Monday 31 December 2012

よいお年を

今年もあと残すところ35分になった。

夜7時過ぎに、郷里に着いた。
空港はそれほど混んでいなかった。
うちに着いてから蕎麦をたべた。
味が薄い。
関東のそばを食べ慣れているためだ。

なぜこんなぎりぎりになって投稿をしているかというと、あと1つ投稿すれば今年の投稿件数が100になるからだ。

今年もまあいろいろあったけど、あまり反省はしないことにする。
そして来年を迎えるにあたりたてる目標は特にない。
いつものように、健康に気をつけて
(1.食べたい時に食べたいものを食べ、2.寝る前は適度なストレッチをして、3.12時までに寝て、朝7時までには起きる)
生きてゆくことにする。

それでは、よいお年を~

12月24~31日までのメモ

ここ数日のことをメモがてら書いておく。

【12月24日】
追加のクリスマスプレゼントを買いに表参道へ。午後になると混むのは確実なので、12時までには帰宅できるように早く家を出た。
クリスマス・イブには通常、肉を食べない。ということで大きなイサキを買ってきて焼いた。美味しかった。
見た映画…『ファミリー・ツリー』、『ハーフ・デイズ』

【12月25日】
仕事。街はまるでクリスマスが終わったかのような静けさ。クリスマス飾りをすでに正月飾りに取り替えている店もあった。
しかしながら今日はクリスマス当日。
仕事を5時ごろに終えて帰り、プレゼント交換をし、届いた荷物をあける。
幸せな時間だ。
その後レストランへ出かける。
ここもまた、「24日は予約でいっぱい」で、「クリスマス用ディナーしか頼めない」だったのだが、クリスマス当日は別にそんな制限も無く、人も特に多くなかった。
24日が本番、というのは、まったく変な習慣である。
翌日から仕事で東京を離れるため荷造りをしてさっさと寝る。

【12月26日~29日】
仕事。
行き先は新潟。
これほどの雪を見たのは生まれて初めてだった。

ニュースなどで「屋根より高い雪」を見ることはあったものの、完全に「ひとごと」だった。
いざ自分がその地に足を踏み入れると、完全なる精神的ダメージをくらっているのが分かった。
肉体的にもこの寒さには耐えられそうにない、と思ったのだが、精神的ダメージがそれ以前に来た。
そもそも寒いのが大の苦手なのである。
「それでもなんとかやっていこう」という根性をどうにかしてひねり出そうと頑張ったのだが、初日は無理だった。

吹雪に圧倒されて、まるで罠にかかったような気持ちになり、涙が出そうだった。
それに、四方八方を雪に囲まれていると、閉じ込められたような気分になった。
閉所恐怖症はこういう感じなのかもしれない。
行き場の無さが私に絶望感を与えた。
さらに、遠近感が無くなり、だんだん吐き気がしてきた。
車酔いに近い感覚。
雪酔いなんてものがあるのだろうか、と思って、現地の人と話したら本当にあるらしい。

吐くことこそなかったのだが、初日は最悪の状態だった。
吹雪いたのも初日だけだったので、その後はなんとかやっていけた。
演歌が雪国から生まれる理由も分かる気がした。
雪国の人々が我慢強いのは当然だ、と納得した。
「よかよか」と酒ですべてを済まそうとする(比較的)適当な九州とは完全に異なる。

それでもやっぱり私は冬より夏が好きだし、
ウインター・スポーツよりも泳ぐほうが好きだ。
いつだったか、父が「雪国には絶対に住みたくない、住めない」と言っていたのを吹雪の中で思い出し、やっぱりこの人の子どもだな、と思った。
お父さん、雪国の人たちはすごかです。

29日、ようやく東京に帰る。
全然寒くない。

現実に帰る。
いつのまにか年末が来ていた。

【12月30日】
壊れたので注文した掃除機のフィルターがやっと届いたらしいので受け取りに行く。
ついでに、壊れた外付けハードディスクを修理に出す。
そもそも修理できるのかどうか分からない。
朝からイタリアのコメディを見た。
表参道に行った。特に何も買わず。
昼から掃除。
約2ヶ月ぶりに掃除機を使って掃除ができた。爽快。

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今日は31日。午後の便で郷里に帰る。
楽しみである。
ラテン語の教科書を持って帰ろうと思う。
少し活用を覚えてみるつもり。
あとは、ごろごろする。(上のGIF参照)

立ち止まって考える余裕

いわゆる「独身貴族」と仕事をしたことがあるだろうか。
仕事をすると、私の経験では、以下の2つに分かれる。

1.とても楽
2.大変


30~40代の未婚男性は

A.体力
B.財力
C.時間

がある。
年齢的に、降ってくる仕事の量も多い。

プライドも高く、他人にお世話にならずに全部こなしたいというタイプの場合、一緒に組む人にまわす仕事の量が少ない。結果は1。とても楽。

2の、一緒に組むと大変、というのは多くの場合、「C.時間」が原因となる。あっちの時間に付き合わされるのだ。延々と会議を続けられたり、勤務時間外に仕事をさせられたりすると「おいおい、こっちはそんなに暇じゃないよ」と言いたくなる。家に待っている家族やケアすべき者が身近いないと、むしろ職場にいたほうが孤独が癒されるのだろう。彼らには、家族を持つ人たちのことが想像できない。

ただ、これからそういう人たちばかりが増えていったらこの国はどうなるだろう。
先日、ある同僚が趣味を尋ねられて「仕事」と答えているのを見てぞっとした。

「家族<仕事」という人(むしろ、パートナーは仕事、という人)が上に立つようになると、きっと全員がその人のペースに合わせなければいけなくなる。
下で働いているその人と、その家族が一緒に過ごす時間が減る。
その家で育つ子どもは寂しい思いをする。
大人というものはこういうものなのだと理解をする。
もし子どもが家庭というものを信頼しなくなったとしたら。
その子は10年、20年後に家庭を築くだろうか。
すべてはこうやって巡っていく。

だ か ら

フランスみたいに週35時間労働にしましょうよ~
そしたら仕事の生産性もあがるし
みんなの精神状態もよくなるし
平日の夜でも外出できるし
パートナーがいなくて寂しいという人も減るだろうし~
少子化にも歯止めがかかるかもしれないし~


…まあ、ありそうにないけど。
最初に出した「独身貴族」というのはあくまでも例です。
結婚していても「仕事>家族」という人はたくさんいるし、逆に、家族がいなくても「仕事はそこそこに」という人もたくさんいるし。

ただ、みんながプライベートな時間をたっぷり持つことができ、人とのつながりの中で心が満たされるような社会を作っていけたらいいなあと願う。

そのとき、その瞬間には仕事で成果をあげることがその人にとっては重要かもしれないけど、もっと長い目で見て、つまり長い人生の中でより意味を持つこととはどんなことか、それを考えてみるとおのずと見えてくるものがある。
そしてそういうことを考えるためには、まず「立ち止まって考える」ための(物理的&精神的)余裕が必要。

写真は、スティーブ・マックイーンと妻・ニール(1963年)。
この写真を見ると、とても幸せな気持ちになる。

Sunday 30 December 2012

ようやく

2012年の仕事が終わった。
今日は完全にお休み。
なのに雨… 

昨日まで新潟にいたので東京がだいぶ暖かく感じられる。
新潟から帰って久しぶりにハードディスクをパソコンにつないだら、何も反応しない…。一体どういうことでしょう。
注文していた掃除機の部品が届いたという連絡があったので、それをとりに行くついでに、ハードディスクも持って行ってみることにする。
データが全部消えたとすれば、これで2台目である。
ハードディスクは本当に頼りにならない。

それにしてもたくさんのデータが入っていた… 泣
頼りにならないと分かっていながらも頼りまくっていた自分を恨む。

雨が降ってはいるものの、外に出てみよう。
セールも始まっているらしいし。

Tuesday 18 December 2012

片付けについて

前回の投稿から時間が経ち過ぎてブログを書くときの感覚が失われてしまいそうだ。
ここ数日ゆっくり過ごしている。
19日(水)までにやるべき仕事を12日(水)に終わらせてしまったので、木曜午後から休みをとっている。
つまり一週間くらい頭の中を仕事から離し、Vacantな状態にしている。
ヴァカンス(Vacances)とか、ヴァケーション(vacation)とかvacancyというのは本来「空っぽ」という意味である。
頭の中を空っぽにできるくらいの時間的余裕が必要なのだ。
したがって2,3日の休暇を「バケーション」と呼ぶことはできない。
少なくとも私の場合、からっぽにはならない。

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映画をよく見ている。
1週間あたり3~5本は見る。
今のところ「これは時間の無駄だった」と思うようなものはあまり無い。

と書きながら一つ思い出した。
だいぶ前に見たのだが、「ジュリエットからの手紙」という映画は見ないほうがいい。
これはまったくの時間の無駄である。
久しぶりに「信じられないくらいにくだらない」映画を見た。

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数日前に「だんしゃり」をした。
つまり、色々なものをたくさん捨てた。
要るかどうかわからないものが詰まった箱が2つあって、その中を片っ端から出して、整理しなおした。

そもそも必要最低限のものしか持たないタイプの人間なので「モノにあふれた」部屋ではないのだが、整理しているときに気になるのは、写真のアルバムと、CD、DVDである。
これがかなりのスペースを占めているような気がする。

すべてデジタルでデータをとっておけばこれだけかさばることも無いのだが、やっぱり印刷したもの、ディスクとして焼いてあるものも置いておきたい。
では、その点は仕方が無いとして、どこをスリム化できるか。

アルバム自体の厚さである。
やけに幅をとっているアルバムが一つあった。
それが本当に必要なのだろうかと思った。
だいぶ前に人からもらったものである。

そこに入っているものを全部出してみると、写真とポストカード自体はとても薄いということが分かった。それで、すでに持っていた薄めのアルバムにおさめてみたらきっちり入った。
だからそのアルバムは捨てた。

ほかにもCDを売りに行ったり、かつての携帯をリサイクルに出したりした。
やっぱり、気分が良かった。

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「とりあえず、全部出す」

一つの棚や箱を整理しようと思ったら、とりあえず全部出してしまうほうがいい。
入れた状態で整理しようとせずに。
まずは、持っているものを把握しなければいけない。
そうすると「あれ、これはうちにあったっけ?ま、いいか、買おう」と言って既にあるものを買ったりすることが無くて済む。

さて、今日はいい天気のようです。
プールに行ってこよう。

Sunday 2 December 2012

ヘアクリップ

昨日は寒かった。
しかし朝はたいして寒く感じなかったのでプールに行った。軽く30分くらい泳ぐ。
DVDを借りて家に帰る。
お昼ごはんを食べようと思ったが、どうも、料理する気になれない。
その辺にあるものをつまみながらうろうろしていたが、どうしても、やっぱりそばが食べたくなって電車に乗って新宿へ。
裏路地にある例のそば屋や行く。

