Sunday, 20 July 2025

投票は気ままに

7時半ごろ、子といっしょに投票に行ってきた。てくてく歩いて、まあ暑いけど、耐えられる程度。500円渡して、コンビニで何買ってきても良いよというと、486円のフルーツサンドを買ってきた。高い。涼しいベンチで食べて帰ってきた。夏の朝の、ちょうど良い散歩。青空に、筆で書いたような、雲がしゅーっと流れていて、はあ7月だなという、暑いのになんだか嬉しいような気持ち。

投票について思うこと。

きょうの選挙はいつもより盛り上がっている…ような気がする。それでも投票率が高くはならないのかな。いや、高いというのは比べる対象によるのだろうけど。スウェーデンと比べたら、そりゃ低い、でも前回と比べたら高い、とか。

選挙に行くべき、というのは当たり前のことなのだが、あんまり大きな声で言えないけど選挙に行ってなかった時期が、長くある。まず、上京してから住民票を移していなかったため、投票の封筒が届くことがなかった。それが大したことだと思っていなかった。母親は、娘の住民票を移したくなかったと言っていた。

だからおそらく5〜10年くらい投票したことなかったのではないだろうか。今考えると信じられない。誰もそれに対して文句を言う人もいなかったし、友達と選挙の話題になることもなかった…と思う。たぶん。

そしてなによりも、政治に興味がなかった。これは、特に理由にもならないくらい。一般的に言われる「最近の若者は」に文句は言えない。そうです、そのまま。興味がなかった。いわゆる「行っても同じだろう」と思った。なにせ生まれたときから(与党は)自民党しか見たことがない。意見を出してひっくりかえるようなものだとは思っていない。そして選挙権があるのに手元に投票用紙がないという状態に慣れすぎていて行かなければいけないとは思えなかった。

どこかの時点で、住民票を移し、封筒が届くようになった。投票したという、記憶にあるのはこの10〜15年くらいだと思う。伊藤詩織さんの事件のあたりで「やばいことが起きている」と思うようになった。森友問題や、学術会議の任命拒否問題や、望月記者と菅さんがバチバチしているあたりで、あからさまなおかしさを感じるようになった。安倍さんのことは好きじゃなかったけど、「ぼーっとしてるとやばいな」と思わせてくれたのは安倍さんのおかげなのかもしれない。

子が生まれたこともあるかもしれない。人ごとだったいくつかの政策は、身近になった。

そのあたりでツイッターやらインスタやらが身近になってきて、コロナが起きて、ついにジャニーズも崩れて、今まで見てきたものは虚構の世界だったのか、というような、今。それは、ダメなことではなくて「世界は変わりうる」「常識も変わる」ということを、目の当たりにしているだけ。

投票というのは政治をよくわかった立派な大人がするものだと思っていた、というのもあるかもしれない。実際、よくわかってなくても投票していい。遠慮したり気を遣ったりする場所ではない。そういうことに気づいたのは、よくわからないながらも、最初の投票をしてみたから。何歳の時か覚えてないけど、とりあえず行ってみたから。今考えるとなんであんなのに票を入れたんだろう、とかある。たぶん。覚えてないけど。でもそれで良いのだと思う。またしばらくすれば、投票の機会は巡ってくる。間違いはないし、票を入れたことを誰かに責められることはまずない。

finalventさんのポリタスの記事を読むといいと思う。もっと「気まま」でいい、と。これでいいんだなと思える。やたらと「投票に行こう」と言われるとなんだか怒られているような気持ちになって萎縮してしまう(人は少なくないのではないかと思う。このあたり、日本人とくにそうかも。)けど、この記事を読むと少し楽になります。「票を入れたい人がいない」んだったら、消去法でいいと思う。投票においては、消去法=消極的ではない。時々思い出してこの記事を読む。

そんなに一生懸命考えなくても、直感でもいいと思う。そんな適当なことをやっていいのか、と思うかもしれないけど、参加する第1歩はそこから。あんまりにも考えすぎると投票できなくなってしまう。まじめな人ほど、結局投票しないということになりかねない。前回はA党に入れたけど今回はB党に入れる、という変更に、罪悪感も感じなくていい。なぜなら時代も考え方も人も変わるから。そもそも誰も見ない、責めない。    

さて、きょうの結果、どうなるでしょうね。

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