いつも友達か恋人とくっついていなければ寂しくて仕方なくて、身の置き所がなくて、落ち着かない、というような人が世の中にはいる。学生時代、特に、そういう人がみっともなく、情けなく見えたものだ。友達がいないわけではなかったが、自分だけは少なくとも違うと思っていたし、むしろ1人でいることが心地よいと感じていた。家族と離れて暮らすことを寂しいと思ったのは上京当時の、最初の数ヶ月だけで、きまった恋人がいなくても、寂しさに悶えることは無かった。
どうして急にこういうことを書いたかといえば、自分は本当に1人なのか、と最近疑問を抱くことがあるからだ。いや、「1人で生きていけるんじゃないの。うん、そうだよ。趣味もたくさんあるし。友達たくさんいるし。」と自問自答して、さらに、言い聞かせることが増えてきた。
つまり、学生時代の方が強かったししっかりしていた気がする。就職してからというもの、軸がふらふらして、ますます頼りなくなっていく気がしている。人に会わないと寂しいと思うようになったのは就職してからだ。
それは単純に、学生時代ほど、友達の近くにいるわけではないからだ。それが大きな理由だと思う。一日中「私」でいられた。講義を受けたって「公」になることはなかった。そして、その間は基本的に「1人」だった。
ただし今は、起きている時間のほとんどを「公」として過ごしているのだ。疲れるのも当然である。そして、ふと「私」に戻った瞬間、急に1人になってしまったような気になる。学生のあいだは、つらつらと、思いついたことはその都度、口に出していたのに、そういう環境が手に入りづらくなってしまった。
毎日、たくさんの人たちに囲まれていると、結局自分がどういう人間なのか見失いそうになる。どんどん分からなくなってくる。こんなことを考える必要も無いくらいに、揺らぎの無い、なにかこう、しっかりとしたものを持っていたように思うのだが。
画を描く、音楽に没頭する、映画を見る、本を読む、写真を撮る、新しい言語を勉強する
こういうことができればきっと、寂しいとか弱いとか感じなくなるのだろう。だけど結局のところ、私が一番好きなことは何か―
人としゃべることである。何よりもそれを楽しむ人間である、と思う。
最近ますますそれを感じるのである。
いずれにせよ、一度、完全に1人になってみるべきだ。色々なものの影響と刺激を、素直に受け入れることのできるような、ひらいた身体でありたい。ビタミンCの入ったすっぱいレモンのジュースが今冷蔵庫にあるのだが、ちょうどあれを飲んで、身体にしみわたる時みたいに。
身体が、何かをリセットしたがっている。
ありがとうとカルボナーラ
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