Monday 31 December 2018

こどもを連れて温泉、ビートルズ

今年を振り返るといってもよく覚えていないのである。ただし12月のことなら思い出せる。本当に大変だったなというのが一番の感想。こどものイヤイヤがこれほどまでにひどくなるとは思っていなかった。2歳は楽になった、というのは早まった誤りでした。だって11月くらいまでそう思っていたから。突然やってくるものである。今よりひどくならないことを願う。ここ数日実家でどうにかこうにかやっているが一対一で対応することを想像するとこれは悪夢である。絶望的である。

記録のためにひとつ書いておく:

昨日は温泉に行ってきた。こどもを連れての初めての温泉だったがとても楽しかった。短時間でもやはり温まり方が違うと思ったし気持ちよかった。こどもは最初やはり緊張していて少しも動かず、「はい服脱ぐよ」と言ったら脱衣所でするするとズボンとおむつを脱ぎ始めたのには驚いた。こんなの初めてである。これだったら毎日温泉に来たいと思ったくらいだ。

湯舟に入るのも相当びびっていてサルの赤ちゃんのごとく私にしがみついていた。決して底に足をつけようとしなかったがシャワーとの間を3回往復する間にだんだん慣れてきて最終的には自分で歩けた。お尻をつけようとしてお湯を飲む羽目になったのはかわいそうだった。

湯舟からあがると既に興奮しており調子に乗ってお客さんたちの間を縫うようにちょろちょろと走り回る。追っかけまわすのはやはり大変だった。ただこんな感じでちょっとずつ外に連れていけるようになっている。いろいろな経験をして、満足して夜も眠りについた。

最近、昼寝をするときに、座ったままで抱っこして揺らしながらなんらかの歌(たいていビートルズ)を歌うと眠ることが多い。問題は私がビートルズの歌詞をすべて知らないということだ。抱っこされながら「ハローグッバイ」とか「ペニーレイン」とかリクエストしてくるが、ごまかしながら歌って最終的には鼻歌になる。それにしてもよく曲名まで知っているものだと感心する。童謡はちっともなじみがないがビートルズならイントロ3秒でLet it beとかGet Backとか言える。2歳でここまで身についている。

Sunday 30 December 2018

眠気、体重、雑感

あっという間に30日。実家に来てぼうっと過ごせるかと言えば意外とやることは毎日何かしらあって時間は過ぎ去る。友人知人が訪ねてくることも多い。勉強をせねばと思っていても午後になると猛烈な眠気に襲われる。睡眠時間は結構とっているはずなのだがそれだけ疲れているあるいはリラックスしているということだろうか。ここに来ると空港を出た瞬間からだいたい眠気に襲われるのでやはり東京では緊張感が常にあるのだろう。気をゆるめる場所があるのはいい。いったん物理的に日常から離れると切り替えができるし日々を客観的に見ることができる。こどものわがままは相変わらずすごいのだがここには人員がいるため一対一で対応する必要がなく怒鳴り散らすまでには至らない。子育てには人数が必要なのだ。絶対に要る。「お母さんが育てる」なんて誰が決めたのだろう。中心人物さえ決める必要はないと思う。みんなでやるのだ、みんなで。

先日友人からお茶をプレゼントにもらった。予想もしていなかったのでとても嬉しかった。義務的にお土産やプレゼントを買うのは好きではない。大事なのは本当にあげたいと思う気持ちでありその日だからとかその状況だからという理由であげる必要はない。

夏に2キロぐらい体重が減ってから結局元に戻っていない。上がり下がりはしながらも結局ベスト体重マイナス2キロの状態が続いている。夏は確実に食べていなかったことが理由だが今は一応食べてはいる。ただ、これで落ち着いてきたのかもしれない。出産の前後で身体はものすごい変化した。膨張したりしぼんだりたるんだり、髪も抜けては生え変わり、肌もゆで卵をむいたようなプルンプルンの時期があったり、一人の人間の体がこれほどまでに変化をするのかと思うくらいに変化した。たった2、3年のこととは思えないくらい。妊娠したのが3年前だが、それからようやく今収束してきているのではないかなと思っている。一生戻らないのではと思っていたウエストも、水がたまったようなふくらはぎもようやく普通に戻った。産後2年。こんなに時間がかかるのである。

当たり前だが、妊娠していない状態というのは実に自由で良い。好きなものをバンバン食べてもすぐ体重に表れるということもない。そもそも好きなだけ運動ができる。水泳も自転車も合気道も制限はない。そして好きな服が着られる。だるまさんみたいな格好で妥協する必要がない。おなかに何もいないだけでこんなに自由に動けるのだ。時々妊娠期を思い出して今の自由をかみしめると同時に「あれはもうこりごり」と思うのである。

妊娠は病気じゃないという言葉があるけど、いや、病人と同じ扱いでいいよね。いつ何が起きてもおかしくないしだいたいいつも苦しい。半端ない困難を抱えて9か月くらい生きているわけで。「妊娠は病気じゃない」は死語にすべき。

