Monday 27 October 2008

新しい趣味

レビュー。

25日、土曜日。
3時頃に仕事を終えて、まっすぐ帰宅。すぐに眠った。前日に寝たのが遅かったから。
6時に待ち合わせがあったが、見事に寝過ごした。あわてて準備をして新宿へ。大学時代の友人と会う。
10時ごろから、ドイツ人の友達と会った。
というわけでこの夜だけで相当な量のビールを飲んだのだが、意識はしっかりしていた。
2時ごろに寝た。


26日。日曜。
昼前、11時ごろ起きた。久しぶりにこんな時間まで眠った。ちょうど12時ごろから、自転車に乗ってプールまで行った。1.2kmくらい泳いだ。

そのまま家に帰っても良かったのだが、ふと、新宿まで自転車をこいでみることにした。天気も悪くないし、行ってみたくなったのだ。

そしたら、近かった。自転車で15分くらいだったと思う。こんな近くに住んでいたのか、と、びっくりした。

ふだんは人で混みあう西新宿のオフィス街を、自転車で突っ切るのは、とにかく気持ちが良かった。泣けるほど気持ちが良かった。
ああ、私の原点はこれなんだよなー、と、あらためて思った。

そもそも自転車との付き合いは長い。小学生のころからずっと乗ってきた。中学~高校の6年間は、毎日自転車で登校していた。
大学に入ってからも、やっぱり変わらなかった。ほとんど毎日、自転車を使った。

結構遠いところまでも、自転車さえあれば、行けた。わたしの世界は自転車によって広がり、あるいは、保たれていた。

仕事を始めてからというもの、自転車を毎日使うことは、なくなってしまった。週に一回くらいなものである。こんなことは、今までなかった。つまり、自転車に乗れるようになって以来、である。

だから昨日は久しぶりに、"呼吸する"ことを感じた。
普段も自転車を使うことは使うが、やはりある程度の距離があってこそ、の、自転車なのである。

それにしても、昨日は何が特別だったかというと、新宿を走った、ということである。普通の道を自転車で走る経験はけっこう簡単に得られるだろうが、これだけ大きな都市をスイスイと走るのは、格別だった。

新たな趣味ができた。

Saturday 25 October 2008

二日酔い

昨夜の誕生会に参加してくれた人たち、本当にありがとう。あまりに盛大で、招いた本人も唖然とするほどでした。

プレゼントは2人がかりで、やっと家に持ち帰った。言葉どおり、それはもう"山のよう"で、部屋はあっという間にプレゼントとその包装紙と箱と花束で埋め尽くされた。まさに、足の踏み場もないほど、だった。どれもこれも実用的で、素敵で、本当に、心から嬉しかった。
まだ余韻に浸っていたかったけど、今日の午後、とりあえず少し片付けることにした。


昨夜はなかなか眠れなくて、結局2時まで起きていた。
きっと、昼12時~4時ごろまで眠っていたせいだろうとは思う。
しかし、今朝5時に起きたのは意外だった。もっと寝るつもりだったのに、なぜこんなに早く起きたかといえば、身体が痛かったからだ。アルコールの蓄積されたときのイタさ、である。何とも表現し難いが、身体に溜まっていると、まず、ふくらはぎあたりがいたくなる。そして、関節が痛くなる。
ちょうどその感覚だった。しかしビール3杯でここまで弱る身体ではないはずだ。
とにかく今朝は、もうそれ以上寝ていられなくなって、5時に起きた。シャワーを浴びたらだいぶ良くなった。けど、やっぱり一日中、あくびばかりしていた。無理もない。3時間しか寝ていないのだから。

これを二日酔いというのかどうか分からないけど、朝からとにかく食欲が無かった。というか胃が気持ち悪かった。人からもらったキャドバリーのチョコレートを少し食べたあとは特に何も食べず、2時には職場を、逃げるようにして、出た。

4時過ぎごろから、6時ごろまで、眠った。それから、パスタを茹でた。トマトをきざんだ。食べようという気分になったので、ちゃんと食べた。ただし、アルコールは控えた。代わりに、カモミール・ティを飲んでいる。
4月の香りがする。

意外と、雨をうっとうしく感じなかった。誕生日パワーがまだ続いているらしい。

1 more day to go

Thursday 23 October 2008

Absence of Absolutes

25歳になった。メールをくれた人たち、ありがとう。

昨日書いた文から引用:

「25歳になるにあたって」
何を目標としたいのかなーこの僕は、なんて帰りの山手線で考えていた。
「人にやさしく、自分に厳しくなる」
「ゴミの分別をする」
「首のシワをなくす」
「もっと責任感を持つ」
「ちょっとは連帯感とか協調性とかを感じれるようにする」
「もっと上品になる」

etc

電車の中で色々考えて、 お風呂に入ってからも結構色々考えて、
トマト刻みながらも考えてみたんだがその結果、


もうこのままでいいや


という結論に落ち着いた。どこも変えなくていいや。
目標立てたところで変わる気がしない。別にそんなに悪いところもないんじゃないか、そして結構素敵に生きてるんじゃないか、何かがいい方向に動くとすればそれはその時なんじゃないか。私ががむしゃらに動いたって、時間、タイミング、運、そのへんに敵うものはないんじゃないか。すべてその辺が変えてくれるし、そこに従って良い。なにごともなるようになる、けど、「なるようにしかならんさ」とうのは父の言葉である。がんばってもどうにもならない時がある。運を天に任せる、てやつ。

一日中Downerだったんだが、村上春樹を読んでエヴァンスを聴いたら、結構解決されたような気がする。あと一時間くらいで25歳になりますよ。


朝起きたら、郷里の祖父からメールが届いていた。携帯で撮ったおじいちゃんの写真が添付されていた。おじいちゃんは80歳を過ぎてからパソコンをはじめ、携帯を使い始めた。今はどちらも駆使している。ついでにデジカメも使いこなす。ついでにおじいちゃんは、詩を書く。文章を書く。

それって超かっこいい、と思う。「いつまでも若い」なんていう決まりきった言葉ではうまく言い表せないが、私はおじいちゃんのお茶目さと、その新しいもの好きなところが、とても好きだ。

パカ、っと携帯を開いて「はいチーズ」と写真を撮る姿を見るたびに思う。


私は、両親を見ると「本当に、どこが似たのだろう」とよく思う。性格で「似てるなあ」と思ったことは、覚えている限りではあまり無い。しかしながら、祖父母に関していえば時々「ああこの人の孫だ」と思えることがある。

「いいんじゃない、それで」とか「放っておけばなんとかなる」とか「そんなこともあろう」とか、基本的に大雑把な性格は、父方の祖母みたいだ、と思う。よく言えば、大らか、ということ。そして、どこか残っている、堅さと頑固さは、祖父譲りだ。



祖父母の視点からものをとらえたら、どうだろう。私が悩んでいることなんて、どれくらい"些細"なんだろう。80年生きているってどんな感じなんだろう。80年間の経験と知識って。
25になったって、やっぱりKidだよなあ。成長したつもりでも、おじいちゃんみたいな「余裕」にはまだまだ届かない。

21歳のころ、早く25になりたいと思っていた。さして変わっていないような、変わったような。20の時に「これからの5年は大きな意味を持つと思う」と言っていたのを覚えているが、果たしてその意味とは!

