溶くように作り方の指示があるけど、私はもう直接、氷を入れてしまう。
(だから下の写真はあまり冷麺ぽくないんです。器も小さいし。)
そして卵とキムチをのせて食べる。

悩みとしては、高いということ。
1食(120~150g)あたり150円以上する。
パスタだったらこれで500gは買えるのに。
2食分入って398円というのをスーパーではよく見かける。

これが韓国だったらもっと手ごろな値段で手に入るのだろうか。
あるいは盛岡。

ちなみに韓国語だと「れいめん」は「ねんみょん」。

書いてたらまた食べたくなってきた。
これだけのために韓国に行ってもいいくらいだ。
本当に美味しいんだもーん
ねんみょんねんみょーん

Monday 4 July 2011

お辞めになってください

今日は休み。
最近は早く目覚める癖がついていて今日も7時前に起きました。
コーヒー飲んで、パソコンつける。

ん?
朝からなにやらtwitterが騒がしい。
何が起きたんだろう。。。

これでした↓


なんだか朝から気分悪くなっちゃいました。

そもそもどうして敬語を使わないのかな。
「大臣」は「知事」より上だってことかな。

被災した地域の人たちの気持ちが分からないのかな。
分かってたらこんなこと言わないねそもそも。
家や家族をなくした人たちが、本気で復興を願っているのに、この人が「復興」大臣…(´Д`)!!!

大臣って名前だけで実際は無能なのだね。よく分かった。
民主自民言い争っている場合ではなくて、人間として、「残念」。

でもこんな人が国からお金もらって「大臣」だなんて。
国民のために身を削って、奔走するのがその役割じゃないのかね。
ただのヤクザ。。。

「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」

と言っていたらしいです。
もう、意味が分かりません。
地図見ましょう。

そして、自分を「客」扱いしているけど、
むしろ、国の対応が遅れてすみませんって言ってもいいのでは。

で、ここで注目すべきは


東北放送。


「オフレコで」
「書いた社は終わり」
って松本は言うのですが、あっさりこれを放送するのです。
地元の人々の立場から見たら「怒り」は当然。
松本の恫喝にも関わらず放送した東北放送に拍手を送りたい。


真実を伝えられないテレビ局や新聞社は、つぶれてしまうべきだとおもいます。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110704ddm002040132000c.html

それにしても

「書いた社は終わり」って。
アンタが終ってるよ…( ´Д`)

と思いました。


うーん、村井県知事かわいそう。
悔しくて腹立たしくて涙出そうになる。

この復興大臣は、辞めるべきだと思います。ほんとに。やめてほしい。
こういう大人って世の中いっぱいいるけど、はっきり言って大嫌いです。
部下に対して無意味に偉そうなおじさんたち。


はぁ~…。

Tuesday 21 June 2011

なんてまずいの

ワインを語る人のうちどのくらいの人が本当に「語って」いるのだろう、と思っていた。
特にスーパーマーケットで、試飲担当のお姉ちゃんに「ちょっと辛口だね」とか言って知ったようなしゃべり方をしているおっさんとか見ると「本当に区別できているのかこの人は」と思っていた。

所詮、米と味噌と醤油で育った我々日本人、たいていの人はどれを飲んでも

「あ、ぉぃし~ぃ」

と言うのである。
いわゆる「女子」が集って「おしゃれ」に、ワインでかんぱーい、とかやっている姿。
やっぱり何を飲んでも

「あ、ぉぃし~ぃ」

なのだ。
あれがもしバローロであろうが、500円のテーブルワインであろうが、同じ感想を言ったはずである。

そういうのを見てうんざりしていた。
分かる訳無かろうが、と。

欧米人が新鮮じゃない魚をつかったぼろぼろの寿司を食べてファンタスティックとか言っているのとたいして変わらん、と。

というのも、私も実際のところ、美味しいワインとそうじゃないワインを区別できている自信はなかったためである。
料理用のワインを飲んで

「ひどくまずい」

と隣のイタリア人が言ったとしても、うんうんとうなずきながらも心の中では「別にそんなにまずくないんだけど」と思っていた。

が、しかし。


今日。
暑かった。
どうしても、冷えた白いワインが飲みたくなって帰り道、スーパーに寄った。
今まで飲んだことない銘柄にしよう、と思って、安めのワインを一本手に取った。