Friday 28 December 2018

自分のことを話せるようになってきた

先日、初対面の人と話しているときにこどもの話を持ち出さずに話を続けてみた。こどもがいる身分であるということを言わずに話してみたということ。

すると、ともすればこどもの話に移りそうになるし、こどもの話を出さずに話を続けるのは難しいと思った。日々の生活がこども中心で回っているので、たとえば「休みの日に何をしますか」という普通の質問でさえ、土日は子どものいる私にとって休みではなく自分の時間をもって好きなことや趣味をするのはほぼ不可能に近いため「掃除と洗濯」以外の答えが出なくなってしまう。

しかし、それでも、だ。
以前よりも話せることが増えてきた気がする。つまり、自分について。子ども以外のことにまったく手が付けられなかったときのことを考えてみると今はだいぶ「自分」が取り戻せてきた気がする。

特に、仕事を一人前にこなしているから。他人に認められ、必要とされ、責任の伴う仕事をやっているおかげで自分に自信が持てる。仕事に携わる、手に職を持つというのはこんなにも素晴らしいことなのだ。育休なんてことをよくやったよなあ私、と今振り返ると思う。

2年前、近況報告なんてしようものならこどもの話題しか出なかった。どこをどうひねっても絞ってもこどもの話題しか出てこなかった。自分が何をしたいのか、普段どういうことを考えているのか、それすら言えなかった気がする。本も読めなかったしそもそもまともに眠ることが一年間ずっとできていなかったのだからそりゃ本どころじゃないよねという話で。

最近こどもが、より「別の人」に見えてきた。つまり自分の付属品(最初からそうは思ってないけど)ではなく「もう一人の人」に見えてきた。その証拠に顔がどっちに似ている、というのも考えることさえなくなってきた。この人はこの人なのだ。

そして私は私なのである。こどもがいてもいなくても私は私でしかない。こどもに合わせて人生に制限をかけない。なぜならいずれこどものせいにしてしまう気がするから。こどもの世話が忙しくて身だしなみに気を配らなかったり体重が増えたりというのはよくあることだけどそこでこどもを言い訳にしてはいけない。すべては自分次第。

Thursday 27 December 2018

こどもを連れて帰郷

故郷にやってきた。25日に今年度の仕事を終え早速26日に飛んだ。昨日の8時半に家にタクシーがやってきて、9:55の飛行機に乗った。

今回は空港に着いた後にベビーカーを使わずこどもが搭乗口まで歩いた。空港もまだピークには達しておらずそれほど混雑していなかったのでこどもとゆっくり歩くのも困難ではなかった。大きくなったなあと成長を感じる。それでも一人で勝手に駆け出すので例えばレジで支払い中に「あれ、いない!」ということは3回くらいあった。追っかけると喜んで逃げる。仕方ない。いつものように崎陽軒のシュウマイ弁当を買う。

隣に誰もいない席があったのでチャンスだと思って席変更をしたら結局最終的には埋まってしまっていた。というわけで今回は一番後ろの席に座った。ただ、新しい機体だったので画面がついていたのはよかった。2時間泣きわめくこともなく過ごせた。眠いのに眠れないのは辛そうだったし、結構揺れたので最後のほうで少し吐いてしまったのは本人としてもやはり印象に残っているらしい。着いた後にずっと「ひこうき くしゃみ」と言っているのがよくわからなかったのだが、どうやら「はいた」ということを言いたいのではないかと思った。口から何か出た、みたいなことを。

こどもにとってこの搭乗はいったい何回目なのだろう、と頭の中で数えてみたところおそらく23回目、つまり12往復目である。すごい。2歳4か月にして23回も飛行機に乗るとは。慣れたものではあるが乗せるのが大変なことには変わりはない。その都度いろいろな策を考えておかなければいけない。そのうち航空券にもお金がかかるようになるし、そのうち自分ひとりで乗れるようになるはず。たくましいのう。

祖父母に会えて子どもはとても嬉しそうで、逆もまた同じ。こどもは興奮し続けていてとてもじゃないけど昼寝なんてしなかった。近所の人たちも会いに来てくれてありがたかった。そして、想像してはいたがそれほどわがままで泣きわめくことがない。いやまだ初日なのでどうなるかはわからないけどとりあえずおむつを替えるのとお風呂に入ることに従ったのには驚きだった。いろいろな人の目があるとこうも違うのだ。

Wednesday 26 December 2018

選択可能な二者

イタリアについて。

何を今更、と思うだろうけど最近やはり私の持つ性質のなかの一つになっているのだなと客観的に見ることがあったので。私はイタリア人になりたいわけでもないしイタリア人を無条件に礼賛しているわけでもない。最悪だなこの人たちと思うこともあるしそもそもイタリアに住みたいかと言われるとすぐに肯定の返事は出てこない。それでもイタリアとイタリア人から少なくとも10年、いやもっと長い間、大きな影響を受け続けていてそれが自分という人間の一部を成している感があるようになってきた。

一般的に「海外では…」という文脈でものごとを語ることがよくあるが私は「イタリアでは…」という始め方だったら話せることが多い。それ以外についてはよく知らないし知っているうちに入らないがイタリアについては、住んでもいないのになんだかんだでよく知っていることが多い。いやもちろん浅いけど。