ま、時は流れて、すべては移りゆく。流れるままにまかせていい。諸行無常。absence of absolutes

Tuesday 21 October 2008

10月 is the best

映画を見ていたら、途中で眠ってしまいそうになった。昨日は、夜中にふと思いついて手紙を書き始めたので、就寝時間がいつもより一時間ほど遅かったのだ。それでも、その手紙は、その時に書かなければいけないものだった。これといった理由もないが、とにかく"気が向いた"のだ。たとえそれが夜中3時であっても、書いたんじゃないかと思う。

というわけで手紙は今朝、ポストに入れてきた。

今日も汗ばむくらいの良い天気だった。誕生日が近づいているので、日々のイライラも多少なら耐えられるし、縮小される。誕生日に免じて、てわけだ。

自分の誕生日をあまり気にしない人もいる。むしろみんなに祝って欲しくない、という人もいる。ちなみに私は、小さい頃、とても誕生日を楽しみにする子どもだった。一ヶ月以上前から、いや、むしろ毎月、カウントダウンしていた気がする。「あと6ヶ月」とか、そういう具合に。だから、いざ、10月になると、興奮して、日々がキラキラどころかギラギラと輝いて目に映った。必要以上に。「私の月が来た」とさえ感じていた。

そしてそれは、幼いころに限ったことではなく、今でも、結構、そうだ。
間違いなく、10月は1年のうちで一番いいと思う。

気付いたらもう半分が終っていた。

Monday 20 October 2008

登校拒否とエンパシー

こんばんは。

昨今の物価の上昇により、ビールでなく発泡酒で妥協してしまうことが最近増えたAmos & Andyです。

10月に入ってから、ブログの投稿が順調だ。コンスタントに、ほぼ毎日更新できている。それだけ書くことが多かった、ということなのか、それとも、1人でいる時間が多かったということなのか。答えはその両方であり、さらに、それだけではない。

まず、なるべく自分を客観的にとらえようとしているのだろうと思う。それがメンタルヘルスにとって少しでも助けになるかどうか、その効果は別として、書くことで自分を落ち着けようとしているのだと思う。

さらに、書くことが習慣化してきたのだろうと思う。ある程度、日課として、毎日、同じくらいの時間帯に、同じくらいの時間をかけて、同じくらいの量で、文章を書いている。他人に読んでもらえるくらいの文章を。

もちろん、"記録"としての、極めて日記的な意味も持っている。この日は誰と会った、とか、何を食べた、とか。そもそも記録好きな人間でもある。

とにかく、こうやって書くことで一日を終えようとしているのだ。それはほとんど無意識だが。

*********

さて、今朝は初めて本気で、仕事を休もうかと思った。久しぶりにラジオ体操をしなかった。
理由の半分は、体調不良、もう半分は気分不良、である。

鏡の前に立って、自分を見つめて、何度も何度も問いかけた。ここで休んでは、負けのような気もした。そして、逆に、行っては負けのような気もした。「どうする」と何度も自問自答した。

ただ、強引に着替えて身だしなみを整えてしまったので「これで行かなかったら勿体無いな」という思いがふとよぎった。というか、よぎってしまった。ああ、こうやって結局行っちゃうんだよなあ、と、半ば自分自身にうんざりしながら、駅へ向かった。本当に嫌になったら、その時は途中で引き返せばいい、うん、よしよし、と言い聞かせながらドアを開けた。

ところが、である。朝日を浴びたら「まんざらでもないな」と思っちゃったのだ。

朝日の持つパワーは前から感じてはいたのだけど、やっぱりその威力は凄い。今朝あらためて思った。結構、いろんなことを帳消しにしちゃうくらいの、パワーだと思う。100パーセントとは言わないにしても。
素敵な威力だ。

まいっちゃったなー

結局、いつもより少し遅かったけど、出勤した。「行ったら行ったでそれなりにいいことあるかな」と思いながら。そして、実際に、行ったら行ったでそれなりにいいことあった。これは、結局いつもの流れである。
「逃げちゃダメだ」という、ティピカルな、まるで漫画みたいなセリフがしばらく頭から離れなかった。


**********

帰り道、母親と電話で話したら、家族はまだ誰も帰宅していない、ということだった。

「みんな、なーんか、たーいへん」
と言うので、はははと笑った。
「それぞれにねー、生きていくとに、せいいっぱいやねー」
と言っていた。

我が母ながら、これは名言だと思った。

そうなのだ。
みんながそれぞれに、"いっぱいいっぱい"なのである。

電車で押し合いへし合いしているのも、相手に考えが伝わらずに涙するのも、すべては、自分が自分のことにいっぱいいっぱいだからなのだ。

今日読んだ、イタリア語の新聞に、「エンパシー」についての記事があった。エンパシーってのは、感情移入とか、共感とか訳される。あまり詳しくは読んでいないが、「みんながもう少し感情移入できたら、世の中もっと良くなるのにね」みたいなことが書かれてあった。

分かっているんだよね。世の中、みんな、そんなこと分かってるんだけど、なかなかできない。みんなひねくれていて、みんなKidに過ぎないから。30になっても、40になっても、所詮はみんなKidなのだ。

高校一年のときに、担任の先生が「思いやりは、想像力」と黒板に書いたことがあった。当時15歳の私は「ふーん」と思っていたのだけど、結局それが10年経った今も忘れられないフレーズになっちゃっているんだから、びっくりである。

結局のところ、やっぱり、ひろーい考え方のできる人でいたいと思う。「そんなこともあるかな」とか「私があの人だったらどうするかな」とか、あっちこっちの視点から物事をとらえられたら、もっと肩の凝らない生活が送れる気がする。

一つのことでも、色々な見方があるのです!


なんて、そんなことまだまだ達成できそうにない、所詮KIDのぼやきでした。
ああそろそろココアの恋しい季節ですね。

Sunday 19 October 2008

風邪を引いてしまった。

とある検定試験を受けた。そのため日曜にも関わらず目覚ましをセットして起きなければいけなかった。と言っても普段より1時間半長く寝られたので、まあよしとする。

まる一日このためにつぶれた。買い物も掃除も洗濯も、いつものようにはできなかった。仕方ない。

月曜は仕事休んでやるー!
と土曜日に意気込んでいたら本当に風邪を引いてしまった。試験中、鼻水が、ひどかった。ずず、という鼻の音が気に障るらしく、試験中に試験官がやってきた。
「鼻の調子がお悪いようです。一度トイレにいかれてはいかがでしょう。ただし、試験時間延長はいたしません」
と書かれたメモを机の上に差し出した。
びっくりしたけど指示に従って一度トイレに出た。

もうその後から数時間、つまり朝9時から夕方4時半まで、ずっと鼻水との戦いだった。止まらないのだ。ついでにくしゃみも。周りに迷惑をかけているのは分かるのだが、止まらないのだ。どうしようもなかった。

さらに午後から、強烈な睡魔に襲われる。意識が朦朧とする中でとりあえず問題を解いたが、あれが「問題を解く」と言える行為だったのか。頭はガックンガックンしつづけていた。

帰路が長く長く感じられた。距離的にはそれほど無いはずなのだが。

いくらか買い物をして、帰ってからモッツァレラとトマトを食べた。その後、パンケーキを焼いた。バニラ・アイスクリームと、ブルーベリー・ジャムを塗って、くるくると巻いて、ナイフで切って食べた。5枚くらい食べた。とりあえずビールはやめておこう。

明日こそは仕事休んでやる、とか思っても、結局行ってしまうのだ。どうしても、最後の最後には、(自分で言うのも何だが)、まじめなのだ。ああ、でも、本当にきつい。鼻の下が痛いよ。

Saturday 18 October 2008

青山テルマ、筋がつかめない、ひかりのまち

ようやく土曜の夜がやってきた。友人に会おうかとも思っていたのだが、すっかり疲れ切ってしまっていて、一刻も早く家に帰りたいと思った。とてつもなく過酷な一週間だった気がする。よく乗り切ったと思う。

