Saturday, 28 February 2015

チェロキー

ミシェル・ペトルチアニの『ミシェル・ペトルチアニ』を聴いている。ずいぶん久しぶりだ。何年も聴いていなかった。
6番目の曲が聞こえてきたときに、頭のてっぺんから、身体が崩れていくような感じがした。
「ああ、これは」と思った。チェロキー。
この曲を聞くと連想する色がある。赤のような、オレンジ色。しかし暗めのオレンジ色。フィレンツェの街灯の色。ワインに反射する光。ミシェル・ペトルチアニを知ったきっかけになった人のことを思い出した。あの時、いいジャズと、いいワインがあれば、人生たいていのことはうまく行く気がしたし、怖いものは無いと思った。世界は自分のもの、とさえ思った。将来のことも過去のことも考えなかった。今がすべてだった。道を歩けば誰もに愛されて、誰もを愛せる気がした。

最近、いろいろなものを少しずつ取り戻しつつある。映画と、音楽。血液がようやく巡り始めた。

Monday, 23 February 2015

枯れかけた植物がふたたび水を得たかのように

忙しかった日々が終わり、生活に潤いが戻ってきた。

昨日は午前中、プールに行って泳いだ。だいぶ久しぶりに泳ぐのであまりがんばりすぎないようにした。30分も泳がなかったと思う。そしたら、ずどーんと疲れてしまった。歩くだけでも脚が重い。やっぱり筋肉は使わないと簡単に衰えるのだなと実感した。
その後地下鉄に乗っていつもの場所までお昼を食べに行き、それから一旦家に戻った。
3時からUPLINKで映画を見た。
チケットは前日にあらかじめ買っておいた。普通は映画のチケットを買っておくことなんてまず無いのだが、昨日のは、昨日限りの上映だったので見られないかもしれないと思ったから。
イタリア映画特集らしくて、昨日は「僕はナポリタン」という映画を見た。
これまたイマイチなタイトルだ。

タイトルはイマイチだが、映画自体は良かった!!
だいぶ笑った。
久しぶりにこんなコメディらしいコメディを見た。
何がおかしいかって、イタリア語だから笑える、というのもあると思う。
イタリア人には「失礼な」と怒られるかもしれないけど、私はイタリア人どうしが会話しているだけで笑えるときがある。
あの「調子」がなんとも言えない。

偶然にも、前日見たのもナポリの映画で、これまたナポリだ。
二日間で(東京にいて)これほど多くナポリ方言を聞くことは無いなと思った。
特徴をつかむにはいたっていない。

あー、やっぱりイタリア行きたいなあ。

今日は普通の月曜だった。ごく普通の。
8時から6時まで働いた。

帰りに雨が降ってきたが、傘もレインコートも無いまま自転車で帰った。
そんなに降ってなかったので困るほどではなかった。

ところでDVD店のお兄さんに好意を持たれているような気がするのだが、気のせいだろうか。
半年ぐらい前に、店に無かった作品を取り寄せてもらったことがあったのだが、そのときに対応してもらった人だと思う。
お釣りを返すときに手をしっかりと握られるんです。しかも両手で。
うーん。

今日は借りたDVDを見る時間が無かった。見ようと思っていたんだけどアカデミー賞の記事を読んだり、Eddie Redmayneのスピーチを聞いたり、テレビでヘレン・ミレンの「Queen」をなんとなく見ていたりしたらあっという間に時間が経ってしまった。

写真は、この前いっぺんに手に入った洋書たち。
眺めているだけで幸せになる。
全部、村上春樹です。

さて、おやすみなさい。

Sunday, 22 February 2015

文化的活動

昨日21日(土)は気持ちよいくらいに晴れた。
しかも気温も高く、お出かけ日和だった。
日ごろの疲れがたまっていたのだろう、朝は9時ごろまで眠っていたようだ。
10時には出かけなければいけなかったので洗濯をする時間が無かった。
残念だ。