その後特に用もなかったが、ふと、懐かしい場所へたどり着いた。
そこでずっと前に、ヘアクリップを買ってもらったことがあった。
父親に。
もう10年も前だ。

ちょうど仕事で東京に出張していた父親と、新宿で会った。
食事をした後、クリスマス抽選会用のカードをもらった。
10枚あつめないと抽選ができない。
だからあと1枚だったかを集めるために、一つ髪につける何か買ってよいといわれたのだったと思う。
それで抽選をしたら商品券があたった。
その券でもう一つヘアクリップを買ってもらった。

「券を使える期間にもう一度戻ってくるとも限らないだろうからここでいっきに使ってしまったが良い」という父の意見だった。

たいそう嬉しかったのを覚えている。
おそらく上京してから初めての冬だった。
自由に使えるお金も限られていたので、いっきに2つも買ってもらえるなんて、とても贅沢な感じがした。
弟も妹も母親も知らない場所でこうやって1人だけ買ってもらったということもまた特別な感じがして嬉しかった。

その場所はこれまでも通ったことがあったのに、どうして昨日になってふと懐かしく思ったのだろう。
きっと季節のせいだろう。
あのときもちょうど、このくらい寒くて、クリスマス前で街がざわざわしていた。
10年前の空気と、シンクロしたのだ。

もう12月だ。

Thursday 29 November 2012

映画、ワイン

たいそう久しぶりにジャズを聴いている。
他人と住むようになってから、好きな時に好きな音楽を聴くことができなくなった。同居人はあまりジャズが好きではないのだ。当然のことながら、遠慮をしなければならない。

きょうは1人だ。
帰宅後すぐに映画を見た。
今週は1日1本、映画を見ている。贅沢だ。記録として何を見たか残しておこう。
月曜…「アメイジング・スパイダーマン」
火曜…「ジュリエットからの手紙」
水曜…「Big Year」
木曜…「the Beaver」

明日はおそらく見られない。忙しいから。

今日見た「the Beaver」という映画は、タイトルどおりビーバーが活躍する話だった。
ジョディ・フォスターとメル・ギブソンの映画だ。コメディかと思っていたがそうではなかった。
ちょうど今日の午後、精神科医の講演を聴いたばかりだったので「ああ、これが例の兆候か」とか「これが例の、"世代で繰返す"ってやつか」とか、納得しやすい部分が多かった。

それにしても、映画の日本語タイトルはひどい。
この映画はなんと「それでも、愛してる」とかいうタイトルだった。
「とかいう」と付けたのは、くだらなすぎてはっきりと覚えていないからだ。
この映画に限らない。
もう少しなんとかならないものか、と思うことが多い。
適当すぎるし、センスが無さすぎる。
タイトルはとても重要なのだ。
人間にとっての名前と同じだ。
タイトルによって製作後の行方が左右されると言っても言いすぎではない。

ワインを飲みながら映画を見終えた。
そのときちょうど、雨が降ってきた。

そうしたらふと、ジャズが聴きたくなったというわけだ。
「バイバイ・ブラックバード」にした。
村上春樹はキース・ジャレットはあまり好きではないらしい。
私は村上春樹が好きで、バイバイ・ブラックバードが好きだ。
つまり私は、キース・ジャレットが好きなわけではない。

ところで最近、安くて美味しいワインを手に入れられる場所を見つけた。
ビールでは最近どうも寒いのだ。
棚を開くとワインボトルがあるという幸せ。
だけど飲みすぎることは決してない。
料理しながら、または映画を見ながら、1,2杯飲む程度だ。

いい夜だ。
明日まで働けば、土日は予定がない。
完全な休日が待っている。
さっさと寝よう。

レ・ミゼラブルとファンの顔

レ・ミゼラブルが公開されるということで、アン・ハサウェイが来日したらしい。
その様子がトップニュースになっていたのでクリックしてみた。


怖いわ、このおばさんファン…
と思ったらこの写真の下にはこんなキャプションが:

Strong reaction: Anne takes time to meet her fans who have turned up to hear about the new film

「ストロング・リアクション」。

なるほど。
この女性も、国外ニュースに自分がこういう写り込みかたをしているとは思いもしなかっただろう。

(ところで・その1)
会場全体を動画で見てみて、ほとんどは女性だということに気がついた。
アン・ハサウェイのファンには女性が多いのだろうか。

(ところで・その2)
その昔、レ・ミゼラブルが初めて日本語に訳されたとき、そのタイトルは何だったか、ご存知だろうか。
「ああ、無常」
だ。それがいつの間にか「レ・ミゼラブル」で定着しつつある気がする。
しかしながら、知人曰く、「翻訳された当時に『レ・ミゼラブル』というタイトルだったとしたらきっと誰も読まなかったはず」

なるほど。

さて、仕事行ってきます。

Thursday 15 November 2012

ヒールについて

何かと毎日話題の耐えないクリステン・スチュワート。
数ヶ月前の浮気騒動でますます人気に火がついたように思える。
最近気に入った記事がこれ。
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2231644/Kristen-Stewart-says-stand-actresses-concerned-looking-pretty-heels.html
いつものようにデイリー・メイルから。
こんな感じのことが書いてある。

「『トワイライト』シリーズのベラ・スワン役でいっきにスターダムをかけあがったクリステン。どんなデザイナーの服でも指名して着ることができるにも関わらず、彼女が選んだのはクリスチャン・ルブタンやジミー・チュウのハイヒールではなく、くたびれたコンバース。」

そして、こうある。
she has now admitted she 'can't stand' actresses who are too concerned with 'looking pretty in your heels'
(ヒールを履いて美しく見せようと必死な女優たちには耐えられない、と彼女は言っている。)
.

トップに登りつめた人が言うとカッコいい台詞だ。

人間(とくに女)というのは不思議なもので、ヒールをはいた(またはそれを賞賛する)セレブたちを見ると、
「きれいでいるためにはかかとの高い靴を履くのがマストなのね」
と思ってしまう。
先日読んだ雑誌でも、売れっ子モデルの水原希子が
「ちょっと足が疲れても、おしゃれにはヒールが必須だからがまん」
というようなことを言っていた。
そのほうが小顔に見える、と。
(彼女はスニーカーをはこうが何しようが小顔である)

なるほど、と思うのだが、その直後にクリステンのこの記事を読んだら
「そうだわね。ヒールなんてバカバカしい」とさえ思ってしまう。
なにせ天下のクリステン・スチュワートが言うのだから、と。
ドレスにコンバースってイケテるのかも、と。

私自身は、ヒールにこだわりは無い。
ヒールを履き続けた数年間のせいで左足が外反母趾になってしまった。
すぐにヒールをやめた。
ヒールをやめてから、必要最低限の靴しか持たなくなった。
今まで何をやっていたのだろう、とさえ思った。
動ける範囲も広がったような気がする。

それでも時々、ヒールをはくと気分が変わる。
ただ、パーティとか、特別な機会のみにとどめていて、あとは足の健康を第一に考えている。

Tuesday 13 November 2012

褒める、けなす

生まれてから家を出る18のときまで、親には何度も「バカたれ」と呼ばれた。
その当時どういう気持ちだったかは詳しく思い出せないが、よく途中で曲がらずにここまで育ったと思う。

「数学ができない」のと「運動ができない」ことは、自分の基準でそう思っていたわけではなく、周りからそう言われるから、できないものだと決め込んでいたような気もする。

ちっとも楽しくなかった中学、高校時代。
もう少し親に認められて褒められていたらどう違っただろうか、と思う。

それに、私の親はいつも、他人の前になると私たちきょうだいのことをけなした。
「うちの子はわけの分からんことばっかりして」とか「いっつも分かったような口きいて」とか、そういうセリフを、なぜか笑いながら、なぜか少し自慢げに、友人の親や知人に話すのだった。
そして、相手の子どもについて必死に褒めていた。

普段、直接そんなことは言われてないのに人前になると自分のことをそう言われるので、びっくりした。反発こそしなかったが。

小学校の頃まではそれほど気になっていなかったと思う。
しかし中学、高校となると自分にもプライドというものができる。
一人前の人間になってくる。
そんな中で、親から、人前で「この子はどうしようもなくて」という扱いをされるのは屈辱だった。

大学に行き始めてからはそれがもっとひどくなった。
そんなことは言わないでほしい、とお願いしたこともあった。

本音ではないことは分かっているし、けなさねばならない、または褒めるわけにはいかない慣習のようなものもあるのだろう。

だけど自分の子どもには「バカ」とか「あほ」とか言いたくないと思う。
そして、他人の前であっても、素晴らしいことについては褒めたいし、変な謙遜をしたくはない。
謙遜することが子どもにとって良いことだとは少しも思わない。
むしろ自尊心を傷つける可能性があるようなことは行う必要が無い。
事実、私はこうやって、親の嫌な癖の一つとして記憶しているし、そのことを思い出すだけで胸が痛む。

褒めて育てるのはいわゆる「日本のやり方」ではないのかもしれない。
だけど、「内心良いと思っている」ことはやっぱり口に出して伝えなければいけないと思う。
何よりも、親は子どもにとって一番近い存在である。
誰よりも自分を認めてほしい存在なのである。

今、外見や性格を真正面から口に出して褒めあうパートナーを見つけられたことにとても感謝している。

さて、寝よう。

Thursday 8 November 2012

歩くための靴

4月から自転車で通勤している。
時がたつにつれ、ますます朝の電車を避けるようになった。
困るのは、帰り道に自転車ではとうてい行けない距離のところまで行かなければいけないとき。
自転車で行けないとなると、朝も自転車では行けない。
そうすると電車に乗るしかないのか…(ため息)

こんな感じだったのだが、9月か10月ごろ、1度ためしに歩いてみた。
ちょうど1時間で着いた。
かなり脚は疲れるが、いい運動になるし、1時間ならそれほど大変じゃない。
そもそも電車で行くと結局1時間くらいかかっていることになる。
それなら歩いたほうがマシだということに気づいた。

早足で歩くとすぐに汗をかいてくる。
そして、自転車では素通りしていたであろう色々なものが目に入ってくる。
「こんなところに店があったっけ」と思ったり、おもしろい看板や旗などに気がつくようになる。

今履いているコンバースが段々磨り減ってきている。
そもそもコンバースって、歩き回る用にはできていない。
ウォーキングのための、少ししっかりしたスニーカーが欲しいなあと思っている。
靴屋には何度も行くが、結局スパッと決められない。

