Saturday 29 October 2011

たかな

母親が高菜を炒めた。
正式名称は「たかないため」なのだろうが、うちでは昔から「たかな」としか呼ばない。

物心ついたときから、それはそこにあって、「高菜」という文字よりも「たかな」という音のほうから先に覚えた。
あの見た目と、味と、香りのするたべものはいつも「たかな」なのであった。

西洋風の食べ物が食卓に出現する頻度は、和風のそれよりも低かった。
というのも幼少期から祖父母と一緒にくらしており、彼らの胃は乳製品や肉をあまりうけつけなかったため、私たちきょうだいが欲したとしても、西洋風の食べものが優先されることはそれほどなかった。
煮物や干物が中心だったし、膳の左前にはいつも白いご飯があった。

私はそれほど好き嫌いの激しい子ではなかった。
与えられたものはたいてい、よく食べた。

梅干し、漬け物、きんぴら-れんこんの時もあればごぼうのときもある-そして高菜は、毎回ではないにせよ、もっとも身近に、食卓にあるものだった。
季節によってそれは「ふき」の煮たものだったり、たけのこを炒めたものだったりした。

たいていのものはしょうゆで味付けられていた。
そこに関わってくるのはごまやかつおぶしであることが多かった。
油の摂取量は少なかったと思うが、塩分は相当摂っていたはずだ。

たかなは私の好物だった。
大量に盛られたその一皿を、これ全部食べることだって可能だ、と思ったのを覚えている。

上京してから食べてみた市販の高菜漬けはまったく別の食べ物で、驚いた。
味とかおりだけではなく、色と形まで違った。
世の中の人たちは、これを「たかな」と呼んでいるのか、と、当時18歳の私は驚き、同時に勝ち誇ったような気にもなった。

「寿司」や「天ぷら」は、世界に知られる日本の食べ物である。
しかし、高菜はあんまり知られなくていい。

とくに高級というわけでもないし、手に入りにくい食材というわけでもない、ふつうの菜っぱは、ここでこうやって食べて、ほっとするのが一番だ。

Friday 28 October 2011

郷里より

家族のいる故郷に戻ってきた。
日曜日までここで過ごす。

この家を出てかれこれ9年になる。
上京したばかりのころ、横浜に住むおじが「故郷にもどろうかと思っているんだよ」と言っているのを聞いて「そうなんですか」とは返事をするものの実感としてそれがどういうものかはわからなかった。

それがどうしたことかここ数年、ことあるごとに実家に帰りたくなるのだ。
恋しいのは家族というよりむしろ生まれ育った環境。
景色や、空気や、音がどうしても懐かしくなる。
たとえば「この秋のあの空気を、今味わっておかないと次の機会があるとしたらあと1年後になる」と思う。
そうやって、なかば焦ったようにして飛行機の席を予約するのである。

今回は故郷の「秋」を逃してはならぬ、と思ったわけだが、実際のところ、どの季節もそう思うのである。

帰ったからといって何か特別なことがあるわけでもない。
いつもどおりの静けさが待っている、ただそれだけだ。

それはなにものにも替えがたくて、なによりもあったかい。

ときどき抗いがたいほどに帰りたくなるとき、ほとんど、あきれてしまう。
1歳から18歳までをすごした場所というのは、こうまでも自分に「しみ込んで」いるのかと。
ふるさとの持つ力と、自分との結びつきに、参ってしまう。

幼少期に過ごした環境が人に与える影響は大きい。
この家に帰ると、自分がどれだけ恵まれていたか、幸せに生まれ育ったか、改めて思い知るのである。

人には自然が必要だ。
野山を駆け回り、自分の脚で歩き、自分の手で自然に触れた。
そうやって過ごした日々のおかげで、今の私がある。

Sunday 23 October 2011

「ドレッシング」不要

泳ぐ頻度も程度もいつもと同じはずなのに昨日から筋肉痛。どうしてだろう。
しかし運動をしたあとの筋肉痛ほど心地よく、そして嬉しい痛みもない。
筋肉痛は私にとって「痛」ではないのだ。
どこの筋肉を使ったか分かるのでむしろ、自分の身体を感じることができて良い。



