Sunday 27 January 2019

試験からの解放

試験が終わった。お疲れ様、自分、である。1年半の長きに渡る放送大学生活が終わる。木曜の朝と昨日土曜の夕方に一つずつ、最終の試験を受けた。「教育心理学」と「教育文化の社会学」。解いた感じとしては、どちらも受かったと思う。致命的なミスをしていない限り90%くらいは合格の自信がある。

試験のプレッシャーって嫌だなと感じ始めたのが一週間かそのくらい前で、それからようやく勉強を始めた。重い腰を上げ、聞いていなかった放送をようやく聴き始め、問題を解いた。

試験からの解放感ってとてつもないなと今、思っている。今朝起きたときに「そうか放送聞かなくていいのか」と思ったらなんとも心が軽くなった。解放されたのである。やらなければいけないこと、が無い。free from examsである。

そうか、一般的に試験を抱えている人たちというのはこういう気持ちなのだな。

タイミングよく昨夜は友達がうちに来てくれることになっていて、ピザとビールでリラックスした楽しい時間を過ごした。

試験結果がくるまでには1ヶ月くらいかかるらしい。まあきっと大丈夫なはず。特に今できることはないので、ネットで買い物でもだらだら楽しむとしよう。

Wednesday 16 January 2019

おばあちゃんに来てもらう

1月が半分終わったらしい。「早い」と言いそうになるが実際のところ初詣とか餅つきとかやってた頃のことを思い出すとだいぶ時間がたっている感じもする。毎年のことだ。

仕事はちょっと疲れたけどやはり職場に行けたのはよかった。3日間同じ景色ばかり(家)を見て過ごしていたので、広い世界に出たように感じた。

こどもは熱のかわりに今度は咳が出ている。完治するにはやはり時間がかかるのだろう。お風呂に入れるのはやめておいた。

昨日から実家から母に来てもらっている。ありがたい。人手が増えると気持ちがこんなに違うのだ。安心していられる。普段いかに綱渡り状態かが分かる。おばあちゃんに会えてこどもも嬉しそうである。今週は気兼ねなく仕事に集中することにする。

休みの間ずっと一緒にいたのでこどもは少し甘えん坊になっている感じもする。当然だろう。仕事に行くというと脚にしがみついて止めようとする。2歳ってどんな気持ちなのだろうなあ。

Tuesday 15 January 2019

水泳、仕事

こどもの具合はだいぶよくなった。少し咳をしていて、かすれたような声を出すことはあるがそれを除くと食欲も戻ったし吐くこともなくなった。よかった。もう保育園にいかせても良いんじゃないかと思うのだがそうはいかないのがインフルエンザである。これから木曜までは登園禁止。私は働かなければいけないので今日から郷里の母に来てもらうことになった。申し訳ない。でもありがたい。今週一週間は甘えさせてもらうつもり。

昨日も一昨日も、夕方に水泳へ行って来た。ほんの30分だがこの効果は大きい。特に猫背になりやすい冬は、こうでもしないとなかなか背中の筋肉を動かすことがない。そして泳ぐとよく眠れる。眠りの深さが全然違うのがよくわかる。二日連続で行って、ほどよい疲労と筋肉痛を得た。きょうから仕事再開である。

三日間の休日は長い。長すぎるのだ。子供が元気であれ病気であれ、三日間家にいるのは飽きる。きょうはちなみに大きな仕事はないのだがそれでも仕事に行けるのが嬉しくて仕方ない。昨日からずっとワクワクしている。

私が仕事をしている理由は、もちろんお金を稼ぐためだが、それ以上に楽しいからである。単純に、それだけ。楽しくなかったらたぶん別の仕事をしている。他人に自慢ができるくらい自分の仕事を楽しんでいる。無償でもやってしまいそうな時もある。産休と育休でいったん仕事から離れて「やっぱ必要だわ」と仕事の大事さに気づいたというのもあるかもしれない。