そして各国の「常識」についてイタリア以外の出身の人と話していると、そうかそれぞれの国で違うんだなと思う。同時にイタリア人がいかに美感覚と独創性に秀でていて洗練されたスタイルの持ち主でありチャーミングな存在であるかを一歩引いて感じることができる。

イタリア=海外ではない。イタリアの常識を「海外では」の文脈で自分がとらえ、自分のなかの二つ目の常識にしかけていたことに気づく。私が知っているイタリアという国は、別の場所から見てもやっぱりこれだけ魅力があるのか、と思う。つまり;

「私 - イタリア」の構図ではなく
「私 - 別のどこかの国 - イタリア」の三者の中で見たときに、一歩引いて客観的に見られる、ということ。

だから、たとえば「思っていることは溜めずに外に出して表現する」ことはイタリアのやり方なわけだが、それはわかっていても私のなかで「日本じゃないところのやり方」つまり選択可能な二者のうちのもう片方のやり方として認識している。ただし「思っていることはすべて表現する」文化がたとえばヨーロッパ全土について言えるのかというとそうとも限らなということに、三つ目の国を通すと気づく。

そして「選択可能な二者」のうちのひとつになってしまっているのだ、イタリアが。やり方考え方はいろいろあるけど自分のなかでイタリアだったらこう、という二つ目の基準、常識がいつの間にか出来上がっている。イタリアに初めて行った21歳当時は憧れでしかなかったかもしれないしもしかしたら「選択可能な二者」というよりは日本を否定する立場にあったかもしれない。それが最近、並列・共存している感じがある。どちらが良いとか悪い、というわけではない。上がったり下がったりしながら日伊が共存してきた。

話変わって、言いたいことをすべて口に出してしまう文化ってすごく良いです。日本の対極にあるけど。日本がそうなるのはかなり難しい。論理的にものごとを話すのがとても苦手な民族だと思うし「意見を言う」ことがいとも簡単にケンカとつながってしまう。下手すると意見の否定は人格否定みたいになっちゃったりして。そういう意味では損な集団。

Monday 24 December 2018

友人宅と色のはなし

22日昼、友人宅へ招かれたのでお邪魔してきた。こどもを置いて行くことができたので気兼ねなく一人で(身軽に)電車に飛び乗る。気分的に赤いコートを着て。

さらに、気分的にチョコレート・ケーキが食べたかったので渋谷のTopsに寄って2〜3人用のケーキを一つ買って行く。一人で休日午後に出かけるなんてこんな贅沢はない。そしてなんて身軽なのだろう。

バス停に迎えにきてくれた友人は、深緑のコートを着ていた。「やばいね、あたしたち!」と言われて並んでみると、それはもうパーフェクトなクリスマス色の組み合わせなのであった。笑うしかない。二人で歩くとそれはそれはめでたく、festiveな感じがする。友人のマンションの住人からも「あら〜 クリスマスね!いってらっしゃ〜い」と声をかけられた。

上京以来の友人である彼女は、そんなにしょっちゅう会うわけではなくてもなんだかんだで連絡を取り合っていて、性格もちょっと似たようなところがあり、同時期にヨーロッパに留学していたのもあってその経験から何かと「言わなくても分かる」レベルのことを共有していることがある。

手料理をたくさんご馳走になり、しゃべりまくって、満たされた気分で帰宅した。なんとも良い時間を過ごした。

____________________________________________

色について。

友人宅はリノベーションをしたので自分の好みで壁の色を変えたりしていた。黄色い壁もあった。明るい性格の彼女がものを選ぶとだいたい
・明るい色(赤、黄、青など)
・大きな柄、モチーフ
のものが集まってくるのだがこれがよく合っているしその人を表す感じがする。

(日本の)お片づけ系、インテリア系のブログを読んでいるとだいたい「モノトーン大好き」「白、黒、グレーで統一感」みたいな記事が多い。2,3年前に、今の家に引っ越してきたときちょうどそういうブログを読み始めた。そして本当にシンプルでいいと思った。影響を受け、そうだよな、モノトーンじゃないとなと思ってちょっとそっち方向にしようかと試してみたことがあった。

が、一年も経たないうちに「つまらん」ということがわかった。パペリナのラグを買うときにも、どうしても明るい色のものに目がいった(結局オレンジ色を買った)。ストウブの鍋も真っ赤。結局それが一番落ち着くのである。モノトーンは私にとっては「無理している」状態なのだと思った。もちろんそれが無難で良いというときもある。それでも私の基礎、基本は20歳ごろにイタリアで見た真っ赤なシーツのベッドルームや、黄色や緑単色のワンピースにある気がする。シンプルなデザインとパキッとした色がいまだに頭に残っていて、その後ずっと、インテリアや服のみならずものの見方や人生にまで影響を及ぼしている。

