Saturday, 24 December 2016

「おかあさんはね」

数学の試験を受ける夢を見ました。
隣の家の人とかいろんな人が受験をしていてみんな時間内に解き終わって提出していく中で例によって私だけ残っていて、最後まで空欄だらけの状態だった。試験監督のお姉さん(どこかで見たことある人だった)が甘くて、よけいに時間をくれた。そのとき答案用紙(かマーク用紙か忘れたけど)を裏返したらそれが調理された白身魚で、手には箸を持っていた。何だったんだろう。

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私はこどものまえで自分のことを「おかあさん」とか「ママ」とか呼ばない。
こどもが産まれたら「お母さんはね」とか言うようになるんだろうか、と思っていたけど、ならなかったし、たぶんこれからもそう呼ぶことはない。たぶん。

意識してそうしないようにしているのか、というと、そういうわけではない。
自然と「おかあさんはね」というようなフレーズが口から出てこない、ただそれだけのことだ。
(そもそも、誰が呼ぼうとも日本語話者が「ママ」と呼ぶのにはとてつもない抵抗があるのだがそれはまた別の話。)

どうやって人は、自分のことを「おかあさん」と呼ぶようになるんだろう、と時々考える。
それまで「おかあさん」ではなかった人たちが、母になったら、自覚が芽生えて自分のことを「おかあさん」と呼ぶようになるのだろうか?

とすると、私に自覚がないのだろうか?

そういうわけではない。と、少なくとも自分では思っている。
こどもを守るのは私であり、親として責任を感じている。

ただこれまで「わたし」だった一人称が突然「おかあさん」には、どうも、なれないのである。
どうも、なれない、と言っていつも気にしているのかというとそうでもない。
ふと「この子は私をなんと呼ぶようになるんだろう」と思うときに出てくる小さな疑問にすぎない。
私以外の人が「ほらおかあさんが」とか言うのを聞いて「おかあさん」と呼ぶようになるのだろうか。
それもまた変な話だ。

なるようになるだろうし、正解はない。



どうして「おかあさんはね」という言葉が出てこないのか、その理由についてすこし考えてみる。

「母である以前に女であり、一人の人間であり、私はわたしなのである。」

という考え方がいつも頭に、あるいは心にあるから、かもしれない。
別にそう呼ばないように意識をしているわけではないので、自分でも分からないのだが。

私はこの子の母であり、ふたりは親と子という関係だが、それぞれ別の人間である。
この子に責任を負っているが、この子の一生にわたって責任を負い続けるわけではない。
それぞれが自立した別の人間なのである。



…とかなんとか言って、来年の今頃は「おかあさんはね」と言ってるかもしれません。しゃべるようになる日なんて想像つかないなあ。

Friday, 23 December 2016

A.R.I BAKING BOOKよりにんじんケーキ

ようやく睡眠不足が解消された。

ここ2週間、夜は9時に寝ていたのだが、すっきりと目覚められなくなっていた。郷里に帰ってからは相変わらず夜中の授乳が2回。
東京にいたときは夜8時ちょうどに就寝し、夜中の授乳が1回だけだったので、睡眠が不足してくるのは当然といえば当然なのである。
というわけできのうは8時ちょうどに就寝した。夜中の授乳は2回だったが、今朝はきれいに、すっきりと6時に目覚めた。子どもも6時に目覚めた。やっぱり気持ちが良い。朝型最高だよなあと思いながら、子どもと一緒に基礎英語を聞き、私がラジオ体操をして、子どもがそれを見る。たいしたことなさそうだけどこの流れがとても大切である。それが「毎日の」流れであるということ。習慣というものの持つ力を私はこれまでの人生でしっかりと実感している。

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さて。

先日、妹から「毎日何して過ごしてるの」と言われた。
確かに。

仕事もしていないし、車の運転もできないのでどこかに行けるわけでもない。もっともな疑問だ。

答えは「散歩とお菓子作り」である。

そう、お菓子作り。

物理的にも、精神的にも余裕がない限りできないことの一つであると私は思っている。子どもの世話の合間を見つけながら、お菓子作りをしている。

先日、図書館からこんな本を借りてみた。

その中から、きのう、にんじんケーキを作ってみた。
ネットのレビューを読んでいたらこの本のレシピのなかでは評判が良いらしかったので試しにと思って作ってみた。

これがなかなかおいしいのだ。
にんじんを2本も入れたのに、ぜんぜんにんじんっぽさが無い。

忘れないうちに分量を:

にんじん160g
レーズン、くるみ 各50g
卵 2コ
薄力粉 175g
ベーキングパウダー
シナモンパウダー
バター100g
きび砂糖 125g

今、手元に本が無いのだが、記憶している限りではこんな分量だった。

書いてあるのと異なるのは:
・ベーキングパウダーとシナモンパウダーが無かったので省略した。
・にんじんはみじんぎりにと書いてあるが、主張しすぎるかもしれないなと思って一本はすりおろした。


思ったよりは単純な作り方だったので、次回は分量をアレンジしながら作ってみたい。
例えば砂糖とバターが多めなので、減らしたり、バターをオリーブオイルに変えてみたり。

これ以外にもおいしそうなレシピがたくさんあるので、いっそのことこの本買っちゃおうかと思っている。レシピ本を買うことなんて滅多にないんだけど。

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道具をたくさん使ったり、神経の細やかさが必要とされたり、するようなお菓子作りはあまりしない。そもそも、自分があまり食べたいと思わないようなものは作らない。少しくらい分量が適当でも、バーンとできて、みんなが喜んで食べられるような、焼き菓子は、作っても食べてもやっぱり楽しい。

Tuesday, 20 December 2016

ブログ書けない

なんと、もう二十日になってしまった。郷里に戻って早2週間。
書くべきことはたくさんあるのだが…

とここまでキーボードの音を鳴らしたところで子どもが起きてしまった。
コーヒーまでいれて、静寂のなか、パソコンを開いたばかりだったというのに。うーむ。なかなかうまくいかないものだ。もう三ヶ月半になるので、一時期よりはだいぶ手が離せるようにはなったが、それでもまだ自分の時間を持つようになるのにはほど遠い。ブログがちっとも書けないのであります。

Monday, 12 December 2016

紅葉のいろ

先週から郷里に帰っている。



ドタバタ、あるいはゴタゴタしていてちっともブログ更新できませんでした。
が、元気でやっています。

冬の朝は良い。特に12月の、天気の良い日は最高だ。
1月と2月になると寒すぎる。12月は澄んだ空気を存分に味わうことができる。

ここは東京よりもだいぶ暖かい。
毎日散歩ばかりしている。午前1回、午後1回。
紅葉がとてもきれいだ。
紅葉の木の下に来ると、子どもが手足をばたつかせて喜ぶ。
生後3ヶ月であれ、30年であれ、この色には誰だって反応せざるを得ないのである。

Friday, 2 December 2016

12月になった

12月になった。
郷里から東京に戻ってたったの1ヶ月しか経っていないことにかるいショックを受ける。
今までに起こったことがたったの1ヶ月間の出来事だったのか?
毎日いっぱいいっぱいだったし、一週間はあっという間に過ぎて行く気がした。
それでも11月は長かった、と感じる。




Monday, 28 November 2016

フットワークが軽い

フットワークの軽い人が好きだ。

土曜日の夜、しばらく会っていなかった昔の友達とチャットしていたら「たとえば明日なんて暇?」というはこびになり、翌日に会うことになった。日曜、はるばるこっちまで来てくれた。ありがたい。

そして日曜の夜、別の友人と話していたら「明日ならあいてる」と言われて会うことになり、今日会った。

2人に共通しているのは、とにかくフットワークが軽いということ。歳をとるにつれてこういう友達は減っていくものかもしれない。が、むしろ友達として残っていくのはこういう人かもしれない。少なくとも私の場合。

会いたい人に「会いたい」と連絡をして、いくつか候補の日を提示された場合、どう返事をするか。

私は一番近い日を選ぶ。なぜなら一番遠い日を選んだとして、その日までに地震とか津波とかの災害が来ちゃったら会えなくなるから。ほかに用事があったとしても優先順位を考えてその友人のほうが大事だったらそっちを優先する。

そして、会いたい人には「会いたい」のビームを出さないといけない。どんどん疎遠になっていくだけだ。それでも合わない人は結局合わないはず。

Monday, 21 November 2016

東京に住む意味

きのう。
子どもを預けて3時間だけ1人で友達に会うために外出した。自由に自転車で動き回れる幸せをかみしめる。

仕事には復帰したいが保育園に入るのは「99.9%無理」らしい、とか、
預けたとしてもビルの一室みたいなところに本当にとりあえず「預ける」だけっぽい、とか、
預けたとしても保育料はバカみたいに高い、とか、

そういうことを話していたら
「そうすると、そこまでして東京に住む意味って何だろう、ね」という感想に落ち着いた。

まったくである。

保育園のことはほんの一例にすぎない。
生活費も高いし人もひしめいている。こんなに生きづらくて狭いところにどうしてわざわざ住むのだろう。

ひとつにはやはり、人が多いからこそ、色々な人がいて面白いというのはある。文化的にも、刺激が多い。そしていろいろと便利。

良いところはたくさんある。ただし、子どもを育てるとなったら、このぎゅうぎゅう感は、この子に一体どういう影響を及ぼすのだろう、と考えないわけにはいかない。

そこでまた保育園の問題に戻る。

働き盛りの人間が、働きたいのに、預けることを最初から諦めなければいけないような街に未来は無いと思うのです。保育園を建てることさえ受け入れないような街には。

本気で、ここにいる意味を考えてしまう。

Friday, 18 November 2016

The Three Robbers すてきな三にんぐみ

「すてきな三にんぐみ」をご存知でしょうか。
誰でも小さい頃に一度は読んでもらったことがあるのではないかと思う。



きょうのこと。
天気がよかったのできょうも外に出た。(ここ数日の反省を生かして、あまり散歩しすぎないように、こどもを疲れさせないように、と思ってぼちぼちにしておいた。

午前…図書館→公園
午後…友達とお昼   このくらい。


それで、だ。午前中に図書館で何の絵本を借りてあげようかとうろうろしていた。そこで「あ、そういえば英語の本がある」と気づいたので見に行ってみたところ、「すてきな三にんぐみ」がある。英語だと「三人の泥棒」っていうのね、ふーん、と思いながら借りてみた。

正直なところ2ヶ月の子にはストーリーのあるものは退屈だろうと思っていた。
何せ、今のところ最も興味を持っているのが「どんないろがすき」と「カラフル」なのだ。
でも「しろくまちゃんのほっとけーき」も夢中で聞いているからなあと思ってこのThe Three Robbersを借りてみた。

読み聞かせてみると、どうだろう、なんと退屈もせずに喜んで聞いているではないか。しかも「おおー」なんて言ってる。もしかしたら英語の音が好きなのかもしれないと思った。毎日(私が)聞いているラジオ英会話でときどきとても嬉しそうに笑う時がある。特にこの前のDifferent folks, different strokesというフレーズには喜んでいた。

日常生活で英語を使うことはないし、特に英語の塾に通わせる気もない。私が無理して英語で話しかけるなんてこともまずない。そこまでしなくても良いと思っている。

だけど、本はいいかもしれない。英語の本を読んであげること。無理に教育したいわけでもないけど、その音が心地よいのであれば、それはいくらでもインプットとして与えてあげられる。

きょうの新しい発見でした。

Thursday, 17 November 2016

散歩しすぎ

なんだかむしょうにワインが飲みたい。そんな空気だ。
と思ったらちょうどきょう、ボジョレー・ヌーヴォーが解禁だという。ボジョレーなのかボージョレなのか。どっちでもいい。いずれにせよ禁酒状態の私には関係のないことなのである。

ところで以前ほどボジョレーボジョレーと騒がなくなったような気がする。そんな気がするだけ?気のせいか?