でもこういうのをゆっくり選ぶのって良いですよね。
買ってしまった後よりも「どれにしようかな」状態のほうを楽しんでいたりして。

まあ、ぼちぼち選ぼう。

Wednesday 31 October 2012

ハロウィンにみる日本の母

これまでまったくその習慣を受け入れられなかったハロウィンだが、今年はちょっと、ここまで日本で定着している理由が分かった気がしている。

というのも、実は近所にとても有名な「ハロウィン通り」とでも言おうか、子どもたちが集う通りがあるというので行ってみたのだ。
普段、なんとも思わずに通っていたその通りは、外国人が多く暮らす地区らしい。
国籍関係なく、たくさんの子どもたちが仮装をしてそこらじゅうを走り回っていた。
2歳か3歳ぐらいの小さな男の子が、私の目をみてすぐに微笑み”trick or treat”と言った。
大人を見るとこう言うように仕込まれているのだろう。
それにしても、きれいな発音だった。
2歳くらいで仕込むとこうなるのか…

この地域ではごく普通に行事として定着しているわけだ。
最初はその地区在住の外国人だけがやっていたのかもしれない。
しかし徐々にその友達や知人…と輪が広がっていったのだろう。

正直なところ、これは子どもの祭りというよりは、お母さんたちが主役だと思った。
華やかな衣装の影には母親の努力がある。
そもそもこんなに遅い時間に子どもを連れ出し夜道を歩く(または自転車に乗せる)のも母親の役目なのである。
ディズニー顔負けの衣装に身を包んだ子どもたちの後ろには、お母さんたちの気合と苦労が見え隠れしている。
ほとんど競争と言ってもよいのではないだろうか。いかに娘と息子をかわいく飾るか。。。

それにしてもすごいパワーだなあと思う。
朝から掃除洗濯料理…そして夜には子どもをつれてハロウィン。

フランスの女性は子どもが生まれると間もなくベビーシッターに預けて自分自身は仕事も恋愛も自由気ままに生きるらしいんですが、日本のお母さんたちの日常を見たら驚くだろうなあ。

日本の母たちは家族のために日々卵焼きを焼き、白いシャツをもっと白くすべく日々洗うのだよ。

色々な人生がありますねえ。

Saturday 27 October 2012

ベッカムのこども

ベッカムの子どもの写真を見て、もう2歳か3歳かだろう、と思っていたらまだ1歳と3ヶ月らしい。

…デカ過ぎやしないか??15ヶ月ってこんなものだろうか。
表情がちっとも赤ちゃんぽくない。
「まあアンタ、そこに座ってお茶でも一杯どう」とでも言い出しそうな感じだ。

それにしてもセレブママたちはブランド物のバッグの一部かのように赤ちゃんを抱えて歩く。
赤ちゃんがいることがまるで一つのステイタスかのように。
でも重そうだなあ、この子を片手で抱えるのは…

Friday 26 October 2012

ブラピのシャネル

しばらく前、ブラッド・ピットがシャネルの広告に出るということを耳にした。
一体どういう感じに仕上がるのだろうかと、楽しみであった。
これまで広告に出たのは女性ばかりだった。
「ココ・マドモアゼル」のキーラ・ナイトレイ。



着ているベージュのスーツがとにかく印象的だった。
キーラ・ナイトレイにそれほど魅力を感じたことが無かったのだが、このビデオはいい。

で、例のブラピはどうなったかと言うと:




あちらこちらの「ファッション通」や「ファッション・ブロガー」の間では「やっぱりかっこいいわ」ともてはやされていた。
しかしながら私はイマイチの印象である。
というのも、ブラピがどうだと言っているわけではない。ブラピ自身には大した問題はない。いつもの通りだ。ただ、ビデオ的にどうなんだろう、と思ったのだ。
まず、ダラダラしすぎている。
そして、映像にインパクトが無い。
ブラピの良さを生かしきれていない。
ブラピが語るという設定もわかる。最後のinevitableという言葉も良い。
だけど結局あまり印象に残らないのだ。

ダラダラしているなあと思っていたら、やっぱり馬鹿にしてパロディやる人たちが出てきた。
この記事


10年以上前に木村拓哉が口紅のCMをやったときは爆発的に人気が出たんだけどね…

Thursday 25 October 2012

本格(東京)イタリアン

そもそもあまり食べ歩きにこだわる人でもないし、わざわざ外に出てグルメスポットを探したりもしない。一皿に少量がのせられたフルコースに5000円払うのも良いが、どちらかと言うと缶ビールと500円程度の寿司でとてつもない幸せを感じられるタイプの人間である。ただし食べ物の質の良さは、だいたい分かるつもりだ。

ここ3,4年、イタリア料理を食べに外に出たことは無かった。パスタは家で作るものだし、それ以上に美味しいパスタにはなかなか出会わないし、東京で外食するときに出されるパスタは量と値段が絶対に合っていない。皿の飾り程度である。ピッツァは本場の2倍を払わないと本当に美味しいものには出会えない。だから、せっかく日本にいるのだから、外食するなら日本で食べてこそ美味しいものを食べる。つまり、ごく普通の、飾らない居酒屋で壁に貼ってあるメニューを見ながら「手羽先2本」と注文するのが、一番ここちよい。

そんな私が、今日、ひょんなことから「本格イタリアン」で食事をする機会を得た。日本人が10人ばかりいたのだが、面白いことに(しかし日本では当たり前なのだが)1人一皿ではなく、いくつか頼んで勝手に取り合う形で色々なものを頼んだ。

通常、イタリアンの流れはこうだ:
アンティパスト→プリモ・ピアット→セコンド・ピアット→ドルチェ 

しかしながらここではこれが見事に破られる。
まさに日本の居酒屋と同じ「好きなものを好きなときに頼んで、つつきあう」スタイルだ。
チキンが来たかと思えばここでスパゲッティの登場。
そしてさらに誰かがカプレーゼやサラダを注文する。

案の定、そこにいたイタリア人は「今、肉を食べたのにまたパスタを食べるなんて変な感じがする…」と言っていた。それはそうだろう。肉は通常セコンドでパスタがプリモにあたるのだ。なのにそれをほぼ交互に食べているのだから。

しかも「本格イタリアン」なのに、ナプキンではなくおしぼりが用意され、さらに、フォークとナイフの下には箸置きのようなものが。こういうのって普通、イタリアでは、無い。

でも。

これはこれで、いいなあと思った。居酒屋スタイルを、イタリアンにも持ち込めるというこの気ままさ。これはこれとして、「東京式イタリアン」がすっかり成り立っているのだ、と理解する。

でもやっぱりパスタはうちで作るほうが断然美味しい。近々、かじきとナスのパスタをまた作ろう、と思った。

おやすみなさーい

Monday 22 October 2012

おはようございます

一週間が始まる!
天気も良いしすごしやすい気候なので喜ぶべし!
…なんだけど、週末が終わっちゃったせつなさのほうが大きい…

ちょっと元気のでるGIF見つけたので貼っておきます


Sunday 21 October 2012

身体が受け付ける油の量

どうも私は油に弱いらしい。

先週の火曜だったか水曜だったかに揚げ物をたくさん食べて以降、ずっと胃の調子が悪い。
ものが食べられないわけではないし、通常通り元気なのだが、慢性的に、軽い吐き気がする。朝起きると少しおなかが痛い。

20代前半まではこういうことは無かった気がする。「もたれる」の意味もよく分かっていなかった。

それが今は、身体が受け付けられる一定の油の量というのが存在することが分かってきた。
あるいは油の種類。

仕事を始めて1年目だったか、職場近くの中華料理屋で食べたときも具合が悪くなった。
そのまた近くの別の店でカツカレーを食べたらこれも具合が悪くなった。

その後しばらくそういうことが無かったのだが、数ヶ月前、ドーナツを3つ食べたら、胃が変な音を立て始め、たちまち具合が悪くなった。

そして今回がこれだ。
油を原因とした同じ症状。

先日の揚げ物が原因だとは思わずに、その後もアルコールを平気で摂取しているのだが、これはちょっとやめたほうがよさそうだ。

忙しい現代人にとって、身体の声を聞くのはあまり簡単ではない。
自分の身体と対話できるくらいゆっくりとした生活をしたいものである。

Saturday 20 October 2012

同僚からマテ茶をもらう

休みだー!
今日から2日間手放しの休みだー!!
今週は祝日もなく5日間全部出勤したので、本当に長く感じた。
ようやく終わったよー!

昨日は帰宅してから、疲れすぎていた。パスタのソースまで作ってからお風呂に入ろう、と思って、火を止めてお風呂に入ったら、その後もうおなかがすかなくなった。
ベッドで電話をしたり雑誌を読んだりしていたら食欲よりも睡眠欲が勝ってきて、10時前には眠りに落ちた。

一週間に1,2回こういうことがある。夕飯を食べるよりもとりあえず寝たいという日。
特に睡眠不足というわけではないのだが。

出張に行っていた同僚が帰ってきた。
行き先はアルゼンチン。
「出張」というレベルで、地球の裏側・アルゼンチンまで行く人を初めて見た。

不在の間、仕事をしたのでお礼にということでマテ茶をもらった。
うれしい。

まともに飲んだこともなかったし、最近日本でもよく聞くようになったが、どういうものかは知らなかった。
火曜日にいただいてから、今週は毎朝飲んでいる。
普通のお茶とどう違うかと言われても特に分からない。
どういう効能があるか分からないから調べてみた。

日本マテ茶協会というものがあり、そこのウェブサイトにこういう表が載っていた。

マテ茶ウーロン茶杜仲茶
カルシウム17.1mg0.6mg2.2mg
マグネシウム13.0mg1.09mg0.59mg
亜鉛0.82ppm0.26ppm0
鉄分0.59mg0.03mg0.02mg
食物繊維0.90%00

だいぶ身体に良いらしい。
ほかにも、「飲むサラダ」と言われているとも書いてあった。
そう言われると確かに、今週は元気で過ごせたような気が…
気のせいか。

もらった分がなくなったら、日本でも簡単に手に入るものなのだろうか?

Tuesday 16 October 2012

かじきとナスとトマトとミントのパスタ

我が家のシェフの提案による昨日の夕飯。
写真をとる暇もなくたいらげてしまったので、そのレシピが書いてあるサイトから少し写真を載せておく。
レシピはこちら

材料は、なすと、かじきと、ミニトマト。それから、ミント。
見るからに、なすを揚げる作業が手間だろうと思ったので、全部一緒に料理しちゃっていいんじゃないかと提案した。
しかし、やはり初めて何かを作るときはレシピに従ったほうが無難だ。
レシピどおりに作った。
(私はトマトのへたをとって、かじきを切っただけだが…一応手伝った)

これが、ナスを揚げたおかげで、目の覚めるような美味しさだった。
単なる魚介類のパスタとはまた違って、初めて食べる種類だった。
ミントを使うパスタなんて聞いたことも無かったけど、美味しかった!