かといって何でもかんでも赤いと良いというわけではないけど。壁を塗るなら黄色は良いなと思った次第です。

Saturday 22 December 2018

声、髪、爪

ふと気づくと20日が過ぎていた。早い早い。1年が終わる。今のところ、熱が出るような風邪はひいていない。たぶん睡眠をたくさんとっているおかげだろうと思っている。食べることよりもまずは睡眠が大事だと思う。

咳が止まらず病院に行ったのが確か先週のことだった。薬を飲んで咳が止まったかわりにハスキーな声になり、それが何日も続いたけど今はもうだいぶ普通に戻った。声が違うといろいろな人に心配されるが、本当に声がかすれているだけで、鼻水も咳も熱も出ないので苦しくもなんともない。歌が歌えない、とかそのくらいしか困ったことはない。むしろちょっと違う自分になれたような気がして楽しめた。スカーレット・ヨハンソンのハスキー・ヴォイスを思い出すと、ちょっと得したような気にさえなった。

しばらく髪を切っていない。バッサリ切ったのは9月だったと思う。それから、やっぱ短すぎると困るなと思ったのと、寒くなって来たのもあって切る必要性を感じず今に至る。だいぶ伸びた今、ちょうどよくなって来た気がするが、それでもまだ短い。箸をかんざし代わりにしてぐさっと簡単にまとめていたころが懐かしくて、その頃と同じぐらいに伸ばしたいと思いながらも結局我慢できずにバッサリ切る、というのを繰り返している。今度こそ、このまま頑張って伸ばすつもり。

マニキュアを塗る余裕が少し出て来た。まるごと2年以上、マニキュアのボトルに触れることさえほぼない状態だったが、朝時間がとれるようになってきたので完璧ではないにせよ爪のケアができるようになってきた。

Thursday 20 December 2018

身軽でいること、スペースを持つこと

今朝こどもと遊んでいたら、向かい合って手をつないだ状態で逆上がりしてぐるんと回る(で、分かりますかね?)ことができるようになっていた。びっくりした。どうにかこうにか3回まわって、たいそう褒めてあげると自分でも「Bravo」と言いながら手をパチパチ叩いていた。おもしろい。そのあと、しばらくしてからもう一度やってみたら5回連続でできた。そうか、そういう年になったのか。現在体重がだいたい14kg、身長はだいたい90cm。がっしりしていて、じゅうぶん重い。しっかり走るし、ふにゃふにゃ感はもうない。

きょうは午後から、友人に会いに行った。職場近くの、いつもの肉屋でお弁当を買って行き、一緒に食べながら少し近況を話す。短時間だったがこうやって気軽に会いに行けるのは良い。私は友達が多い方ではないし、めちゃくちゃ親しい友人、みたいなのも少ない。それでも、長く会ってはいなくても「きのうの話のつづき」みたいな感じで話ができる人たちが何人かはいて、気を使わずに自然と「会おうよ」「会おうか」ということになる。一緒にいて楽しくない人たちと無理につきあう必要はないと思っているしそもそも他人に好かれようとは思っていない。

今までに2回、親しいと思っていた人から急に「縁を切りたい」とか「連絡をとらないで」と言われたことがある。どちらも文字によるものだったが。最初の人は高校の同級生だった。私もまだ十代だった。そのときはやはりとてもショックだったのだがおじに話したら「人の縁なんてそんなものです」と言われたのでそれに従うことにした。時の流れに任せることにした。そのことをよく覚えている。だから二人目の友人のときはそれほどショックを受けなかった。つまり放っておくことにした。そしたら自然と離れて行ったし、お互いに連絡を取ろうとしたことはそれ以来ない。結局合わなかったのだ。人の縁は脆いし、残るものは残って行く。新しい出会いもたくさんある。その時その時で人生を楽しむ。過去と未来についてはとりあえず考えず、楽しめるだけ楽しもう。明日死んでも悔いのないように、やりたいと思ったことはすぐに行動に移すべし。

とまあ言うは易し行うは難し、なのだが少しでも行うも易し、にするためには行動しやすくするためのスペースを持ち身軽でいることだと思う。持つものを減らす、というのはつまり良いものしか持たないようにすること。そして動き回れるだけのスペースを常に保っておくこと。引き出し、棚はギチギチにしない。つっかえたり転んだりぶつかったりしなくていいだけのスペースを持つこと。物理的なスペースができると心理的にも余裕ができる気がする。単にものを片付けるというよりは色々なものごと、人生に対してその構えでいるとよりいいことができる。より良いものが舞い込んでくるかもしれないときにスペースがなくては話にならない。