料理をしながら(具体的にはスパゲティをゆでながら)ワインかビールか飲むのが大好きだったのだが、今はそうはいかない。まあ仕方ない。

きょうのように天気がいいと、家のなかにいるのが勿体ないような気がしてくる。子どもがいると行動範囲は限られるものの、「おさんぽ」をものすごい頻度でやるようになったので歩く距離はもしかしたら子どものいなかったときより多いかもしれない。

きょうは朝早くからやたらと外を歩いた。あまりにあちこち連れ回したせいで、子どもが疲れきってしまった。大人の私でも疲れたのだから当然だ。疲れきった日は、夕方にひどく泣く。いっぽう比較的穏やかに過ごした日は、夕方に泣くことが無い。そういうことが最近分かってきた。小さな身体にはすこしの変化も大きく響く。お出かけもぼちぼちにしないといけない。

Wednesday, 16 November 2016

回復しつつある2ヶ月半

日が短い。4時頃には空がすでに「帰らねば」という色になってくる。まだそれほど寒くはないけど気持ちとしてはだんだん暗くなってくる。やっぱり秋のいちばんいい時期というのはそんなに続かない。9月は夏みたいだし11月は冬みたいだし。10月を故郷で満喫できたのは良かったと思う。

最近本を読んでいない。読みたいと思っていたものも、読みかけていたものもたくさんあったはずなのに、気づいたら放置状態である。すべては出産を境に変わった。本を読まなくなったことなんてほんの一例である。もっといろんなことががらりと変わってしまった。ある意味、あれは衝撃なのだ。

出産から2ヶ月半経って、ようやくまともに歩けるようになってきた。骨盤をはじめあちこち歪みはあるものの、だいぶ身体のぎこちなさはとれてきた気がする。その代わりに子どもが重くなってきたので、手首と肩の痛みが増してきている。

それにしても2ヶ月半経ってようやく「治ってきた」と思うなんて、出産というものはなんという衝撃だろう。友達が「交通事故みたいだよ」と言っていたけど、ここまで来て分かる気がする。全治2か月半なんて相当なケガである。そのくらい身体がボロボロになる。というかボロボロにさせられる。嫌でも。病気ではないとは言え、回復には相当な時間を要する。元気で暮らしているつもりの私でもこれだけの月日がかかっている。

ボロボロというのはどういう感じかと言うと、これがうまく説明できない。ただの疲れとは違う。とにかく、骨を含めた身体の奥底から、きしむような感じがする。体中の筋肉が緩みまくっているので、自分で自分を支えることができない。なにせ、これまでの人生で一度も経験したことない状態だったので、出産前までは「体力はあるほうだし」「まあ大丈夫だろう」くらいに軽く構えていた。誰がどう説得しようが、経験したこと無いのだから甘くみてしまうのは避けられなかったのではないかと思う。だからこれから出産する人にも「大変だよ」と言うことはできても、やっぱり実際に経験してみない限りはほんとうの意味で説得はできないと思う。

回復しつつあるのだが、それでもやはり今までのようには動けない。昨日と今日、自転車に乗ってみたものの、これがとてつもなくぎこちない。スポーツは何一つ再開できていない。ようやく歩けるようになってきたぐらいなのだから、スポーツなんてそんなにガシガシできるわけないのだ。もう少し時間がかかりそうな気がする。

Sunday, 13 November 2016

74日目のメモ

子育てブログにする気はないと以前書いたものの、子育てに関して書くべきことはめちゃくちゃ多い。日々の気付きや驚きは数えきれないほどある。

うまれて2ヶ月半かー、と思いながら妊娠中に使っていたアプリを開いてみると、今日で生後74日らしい。ものすごい勢いで成長しているが、毎日見ているだけにその変化に気づきにくいのも事実である。

・音というより「声」を出すようになってきた
キャーとかフぃ〜とかいう音は、生後早い時期から出していたのだが、それがだんだん言葉っぽくなってきた。「あー!」という反応が最近ある。話しかけると、もごもごしてはいるが、顔を同時に動かしながら、言葉っぽいものが返ってくる。



・絵本に反応する
友人たち数人と母親から、絵本をもらった。とても簡単な本。色のついた丸や四角の描かれた本とか、松谷みよ子の「いないいないばあ」とか。内容は特にない。いつどのタイミングで読んであげたらいいんだろうなあと思っていた。初めて読んであげたのは11月に入ってから。最近のこと。そしたらウソみたいにびんびん反応している。すんごい嬉しそうだし、色とりどりの丸を見て、興奮して息が早くなる。泣いていても泣き止む。すごいな絵本。もう一冊くらい買ってあげようかと思う。

今読んであげている本
・カラフル
・いないいないばあ
・どんないろがすき
・とびだす絵本 おもちゃばこ
・のりものいろいろかくれんぼ


・自分で寝る
10月いっぱい、かなり頑張って「夜は寝る時間」と思わせるように7〜8時には寝かしつけるようにした。わんわん泣いてそれはそれは大変だった。10月の最初あたりは、寝かしつけるまでに何時間もかかって(というのも、例えば「足りてないかもしれない」と思って飲ませると実は足りていて、ガーッと吐き戻し、着替え、そうしているあいだにおむつの交換…という無限とも思えるループを何度も繰り返すようなことがよくあった)10時ぐらいに「ようやく寝た…」ということもあった。

それがだんだんと、7時以降はベッドに寝かせると、自然と自分で寝るようになった。泣くこともあるけど、ほんの少し「ふにゃふにゃ」と泣く程度なので気にならない。

「すばらしいね」と言っていたのだが、さらに最近ではこれが夜に限らず、午前中少し眠たがっているときに抱きあげずに放っておくと自分で寝るようになった。

寝たいときと、おなかがすいているときは明らかに泣き方も違う。(そもそも時間で分かるけど。)だから単に眠い時は放っておくことにした。少し泣いても、あやす必要はないということが分かった。

今も自分ですやすや眠り始めた。



・睡眠時間が長くなった

夜、私が起きて授乳をする回数が減った。12時〜2時ごろに1回起きればそのあとは6時頃までずっと寝てくれる。ものすごい助かる。夜に関してだけ、3時間おきではなくなった。

一般的に赤ちゃんがどういうものか、ほかに育てたことがないので比べようも無いが、今のところ「眠れずに困る」とか「夜泣きが…」とかいう悩みは無い。

Tuesday, 8 November 2016

きょうは一緒に何をしよう

ようやく咳が治り始めた。ここ最近は8時〜9時に寝るようになったので、夜中に起きても十分に睡眠がとれるようになった。

「寝不足できつい」と思う日が、日に日に減ってきている気がする。というのも、夜中に2回起きなければいけないという日が減った。昨日もおとといも、12時〜1時に1回と、その後は朝5時〜6時なので、1回起きれば良い。7~8時間くらい続けて寝る日も遠くないのではという気がしてきた。

2ヶ月ちょいの間に、夜になったら「夜だ」と思わせるようなリズムが作れた。それについては、子どもはもちろんのこと、こちらも恩恵を受けている。

これだけ早く寝ていると朝がきたときの喜びが大きい。朝日が昇り、ラジオ体操をしながら、さてきょうは何をしようか!と考える(そして実際口にする)とワクワクしてくる。

今までだって朝型だったのだから、そんな感じではあったのだが、今はこどもがいる。「きょうは何をしようか」が「きょうはいっしょに何をしようか」になった。一緒に朝日を浴びれるのがこのうえない幸せである。

Saturday, 5 November 2016

冬がはじまるよ

ここ数日風邪気味である。
着込んで、早い時間に寝るようにして治そうと努力しているがすっきりとは治っていない。それでも例年ほど悪化していないのは、仕事に行っていないおかげだろう。話す頻度も圧倒的に少ないのでのどを酷使することもない。

冬用の服が必要になってきた。先月まで半袖を着ていたというのに。
冬服って実はしっかりしたフリースとカシミヤが1つあればほかにあんまり必要ない。だけど毎年なんとなく買い足したくなってしまうので困ったものだ。冬服は夏服と違って、1つ買うと「モノ」としてだいぶスペースをとってしまう。その上、値段も高め。

それでも今週末、なんとなくユニクロのカシミヤを手に取ってみたいなあと思っている私。

カシミヤはとにかくいい。あったかさが全然違う。だからといって暑いってこともない。11月ごろにもじゅうぶん着られる。汗をかくということもない。数年前に買ったユニクロのグレーのカシミヤは酷使といっていいほどよく着ていて、去年なんてもはや普通の洗濯機で洗っていた。ほかのメーカーのカシミヤは高すぎて、そんなに手荒い使い方はできない。手荒いのがダメなだけに手洗いしなくちゃ、なんちゃって。

きょうはのどの痛みは無いものの咳が出始めた。うーん。

Thursday, 3 November 2016

別の街

東京に戻ってきて約一週間。
人が多いことにうんざりしていたが、逆に、人の絶対数が多いおかげで色々な人と接することができている。

子どもを連れているととにかく色々な人に話しかけられる。
そうしているうちにこっちも人に話しかけることへの抵抗がなくなってくる。

不思議なものだ。会話と笑顔が自然とうまれる。

先日は道路工事のおじさんと天気について話していたとき、ふと手元のベビーカーを見ると小学生の男の子が2人、ベビーカーを囲んでいる。
「ねえなんで」「なんで泣いてるの」と聞いてきたので、疲れていておなかがすいているからだよと教えてあげたら「ふーん」と言って、「かわいい」と言いながらほっぺたを撫でていた。そして「さようなら」と丁寧に挨拶をして去って行った。

きのうは不思議系?の若い男性に「チベットの僧侶に似ている」と言われて笑った。

コンビニのレジのおばさんが「あらお人形さんみたい」と言った。
警察官のおじさんが「ほう〜。何ヶ月?」と言いながらのぞき込んできた。

これらのきっかけを作り出してくれる赤ちゃんってすごい。
東京が、この子を産む前とはもはや別の街に見えてきた。

Sunday, 30 October 2016

小人の家

東京に戻った。

家に着いて、その空間の奥行きの無さに唖然としてしまった。


小人の家か、ここは??



部屋は目に見える範囲にあるだけ。行き止まりをくらったような気持ちになった。
あまりにショックで、これから先のことを考えたら頭が痛くなった。


こんなところで、これまで、どうやって暮らしていたのか?
こんなところで、これから、どうやって暮らしていくのか?



それから数日が経過して、今は慣れつつある。
現実と向き合って、自分で切り開いていくしかない。すべては自分次第。

ただ、いつでも帰る場所はある。
無条件に私を受け入れてくれる場所が、ある。

Wednesday, 26 October 2016

故郷の秋

この季節はとても過ごしやすい。
もちろん日本中どこにいても、過ごしやすいのには違いないだろうが、郷里の秋はそれに加えてとにかく美しい。特別なのである。
毎年、秋にはこの空気がどうしても恋しくなる。
澄みきった空気と、どこまでも高い空。
山の緑と、空の青が360°きれいに接している。

高校時代、空気があまりに気持ち良くて、自転車で通学するところをあえて歩いて通学したこともあった。

東京に戻ることにした。

ずっとここにいても大きな差し支えは無いが、とりあえずいったん、現実に戻ることにした。いろいろ整理するために。
こんなに長い間東京を離れたのは久しぶりである。
これだけ離れると、戻ってもいいかなという気もしてくる。

ところで「戻る」はどっちからどっちに行くときに使う言葉だろう?
私の場合、「戻る」場所はどこなのだろう?