ここ3~4年、日本にあるイタリアンレストランに行ったことがない。
うちで同等かそれ以上のものが作れる。馬鹿みたいに高い値段を払う必要も無いし。
時々、レストランで出しているのを見るとこれはぼったくりだなと思えるものもある。

というわけでこのパスタ、ご家庭で、ぜひお試しください。

Monday 15 October 2012

週末が終わった

なかなか充実した週末を過ごした。

どこにも行かず、家の掃除をしたり、図書館で読みたいだけ雑誌を読んだり、1日に3本も映画を見たり、だらだらとハンバーガーを食べたりした。
久々に、優先してやるべきことを抱えずに終日完全に自由のままで過ごすことができた。

講座が先月末で修了したので気持ちが軽い。

何か買い物をしたい気にもなったが、食料品以外でこれと言って買いたいものが無い。金曜の夜、友人を待つ間に化粧品や服も、一通り見ては見たものの、どうせゴミになる姿しか想像できず、結局何も欲しくなかったので買わなかった。

そんな感じなので、私は「散財する」ということがほとんど起こらない。消費欲の止まらない時期もあったし、今後もそういうことがあるかもしれないけど。

さて、仕事に行く準備をしよう。

Thursday 11 October 2012

無音いっちょお願いします

疲れた。

日々楽しく過ごしているし、特に病にかかっているわけでもない。
睡眠もとっているし、ご飯も食べている。
だからはっきり言って、心配はいらない。

音がすると神経が逆立つ。
職場では決してそんなことは無いのに。
家に帰ってから電話でも鳴ろうものならストレスが最高潮に達する。
例えば今電話がかかってきたらきっと電源を切るだろう。あるいは怒って泣くかもしれない。
テレビの音、食器が鳴る音、机のきしむ音…
すべてが神経を逆立たせる。

頭がおかしいわけではない。

ただ、1人になりたいときがあるのだ。
朝から夕方まで、職場で笑ったり怒ったり愛想よくしたり、という状態を10時間近く続けているわけで、帰路についてからはもう誰にも愛想良くしたりテンション高めに過ごしたりしたくは無い。
完全にスイッチをオフしたい。
だから無音の状態で、1人で、とにかく好きに過ごしたい。

身体の、正常な反応だと思う。
だって家に着いてから、寝るまでにたったの3時間しか無いのだから。
ただひたすらに疲れているのだ。
というわけでおやすみなさい。

Tuesday 9 October 2012

ユーモアのセンス

"Where did you get your sense of humour?"
(どこで身につけたの、そのユーモアのセンス?)

と聞かれたらみなさんはどう答えるだろうか。
これを、こう答える人がいる。

"I found it on the street. I bought is for 3 dollars."
(道で見つけました。3ドルで買ったんです)


ここであなたは笑うのだ。
HA HA HA! と。

先日に引き続き、「何を隠そう」その2です。

私は遠山顕の大ファンだ。
ジェームズ・ボンドとどっちのほうがファン度が高いかといわれると、遠山顕先生と答えるだろう。

中学の頃からずっとラジオで「英会話入門」を聞き続けている。
大学時代、聞かなくなったこともあったが、ここ数年でまた復活させた。
15年以上、ずっとファンだ。

ケン・トーヤマがいなければ、今の私は無い。
そう言っても過言ではないほどこのラジオ英会話には感謝している。

実際に2,3回講演を聞きもしたし、サインをもらったこともある。

ところで冒頭に出した「ユーモアのセンス」の話。
遠山先生のユーモア感覚には本当に脱帽する。

「ユーモア」というのは、いまいち、日本人にはピンとこない感覚である。
「ふざける」のとは違う。
「面白い」とか「笑える」とか「ウケる」ことをユーモアと言うのでもない。

以前、欧米から日本の高校に来る留学生の調査書に、授業の成績や性格などのほかに、「ユーモアのセンス」という項目があるのを見たことがある。
かなり驚いたし同時にショックでもあった。
どれくらいユーモアを解する人物かどうか、というのが、留学に送り出す機関としての調査項目になるなんて。
我々日本人には想像もできない。
単に「文化差」というのでは済まされない感じがする。

いや、日本人の中にだって、キラッと光るユーモアのセンスを持っている人だっているだろう。
しかしながら日本という環境だとそれをなかなか許さない場面が多い。
たいてい「えっ、そうなんですか!(道でみつけたんですか)」とシリアスに受け止められるか、「不謹慎」と紙一重だったりするのだ。
それでもやっぱりユーモアのセンスは失いたくないものだ。

例えば何てことない会話の中で、あなたは冒頭のような答えができるだろうか?

どうして突然この話題を書き始めたのか。
ふと聞いていた、10月1日放送のラジオ英会話で遠山先生がこう言っていたのを聞いて思わずうなってしまった。これはブログで皆にシェアしなければと思ったわけだ。
1人で閉じ込めておくのは勿体ない。
みんなで笑おうではないか、"HA HA HA!!"

Sunday 7 October 2012

Always have an escape plan

何を隠そう、007の大ファンである。
1つか2つ、見ていないものもあるかもしれない。
それでも大ファンというのか、と怒られそうだが、定義は本人次第、ということでお許しいただきたい。
007が始まって(つまりDr. NOが上映されてから)今年で50年を迎えるらしい。すごーく長い歴史があると思っていたけど、数えてみれば、そうか、50年か。うちの両親のほうが長く生きているらしい。

具体的には10月5日がちょうど50周年らしい。なんだ、この前の金曜じゃないか。全然知らなかった。

12月1日に新作「スカイフォール」が上映される。楽しみである。

が、やっぱり私が好きなのは「合成」感たっぷりの、製作費のかかっていない時代の007だ。90年代以降は、それはそれとして楽しむ。

これだけ役者は代わり続けてきたが、Desmond Llewelynは、1963年の「ロシアより愛をこめて」から1999年の「ワールド・イズ・ノット・イナフ」でずっとQを演じ続けてきた。

彼が最後に言った言葉:

Q. I've always tried to teach you two things: First, never let them see you bleed;"
Bond: "And second?"
Q: "Always have an escape plan"
いつも逃げ道は残しておけ)

それだけ言って、スクリーンから消えた。
その年に、本人もこの世を去った。

たいそう印象的な言葉で、きょうもちょうど、秋物と夏物の服を入れ替えながらその言葉を思い出した。
そして、引き出しには、服をぎゅうぎゅうに詰め込まずに多少の余裕をもたせておくことにした。
ちょっと違うか。

以下はデイリー・メイルにあったデータ。よくまとまっていておもしろいので載せておく。


Saturday 6 October 2012

江南スタイルinソウル

今日から3日間休みだ。
9時間寝て、目覚めて、いつものようにDaily Mailを見たら

Gangnam Style takes over Seoul

というタイトルを見つけて、クリックしたら、たまげた。
ソウルでPSYがコンサートを開いたらしいが、その様子を写した写真がすごい。
2002年日韓共同開催のワールドカップ時にもこんな感じだったと思う。
なんと8万人を越えるらしい。
とにかく、韓国人が「集まる」となったら、すごい。
そもそも、集まるのが好きな民族でもある。
コンサート会場は市庁らしい。
街のど真ん中なのだが、完全に封鎖してコンサートを行ったようだ。



Thursday 4 October 2012

街へ繰り出せ

大ベテラン同僚との会話:

(この職場、未婚男性多い、という話になって)
「土日は仕事してちゃいけないんだよ。街に繰り出さないと。」
「ですよね。結局1人でいてもやることなくて職場に来ちゃうんでしょうね」
「そうそう。しかも職場で結婚相手見つけようとする人多いけど、もっと外に出ないと」
「うん」
「土日は働かない、と決めこんじゃっていいんだよ。若いんだしね。出会いが無いって嘆くけど、そりゃ出歩かなきゃ誰にも出会わないだろう」

話しながら、1970~80年代に「街へ繰り出し」ていた若い同僚を想像した。
どんな感じだったのだろう。

私の両親と同じ世代の彼は、長身で、ジョークが好きで、めっちゃ忙しいのになぜか常に余裕があり、タバコを愛し、人を愛し、言いたいことはびしっと言う。

「仕事一本」という姿からは決して格好良さは生まれない。
この大先輩を見ていると分かる。

それでも若者はやはり土日も働くのだろう。
世代も時代も違うんだけど、それでもやっぱり、仕事からまったく離れてしまう時間を作る必要があると思う。

誰もが「歳を追うごとに魅力が増す」わけではない。
この人の貫禄と存在感は一体どこから来るのか。
50代になったときにこの余裕が持てるだろうか。

Tuesday 2 October 2012

007タイム

きょうも朝、出勤するなり、その場にいない人の悪口が聞こえてきたので、もうほんとに気分が悪くなって、数時間、デスクから離れて別の場所で仕事をした。
いやー、たまったもんじゃないね!!

さて今日は、ゆっくり007タイム。
ビール片手に、ポテトチップスをかじりながらお気に入りのYou only live twiceを見ている。
何度見たか分からない。かなり久しぶりに見たけど。
1967年製作の映画だ。
いちばんイケてる時代じゃないか。

この合成の具合がたまらない。
そして、出てくる日本のイメージといったら。
女の子が従順で、かわいいのなんのって。
丹波哲郎の英語がきれいのなんのって。
剣道に相撲に海女さんに忍者に…なんでもアリだ。

今この2012年にこの映画作っても面白くないだろう。
というか、むしろ、できないだろう。

スカイフォールの日本公開まであと2ヶ月となった。
007は007だが、また別の楽しみ方をせねばいけない。

仕事に悪影響を及ぼす化粧にまつわるミス


THE MOST HATED BEAUTY BLUNDERS 

Chipped nails, 24 per cent (nervous/unprepared)
Split ends, 19 per cent (lazy)
Smudged mascara, 17 per cent (party animal)
Fake tan, 13 per cent (loves a holiday)
Bright red lipstick, 7 per cent (power crazy)
Heavily pencilled brows, 5 per cent (too confident, cocky)
Overpowering perfume, 4 per cent (attention seeker)
Lipstick on teeth, 3 per cent (careless) 
No mascara, 3 per cent (emotional wreck)
Line of foundation, 2 per cent (lack of attention to detail)
Drawn-on beauty spot, 2 per cent (untruthful)
100 per cent immaculate, 1 per cent (gunning for boss’s job)


なるほど。東も西も、言われていることはほぼ同じであるようですね。

Monday 1 October 2012

しごとのはなし

土日出勤したけど代休なし。
過労とストレスで同僚の愚痴が増える。
ミスも増える。
誰かに気に入られようと必死になると、何かを犠牲にしなければいけない。
なんだこの効率の悪さは。