いつもどおり、ビールを飲んで、パスタを茹でて、トマトを刻む。

『Wonderland (ひかりのまち)』 という映画を見た。イギリス映画。イギリスの映画というだけで私はもう無条件にそのブリティッシュ・アクセントにノックアウトされてしまう。毎度のことだ。「ノッティングヒルの恋人」や「ラブ・アクチュアリー」は、あれだけベタな映画で、評価は特に高くないはずなのに、どうして気に入ってしまうかというと、きっとあのイギリス英語のせいだ。間違いない。100パーセントとは言えないにしても。

それで、このワンダーランドはいかがだったか、と言うと、★★★★☆である。意外と良かった。最初はストーリーがつかめずに困った。いつものことである。時々、8ミリビデオを見ているような感じもした。カメラワークの不自然な映画は好きだ。

ストーリーがつかめないことに関して:

一番ひどかったのがマトリックスとミッション・インポッシブルである。まだ中学生か高校生だったと思う。初めて見たときは、それはそれは衝撃だった。
「なんかすごい、けど、ようわからん」
というのが感想である。何がどうなっているのか、さっぱり分からなかった。家族からは「ばかちん」の烙印を押され続けた。何を見ても、理解が遅いのだ。家族は皆、映画の続きを見ているのにその途中で「ちょい、待って、これどういうこと」と質問しまくったので、家族はうんざりしていた。

未だにそれは変わっていない、とよく思う。映画を見ていても、集中していないとあっという間に話の中身が頭から飛んでいる。

そもそも私は人の話がよく聴けないたちである。一対一で話す時は別だ。その場合はよく聞くことができる。問題は、講義やスピーチを聞かなければいけないときである。ちっとも頭に入ってこないのだ。いわゆる「ウワノソラ」状態である。もう、これは、仕方ないと思う。

まあ、最低限、聴かなければいけない大事な部分だけは聞けるようでなければいけない。


ところで、青山テルマの「そばにいるね」が良い。今年の春先、ドコモのCMでこの曲が聞こえてきたときは、ほとんど耳を疑った。曲だけじゃなくて、CM自体、とても良かった。泣かせるわーこれ、と、自分の数年前の上京当時を懐かしく、切なく思い出した。ドコモに機種変更しようかと思わせるくらいよかった。

普通は、邦楽の新曲を聴いて「おお」と思うことが少ない。というかほとんどないのだが、これは久しぶりのヒットだった。ただし、曲自体が長すぎる。そこは惜しいところだ。

素直すぎる歌詞が、心にグサグサと刺さる。自分の母語で歌われると、痛々しいなあ、と思いながら、口ずさんでいます。

ああ、疲れた。寝ようかな。

Friday 17 October 2008

スウェーデン

今日の仕事量は前代未聞であった。どの同僚に言っても「それ、ないですよ」と言われた。が、一通り、こなした。朝起きてからも、これから始まる一日の予定が信じられずに「やだー」と、一言、言ってみた。言ってみたところでマシになるかと思ったけど、特に変わらなかった。「やだやだやだ」と言いながら、体操した。それから電車に乗ったけど、ひとつ遅い電車だった。ほとんど無意識である。

午後になると「バッテリ切れ」という言葉が頭に浮かびはじめる。声すら出なくなってくる。というのも、昼もろくに食べてないからだ。むしろ、食べられないのである。いやな環境で食べても、美味しくないのだ。だから、職場で"もりもり"と何かを食べることはない。

家ではよく食べているのだ。私は自分の家が好きなので、この環境では、いいものを食べたいと思うし、食べると美味しいと思う。たとえ1人でも。

夕方から頭痛とめまいがしてきて、4時ごろから、一時間程度、姿をくらますことにした。

誰も追っかけてこない場所で、スウェーデン人の女の子たちとおしゃべりをした。スウェーデンの学校の仕組みについての話を聞いた。

スウェーデンについて。

どうしたことかスウェーデン人の友達が多い。まあ、ほかの国の友達に比べれば大した数ではないだろうと思う。けれど、不思議なのだ。どうしてスウェーデンなのだろう。たとえば日本に来るアメリカ人なんてたくさんいるだろうし、私も英語を勉強している身である、アメリカ人の友達は数人いたって特に不思議でもなんでもない。あるいは、イタリア語を勉強していて、イタリアに興味を持っているから、自然とイタリア人の友達も増えていくものだ。これは事実だ。

けれど、スウェーデン。

私はスウェーデン語を勉強したこともないし、これまで特にスウェーデンに強烈に惹かれたこともなかった。スウェーデンに行ったことなんて、ましてや、無い。

なのに、スウェーデン。

気付いたらこれまで会ったスウェーデン人の知人・友人はみんなとても素敵だった。そういえば、共通する魅力があることに気付いた。大学時代にもひとり、スウェーデン人の友達がいたが、ふと気付けば、ここ2年の間に、さらに友人・知人が増えている。

国の仕組みが面白い。そして自分の国を、これほど自慢げに、かつ自信を持って話す国民をあまり見たことが無かった。そして、みんな賢い。頭が良い、というよりは、賢い。つまり、単に成績が良いわけではない。生きていく知恵みたいなものを知っている感じがする。

"かまえ"が違う。なんと言うか、余裕がある。そして、基本的に、満たされているのだ。いい顔をしている。いい目をしている。

ここまで自分がスウェーデンを感じることになるとは思っていなかった。知らない間に興味が芽生えているのだ。こういうのは、いままであまりなかった。スウェーデンに行ってみたいと思うし、スウェーデン語を少し学んでみたいと思う。

こういう興味の芽生え方も面白いと思う。そして、ほとんど興味のなかったエリアに私を運んでいってしまった、スウェーデンという国は、一体何なんだろう、と思う。

そもそも900万人しか国民が居ないのに、その中の数人に、ここ数年のあいだに知り合っているという事実が、自分にとって新鮮で、愉しくて、嬉しくて、仕方ないのだ。

なんで、みんな揃ってあんなにスマートな生き方ができるのか。国家レベルで世界に尊敬されるそのゆえんは、何なのか、知りたい。最近、切にそう思う。

☆☆☆☆☆

環境を変えたい、とここ数日思っている。なんで二年間も同じ環境にいれるのだろう、私は、と、ふと不思議に思うことがある。毎日見る景色が何も変わらないのだ。そんなのに毎日耐えているのか、私は。こんな人間だったか。まったく私のことを知らない人たちがいる環境に行ってみたい。こまごました人間関係に、ここで振り回されるような器の人間じゃないはずだ、そもそも。しがらみ、呪縛、縛り、そういった類のものから抜け出すか否か、それはすべて自分次第なのである。

昨日もまた職場の夢を見た。幸いなことに、中身をすっかり忘れてしまった。幸いなことに。

ちょっと時間が出来たらやりたいことリスト

・イタリア語、英語の勉強

・スウェーデン語とギリシャ語にふれてみる

・写真をとる

・おえかき

・ピアノ

・衣替え

・手紙を書く

・そしてもちろん映画を見る

このうち2つくらいは明日にでもできそうだ。one more day to go

Thursday 16 October 2008

There' s something about Me.