Sunday, 23 October 2016

赤ちゃんとお風呂

先日、赤ちゃんとお風呂に入ることについて、両親と少し話題になった。
母親は「親子の大事なスキンシップ」だと言う。

確かにそう思う。

生後1ヶ月まではでっかい桶をつかって沐浴をさせていたのだが、実家にいて母親の助けを借りれるのもあり、1ヶ月を過ぎてからは一緒にお風呂に入っている。お湯に触れている間はまず泣くことがなく、とても機嫌が良い。気持ちがいいのだろう。そのせい、というわけでもないだろうがとにかくこちらも幸せな気持ちになる。やわらかい皮膚に触れて、洗ってあげると、その間こどもはきょとんと、まるい目で、こちらを見つめている。せっけんのいいにおいがする。おたがいに身体は温まり、肌はきれいになる。恍惚、とでも言おうか、たまらなく幸せな時間だ。

確かに大事なスキンシップだと思う。

が、お風呂に浸かる文化の無い人々が世界にはたくさんいるわけで、その人たちが愛情を得ずに育ったかというとそういうわけでもない。だから、人によって違っていいのでは、と私は言った。

そこで疑問が湧いた。
むしろ、シャワーで済ませる(たとえば)欧米人のほうが日常的にスキンシップがあるのはなぜだろうか。

日本人のスキンシップはとても少ない。というかほとんど無いと言ってもいいくらいだ。家族どうしで触れ合うことは、例えば私の場合、まずない。(これは家族にも寄るだろうけど、平均的に、ということ。)日本人がこれだけ毎日お風呂で赤ちゃんとのスキンシップをはかるのに、成長したら、世界一と言っても良いくらいスキンシップの少ない民族になる。

そもそも「親とお風呂に入る」ということが、日本独特だと思う。(データがあるわけではないので印象に過ぎませんが。)

もっと言うと、温泉や銭湯などで他人とお風呂に入ることが文化となっていてそれに抵抗を感じないのは日本人ならではだと思う。

だけどやっぱり挨拶のハグもキスもしないし、一般的に、他人との距離は結構ありますよね…。

それとも、日本人が幼いときにお風呂で得たスキンシップを通じた愛情は、どこかに別の形でたくわえ(?)られていて、別の形で生きているのかもしれない。

これに関する賛否両論は、きっとすでにあちこちでたくさん出ているはずで、たぶん論文なんかもあるのではないだろうか。

いずれにせよ、赤ちゃんとお風呂に入るのは、とーってもいい。自分にも、赤ちゃんにもいい。これをいつまで続けるのかという問題も出てくるだろうけど、それはまたいつか考えることとして、繰り返すけど、赤ちゃんとお風呂に入るのは、とーってもいいです。

Friday, 21 October 2016

機内販売でトリロジー

飛行機の中で買ったのはこれ。
トリロジーのスキンケアセット。

トリロジーのオイルを、年に1回ちょうどこの季節に買う。
1本だいたい4000〜5000円くらいするのだが、このセットはそのオイルにクレンジング・クリーム、保湿クリーム、バーム、タオルがついて5000円。
さらにANAカードで買うと、10%引きで4500円。
オイル以外のものをほぼ無料で手に入れたも同然。

機内販売というものは自分にとって無縁だと、なんとなく、理由もなしに思っていたのだがあるとき、ためしに買ってみたらこれが結構使えるということが分かった。自分に必要が無いものの場合は買うことはないが機内販売の冊子をめくるのは飛行機に乗ったときのささやかな楽しみである。

以上、珍しく化粧品関連の話でした。

Thursday, 20 October 2016

忙しい

赤ちゃんと過ごしていると、あっという間に時間が経つ。気づいたら1日が終わっているのだ。

やらねばならないことはたくさんあるのにちっとも片付かない。すき間の時間を見つけても、やれることは限られている。まず、ゆっくり座るのはほとんど不可能に近い。それどころか歯を磨くとか顔を洗うとかそういうレベルの自分のことができなくなる。実家にいてこれだけ忙しいのは初めてではないだろうか。

で、今ようやく(おそらく初めて)あやされることなく自力で子どもが眠りについた。ふにゃふにゃしていて自分で眠ることは今までもあったが、号泣しながらそのあと自分で眠るのはたぶん今まで無かったと思う。大きな成長である。

授乳とおむつ替えさえしていれば良かったのが最初の数週間だった。飲むか寝るかのどっちかだったので、飲ませさえすればすぐに寝て、3時間くらいは自由な時間がとれた。

しかしながら、最近のように起きている時間が長くなってからはそうはいかない。寝るといっても3時間連続で寝ることはほとんどなくなった。30分〜1時間まとまって寝てくれたら御の字である。

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陣痛の痛みは一生忘れない、と思っていたのに、見事に忘れつつある。こどもの可愛さがそれをはるかにしのいでいる。噂には聞いていたけど、私も例外ではなかったらしい。

Friday, 14 October 2016

良い食器

実家では有田焼の食器を使っている。
食器と言えば陶磁器で、陶磁器と言えば有田。私ときょうだいにとってはそう。
質が良いものだが、質が良いかどうかあまり疑問も持たずに上京するまでずっとそれで暮らしてきた。

それで大人になった今思うのは、質の良い食器を使っていると、質の良くない食器を見たらすぐに分かるということ。
1枚1000円と1枚100円の皿、お互いに似たような模様で同じ形をしていたとしても、手に取るとなんとなく違いが分かる。これは100円ショップだろうなと。

どちらに入れても料理の味は実質変わることはないだろうが、やはり良い食器に乗った食べ物は美味しく見えるし目でも楽しめる。

質の良い食器を使うことの問題点は、唯一、「割ったらもったいない」ということ。
しかしそれを恐れて使わずにいると、ずっと食器は使われないままである。

これは洋服に似ている。
質の良い、あるいは高級な服を「汚したらどうしよう」と思ってよそゆき用にとっておいても、結局のところほとんど着られないままに終わってしまう。
「フランス人は10着しか服を持たない」にも同じようなことが書いてあった。お気に入りの服「しか」持たないようにして、いい服を普段から切るようにするべき、と。そうすれば所持する服の量も減る。確かそういうことが書いてあったと思う。

洋服も食器も、思い切って普段から使うべきなのである。
割れたら、または汚れたら、それはそれで仕方が無い。
そういう運命にあると思うしか無い。

ただ、東京の家にそういう良い食器を持っているかというと、残念ながら、無い。
IKEAで買った99円の皿や、ヤマザキ春のパンまつりでもらった白い皿、あとは300円(100円ではない)ショップの皿。自分で絵付けをした皿もある。

ただ、そのなかで最も活躍しているのはどの皿かと言うと、2年くらい前に有田陶器市で買った黄色と緑の椀なのである。
高級と呼ぶにはほど遠いが、質は良いと思い、気に入って、自分で選んで買ったもの。
なんとなく棚にある食器というわけではないのだ。
自然とこの食器に手が伸びるし、(2年前のブログによると)邪魔になるかなと思いながらも結局一番よく使っている。

事実、有田焼の食器は30年以上、割られることなく活用されている。
良い食器を使えば毎日付き合っているうちにその扱い方は子どもでも学ぶようになるのだと思う。繊細なものの扱い方。
「割りそうだから子どもには触らせない」ではなく、むしろ小さい頃から本物に触れさせるのは大切かもしれない。
いやもちろん勇気は要りますけど。

どうして食器のことを書き始めたかというと、もちろん今、実家にいて、いい食器を使っているからなのだが、それに加えて先日、友人に香蘭社の食器を贈ったこともある。
カタログを見てやっぱりきれいだなと思ったし、手の届かない値段ではないので、自分もいつか自分のために買ってみたいと思った。

こういうことに考えが及ぶようになったのも、成長したということだろう。(これを「歳をとった」と言う人もいるかもしれないけど。)

私も詳しくはないけど、香蘭社のデザインは洗練されていて、値段も手頃です。
実家の食器棚にもたくさん並んでいる。
(画像はウェブサイトから借りました。)

贈答用や、自分用にも、ぜひ。

Thursday, 13 October 2016

マルチタスクが得意なのは

1日が過ぎるのが早い。
新生児に合わせて3時間きざみで暮らしているためだと思う。
読書やら料理やらといった、少し集中を要する仕事はまったくと言っていいほど手につかない。それでもうまく3時間まるまる時間がとれれば、それを有効活用しない手は無い。掃除や片付けはそういうときに一気にやってしまうしかない。

「女性のほうが、子育てと家事をしているから、二つのことを同時進行させたり仕事を片付けるのがうまいんだよ」

と、かつて年上の同僚に言われたことがある。
「子育てと家事は女性のやること」という前提がどうも気に入らなかったので「?」と思いながらも当時は「はあ、そうですか」と答えた。

子育てをしていなくてもマルチタスクが得意な女性は山ほどいる。そして男性も。

男女で差があるとすればそれは子育てによる違いではなく、そもそも脳のつくりが違うからだと言える。
同僚の発言は、実に時代遅れで、浅かったと思う。


が、こうやって3時間刻みの授乳、おむつ替えなどと自分のことをやりくりしていると、「案外そうなのかもな」と思わなくもないのである。

Wednesday, 12 October 2016

コスモス

1日から郷里に帰っている。
そろそろ東京に戻りたいと思うのだが、たぶん戻ったら戻ったで、また郷里に帰りたくなってくるに違いない。

実家の周りにはコスモスがたくさん咲いている。幼い頃からコスモスは野生でたくさん見るものだったので、上京してから高額で売られているコスモスを花屋で見かけたときには驚いた覚えがある。

植物としての生命力は結構強く、手で握ると強烈なにおいが残る。それほど繊細な花ではなく、放っておいても、わーっと咲く。(田舎育ちはこういうのが感覚として分かるんです。)

だから特に、花としての価値(たとえばバラのような)は、コスモスにはあまり見いだしていなかった。漢字で「秋桜」と書きはするものの、桜の華やかさと繊細さには到底及ばない、という印象がある。もっとずっと土臭い感じがする。

いかにも「野生」だった実家のコスモスだが、ここ最近切りそろえられたらしく、見かけがとても上品になっていた。いわゆる「コスモス畑」と呼べる様であった。私が家に着いたころには満開を迎えていた。

この時期に郷里に帰るのは稀であるため、ふだん見ることの無いコスモス畑はことさら美しく目に映った。

満開だね、きれいだね、と言いながら写真に撮ったその翌日、台風がやってきた。
まさにcosmos(宇宙)の星々ようにふわふわと、緑のなかに浮かんでいた花々はもののみごとになぎ倒されてしまった。

はいこの通り↓

台風前に写真を撮っておいてよかったよね、と言いながら2,3日が経過した。

ふと見ると、なぎ倒されたコスモスがぐいっと頭を持ち上げているではないか。
やっぱり、すさまじい生命力だ。

畑全体に、もう一度色が戻ってきた。
花のピークは過ぎたものの、まだまだ楽しめる。

家の周りだけではなく、近所を歩くとあちこちに咲いている。
先日は近所の子どもたち(保育園児ぐらい)が駆け寄ってきて「ほら、これ、やる」と、摘んだピンク色のコスモスの花をいくつか手のひらに乗せてくれた。

「明日もやるけん来てね」
と言う。

手に残ったコスモスのにおいと、その生命力の強さはきっと、ずっと覚えているだろう。
もし、いつの日か、郷里をあとにしてもこの花のことは感覚として残っているだろう。

「じゃあね、バイバーイ」

と言いながら走り去る子どもたちに、二十数年前の自分の姿を重ね合わせたのだった。

Monday, 10 October 2016

1ヶ月と10日のメモと仕事について

朝早く起きてコーヒーなり紅茶なりを飲みながらPCの前に座るというのがとても好きなのだが子どもが産まれてからはその余裕もない。きょうは珍しく時間ができたので書いてみることにする。

メモとして、ここ一週間ぐらいの子どもの変化:

・人の動きなどを目で追うようになった
・よく目が合うようになった
・よく笑うようになった
・手脚のジタバタが激しくなった
・起きている時間が長くなった

体重が増えてほっぺたの肉付きがよくなり、赤ちゃんっぽくなってきた。

*****************

さて、本題。

祝日ではあるが月曜で、さわやかな朝を迎えて最初に思ったのは「仕事がしたい」ということ。

月曜か〜、仕事か〜、あ〜あ、と言いながらも自転車ですいすい通って朝から活動をしていた日々がたいへん懐かしい。あれはあれでやっぱり幸せだった。自由に動き回れるって素晴らしい。

文句を言いつつも、やっぱり仕事が好きだし自分に合った仕事を選んだと思っている。復帰したらやりたいことがたくさんある。戻ったら戻ったでまた文句は言うんだろうけど。

仕事で楽しいことがあったりやりがいを感じたりすると、自分がこの仕事を通じて社会に関わっていることにありがたみを感じるし、誇らしく思う。これからあともそういう働き方ができるだろうか。



Wednesday, 5 October 2016

かわいいから許す

午前3時。

授乳に目覚める。
ちょうど雨が降り出し、台風がやってきたな、というタイミング。

乳→おむつ→寝

理想はこうだけど、これで終わるわけはなかった。
おむつを替えてたらおしっこをひっかけられた。
仕方が無いので着替える。
それからやっぱりおなかがすいているらしく、再度授乳。
そのうちに「音」がして、2度目のおむつ替え。
替えている間にさっき飲んだばかりの乳を吐く。
仕方ないので服を着替えさせる。
そうこうするうちにどんどん元気になっていく。