午前中は御茶ノ水で用事があった。
用事が終わったらやりたかったことがある。
それはサックスのケースを探すこと。

御茶ノ水には楽器街がある。
例えばドラムだけ、ギターだけ、管楽器だけを扱う店があり、細かい要望・願いが叶う。

家でサックスを練習することはできず、公園に持ち出したいと思うことがよくある。
しかし今持っているケースは純正で、重すぎて持ち運びには向いていない。
持って歩くだけで疲れてしまう。

そろそろ春だし、あったかくなってきて公園にも出かけやすくなるし、持ち運び用のケースが欲しいなあと思っていた。

有名な楽器店に行けば、ケースなんてすぐに買える。
しかし種類も少ないし、値段を比較することもできない。

そこで御茶ノ水である。
かなり歩き回って、数名の店員さんと話した。
さすが詳しい。
秋葉原にゲームやアニメのオタクがいるとすれば、このあたりで楽器を扱う人たちは楽器オタクだ。

だいぶ迷ったが、最終的にvivaceというメーカーのものをアウトレットで手に入れることができた。
4000~5000円割引である。

そのあと靖国通りをまっすぐ歩き、九段下のイタリア文化会館へ。
passioneという映画を見た。
ときどきこうやって無料で上映会をやってくれる。
土曜だけあって、人が多かった。

日本で上映されていない映画である。
ナポリと、歌についてのドキュメンタリー。
ミュージックビデオに近いかもしれない。
日本語字幕は無いが楽しめる。
当然の流れだが、ナポリに行きたくなった。
イタリアに住めたらいいなあとあらためて思った。

サックスのケースを抱えて、たいそう満足して帰った。

こういうときに都会はいいなあと思う。
色々な趣味を持った人たちが大勢集まった場所なので、細かい願いが叶えられる。
趣味、文化的活動をするにはとにかく恵まれている。

Thursday, 19 February 2015

直さなくて良い

忙しかった日々が17日に終わった。
その期間、帰宅時間はひどいことになっていた。
14日…10時
15日…10時
16日…11時

帰宅するや否や、次の日のためにソッコーで寝なければならず、ろくにソファに座っている時間さえ無かった。もちろん料理とか掃除とか洗濯とかできるわけがない。

こういう状況に対して、何ができるか。

・泣き言を言う
・我慢をする
・管理職に訴える
・サボる

そのくらいだろうか。
文句を言っても何も変わらないというのは事実である。

しかし私は「仕方が無いな」と言って11時まで平気で仕事していられない人間である。
だんだんとイラつきが高まってくるのが分かる。
身体に反応が出る。
首のあたりから頭の後ろにかけて、神経が、ぞくぞくと逆立つ感覚がある。
会議の時も時々そういうふうになる。
他人に自分の時間を奪われることが何よりも苦手なのだ。
協調性が無いと言ってしまえばそれだけのことだ。
だけど、頭では分っていても、気分が悪くなるほど身体に反応が出る。

小さい頃からそうだ。
時間外まで拘束されるのが大嫌い。
土日に部活に行かねばならないのが大嫌い。
以前まではこういう体質というか性質を直さなければと思っていた。

だけど今は、もうこれでいいと思っている。
生理現象だ。
私はこういうふうにできていて、私を構成する何かが拒否反応を示すのだから、もう、そういうことだと思うしかない。

ところで昨日は1日休みだった。
久しぶりにマフィンを焼いた。
バターではなくココナッツオイルを使った。
分量は適当だったが、結構美味しいのができた。
今朝も1つ食べた。
これなら簡単だし、健康にも良い。
今日は職場に1個、おやつ用に持っていこうと思う。