そして運動(といっても私の場合水泳だけだが)したあとはどうしても野菜と、肉と、酢がほしくなる。とても。

単におなかがすいているというわけではない。

「食べたい」というより「摂りたい」に近いのだ。

どの栄養を身体が欲しがっているか、きちんと耳をかたむける。
ビールを片手になにかをつまみながら料理をする。

たいてい、レタス、アボカド、にんじん、卵、クルミ、たまねぎなどを入れてサラダをつくる。

ところで、よく一般家庭には「ドレッシング」というものが存在するが、うちにはない。
酢と、オリーブオイルと、塩があれば既成の「ドレッシング」を買う必要は無いからだ。



そして、ドレッシングを使わないほうが素材の味が分かる。化学の味に頼らない。
より美味しい。

そもそもドレッシングを買うほうが高くつく。
さらに、あの液体に「からだにいい物質」はあまり入って無いのではないだろうか。(それこそ値段にもよるが。)

さて、きょうは昨日よりも良い天気になった。
誕生日である。
同居人が、すさまじい大きさの花束を贈ってくれた。

とくに、まだ実感は無い。

ちょっとこれからまた外に出ようかな。
何か感じたらまたあとで書く。

Saturday 22 October 2011

20日と21日のこと

ふりかえり。
20日 木曜日。
住所を変更したのでその届出をするために役所へ。
この大都会も、平日の午前中となるとだいぶすいている。そんなに人は多くなかった。
天気も良く、歩きやすかった。
午後からは確か家の片付けをしたり、スーパーに買い物に行ったりした。
6時ごろからプールへ行き、久しぶりに1時間近く泳いだ。
夜はクロスタータを作りながら「ブラタモリ」の再放送を見て、11時半ごろねた。

21日 金曜日。
引っ越し以来初めて作ったお菓子はクロスタータだったわけだが、これがまた美味しかった。
アプリコットジャムを使った。いやむしろそれ以外のジャムは使わなくなってきた。
ちなみに最初に作ったときからすると、改良を重ねたのでレシピが変わった。
フランス菓子の、タルト生地みたいな感じだ。

バター70g
砂糖 35g
卵黄 1個
薄力粉 130~150g

それにレモンの皮を少し入れて適当にこねている。
生地の量が少ないので、薄めのものができる。
朝ごはんにはぴったりだ。
いつもどおり仕事に行き、4時過ぎには退勤する。
母校の同窓会に出席するためだ。

高校の同窓会である。出席するのはこれで2回目だが、相変わらずすごい盛り上がりを見せていた。
教育実習のときに教えた生徒が、大学4年生になっていた。来年4月から社会人だそうだ。
年月の流れるのは早い。
校歌を合唱して、おみやげをいただいて帰った。郷里の手延べ素麺と、みかんだった。

会場を出ると雨が降っていた。
大学に入学する時に親に買ってもらった上等のスーツを着ていったのだが、これが濡れてしまった。

ところで、18歳のときに買ったスーツがまだ入る。
途中、いろいろ変化はあったが結局10年経った今、体型はもとに戻ったのだろう。
大きすぎず、小さすぎないこのスーツは、上京以来の体型バロメーターでもある。
あと10年後も同じスーツを同じように着こなせるだろうか。

Thursday 20 October 2011

80年代の色

こんばんは。今夜は冷えますね。

半そではまだ使うとしても、短パンは、しまう時期が来たらしい。
そしてヒートテックの出番。
今「さむ」と思ってヒートテック一枚引っ張り出してきて着替えたのだが、やっぱり全然違う。
暖かくなった。

明日は仕事がない日。というわけでこんな時間までゆっくりしている。
普段は遅くとも11時までには寝ないと次の日がだめになる。
しかし今朝は失敗した。アラームが聞こえなかったのだ。幸い、出発すべき時刻の15分前に起きたので、遅刻には至らず。ほっとした。