らんらんと まなこが輝く 午前3時

わたくし、めちゃくちゃ眠かったけど、同時に激しい空腹に襲われたのでこの一時間でお菓子二つ食べた。そして私も目が覚めてしまった。

しかし、だ。
これだけ振り回されても、「ハハー」みたいな満面の笑みを見せられると「かわいいから許すよ」と言わざるを得ない。何やっても愛しい、赤ちゃん。

かわいくなかったら?許さないんだろうなあ、きっと。

さて、ようやく寝ることにする。

Wednesday, 28 September 2016

家に人を招く

9月になって、何人もの友人・知人が会いにきてくれた。
家に招きはするものの、いわゆる「おもてなし」をする余裕は当然ない。むしろ買い物をしてきてもらったり手伝ってもらったりしている。

私は友人・知人宅に招かれたとき、「ちょっと手伝って」ぐらいの扱いをされたほうが心地が良い。家も特に飾り立てられたり念入りに掃除されたりしていないくらいの状態のほうが気兼ねなく入れる。結果的にお互いそれほど気を遣わずに済む気がする。

いっぽうで、毎度毎度すごいおもてなしをしてくれる人もいる。そもそもそういう場合は、家に行くことが一ヶ月くらい前には分かっていなければいけない。おそらく想像を超える入念な準備がされるんだろうと思われる。食事もデザートもまさに「抜かりない」。

この場合は逆に私が招くとなった場合、同じレベルとは行かずとも念入りな準備とおもてなしが求められる、ということは言うまでもない。

もちろんどういう人間関係か、にもよるし、家族形態にもよるだろう。友達である以上、カジュアルさは失いたくないと思う一方で、親しき仲にも礼儀あり、とも思うのである。

いずれにせよ人の出入りのある家というのは良い。学生時代に比べると人を招く機会は減ったものの、それでも、簡単な料理を囲んでわいわいと声が聞こえるのはひとつ確実な幸せのかたちだと思う。

Sunday, 25 September 2016

「産後が美しい」のか

晴れた!ようやく晴れた。洗濯物も乾くくらいの晴れ。秋らしい気持ちよい晴れの朝。
何日ぶりだろう?

子どもが、だいたい6時前後になるとパチっと目覚めて「おはよう」の顔をするのが面白い。さて、朝日を浴びねば、と思う。

なんて気持ちがいいんだろう、朝は。それがどの季節であっても。生まれて以来ずっと朝型人間の私は、朝日を浴びると細胞が元気になるのが分かる。

8月に「ようやく咲いた」と思ったアサガオは、ほんの数日花を咲かせただけでさっそく終わりモードに入った。8月末は私も入院していてその姿を見れなかったというのもある。それでも、あっという間に終わってしまった。やはり蒔き始めが遅いと花を楽しむ期間も短くなる。これから取る種は、来年の5月ごろには蒔いてしまおう。

話変わって。

「産後」について。

女性は産後が美しい、と聞いたことがある。
ということを最近友達に「自分で変化を感じる?」と聞かれて思い出した。
そういえば世の中ではそう言われているのだ、と。

実際にそうなのか?

正直なところ、何も分からない。

美しくなっているのかどうかをはかる余裕が無いのと、そもそも人に会うことが少ないので、人に見られているという意識が欠けている。
(見られているという意識のある時こそ、人は美しさを増すと思う。男女問わず。)


・体型について

体重はほぼ戻った。
しかし体型は戻ってない。
先日、整骨院に行ってみたら「以前のシャープさがなくなりましたね」と言われた。
「おっかさん体型」になったらしい。これは認めざるを得ない。
「頑張って戻すか、このまま行くか」と言われると恐ろしくなった。
(まあこれも整骨院のビジネス手法ではあると思うけど。)

この10ヶ月で筋肉量が激減した。
その代わり、体脂肪が4〜5%くらい増えた。
腹筋と背筋はほぼ無いに等しく、産後、気づくとものすごい猫背になっている。
おなかが大きくて反り返ったような格好をしていたのが、急におなかが空っぽになったので、前も後ろもふにゃふにゃである。

そして問題は骨盤で、完全に開ききっているため変な歩き方しかできない。内ももの筋肉が弱く、脚をくっつけていられないので、異様な「がに股」になっている。妊娠中にも痛かった恥骨はだいぶマシになりはしたものの、ベルトが無いとやっぱりまだ痛む。

時間が経つとこれが治りにくくなってくるので、早めに対策をとる必要がある。と、分かってはいながらも後回しになってしまった。

ベルトで骨盤を固定するのが一番良いと整骨院の先生に言われた。とりあえず毎日やれることをやろうとは思っているが…。さて、体型は治るのだろうか。


・肌について

この10ヶ月でものすごい量のしみそばかすが増えた。メラニンのバランスが変わるらしいのでこれは仕方ない。仕方ないにしてもここまで変わるものか、とショックだったのは事実。

その一方で、この10ヶ月ほとんど化粧水を消費しなかった。つわりの時期は化粧水のにおい(においが無いのに!)がダメで手をつけず、その後からは、なんと、必要がなかった。(夏に至っては、そもそも、汗をかくので毎年化粧水の意味は無いなあと思っている。)秋冬だったらどうだったか分からないが、この10ヶ月間乾燥に困ることは無かったのだ。ニキビや吹き出物もまったくできなかった。洗顔も夜に一回、適当にやっていればほかはまったく必要なし。つまり朝洗顔もスクラブもパックも、その他もろもろのケア不要。

で、今もその状態が続いている。もっとも、睡眠不足で目のくまはすごいけど。

いや、それとも、あれかもしれない、自分の顔を鏡でじっと見る時間が減った気がする。子どもが産まれてからはもちろんのこと、妊娠中は体調が良かったり悪かったり、どんな子が産まれてくるんだろうと想像したり不安になったりで、自分の顔の毛穴の心配している場合じゃなかった。「肌の調子が良い」と感じるのは、小さい部分を見なくなったせいかもしれない。そういうこともあるかもしれない。

書き始めるときりがないのでこの辺で。
いとこからもらったお菓子がおいしい。
お菓子についてはまた今度書きます。

Saturday, 24 September 2016

雨の朝に花束を

まったく、嫌になってしまうくらいに雨が降り続いた。
洗濯物が乾かないのはストレスだ。

先日、お彼岸の日の朝、雨の中、花を買いに行った。別に墓にお参りに行くわけではない。雨か…と思いながらもとりあえず出かけた。

駅前の花屋は木曜定休日と書いてあったような気もしたが、お彼岸の日に閉める花屋なんて、クリスマスに閉めるケーキ屋、とまではいかないかもしれないがそれくらいありそうにないと思った。

着いたのは11時ちょっと前で、おじさんが外に鉢を出しかけているところだった。

10時開店と思っていたけど、違ったか…と思いながらきいてみた。
「お店、11時からですか」
すると
「そうですけど、どうかしましたか」

花束が必要だということを伝えると作り始めてくれた。
予算はどのくらいか、誰へのものか、年齢は、どの花が好きか、どの色が好きか…などを聞きながら、慣れた手つきで束ねていく。

シンプルに、バラだけの花束にした。黄色にしてみた。
「雨が降ってるからきょうはいつものようには外に鉢を出せなくてね」と言うおじさん。

デリケートなものを扱う仕事をする人。
ああ、花のすべてを知っているんだろうなと思うと、すごく特別な職業のように思えた。
なんて素敵なんだろう。

ついでに、以前から気になっていたハイビスカスの鉢について色々尋ねてみたら、今買っても花を咲かせることはできるということだった。1つ買ったら、「これもう1つあげるよ」と言われた。思いがけずBuy 1 Get 1である。

育て方とか、家に何の植物があるかとか、色々なことについて話した。

「お彼岸なのに雨降っちゃって…花屋にとっては大事な日なのに。それで、ああきょうは店開けなくても良かったかな、と思ってたところにあなたがやってきたわけ。来てくれて良かった」

笑顔でこう言われて嬉しくないわけがない。
こちらこそありがとうございました、と言って店をあとにした。

こうやって、嬉しい気持ちをストレートに言葉にするだけで、自分だけではなくほかの人も幸せにすることができる。当たり前のようだけど、時々こうやって実感することがあると、しみじみと「やっぱり言葉にするべきだよな」と思う。

というわけでお互いに嬉しい朝になった。

Wednesday, 21 September 2016

紅茶、イギリス、ブラピ

涼しくなって(しかもカフェインを気にしなくなって)、ヨークシャー・ティーが美味しい季節になってきた。朝の飲み物としては最適だ。そして昨日みたいな雨の日の午後はまさに紅茶日和だった。本を読みながらヨークシャー・ティーをいれる。

ここでも何度も書いたが、紅茶と聞くとなんとなく高級なイメージが一般的にはあるようだがイギリスの"tea"はいたって庶民的だ。既に葉っぱが袋にザクザク入った状態のものが安く売られている。ヨークシャー・ティーはそのなかでも本当に美味しいやつ。

懐かしいなあ、2004年の今頃はイギリスに着いたばかりで、家が無かったり、高熱を出したりしていた。保健センターみたいなところで数日寝込んだのだった。今振り返ってみるとたったの一週間がとても長く感じられる。今はおそらくスカーボロとかリヴァプールとかに日帰り旅行している時期かもしれない。ヨーロッパに一度もいったことがなくて、いきなり一年間滞在することに決めたんだった。かけがえのない一年。

あれから一度もイギリスには帰っていないのだ。

この、9月の涼しくなってくる時期、肌寒い空気に触れると当時のことを思い出す。「はじまりの季節」は4月だけではない。

ところで、そのイギリスのタブロイド紙であるデイリー・メイルをインターネットで毎日読んでいる。(このおかげでリーディング力がどれだけ伸びたことか!)今朝も「さてと」という感じでパソコンの前に座ってクリックするとこの画面が目に飛び込んできた。

BRAD:I'M SO SAD

どうやらアンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットが離婚するようだ。おお、それでこそハリウッド・セレブ!
最近デイリー・メイル紙はこのBreaking Newsのための見出し(黒地に白文字で全部大文字)をよく使うようになった気がする。振り返ってみると、おそらく去年のパリのテロあたりから?

セレブの話題に限らず、海外のニュースはこのサイトで見たほうが早いし詳しい。日本のは情報がめちゃくちゃ少ない。その差は半端ないです。

まだちゃんと読んでない(し、たぶん詳しくは読まない)けど、マリオン・コティヤールが出てきているのが彼女にとっては何とも良い迷惑でしょう。

見出しはこういう感じ。


内容はなんとなく分かりますかね。これ毎日少しずつ読んでいるとかなり語彙力も上がる。

Friday, 16 September 2016

眠っている間は

子どもが寝てくれない間は、ああ早く寝てくれと思うのに、
眠っている間は、起きたときの顔が見たいと思っている。

丸い目と、自在に動く唇と。
ありとあらゆる表情を。

Tuesday, 13 September 2016

ある雨の朝、あんこのお菓子が届いた

雨です。
こういう雨は結構好きなんだけど、なんだかつまらないし悲しい。
家にいる身としては晴れだろうが雨だろうがあまり関係がないようにも思えるが、やっぱりつまらないし悲しい。
ひとつには洗濯物が干せないこと。
部屋干しはスッキリしない。
干したらほんの数時間でカラッと乾いた、みたいなさわやかな天気を望む。

さて。

きょうは朝から荷物が届いた。
妹がお菓子を送ってくれたのだ。

ちょっと紹介:

お菓子屋さんは「村岡総本舗」という和菓子屋。
甘さがちょうど良いのと、作りが上品なので、私はたいそう気に入っている。

きょうはこの二つを送ってもらった。(画像はウェブサイトからお借りしました)

とら焼き宗歓パイまんじゅう 気球


なんとなく雨の日に合う気がして(こじつけ)さっそく開けて食べた。
ピンクの餡が入っている。
そういえば小さい頃、ピンクの餡を食わず嫌いしていた。
味は同じなのに、なんだか嫌だった覚えがある。

