生まれてから家を出る18のときまで、親には何度も「バカたれ」と呼ばれた。
その当時どういう気持ちだったかは詳しく思い出せないが、よく途中で曲がらずにここまで育ったと思う。
「数学ができない」のと「運動ができない」ことは、自分の基準でそう思っていたわけではなく、周りからそう言われるから、できないものだと決め込んでいたような気もする。
ちっとも楽しくなかった中学、高校時代。
もう少し親に認められて褒められていたらどう違っただろうか、と思う。
それに、私の親はいつも、他人の前になると私たちきょうだいのことをけなした。
「うちの子はわけの分からんことばっかりして」とか「いっつも分かったような口きいて」とか、そういうセリフを、なぜか笑いながら、なぜか少し自慢げに、友人の親や知人に話すのだった。
そして、相手の子どもについて必死に褒めていた。
普段、直接そんなことは言われてないのに人前になると自分のことをそう言われるので、びっくりした。反発こそしなかったが。
小学校の頃まではそれほど気になっていなかったと思う。
しかし中学、高校となると自分にもプライドというものができる。
一人前の人間になってくる。
そんな中で、親から、人前で「この子はどうしようもなくて」という扱いをされるのは屈辱だった。
大学に行き始めてからはそれがもっとひどくなった。
そんなことは言わないでほしい、とお願いしたこともあった。
本音ではないことは分かっているし、けなさねばならない、または褒めるわけにはいかない慣習のようなものもあるのだろう。
だけど自分の子どもには「バカ」とか「あほ」とか言いたくないと思う。
そして、他人の前であっても、素晴らしいことについては褒めたいし、変な謙遜をしたくはない。
謙遜することが子どもにとって良いことだとは少しも思わない。
むしろ自尊心を傷つける可能性があるようなことは行う必要が無い。
事実、私はこうやって、親の嫌な癖の一つとして記憶しているし、そのことを思い出すだけで胸が痛む。
褒めて育てるのはいわゆる「日本のやり方」ではないのかもしれない。
だけど、「内心良いと思っている」ことはやっぱり口に出して伝えなければいけないと思う。
何よりも、親は子どもにとって一番近い存在である。
誰よりも自分を認めてほしい存在なのである。
今、外見や性格を真正面から口に出して褒めあうパートナーを見つけられたことにとても感謝している。
さて、寝よう。
Tuesday, 13 November 2012
お父さんの回復、12月の疲れ
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