Thursday 31 August 2017

雨の朝

こどもの誕生日。
保育園に行こうかというときに雨が降り始めた。仕方ないのでカバーのついたベビーカーで行くことにした。体調があまりよく無さそうだ。鼻水も咳も出ている。せっかくの誕生日なのに。

いつもの道を、傘を片手に、もう片方の手でベビーカーを押しながら小雨の降る中を進んだ。雨よけカバーのなかで、なんだかもぞもぞ動いているなと思ったらこどもがベルトから抜け出してベビーカーの上で立ち上がろうとしている。

こらこら、と言いながらいったん傘を地面に置いてこどもを抱えた。その瞬間、ぶわっと涙があふれてきた。

4月の、ある雨の日。今かよっている保育園の見学をするためにこどもを抱っこして同じ道を歩いた。ストライプの傘をくるくる回すと、珍しそうに上を見上げて喜んだ。抱っこしての移動にお互いに慣れていなくて、何度か抱えなおした。重いなあと思いながらなんとか保育園へたどり着こうと必死だった。あの日の光景(葉っぱに雨があたる音と、雨に濡れた地面の桜の花びらと、少し肌寒い朝)がきょうまた、みるみるうちによみがえった。

小雨の降るなか、傘を地面に置いたまま、こどもを抱きしめた。

「お誕生日おめでとう」

そして、産まれてきてくれてありがとう、と本当に思った。心から。
この一年、どれだけの距離を一緒に歩いただろう。そしてこれからどんな日々が待ち受けているのだろう。

涙が止まらなかった。きょとんとした顔をしてベビーカーに戻った子どもと、また同じ道を前に進んだ。雨はだんだん弱まっていた。

Wednesday 30 August 2017

一年前のきょうは

仕事に復帰して2週目。まだ本格的に始まったわけではないのでまったく忙しくない。同僚からは「家にいたほうがリハビリになるよ〜」とか「きょうはもう帰っていいんじゃないの」とか言われる。実際、職場にはほとんど人がいない。先週に比べると今週はまだ増えたように見えるが、それでもまだまだのんびりしている。それでもペースをつかむために一応出勤はしている。いいタイミングで復帰できたなあとつくづく思う。

去年のきょうは、陣痛促進剤が入って苦しんでいたところだった。丸一日苦しんでも産まれなかった。あれは本当に、最悪の時間だった。どのくらいの痛さか、具体的に忘れつつはあるものの、そのときの気持ちは覚えている。そしてもう二度とあの苦しみは味わいたくない、といまだに思う。痛すぎて吐き気のような頭痛のようなものを感じたし、用意された食事も食べられなかった。(食べられなかったその食事が冷やし中華かそうめんだったのを覚えている。)

そうやって産まれたこどもが今これだけかわいいのは、あのとき痛みを感じたおかげ、とは思わない。「腹を痛めて産んだ子」とは言うが、別に腹を痛めなくてもきっと同じようにかわいいし愛しいと思うはず。だからあの痛みは取り除けるなら取り除くべき。痛いと分かっていて麻酔をしない手術は無いのになぜ出産だけが「痛いのは当たり前」で乗り越えるべき試練になるのか。無痛分娩がもっと広まることを願う。

ともあれ。

こどもは元気で一年間を生き伸び、私も元気で職場に復帰している。不安とかイライラとかあるけれど、ものごとはなるようになるのだなあと一年を経た今しみじみと感じる。

Sunday 20 August 2017

12回目の飛行機

きのう、東京に戻った。ずいぶん遠いことのように思える。わずか1日しか経っていないのに。実家にいたのもずっと前のことのように思える。

以前ほど東京の狭さに愕然としなくなった。滞在期間にもよるだろうが、一年間でこれだけ行き来を繰り返せば変化にも慣れるというものだ。

こどもはついに人生12回目のフライトを経験した。

12回(うち2回は国際線)…。

まだ1歳になっていないのに12回も飛行機に乗っているのだ。すごい。マイレージがだいぶたまるだろう、と言いたいところだが0歳なのでそもそも無料で搭乗しているのでマイレージはたまらない。

親子ともに経験を積み、2人でいかに快適に空の上で過ごすか、より良い方法を模索してきた。経験を積んで慣れてはきたものの、その都度、子どもが成長しているので対処すべき問題が異なってくる。使う神経も異なる。