仕事の話をすると暗くなるので、あえて避ける。まあ、でも、部分的にはとても楽しいです。


村上春樹の「レキシントンの幽霊」を少し読んでいる。読んだことのある話もいくつかあったように思う。今朝は『沈黙』という話を読んだ。ちょうどボクシングやりたいなと思っていたところだった。だから「お」と思った。タイミングが良い。

今日も良い天気だったので、昼間に、買い物がてら、散歩しながら帰った。新しいドライヤーを買った。あまり迷わなかった。お金使いすぎかな…という思いもよぎったが、まあ誕生日プレゼントということで、許した。最近そういうのが多すぎる。困ったものだ。「誕生日だからいいか」。こう言い聞かせてばかりいる。考えてみれば10月に入ってからずっとこんな感じだ。しかしながらリミットはあと一週間だ。あと一週間たてば、一つ歳をとる。

さて。新しいドライヤーを使った。

そしたら今日は髪の調子が良い。ただ、昨日変えたシャンプーのせいか、ドライヤーのせいか、分からない。

そういえば昨日変えたシャンプーの試供品が、今朝ちょうど駅前で配られていたので、タイミングが良すぎてびっくりした。コンディショナーは買っていなかったから、どんなもんだろうなー、と思っていたところだったのだ。

パスタを3袋買った。あとは、ピーマンと、モッツァレラと、小麦粉を買った。小麦粉なんて今まで買うことなかったのに、どうして急に買ったのか。それは、パンケーキを焼くためだ。新しいフライパンで焼くのはとても楽しい。

帰ってから、映画を見た。『迷子の警察音楽隊』というエジプト映画。

素敵な映画だった。ほとんど期待していたのと変わりない映画だった。気に入った。ハリウッドしか見たことの無い時期にみたら「So what?」「だからなに」みたいな感想を抱いただろうと思う。

☆☆☆☆☆

自分は運が良いと思う。霊感があるとは思えないし、信心深くもない。しかしながら、ある意味強運の持ち主ではないかと、思うことがある。100パーセントではないが、ある部分では、そう信じている。

何かしら、「運を引き寄せる力」みたいなのがあるのではないかと思う。いわゆる、偶然のめぐり合わせ、というものが比較的多い気がする。漫画か映画のような話の流れが、現実に自分の周りで起こっている、という場合が今まで何度もあった。友達に話せば「嘘でしょそんな」とよく言われる。

きちんとした根拠は無いけど「ついてるな」と思うことが多い。こういうのがスピリチュアルってやつなのかもしれない。

だから「私には何かがある」と思っている。前、「メリーに首ったけ」という邦題で有名な映画があった。あの、もともとのタイトルは「There's something about Mary」だったと思う、確か。メリーならぬ、There's somethig about Me. である。
私には何かがある。

今日、ちょうど、西新宿を歩きながらそう思った。
10月にしてはやや強い日差しを浴びながら、歩いていると、気持ちよかった。ガラスの扉に映った自分を見て、妙に、自信がわいた。

紫のシャツもよく似合っている
髪の調子も良い

「よし」


そうつぶやいて、大きな横断歩道を渡ると、そこに宝くじ売り場があった。吸い寄せられるように300円の衝動買いをした。買うつもりなんてなかったのに。しかしおかげで、今後前向きになる材料が増えた。

当たったら、まず、日本を出よう。


☆☆☆☆☆

今日はスカイプを完全に断ち切っている。強気な僕はパソコンから距離を置いてピアノの練習をすることにした。30分以上練習した。指がちっとも動かなかった。なにせ、本当に久しぶりなのだ。

時々パソコンが大嫌いになる。
こんなの消えてなくなれば良い、と思う。時々だけど。

Wednesday 15 October 2008

manic-depressive

元気なときとそうじゃないときのテンションの差が激しくて、もはやこれはいわゆる躁鬱状態なのではないかと自分でも思う。ここ最近である。家にいるときの暗さはもう尋常じゃない。ここ数日ビールを飲んでないせいかもしれない。少しのアルコールは摂ってもいいかもしれない。

気付いたら10月が半分終っていた。一年の中でいちばんいい季節である10月が。
そんなに簡単に終らせるわけにはいかないのに。と言っても、仕方がないのです。
時とはそういうもので、特に、秋とはそういうものなのです。

もっと生産的なこととか意味のあることを書こうと思うのに、毎日こういうことしか書いていない。どうしてこうも悲観的なのだろう。

最近ちょっと思うのは、私は、自分が思うほどネガティブではない、ということ。周りの人には、少なくとも、暗い気分を与えるようなことはしていないし、比較的そういう人間ではない。

ところで私という人間は、一見すると「いつも不機嫌」らしい。「最初は怖いと思った」というのがたいていの人が言うことである。ああやっぱりそうなのか、と、ハッとすることがある。あまり笑わず、ものごとに関心を持たないように見えるらしい。結果的に「万年不機嫌」と。

「でも実際はそうではないのにね」
と今日言われた。見た目と、知り合ってからのギャップがあるらしい。

仲のよい友達は、もうすでに仲がよいわけなので、第一印象について話すことなんてなかなかない。むしろ、内面について語ることが多いのだ。

だから、そういう第一印象や見た目の話をされるととても新鮮である。実に客観的で、遠いところからの、新鮮かつ貴重な意見だ、と思う。

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毎日、仕事からの帰り道に、「帰ったら映画を見よう」と思う。うちにはまだ見るべきDVDがたくさんある。見たい時にいつでも見れるように、見たことの無いDVDが常備してある。ビールみたいなものだ。飲みたいときに飲めるように、冷蔵庫に常備してある。

しかしながら帰宅後食事をして、お風呂に入って、洗濯をして、落ち着いた頃には、すでにDVDを見る時間はなくなってしまっている。だから結局、週末に1,2本見るしかないのである。

時間が足りない。いつまで経っても、ヴィムヴェーンダースが見れない。

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今日もカウンセリングに行った。先週より言うべきことが増えていた。話して解決するとその直後に何か問題が増えるのである。どうしようもない。もぐらたたき状態だ。

でも、カウンセラーは本当に良い人である。これぞプロってものだ、と思う。人の話を聞く、というプロフェッショナル。

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新しいシャンプーを使ったら、気持ちがよい。指どおりが変わった。でも私はシャンプーを変えるたびに同じことを思っている気がする。慣れた環境から、違う環境に変えると「おお」と思うのである。でも、しばらくそのシャンプーを使い続けると、結局普通のシャンプーになってしまう。

だから、よいと思っているけどそれは、錯覚にすぎないのかもしれない、と思っている。

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最近、ちっとも写真を撮っていない気がする。

Tuesday 14 October 2008

月曜みたいな火曜日

朝からとても気分が悪かった。何も食べずに家を出た。途中でチョコレート・ビスケットを買ったが、夕方4時になるまで、結局開封することなく、食べなかった。昼に、何か食べねばと思って、「2色ぱん」なるものを食べてみた。が、「とりあえず食べなきゃ」と思って食べるのは、食べたいと思って食べるのとはだいぶ違うと思う。

昨夜は10時半ごろ眠りについた。連休だったのでもう仕事関連の夢は見ないだろうと思っていたのだが、またしても見た。

しかも今回、私は、病人役だった。

病院で、食事をとらなければいけなかった。バイキング形式なのだが、方法がよく分からずにいた。どうしたものか。ふと見上げると、食事を作っているのは高校時代の同級生だった。ありがちな話である。

そこで困っている私に食事のとりかたを教えてくれたのは、職場の人だった。

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職場を出るまで今日はずっと、軽度の吐き気、というより胃の気持ち悪さを感じていた。
人生色々、である。
帰り道、ボブ・マーリーが "Don't worry, Be happy" と歌っていた。

雨が降っている。
少し寒い。

Monday 13 October 2008

偏食体育の日

起きたら、とても気分が悪かった。ちょうど寝不足の時のような感じだった。しかし寝不足であるわけはないのだ。昨日は12時前に寝たし、起きたのは9時ごろ。なのに顔が引きつったような、しびれたような。そんな感じだった。もう一度寝ようと思ってもなんとなく眠れなかった。

妹に電話をかけた。1時間近く話した。

掃除と洗濯をした。りんごを煮た。音楽をかけたら元気が出てきた。スウィング・ジャズ。日曜日の昼、スウィング・ジャズ。

図書館に行って雑誌を読む。その他、雑用を済ませた。朝からまともに食事をしていなかったが、あまり何かを食べる気にもならなかった。そのうち生理痛がきつくなってきた。結局そのまま夕方になった。日曜はやはり泳ぎに行くべきなのだ。身体はそういうふうに言っている。