とら焼きはしっとりしていて美味しいです。

ところで。
あんこを包んだお菓子って素晴らしいですよね。
餅となると重すぎるので食べるのに覚悟がいるし、あんパンとなるとやっぱりどっから見てもパンなもんだから食事っぽくてこれまた覚悟いる。
だからこういう小麦粉っぽいもので包んであるあんこのお菓子は手軽でカロリーなどの面から見ても食べるときに罪悪感を感じなくて済む。
その上にビスケットなどと違っておなかをほどよく満たしてくれるからいい。
さらに洋菓子と違って油分もほとんど(見当たら)ない。
おやつに食べるのもいいけど私が好きなのはやっぱり朝1番に食べること。
GI値の高いものをいきなり食べるのは健康的な食事の面から言えば否定されるべきことなのだが朝に関してだけはこうするのが1番好き。
少しおなかをすかせて目覚めていきなりあんこ、という流れ。完璧。

他人には「ええ?」と言われるけどあんこだけを冷蔵庫に備えておいて、朝とりあえず食べることもある。驚きますか。ええ。何かにのせるでもなく、ただ、容器に入った小倉あんをぺろっと食べる。それくらいあんこ好き。

村岡総本舗はそんなあんこ好きにはたまらないお菓子屋さんである。そもそもは羊羹がメインのお店。別に「とらや」じゃなくていい。素朴さと上品さが欲しい。そしてあんこ好き。そんな人にはうってつけの和菓子屋。ネットで注文もできるようなのでぜひ見てみてください。

Monday, 12 September 2016

食べられる喜び

昨日の午後から友人がうちに来た。
たくさんのお土産をもらって嬉しかった。
バナナパイ、キッシュ、ローストビーフ丼、サラダ…

胃につっかえていたものが取れたように、出産直後から食べたいものを食べられるようになった。納豆だけ食べて「もう無理」と言っていた日々がウソのようだ。
食べ物がこんなに美味しいなんて!
新生児の世話がどれだけ大変でも、食べ物が食べられるというだけでこんなに毎日楽しい。人生の大きな楽しみを取り戻した。

それで調子にのって食べ過ぎる傾向にある最近。気をつけなければ。

*******************

家にいて赤ちゃんの世話をしているとあっという間に時間が過ぎる。
夜中に起きるのもあって、昨日と今日の区別もつかなくなってきた。
ただ、それ以外にやらなければいけないことが無い、というのは良い。
寝不足になったとしても取り戻せる。

ただ、いつの間にか肩がこったり背中が丸くなったりしている。
筋肉の使い方というか力の入れる場所もよく分からなくなっている。
今までになかった身体の使い方をしているんだなと思う。

Thursday, 8 September 2016

新しい存在

29日から投稿が止まっているのはなぜかというと、それどころではなかったから。

子どもが産まれた。

重かった身体がだいぶ軽くなって、約一週間が経った。
新しくできた守るべき存在は、それはもう小さく、柔らかく、尊い。
産まれたすぐあとは、自分から人が出てきたということがなんだか信じられなかった。
かわいいとか感動とか、そういう幸せからは、どこか自分だけ遠いところにいて、放心状態に近かった。
(これからが始まりなのに)すべてが終わった、という気持ちのほうが大きかった。

時間が経った今、見つめているだけで、あるいはその存在のことを考えただけで涙が出てくる。
ここに来るに至ったその旅路と、起きるべくして起きた奇跡を思うと、感謝の気持ちでいっぱいになる。
この小さき人は、私たちに守られなければいけないのだ。自覚は日に日に増す。

世話に追われて物理的にも精神的にも余裕が無い。
ホルモンバランスにも振り回されて文字どおり泣いてばかりの毎日である。
それでも、すべての瞬間が、尊い。
ゆっくり、二人三脚、三人四脚である。

Monday, 29 August 2016

オムレツ、ヨーグルト

涼しいので過ごしやすい。寝やすい。読書も進む。
これ以降、もっと暑くなることは無いだろうと期待している。
キッチンに立つのも特に苦ではない…から、料理をするかというと大したことはしませんねやっぱり。

最近、ほぼ日のツレヅレハナコの卵特集をよく読んでいたせいか、昨日の昼はどうしても卵を食べたくなった。
あ、考えてみればその前の日も。その前も。

そんなに卵ファンではないのだが、写真を見ているうちに食べたくなってくる。

しかも昨日は、ツナの入ったオムレツが食べたくなった。
子どものとき朝ご飯に母親が稀に作ってくれた。
オムレツというよりは卵焼きだったが、そこにツナが入っているというのはとてつもない贅沢だったわけだ。当時の私にとって。

昨日はチーズケーキを作ろうと思ってヨーグルトを水切りしている途中だったので、そこから出た「水」の部分をオムレツに入れてみようと思った。

結果は…


余計なことしないほうがいいですね。苦笑


牛乳みたいに卵とうまく混じり合わないから、やっぱり水は水、みたいになってしまう。
それでもじゅうぶん美味しかったんだけど。

トーストと、卵と、ツナ。シンプルな昼ご飯。


夕方からチーズケーキも作った。
材料さえ分かれば、あとは混ぜるだけという、ほかのお菓子に比べると格段に手間の少ないお菓子である。レシピは見るけど手順というものがそもそも存在しない。
しかも失敗しにくい。
そして何よりも、自分が食べたい。
そこが1番大事。

下にグラハムクラッカーを入れる手間というのが面倒なので省いている。
が、十分においしい。
今朝食べたけど、満足でした。

ちなみに水切りヨーグルトを使えば生クリームとかサワークリームは要らない。
どっちが美味しいかと言われれば、うーん、よく分からない。あんまり変わらないんじゃないかな。
費用は安上がりで、カロリーも低い。

何にせよ、繰り返すが、食べるのは私なのだ。
他人に振る舞うわけでもないので気兼ねなく作る。

さて、雨も止んだのでちょっと外に出ます。

Sunday, 28 August 2016

アサガオ、アボカド

今朝はなかなか涼しい。
外がすごく静かで暗めだったので、まあ朝6時ごろかな、と思いながら時計を見たら8時半だった。きっと涼しくて寝やすかったのだと思う。
わー、よく寝たなあ。
しかもこんなに寝たのに顔が浮腫んでいない。(最近顔のむくみがひどくて参っていた。)

で、目をこすりつつベランダを見ると…

あああ!!
ついに咲いたのだ、アサガオが。
種を蒔いたのは去年よりもだいぶ遅かったので、まあ8月中に咲けばいいけどなあという感じだった。
蔓はどんどん伸びまくって、ここ数日ようやくつぼみが見え始めたので、もうすぐ咲くなあと思っていたところだった。
アサガオはいい。すごく育てやすくて(ほとんど世話がいらない)、花はどんどん咲く。蔓植物は強い。やっぱり嬉しいもんですね、花が咲くっていうのは。

ちなみにうちには大量の植物たちがいて、花こそ咲かないけど、そのうち世話が結構要るのがこのアボカドくん。
3つあって、1つは結構長寿で大人の膝よりも高い位置まで伸びている。もう1つはこれ。


まだちっちゃい。
確か今年の冬ごろだったか、水につけておいたのが伸び始めたので、春になったと同時に鉢に植えてあげたらすくすく伸び始めた。
ダメもとで突っ込んでいたもう1つの種からも伸び始めたので同じ鉢から二つ出てきている。

水をやりすぎてもよくないし、まったくやらないのもよくない。
ここ数ヶ月は室内で過ごしていたが、外の空気を少し吸わせてあげようということでベランダに出していた。
ここ数日の雨で、ひとつは種がむき出しになっている。
雨がふるたびに室内に移動させて…を繰り返していたが、結果的にかなりの雨を浴びた。
根っこが腐れてしまうなあと思っていたら、最近になって新しい葉っぱをどんどん出し始めたので、結局あの環境は良かったんだ、と少し驚いている。

あと、バラが急に3つ咲き始めた。これも雨の恩恵なのだろうか。
バラは5月の花だと思っていたので正直なところかなり驚いた。

暑い暑いと言って過ごしているこの時期だが、たぶん植物にとってはこの湿度がちょうど良いくらいなのかもしれない。

Saturday, 27 August 2016

だらだらぼやき

あっという間に8月も最終週に突入しようとしている。早いなあ。
何度も書いたけど、何もせずに過ごすと夏休みってこんな感じで過ぎて行くのね。
「去年の今頃はイタリアに…」とか「去年の今頃はウクライナに…」とか、考えていたのだが、ついにその時期も過ぎて「去年の今頃は日本」である。それでも今年よりは活動的だったよなあ。

きょうは朝から雨降りそう。
それでも散歩に出かけたいななんて思っているけど、うーん、どうだろう、やめたほうがいいかな?
これは台風なのでしょうか。本格的にヒットするとも思えないけど。ちょうど夏休みの終わりになってやってくるとは、まるでタイミングを狙ったよう。

ここ最近、大した量も食べていないのにどんどん体重が増えていってがっくりしている。食べるものの質によるのかもしれない。きょうもまた+0.1kg.... はぁ。

でも、こんな天気だし、外には出ずに、家で読書をして過ごすか…。
Someone Like Youがあと一話で終わる。今は別の本を読んでいるけど、今日ぜんぶ読んでしまえるかもしれない。こういう、読書でごろごろするときはやっぱり畳が欲しいです。たたみ。

Friday, 26 August 2016

食エッセイ

昨日。
朝、少し掃除をしたあとで読書をしていたら眠ってしまった。1時間か、それくらいは寝たのではないだろうか。まさに眠りに落ちる、という感じだった。

本がつまらなかったわけではない。朝、珍しく5時台に起きたせいだ。普段と違うことをするとこういうことになる。

さて、何の本を読んでいたかというと、阿川佐和子の「魔女のスープ」というエッセイ。雑誌に掲載された、食に関するエッセイを本にまとめたもの。
面白かったので、途中で寝たことは寝たもののいっきに読み終わってしまった。

阿川さんファンというわけではない。だけど面白い人だとは思っていた。
そして読んでいるうちに今まで以上に好感を持った。

テーマが食、という状況は、本当に「楽」である。
話すにせよ読むにせよ。
読む方も、そしておそらく書く方も気楽だと思う。
誰を傷つけることもないし。
ただし、食べることが好きである限り、だが。

面白かったので続編を借りてきた。
これからまた読もうと思うが、また早起きしたのでもしかしたら途中で眠りに落ちるかもしれない。

Thursday, 25 August 2016

朝コンビニごはん

珍しく6時前に起きたら、空気が秋!
気持ちがよかったのでコンビニに朝ご飯を買いがてら少し外に出てみることにした。空気が冷たくて気持ちがいい。基礎英語を聞きながら10分ぐらい歩いた。おにぎり1個と菓子パン(練乳ミルクフランス)を1個買って帰った。部活に行く高校生らしき坊主頭の人たちが同じようなものをいくつか買っていた。

朝早くコンビニで好きなものを買うのは一人暮らしを初めて以来、ささやかな楽しみの1つである。と言っても、仕事を始めてからはあまりそれを喜びとするほどの余裕も無かったが。

幼い頃からコンビニもあまり無く、親の手作りによる極めて健康的な食事で育った。その反動か、こういった身体に良くは無さそうなものに常に魅力を感じていた。上京して自由になってからは遠慮なくコンビニ食に手が出せるようになって嬉しかった。

そのうち当然飽きてくる。そして手作りにかなうものは無いということが分かってくる。分かるまでにだいぶ時間はかかったけど。

ただ朝、こうやってごくたまに、あんまりカロリーを考えずに(なぜなら朝食べれば寝るまでに確実に消費するだろうから!)好きなものを買うのは、やっぱり楽しい。朝の冷たい空気が肌に触れると私は自由だ、という気持ちになる。ちょっと19歳ごろを思い出してうきうきする。

Wednesday, 24 August 2016

洗濯物かご

最近、突然雨が降ることが多くて困る。自分自身が多少濡れるくらいならいいが、洗濯物が…。

うちはベランダの屋根に穴が空いているのでそこから一気に水が漏れてきて洗濯物がびしょぬれになるのだ。昨日も結局干し直しとなってしまった。トホホ。

いくら訴えても管理会社は動いてくれない。雨が降るたびにそのことでストレスをためている。

ところで昨日、これが届いた↓


洗濯ものカゴ。
あえて「ランドリーバスケット」とは呼ばない。
(画像はアマゾンから借りました。)

先週末からずっと、どのカゴにするかを調査研究(大げさ!)し続けていた。
PCに向かっている間はほとんどそのことしか考えてなかったくらい。

で、心はほとんど、無印のステンレス製カゴに決まっていた。


見た目もすっきりしているし、まあ3500円もするけどその価値はあるかなと。

オンラインストアで注文しようと思っていたのだが、サイズは大小どちらがいいのか、やっぱり自分で見てみないと分からないなと思って手を止めた。

そのあと、ちょうど店舗にいく機会があったので、手に取ってみた。

すると…





重い。


めちゃくちゃ重く感じる。1kgとちょっとあるらしいが、これは重過ぎる。
濡れた洗濯ものを入れたら大変なことになる。

それでも見た目でこれを選ぶか、うーん…


とりあえずその場を去ることにした。
サイズは小でちょうど良さそうだったが、あの重さはやはりひっかかる。

そしてよく考えてみるとステンレスって冬になったら寒くて手で触るのに抵抗が出てくるかもしれない。

で、その後やはりネットでいろいろと調べてみたら、シンプルなものを見つけた。
「Freddy Lech フレディ・レック」というドイツのメーカーらしい。
シンプルで、よくありそうなのに、意外と見かけることが無いデザイン。
しかも軽そうである。

ポリエチレン製。
直径40cmx高さ52cm。

値段は1800円ぐらいで、無印のやつの半分。
それほど大きな覚悟も要らない買い物。
ものは試しということで注文してみた。


日曜に着きます、ということだったがものの2日で到着した。
段ボールを受け取ると…



でかい!!