例えば生後すぐだったら、いつ泣き出すか分からないという問題がある。母乳で対処できない「よくわけのわからない泣き」がこの時期はあった。周りの人にすみませんと頭を下げることが多い。そして首がすわっていない時期は文字通り「手が離せない」ので搭乗には補助が必要。

春(5月ごろ)までは比較的旅行させやすかったかもしれない。母乳でササッとおとなしくさせることができる。動きがそこまで激しくない。(とは言え、国際線は本当に辛かったけど。それはまた別の話。)

それ以降、寝返りだけではなくハイハイが始まると、動きが激しくなり1人でひざの上に大人しくさせておくのはもはや不可能。そして体重が、ひょいと抱えるにはきつい重さになってくる。そして、これは私のこどもが特にそうなのかもしれないが大人しく抱っこされている、ということがまずない。私を蹴りまくって私の上(って無いけど)によじ上ろうとする。これを機内でやられると大変。さらに、ものごとがより分かってくる時期になると、いつもと違う場所に来るため興奮してなかなか寝るどころではなくなってくる。ただし、身体がじょうぶになってきているので首のすわっていない子を連れているときほど「手の離せない」状態ではない。離せないのは手ではなく目である。空港で借りたベビーカーから脱出をはかったりする。怖い。

…というわけで今回のフライトは大変でした。しかしそれはこどもが暴れるからというよりも、ピーク時の便だったから。本当に一席も空いていなかったので、子どもを少しも「ちょこん」と横に置くことができなかった。そして席ではじっとすわらない。当たり前だ。ハイハイする自由が欲しいのだということが、肌から伝わってくる。しかし床に置くわけにもいかない。(通常はかならず空席があるので、「あの席に移動していいですか」と離陸ギリギリのところで移動する。)

ただ、それでも、たったの2時間なら余裕で耐えられる。耐えられてしまうのである。その理由は、12時間のフライトを経験しているから。あれに比べれば多少暴れようが大したことは無い。まあ何時間であってもピークは避けるに越したこと無いけど。

ちなみにこどもは、機内で泣き出すことはない。記憶するに、生後1ヶ月の時だけだった。本人も、12回目ともなると、「慣れたもん」なのかもしれない。さすがだ。

毎回思うのは、やはり協力的かつ理解のあるお客さんが近くに座っているととても居心地が良いということ。逆に、しかめっ面をされると辛い。これは成人男性に多い。

さて、これだけANA機に乗っているため、機内で差し出される子供用のおもちゃはほぼ網羅してしまった。飛行機の風船(2種類)、おりがみ、お絵描きボード、パズル… 差し出されると思わず「それどちらも持ってるんです」と言いそうになるが、ありがたくいただく。飛行機の風船はもう3回ももらった。次なる新しいおもちゃに期待。ところであのおもちゃは何歳までもらえるんだろう。

Tuesday 15 August 2017

ブログを長く続けている

ふと思い立って、このブログの最初の投稿を見てみたらちょうど9年前の8月だったようだ。開設してだいぶ長いこと経つ。これ以前にもいくつかブログを書いたことがあるのでブログ歴は9年どころじゃない。15年近いのではないか。その当時はブログがちょっとした流行りで、そのへんの友だちが次々に開設していた。ライブドアが最初は一番多かった。それから数年後、ミクシィというものができて、フェイスブックができた。インスタグラムができた。そうやってみんな段々と文章というものを書かなくなってきた。写真が中心になり、ごく簡単なことばを掲げるようになった。ことばがどんどん軽くなってきた。

ある程度まとまった文章を書くとなると時間が必要である。そして読者を意識する必要がある。そしてテーマが必要である。昔、ブログ書いてたけどやめた、という人たちはきっとそういったものに対するモチベーションを失ったのかもしれない。そしてそのうちに「いったいなんのために書いてるんだろう」と思ったのかもしれない。

でもそんなに気合を入れる必要はない。15年書いてる者として思うこと:

・毎日投稿しなくてもよい。
・気が向いたときに頭のなかを整理するつもりでキーボードに向かえばよい。
・長い文章を書く必要はない
・テーマたるテーマはなくてもよい

そして大事なのが

・読者を意識しない

ということ。もちろんある程度は意識するだろうがこの場合は「誰が読んでいる」という具体的な人物の顔を思い浮かべるほど意識しなくてよいということだ。(そうすると書けなくなる。)つまり誰が読んでも良いように書く。書くのに責任が伴う。それくらい「公」な場であると思っている。じゃあ私的なことはどこに書くのか。直接しゃべりたい相手に会ってしゃべればよい。(フェイスブックでも良いかもしれないけど、あれはどうしても偽りの姿が見え隠れするんですよね。)
ところで:
フェイスブックではあまりにもみんな幸せそうで、
インスタグラムではあまりにもみんな美しい。
そんな現実あるかよ、と思ってしまう。

その一方でツイッターは本音が出てていいよね。

Sunday 13 August 2017

場面転換によるブレイクスルー

ここ二日くらい涼しい。風がよくとおる。特に朝晩は寒いくらいだ。今朝は寒かったので窓を閉めてしまった。空気が、小さい頃に行ったキャンプ場のそれを思い出させる。二日連続で5時半に起きている。田舎の朝はとても気持ちいい。
ここに来て一週間、こどもがボールを投げるようになった。今まで知らなかっただけかもしれない。できたのに投げる機会がなかっただけかもしれない。父がプール用に買っていたビニールのボールをつかむと頭の上まで高く上げてポンと投げる。投げるといってもまだ「落とす」に近いのだが投げたあとにキャッキャと喜ぶのでやはり投げたという達成感があるのだろう。

しばらく前からこどもは手づかみで食べ物を口に運ぶようになっていたが、東京にいるあいだはその「てづかみレパートリー」とでも呼ぼうか、手づかみさせられる食べ物の種類が少なかった。が、ここに来て「あ、これもいけるのか」といろいろ試してみたらうまく手づかみで食べられた。

一週間たって思うが、やっぱり時々場所を変えるのは大事だ。子育てに限らず。6月ごろの投稿でも書いたが、ひとつかふたつ、期待もしていなかったブレイクスルー(突破)が迎えられる時がある。たとえば手づかみレパートリーとしてかぼちゃと米が加わったが、畑から穫れた新鮮なかぼちゃは東京のうちにはないし、毎日米を炊く習慣も東京のうちにはない。環境を少し変えて非日常を体験するだけでいろいろなヒントがもらえるのである。ふだん分かっていたつもりでも見る景色が変わっただけで「あ、そうか」と思えたり見方が変わったりすることがある。やっぱり旅をしたり外出したりして場面を転換するのは大きく意味のあることだ。

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きのうは友だちに会いに行った。私が、故郷で人に会いに行くなんてとても珍しいことだ。こどもを連れて、短時間だったが会えてよかった。やっぱり直接会うのは大事だ。ネットつまりSNSで分かることも多いしつながってる気にもなるが直接顔を見ることにはかなわないと思う。もちろん移動するのに時間も手間もかかるが、それ以上の価値があるし、人どうしの関係というのはそもそも「直接」である。今も、昔も。顔を見ること、声をきくことが基本だ。SNSで相手は理解できないし、あれはきわめて一方的である。


Saturday 12 August 2017

村上春樹を読んで休暇を過ごす

二日前の夜中、二時半から三時半ごろにかけてこどもが寝付けず、だいぶ泣いたのできのうは一日ずっと寝不足状態で過ごした。ところがうって変わって昨夜はほとんど起きなかった。ほとんど、というのは、10時頃に一回むくりと起き上がって少し泣いたのでミルクを160cc飲ませたから。8時の就寝から今まで、寝付けなくて泣くということはなかった。素晴らしい。昨日は涼しかったおかげだろうか。それとも日中穏やかに過ごせたということなのだろうか。やっぱり一進一退なのである。AすればBになる、のような決まり切った機械的な動き(たとえば寝る前にミルクを飲めば起きない、とか)はない。それぞれの子どもにそれぞれの育ち方があるのだろう。一進一退。

この一週間だいぶだらだら過ごしている。暑かったのもあるけど。正しい休暇の過ごし方だ。バカンスというのはからっぽという意味なのだから、休みだからと言って特別に何かをするのは間違っている、と私は思う。普段生活しているところから物理的に距離をおいていったんからっぽになる。ひとつやることを持ち帰ってきているのにそれに手も出さずにいる。

ひたすらやっていることと言えば、村上春樹の『騎士団長殺し』を読むこと。こどもを保育園に預け始めた7月からようやくちゃんと読み始めることができた。7月には上巻を読み終えていた。父親が春に買った下巻がすでに実家にあることが分かっていたので、東京で下巻は買わずに実家に帰るのを待っていたというわけ。そしておそらく今日で読み終わる。