◆ ◆ ◆

そんな中で:
どれだけプライベートを確保できるか。
いかにして「自分」を保てるか。

半年経って、課題が見えてきました。

◆ ◆ ◆

仕事の仕方は今までと基本的に変わっていないけど、4月〜9月までの「初めまして」という顔はそろそろ捨て去っても良い。
そして誰かに気に入られようと必死にならなくても良い。
だけど敵は作りたくない。

そのためにどう動くか:

①仕事は速く、早く

その日にすませられること、もっと言えばその瞬間に済ませられることは、済ませてしまう。
5時15分を目標にすべてが片付くように計らう。(つまり優先順位をつける)
それで片付かなかったら翌日に回す。
決して仕事は、家には持って帰らない。

②陰口を言わない、聞かない

若い+1年目ということで色々な人々が、自分の考えを叩き込もうと思ってやってくる。
そういうときは「そうですか〜」で流すことにする。
腹が立つことがあったら、聞いてもらう相手は一定のところで止めておく。範囲を広げない。
とにもかくにもゴシップその他に割く時間は無駄である。
変なやつには関わらない。

③片付ける

机の上にはパソコン以外置かない。
…と言ってもこれは社会人1年目から、1日たりとして欠かしたことはない。
机の上にパソコン以外を置いて帰ったことは1度たりともない。
片付けに関しては、誰にも教わる必要が無い。
「片付けられる女になるための○○」などという類の本には一切用がない。

④あえて明るく

笑う門には福来る、である。
どんな状況でも、あはは、と笑ってみる。
どんな状況でも、極力メールじゃなくて直接話して伝える。
どんな状況でも、基本的な挨拶は大きな声でやる。

というように、まるで今日から頑張って切り替えるかのように書いたが、ほとんど現実にこなせている。
あらためて、こういうことって大事だな、と思っただけだ。
ただ、これからもっと大変になるだろうから、なんとかして自分で自分を守るために、覚悟を決めなければと思っている。

◆ ◆ ◆

みんなが笑顔で、お互いが助け合って、順番にお休みをとったりして、私生活も充実させられるような環境づくり。

敵も味方も要らない。
そして家に帰ったらゆっくり夕飯を食べて、7時間眠れるぐらいの私的な時間を確保したい。

嗚呼、ねます。
CCレモンおいしー

Saturday 29 September 2012

私的な時間は何処に

忙しすぎる…
いや、正確に言うと、忙しいというよりは自分のための時間が無さ過ぎる。今週は土日も出勤だ。その代休も無いまま、来週の土曜まではぶっ続けで働く。
息も絶え絶え、という状態である。

帰りも遅く、家にいる時間が圧倒的に少ないので、洗濯をする時間さえない。
もしその時間があったらとりあえずお風呂に入って寝たい。
銀行でお金をおろす暇も無いし、洗顔フォームを買いに行く時間もないし、日記を書く時間も無い。

こんなの間違っているよ。

洗濯したり、掃除したり、という基本的な生活のパターンさえこなせないなんて。
私の人間生活はどこに。

ところで、9ヶ月間通った日本語教員養成講座が先週で修了した。
結果から言うと、ますます日本語教員になる気がうせた。
講座だからしょうがないだろうけど、教案を書くときにも「ここはこうする」という決め事が多すぎて、実際に授業したら絶対にそうは行かないでしょう、と思うところでさえも強引に従わなければいけなかった。この柔軟性の無さにイライラした。

ほかにもいろいろあるけどとりあえず寝る。
明日も早いので。

Wednesday 26 September 2012

布団で安眠

早い。もう9月26日だなんて。
22日を境に、いっきに涼しくなった。
過ごしやすくて良い。
一方で、寂しくもある。
少し懐かしくもある。
あれだけ汗だくになって「暑い暑い」と文句を言っていたというのに。

それでも、やっとスカーフが巻けるようになったし、自転車も気持ちよくなってきたし、今の季節は本当に良い。快適だ。

夏の間、ベッドのある部屋で寝ると強烈な朝陽がさして暑くて仕方なかったので、床に布団を敷いて別の場所に寝ていた。
涼しくなったのでこっちで寝ようかな、と思って先週のいつだったか、ベッドに寝てみたのだが、どうも寝つきが悪い。そして寝付いたあとも、眠りが浅い。
結局翌日からまた布団生活に戻った。
こっちのほうがぐっすり眠れるのだ。

ここ数年間、あまりぐっすり眠れた感じがしなかったのは、このベッドのせいだったのかもしれない。
少しも揺るがない、床に布団をしいて寝ると安定感がある。
故郷に帰ると、たいてい床で寝るのだが、そのときにもぐっすり眠れていた。

しかしながら小さいときから床に布団をしいて寝る習慣は無かった。
常にベッドに寝ていたのだが…。

いまさら一番よい方法を見つけたのかもしれない。

しかも、毎日布団を敷くとなると、その場所が自然と片付くようになる。
あまりものを散乱させなくなる。
散乱させたとしてもすぐに片付く。

いつまで続くか分からないが、とりあえず今日もまた床で寝ることにする。

Sunday 23 September 2012

むしろ男性誌を読めば

女は男にモテるべく、懸命に研究する。
書店に並べられた女性誌の数といったらすごい。
毎月毎月、よりどりみどり。
立ち読みする人が群がる。

しかしながら、だ。

男にモテたければ女性誌ではなく、むしろ男性向けの雑誌を読んでみてはどうだろう。
そっちのほうが、世の男が何を考えているのかより分かるのではないだろうか。

GQ JAPANを見ると、こんなタイトルが目を引く。

女性に対するマナーを磨く──夏木マリさんに聞くスマートな男のエスコートとは?

女性誌で「男性100人に聞いた!ハッとする女性の仕草とは?」という特集が組まれるのと原理は同じである。
双方が、双方の意見を知りたがっている。
時々、書店でも、女性誌を手にとる男性を見かける。
奥さんや彼女に買ってきてと頼まれただけかもしれないが、立ち読みだけする人なんかは、ただ読みたいだけなのだろう。

男も女も、お互いについて勘違いばかりしている。

私が思うに、周りがハッとするような女性というのは、オーラがあるけど「よく見ると普通」な人。
男性はむしろ全体の雰囲気に目を引かれる。
背筋の伸びや、歩き方。清潔感。全体のバランス。

一方、女性がこだわって作り上げる自身の姿は「よく見るとかわいい」人。
毛先やつま先や指先にばかりこだわっている人。
鏡で全身を見ると大したことなかったり、むしろゴテゴテしていることが多い。

ネイルサロンに通う前に、その辺を理解することが先だと思うのだが、なかなかハードルが高いようだ。
そもそも、この世はそんなふうにできているのかもしれない。
だからこそおもしろいのかもしれない。
伊勢谷友介はかっこいい

Saturday 22 September 2012

ヴァレンティノを着た悪魔

ハリウッド女優が美しいのは分かっているしわざわざそのことに言及するまでもないのだがこのドレスには圧倒されてしまったので載せないわけにはいかなくなった。
Daily Mailから以下引用:


She was attending a prestigious party in honour of legendary designer Valentino, but she ended up being the main attraction.
伝説的デザイナー・ヴァレンティーノを祝う、有名なパーティに参加したアン・ハサウェイ。結局のところもっとも注目を集めたのはほかならぬ彼女だった。

Anne Hathaway easily stole the show on Thursday night as she showed the world just how beautiful she really is in a glamorous gown, as she daringly stepped out without wearing a bra.
木曜の夜、アン・ハサウェイは大胆にもブラをつけず、見事なガウンに身をまとい、人々の前にその美しい姿で表れた。彼女はすぐに注目の的となった。



Show stopping: Anne's beaming smile was the perfect accessory to the daring dress as she turned heads on the red carpet


ショーが一時停止:レッドカーペットで注目を集めるアン。はじけるようなアンの笑顔は、他のどんなアクセサリーよりもこの大胆なドレスに似合う。


よくあるハリウッドセレブの、露出度の高いドレスではなく、この人だからこそ似合うドレスをちゃんと選んでいる。逆に言えば、誰もが着こなせるドレスではない。パジャマみたいになっちゃう人もいるだろう。
turn headsという表現が上の文にあるが、「皆がheadをturnするような」、つまり「誰もが振り向く」「注目を集める」といった意味がある。この、アンの後ろにいる男性の顔を見てみてほしい。turnどころか傾いちゃってる。
レ・ミゼラブルの役づくりのために髪を切り、急激に痩せたアン・ハサウェイで、一時はどうなることかという細さだったがあっという間に元に戻った。それにしても本当にショートヘアが似合いますね。目と口の大きさが余計に目立つ。




ちなみにこの記事のタイトル、何だと思いますか。
The devil wears Valentino: Anne Hathaway wows in glamorous sheer gown as she attends New York City Ballet Gala
「ヴァレンティノを着た悪魔」

上手いですね。

Friday 21 September 2012

疲れました

今週は本当に忙しかった。
5時以降、毎日会議が入ったので家に帰るのが8時や9時になった。
しかしながら月曜は休みだったし、明日から二日間は休みなので、「体力が持たない…」ということは無い。
何よりも、会議はともあれ、本来の仕事は楽しい。楽しくて仕方ない。
だからやっていける。

会議って本当にくだらないと思う。
2時間も3時間もかけたって、結局のところあまり物事は解決していない。
何かしら糸口が見えたとしても、それが3時間ずっと座っていることと等価であったかといえば疑問の残るところである。
「とりあえず集まる」ことに満足しがちな人が多い。
形式上は何かしらやったことになる。

以前の職場では

「無駄な会議はやらない」
「会議をやるとしたら1時間以内」
「集まらなくても済む件は回覧で」

という考えの人たちが多かった。
そもそも、社会人として働き始めたときにそういう上司のもとにいたので、彼女の動き方や考え方が5年の間に身についた。
そのことはとてもありがたかった。
今の職場はその対極にあるので、会議についてはとてもストレスがたまる。
慣れることはできそうにない。
少しの辛抱だろうか、それともそのうちに、会議の中での対処法が見つかっていくのだろうか。

Monday 17 September 2012

中高時代について

the strokesを聴いている。久しぶりだ。
ここ10年間でいうと一番落ち込んでいた時期に毎日聞いていたので、久しぶりであろうとやはり心に沁みるものがある。

Facebookやmixiで、中学や高校時代のクラスメートの名前が見えることがある。申請が来ることもあるが、友達として承認することはあまりない。
そもそも中高時代にいい想い出が無い。友達らしき友達もいなかった。
特に中学時代。
そして特に中2のとき。
あの1年間ほど面白くなかった1年もほかに無かっただろう。
聞こえよがしにあだ名をつけて呼ぶ男子がいた。
実害は無かったけど、あれはいじめだった。
学校に行くのがいやでいやで仕方なかった。