40x52cmということは分かってはいたものの、これはでかい!
箱から出してみたら威圧感はなくなった。

しかしでか過ぎるということはない。我が家には必要なサイズ。

これからの活躍を期待!

Tuesday, 23 August 2016

夏のクロスタータ

日曜の夕方に友達が来ることになって、何か作ろうと思い、クロスタータにした。

しかし、これは夏に作るべきものではないなあとあらためて思った。
分かってはいたけど。

バターを使ううえに、手で整形しなければいけないので、気温が高いとあっという間ににゅるにゅる状態になってしまう。思うようにきちんとした形にならない。ほかの季節に作るのと比べて格段に難しくなる。

まあそれでもこの不格好さがクロスタータのいいところかもしれない。あくまでも「クロスタータ」であり、「パイ」ではない。材料も適当で、ジャムも目分量で、焼く時間も適当。そういうお菓子なのだ。

で、余った分を今日と昨日の朝ごはんに食べました。おいしかった!

Sunday, 21 August 2016

全粒粉食パンの値段

不思議なことがあったのでひとつ記録しておく。

朝はヨーグルトを食べることが多いのだが、時々あの四角いシンプルな食パンが食べたくなるときもある。食べようが食べまいが、冷凍庫に一袋、6枚切りか8枚切りの食パンを入れておくとおなかすいたときにも便利である。チーズだけのせて焼いて食べたりする。

昨日、帰り道にパン屋に寄った。ちゃんと店で焼いている、チェーン店のパン屋だが値段の割にはあまり新鮮さを感じないのでそれほどファンになって通うことはない。京王線の駅にある「ルパ」のほうが断然好きだった。

それでもスーパーで防腐剤入りのものを買うよりは良いし、まあ久しぶりに行ってみようかなと思って立ち寄った。

普通の食パンの相場は250円前後である。確かここでは220円ぐらいで買えたなあと思いながら見渡すと、あったあった、朝食用、みたいな感じの1番シンプルな食パン。それに手を出そうとしたときにふと気づいた。

さらに下の段に「全粒粉食パン」があった。断然そっちのほうがいい。値段を見てみると

「170円」


…?!

思わず「んん??」と声が出そうになった。
通常、白いパンのほうが安くて、それより20〜30円くらい高いのが全粒粉パン。どこの店に行ってもそうだ。(そもそも置いてない場合もある。)

何かの間違いじゃないかと思った。

1. 170円ではなく270円の間違い
2. そもそもそういう値段

可能性この二つのいずれか。

特に古い感じもしないし、普通の全粒粉パンである。レジに持って行ってみた。

するとやっぱり170円だった。

うーん、二つあったから、どうせ冷凍するんだったら二つ買っておくべきだったかな、と思ったがとりあえずそのままパン屋を出た。


というわけでなぜ全粒粉のほうが安かったのか、謎のままです。


ところで「そもそも」の疑問がある。

・そもそもなぜ全粒粉のほうが一般的に高いのか?
精製する手間がかかっているのは白いパンのほうではないのか。

同じことが玄米にも言える。玄米というだけでいきなり高くなる。私の実家は米を作っていて、高校時代から「精米しない米」、つまり玄米を私用にとってもらっていて、鍋で炊いて食べていた。いまだに玄米食です。ほかの家族のメンバーが食べる分にはもう一行程があるので、面倒だよなと思っていた。

なのに玄米、となると最近では「健康的」なイメージに「おしゃれ」までなんとなく加わるようになり値段まで加わってしまっている。砂糖もそう。茶色い砂糖のほうが高いもんね。

・そもそもホームベーカリーで作れば良いのではないか?

まあこれは自分自身への「そもそも」だ。
うちにはなんとホームベーカリーが二つもあって、全粒粉のパンなんて作ろうと思えばまああっという間なのだが、それでもあの「四角い」のが食べたい時があるんです。真四角の。パン屋でしっかり等分して切ってあるやつ。うーん、ちょっと言い訳っぽいかしら。

きょうも試しにパン屋に寄ってみよう。パン屋がこのブログを読んで「あ、間違ってた」と値段の修正に走らないことを願っている。

Saturday, 20 August 2016

オリンピック雑感

昨日は、日差しは強かったけどだいぶ涼しかった。風が吹いて湿度が低いだけでこんなにも違うもんなんですね。

朝から病院に行って、オリンピックはどうなっているんだろうなあと思いながらテレビを見ていた。ちょうど朝だと中継されている種目もある。そのときは男子陸上だった。後からネットで確認してみたら、レスリング女子で日本人が金メダルを3つくらい取っていた。さらにバドミントンも。

日本ってこんなに強かったんだっけ。

最初のオリンピックの記憶はバルセロナで、たぶん小学校3年生ぐらいだったんじゃないかと思う。その時に光GENJI(懐かしい)が歌っていた「りーらーの さーくーころー バールセロナへー♪」という歌はいまだに覚えている。(記憶ってすごいな。)

で、当時、金メダルをとるなんていうのはほんの数人だったように思う。そのぶんすんごい価値のあることだったような。だからバルセロナでの岩崎恭子の金メダルなんて、そりゃーもう、ほんとに「すんごい」ことだった。

子どもだからそう思うだけか?
それともやっぱり日本は強くなったのか?
それともほかの国が弱くなったのか?

単純に、スポーツをする人が増えた、とも考えられる。オリンピックを目指しやすくなってきたのかもしれない。

強くなったとすればその理由は、若い人たちの身体能力が向上した、とか、そもそも体型が変わったとか。これはあり得る。

あるいは指導の方法が変化して、より世界に通用するようになったのかもしれない。

いずれにせよ、たとえば今までメダルを取ったことがなかった種目で金メダル、というのは本当に快挙だと思う。バドミントンは見ていて気持ちよかった。

オリンピック、全部見ているわけではないけど、卓球女子はさすがに涙が出ました。福原、石川、伊藤の団体戦。一生懸命な人の顔っていいなあと本当に思った。「1人だと叶わなかったけど、みんなでなら取れた」という銅メダル。

毎回思うけど、銅メダルより銀メダルが良いとも限らないなあ、と。昨日のレスリング吉田の、銀メダルを取ったときの涙と、卓球女子の銅メダルと、意味がだいぶ違うんだなあとあらためて思った。

レスリングの女子って(これまた特に詳しくないんですが)いつもめっちゃ強い人が何人もいるから、一体誰が誰なのかよくわからなくなってきている。ここ10年くらい。昨日から考えているのは、お父さんがコーチで、娘が選手で、という親子がいたんだけどあれは一体なんていう人たちだったのか。今もやっているのだろうか。

伊調馨が4連覇達成したという話をきいて、ええっとどういう人だったっけと思って検索してみた。ああ、この人か。もう顔つきが、目つきが、構えが、全然違う。かっこよすぎる。

ところで昨日、髪を切った。ちょうど一ヶ月前にも切ったのだが、また切った。その髪型(耳の辺りから後ろを短くする)がこの伊調さんの髪型と酷似していたので運というかタイミングいいなと思わざるを得なかった。

Friday, 19 August 2016

メキシカン

昨日は暑いというよりも湿度が高くて高くて、息がしづらかった。おかげでストレスが溜まって仕方なかった。雨が降り始めると、窓も閉めていなければならなかったので、エアコンで「ドライ」状態にした部屋だけが頼りだった。やや睡眠が足りてなかったのもあり、そのまま眠ってしまった。

昨日はそういう変な天気のなか、またしても1人でメキシカンを食べに行った。ほかにももっとおいしいメキシカンがあるのかもしれないけど、近くて、慣れていて行きやすく、値段も手頃なので結局同じ場所に行っている。(先日行ったばかりなのに!)

メキシカンが苦手、という人に会ったことがあるけど、なぜだろう。何か苦手な食材があるのだろうか。それともベジタリアンか。

食べながら思う。結構、万人に好かれる味だよなあ、と。タイ料理みたいな独特の味付けは無いし、中華の重さは無い。メインで使われる食材も、私にとっては好きなものばかり。しかも不健康な感じはあまりしない。

アボカド、トマト、クリームチーズ、豆、肉、ライム、唐辛子… など。

メキシコに行ったことはないのだが、ここ最近、知人友人がメキシコに行ったという話を立て続けに聞いた。3人も。いつか行ってみたいところの1つ。

Thursday, 18 August 2016

ソルト&カマンベールクッキー

最近のおめざ。
東京ミルクチーズ工場の「ソルト&カマンベールクッキー」。
先日ルミネに行ったときに買った。別に誰に送るわけでもない。自分用。(大人になったなあ私も…)

ずっと前に元同僚からプレゼントとしていただいたことがあってとても気に入った。チーズ嫌いな人には美味しく感じられないかもしれないが、私には目が覚めるほど美味しかった。

10枚で700円とお手頃です。店舗は、まあ(その名の通り)東京にしか無いらしいけど、東京の店舗数は意外と多かった。ウェブサイトでチェケラー♪してみてください。

ちょっとしたお土産等にはおすすめ!

Wednesday, 17 August 2016

お盆の東京

やっぱり台風と言っても大したことは無い。少しだけ風雨、と言った感じ。
あっという間に去って今朝はこの太陽…。
せっかく涼しくなってきたと思っていたのに。
まあ以前より涼しいのかもしれないけど。

夏休みって何もしないとただひたすらどんどん過ぎていくんだなと最近実感しています。
飛行機に乗らない夏。もう8月後半に入っている。

お盆の時期に東京にいる、というのはたぶん初めて。
先日、13、14、15日と進むにつれて通りが静かになっていく気がして、ついに15日、新宿にでも行ってみるか…と思って重い腰を上げた。

すると、人の少ないこと!!!

電車の中は老人しかいなかった。
東京在住の老人、ということか。

街に出ると、観光客ばかり。
外国人観光客はもちろんだが、東京方言ではない言葉を話している日本人もたくさん見たので「東京さ行ってみっか(←勝手なイメージ)」とショッピングざんまいの旅行に来ている人たちもいたようだ。

まるで別の街である。

しかし人が少ないだけでこんなに過ごしやすいとは。

静かだし、
人にぶつからないし、
並ばなくていいし。

普段からこれくらいでちょうど良いなあ、と思った。
おかげでより洗練された街に見えた。

ひとり優雅にメキシカンを食べて帰りましたとさ。(おいしかった〜!!)