さて、これから仕事に行く。
1日じゃ足りないなあ、休み。

Thursday, 12 February 2015

忙しかった…

8時すぎに帰宅。
いつもより少し早い。
今日から、少し本業とは外れた一週間が始まった。
朝8時から12時間、ほぼ座ることなく働き続けた。
これを楽しめるようになるのかなあとも思うけど、まあ無理である。
救いは、同じチームの同僚がとにかく良い人たちばかりであるということ。
時間が長いのは苦痛だが、作業中に嫌な気持ちになったりすることはない。
明日の集合時間は7時である。

当たり前だが、ほぼ「自分の生活」は無い。
今日ぐらいに帰宅できれば、せめてスパゲティをゆでる時間ぐらいは取れる。

今日、日中少し、ウトウトと眠くなってしまった。
一般的には良くあることかもしれない。
だけど、私にとってはあるまじきことだ。
身体が危険信号を出している。

7時間眠りたい。
ということはそろそろ寝る準備をしなければいけない。
帰ってきてまだ1時間しか経っていないのに。

睡眠が減ると全てが狂うと思っている。
食生活ももちろんそうだが、少し崩れても1日単位で取り戻せる。
睡眠は、「とらなくてもなんとかなるのではないか」と思ってしまうこともある。
そしてそれによって体重や肌の調子もすぐに影響をうける。

明日は今日より忙しくなることは分っているので、思い切って早く横になるようにしよう。
意識的にリラックス時間をとらねば。

のど飴週間

また忘れそうなので今書いておく。
土日はきちんと休んだ。
月曜と火曜はどちらも帰宅が9時ごろになった。
月曜の夜ごろからだんだん喉がおかしくなってきた。
昨日は外出から帰って大人しくしていたんだけどやっぱり調子がよくない。
スパゲティをゆでたあとで、ゆでたお湯をそのままにしておいた。
部屋に湿気が必要かなと思ったから。

今日から戦闘がはじまる。
体調を崩さずに来週まで持ちこたえられる自信が無い。
きょうはもしかして少し早く帰られるのではと期待しているが…。
つらいなあ。

乾燥は怖い。
あっという間に喉がやられていく。
今週はのど飴が手放せない。

Wednesday, 11 February 2015

ミア・ウォレスはもういない

Daily Mailから画像拝借。

この人、Charlotte Gainsbourg。
もはや少女のようにしか見えませんがなんと、43歳。
たぶん彼女自身も自分が何歳か知らないんじゃないかな?
よく言われることですが、フランス人女優はハリウッド女優と違って、歳に抗おうとしない。
それどころか歳をとるほどに美しくなって行くように見える。
ちなみにこの写真はベルリン国際映画祭であやうくWardrobe Malfunctionしかけた、という昨日のニュースからでした。


自然体が一番ですね。

で、同じ日に見たニュースでもっとも衝撃的だったのがこちら。
ウーマ・サーマンの顔が激変している。

この写真を見た瞬間「えええええ~」ってアゴがはずれるかと思った。
怖い。
アンドロイドか何かと思った。
普通に生きていてここまで変わることって無いから、やっぱり整形したとしか思えない。
うーん、ショックですねー。
あの、パルプ・フィクションのミアがもうこの世にいないということか。
記事を読んでみると「去年のレネー・ゼルヴィガーほどまでの衝撃は無いにしても、確実に、顔が変化している。しかも固い笑顔しか作れないようすだった」とある。
普通にしていて十分きれいだったのになあ…。
ちなみに44歳だそうです。

でも、どうしてでしょうね?
いじらないほうが絶対にいいのに。
衰えて行くのは当然だけど、それでも、整形するよりは絶対マシなのに。
私はまだ40歳を迎えていないからその気持ちはわからないんだろうけど。
それにしてもかなしい変貌。

Sunday, 8 February 2015

土曜の午後、センター街にて

そうだ、昨日あった嬉しいできごとについて書いておかないと。

昨日の午後、渋谷にいた。相変わらずの人の多さである。
センター街を歩いていたら後ろから駆けてくる女性が一人。
長い髪。切りそろえられた前髪。
大学生ぐらいだろうか。若い。