まあその1年を別としても、中高時代はとにかく楽しくなかった。
授業は良かった。
新しいこと、知らなかったことをたくさん教えてもらった。

それ以外の学校生活が嫌だった。
帰宅部キャプテンになってもいいくらい、早く学校を出ていた。
家に帰るために、学校に行っていた。
何よりも家で本を読んだりテレビを見たり料理したりするのが好きだった。
友達と遊ぶという行為にあこがれたこともあったが、遊ぶ場所もないし、特に、高校となると勉強が忙しかった。
いわゆる「青春」というものを経験したことがない。
青春と呼ぶとすれば大学の頃だろう。
中高は、周りに馴染めなかった。
周りに馴染まないと「浮く」感じがした。
結果的にずっと浮いていたわけだが。
金切り声を出し廊下を走り回る女子たちがちっとも理解できなかった。

早くここを出たいと思っていた。

だから、中2当時に男子に人気があってバスケ部やバレー部の中心人物だった人たちがFacebookで花嫁姿なんてプロフィール写真にしているのを見ると、この人たちにとって中高時代というのはどれだけ輝かしい時代だったのだろうか、と思うのである。
それは決して妬みなどではなく、あれから15年を経た今、一つの事実として客観的に眺めたときに出てくる素直な思いだ。

ちょうどいい歳になってきた。

Sunday 16 September 2012

ベトナム・フェスティバル

昨日は特に何も無い日だった。昼ごはんには、久しぶりにバーガーキングに行こうか、という話になり、自転車で出かけた。

面白いことがあった。
注文しようと並んで、いざ店員の前に出ると
「お召し上がりになりますか?」
と聞かれた。

思わずふきだして
「はい、お召し上がりになりますけど」
と言ってしまった。

「店内で」の部分を、私が聞き逃しただけかもしれない。
しかし私の耳にははっきりと「お召し上がりになりますか」と聞こえたのだ。
これは面白いじゃないか、ファストフード店で"Do you eat?"である。

その後店内で「お召し上がりに」なってから、おなかいっぱいになったことだし、天気もいいことだし、そのまま代々木公園まで自転車で出かけた。

ものの5分で着いた。

うろうろしながら、そういえば今日はベトナムフェスティバルが行われている、ということに気づく。

友達も行くとか言ってたな~
でも人多そうだな~

ここまで来たし、見るだけ見てみようかと思って行って見た。
すると;


なんだこの人の多さは!
まともに歩けない。
何度も前の人の足を踏み、後ろの人から足を踏まれ、すれ違う人にはバッグで激突された。
各店舗に長蛇の列ができているので余計に通行しにくい。

そしてこの値段…!
ベトナムだったら約30円くらいで買えたバインミーが300~500円はする。
100円以下で飲んでいた「333(ビール)」がなんと400円。

東京なんだからこういうのはそりゃ当たり前なんだけど、それにしても買う気にはなれなかった。
(もともとおなか一杯だったからそもそも買うつもりは無かったのだが。)

ホーチミンでは3泊しても2000円を使いきれなかった。
ここではおそらく1時間で2000円使い切ってしまうなあ。

それにしてもどうして人は列を成すのだろう。
私はこういう(絶対必要な手続き等を除いて)列に並ぶのがとにかく嫌いだ。
バインミーが欲しけりゃそこらへんでパン買って適当に肉と野菜をはさめばいいのだ。
フォーが欲しけりゃカルディ行って100円のカップにお湯注げばいいのだ。
そもそもこんな狭くて不快な場所でものを食べる気にはならない。
まるでラットの芋洗いか、養鶏場で餌を与えられる鶏たちのようだった。

…とかなんとか言いながらも花見となると、混雑しててもバカ高いビールとたこ焼きと焼きそばを2000円くらいかけて私も買ってしまうのでまったく理解できないわけでもないんですけどね。


ところで日本人て、本当に色々な国の文化に興味を持つなあと思う。
東京だから余計にそう思うのかもしれないけど。
特に食文化に関しては、世界中から―その一部であれ―取り入れてしまうのですごい。
だって「ベトナム料理」と聞いて少しなりともイメージがわくわけだから。
「”フォー”って何ですか」って聞かれて答えられる人たちが比較的多いはず。
あくまでも感覚的な話だけど。

別の例だが2005年ごろに中国人や韓国人としゃべったときに「スパゲティ」がどんなものかイマイチ分かっていない人たちが少なくなかったのだがそんな人は日本ではほぼいないと考えていい。

ただ、ここに並んでいる人たちのどれくらいがベトナムの抱える戦争の傷について知っているだろう、と思った。つい最近までひどい戦争が行われていたというその歴史を知っている人は。なんとなく「ベトナム~おいしい~雑貨おしゃれ~クール」というイメージしか持たない人がほとんどじゃないだろうかと思った。
かく言う私も実際にベトナムに行ってみるまではその1人だったのだが。

というわけでこの大混雑の祭からわずか10分で退散。
横断歩道を渡って、静かな公園内で寝転がって午後を過ごしましたとさ。

Wednesday 12 September 2012

言い訳する人は

「言い訳をする人は、一生言い訳し続けますよ」

これは数年前に同僚が言った言葉だ。
直接言われたわけでも無いし、言っている現場を見たわけでもない。
「私、きょう、こう言っちゃったわよ」という、何気ない、普段の会話の中で出た言葉だった。
それでも、これほどまでに印象に残っているのはきっと思い当たる節があったのかもしれない。
なるほど、と思ったし、何よりも、彼女はとても尊敬、信頼できる同僚だったというのもあるだろう。

言い訳をする、というのはほとんど癖に近いので、言い訳をしている本人はそのことに気づかない場合が多い。
私も言い訳をする。
しかし、冒頭の言葉をきいたことがあるか無いかでは少し違うような気がする。
意識して「今自分は言い訳をしていないだろうか」と立ち止まることがある。
それが、実際に言い訳をした後である場合も多いが。

とかなんとか考えていたら彼女に会いたくなってきた。

Tuesday 11 September 2012

オーバーサイズ

今日は休みだった。繰返すようだが平日が休みというのは素晴らしい。
銀行も郵便局も病院も開いている。
そして、周りは通常通り働いている。
なのに自分だけが休み。

図書館に行って、しばらく読んでいなかった分の雑誌にざっと目を通した。
ファッション誌を買うことは基本的に、無い。
毎日のように「一冊くらい買おうか」と思って本屋に立ち寄るが、結局、家のなかに物が増えるのが嫌なので特別なことが無い限りは買わない。
もし買ったとしても、処分に手間がかかる。
それに、たいていの雑誌は1回読めば十分なのだ。

というわけで図書館にはかなりお世話になっている。
大量の雑誌を、無料で、好きなだけ読める。

読んでいて気づいたこと。
夏の終わりごろから気になっていたことがひとつある。

それは、どうやら「オーバーサイズ」の服がトレンドである、ということだ。
つまり、自分の身体より明らかに大きいサイズの服。
例えばこういうやつ↓

ほかにも写真はいっぱいある。
これを見てどう思われるだろう。

人それぞれ感想は異なって当然だが、私は「ええー?」と思った。
こんなのアリなの、と。
むしろすごく格好悪い気がするんだが…
単にトレンドだからという理由でオーバーサイズのコートなんて買っちゃったら1年後の秋冬にはもう後悔することになるだろう、きっと。
だって全然かっこよくない…。

オーバーサイズ好きの人たちには、ごめんなさい、だけどこれが私の正直な感想です。
「着くずす」という言い方があるけど、それとこれとはまた違うような。

都会で1人暮らしをするA子。
オーバーサイズを着て田舎に帰ると、母は「あんた、それ大きいんじゃないの」と言った。
「これが流行りなのよ」
と言いながらも、疑問を抱き始めるA子…。

というのはまあ架空の話ですがいつの時代もおば(あ)ちゃんの感想は無視できないのです。

Thursday 6 September 2012

「お願いします、教えて下さい」

大学の1年、2年のころ特にお世話になった教授にメールを書いたら、心温まる返事が返ってきた。
「師」と呼べるほど真剣に勉学を積んでおらず、この教授の専門分野の欠片も会得していないのだが、それでも「先生」と呼びたくなるしご挨拶をしたくなる。
それくらい、彼の持つ幅広い知識と、熱意にはひきつけられた。
なんだか分からないけどこの人はすごい、という感覚を20歳ごろ私は得たのである。

「私の知らないことをこの人はたくさん知っている」

師への態度はこれが全てだと思う。

「私には知らないことがたくさんある」
「だから先生、それを教えてください」

学びの態度はこれが全てだと思う。
学びの姿勢はこうやって完結する。

己の無知に気がつき、師に「お願いします、教えて下さい」と言うのだ。
…と、まあ、以上は内田樹さんの受け売りです。

こう考えると「勉強ができる・できない」というのは生まれ持った素質も関係しているかもしれないけど、やっぱり肩を開いて学びの姿勢ができている人は伸びが速いのではないだろうか。

例えばファッション・モデルの開く「ビューティー講座」みたいなのに通う主婦のみなさんは意欲が旺盛ですよね。(たぶん)すぐ、しかも言われたとおりに実践するし、まじめだし。
あれはやっぱり「お願いします、教えて下さい」「その美の秘訣を私に教えて下さい」という姿勢を保っているからではないかと思います。

Wednesday 5 September 2012

消えたアディクション

あまりここでコスメ話はしたことがない。
つまり、語るほどのこだわりは持っていないということだ。
しかしながら、一つ絶対的に譲れない、お気に入りの、かつイチオシのブランドがある。
その名も:

ADDICTION

ただし、私が知っているのはネイルに関してのみ。
その他のコスメは知らない。

ネイルは、1年か2年前に、ためしに一本買ってみたところびっくりするほど綺麗に仕上がって、ほかのネイルには一切見向きもしなくなったくらいだ。
たとえばシャネルやディオールはもっと値段も高くて高級感もある。
しかしながら質は絶対にアディクションのほうが良い。
(これは実際にシャネルを使ってみての感想。)

それで、ひとつ事件が起きた。

2週間ほど前に、ADDICTIONのネイルを新しく1本買った。
今まで使っていた「シンギータ」に似た色だったので「本当に買うべきだったのだろうか」とも思った。

買った翌日は、新しい色ではなくて、シンギータを塗った。
それが、だ。

それ以降シンギータは姿を消してしまったのだ。
忽然と。

新しいのを買ったら今まで使っていたのが消えた。
なくなっていることに気づいたのが2,3日前で、昨日と今日でだいぶ探したのだがやはり見つからない。
こういうものは探しているときに限って見つからないものだから、ほうっておくほうが良いのかもしれない。それにしても一体どうしたことだろう。
捨てたわけは無い。
こんな部屋の中で一体どこに行ってしまうというのか。