家に帰って、シャワーで汗を流して、ポン、とコルクをあける。


おいしくないのだ、これが。

明らかに、これまで飲んでいた銘柄とは違う。びっくりする。
苦いというか、味が無い、というか。

これが分かるようになったということは、喜ばしいことなのだろう。
スーパーのおっさんたちとは一線を画している。
しかし、「なんでも受けつける」ような舌では無くなってしまったということなのだ。

ということはつまり、幸せを感じられる度が高くなってしまった。
簡単に幸せを感じられなくなってしまったということだ。

こだわりが無いこと、そして鈍感であることは幸せなことだ、と常日頃から思っていたというのに。
これって本当に喜ばしいことなのだろうか。


人間に対して、好き嫌いと注文の多い人というのは、いつになっても結婚できない。
食べ物に対して、好き嫌いと注文の多い人というのは、仲間と一緒に外食ができず、付き合いの幅が狭まってしまう。

これまでどのワインでも結構受け入れられたのに、だんだんと味が分かるようになってきて、舌が受け入れるワインの種類が限られるようになったわけだ。

うーん、おいしくない、これ。
ちなみにシチリア産のcatarratto(カタラット)という白ワインです。

ただ、私の口に合わないだけなのかもしれない。
だから、カタラットさんにしてみれば、はっきり言って「いい迷惑」に違いない。

ごめんね、カタラットさん。

Sunday 19 June 2011

龍角散ダイレクト

咳治りません。あのとき病院に行っておくべきでした。
というのも、朝起きると調子良さそうに思えるのです。毎日。
そして午前中のうちは「こりゃいけるかも」という感じ。

それが1日の終わりになると、やっぱり辛い。
いちばん辛いのは寝る前と寝ているとき。
眠ってても咳に起こされてしまう。
というわけでここ一週間ずっと寝不足が続いていました。

昨日は5時ごろからすでに眠くて、昼ごはん兼夕飯としてレタスとソーセージと卵を食べて、8時半頃にはベッドで横になっていました。
そしてたぶん9時すぎには寝たと思う。

今朝起きたのは9時。こんなにたくさん、久しぶりに寝た。

それで、昨日あまりにも辛かったので病院に行こうとしたのだがやっぱり病院は閉まっていた。
土曜日ですものね。

薬局で、咳止めの薬についてうかがってみると、めがねをかけた細身の女性が、いっぱい薬を出してきてくれた。
「友達が龍角散をすすめてくれたんですが」
と言うと、龍角散も出してきてくれた。

この粉は確か、すごくひどい味がしたよなあ、と思い出した。
今は亡き祖母が常備しているものの一つだった。おばあちゃんの部屋には、養命酒とこの龍角散があった。

「これってすごい味するんですよね」
と言ったら
「なんでしたら、これもありますけど」

と言って薬剤師が出してきてくれたのが、「龍角散ダイレクト」。
なにやらコンパクトで、おしゃれなのだ。
びっくりした。こんなのができていたとは。

おばあちゃん何て言うだろうか、とふと思ったけど、結局これを買った。

残念ながらそんなに効く訳じゃないようだが、何もないよりはマシ。
持ち運べるので手軽で良い。

これで次の木曜まで様子を見てみよう。

さて、洗濯物を干すとしよう。
久しぶりにプールに行こう。
3月11日の震災以来ずっと閉鎖していたプールがやっと開放された。
そしてシャツにアイロンをかけよう。
そしてマフィンを焼こう。
図書館にも行こう。