Tuesday 18 December 2018

たたかいの日々

昨日の朝。5.59に目覚ましで起きた。目覚ましが鳴るまで寝ているのは珍しい。しかも前の晩は8時に寝たのだ。10時間ずっと寝続けていたことになる。疲れていたのかなと思いながら紅茶をいれて座ってパソコンを開く。30分するかしないかのうちにこどもの足音がした。開口一番「きゅうきゅうしゃ」。いつもと同じである。しかしその後がちょっと様子が違った。いつもより断然機嫌が悪い。なにがきっかけだったか忘れたけど泣き出した。そしてミニカー類を床に投げ始めた。「いや」「いや」をずっと言っている。それからおむつを替えようとしたらさらに泣く。いつもなら放っておくが昨日はおむつがもはや吸水できない状態にまでなっていてズボンも濡れていたのでむりやり脱がせた。そうすると嫌がってさらに泣く。パニック状態に陥っている。ものすごい泣き方。耳が壊れる。新しいおむつを取って来たらそれもいやがり、なんと捨てたオムツの入っているゴミ箱へものすごい勢いで駆け出し、ビニール袋を中から引っ張り出して来た。もうこうなると手がつけられない。「ぎゃああああああ」「いやいやいやいや」放っておけないのは下半身素っ裸だから。このまま床に漏らされたらたまったもんじゃない。むりやりオムツを履かせようとするとものすごい勢いで足を動かし私を蹴る。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。それでもこっちも負けておられずほぼ力ずくでの戦いとなったが結局、オムツもズボンもはかせても自分で全部脱いでしまうので、もう何をやっても無駄な状態となった。「風邪ひくよ。知らんよもう」と言いながら放っておくと案の定そのまま床におしっこをした。ところがそのことが本人どうやら結構ショックだったらしく「ぴぴ、ぴぴ〜〜」と言いながら号泣。ちなみに「ぴぴ」とはイタリア語でおしっこのこと。みずから足を私に差し出し、大人しくオムツを履いた。成長の過程なのだろうか。そこで泣きわめくのが終わったわけではない。すぐに「なんか食べる」というので「じゃあソーセージ焼こうか」というと今度は「そーせーじー!!!」と言って泣き出す。それから170回くらい「そーせーじ」と泣き叫び続けている間にソーセージが焼けた。ここ2週間くらい「大荒れ」である。

その「たたかい」の間、私も子も涙を流していた。相手は子どもだしイライラしても仕方ないのはわかっているのに。去年の三月ぐらいだったか、家に帰りたくないと思ったことがあったけどもしかしたら今はそれ以上なのかもしれない。家にいるのが辛い。もう無理、と思う。

案の定、こういうことを私の両親に話すとたいてい「子育てってそういうもんさ」という言葉が返ってくる。これも、こう言われると分かっているけどがっくりくる。先輩の言葉、みたいなのは本当にいらない。何を言われても嬉しくない。だったらどういう声かけをしてほしいのかと言われてもわからない。早く終わってくれ、イヤイヤ期。

というわけで現状で「こどもっていいよ」「ほんとかわいいよ」みたいなセリフはなかなか私の口からは出てきません。

Sunday 16 December 2018

忘年会に連れて行く

仕事に少し余裕が出るとこうやってブログを更新する時間もできるのだなあと11月と比較して思う。そうかもう12月は半分終わったのか。早い。

きょうの昼は合気道の忘年会があり、こどもを連れて行ってきた。最近土日はろくに昼寝をしない。よしそれなら12時開始の会にだって連れて行けると思い、行った。行ったらとても楽しかった。正解だった。広い道場で好きなものをいくらでも食べていろいろな人に声をかけてもらえる。こんな経験は滅多にない。「あいきどう」という言葉も覚えていて、「合気道ってどうやってするの」ときくと「ぱん!」と答える。まったくもってその通りだ。投げたり受けたりでパン!とかバン!とかいう音が繰り返される。同じ2歳の子がいたのだがその子はあらかじめ準備されたものを食べていた。そうか、そんな時期もあったっけな。いつだったかな。空港でお昼を食べるから、といってタッパーにごはんを詰めて使い捨てのスプーンを持って行く、みたいな時期。

ひたすらはしゃぎまくって、ちょっと早めに退出して帰った。それからひとしきり家で泣き(「おうちきゅうきゅうしゃいや」というセリフを170回くらい繰り返した。外で本物の救急車を見たい、おうちにある小さな救急車じゃなくて、という意味。)、泣きながら眠りについた。やれやれ、である。

それでもやっぱり「連れて行くと大変だよなあ…やっぱやめとこうかな」と思っていた時期に比べれば格段に楽になったと思う。

しばらく前に「子どもは衛星みたいなもの」という言葉をきいて、そうだよなと思った。今だからこそそうだよななんて思えるのだろうけど。自分の周りをぐるぐる回っている存在で、私の行くいろんなところについて行く。そしていろいろなことを体験する。美術館にも海外旅行にも合気道にも水泳にも行く。こどものために自分を犠牲にしなければいけないことは多々あるのだがそう簡単に自分のことも諦められない。自分を犠牲にしていると思い続けると、たぶんそれは危険で、いつかいろんなことを子供のせいにするようになってしまう。いや、今そうなりつつあるのかもしれない。

Saturday 15 December 2018

咳とイヤイヤ

昨日。金曜平日。仕事は木曜で終わらせているので行かないことにして貴重な平日休みとなった。映画のチケットが手元にあるので見に行こうかなと思ったが時間が合わず。咳がひどかったので病院に行ってきた。半年に1回くらいこういうことがある。病院に行くレベルの咳。半年に1回というのはつまりエアコンを使う季節でもある。乾燥に弱い。治るだろうと思って放置しておくと2ヶ月くらいそのままだったこともある。熱があったり吐き気がしたり、というわけでもないので放置しやすいのは事実だが病院に行くと結構あっさり治る場合が多いので昨日は迷わず行ってきた。実際、もらった薬を飲んだら結構すぐに良くなったし、夜中咳で眠れないということもなかった。やっぱり行ってよかった。病院で言われたのは「とにかく水分とってね」ということだった。水、全然飲んでないや、そういえば。