一大事というわけでもないのだが、気がつくと、気にしている。

Tuesday 4 September 2012

ソウルの写真

そういえばソウルのこと、1日目しか書いてなかった。
そんでもって、帰ってきたのってついおとといのことなんだなあ。海外に出たというのにちっとも疲れておらず、通常通りに仕事が再開できたのは、やはり時差の無い国に行ったおかげだろう。素晴らしい。なんて素晴らしいんだ。これだけおいしい思いをしながら、すぐに帰ってこれて、国内旅行に使うお金の半分も使わずに済むなんて。
すべて書き始めるとキリが無いので、気がついたことから、写真とともに少し記しておく。

弘大入口の駅にて。こんなものを見つけた。
村上春樹のエッセイが発売されたらしい。
「春樹さん、待っていました!」と書いてある。

右下にある本のタイトルをひとつひとつ読んでみたが、知らないものがたくさんある。
私が読んでないだけだろうか?
村上さんのエッセイはたいてい読んでいるはずなのだが。
エッセイ5本立てらしい。日本語で書かれてないわけは無いのに、どうしてもうらやましくなってしまった。

ソウルでいわゆる「携帯電話」を使っている人を1人も見なかった。
大げさに言っているのではない。本当に1人も見なかったのだ。
ネコも杓子も、この通り、老若男女スマートフォンを使っている。
あ、このおばさんは使ってないですけどね

スマートフォンから出ているイヤホンを耳に入れたまま突然しゃべりだす人がとても多い。電話しているのだ。
いや、もちろん日本でも見たことあったし、この状態で電話できるということは知ってはいたのだが、ソウルは東京の比ではなかった。
なぜここまでスマホが簡単に広まったのか?
広まり始めるのがそもそも早かったのもある。
それに、きっと、スマホを手に入れるときの値段や月々払う額も安いのかもしれない。


ソウルの大学に行ってみたところ、やはりここでもTOEIC対策は行われていた。

韓国では、たくさん頼んで、全部食べずに残すことが特に失礼にあたらない。
むしろ、おなかが一杯になるくらい食べたということを示すために残すのが礼儀でもある。
もてなす側にもプライドがある。
だから「でーん」と出してくる。

 これはチヂミ。日本でイメージされるものとはだいぶ違うかもしれないけどこれも一種です。
この皿、写真では分かりにくいけどとにかく大きい。
2人で食べきれるわけは無い。
周りの客も、当然のように残して帰る。

景福宮の天井。
めっちゃくちゃきれい。
美しすぎて唖然とする

これまでにも見たことはあっただろうけど、あらためて息を呑む美しさでした。

こちらは屋根。

アジアの色づかいはすごい。
最近ADDICTIONが、モロッコをテーマにアイシャドウ等を発表していたけど、韓国がテーマというのもあって良いのではないかと思った。

以前NHKのドキュメンタリーで見たけど、アテネの神殿はアジアの色づかいに影響を受けているらしい。
パルテノン神殿は白いのが当然と思われていたが、実は最近の調査で、あれにはすべて色がついていたとか。

ちょうど景福宮みたいな感じだったのではないだろうか。





(これも分かっていたことではあるけど)韓国人は本当に「みんなで」ご飯を食べる。
1人で食べる人も最近は増えたらしいけど日本に比べると本当に少ない。ほとんどいない。
昼どきも夕時も、街の食堂はどこもかしこもこんな感じだ。

そもそも、1人で食べる様にはできていないメニューがとても多い。
場合によっては入店を断られることすらあるらしい。
ピビンパとか、ネンミョンくらいだったら1人でもいい。
だけど大きな鍋、皿を囲んでみんなでワイワイいいながら箸でつつくのが一般的な食事のスタイルだ。
その一つがこれ。タッカンマリ。
韓国に詳しい後輩に聞いたら「ぜひタッカンマリを」ということだったので友人と一緒に行って見た。
行って見たところ、日本人だらけだった!
どうやらテレビでも紹介されたらしい。

かなり美味しかった。
だけど隣のお店もそのまた隣の店もタッカンマリ専門店で、この店にだけここまで人気が出るのは一体どういうわけだろう、と思った。ほかのところも同様に美味しいんじゃないだろうか?次回は隣の店に行ってみるということになった。

店に行って初めて分かったのだが、タッカンマリ、って、「닭 한 마리」つまり「鶏一羽」という意味であるらしい。文字を見て初めて納得。

ろくにしゃべれないけど、文字を読めるというのはかなり良いとこの旅で本当に思った。

Monday 3 September 2012

蟹江ウエストとその彼女

キム・カーダシアンという人をご存知だろうか。
…と言ってもイマイチ説明しにくい。
というのも、女優でもないし、歌手でもないし。
とにかく、アメリカのセレブだ。
日本で言う「芸能人」というカテゴリに一番近いかもしれない。
これといった芸も無い人。

個人的にはあまり好きでなく、目に入れたくも無いくらいなのだが、どうしても目に入ってくる。
で、「目に余る」姿が最近あまりに多い。信じられないファッションをここで紹介。


この革のパンツ。ダサいとかいう以前に、一体どうしてこんなのをはいてしまったのか、むしろ聞きたいくらいだ。この記事の見出しは:

Kim Kardashian goes hell for leather in clinging trousers and plunging black top for a romantic stroll with beau Kanye West

 

そもそもお尻大きいのに、こんなにまで変な形のパンツはいてさらに大きく見せることも無いのに。
記事によれば、彼女はハリウッドの「ウォーク・オブ・フェイム」に自分の名前を入れて欲しいと申請したらしいけど、あっさり断られたそうです。曰く、
She needs to get a real acting job then come to us(我々のところに来るのは、本物の女優業を得てから)

つまり、「おとといきやがれ」てことですね。

この写真へのコメントは
・Seriously, those trousers are awful! 
Totally horrendous!!
というようなものでした。

そして今日の写真はこちら↓


いやあ、これはひどい!!
もう笑うしかない!何ですかこのブーツは!?
「一皮むく」必要がありそうです。

もはや、人を笑わせたくてコーディネイトしたとしか思えない。または自分が着れば世界中で流行るとでも思っているのだろうか。(もしそうだとしたら本当に頭は空っぽである。)

ファンのみなさん、どうもすみません。でも私の感覚から言うとこれは「ありえん」です。
まさにhideousという形容詞がよく合う。
世の中のヒデオくんたちには悪いけど、「ひでおうす」って書いて「ヒーディアス」と読む。
ちょうどこういうファッションを形容するときに使う。

そういえば「プラダを着た悪魔」でも、イケテない主人公(たぶん)にむかって「hideous」って言うシーンがあった気がする。

写真の下にはこう書いてありました。

Not a good look: The overall look made it appear as if she had fisherman's trousers tucked into waterproof wellies
(あまりイケてない。漁師のズボンを長靴に入れたみたいに見える)

ところでこの、隣にいる男性は誰か?
答えはここだ。
顔を見てもサウスパークの名場面ばかりが思い浮かぶ。

カニエ・ウエストという名前だが、ある日ふと「カニエ…蟹江…蟹江敬三…」と連想してしまった。
以降、「蟹江ウエスト」に見えてしかたない。

高速道路を走っているとそういう名前のレストランありそうじゃないですか。
うどんもハンバーグも和洋中取り扱っているような。

Thursday 30 August 2012

서울 에 있어요

実は今ソウルにいる。
今朝早くに羽田を経って、福岡で乗り換えて午後にはソウルに到着した。時差が無いのに外国にいるというのがいまいちピンとこない。そして飛行機に乗っている時間があまりにも短くて驚く。福岡を出て1時間で着いた。
1時間って…それ以上を通勤時間にかけている人もいるというのに。

最後にソウルに来たのは2004年の夏。それからなんと8年の歳月が経った。
近いし、いつでも行けるし、と思っているとなかなか行かないものだ。
8年の間に、冬ソナがあり、少女時代があり、KARAがあり…と、日本での韓国ブームは猛烈な勢いで盛り上がった。

ソウルはだいぶ変わったよ、という話だけは聞くものの、実際にどこがどう変わったのかは知らないままだった。
それが、今日初めて分かりました。
変わっているよ、これは!

★空港から1本で鉄道が出ている。しかも切符の買い方がとてもシンプル…
というか、切符というものがそもそも存在しなくなっている。
すべてカードなのだ。知らなかった。デポジットつきで、1回きりの乗車券としてのT-moneyというカードを買う。
日本の、関東で言うと、Pasmoみたいなものですかね。

★そもそも、レートがぜんぜん違う。初めて韓国に行ったときは「0をひとつ消せばよい」と考えていた。つまり10万ウォンだったら1万円。
だけど今朝は空港で両替をしたとき、20万ウォンを15900円くらいで買えた。びっくり。

★女の子がかわいくなった。いや、もともと可愛かったんだけど、洗練されてきた。2002年に初めてソウルに行ったときは「すごく素質(?)のある人たちなのに、今一歩惜しいんだよなあ」と思いながら見ていたのを覚えている。それが、明らかに服装や髪型が変わったと思う。で、日本人に似てきたかというと、それともちょっと違って、もっとシンプルな感じがする。
たとえば「白いシャツと赤のショートパンツ」という格好をした子を今日は偶然二人も見たんだけど、これにきれいな肌とつやつやの黒髪が加わって、それはそれはGoodでした。
異様に大きなつけまつげや派手なチークは今のところあまり見かけていない。
元々持っているものをどう生かすか、気づいたもの勝ちだよなー、と思う。

★駅をはじめそこらじゅう綺麗になった。地下鉄の駅がにおわない。

★とにかくあらゆるところで日本語が通じる。表示も多い。私の韓国語の出番無し。

とまあそんな感じ。
それにしても、あれだねー、自由っていいねー!!
何時まで起きてても、何時まで寝ても、何をどこに散らかしても、何をいつ食べても、誰にも迷惑をかけない…!!日曜までは仕事のことも忘れていられる…!!