さて準備をしよう。きょうもいい1日でありますよう。

Sunday 13 January 2019

インフルエンザ

こどもがインフルエンザにかかった。

昨日、土曜日の朝、8時を過ぎてもこどもが起きてこないので様子を見に寝室へ行くと目をあけたまま横になってぼーっとしている。お熱があるの、と聞くと「ちがう」と言う。しかし少しも動かないのでこれは普通じゃないなと思い熱を測ると38.8度ある。もしかしてインフルエンザかもなと思いながら病院の予約をとり、タクシーを呼ぶ。歩いて10分もかからない距離をタクシーで行くのはこういう場合のみだ。病院についてしばらく待って検査をするとインフルエンザA型と診断された。タクシーの中で一回吐き、家に帰ってからも3回か4回吐いた。キウイやパイナップルを食べたいと言ったのであげてみたがその度に吐く。ほんの少しの量でも吐く。水を飲んでも吐く。坐薬の吐きけ止もあまり効かない様子。熱は、39度に到達してからは特に測らなかった。そのまま寝せて、よくなるのを待つのみ。インフルエンザと診断された時点で、来週は少なくとも木曜まで登園できないということがはっきりしている。長い。

今朝は熱が37.1まで下がっている。が、しかし起きてすぐに胃液を吐いた。それからちょっと元気になりはじめていくつか食べ物を口に入れ始めた。そしてまた吐いて、の繰り返しである。それでも熱が下がったので昨日よりはだいぶ過ごしやすそうである。幸い明日も休みなのでこの三日間でゆっくりと調子が戻れば良いと思っている。

Saturday 12 January 2019

「先生これやってみました」ー自由に泳がせる効果

メモとして。普段仕事のことは書かないのだがこれは記録しておくべきと思ったから。

「冬休みの宿題」というものがあるのだが私はこの宿題以外に"Winter Challenge"と題して「やるかどうかは自由で、やってみたらできたよと報告しに来てください。3学期の成績に加算します」という形式の、課題というほどでもないものをで生徒に提示してみた。

こんな感じ:

・英語の本を読んでみる
・字幕なしで映画を見る
・英語で日記をつけてみる
・英語以外の外国語に挑戦してみる(これは私がDuolingoを紹介した)

これ以外でもいいけど、例えばこういうものはどうでしょう、冬休みという時間を有効に使ってみましょう、という感じにした。ほかの言語をやってみるというのは、世界には英語以外の言語もあって、ちょっととっついてみるとやれないことはないし視野はぐんと広がるよという話をよくしているから、冬休みをひとつの機会ととらえてはどうだろう、ということ。

まあ一人くらい報告に来るかもな、ぐらいの構えでいたのだが昨日の始業式で早速二人やってきた。「インドネシア語やってみました」と「日記をつけました」という子。とても嬉しかったのでかなり感動しながら、やっぱり提示してみてよかったなと思っていた。それをきっかけに色々話ができた。

もうそれだけでも十分に嬉しかったのだが、翌日つまり昨日、なんと、最初の授業がおわった後に10人を超える生徒たちがどんどんやってきて、自分のやったことを見せてくれた。種類としてはこんな感じ:

・スマホのアプリで、英語で日記を書いた
・スペイン語を勉強してみたので書いてまとめた
・Duolingoでフランス語を始めてレベルだいぶ上がってきた
・旅日記を英語で書いてスケッチブックにまとめた
・Duolingoで韓国語やってみてるけど難しい
・ハリーポッターを2回目だけど字幕なしで見た
・翻訳に挑戦してみてるけどまだ途中です

嬉しさと驚きと感動でちょっと涙出そうになった。そうか、ちょっと言ってみただけなのに、自由に泳がせただけでこんなにやる気を引き出せたのか、と。教師としての私の役割はこれほどまでに大きいのである。宿題を強いるよりこちらのほうが断然効果が大きいしお互いにストレスが少ない。たとえば、地道にフランス語をゼロからやってみたんだなとその子の冬休みを想像すると、きっとそれは驚きと喜びに満ちていただろう。その体験を16歳の今できたということは、その子の今後の人生に、楽しいこととして残るはずである。やらされたわけではないから。「学習」のあるべき姿。

やれと言われてやったことはたいてい身につかないのだ。きっかけになることはあったとしても本人のやる気と情熱がともなうことはまずない。

かつて無理やりピアノを習わされた経験があるがまったくと言っていいほどあの時期にならったことは今残っていない。苦痛以外の何でもなかったので無意識のうちに記憶から消し去ろうとしている。教師から叩かれたこともあった。毎日五分でいいからピアノの前に座れと言われて、5分間ピアノを蹴り続けた。私はこどもだったけど、あの理不尽さというか無益さはよくわかっていた。こどもだったけど。

というのはつまり、こどもだからという扱いで何かを強いても、こどもはなんでもわかっているということ。これ意味ないんじゃないのか、とかこの人おかしいんじゃないのか、とか。上下関係からくる支配欲は機能しないどころかマイナスに働くことが多い。「先生のいうことをきく」のはなぜか?その理由が「先生だから」だとしたら、彼らはどれだけ思考を停止させれば良いのか?その「先生」は一体何者なのだ?どれだけ偉いのか?