昨夜12時過ぎぐらいに寝ていた子供が泣き出した。何がきっかけだったか覚えていないが、消えている電気をつけてくれとかそういうことで泣き出した。「つけたい つけたい」を500回くらい繰り返した。電気をつけると別のことで泣く。「みず」とか。それで水をあげると「いや」と言う。その後「あっちいきたい あっちいきたい」を繰り返す。何をしても同じである。こっちも涙が出てきた。耐えられない。寝せてくれ。もう辛い以外のなんでもなかった。何を言っても聞かない、聞こえない。抱こうとしても振り払う。寝ればいいのに寝ない。私を蹴る、たたく。これが1時間は続いたと思う。結局子の父親がなんとかしてくれた。神様。

最近本当に「もう限界」と思うことが多すぎる。逃げたくなる。そんなこんなでまた週末がやってきた。憂鬱である。混じりっけなしの憂鬱。

Friday 14 December 2018

2歳と14日のきろく

こどものイタリア語が「すんげぇ」進化している。「どちらもしゃべるの?」と他人に聞かれると「まあ日本語が中心ですけどイタリア語もわかってるみたいです」と言っていたのがしばらく前。しかしこの1ヶ月くらいで確実に言えるのは「イタリア語が中心ですけど日本語もしゃべれます」ということ。変わってきた。家では9割くらいイタリア語をしゃべっていると思う。実家の父母と私が(もちろん日本語で)話しているとわかる言葉があればそれを横からいちいち全部イタリア語に訳してくる。たとえば

私「…で、誰もいなくてさ」
子「non c'era nessuno」
私「そう、ノンチェラネッスーノ、ね。そう、誰もいなかった」

ずっとこの調子。あと、ひとりごとはすべてイタリア語。すごいね、と声をかけながら私は本当に心から「すごいな」と思っている。

最近工事現場の用語が増え始めた。イタリア語で。ただし私も一度も使ったことない単語ばかりなので「え?なにそれ?」と尋ねることがとにかく多い。日本語でもなんと言うかわからないものがたくさんある。とにかく、おかげで私の語彙も増える。

つるはしのことをpicconeというのは知らなかった。あとはbetonieraがミキサー車。cingoloというのはなんと説明すべきか。車のキャタピラ部分?こんなの知るわけない。が、最近確実に私の語彙として加わった。furgoneというのはバスとワゴンの中間くらいの車。バン?と呼ぶのかな。

単語だけではなく文になってきたし、女性名詞と男性名詞もなんとなく使い分け始めている気がする。冠詞がつくようになる日も遠くないのだろう。すげえよ、ネイティブ。

せきどめのシロップを飲ませて、そのあと粉状の「ドライシロップ」を取り出したら「tipo...」という。tipo ~ というのは「〜みたい」というい意味で、英語だとlikeとほぼ同じ。

「tipo.. なに?」と聞くと
「tipo sale(塩みたい)」と答えた。おっとこりゃ驚いた。たしかに粉薬、塩みたいなのだけどそんなイタリア語が出てくるとは。同じことを日本語で言えるのだろうかと考えたが、たぶん「〜みたい」とはまだ言えない気がする。

イタリア語のネイティブと一緒にいる時間が長いので、こうなるのは自然と言えば自然なのだが思った以上の入っていきかたなので毎日本当に驚いている次第。

ここ数日は私も仕事に少し余裕ができて、保育園の送り迎えを父母一緒にやっているのだが、別れるときは「パパ」と涙を流して叫び、離れようとしない。「あのー マンマもいるんですけど」と言うと子供は「ちがう」と良い先生たちは笑う。二人で迎えに行っても私のことはほぼ素通り。そしてたまに私ひとりで迎えに行こうものなら「パパー!!」と言って泣き叫ぶ。「マンマが来たんですけど」と言っても「ちがう」らしい。どんどんパパっ子になっていく。

Tuesday 11 December 2018

ストウブ来たる

きのうは賞与の日だったようだが例年通りそこまで気にしていなかったので「お、そうか」と思ったときには嬉しかった。そのせいかちょっと強気になって、楽天のスーパーセールで買おうと思っていた最後の大物を買うことに心に決めたのは職場にて。それから家に帰り、そのことはしばし忘れ、ようやく訪れた今朝の一人自由時間にてポチっとしようと思ったら、あれ、楽天の画面がなんかおとなしい…なんか違う。もしかして… そう、スーパーセールは11日の午前1時ごろ終了していたのでした。ガビーン。

まあ、でも、これだけ迷うくらいのものだし、まだ迷いが残っているくらいなので、そこまでショックでは無い。いますぐ生活に必要というわけではないし。ただ、あればちょっと生活がより快適になるんではないかな、と思う。また次回に持ち越すこととしよう。

というわけで、今回楽天で買ったものは、まあいくつかあるんですがそのなかでも大きかったのが:

「ストウブ」!!!