Sunday, 14 August 2016

堂々と、ジゼル。

オリンピック盛り上がってますね。

話は先週に遡る。
オリンピックの開会式を私は見てはいないのだが、後から部分的にいくつかのシーンを見た。どの国のユニフォームがイケテて、どの国のがイケテない、とか。

その中でモデルのジゼル・ブンチェンについての写真に目が止まった。
ブラジル出身のスーパーモデルは開会式に特別出演したらしい。
と言っても、踊ったり歌ったりではなく、ただ歩く、というもの。
かの有名な「イパネマの娘」にのせて。
どれどれ、と思って動画も見てみた。
(画像はすべてDaily Mailより)

本当に単純に歩いているだけなのに、なんと、泣けてきたのだ。
念のため言っておくと、別に私はジゼルのファンでもないし、ファッションモデルたちにさほど興味があるわけでもない。
そもそも開会式にジゼルが出ることも知らなかった。
確かにジゼルは美しいがそれは今に始まったことではなく、美しさに感動して涙するなら別に今、開会式じゃなくてもいいはず。
わんわん泣く訳じゃなくて、涙がにじんだ。
なんでかなあと考えてみた。
あの大きなスタジアムをぽつんと、たった1人で、堂々と、ただ歩くだけなのに、あの存在感。
そこに「すげー」と思ったのかもしれない。
「ぽつねん」感がこの上ない。

なのに、ほかのダンス等のパフォーマンスよりも圧倒的に存在感があったと思う。
堂々とした様子が清々しかった。

周りに媚びない、究極の自然体。
飾り立てた印象さえなく、ジゼルはあくまでジゼル。
周りに何千人、何万人の観衆がいようが、あの颯爽としたウォークを見せるのだろう。
ここで彼女が表現しているのは、あくまでも「ジゼルである」ということだけ。
繰り返すが、ぽつんと!たった1人で!ただ歩くだけ!

結局その勇気と自信と美しさに感動したんだろう。
いやはや、堂々としているってそれだけで「美」なんですね。

オリンピック選手を見ていても分かるがやっぱり顔、表情の引き締まり方が違う。
錦織くんとか、福原愛とか。
キリっとしていて自分のやってることに確固たる自信を持っているのが表情から伝わってくる。本当にかっこいいと思います。

自信を持てと言われても誰もが簡単にできることではない。
周りに叩かれたり失敗したり自信を喪失したりして初めて自信に近づく。

まあジゼルと並べて書くことでもないかもしれないけど。
「堂々」に至るまでには過程がある。

Saturday, 13 August 2016

位置情報について

数日前までの暑さがなくなってきた。このまま8月を終えられるのかもしれない、と期待している。とは言え九州はとても暑いらしい。お盆で帰省する人たちは、暑い方向へわざわざ向かっていくのだな、と思うとやや気の毒である。というのも自分はここに留まる予定なので。もう少しいい時期になってから行こう。

ミシンが楽しい。しばらく前に買ってから、大活躍である。この買い物は正解だった。昨日も少し使った。まだ生地は残っているのにまた新しく買ってしまった。きょうは何を作ろうかな。

今欲しいのはゴミ箱。ブラバンシアの20ℓが欲しい。けど高いのでそう簡単には手が出せない。もう少し検討を重ねることにする。

昨日はチーズケーキを作った。涼しいので台所に立つ気になった。やっぱり自分が食べたいものを作るのが1番である。ということで今朝のおめざになった。材料費もそれほどかからず、美味しい。

SNSなどで位置情報を知らせる人がいる。その瞬間にどこにいるか、情報が出てくる。便利なのか、特に理由は無いのか、分からないが私は決して知らせない。そもそも自分の端末に位置を認識させることに大きな抵抗がある。(まあスマホ持ってませんが。)美味しい店の名前であれば、確かにそれを見ている人にとっては役立つ情報にもなり得る。だけど、でも、何故?それが何になるのかが分からない。今その人が地球上のどこにいるか、なんて個人情報もいいところだと思うんだが。「○○空港/駅にいます」というやつが出てくるたびに「要らないなあ」と思う。だから何なんだろう。優雅に旅行しているという優越感?無事に着きましたという安否の報告?知らされたこちらは一体何を期待されているのだろう。気持ち悪くないのかなあと純粋に疑問。それとももしかしたら写真を撮った瞬間、自動的に判断されてしまうのかもしれない。そういう設定になっているのかもしれない。だとしたら恐ろし過ぎる。生年月日や経歴はもちろんのこと、位置についてもまったく知らせる必要はない。必要はないし、それを防ぐ/避けることは可能だ。その点に疑問を感じない人はたくさんいるんだろうけど、もはやスマホの奴隷になっている証拠だと思う。

Friday, 12 August 2016

富士急、ランチョンマット

今朝のテーブルこんな感じ。

富士急ハイランドのお土産をもらいました。カスタードのカステラ焼。
それに、山梨産のプラム。

勇んで行ったわりには、「ええじゃないか」にも「ドドンパ」にも「高飛車」にも「FUJIYAMA」にも乗らなかった、と言う知人。

「たぶん魂が抜けると思った」らしい。
まあ、あんなの乗ったら具合悪くなるよね。
私は小さい頃から今までジェットコースター大嫌いです。
これは一生食わず嫌いでも別にいいかなと思う。
あんなのにお金払って乗る人の気が知れない!!


ところで、ランチョンマットを作りました。
写真の、この白黒のしましまのやつ。
裏は麻の入った生地でリバーシブル。(見えるかな。)
余った生地で作ったのでだいぶ小さめ。
ちょっとした食事にちょうど良いくらい。
それにしてもミシンは楽しい。
これを自力で使えるようにしてくれた小学校〜の家庭科に感謝。


最近WITH LATTICEというブログに影響されまくっていて、家の改造(と言ってもほんの少しだけど)がすすんでいる。

だいぶ隅々まで読み込んでたら、やっぱり「色の統一」は大事なんだなと分かってきた。
「キッチンの色は白、黒、銀で統一」と言われてうちの台所を見てみると、いやはや、色の洪水。
まあ不自由は無いんだけど、ちょっとずつ整えていったらより快適になるかな。

先日、無印良品のファイルボックス(影響されすぎ)を3つ買って、昨日届いたのでそれを使って少し整理をした。これだけで全然違う。一個700円くらいするけど、100均には届かない領域のクリーンさとシンプルさ。なんとも気持ちがいい。

もうちょっとまとまったらブログでもレポートします。

Wednesday, 10 August 2016

逆子レポート(6) 回った今思うこと

翌朝またNSTテストと超音波をして、背中のカテーテルをとり、退院することになった。回ったということが信じられなくて、夜の間にまた逆子に戻ったんじゃないかという疑念がわいていたのだが、超音波で「ちゃんと頭が下にありますよ」と言われた。

気になる費用だが、¥25,000だった。覚悟していたほどではなかったのでほっとしたし、これだけ安全な手術と、丁寧な世話をしてもらって25,000円はむしろありがたいと思った。アメリカだったらこうはいかないだろう、なんて思った。
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逆子であれ何であれ、赤ちゃんが産まれるということはとても喜ばしいことである。もしそのまま逆子だったら覚悟を決めて帝王切開に望むべし、というのも、ものすごく良く分かっている。周りの人たちは「どっちでもいいじゃない」と言う。特に逆子の経験がない人は。回そうとする努力や、焦りや、回ってないときのがっかりした気持ちは、やっぱり経験が無いとなかなか分からない。何か自分に原因があるのだろうかと自分を責めそうになったりとか、「今日は回るかも」と思いながら1日を過ごして結局回った気配もないまま日付が変わろうとするときの気持ちは、やっぱりすごく辛かった。週数がだいぶすすんでいる時に「いずれ回るから」とか「治らなくてもいいじゃない」と言われると、分かってはいるけど、やっぱり少なからず傷ついたし、誰も本当に分かってくれている人はいないんだと思って少し悲しい気持ちになった。結局は人ごとなのだ。外回転を試すと決めたときに「回るといいね」と言ってくれた友達や、「でーんと構えてて下さい」と励ましてくれた鍼灸の先生の存在はとても有り難かった。

元気ピンピンなのにあらかじめ身体にメスを入れることを覚悟するのは、少なくとも私にとっては難しかった。これでダメなら仕方ない、と外回転の前に思ってはいたけど、できることなら避けたいと願った。麻酔の前でさえあんなに怖かったのに、切開するとなると一体どれだけシャレにならない怖さだったんではないかと想像する。

外から回すという方法が最終手段としてあると分かっているのであれば、やっぱり試してみる価値はあるのではないか。ただし、きちんとした大病院で。現代医療を信じるしか無いが、信じてよかったと思うし、私のように焦ってノイローゼ気味になってどうしようもない、という人たちには「こういう方法がありますよ」と産院はすすめるべきだと思う。確かにリスクは伴うが、それを内緒にするのではなくて1つの案として、大きな病院を紹介するのは決して間違ったことではない。

むりやり回すことはおなかを切りたくないという自分のエゴなのではないか?と思うかもしれないが、成育医療センターの医師は「自力で回るのが難しくなった時期に、お手伝いをしてあげる」という表現をしていた。その考え方を聞いて少し安心した。鍼灸の先生は「胎児はより自然な方法で産まれたいわけですから、むしろ自然ではないのは帝王切開のほう」と言っていた。確かに。だから罪悪感はまったく感じなくて良い。胎児ももちろんだが、母体も気分良く過ごすのがとにかく大事。

あと、日本(語)では「逆子が治る」という言い方をするけど、そもそも病気ではないのだからその言い方はふさわしくない、と私は思った。だからあえて「治療」とか「治す」とかいう言葉を使うのは避けて「回る」という言葉を使った。治るとか言ったらそれこそ赤ちゃんが可哀想である。

欧米と日本での違いについてもだいぶ考えた。英語で書かれた知恵袋的なものもだいぶ読んだ。そもそも検診の回数が少ない欧米では、逆子に気づくこと自体がとても遅い。そしてそもそも比較的、楽観的なので「まだ回っていない」という言い方を36,37週ぐらいの人がしている。「まだ」と。信じられないなとは思ったが、帝王切開に対しての抵抗はおそらく日本より小さい。というのも大陸の狩猟民族と、島国の農耕民族では、身体加工に関しての感覚が異なる。例えばピアスやらの装身具は大陸発祥。動物を殺して切って食べ始めたのも大陸。さらに我々日本人にとって帝王切開は「切腹」であり、やっぱり重い。

6回にわたり長々と書いたが、本番はこれからである。まるで出産が終わったかのような安堵感のように見えるが、覚悟をするべきはこれから。ただ、ひとつ大きな、貴重な経験をしたと思っているし、同じ立場の人たちの気持ちがこれでより分かる。周りにもし助言を欲する女性がいたら、こういう方法があるよと参考までに教えてあげたい。あくまでも参考までに、ですが。

逆子レポート(5) 外回転後

病室のベッドに戻ると相方がいて「よかった」と言うと「は?!」と驚いていた。ただ麻酔をしに行っただけで、本番はこれからだと思っていたらしい。「え?もう?」とものすごく驚いて、3秒ぐらいして安堵の表情に変わった。

これまで長い間、精神的にもだいぶ励ましてくれたし、何度も「大丈夫だから」と言ってくれた。この日も朝からイライラしっぱなしの私にずっと辛抱強く付き合ってくれた。逆子体操をする間もずっと横にいてくれて、15分間退屈しないように話し相手になってくれた。外回転をすることに対しては疑念も不安もあっただろうけど、同意してくれた。感謝。

それからしばらく、NSTテストという赤ちゃんの元気度を計るための機械をおなかにつけた。心拍数と、おなかの張りと、血圧などが数字とグラフで表れる。

それをしている間、相方がi padとヘッドホンでピチカート・ファイブを聞かせてくれた。ほっとしてだんだん眠くなってきた。どういう感じで処置が行われたかを話して聞かせた。水を飲んでも良いという許可が出た。

それから1時間ぐらい経っただろうか、看護士が次から次にやってきた。向きを変えて寝てください、とか深呼吸してください、とか。看護士4人ぐらいに囲まれた。そして酸素マスクをつけられた。一体何だろう、と思ったが、どうやら胎児の心拍数がすごく低下しているらしい。

酸素マスクとなると、さすがに怖かった。このまま一体どうなるのだろう、と不安だった。必死に深呼吸を続けた。手がしびれてきた。相方が手を握って話しかけ続けているんだけど、返事ができなかった。