話は戻って、その次から次にやってくる子たちを全部まとめて抱きしめたいくらい嬉しい気持ちでいっぱいでした。本当に教師やっててよかったと(しょっちゅう思うけど)あらためて思ったし、心がじんわり暖かくなった状態で研究室に戻ったのでした。その、例のフランス語の画面をみて「私もがんばるから、みんなもがんばろうね!」と、少女漫画みたいなキラキラしたセリフが自分から出て来たことにちょっと驚きつつもそれが自然に発生した気持ちなのだと今考えて思う。3学期も幸先良い!楽しい毎日が過ごせる気がしている。

Tuesday 8 January 2019

バイリンガル事情

やっと保育園が始まった。帰りに迎えに行くと、先生が髪を切っていてこれがめちゃくちゃかわいかった。かわいいと伝えると照れていた。こどもはというと一日中「こっぱみじんに」と「きさま」を繰り返しているらしく、もう笑うしかなかった。

経緯は、こう:

「三びきのやぎのがらがらどん」を実家にて祖父に読んでもらったところ、印象に残ったのがその二つの言葉だったらしい。今まで私も何度も読んであげていたのだが英語でしか読んだことがなかった。日本語にしてみるとたちまちその二つを覚えた、というわけ。

それにしてもひと昔前の外国語絵本の翻訳ってすごい日本語を使ってある場合が結構多い。「ちびくろさんぼ」などもその例だろう。「すてきな3人組」にも「みなしご」という言葉が出てくるが、もうこれ以降は印刷されないかもしれない。まあ、こっぱみじん、ときさま、は別に古い言葉でもなんでもないんだけど。

こどもは10日間イタリア語から離れた環境で過ごしたにも関わらずその間もずっと一人でイタリア語を話し、周囲を困らせていた。流暢なのである。あの自然なアクセントの置き方はまさにネイティブのそれで、もはや私は敵わない。

父親と一緒にいる時間が多いから、というのはわかるけど、それにしても日本に住んでいるのだし保育園はすべて日本語なのだから日本語中心になるとばかり思っていた。どうしてだろうなと思って見ているが、やっぱりその方が本人として心地が良いのかもしれない。自分をより表現できるほうの言語を選んでいるのだろう。ちなみに日伊ともによく理解している。ただ、出てくる言葉がイタリア語のほうが流暢というだけ。

これで、保育園の友達がもっとしゃべるようになってくるとたぶん日本語のほうが強くなるだろうし今後変わってくるだろう。いずれにせよ興味深いバイリンガルの生態。

Monday 7 January 2019

わるごはん

休日出勤を終えたらもうきのうは眠くて仕方なくてやっぱり子供と一緒に寝た。9時ごろ。そしたら今朝は6時まで眠り続けていた。こどもは昼寝を5時近くまでしていたのもありなかなか寝付こうとしなかった。しかし思う存分寝たおかげで機嫌はよくおかげでお風呂に入れるのもごはんを食べさせるのもそれほど困らなかった。

こどもと二人でごはんを食べるときは特に加工食品に頼ることが多くこっそり「わるごはん」と呼んでいる。きのうはレトルトのミートボールとブロッコリを煮込んだ。全然悪くないじゃんと思うかもしれないがオーガニックやら自然派やらにやたらこだわるイタリア人のせいで(おかげで?)加工肉や冷凍品は出番が少ない。「わるごはん」という名前もかわいいしおもしろいのでまあいっかという感じである。そのうちふたりでカップラーメンでも食べ出す。