ストーブ?ではない。暖房器具ではない。鍋です。我が家にはル・クルーゼがひとつある。おそらく22cm。これ使い始めてもう10年は経ったのだがいまだに大活躍である。鍋底も傷ついてボロボロなのだがそれでも全然かまわない。効果とそのすごさは巷で言われるとおり。

しかしこれが結構大きい。もう一回り小さい鍋が欲しいなと思うことが最近増えてきた。たとえばちょっとかぼちゃを煮たいときにこれだと大きすぎるので別の鍋を使わざるをえないのだが、やはり熱の回り方がちょっと効率悪いし時間もかかる。どうしようかなとずっと思いながら結局思い切って買うことにした。あちこちのブログでよく登場するストウブ。何ヶ月も調査(というほどではないが)を重ね、店頭でも実物を手にし、大きさもどれがいいか調査した。結果、色は(また)赤で、18cmにした。これはきっと重宝する。

届いてすぐに子供が遊び始めたので早速少し傷がついた。まあ良い。この程度で壊れるストウブではないはず。

ということで今はコンロの上に飾っている状態ですがやっぱり絵になる!

ところでそんなにものを増やしていいのかというと、もちろんちゃんと置ける場所を確保してから買った。不要なマグカップがいくつもあったのでそれらをリサイクルショップに出したらスペースできた。それから家にもう一つある土鍋みたいなのにひびが入っていて、もうすぐ壊れるだろうという見込み。私は使ってないんですけどね。心のなかでは「早く壊れろ」とさえ思い続けているここ数ヶ月。

たぶんこれから一生モノの付き合いとなる、ストウブ。使い心地についてはまたいつか。

Monday 10 December 2018

こっちが泣きたいわ

また爆発してしまいましたね、週末。怒鳴ってもどうしようもない相手に怒鳴る虚しさと情けなさと言ったら。辛い以外のなんでもないなこれはと思った。

昼寝をしたいくせに昼寝しない。疲れているものだからわがままも余計にエスカレートする。寝る用意をするとここは嫌だと言って泣き叫ぶ。そして蹴る。ものを投げる。夜はお風呂に入らないと言って泣く。むりやり入れると今度はお風呂からあがりたくないと言って泣く。

もう勘弁してくれと本気で思った。週末だけでこどもは500回くらい「いや」という言葉を言ったのではないだろうか。

ずっと目が離せなかった時期よりは確実にましなはずなのだが意志が強くなってきて体重も重くなってくるとそう簡単には「動かす」ことができなくなってくる。

日曜夜には例のごとくまったく気力がなくなり、笑う余裕もなかった。それでもこどもが布団に転がり込んでくると、それはもう暖かくていいにおいがして本当にかわいいと思う。小さな足をにぎってあげると安心して眠りにつく。愛おしい。ただこれは1日のうちのほんの一部である。

美談?を語る余裕はない。SNSでこどもと写った、キラキラした写真を投稿できるとしたら、それはやっぱりほんの一部、いや文字通り、写真を撮ったその一瞬にすぎなくて本当の私の「日々」はもっとずっとドロドロしている。散らかった部屋を片付け、食器を洗い、洗濯物をたたみ、掃除機をかけるのがここにいる時間の大半なのではないかとさえ思う。行き場のない怒りとイライラにまみれている。

通常、人生のあらゆる場面にはいくらか選択肢があってそれらを選べば次に進んでいく場合が多いのだが、こどもが「ギャー」とか「いやー」とか泣き叫んでいるのを目の前にしたとき、私にはそれを解決に導く選択肢がない。そのことに昨日気付いた。前にいくのか?後ろにいくのか?右?左?どちらもできない。というか無い。そこに置き去りにするか、怒鳴るか以外にない。それが「選択肢」だとすれば。抱きしめてあげればいい?ゆっくり話をしてあげればいい?いやいや、そんなんで済んだら苦労はしない。そんなのは今の私にはおとぎ話にしか聞こえない。抱きしめても振り払われるし泣き叫んでいるのだから話しても聞こえない。

耐えるしかないのはわかっているが、耐えられないときもある。だって私も人間なのだ。きのう泣かれて思わず出たセリフはこれでした。

「こっちが泣きたいわ!!!」

Sunday 9 December 2018

病院で土曜午前をすごす

こどものインフルエンザワクチン2回目を接種しに行かなければいけない。というのは分かっていながらもなかなか実行に移せないのはやはり自分の体のことじゃないからなのかもしれない。毎日思っているのに病院に予約と確認の電話をするのを忘れる。忘れつづけて1週間くらいたった。普段どおり元気にこどもは動いているしワクチン接種しなくても日々はいつものように平和にすぎて行くので必要性に迫られる感じもしないのだ。