あー、好きです、こういう日曜日。


Thursday 16 June 2011

やっぱり病院行かない

おはようございます。
昨日の夜もやはり咳がひどくてよくねむれませんでした。

病院に行こうかと思っていました。
しかし、朝起きてみるとあんまりげほげほしない(それはたぶん外出せず誰ともしゃべらずにいるから)ので、これは治りかけているのではないかと思い、このままでいることに決めました。

そんなこと言って、明日になったらまたげほげほして、病院行けばよかったとか言うのかもしれません。
だけど、今日ゆっくりすれば、治るような気がするんですよ、明日には。

そう、今日はお休みです。木曜休みはすばらしいです。
日曜休んで、三日間働いて、休んで、あと1.5日働けばまた日曜がやってくる。理想的。

他人が働いている時に自分だけ休みって、なんとも心地よいものです。

今日は美容院に行ってみようと思います。

___________
6月の、この空気は好きです。
じめじめして嫌だという人がほとんどでしょうし、あんまり湿度が高いのはそりゃ暑苦しくて心地よくは無いですけれど、今日ぐらいの天気はいいです。

やっぱり1年の前半、つまり4月から9月にかけて、が好きだなあ。
身体(特に首から肩にかけて)が「ひらく」感じがする。
光がいっぱいあって、関節もよく動いて、細胞が生きている感じがする。

さて、動き出すとするか。

Wednesday 15 June 2011

げほげほ

咳が止まらない。
もうかれこれ1週間になるのではないか。最初、問題は咳ではなく喉が痛いということだった。喉の痛みが過ぎ去ったかと思ったら咳が悪化してきている。これはつらい。

しゃべっているだけで咳が止まらなくなる。先日の日曜は誰ともしゃべらずに過ごしたのでこれで回復したのではと思ったのだがそれは期待に過ぎなかった。

6月13日。授業中に急に咳がひどくなり、息ができなくなり、顔を真っ赤にして中断。水を飲んでも治らず。落ち着くまでに時間がかかった。

こんな不調にも関わらず、この日に限って授業は6つ。息も絶え絶え、である。

夜は夜で、眠れず。苦しすぎて何度も夜、起きる。こういうときに咳止めの薬を持っていればよかったと思った。ずっと前にもらった薬が、古くてもいいから残っていればと探したのだが、無かった。風邪薬のようなものがあったのでそれをとりあえず飲んで、再び寝る。

6月14日。
翌朝なぜか身体が疲れていた。なぜか分からなかったが、昨日と同じような咳をして気付いた。
咳のしすぎで腹筋が痛いのである。咳で筋肉痛。

さらにまた別の事情により吐き気と腹痛。もう最悪である。

寝る前にははちみつレモンを作ってみた。この夜もまた、眠れず。

6月15日。
今日こそ良くなったのでは、と期待しつつ仕事へ。
しかし相変わらず「げほげほ」。それでも、前日よりはマシになったのでは、と思う。
少なくとも腹筋の痛みは消えつつある。

ツイッターでも「咳で苦しんでいる」人を見つける。
なんと、「咳のし過ぎで嘔吐」だという。これは大変だ。
私は、それほどではない。だけど「おえっ」となる瞬間は分かる。

今、周りにどうやら多いらしい。咳で苦しむ人。

病院に行けば良いのだが、以前いった時に私の目も見ずに(というか実際話すより先に)いきなり「白血球がナントカ…」と言って、じーさんは、看護士に採血をさせて、結局それは何の意味も無かったのだが、薬を出して終わり、という(診察ともいえない)診察をされ、唖然として帰ったことがある。だから二度と行くもんか、と、その時は思ったのだけど、考えてみれば、ほかの医者に行ってみればよいのではないか。

明日は美容院に行くことになっているのでそのついでにでも行ってみるか。

ところで「内科」に行くとなると、なんとなく子供に戻ったような気分になる。
なんででしょう。
「小児科」じゃないのに、「内科」にはそれに近いものを感じてしまうんです。

