Sunday 16 December 2018

忘年会に連れて行く

仕事に少し余裕が出るとこうやってブログを更新する時間もできるのだなあと11月と比較して思う。そうかもう12月は半分終わったのか。早い。

きょうの昼は合気道の忘年会があり、こどもを連れて行ってきた。最近土日はろくに昼寝をしない。よしそれなら12時開始の会にだって連れて行けると思い、行った。行ったらとても楽しかった。正解だった。広い道場で好きなものをいくらでも食べていろいろな人に声をかけてもらえる。こんな経験は滅多にない。「あいきどう」という言葉も覚えていて、「合気道ってどうやってするの」ときくと「ぱん!」と答える。まったくもってその通りだ。投げたり受けたりでパン!とかバン!とかいう音が繰り返される。同じ2歳の子がいたのだがその子はあらかじめ準備されたものを食べていた。そうか、そんな時期もあったっけな。いつだったかな。空港でお昼を食べるから、といってタッパーにごはんを詰めて使い捨てのスプーンを持って行く、みたいな時期。

ひたすらはしゃぎまくって、ちょっと早めに退出して帰った。それからひとしきり家で泣き(「おうちきゅうきゅうしゃいや」というセリフを170回くらい繰り返した。外で本物の救急車を見たい、おうちにある小さな救急車じゃなくて、という意味。)、泣きながら眠りについた。やれやれ、である。

それでもやっぱり「連れて行くと大変だよなあ…やっぱやめとこうかな」と思っていた時期に比べれば格段に楽になったと思う。

しばらく前に「子どもは衛星みたいなもの」という言葉をきいて、そうだよなと思った。今だからこそそうだよななんて思えるのだろうけど。自分の周りをぐるぐる回っている存在で、私の行くいろんなところについて行く。そしていろいろなことを体験する。美術館にも海外旅行にも合気道にも水泳にも行く。こどものために自分を犠牲にしなければいけないことは多々あるのだがそう簡単に自分のことも諦められない。自分を犠牲にしていると思い続けると、たぶんそれは危険で、いつかいろんなことを子供のせいにするようになってしまう。いや、今そうなりつつあるのかもしれない。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...