こっちに来るなあと思ったら本当に私のところに来た。
「あの、すみません。」

スカウトで声をかけるにしては頼りなさげだ。
それに通常スカウトは男性ばかりのはず。

「これ、ピアス、落ちました。たぶん。」

と言って、なんと私がつけていたピアスの片方を届けてくれた。
ハッとして耳に手をあてると、確かに片方ついていない。
しかも、特に気に入っているピアスだった。

驚いたと同時に感動して「わー、ありがとうございます」とお礼を言った。
その子はすぐに去って行った。
名前も聞けなかったし顔さえよく見れなかったけど、土曜に渋谷にいそうなタイプの子だった。

土曜午後の、センター街のど真ん中でピアスを無くして、気づいたとしても探し出せる訳がない。
いい人がいるなあ、世の中捨てたもんじゃないなあと、ほとほと感心したのでした。

「スタイル」をつくる映画

ひとり映画祭、絶賛開催中である。先週から借りていたDVDもあわせて昨日1日で3本見た。ここで特筆すべきは、図書館で行われた映画鑑賞会について。

図書館という場所が好きでよく行くのだが、1ヶ月ほど前に別の図書館での鑑賞会のお知らせポスターを見かけた。
今までも見かけたことはあったのだが、今回はあの『大人は判ってくれない』とある。これは見に行かねばと思って以前からスケジュールに組んでいた。この図書館には今まで行ったことが無かったので、入念に行き方をチェックした。歩くのはなんだか難しそうな位置にある。こういうときはバスだ。

定員60人らしい。初めて鑑賞会に参加するので、どのくらいの人が来るのかまったく未知だった。小さな地下室にパイプ椅子が並べてあった。明らかに60脚だと思った。エプロンをした司書さんから説明があり、映画が始まる。

予想外だったのが、本当に「映画」なのである。つまり、デジタルではなくて、あの、いわゆる大きなフィルムを映写機で回すのである。カタカタカタという音がする。そもそも古い映画であり、映像がよく乱れる。これぞ映画…!!

『大人は判ってくれない』は1959年の映画。確か、ゴダールの『勝手にしやがれ』と同じ年である。白黒だ。
大学時代、一日中映画ばかり見て過ごしていた時期があった。ライブラリにあるゴダール作品はほぼ全部見た。トリュフォーについては、そこで見損ねたまま、卒業してしまった。置いてなかったのかもしれない。

ゴダールの『男性・女性』でジャン・ピエール・レオーは見たことあったのだが、デビュー作の『大人は判ってくれない』を見たことが無いままだった。

冒頭の古すぎて歪んだような音楽を聞いた瞬間に、古い映画を漁るように見ていた大学時代が一気によみがえってきた。あの時期に私は、村上春樹の言う「資料」を取り入れたのだと思っている。音楽とか映画とか本とか。『資料』をどんどん入れていく時期。知らず知らずに自分のスタイルも創られていく。

内容は言うまでも無く、映画にスタイルがある。決して聴衆に媚びていない。派手さも無い。映画のベーシック。ここからすべてが始まったのだ、とあらためて思う。

ファッション雑誌を読んだり新しい服や化粧品に何千円もかけるより、この時期の映画を一気に見たほうが「スタイル」への影響は大きい。その場で効果は出ないかもしれない。けれどやはり奥の奥にある自分自身のスピリットを鍛え、あるいは確立するのが「スタイル」の大前提だと思う。

ネクタイとコーデュロイのジャケットを着こなし、革靴と革のかばんでパリを駆け回る12歳の少年を見て思う。この人たちの文化は、もっと前の時代から今まで貫かれていると。

ちなみにこの映画、原題は"Les Quatre Cents Coups"(400回の殴打)だそうだ。何度も書くけど、昔の人たちのほうが邦題のつけ方が上手い。内容を見るとまさに『大人は判ってくれない』である。無理にカタカナにするわけも無いし(50年以上前に)、不自然な日本語でもない。