お母さんと行くような。
布団にいたらヨーグルトとかりんごを持ってきてもらえそうな。
学校を早退して母が迎えに来るような。

なんとなく、なつかしい感じ。

___________

今日は内田樹先生の「街場のアメリカ論」を読み終えました。
最近いいペースで本を読んでいます。
電車の中って疲れすぎていて、あまり本を読む気になれないここ最近だったのですが、内田先生の本は例外です。

という内容をツイッターに書いたら先日本人から「ご愛読ありがとうございます」って直接返信が来た。びっくりして、うれしくて、1人、よろこびに震えてしまった。

内田先生の本は難しいところもあるけど、ほとんどの部分は「うんうん」とうなずけるくらい分かりやすい。
この人が発掘されて良かったと思う。
先生のおかげで生きやすくなってきた。
いや、生きづらかったわけではないのだが、なんというか「しくみ」が分かるようになった。
例えば、この人がこういうことをするのはこういう理由があるのね、っていうのが少しずつ読めるようになってくるのだ。

ま、もっと読んでみないといけませんね。
この夏はbooks to readがたくさん待ち構えている。

Wednesday 1 June 2011

アクアパッツァ!

昨日は仕事が休みで、一日中うちにいた。
クロスタータを作り、アクアパッツァを作った。

レシピを見ながら一人で作った。初めてにしてはよくできた。
驚くほど美味しかった。
メバルを使いたかったが売り切れていたので代わりに新鮮なスズキを使った。
金目鯛などでもよいらしい。

レシピを記す。

【材料】

スズキ 2切
にんにく
オリーブオイル
白ワイン カップ1くらい?
ミニトマト 10個~20個くらい? 適当に。
アサリ 1パック
黒オリーブ 5~10個くらい。
レモンの輪切り 4枚
パセリ 少々

(分量全部適当ですね…)

【作り方】
1. にんにくはみじん切りにし、ミニトマトはへたをとり半分に切る。
2. スズキには塩をまぶしておく。アサリは砂を抜いておく。
3. フライパンにオリーブオイルとにんにくを入れて火にかけ、香りが出たらスズキを並べいれて両面を焼き付ける。
あんまり動かすと(特に切身魚は)すぐに崩れてしまうので、魚に触れる回数を極力減らすほうが良い。
4. 魚の周りにトマトとアサリとオリーブを入れ、上にレモンをのせ、白ワインを回しかけてふたをする。
5. 5~10分経ってアサリの口が「ぱかー」と開き、トマトが「くたー」となったらパセリをふりかけてできあがり。

冷えた白ワインと一緒にbuonappetito!

残念ながら写真は無いがこの手順で行けば、ちょうどレストランみたいな見栄えのよいアクアパッツァができるはず。
フライパンで作るのが良いのだろうけどうちにはフライパンのふたが無いので、ル・クルーゼを使った。
これからの季節にぴったりの一品です!ぜひお試しあれ!

Sunday 29 May 2011

甘いカルボナーラ

ここ最近内田樹先生の本をよく読んでいる。ブログを読んでいたのだが最近あまり更新されないようだ。
内容は決して軽くないが読みやすく、結構癒されるし「そうだそうだ」と思いながらあれこれ考えるうちに気持ちが楽になってくるので内田先生の書いた文を読むのは好きだ。

ここ最近はとても忙しかった。朝5時台に起きた日が二日ほどあった。でも仕事は順調に片付きつつある。明日までもうひとふんばりすれば、明後日と明々後日は有休をとる予定。

その、忙しいなかのおかしな出来事を一つ。

3,4日前にカルボナーラを作ることにした。4時か5時ごろ、2人とも昼ごはんを食べておらず、遅めの昼食兼夕食として作った。質の良いベーコンを買いに行き、同じスーパーマーケットでパルミジャーノも買った。いわゆる粉チーズである。クラフトのチーズが高すぎたので、どうしようかと迷った挙句、雪印のを買った。今まで買ったことなかった。