そういえば最近、バターが無い。
スーパーマーケットには「売り切れですごめんなさい」の表示しかない。
日曜日に3件ものスーパーに行ってみたが同じだった。

せっかくキッチンが広くなったのに、作りたいお菓子が作れない。
明日また行ってみよう、バター・ハンティング。

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「かなり昔の有名な人」と思っていたら実は自分が生きている時期と重なっていたということに気付く、ということが時々ある。

アンディ・ウォーホルを知った/好きだと思ったのはいつのことかもはや何歳だったときのことか覚えていないが、彼は私が3歳か4歳のころに死んだ。

シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、私が3歳のときに死んだ。

彼らを「生み出した」時代ではないが、生きた時代とは重なっている。

たとえば60年代と聞いただけで、色とか音楽とか、様々なイメージが浮かぶ。
80年代とは、「自分が生まれた年代」でしかなかった。しかし、そろそろ「色」がつきはじめるのかもしれない。あるイメージが定まってくるのかもしれない。

世の中ではすでにそうなっているのだろうが自分のなかでそう感じ始めたのはごく最近のことである。

将来、自分に子どもがうまれたら、「80年代」と聞いたときにどういうイメージを抱くのだろう。私が60年代に感じるクールさ、それに手の届かないもどかしさみたいなのを、彼(女)も感じるのだろうか。

さて、寝ます。

Monday 10 October 2011

シャンプー革命・引越し

朝一番に目に入ってきたのは蜷川実花が髪を青色に染めたというニュース。

あ~あ、頭皮にいろいろやっちゃうと、からだによくないんだよ~

と思いながらコーヒーを置く。
段ボール箱の上に。

なにを隠そう、今日はお引越し。
ちょうど1ヶ月前に家を見つけたので急きょ引っ越すことにしたのだ。
といっても東に数百メートル動くだけなのだが。

最初の話に戻るが、頭皮にはやさしくしておいたほうがいい。
友達と話して、色々学び、結果として最近私にはシャンプー革命が起きた。

保存料や硫酸やシリコンがふんだんに含まれた市販のシャンプー。

実際に、薬局や家にあった、そういうシャンプーの裏に書いてある化学物質について調べてみた。
ぞぞっとするほど、怖くなった。

こんなのを毎日からだに取り込んでいたとは。
ちなみに頭皮の吸収率は、二の腕の柔らかいところを1とすると、3.5らしい。
そしてそれがどこに行くかというと…

子宮。

子宮は直接影響を受ける。
どれだけ医療の進んだ世の中になっても、アレルギーやアトピーの子が多いのは、無理もないことなのだ。

化学物質を完全にゼロにしてしまうのは無理があるとしても、極力減らす努力はできる。
今の時点で気付いてよかったと思ったのでした。

まあ時間の都合上簡単に書いてしまったけど、本当はもっと詳しく知っておいたほうがいい話。
私もこれからもう少しよく調べる。

とりあえず頭皮に直接つけるシャンプーだけは、保存料とシリコンと硫酸の入ってないものに変えた。見つけるのは難しいけどね…


さて、引越しに取り掛かる!

Wednesday 5 October 2011

月、火、水あっというま

雨が降った。結構しっかり降ったので、帰り道は靴下までぬれてしまった。
毎週のことだが、月曜日から水曜日まで終るのがとにかく早かった。
くるくる回っている間に一日が終る感じ。
日付が変わって、朝になって、24時間前と同じ時間の電車にのって仕事に行きながら「あれ、今日って何曜日だっけ」と、一瞬だが真剣に迷うことがよくある。

こんな日々でいいんでしょうか。
このまま気付いたら30歳になってしまって。
全然よくない。やりたいことはほかにもいろいろある。
動き出さなきゃいけないのに、疲れとか時間が無いのを言い訳にして結局何も動き出してない。

というのも、どこかでは満足しているのだろうと思う。
たとえば今日は仕事が楽しかった。
結局、教室こそが「自分を表現する場」になっている。
そして教室を離れたあとも「これを言ってあげなきゃ」とほぼ無意識のうちに考えている。
本質は、この仕事に向いているのだろう。