商店街でやっていた「健康チェック」というのに参加してみた。無料ですよー、と言われたし、勧誘っぽいことをするようには見えなかったので。

体脂肪率は前より高くなっていた。体脂肪計を持たなくなってからもう数年が経つ。買うべきかも知れない。

基礎代謝量は1350kcalと言われて、それが良いのか悪いのか分かっていなかったが、話によると、良い方らしい。

体内年齢 24歳
推定骨量 2.7kg
筋肉量  41.6kg
BMI 21.5
血圧 112/68
脈拍 58

自称「ダイエットマスター」さんに、相当褒められた。だが、きっと誰にでも同じことを言っているに違いない、と思った。目標体重より3キロくらい多かった。わかってはいたけど、ちょっと絞る必要がある気もする。

最近、糖分と脂肪を摂りすぎている。少しならいいのだが、プリングルスの、あのでっかい筒とか、手のひらより大きいバウムクーヘンとか、平気で買ってしまうので、少し考え直す必要があろうかと思っている。

思っている。

…思っているのだが、今日は、パンケーキを焼いた。(昨日買ったフライパンを、どうしても使いたかったからだ。出来は上々だった。このフライパンは使いやすい。)じゃがいもとソーセージを夕飯に食べた後のことだった。そういえば、ハンバーガーも食べた。外を歩いているときにお腹が空いていたので、もらったクーポンで買ったのだ。

これは、栄養が偏っているというものだ。そろそろ米を消費するべきかもしれないと思っている。というのも、母親が米を送ると言ってきたのだ。
前の米はちっとも減っていない。けれど、なんとなく断れなかった。困った娘である。

フラフープを回しながら、NYが舞台の映画、『ディナーラッシュ』を見た。レストランの話は面白い。でも、『王様のレストラン』がに敵うものはないと思っている。


そうえいば体育の日だった。フラフープくらいだろうか、体育的だったのは。

Sunday 12 October 2008

新しいフライパン、スナッチ

『snatch』
を見た。
・だいぶ分かりにくい。筋をつかむのが遅い―特に私のような―人間にとっては。
・BGMとテンポがとにかく軽快で愉しげなのだが、そこはとても気に入った。場面の切り替わり方とか。
・ところどころ、タランティーノを思わせる。が、タランティーノの要素にかぎらず、ゴンザレス・イリニャトゥの『アモーレス・ペロス』を思わせる部分もあった。どっちが先だったかな。忘れた。
・そういえば女性がほとんど出てこない。メインキャラクターは10人を超えるのだが、その中に1人も女性がいない。最初から最後まで、男くささが漂う作品だ。
・ブラピの「パイキー」訛りが愉快だった。本物のパイキーに会ったことが無いんだけど、ああいう感じなのかな。興味深かった。
・ガイ・リッチーって他に何をした人だっけなー、よく聞くけど …と思っていたら、そうでした、マドンナの旦那さんでした。


今日は美容院に行った。結構前から楽しみにしていた。一刻も早くこのもじゃもじゃ頭をどうにかしたかったからだ。だいぶすっきりして気分が良くなった。

その後、フライパンを買った。4年くらい使っていたT- falのフライパンが、テフロンがはがれてボロボロになってしまったからだ。先週、パンケーキ祭のときに、これは新しいのを買うべきだ、と確信した。

ということで今日買ったのは、またしてもテフロンであることに代わりはないのだが、今度はBIALETTI社のものだ。BIALETTI社はイタリアの会社で、コーヒーメーカーを2つほど持っている。コーヒーメーカー専門だと思っていたら、フライパンを作っているらしい。

へえー、と思いながら見ていたら、隣のカップルが「これ、買ってみたらよかった」と、女性が男性に向かって言っている。思わず

「買ってよかったですか??」

と訊ねてしまった。女性は驚いた。だけどすぐ笑顔になって「おすすめですよ」と言ったので、「ありがとうございます」と言って、迷わず買った。あとは、シューズキーパーも170円で安かったので買った。

それから、金属じゃない(つまり、フライパンをいためない)ターナー、つまり、フライ返し、を買った。

さらに、ソルトシェーカー(塩入れ)も買った。私は、毎日塩を使うのに、タッパーしかもってなかった。振ってかけるものがずっと欲しかった。やっと、気に入ったのがあったので買った。長くかかった。

キッチン用品はいつも愉しい。見ているだけでも愉しいが、買うことを前提としていると、もっと愉しい。ただし、よく考えて買わないと結局ガラクタになってしまう。


さて、新しいフライパンがきたので、誰かパンケーキ祭、しましょう!

週末、趣味の悪いビデオ

長い一週間が終った。最終日の今日は一番疲れた。忙しかった。よくがんばったと思う。急に思いついて友達と会った。パスタと、プリングルスを食べて、ビールを飲んだ。

ブリトニー・スピアーズが完全復活を遂げたらしい。
その新曲womanizerのミュージックビデオを見た。趣味が悪すぎる。写真で見た時点では、面白いもの ―クリスティーナ・アギレラの、Candy Manくらいの―が仕上がっているような気がしていたのに、これでは全然ダメである。音楽と映像がまったく合っていない。そして、そもそも音楽が良くない。世界のファンたちはどう思っているのだろう。

ちなみに私はブリトニーのファンでもなんでもない。世の中のブロンド姉さんたちが、「ブロンドってだけでバカっぽいイメージをつけられるのよ」と嘆いていたとしたらその一因はこのトラブルメイカーにもあるだろう。
「時に、哀れ・ブロンドよ」
そのくらいなもんである。

今ならここから見れるので、ぜひどうぞ↓

http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/showbiz/music/article1793799.ece

Friday 10 October 2008

私は孤独なのか。孤独は良いことなのか。

いつも友達か恋人とくっついていなければ寂しくて仕方なくて、身の置き所がなくて、落ち着かない、というような人が世の中にはいる。学生時代、特に、そういう人がみっともなく、情けなく見えたものだ。友達がいないわけではなかったが、自分だけは少なくとも違うと思っていたし、むしろ1人でいることが心地よいと感じていた。家族と離れて暮らすことを寂しいと思ったのは上京当時の、最初の数ヶ月だけで、きまった恋人がいなくても、寂しさに悶えることは無かった。

どうして急にこういうことを書いたかといえば、自分は本当に1人なのか、と最近疑問を抱くことがあるからだ。いや、「1人で生きていけるんじゃないの。うん、そうだよ。趣味もたくさんあるし。友達たくさんいるし。」と自問自答して、さらに、言い聞かせることが増えてきた。

つまり、学生時代の方が強かったししっかりしていた気がする。就職してからというもの、軸がふらふらして、ますます頼りなくなっていく気がしている。人に会わないと寂しいと思うようになったのは就職してからだ。

それは単純に、学生時代ほど、友達の近くにいるわけではないからだ。それが大きな理由だと思う。一日中「私」でいられた。講義を受けたって「公」になることはなかった。そして、その間は基本的に「1人」だった。

ただし今は、起きている時間のほとんどを「公」として過ごしているのだ。疲れるのも当然である。そして、ふと「私」に戻った瞬間、急に1人になってしまったような気になる。学生のあいだは、つらつらと、思いついたことはその都度、口に出していたのに、そういう環境が手に入りづらくなってしまった。

毎日、たくさんの人たちに囲まれていると、結局自分がどういう人間なのか見失いそうになる。どんどん分からなくなってくる。こんなことを考える必要も無いくらいに、揺らぎの無い、なにかこう、しっかりとしたものを持っていたように思うのだが。

