母親が高菜を炒めた。
正式名称は「たかないため」なのだろうが、うちでは昔から「たかな」としか呼ばない。
物心ついたときから、それはそこにあって、「高菜」という文字よりも「たかな」という音のほうから先に覚えた。
あの見た目と、味と、香りのするたべものはいつも「たかな」なのであった。
西洋風の食べ物が食卓に出現する頻度は、和風のそれよりも低かった。
というのも幼少期から祖父母と一緒にくらしており、彼らの胃は乳製品や肉をあまりうけつけなかったため、私たちきょうだいが欲したとしても、西洋風の食べものが優先されることはそれほどなかった。
煮物や干物が中心だったし、膳の左前にはいつも白いご飯があった。
私はそれほど好き嫌いの激しい子ではなかった。
与えられたものはたいてい、よく食べた。
梅干し、漬け物、きんぴら-れんこんの時もあればごぼうのときもある-そして高菜は、毎回ではないにせよ、もっとも身近に、食卓にあるものだった。
季節によってそれは「ふき」の煮たものだったり、たけのこを炒めたものだったりした。
たいていのものはしょうゆで味付けられていた。
そこに関わってくるのはごまやかつおぶしであることが多かった。
油の摂取量は少なかったと思うが、塩分は相当摂っていたはずだ。
たかなは私の好物だった。
大量に盛られたその一皿を、これ全部食べることだって可能だ、と思ったのを覚えている。
上京してから食べてみた市販の高菜漬けはまったく別の食べ物で、驚いた。
味とかおりだけではなく、色と形まで違った。
世の中の人たちは、これを「たかな」と呼んでいるのか、と、当時18歳の私は驚き、同時に勝ち誇ったような気にもなった。
「寿司」や「天ぷら」は、世界に知られる日本の食べ物である。
しかし、高菜はあんまり知られなくていい。
とくに高級というわけでもないし、手に入りにくい食材というわけでもない、ふつうの菜っぱは、ここでこうやって食べて、ほっとするのが一番だ。
Saturday, 29 October 2011
セールの思い出
激しく怒る夢を見た。理由も覚えていないけどその相手が母だったり子だったりした、気がする。夢で怒ったり、走ったりすると、「届かない」感じが苦しい。スローモーションで動くベルトコンベアの上を、自分も無理やり同じスピードで走らされているような感じがする。声も主張も、届いていないのに自...
-
きょうは代休。お昼を食べにでかけたら記録に値する興味深い出来事があった。赤ちゃん連れの多いオーガニックカフェ。昼はビュッフェ形式。私が案内されたのは一番奥の席。両隣にはすでに客がいて食事をしていた。二組とも、女の赤ちゃんを連れた母娘ペア。つまり、女3世代ということ。平日の客のな...
-
無類のスーパーマーケット好きである。用がないと行かない、というのが望ましいのだろうが用がなくても行ってしまう。日本に住んでいて、ほぼ毎日行く場所だと思う。もっとも落ち着く場所、と言える。 そんな私が海外に行って、スーパーを避けて通れるわけがない。いつまでもいられると思うくらい、興...
-
ドラえもんの映画を見に行った。 金曜の夜、ふと「連れて行くか」と思い立った。しかも自分が。普段だったらこんなことはしない。そもそも電車に乗ってどこかに出かけること自体が億劫だし、お金もかかる。最近は映画も高い。そこで自分が連れて行くとなるとやりたいこともできなくなるしスケジュー...