欲張りだが、特にこだわりはない。
しかし新しいことを始めたい。
環境を変えたい。
やればできるはず。能力は決して低くない。

ま、とりあえず寝るか。

Sunday 2 October 2011

とみんの日の、嬉しい出来事

今日は都民の日だった。
今日はプールが無料で開放される。
というわけで行ってみた。
結局のところ、お金を払おうが払うまいが、休みの日は行くのだが。

無料のせいか、なんだか変な人が多かった。

後ろから追っかけるように泳いでくる男とか、話しかけてくる男とか、水着をギリギリのところまで下げた男とか。(明らかに、意識的に水着を下げ、見せようとしていた。)

ほとんど変質者だなこれは、と思いながら、近寄らないように別のレーンで泳いだ。

ものすごい変な泳ぎ方をする男もいた。
泳ぐのが上手な人だけがプールに入って良い、という決まりがあるわけでもないのでこればかりは文句が言えないが、ほとんど狂ったような泳ぎ方をするのでさすがに変と思わずにはいられなかった。

これだけ変な人たちに水着姿という無防備な状態で、しかも同じ水中で囲まれていると、さすがに不快感がある。普段は全然こんなことないのに。

結局、はやめにプールを出た。

**************

受付をしている女の子は、とても笑顔が素敵で、元気が良い。
気持ちよく挨拶をしてくれるので、彼女がいるときは気分よく入れる。

10月のスケジュール表をもらうついでに、「無料公開日のせいか、変な人多いですよね」と言ってみたら、「そうかもしれません」と、彼女は答えた。

それから、ぺらぺらしゃべりはじめた。
時々プールに来る「変な人」たちについて教えてくれた。

そして

「ずっと前から聞きたいと思ってたんですけど」

と言うので何かと身構えたら

「おねえさん、スタイルいいですよね」


・:*:.。.:*:・'゜:*:・'(照´∀`)ゞ・:*:.。.:*:・'



「いやいやいやいやいや、そんなこと無いっスよ!(//▽//)」
と否定してみせたが、実は天にも昇るほど嬉しかった。

なにか特別にやっているのか、というのが「ききたかったこと」らしい。
ずばり、
「このプールのおかげですよ」と答えた。


そのほかにもいろいろ話してくれた。

ずっと受付にいるのがいかに退屈か。
雑誌を持ってきてもすぐに読み終わってしまうこと。
じっと見つめてくるおじさんの対応に困ること。
今は学生なので休みの日にここに来るということ。




なるほど、学生か。
社会人、あるいは「おとな」特有の、「曇り」が感じられない。
世の中には同じ学生アルバイトでも、マニュアルどおりにしかしゃべることのできない、表情の消えた人もいる。

しかしこの子はまったく違うのだ。
学生だからストレスが少ない、というのもあるかもしれない。
だけど、学生か社会人か、という以前に、彼女自身が「曇ってない」。

基本的に人としゃべることが好きなのだろう。
そしてきっと身体を動かしているのだろう。
そのくらいの予想はつく。
表情がコロコロ変わる。
目がきらきらしている。


どんな家族のもとで育ったのだろうか。
(職業柄、なのかもしれないが)そこまで考えてしまった。



こういう子が、たとえば就職して、ストレス溜め込んだり、変な上司にこき使われたりしないといいなあと、帰り道、自転車をこぎながら思った。
この笑顔をつぶしてはいけない。

企業で働いたことは無いけど、カウンセラーとか、生き方の相談役とか、悩める人を助けられるような仕事があったら、それはとてもやりがいがあるだろうと思った。


あ、こんなに受付の女の子を褒めるのは、別に自分が褒められたから、という訳では無いですよ!念のため言っておきますけど!

でもやっぱり、良いと思ったことを直接声にして本人に伝えるだけで、こんなにも相手を気分良くさせる!今日あらためて実感した。
褒められると、背筋が「しゃん」となりますね。
すぐにでも、実生活で、仕事で、生かそう!

いっさいはんは最強

 1歳半。 めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、た...