とはいえ。

金曜夕方にまた思い出して電話をかけた。ということで土曜に行くことに。

しかしこども、金曜夜から咳と鼻水がひどい。これは怪しいな接種できんかもと思ったけどいずれにせよ行かなならんやろ、つまり先生に見せといたほうがよかろうという判断でこどもを連れて小児科へ。

「きょうは注射やめときましょう」

という結論。やっぱね〜。
しかしながら喉のぜえぜえがひどいので鼻水吸引と口開けて5分吸入を繰り返すことに。診察するたびに足の指に何か巻いて、体内の酸素量を測る。通常95は無いといけないのにきょうは91しかない。「ちょっともう少し待合室で遊んでおいで」を繰り返し、結局2時間以上小児科にいることになった。最終的に95を超えたので帰ってよしということになったが、そんなに数値が大事だったのだろうか?いずれにせよ親子ともぐったりだった。通常12時前に昼食をとるところがこの日は12時半。

仕方ないとはいえなかなか辛いものがありました。

ま、おかげで「ぜえぜえ」はだいぶよくなり、鼻水も出なくなった。熱はそもそもないけど、いまにも熱が出そうな感じだったのでやっぱ見せといてよかったと思った。

というわけでワクチンは来週に持ち越し。

Monday 3 December 2018

耐えるしかないのは分かっているが

やっぱり限界がくる。週末には限界がくるのだ。

と、きのう思った。こどもと1日じゅう一緒に過ごすのが本当に大変である。以前より言うことが通じるようになったとはいうものの、そんなに素直に言うことをきいてくれるわけもなく。

オムツを替えよう→いや
着替えよう→いや
手を洗おう→いや
スプーンを使って食べよう→いや
トイレにいこう→いや
お尻洗うよ→いや
おもちゃ片付けてください→いや
おふろ入るよ→いや
おふろあがるよ→いや


…だんだんイライラしてくる。
正常な自我の芽生えと意志の強さだということは十分わかっている。そして立派に成長している証拠でもあるのもわかっている。だけどやっぱりイライラしてくる。耐えるしかないのもわかっているが、やっぱりイライラする。こっちも人間なので。

そして文字通り朝から晩まで「きゅうきゅうしゃ」「しょうぼうしゃ」「パトカー」の繰り返しで、聞いているうちにノイローゼ気味とまではいかないがだんだん頭がおかしくなってくる感じがした。1日で同じ単語をこんなに何度も聞くことは日常生活であまりない。図書館から借りた消防車と救急車の本はきのうだけでもう50回くらい開かされた。「もういいよ、もうごはんたべようよ/おふろ入ろうよ」をこちらも繰り返す。しかしどこまでも追っかけてきて「ほん」と言って渡してくる。

自由時間は当然あるわけもない。ネットをゆっくり見られる時間、お茶が飲める時間は朝の5時から6時まで。昨日について言えば食事がまともにとられなかった。朝はそもそもあまり食べないのだが、昼ごはんは食べさせている間に自分が食べるものも時間もなくなった。そして夜には疲れ切ってしまって食べるより寝たいと思った。夕方に少し外を歩かせてもらいそこで買ったセブンイレブンのいくらと鮭のおにぎりを歩きながら食べたのがよかった。

辛抱するしかないのだ。こういう時期が永遠に続くわけでもないし。

それにしても疲れ切ってしまい、世話をしている二人とも夕方には無気力かつ無言になってしまった。二人がかりでもこんなに疲れる。

週末はつらい。やっぱりつらい。つらさの種類は変わったかもしれないけど辛いことには変わりない。土曜の午前は仕事だったのだがそれが「幸い」と思えるくらいである。毎週金曜に憂鬱を感じるのはやはりまだ変わらない。そして土曜の夜に「はあ、まだあと1日あるのか」と思うのも同じ。そして日曜に「早く月曜になれ」と思うのも、同じ。仕事のほうが何百倍も楽である。

だから、保育園に行かずに家で2歳児とすごす人々ってどんだけすごいのだろう、と思う。これほんとに。発狂しそうになるよね。慣れるものなのだろうか。2、3人分は手がないとやっていけないはず。正直言ってひとりの人間の精神と肉体で抱えられるものではない。

「子育てってそんなもんだから」とか
「みんなそうやってるのよ」とか
「あなたもそうやって大きくなったのよ」とか
「もっと大変な人も周りにいるから」とか
「こどものかわいさで大変さも吹き飛ぶ」とか
極め付けは「すぐに忘れるから」とか

そういう言葉ははっきり言って要らない。この大変さをリアルタイムで実感している人にとってどんな言葉も励ましにはならないと思う。以前、職場の健康診断で「子育てで疲れている」と言ったら「嬉しい叫びですね」と医者から言われて「はぁ?」と怒る寸前になったことがあった。嬉しくもなんともない。辛いものは辛い。

実際に、「手が欲しい」のだ。言葉はいいから、リアルに手伝って欲しいのだ。週末の1、2時間でいいからひとりの自由時間を与えてくれるとか、食器洗ってくれるとか、お風呂の後子供の髪乾かしてくれるとか、そういう、具体的な助けが欲しい。

…と書いていたときにこども起きてきました。はい、きょうの私の自由時間は終了。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...