できあがってから、熱いうちに食べはじめた。美味しいのだけど、イマイチ塩が足りず、振り入れる。ゆでるときにかなり多めに入れたはずだったのだが。

それでも足りず、もっと塩をふりかける。

「なんか甘いねこれ」
「うん、たぶんあのパルミジャーノのせいだろうね」
「もっと塩をかけよう」
「こしょうもかけよう」

ところがだんだんとその甘いパルミジャーノにうんざりしてきた。
不思議なことに、どんどんまずくなっていく。
きっと、熱が失われていくことに影響しているのだろうと思った。

「これは食べきれない…」

しまいには気持ち悪くなってしまった。
結局、残った分は捨てざるを得なかった。

「スーパーに爆弾をしかけてやる」
「いや、スーパーのせいじゃないと思うけど」
「メーカーに送り返す?」
「あんまり意味無いと思う。」
「残念ね」
「うん、残念ね」



さて翌日。
魚が食べたくなったので、魚屋へ。
めばるを2尾。アクアパッツァを作ってみることにした。
魚屋さんにさばいてもらったら、最初に見たのより分量が少なくなってしまった。
まあ当然である。内臓と骨と頭とるからね。

これじゃあ物足りないだろう、ということで、ナスをオーブンで焼くことにした。
ナスを3つ、薄めに切ってオリーブオイルと塩をかけてオーブンに入れる。

めばるを食べ終わってからナスに箸をのばし、「やはり塩が足りない」と思った。
ナスにこれでもかと塩をふりかける。

「やっぱり甘い」。


「もしかして」

その時初めて気付いたのだ。
正確に言うと、塩の正体を疑ったのだ。
なめてみるとそれは甘かった。

塩ではなくグラニュー糖だったのだ。




砂糖より粒がこまかくて、サラサラしている。
それまで買ったことはなかったが、最近よく作るマフィンに使うために買ったものだった。
しかも、袋が食塩の袋ととても良く似ている。

そりゃああれだけ大量にグラニュー糖かけたらカルボナーラも甘くなる。
ナスについている味は塩のみだったので、これでやっと気付いたのだった。

2人で笑った。
「スーパーに爆弾を仕掛けなくて良かったね」と。

翌々日、リベンジということでまたカルボナーラを作った。
とーっても美味しくできましたとさ。

Sunday 22 May 2011

ブルーベリーマフィン

日曜なのに木曜のような気がする。逆に、木曜は「今日は日曜」と思い込んでいる。
毎週、木曜と日曜は仕事が休みなのだ。
3日間働くと1日休みが来、2日間働くとまた1日休みが来る。
身体は、木曜も日曜も「短い週の終わりがきた」くらいに理解をしているため、カレンダーを確認しない限りは本当に間違うこともある。

**********
先日、ブルーベリーマフィンを作った。

インターネットでレシピを探すと、ものすごい数がヒットする。
こういう場合、いいレシピがどれなのか分からず、たくさんのレシピを見てしまう。
結果として何が起きるか。

分量も作り方も、半端になる。
小麦粉はもうちょっと多くてもいいのかも、とか、こっちではレモン入れてないから省いても大丈夫かな、とか、自分勝手に改変してしまうのだ。

それでうまくいったためしがない。
だから今回は本屋さんに行き、一冊だけ手に取り、分量だけメモをして帰った。

それをここに記しておく。

バター 60g
グラニュー糖 70g
卵 2個
牛乳 60g
ヨーグルト 60g
薄力粉 170g
ベーキングパウダー 小さじ1.5
サラダ油 50g
ブルーベリー 50g

分量はレシピによって本当に違う。
こんなに差があってよいのかと思うくらいに違う。
最初に作ったのはクッキーみたいになったのに、この分量なら美味しくできた。

作る手順だけはどうやらどのレシピも共通しているようだ。

①バターと砂糖を混ぜる。ハンドミキサーを使ったほうが良い。白くなるまで混ぜる。
②といた卵を混ぜる。
③粉類と牛乳、ヨーグルトを交互に入れて混ぜる。
④ブルーベリーを混ぜる。