まるで独身貴族のようだ。
自由バンザイ。Viva la liberta

今回は一人で部屋を借りていて、すごーくいい新築マンションの一室です。
これは大正解だった。安いのにこんなところ借りられちゃった。
さてそろそろ寝ます。

Tuesday 28 August 2012

23~28日のこと

なんだかドタバタしているので最近のことを整理。
23日~27日まで4泊5日で仕事。
都心からだいぶ離れたところで避暑。
しかしながら特に運動もせず(仕事なのに)寝て食べてを繰返していたらなんと2kgも体重が増えていた。

28日。
朝9時過ぎからプールへ。
いつもより気合を入れてしっかり1km泳いだ。結果、昨日帰宅したときの体重より1.5kg減った。

その後電車に乗って友人宅へ。

タイで買ったアラジンみたいなパンツをはいていたら、バスを待っている間におばあちゃんに話しかけられた。「センスがいい」とか「よく似合う」とか「これどうやって作られているの」とか。

大学に入ったときからの友達が2人。それぞれ0歳児と2歳児を連れている。
2人とも女の子で、2人とも大人しくて、ひたすらかわいかった。
最初にこの友人たちに知り合ったのが18歳のときで、今はもう10年以上経ってそれぞれ新しいメンバーが生まれている。
…という、書いてしまえば普通のことなのだが、結構感慨深い。
大きくなったんだなあ、私たち、と、子どものまなこを見て思う。
時代はこうやって変わっていくのだ。

友人が作ってくれたお昼ごはん。すごく美味しかった!

Tuesday 21 August 2012

アレッポ

シリアの内戦が泥沼化しているようだが「アレッポ」という街の名前をよく耳にする。
シリア北部の街だ。
そしてスーパーやドラッグストアに行くと「アレッポの石鹸」という石鹸が必ずある。
「このアレッポって、あのアレッポだよな…」
石鹸の色が、ニュースで見る街の様子とリンクして、悲しくなる。
遠い場所のことを考える。この瞬間に人が死んでいる。
日本は戦後67年。「戦争を語り継がなければいけない」としきりに言われる。
その一方で、今現在、戦争によって次々に子どもたちが命を落としている事実を忘れてはいけない。
そのアレッポで、20日、日本人ジャーナリスト山本美香さんが命を落としたらしい。
ちょうど3年前に、アフガニスタンについて書かれた山本さんの記事を見つけた。
切なくなった。家族の気持ちを考えると、ますますやりきれない。
ご冥福をお祈りします。

Sunday 19 August 2012

メール翻訳コンシェルジュ

つい3秒前に見たCMに腹が立って仕方ないのでここに記しておく。
外国語で届いたメールが瞬時に日本語に訳されるという機能についての宣伝だ。
CMには高校生が出てくる。
ALTの女性教員が、国へ帰ってしまうのでこの男子生徒は、好きだという想いを伝えようとする。
問題はその方法である。
なんと、自分の携帯(スマートフォン)に向かってしゃべるのだ。
しかも、
「僕は、あなたが好きです」と。日本語で。

すると空港で飛行機を待っている女性教員にそのメールが届く。
もちろん翻訳されて「I love you」と書かれたものを。

それを読んだ教員は、英語で何か入力する。
するとすると、それが日本語に翻訳されて生徒のもとへ届く。
「そのセリフを10年後に聞かせてください。」とかなんとか。

生徒は「よっしゃー」と、土手か河原のようなところで1人ガッツポーズをし、喜ぶ。

…というCMだ。


もう、何なんだこれは。
この国は本当に終わるぞ。

この生徒は、彼女の英語の授業で一体何を学んできたのだろう。
少なくとも1年、またが数ヶ月、この先生(しかも好意を抱いている)から英語を学んできて、I love youも自分で書けないとは!!
そもそも別れの挨拶というものは面と向かってするべきじゃないのか。
面と向かって言えなかったとしても、文法を間違ってもいいから何かしら英語で書こうとすべきじゃないのか。
その心意気があってこそ、先生も「教えてよかった」と思うだろうに。

そしてこのALTも同じだ。
日本に住んでいたんだったら日本語で書く努力をするべきだ。
どうして世界中どこに行っても英語母語話者は優位に立とうとするのだ。

ていうかそもそも「10年後に同じセリフを聞かせて」とか書いたらいかんだろう!
調子に乗りすぎである。
そんなこと言って10年後にこの坊主のことなんてどうせ忘れているだろうに。

この男子も、戻ってきたメールくらい翻訳機能無しで読むべきだ。
そもそも翻訳機能に頼っているようではこの金髪の女性との関係が恋愛にまで発展するのはほとんどありそうにない。

段々怒りが収まってきたのでこの辺で終わりにします。ふぅ。

Friday 17 August 2012

涼しい

明日まで実家でのんびりする。
気温は高いのだが、家の中は涼しい。
隣の家といってもかなり距離があるので、家のなかにすうーっと風が入ってくる。
しかもその風も山から吹き下ろしてくる風なのでひんやりしている。
朝晩は寒いくらいだ。
息のあがったTシャツ。口をあけて「ほっ ほっ」

こういう、特に予定のない日中は畳の上に寝転がって昼寝をするのが一番良い。
東京に戻りたくないのだが、そうも言ってられない。
現実に戻らなければいけないし、現実と向き合わなければいけない。

どんなに嫌がっても、9月はやってくる。
そして今どんなに9月を怖がっても、すべては時間が解決する。
母親が育てているブルーベリーが豊作だったらしく、それを使ったジャムが大量にできていたので、そのジャムを使って私がタルトを焼いた。

Wednesday 15 August 2012

CAが怖い

日曜日から郷里に帰っている。
土曜日は仕事で一日中、東京の西のはてほうまで外出していた。
帰宅したのがとても遅かったので、日曜のフライトを午後の遅いやつにしておいて良かったと思った。
日曜にぼちぼち、持って帰るものやおみやげの準備をした。
それで、夕方のANAに乗った。

ところで、日本人のCAって少し苦手だ。
みんなきれいなんだけど、みんな同じ髪型で(前髪の角度も!)、同じようなメイクで作り込んだ同じような顔で、みんな同じ声の高さでみんな同じ台詞を同じ感じでしゃべってくるからちょっと怖じ気づいてしまう。
丁寧すぎて逆にイライラする。
もう少し自由度高くても良いんじゃないかと正直なところ私は思うんだがきっとこれが「ジャパンクオリティ」なのだろう。
たとえばルフトハンザの、てきとーな感じのほうが私にはずっと心地よいと思った。

形式だけが先行していて不自然に感じる。
私の隣の席の人が、荷物を前の座席の下に入れていなかった。
それを見たチーフCAが、「荷物を座席の下に置け」って言うだけのことを

「大変恐
れ入りますお客様、もしか致しますとご存じかとは思いますが、離陸中は大変~~(忘れた)~ですので、只今そちらにございますお客様のお荷物を、前の座席の下の方へ入れていただきますと大変ありがたく存じますが」
って言っ
てるのを聞いて、吐き気を催した。しかもその間、CAは表情ひとつ崩さず、ずっとほほえんでいたのだが、見るからに作り上げられた笑顔で、目の形だけ三日月状になっていて、怖かった。
となりの人はずっとうなずいていた。
このCAはほかの人にも同じような感じで接していた。

これをコミュニケーションと言うのだろうか。
一方的すぎるのではないか。

しかも厳しめに
後輩たちにも指導をしていて、後輩たちもそれに倣っている…と。現代日本社会の病をここに見た。
この人がもし「私たちは心をつくしてお客様にサービスをしています」と自負するのであればそれは、はっきり言って「勘違い」に過ぎない。

まあ、そういうのは放っておけば良いのかもしれない。
でも、「偽」な感じであふれているこの国のこの状態を、気づいた者としては声に出さなければいけない、と思った。
例えばこれからキャビンアテンダントをめざそうという人には、私のように感じる人もいるということを知っておいて欲しいと思った。

さて、これから親戚一同で庭でバーベキューです!
何年ぶりだろう?楽しみだ。

Sunday 12 August 2012

タイランド

プーケットから帰った。
今度旅するときのために、または今後旅を考えている人のためにメモ:

今回は香港乗り継ぎのキャセイパシフィック。出発は8月6日。
特にずっと前から予約をしていたわけではない。なんとチケット購入は8月1日。
日本人のための日本語のサイトとなるとなかなか空席もなく、しかも10万円を越えるのだが、イギリスのサイトから見つけたらなんと7万円台でとることができた。

香港での待ち時間も1時間半程度で、目的地まで合計で時間は9時間ぐらい。悪くない。

ホテルはHorizon Resort & Spa というところで、パトン・ビーチの近く。
「ビーチから徒歩5分」と書いてあったが実際のところは徒歩2分だった。
つまり、朝起きて2分後には浜辺に座っていられる、という好立地。

雨季にあたるので、滞在中ずっと雨だったらさぞつまらないだろうなあ、と出発前に心配していた。しかしながら少しも雨は降らなかった。やや曇りがちな日はあったものの、天気は良かった。むしろ、良すぎた。陽射しが強い。少し歩くと汗が出る。そして当然ながら湿度は高い。

これぞ、エイジアン・モイスチャー、だ。こうでなくっちゃ。
最初に東南アジアに行った時は14歳だった。シンガポールに着いて、「押しつぶされるような、湿気」と感じたのを覚えている。生まれて初めてあれほど強烈な湿気に出くわしたのでよっぽど印象的だったのだろう。慣れない環境は苦しくもあった。マレーシアの雑多さに疲れ切って「もう行かなくていいや」とさえ思った。

それが今となっては、心地よくさえ感じるのである。
米の炊けるにおいと、香草のにおいと、人と、砂埃と、ありとあらゆるものがごちゃごちゃ混じったあの、通りのにおいが心地よい。
むわっとした湿気、熱気、活気の入り混じった空気が好きだ。

小さい頃は口にすることさえ憚られた食べ物―銀杏とか、いかの塩辛とか―が今となってはたまらなく美味しく感じるのと同じなのかもしれない。
テイストは変わるのだ。

同じ東南アジアと言えど、去年行ったベトナム、カンボジアとはまた全然違った。
例えば食文化なんて、こんなに近いのに、だいぶ違う。
ベトナム料理とタイ料理は一緒のレストランで作るべきではないな、とあらためて思った。
そういえばタイでは箸とナイフは使わないようだ。
スプーンとフォークだけで器用に食べていた。

ほほえみの国、と呼ばれるが、微笑むというよりむしろ穏やかな人たちという印象を受けた。
感情の起伏は思ったほど激しくなさそうだった。まあたったの4日間なので本当のところは良く分からないが、とりあえず私が会った人たちはいい人たちだらけだった。

もしここで1人でも嫌な人に会うと、私はきっとタイの人々に対してネガティブな印象を勝手に抱くのだろう。そう考えると、あのホテルの人々はきっと「国の代表」と言ってもいいくらいの心構えでサービスにあたってくれていたのだと思う。プロフェッショナルだ。


ところでみなさん、パッタイという食べ物は美味しいですよ。
もしこれからタイに行くことがあればおすすめする。
もしこれからタイに行くことの無い人でも、このためにタイに行くことをおすすめする。
そりゃ毎日食べれば飽きるとは思いますが3日食べても私は飽きなかった。



1日目

2日目

3日目
さて、続きはまた今度。気が向いたら書きます。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...