画を描く、音楽に没頭する、映画を見る、本を読む、写真を撮る、新しい言語を勉強する
こういうことができればきっと、寂しいとか弱いとか感じなくなるのだろう。だけど結局のところ、私が一番好きなことは何か―
人としゃべることである。何よりもそれを楽しむ人間である、と思う。
最近ますますそれを感じるのである。

いずれにせよ、一度、完全に1人になってみるべきだ。色々なものの影響と刺激を、素直に受け入れることのできるような、ひらいた身体でありたい。ビタミンCの入ったすっぱいレモンのジュースが今冷蔵庫にあるのだが、ちょうどあれを飲んで、身体にしみわたる時みたいに。

身体が、何かをリセットしたがっている。

Thursday 9 October 2008

気になって仕方ないブログとイタリア、平日昼の街、そしてルーマニア

前にも書いたけど、横尾忠則の息子が書いているブログをよく読む。というよりむしろ、見る。知人でもファンでもないのだが、どうしても気になって仕方ないブログである。毎日、食べ物の写真ばかり載せている。独り身で、食べてばかりいる人、というイメージしか、もはや、無い。ほかにどういう才能があるのかよく知らないのだが、とにかく食べるのが好きであるということは疑う余地も無さそうである。朝からパスタとシリアルを食べているというから呆れる。外食が多そうだ。いや、明らかに多い。その食事内容が、からだに良いものであったとしても、これは過度と呼ぶのではないのだろうか。良いものだって、良くなくなってしまう気がする。ここまでくると、もう、感心するしかない。どこでどうお金を調達したらこんなにたいそうなものばかり食べることができるのだろう。そして、「食」だけに向けて、ここまで情熱を注ぐことができるのだろう。よくわからないけど、この人はずっと「横尾忠則の息子」を超えられない気がして仕方ない。本人をよく知らないまま、ブログだけの印象でこんなこと言ってしまうのは失礼だとは思うのだが。

それでもなんだか気になって毎日のように見てしまうブログなのである。書いている内容が素晴らしいというわけでもない。なんでだろう。

結局、写真と食べ物が好きなのだ。きれいな食べ物の写真がならんでいるとなんとなく嬉しくなる。おそらくそういう理由だろう。


話は変わって。

またパン屋再襲撃を読んだ。そういえば今日はノーベル文学賞の発表日だったが、結局村上春樹は受賞に至らなかった。有力候補といわれ続けてもう数年が立つ。いつまでも引き伸ばされる。


仕事で嫌なことがあった。ちょっとうまく行ったと思うとすぐに何かが起きる。仕事に限らず、なんだってそうだ。
波、波、波―
壁を殴りそうになったので、すぐに職場を出た。

ところで、平日の昼間、街を歩くのは快感である。「イタリア展」をちょっとだけ見てきた。何人かのイタリア人と話した。たったこれだけで、気持ちがだいぶ楽になる。

ちなみに、話したといっても、話しかけられたわけでもない。かといって私から話しかけるわけでもない。目が合うと、どちらからともなく笑顔になるし、言葉が出るのだ。これって、残念なことにほとんどの日本人が、できないことだと思う。ああこの人は話したがっているな、というサインを察知する、それだけである。イタリアにいると、公共の場でやたら人がしゃべっているように見えるが、実は隣にいる人が赤の他人である場合が少なくない。

「電車のドアなかなか開かないわね」
「息子が待ってるのよ」
「あらお宅はどこから」
「私はパルマから。あなたは」
「私は…」

とまあこういう具合である。目が合って話しかけたところで誰もそれを不思議には思わない。

むむ。これさえできればこの国ももっと"豊かに"なるだろうに。
今年の夏、ローマで会ったおじさんが言っていた名案をここで紹介しよう。

「1000万人のナポリ人と、1000万人の東京人を、まるごと交換すれば、世界は、より良くなると思うんだよ」

名案、かつ、名言である。


さて、そのあと、服を買った。普段は混んでいるであろう、店も、平日の昼間は空いていて、良い。ZARAに行ってみた。ちなみに、学生時代からずっと、日本でZARAに入ることは、まず、無い。値段が微妙に高いのである。だからヨーロッパに行ったときに買うのが賢いと思っている。

ではなぜ今回ZARAで買う気になったのか。学生時代ほどお金に困っていないというのも一つの理由である。気に入ったものをその場で見捨てて次にヨーロッパに行くまで待てないと思ったからでもある。

つまり、(orそして)ヨーロッパに次行くのがいつか分からないからである。今のところ、今年の冬も、春も、行くつもりは無い。もう少し具体的に言うと、2週間、とか、1週間、というかたちで行くことはしばらく無いと思っている。次に行くときは何かしら覚悟を決めようと思っている。この3,4年のあいだ、行ったり来たりを繰り返していたが、その時期をそろそろ終えなければいけないと思っている。

パスタを食べながら『トランシルヴァニア』を見た。

結構好きだ。
東欧のジプシー音楽を一時期きいていた時期があったが、それを思い出させた。
ルーマニアに行ってみたくなった。

Wednesday 8 October 2008

エニー・アザーの件

久しぶりに米を食べた。
そして久しぶりにトマトを食べなかった。

2度目のカウンセリングに行ったが、それほど話すことがなくなっていた。ここ最近は心が、一度目よりは健康である。

一週間以上前に買ったカーネーションがまだ綺麗に咲いている。こんなに保てるものなのか、と、驚いている。これは過去最長記録である。

今日メインの出来事といえば、
NY is larger than any other city in the U.S. という文についての論議である。cityでなくcitiesでもアリなのではないか、というのが私の考えである。ネイティブは、どちらでもアリじゃん、というのだが、また一方で完全に否定をされたので悔しくて色々調べてみたらやっぱり「複数も可」という説もあった。
ただ、「任意の」ひとつの都市と比較していると考えるので、単数形というのが「無難な」説である。
たいていの人がひっかかるのが
any other questions?? などという場合は複数形でOKなのか、ということだ。
そう。比較の表現でany otherを用いる場合に限り、単数形にしなければいけないのである。
結局テストで複数形を書いたら×になるというわけだ。

もう。

文法なんてso what的世界である。
気になり始めたら仕方ないけど気にしたところでソー・ワット?
こういうのを念頭においてたらかえってしゃべれなくなりそうだ。
確かに、大切なんだけど。んんー、実に、"原点"て感じの疑問・矛盾である。

こういった、矛盾する気持ちってのも忘れちゃいけないと思っている。

Tuesday 7 October 2008

捨てたモンじゃないっスね

電車から降りて、改札を出てから、地面が濡れていることに気付いた。花屋がそこにあるので、おじさんも大胆に水撒きをしたものだ、と思ったら、それは雨が降っているためだった。どうやらおじさんの仕業ではなかったらしい。

帰宅してすぐに、服を脱ぐ。だいぶ涼しくなった、と思う。水の入った鍋を火にかけて、テレビをつけると、すぐ聞こえてきたのが、有名な日本人俳優の名前だった。

「俳優の緒方拳さんが―」

なんとなく嫌な予感がした。こういうときはたいてい、訃報なのだ。NHKのニュースが突如として、俳優の名前を挙げるとしたらそれは、国際的な映画祭で受賞をしたか、訃報か、あるいは覚せい剤所持か、原因はそのへんに決まってるのだ。

予感は当たった。


緒方拳が死んだ。


そこそこの、喪失感に襲われた。知り合いでも、大ファンでもないのだが。
彼が一番活躍していた時期に、私はまだ生まれていなかった。自動的に、有名な大河ドラマ、太閤記での格好良さもよく分からない。

ただ、この国は、すごい人を失ってしまったぞ、と思った。偉大なる人材の喪失。

トマトを刻みながら、しみじみ彼の死を悼んだ。


パスタが茹で上がった。完成して、食べようとテレビの前に座った瞬間

「えー、たった今入ったニュースです」

ノーベル賞が決まったのだ。3人の日本人が受賞した。
驚いた。
とても喜ばしいと思ったと同時に、なんとなく妙な、不思議な気持ちになった。奇しくも、緒方拳の訃報と同日である。大きなニュースが二つ。

これによって緒方拳の死が人々の印象から薄れるのかもしれない、とも思った。しかし逆に、同日ということがかえって、あることについて考えさせる機会を与えているともいえる。
あること。
それは、日本の抱えている人材について。日本人について。日本について。

「3人。へぇー。捨てたモンじゃないっすね」
という街頭インタビューが、きわめてありきたりなのに、いちばん印象的だった。

今日ももうまぶたが下りてきたのでそろそろ寝たほうが良さそうです。おやすみなさい。

Monday 6 October 2008

パンケーキ祭り!