2月の発売以来、夏になるまで本に「入り込む」ことができずにいた。やっぱり読むにはいろいろな条件が必要なのである。

・一人になること
・静かであること
・上記がそろったまとまった時間がとれること

これが、こどもが保育園に行くまでなかなかとれなかった。

きょう読み終えるのは惜しい気もするがやっぱりやめられない止まらない、でした。次の小説出るのまだかなー

Thursday 10 August 2017

故郷にいます

月曜から故郷にいる。飛行機は無事に飛んだ。期待通り、欠航を恐れた人々があらかじめ便を移動していたので満席だったはずの便に空席ができていた。いつもどおり最後に搭乗し、空いている席を見つけて移動を希望する。というわけで今回も3席分をこどもとふたりで使うことができた。

こどもは生後11ヶ月目にしてなんと11回目の搭乗である。国際線含め。ほぼ毎月飛行機に乗っている計算である。

それにしても暑い。南国である。スコールみたいなのが降る。もはや熱帯である。湿度で押しつぶされそうになる。東京でこれは無い。

Monday 7 August 2017

違う環境で刺激を受ける

きのうは少し暑さが戻った。
昼から合気道の懇親会があり、子どもを連れて道場へ行ってきた。一人一品持ち寄りということになっているが手の混んだ料理をする時間はない。スパゲティをゆでてジェノベーゼで和えるだけにした。

いつ子どもを寝せるか?いつ準備するか?
外出するとなるとこれが重要課題となってくる。そこで朝からおおまかな計画を立てておいた。

起床はだいたい6時で朝食はだいたい7時。これはいつもの通り。8時すぎにいったん外へ連れ出し、公園でぶらんこして遊んで9時には戻る。案の定眠くなってくるのでそこで寝せる。いつもなら30分程度で起こすがきょうは寝たいだけ寝せた。午後に機嫌良くいられるように、そして、その間に私が準備できるように。11時ごろまで寝たのでその間にスパゲティを茹で、「一品」の準備。それと同時にこどもの昼食を作った。11時過ぎに出発。だいたいうまく行った。

道場にはたくさんの人がいて盛り上がっていた。普段稽古に行けていないのでここでみなさんに会えて嬉しかった。こどもにとっては、こんなに大勢の人がいる場所が珍しく、最初の一時間ぐらいはだいぶ緊張しているようだった。声も出ないしびっくりしてしまって私から離れない、動かない。半年前は全然そんなことは無かったのに、と思うとこれも成長のひとつなのである。

こういう経験は貴重だなあとあらためて思った。こどもはとても良い刺激を受けている。いろいろな人に会わせると、いろいろなことを子どもにしてくる。頭を撫でたり足を触ったり写真撮ってきたりいないいないばあをしたり鼻をつまんだり抱っこしたり。神経質になると親としてそういうのも遠ざけたくなるのかもしれないけど、子どもにとってはこれもすべて経験だ。100人いれば100とおりの接し方があるし、外の世界ではもっといろいろなことがある。抗菌状態で過ごさなければいけないような新生児ならまだしも、もうすぐ1年を生き抜こうとしている人間である。普段の生活でこれだけの人に話しかけてもらうことはなかなか無い。眺めていると、扇風機へ突進する子どもを、周りの中学生が笑いながら静止してくれている。「おいそこコンセント抜いちゃって」と指示を出す男子。そうしているうちにその子の背中にがっしりしがみつくこども。いい刺激を受けている。間違いない。

Sunday 6 August 2017

欠航不安

明日からしばらく郷里でゆっくりする予定なのだが飛行機が飛ぶのかどうか心配で仕方ない。台風の影響で欠航になる可能性があるからだ。心配してもどうしようもないのは分かっている。しかし空港まで行って「欠航になりました」と言われてそのまま家へ戻る、という事態だけは避けたい。そんなのいままでに一度も無い。出発を妨げられるというのはさぞ気持ちの悪いものだろうと想像がつく。

私の予想では、心配していたほど台風の影響は無くてそのまま飛行機は飛び、欠航を恐れた人たちのおかげで満席だったフライトから少し人が減り、となりのいない席も増えてこどもをつれても気兼ねなく飛べる…のではないかと期待している。