とても満足して図書館を後にした。帰ってから『DON JON』と『La Vie d'Adele』を見た。後者は映画のあちこちに青色がちりばめられていたのが印象的だった。

Sunday, 1 February 2015

1月最後の1日のはなし

天気は良い。しかしまだまだ寒い。
昨日は風が強かった。
駅のホームなんて逃げ場が無くて困った。

1月最後の1日のこと。
前の晩は帰宅も遅く、寝るのも遅かったので、遅くまで寝るかと思ったけど8時前には目が覚めた。
外が明るい。
朝の光を浴びていないと人間の生活はどんどん崩れる。というか、生活が成り立っていない人は朝の光さえ浴びればいろんな問題が解決されるのではと思う。

前の職場での同僚に会うことになっていたので、午前中で洗濯を済ませた。晴れているときの洗濯は本当に気持ちが良い。バルコニーの無い部屋には住めないなあと思う。
西荻窪で一緒にお昼を食べた。1歳になるこどもがいて、前回会った時よりももっと可愛くなっていた。表情に変化が出るようになった。駅で立ち止まっていたらおばあちゃんがやってきて「かわいいねぇ~」と言いながら彼をあやす。この、シワシワの曲がった生物と、つるつるのちっちゃい生物が同じ種類の生物なんだから、まったくこの世は不思議なものだ、と思う。つるつるが数十年経てばシワシワになるのだ。

お互い笑顔のおばあちゃんと赤ちゃんを見ながらそう思う。こどもは希望なんだなあとあらためて感じた。まさにその存在だけで周りに希望を与える。今の日本のような、そこらじゅうが年寄りだらけの世界では、このつるつるの存在がさらに貴重に見える。

こどもが欲しいなとは思うのだが、また人生そんな思うようにいかないもので、私にはこどもがいない。このまま人生が終わることは無いだろうと思っている。でも、こどもがいるかいないかで私自信の価値が変わることはない。そう信じている。一応今のところ世の中の役には立っているし、これまでに得たことを還元することができている。

新宿に行こうと思ったらそのまま東西線に乗って落合に着いてしまったのでまた中野に戻り総武線に乗りなおした。荻窪とか中野とか、あの辺の仕組みは今になってもちっとも分からない。滅多に行かないので慣れない。未だに三鷹と吉祥寺どっちが右だっけ、なんて思う。先日ふと国分寺駅ってどんな駅だったっけと思い出そうとしたけど結局思い出せなかった。国立は分かるんだけど。大学時代はあの辺まあまあ使っていたんだけどな。

寒かったので、かけそばを食べに裏路地へ入った。そのあと、小倉あんと、ケイパーと、キドニー・ビーンズと、シナモンシュガーを買って帰った。

帰ったら5時を過ぎていた。少し落ち着いた後で、プールへ行った。きっかり30分間泳いだ。何があっても、プールだけは行かないとすっきりしない。肩甲骨を動かすのだ。以前は1000メートル泳ぐと決めていたのだが、ここ数年は数えないことにした。それを自分に課すよりは、30分経ったら終わり、と決めていたほうが良い。そのほうが自分にプレッシャーをかけすぎず、今後も長く水泳と付き合っていけるような気がする。週に1回か2回、30分。

家に戻って、たこのさしみを食べて、豆腐としめじと豚肉とキムチで鍋みたいなものを作って食べた。1日なんてあっという間に終わってしまう。

手帳はいらない

手帳が売り出される季節。だけど手帳は買わない。ここ3年くらい?買うのをやめた。もっと前からかもしれない。理由は簡単。 1、使わない 2、処分に困る 時間をかけて、お金をかけて選んでも結局使わずに終わる。気づいたら何も書き込んでいないので、どうしようかなと思って日記のよう...