昨夜は友人と2人でパンケーキ祭を開催した。雨の降る中、スーパーマーケットに行き、何も考えずに買いたいものを、買いたいだけ、買った。外食よりも高くつくくらいの値段で、2人とも呆れたが、外食よりやっぱり楽しいと思う。つまり、家に誰かを招いて、食べ物を共有するというのは。

パンケーキはびっくりするくらい美味しかった。20枚くらい焼いた。クレープに近いけどクレープより美味しい。バニラのハーゲンダッツと、ラズベリージャムをぬって食べた。というわけで、パンケーキ祭りは成功に終ったのだった。

面白いことに、この友人と会うときは必ず雨が降る。ほかの友人がいれば降らないのに、2人で会おうとするとこのアリサマである。2人で会ってはならない理由が、あるのかもしれない、と、昨日は、さすがに思った。

というわけでRainy dayでありMondayである。確か先週も同じようなことを書いた気がする。ただ、そこまで気が滅入ることは無かった。なんとか今日を終えた。そうやっているうちにすぐ冬がやってくるのだ。早く来て欲しいような、もう少し待って欲しいような、複雑かつ不思議な心境である。

ともかくこの、秋の一番良い時期というのは、ほんとうに、瞬時に過ぎていく。9月の終わりなんて、結構感じることの多い季節なはずなのに、ストレスに追いやられている間に終ってしまっていた。10月を満喫しよう。
この世で一番良い季節である。

ところで、栃木、宇都宮の餃子が真っ二つに割れたらしい。いたずらか、と思いきや、作業員のミスだというからまったく「おいおい…」的事件、いや、事故である。ニュースを見ながら、思わずふきだしてしまった。あーあ。

さらにあと一つ、ドバイに1kmの高さのビル建設計画が持ち上がっているらしい。10年以上かかるらしい。これも同じく、ふきだしてしまった。

今日はこれで寝ます。昨日は、1kmも泳いだくせにそのあとのパンケーキ祭りにより、就寝が1時だった。5時間ちょいしか寝てないので、もう今日はこれで限界です。明日もがんばろう。

Sunday 5 October 2008

maple cookies

哀しくなるくらいに天気がよい。この天気に対して私は一体何ができるだろう!
たぶん、何も無いのだ。このベッドの上で1人、パソコンいじったりテレビみたりしているのが一番いい気がする。友人と会う予定がある。気が向いたらその前にでもプールに行って泳ごうと思う。

昨日3時に寝たにも関わらず、今朝は8時に起きた。またヘンな夢を見た。

恋人と住む高級マンションに、警察が大勢やってくるという夢だった(刑事さんだけ何故かカッコよかった)。覚せい剤所持とかそういう容疑だったと思う。恋人と住んでいると私は思っているのだが実際のところそこにあったのは恋人の姿よりも親戚の姿だった。
同僚や仕事の夢じゃなかっただけマシだ。

先週は、冗談抜きで、同僚と職場の夢を見続けた。連日、である。つらいものがあった。寝ているときは無意識だからこれは本当にコントロールできない。

でも昨夜の夢は、怖かった。ハッと目を覚ますと、身体が硬直していた。おもわず「ああ」と声が出た。夢か…という感じ。

金曜日に買ったメープルクッキーが美味しい。カナダについて特に興味があるわけでもないしカナダについてはよく知らないのだが、メイプルクッキーが美味しいということが知っているし、メイプルクッキーが好きだ。カナダじゃないとこんなに美味しいメイプルクッキーは作れないだろう。日本のクッキーは、チョコレートやクリームといった何かをサンドする場合は、二枚で一個になるわけだから、一枚が薄い。どうせくっついて一つになるなら薄くて良いと思っているのだ。

しかしながら、欧米産のお菓子は違う。厚さも甘さも大きさも、容赦ない。半端無い、というよりは容赦ないという表現のほうがふさわしかろうと思う。

4、5年ほど前のことだ。カナダに留学する気も無いのに、カナダ留学説明会へ行ったことがある。大使館で開かれた。九月だったと思う。青山という場所に行ってみたかった、というのもあるし、そもそも行き先は何処であれ留学に向けて何か動き出さねば、と思っていたから。

それで、結局何が言いたいかというと、そこでメープルクッキーを山ほど食べたということだ。だから何、というわけでもない。ただ、「ご自由にどうぞ」tとあったので、本当にご自由に、食べたいだけ食べた。18歳のときの話だ。

チョコレートと比べて、「もういいや」と思うのが遅い気がするんだよね。メープルという、あの独特の味。

最終的な結論もオチも何もありません。カナダのメイプルクッキー、好きです。

週末です

何かに参加するかしないか、迷った時は、たいてい、参加したほうが良いケースが多い。

まあよく言われることではあるが、今日、あらためてそれを感じた。仕事は半日で終わり、そのあとぶらぶらしてから帰宅。5時過ぎから少し眠って、9時から渋谷に行った。

一週間くらい前から、今日のつどい(?)は誘われていたのだが、今日、仕事からの帰り道で、なかなか行く気がしなくなってきていた。とりあえず家でじっとしておきたいと思ったし、家でいったんくつろいだら、もう人ごみのなかに戻る気はしなかった。人に会いたいのとは別に、ただただ「面倒」なのである。

ただ、睡眠をとったら事態が変わった。急に、外に出たくなった。ここで過ごすのは勿体無い気がした。

行ったバーは、雰囲気も良かったし、適当な値段だった。久しぶりに友達にも会えた。ビールを3杯くらい飲んで、鶏のなんこつを食べた。

そこで、ドイツ人の女性と知り合った。一時間くらいだろうか、結構色々な話をした。

考えてみれば、日本人以外の、女性の友達があまりいない。だからこの人との出会いは結構嬉しかった。その場限りであろうとも、これだけのことが話せたというのは、嬉しかった。

言うまでも無いことだが、ヨーロッパの女性は強い。自分の主張、あるいはポリシーみたいなものがわかっていて、感情表現が豊かだ。そして、相手が同性だろうが異性だろうが、あまり媚びたり飾ったりしない。

まあ、いわゆるステレオタイプかもしれないが、知っている限りではそういうことが言える。

ほんの数時間の外出だったけど、行って良かった。

夜のテンションは不思議だ。日本人はシャイ、とかそういうのがほとんど関係なくなる。行き過ぎは問題だが、軽く酔ったくらいの街は好きだ。

Friday 3 October 2008

6時半の体操、ジブリ

9月からはずっと、6時半起床である。これでも十分に間に合うということが分かったし、日中、睡眠不足を感じる回数が減った。いや、ほとんど無くなった。そして、NHKのテレビ体操をすることにしている。これが、とても気持ちよい。どうして今まで気付かなかったのだろう。始めたのはつい最近のことだ。