こどもはせっかく慣れてきた保育園からしばらく遠ざかることになる。勿体ないような残念なような気持ちもするが、再び通い始めたときに保育園のことを忘れているということはないだろう、きっと。だから、ゼロからのスタートではないはず。

毎年この時期は日本を脱出して、遠いどこかで過ごしていることが多かったので、こうやって八月のはじめを過ごしているのは珍しい。(去年は妊娠していたから仕方なかった。)みんなが休んでいるときにいっしょに休む必要もない一年だったので、ピークをさけて飛行機にのることができた。何度も。

そう、もうすぐ育休が終わるのだ。とても早かった。そして結構忙しかった。ドタバタしている間にめまぐるしく過ぎて行った。初めての経験だったが、やっぱり一年間の休業はちょうど良かった。産後2ヶ月ごろ、いろいろ辛いながらも「ほらみてごらん」と言いながら子どもと見上げた銀杏の木の黄色はたぶん一生忘れないと思う。

Saturday 5 August 2017

職場復帰に向けて、11ヶ月のメモ

きのう、職場復帰に向けての打ち合わせと引き継ぎに行ってきた。話を聞いているうちにワクワクしてきた。正直なところ楽しみで仕方ない。「実際始めたらほんとに大変だから」とか「想像以上にきつい」とか人は言うけれど(そしてきっと本当にそうなのだろうけど)今現在の私の気持ちは「楽しみ」これに尽きる。そういう職業、つまり、一年ぶりに働くことを心待ちにできるような職業に出会えて本当に良かったと思う。仕事を始めて11年目。確かに嫌なこともたくさんあるけど、好きか嫌いかと言われると、好きだ。大好きだ。ほかの人に自慢できるくらい、楽しい仕事をしていると思う。

おそらく、周りの人が言うとおり、想像を超える大変さが待ち受けているのだろう。子育てと仕事を両立させるというのがいかに大変なことなのか、未知である。初体験である。何も知らない。甘く見てはいけないところもあるだろうし一体どの程度まで頑張って(あるいは頑張らなくて)よいのか分からなくなるかもしれない。いずれにせよ、正解は無い。嫌いなことに無理に耐える必要はないし、楽したけりゃ楽していい。私の人生の主役はほかでもない私である。

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こどもについて、11ヶ月と5日のちょこっとメモ。

今週ついに、保育園に預けるときに泣かなくなった。少し「ひひーん」と言いはするものの以前のようにひどく泣くことが無くなった。こっちが拍子抜けするくらいである。おそらくここが楽しいところで、友達に会えるしおいしいもの食べられるしそもそも自分に危害を加えるわけではないということが理解されはじめた様子。

それとほぼ同時だが、きのうとおとといはほぼ夜中起きることなく寝た。どうしても夜中に授乳しないと寝ないという状態がずっと続いていたがきのうときょうは必要なかった。今朝は4時半ごろにちょっと起きたので早過ぎると思って哺乳瓶に残っていたちょっとミルクをあげたらそれで6時まで寝てくれた。おかげでこっちもよく眠れている…はずなのだが、きょうは昼間にやたら眠い。なんだろうな。

Friday 4 August 2017

サンダルがこわれた

サンダルが壊れた。

2週間くらい前だったか、ベビーカーのストッパーを上げようと思ってサンダルをひっかけたら、鼻緒(って言わないよね下駄じゃないんだもの)がスパっと外れてしまった。「あ」と思ったが、まあ仕方ないなと同時に思った。こういう扱い方をするからだ。自分のせい。

その部分が外れていても十分にはけるのだが、やっぱりここはきちんと修理に出そうと思った。BIRKENSTOCKのサンダルなので店舗に持って行けばきっと直してくれるだろう。

店のカウンターにサンダルをのせてみて初めて思った:

「ボロボロやないか…」

痛々しいほどにボロボロである。こんなに目に近い位置で、しかも照明にあてて自分のサンダルを見たことが無かった。

それもそのはず、もはやあれはどの夏だったか忘れた、というくらい昔に買った。5年?いや、もっと前である。10年も経ってないはず。その年は(というか、「も」)ローマで夏を過ごしていた。靴屋さんで50ユーロくらいで買ったと思う。