そんな感じ。
180℃のオーブンで20~30分焼くと出来上がり。
シリコンの型だと、マフィン用の紙も買わなくて済むから良い。簡単にはずれる。


お菓子づくりについて。

昔から好きだ。小さい頃は妹と一緒によくホットケーキを作っていた。
高校生のころはシフォンケーキの全盛期だった。
ところが18歳の時、1人で暮らすようになってからは、ぱったりと作るのをやめてしまった。
食べる人が自分しかいなくなって、つまらなかったからだ。
ここ数年でそれが再開。食べてくれる家族がいるからこそ料理は楽しい。

私が作るお菓子はお菓子屋さんに並ぶような品の良いものではない。
粉をふるいにかけたりしないし、全然繊細ではない。
無骨だけど素朴、シンプルで飽きのこないものだ。
そんなものでも、なにかしら、手作りの甘いものがおうちにあるって、それだけで結構嬉しくなる。

今回は偶然ブルーベリーマフィンだが、じきにチョコレートのマフィンを作れるようになりたい。
でーん、とソフトボールくらいでっかくて、品の無いやつを。


今日は良い天気。
午後から雨が降るってのは本当だろうか…

Thursday 19 May 2011

黒電話の鳴るころ

先日、小津安二郎の「早春」を見た。確かこれは原節子が出演していたはず…と思いながら見ていたんだけど最後まで出てこなかった。あれは一体誰だったのかと思って昨日ツタヤに立ち寄った際に早春を手にして後ろを読んでみたら淡島千景でした。ええっ、あの人、こんなに綺麗だったのか!と、思い浮かべた今の姿は「扇千景」だった。おっと、間違い間違い。

なんでしょうね、あの凛とした美しさは。どの角度から見ても美しい。

小津映画には世話焼きな人たちがいっぱい出てくる。隣の奥さんとか、同僚とか、上司とか。
勝手に結婚の話を進められちゃったり、そして本当に結婚しちゃったりする。
この「早春」も、妻のある男がほかの女に浮気(やってることとしては「不倫」になるんだけどなんとなく「不倫」という言葉があの映画に合わない気がする)するのだが、それについて同僚が当事者たちを呼び出して問いただしたりする。
同僚と言ってもみんな仲良しである。
そろってピクニックに出かけたりする。しかも世話をやくのは1人ではない。10人近い集団だ。

今だったらこうはいかないなあ。本人たちの好きにさせてやれよ、という感じだろう。
だけどみんなうるさいんだこれが!

これが50年前の日本。アドバイスを求めたり、ちょっかいを出したりして生きていた。
それぞれが、頼りあいながら生きていた。

年頃の娘には

「この人どお」

なんて言って会社でやり手の男性の写真を持ってきたりしていたわけだ。

2011年の今じゃなかなかそんなの無いですね!
集団に見守られている感覚なんてむしろ負担に感じちゃうんだもの。

ただ、映画のなかの「バア」でお酒を飲みながら戦時中を語ったり、転勤する同僚へ向けて「ほたるの光」を歌ったり、となりの奥さんが「ちょいと奥さんッ」て言いながらいきなり玄関開けて入ってきたりするのを見ていると、少なくともこの人たち、寂しくは無さそうだなと思う。夫が飲んだくれて帰って来なければ、女学校時代の友達や、母親や妹がすぐに訪ねてくるし。不満は大いにありそうだけど、例えば休日に誰ともしゃべらずに過ごすなんてことは無さそうだ。

携帯もパソコンも無かったころ。黒電話が鳴り、会社ではそろばんを弾いていた時代。

今さらだけど当時の話を祖父母にもっと聞いておけばよかったと思います。


小津映画の代表作はだいたい全部見ているはずだけどもっと色々見てみたいので今度別のツタヤにでも行ってみようかな。

さて、天気も良いので出かけるとします。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...