30分から「みんなの体操」が始まるのだが、これはあまりやる気がしない。身体が伸びた気にならないからだ。だから、この数分の間に顔を洗ったり腕時計を身につけたりする。それからすぐあとに、テレビ体操―俗に言うラジオ体操である―が始まる。それがラジオ体操第一か、第二かは、その日によって違う。

ストレッチをするとすっきりする、とよく言う(し、自分でもそう思う)が、思うに重要なのは肩の筋肉なのではないか。疲れると肩をまわす同僚を時々見かける。私もよくやる。

ずっと前に齋藤孝の本を読んでいたら、「頑固なおじさんは肩が硬い」と書いてあった。精神的な柔軟さにもつながるのかもしれない。身体論の詳しいことはまったく知らないのだが、肩の筋肉をほぐすと良い、というのは、感覚的に分かる気がする。呼吸をして、身体を「開く」という感じ。

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テレビをつけたら、「ハウルの動く城」が放映されている。見るのは初めてではない。「千と千尋~」以上に、よく分からない。分からない、というよりむしろ「つかめない」「つかみどころがない」といった感じだろうか。

原因の一つは、変化(へんげ)するキャラクターたちにあると思う。たとえば「トトロ」といわれたらあるひとつのイメージが頭に浮かぶ。一般的なレベルの話である。

それにくらべて「ハウル」はどうだろう。そして「ソフィー」は。

見た人は分かるだろうけど、物語を通して、彼らはどんどん姿が変わっていく。一定の「イメージ」というものがきわめて浮かびにくい。ハウルは結局のところ「キムタク」に落ち着いてしまう気がするのだが…まあそれは極端な例かもしれない。

原因その二:
「"異国"になりきれ無さ」
設定は完全に魔法の国なので、現世からはぶっ飛んだイメージが描かれるわけだが、これがどうも極端すぎて、収拾がつかなくなっている気がする。空想世界という点でみれば、ラピュタだって千と千尋だって同じである。でも、もっと統一感があったと思う。

まあ、あと何回か見てみればもっと分かってくるのかもしれない。

ちなみに私がもっとも好きな宮崎アニメは『紅の豚』である。
今に始まった話ではなくて、小学生のときからこれが一番好きだった。よく分かってないながらも、好きだった。擦り切れるほど…とまでは言わずとも、何度も何度もビデオテープを巻き戻した。見たこともない「アドリア海」という海に憧れたものだった。当時から、ジーナは私にとって世界一魅力的な女性として君臨し続けた。

フィオという女の子が出てくる。
彼女の名前はどう考えてもイタリア人女性の名前とは違う。最後がOで終る名前は、通常、男の名前である。それで今ふと分かったのだが、もともとの名前は「Fiona」なのではないか。そのニックネームでFioと呼ばれていたのではないか。ちなみに女性の名前はAで終るものがほとんどである。それだったら納得がいく。

ハウルからフィオの名前の話まで飛びました。でも、これで納得がいった。そろそろ寝ることにします。

Thursday 2 October 2008

携帯チェーンジ。

またしても上司に小言を言われる。鈍感力流に「はいはい」で切り抜けようと試みたのだが気になるものは気になる。

携帯電話を替えた。俗に言う"キシュヘン"ってやつだ。高校3年生の終わりから携帯電話を持ち始めて、これが4代目になる。これまで3つとも、「新規購入」してきたので、「キシュヘン」は初体験である。

携帯電話には、特にこだわりの無いままここまで来た。「電話とメールができればそれでいい」というスタンスは18歳当時から少しも変わっていない。最近では月々の代金が、3000円を下回っている。そのくらい、使わない。使わなさ過ぎではないかという説があることも確かである。

これだけ使っていないにも関わらず、どうして替えたくなったのか。

答えは単純だ。「気分」である。キシュヘンの「ヘン」は、気分転換の「転換」を表すのだ。もう少し具体的に言うと、先日ちょっとイカすデザインを見つけたときのことだ。よく見るとそれはSony Erricsonだった。

何を隠そう、今使っているTOSHIBAの携帯の前は、Sony Erricsonしか使ったことが無かった。デザインもシンプルで分かりやすくて気に入っていた。それに比べて今使っている携帯電話は「イケて」ない。

その機種について、値段と料金プランの説明を受けてみた。現在3000円をきっている携帯料金が、さらに安くなる可能性があるということが分かった。なんてこったい。

9月中、食費を除くと出費をやや抑え気味にしていた。だから、まあこのくらいは気分転換に良いのではなかろうかと思ったのだ。それもあって突如、携帯購入に至ったわけだ。

変更した感想はといえば、特にリフレッシュした気分でも新しい気分でも無い。これは期待外れだった。前回買ったときはなぜあんなにすっきりしたんだろう、と考えてみた。

前回は、ストーカー対策もあって、携帯を解約したのだ。同じ会社から同じ会社に買い換えた。完全にアドレスと電話番号を変えた。ずいぶんと新しい感じがしたのはそのせいがあったんだろうと思う。


ところで、時々「ドコモっぽいよね」といわれることがある。これがよく分からない。
子どもっぽい、ならまだしも、ドコモっぽさって何なんだ。スタイリッシュ!とか、ヤング!とか、ポップ!とか、そういうイメージが携帯会社ごとに、存在するらしいが、私はよく分からない。

しかし、私はドコモ使用者ではありません、残念でしたー。おしまい。

10月1日によせて

・新しい手帳を買った。最近の手帳はきっちり1月(あるいは4月)始まりじゃないから困る。でも、手帳を買うのは楽しい。

・献血をしようとしたらヘモグロビンが足りなかった。貧血である。

・新しいストライプのシャツと、変わった色のセーターを買った。

・ブログのデザインを変えた。今朝撮った写真を使ってみた。撮りたてっていうわけです。カーネーションの一番きれいなとき。昨日会った友人が着ていた服の色に似ている。そのことに今さら気付いた。

ほかにも書くべきことはあるが今日は寝ることにする。

Wednesday 1 October 2008

Wed. Off

休みだ。水曜が休みだからこそ先日の日曜も出勤できた。「あと二日行けば休み」というのが分かっているから、月曜と火曜日の仕事は、やる気が出る。

毎週水曜日を休みにしてしまえばいいのに、と思う。とても都合が良い。

そうすれば世の中の働き人たちはせめてあと少し良好なメンタルヘルスを保つことができる。ストレスの軽減により、仕事の効率はアップするに違いない。売り上げも伸びて、水曜日に買い物に出ちゃったりしたら経済も活性化するに違いない。

休んでこそ上がる成果っていうのもあるはずだ。私の理想は週3日仕事をして4日休むことである。お金がたまったらそれも可能なのかもしれない。

昨夜は小雨の降りしきるなか、友人がやってきた。深夜2時まで話して、起きたら外は明るかった。11時だった。よく寝た。寝すぎたせいか、頭の左側が痛い。いわゆる頭痛とは違い、キーン、とする。ふとした拍子に、キーンとする。

ツタヤが、一週間にわたり半額セールを行っているので、ここ数日のあいだにいくつか借りた。こういった、セール中に借りておいて、あとでゆっくりと、気が向いたときに見る。

プリングルスを食べた。こういう、身体に悪そうなものを一気に食べたくなるときがある。極めて身体に良いものばかり食べさせられて育ったので、その反動じゃないだろうかと自分でも時々思うことがある。

天気は悪いが今日はひょっとして吉祥寺日和なのではないかと思う。なぜか分からないけど、一ヶ月か二ヶ月に一度くらい、吉祥寺に呼ばれるのだ。別に予定を決めていたわけでも、誰と会う約束があるわけでもないのに、吉祥寺に行きたいと思う日がある。天気がよかろうが、悪かろうが。

目的も無く吉祥寺に行きたくなる。


この前買ったカーネーションのつぼみが開き始めた。たぶん、今が一番きれいだ。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...