ビルケンシュトックは日本で買うとやたらと高い。レートにもよるだろうけど2割増くらいに感じるときがある。ドイツのメーカーなのでヨーロッパで買うともう少し普通の値段で買えるのだろう。

…と、当時思ったのを覚えている。それ以降、ヨーロッパでも日本でもサンダルを買おうとしたことがなかった。というのも、そのとき買ったこのサンダルでじゅうぶん満足していて、毎年ほかに何か欲しいと思うことはなかったから。

たしかほかにもいろいろサンダルを持っていたはずなのに、この一足に足が馴染めば馴染むほど、ほかのサンダルがいらなくなっていった。じょじょに処分をして、今残っているのはヒールのある黒いサンダル(スケッチャーズとクラークス)が二つ。それとこのビルケンシュトックのみ。

で、修理の話に戻る。

きょうの夕方、こどもをお風呂に入れようとしていたら電話がかかってきた。なんと修理不可能だそうだ。というのは、この古さでは、土台もソールも総取っ替えしないと話にならないらしい。土台であるコルク部分を替えるとお金がかかりすぎるからとりあえず鼻緒(!)の部分だけ替えてくださいとお願いしていた。そうすれば1800円で済むのでこの夏でとりあえずはきつぶそうと思ったのだ。しかし総取っ替えしないといけない、と。そしてその修理代はほとんど1万円。

これは修理を諦めるしかないと思った。新しいのを買ってもだいたい1万円するのだ。

気に入ったもので質が良いものは、ちょっとずつ直して長く使うのが結構好きだ。かれこれ10年以上使っている財布も然り。質が良いと修理に耐えられる場合が多い。

しかしこればっかりは仕方ない。寿命だ。それにしても長く活躍してくれた。

調べてみると、MAYARIという種類のサンダルらしいです。紫色だった。これだけはけばサンダルも本望だと思います、とお店の人も言っていた。今度、工場から戻ってきたら引き取りに行くことになっている。ありがとう、お疲れさま、私のサンダル。

Wednesday 2 August 2017

食事エプロンを作った

自分だけは例外、と漠然と思っていることがある。そのことにすら気づいていなくて、気づくのはいつも当事者になってからなのだが。

たとえば保育園を見つけるのがいかに難しいか。待機児童問題は他人の問題だった。いずれ自分も直面する問題であることが分かっていながらもなんとなーく自分だけは例外な気がしていた。
妊娠出産に関する問題もそうだった。

世の中の人々が必死こいて、がんばって、もがいている部分を自分だけはすっ飛ばせるような気がしていた。そして今もどこかそう思っているところは、やはり、ある。

ちょっと話は違うかもしれないが保育園とか幼稚園とか小学校の準備ってそんなに大変なのだろうか、とこれも漠然と思っていた。世の中のお母さんたちが夜な夜なミシンを引っ張り出してきて「おどうぐ」をそろえるのは義務なのだろうか、あれほんとにやらなきゃいけないんだろうか、と。

で、当事者になってみて思ったのは、買えば済むものでも作りたくなっちゃうのかな、ということ。ちょこっとの裁縫で済むのであれば。

今通わせている保育園の場合はそれほどたくさんの準備するものは無かった。区立保育園でお願いされるようなシーツもいらない。ただ「エプロンを用意してください」と言われたのだが、二枚しかなくて洗濯が追いつかない。どうしようかなと思ったら、作ったほうがいいということに気づいた。手間はかかるかもしれないが、ほかのものに比べると比較的簡単にできそうだ。具体的には1,切って、2,バイアステープを縫い付けて、3,マジックテープを縫い付ける。それだけ。というわけである日、生地を買って作ってみた。これ↓
カーブのところが難しかったけど、ラミネート生地なので普通の生地よりも簡単にできる。糸の始末も不要。

ちなみにこの生地は、下北の小さな生地屋さんで買いました。ユザワヤではなく。最近下北の小さな店がつぶれてばかりなのでここぞとばかり応援しておいたというわけ。そもそもこの素敵な生地(ニューヨークの地図)はこの生地屋さんにしか無かったし。

生地がまだまだ余っているのでまた何か作ろうかなと考えている。

Tuesday 1 August 2017

8月になった

思いつくがままに最近のこと。


おととい、ついに三回目の家事サービスが終了してしまった。(終了と言ってもお金を払えばいくらでも来てもらえるのだが、回数券は何万円もする…。)今回はラザーニャと、ラタトゥイユという手の混んだものを作ってもらった。さらにリクエストしたポテトサラダとかぼちゃの煮物、それから茄子の揚げびたし。どれもこれも美味しかった!