食事に限らず「まあいっか」と思うときたいてい私の頭には私の父、または父の母、つまりおばあちゃんの顔が浮かぶ。この人ならこう言うだろうなと簡単に想像できる。おおらかさと、寛大さと、忍耐強さをそのまま人間の形にしたような人たちである。なかなかああいう人間にはなれないのだが。「たまにゃそんなこともあるさ」ぐらいで構えておかないと自分ももたなくなる。そういう意味ではこどもにだいぶいろいろ勉強させてもらっている。

ところで、新年となったが相変わらず目標たる目標はない。年が明けても毎日は同じように過ぎていく。後悔のない1日を過ごすこと。「今」を楽しむこと。明日死んでも良いように。

Sunday 6 January 2019

肩こり、休日出勤

朝起きると右肩と首の間が痛い。いつものことである。特に冬になるとこうなることが多い。ひどい時は振り返ることさえできないのだがきょうはそれほどでもない。

水泳に行っていないのだ。年末からずっと行けていない。暇ができたら行かねば。こうやって身体のあちこちが痛いときはたいていどこの病院に行ってもすっぱりと治るということはなくて、最善の解決策は「動かす」ことだということをここ数年で学んだ。マッサージも一時的だし、整骨院ができることも限られている。日々がんばって自分で動かすしかない。

きょうはなんと日曜出勤である。が、これを実は結構楽しみにしてしまっている。まあ休みに越したことはないが家での休日よりはだいぶマシなのである。

Saturday 5 January 2019

飛行機、帰京、大荒れ

昨日東京に戻った。こどもを連れての飛行機はこれで24回目。すんごい回数だ。しかしながら何度乗っても楽になるということはない。もちろん「2歳で初めて乗る」という状況に比べるとこちらも色々と予測ができるし準備にも慣れているので楽なことに間違いはないが、乗れば乗るほど楽になるというわけではない。その時々の要素によってその時々の問題が発生する。
要素というのは:

1. 何歳何ヶ月かという成長度合い
2. 何時の便に乗るか
3. どの席に乗るか
4. Wifiの使える機種か

例えば一番最初、生後1ヶ月で飛行機に乗せたときが楽だったかというと、そうでもなかった。寝かせておけば良いのだろうがあまりにもふにゃふにゃの弱さなので気が気ではなかった。そしていつ泣き出すか予測がつかなかった。かと言って、身体ががっしりしてきて意思疎通のとれる今のほうが楽かといえば、決して違う。途中で「おりる」とか言い出すので困る。そして祖父母に会えなくなった「寂しさ」のような感情も持つようになっているのでこれも面倒である。

つまり「一番楽なとき」みたいなのは無くて、その時々で大変さは違う。嘘みたいに楽だったときもあるけどそれは偶然寝てくれたにすぎない。

それにしても席にスクリーンがついた機体の場合は本当に楽である。助かる。帰りの便は残念ながらスクリーンが付いておらず、それどころかWi-Fiさえ使えなかったので大変だった。この便に行きの便以上の運賃を払っているというのが信じがたい。早いところ全便Wi-Fi対応してもらわないと。

ちなみに昨日の午後便で寝ると思っていたこどもは寝ず、家に帰ってからも寝ず、今朝は機嫌が良いかと思いきやまだ眠気が残っているため大荒れで、ものすごいパニック状態に陥るまで泣いて、昼ごはんも食べずに寝た。今もまだ寝ている。

2歳のこどもにとってこの環境の変化は大きいのだろう。それにしてもひどい泣きようだった。こちらの耳だけでなく心もつぶれそうだった。外に出たいと言って床でジタバタするこどもをよそにトイレに入ったとき、安堵のため息が出た。間に一枚壁があるだけでこんなにホッとするとは。

大変すぎるのである。これは早く保育園に行かせないともうもたない。

何をしても「違う」と言うのはここ1ヶ月以上ずっと変わっていない。今朝、外に連れ出して歩いているときに相変わらず「違う」の繰り返しで、その間になにか心のなかでぷつんと切れてしまった。切れるというのはブチ切れるとかじゃなくて、気力がなくなる感じ。これだけすべてを否定され続けるとこちらももういいやという気になってくる。そして歩いているうちにもはや私から話しかけなくなってしまった。それが泣きわめくきっかけを作ってしまうこともあるから。早く仕事に行きたい。行かせてくれ。明日は日曜出勤なのに嬉しささえ感じるのである。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...