Wednesday 21 September 2011

家と、こころと、身体には手入れを

ようやくお休み。

土日祝日も休まず働き続けた。
しっかり寝たつもりだが疲れがとれない。
はじめは、この連休を使って近場の海外にでも行こうかとしていたのだが、行かなくて良かったと今となっては思う。
疲れをとるのに、そして仕事を忘れるのに、少なくとも3日は必要である。

ここ数日間はずっと、夜に会議があった。
あまり参加する意味の無い会議だが、強制参加が求められる。
出勤時間は変わらないのに、退勤時間は遅い。
12時間、つまり1日の半分を職場で過ごすのである。
たとえば8時間の睡眠を確保したら、残りは4時間しかない。
通勤が往復だいたい2時間。

ということは、家にいて起きている時間はたったの2時間。
その時間は、お風呂に入るか食べるかという、人間として生理的欲求を満たすために使うのみである。

これはもっとも避けたいと思う生活パターンである。

掃除も洗濯も料理も、ここ数日全然できなかった。
手入れをされていない状態が続くと、家は雑然としてくる。
手の込んだ料理を食べることもなく、自分の身体をゆっくり休めて労わることもなく。
するとだんだんとこころも荒んでくるようなきがする。

たった4,5日間、これが続いただけで、自分の身体と心が故障しそうになっているのがわかる。
それは目に見えるものではなく、「不調」としてだんだんと感じられるようになる。

一般的な話。
仕事に時間をかければかけるだけ良いと思っている人たちが世の中には多すぎる。
中高生、学生だってそうだ。
要領よく業務を片付けるすべを知らぬまま大人になってしまい、結局毎日残業してストレスをためる羽目になる。

きのう同僚とその話をしていたちょうどその時、目の前にあった本(というか雑誌)のタイトルが「仕事が速いひとになる」とかいう類のものだった。

下には小さく

「6時に帰る仕事術」
等の見出しが書き連ねてあった。


本当に仕事がはやい人は、こんな本を買わない。

ありがとうとカルボナーラ

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