保育園の入り口にこんな紙が貼ってあった:
「フリーの保育士の○○は結婚のため退職することになりました」
おー、めでたい、と思ったのと同時に、どこかおさまりの悪い、へーんな感じがした。それからその後ずっとこの張り紙が頭に引っかかって仕方なかった。

結婚したら仕事をやめるものなのか?
結婚は退職につながるものなのか?
たとえば保育園じゃなかったらこういう書き方をするだろうか?
しかし、ただ「退職します」と書くよりはこれがマシなのだろうか?
これがいわゆる寿退社?

30年前だったら特にこの掲示が気にならなかったのかもしれない。でも今きっとこれを見て変な感じあるいは違和感を覚える人はきっといると思うんですよね。逆に、結婚しても保育士を続けてる人はどれくらいいるんだろう、と思ったけどそれはきっと専任かどうかによるのかもしれない。掲示にあった保育士さんは「フリーの保育士」ということになっていた。

しかし、だ。

たとえば私だったらこんな書かれ方をされたくはない。いや、そもそも、子どもができたならまだしも、結婚と同時に仕事をやめるっていうのは一体どういう感覚なのだろう。繰り返すが、30年前ならまだしも、だ。せっかく始めた仕事を、体力も美しさもそろっている20代に後にするというのは、悔しくないのだろうか。それとも夫からそれを頼まれるのだろうか。え、ちょっと待って、それって夫の人生?彼女の人生?夫とうまくいかなかったら?その後どうなるの彼女は?

まあ、あれかな、夫の仕事の都合で東京を離れるのかもしれない。それだったら仕方ないけど。

女性は経済的に自立しているべきです。絶対。

んー、とは言うものの、確かに二十代のある時点では「仕事なんてやめても愛さえあればどうにかなるし平日ジャムでも煮たりしてゆっくり子育てこそが私のしあわせ」と思ってた時期があったっけなあ。今だったら当時の私に「仕事やめるなんてありえんよ」と言ってあげたいけど。

ともあれ、保育士の○○さんに幸あれ。

★子どもはだいぶ保育園に慣れてきたようだ。きょう、ついに、預けたときに泣かなかった。(もちろん最初の数日は何が何か分かっていなくて泣いてなかったけど。)だいたい一ヶ月経ってようやく次の段階まで来たと思われる。

一週間ごとに、園にいる時間を少しずつのばしてきている。先々週からは、昼寝をするようになり、起きて泣くと電話が来て迎えに行く、という具合だった。そして先週からは途中で起きようが何しようが、とにかく3時まで。そしてきょうからはついにお昼寝のあとにみんなとおやつを食べるという段階まできた。一ヶ月かけてようやく、である。本人が一番大変だったろうなあと思う。よく頑張った。きょうのおやつはヨーグルトだったらしく、喜んで食べたようだ。それもそのはず、毎朝、大人と同じくらいの量のヨーグルトを、砂糖もジャムもフルーツも無い状態でパクパク食べているのだから、おやつに出た「オレンジヨーグルト」はさぞ美味しかったはずだ。

★子どもを預けている時間を有効に使おうと、片付けをしたり買い物に行ったりしている。今のところもっとも意義あると思えるのが、水泳だ。夏休みに入ってプールの学校使用の時間がなくなり9時から一般開放になったので、預けてその足でプールに行く。やっぱり水はいい。めちゃくちゃ気持ち良い。きょうは、伸びきってしまっていたスイミングキャップを新調した。身体を動かすって最高に気持ちがいい。

★去年の今頃は逆子騒動で大変だったなあ、と思い出す。騒動というほどのことでもなかったかもしれないけど張本人にとってはあれは結構な一大事でした。詳しくは去年の記事をご覧下さい。外回転のために病院に診断にいったのが7月末だったから、去年の今頃は、回るかどうか最後の期待をかけていた一方、本当にこれやっちゃっていいのか不安につきまとわれてもいた。すんごい暑い夏だった記憶があるけど、それはたぶんおなかが重かったせいかもしれない。注射うつために毎日のように病院まで歩いたなあ。ほんっと暑かった。そしてテレビではひたすらオリンピックが放送されていた。あれからもう一年。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...