しばらくしてその状況からは脱したらしい。たぶん15時ぐらいになっていたんじゃないだろうか。麻酔も切れて感覚も戻ってきたのでトイレに行ったり歩く練習をしたりすることになった。

その間、相方が食べ物を買ってきてくれた。それから初めて、ほぼ24時間ぶりに食事をした。おにぎりと、おそうざい。美味しくておいしくて、夢中でパクパク食べた。しかも、食べても「うぷっ」とならない。逆子じゃなくなったからかもしれない、と思った。

看護士が、先ほどどういう状況だったのかを説明してくれた。胎児の心拍数がどう低下していたか、グラフを見せてもらった。100を切って、80〜90になった時があったらしい。怖い…。そのあとは120〜150ぐらいに持ち直している。

胎児の心拍数低下の例は、最初の説明でも45%くらいの確率で起きると書いてあった。その例のなかの1つだろうけど、やっぱり怖かった。

その夜、少し熱が上がっていた。37℃と知ったときには「珍しいな」と思ったが、そのあと37.5℃になっていた。寝る前、21時ごろのNSTテストでは胎児の心拍数がなんと160〜190になっていて、これはちょっと高すぎないのか、と逆に不安になった。看護士曰く、私の熱が高いせいもあるらしい。

少し出血もあってだいぶ不安になったが、心配するほどではないらしく、そのまま様子を見て下さいと言われた。慣れないベッドだったがだいぶ疲れていたのもあり、眠りについた。

逆子レポート(4) 36週〜37週

◆36週

外回転が決まってからは鍼灸の頻度も減った。8月1日からのこの週はとにかく暑くて、外に出るのもウンザリするくらいだった。おかげさまで、というわけでもないが逆子のことで頭を悩ませることも少なくなった。回ってないのは自分でも分かっていたし、外回転の日が近づくにつれて、はっきり言うと自然に回ることへのあきらめは大きくなっていった。みぞおちあたりにある頭をしっかり撫でながら「びっくりするかもしれんけどね、がんばろうね」と言い聞かせていた。私自身というよりは子どもにとっての一大事なのだ。天地がひっくり返るわけだから。そうやってだいぶ覚悟ができていた。地道に家でお灸もしていたし、寝る前に音楽をきかせたりもしていた。

「外回転なんてきいたこともないし、そんなに危険なことをするくらいなら帝王切開を選ぶ」と相方の家族が言う。そう言われるとすごく不安になった。本当にこれで間違ってないんだろうか、と自分に問いかけた。でも、もはや任せるしかなかったし、信じるしかなかった。

ちなみにこの1,2週間特に食欲が無かった。精神的なものというよりは、胃の圧迫によるものだと思う。たとえば納豆を1パック食べただけで「うぷっ」とするくらい。横になっているとその日に食べたものが逆流してくるような感じ。したがって逆子体操どころではなかった。おかげで、というべきかどうか、体重はずっと増えなかった。

◆37週

前日からソワソワ、緊張して仕方なかった。暑いのもあるけどよく眠れなかった。あらためて病院からもらった資料を読むと、やっぱり初産の人は成功率が低いし、全体としても成功率の高い術とは言えない。ストレスいっぱいの状態で入院の準備をした。

外回転当日、早めに起きた。食事は前日までで、飲み物は当日朝8時まで、しかもお茶か水かOS-1のみという指定があった。麦茶を飲んでしのいだ。そもそも前日の夜もかろうじて食べられたのがあんパンのみだったので、もうフラフラだった。朝から緊張とストレスがすごい。相方は優しくしてくれるのだがなにもかもがウザく、イライラする。あまり覚えてないけど笑顔の1つも見せられなかったと思う。不安だったのだ。要は。

9時までに来るようにと言われていた。歩くのが遅いのもあり、結構ギリギリに着いた。入院手続きをすませてから、売店で入院セットを買う。診察。内心と超音波。やっぱり骨盤位。病室に案内される。今日の手順を説明されて、着替えて横になり、点滴を打たれる。子宮を柔らかくする薬。それと同時に麻酔科の医師が来て説明。同意書にサイン。

あれよあれよという間に「50分入室です」という電話。私はてっきり、ほかの手術とかもあって結構待つことになるのかと思っていたがかなりスムーズにすすんだ。50分というのはおそらく10時50分のことだったのだろう。

ベッドに横になったまま、相方と別れてエレベーターで手術室に運ばれる。そう、手術室なのだ。こんなに本格的なのは初めてだったので、ものすごく緊張した。ものすごく。重病でもなんでもないのに、これから手術をするのだ。

相当な数のスタッフがこれに関わっている。手術室に入った時点で6人はスタッフがいたと思う。看護士、産科医師、麻酔科の医師、など。ベッドから手術台?に移された。かかっている音楽は…ミッキーマウス・マーチ。「いつもこれなんですか」と尋ねると「いろいろありますよ」と言う。そうかここには子どもたちもやってくるのだ。大人の私でさえこんなに不安がっているのに、子どもは耐えられるのだろうか。つらいだろうなあと思った。

着ていたローブを全部とって、バスタオルをかけられた。それをガムテープみたいなので肩にくっつけられる。背中を丸めて、さて麻酔。

緊張で手に汗。呼吸を整えた。普段からyoutube見ながらヨガやってて良かったと思った。さされているなと思ったときには大きく息をはいた。特に指示は無かったけど。

確かに痛かったけど、鍼灸で慣れているせいか、それほど痛みは感じなかった気がする。鍼灸は、鍼のサイズが太くなって以降「あ痛っ」と思うことが多くなってきていてあのビビりが日常化していたおかげで、麻酔もその一部みたいにとらえられた。結果、スムーズに麻酔がきいてきた。じんじんと、両脚が暖かくなっていくような、そんな感じ。「貧血のときみたいな感じ」と言われてなるほどその感じはします、と答えた。血がなくなっていくような感じ。

仰向けになって、両手を広げる。キリストの磔みたいなかんじ。胴体の載っている台自体は細いけど両手用の台もある。十字架。

痛みという感覚は無いものの、触られている感じはある。1人、女性の医師が形を確認しているのが分かった。「触っているの分かりますか」と言われて「はい」と答える。結構強く触っているらしいがそれは分からない。

「もしかしてもう回してるってこと?」と思ったところで、男性医師が入ってきた。やたらと陽気な人だった。挨拶をされて、これから開始する、ということだった。

2人がかりで回す。回している様子は分からないようにタオルで小さなカーテンみたいなのが胸の上あたりに設置されている。だけどしゃべっている内容は分かる。「これがおしり」とか「はずれない」とか「はずれた」とか聞こえる。相当苦労しているのが分かった。「これは大変だわ」「う〜ん」と医師が言うので、これもしかしたら無理なのかなと思った。目をつぶった。だめでもいいや、と思うものの、ここまできたんだからやっぱりうまくいってほしい。この人たちを信じようと思った。

その間、ほかのスタッフは私の手を握っててくれたり、周りにいて楽しい話を続けている。私もそれに答える。おかげで気が紛れる。

私が思ったのとは違う方向に回転させているのが分かった。麻酔科の先生が「もう半分くらい回りましたよ」と言う。「ああ良かったです」と、心からの一言が出た。そのあともかなり強くおなかをつかまれているのが分かったのだが、痛みはまったくない。私の身体をほかのスタッフが支えている。

たぶん15分くらい経ったところで「はい回りました〜」と言われた。よかった。本当によかった。「ありがとうございます」と言った。ほっとした。本当の勝負はこれからだということは分かってはいるけど、それでもずいぶんと楽になったし呪縛(と言ったら言い過ぎかもしれないけど)から解放されたような気がした。相当苦労されたようで、男性医師が「これってもう3000gくらいあるよね」ともう1人の医師に聞き「いや、2400ですよ」と答えると「えええ」と驚いていた。

スタッフみんなで私を抱えて台からベッドに「せーの」で移動させてくれた。「よかったですね〜」と言われながら、そのままエレベーターの方へ。ひたすら「ありがとうございます」を繰り返した。看護士がベッドを押しながら、誰かに「成功でーす」と言うのが聞こえた。めでたい。本当に良かった。

(つづく)

逆子レポート(3) 35週

◆35週
7/25。いよいよ35週になった。成育医療センターへの行き方を前日までにしっかり調べておいた。まだ回る可能性があると信じている相方はイマイチ外回転に現実味を感じていない。もう、面倒なので1人で行くことにした。どれくらい時間がかかるかも分からないし。その前の週だったかにストレッチをしていたとき股関節と恥骨の結合部を痛め、とても歩きづらくなっていた。だから時間をかけて行った。

初めて行った成育医療センターはとにかく大きくて、圧倒された。こんなに巨大な病院に入ったことは無かったかもしれない、と思った。そもそも小児科、産科であることをよく分からずに行っていたので、どうして院内がこんなにポップなのか、子どもばかりなのか、老人が見当たらないのかが不思議だった。いわゆる「病院(特に大きな病院特有)のにおい」がまったくしない。

その日は9時半の予約になっていたが9時前に着いた。カルテや診察券を作るためにいろいろな書類に記入をした。診察を待っている間には周りに妊婦らしき人たちが何人かいて、妊娠8週とか9週とかそれくらいの人たちが看護士からいろいろ説明を受けたりしていた。(「無痛分娩を希望されますか」と訊いているのを見て、やっぱり大きな病院は違うんだなあと思った。)

診察室に呼ばれると、医師が2人いた。女性1人、男性1人。

逆子のことを「骨盤位」と言う。さっそく超音波で確認をされた。これほどしっかりエコーで見てもらったことはなかったんではないか、というくらい結構長い時間、細かいところまで測定をしていた。私もモニターを見ていたが、一体何を測っているのか分からないくらい細かかった。あとで鍼灸の先生にそれを言ったら「本当に回せるのかどうか、判断は慎重にする必要があるから」と言っていた。なるほど。

ものすごく丁寧に外回転術の説明をされた。まずは逆子について。そして外回転にはどういうリスクがあるか、等。それまで考えていた大病院のイメージとはだいぶ異なり、医師はとにかく親切丁寧だった。

「ここまでの説明をきいて、それでも外回転を試してみたいと思いますか」

と言われて「はい」と答えた。分かりました、と言われて同意書の記入等説明を受けた。下からのお産にこだわりがありますか、と訊かれたが、それよりむしろおなかを切ることに抵抗があると答えた。医師はうなずいていた。

このとき特に迷いは無かった。「では予約を取りましょう」と37週に入った日にちを2つ提案されて、ちょうど2週間後の37週と0日を希望した。

次に来たときが外回転、というわけだ。だからその日のうちに血液検査とレントゲンを済ませた。まるまる午前中いっぱいかかった。費用は7500円くらいだったと思う。

一泊入院することになるのでその説明も受けた。同意書関連、記入するべきものがたくさんある。身元保証人を含めて私以外に2人分の家族のサインが必要だった。私も相方も、家族は近くに住んでいないので、一体どうやってサインをしてもらえばいいだろう、と思った。

帰り道、なんだかものすごい不安と孤独におそわれた。帰ってしばらくして、泣けてきた。大きな病院、初めての場所でまったく初めてのことをして、緊張とストレスでいっぱいだったのだと思う。そしてこの逆子にまつわる一連のできごとで、心身ともに疲れきっていた。

さらに、一体誰にどう頼っていいか分からなかった。そもそも頼るのが好きではない。「身元保証人」と言われて本当に私の身元を保証してくれる人がいるのか、と思った。前進しているはずなのに、心もとなくて仕方なかった。自分で調べて自分で見つけてきたこの方法を本当に頼っていいのか、その判断基準は自分の中にしか無かった。

それでも外回転当日までは2週間あるわけで、希望は捨てずに、少しだけど体操は続けた。ただ、最終手段が私にはある、という安心感はやはり大きかったので、それ以前よりは焦りもなく過ごせたような気がする。7月末〜8月の始めにかけて、何人もの友人知人に会った。人と話すのは本当に良い。

逆子レポート(2) 33週〜34週

◆33週 つづき

鍼灸に通い始めて2,3度目に「みなさんだいたい何週くらいで逆子が回るんでしょうか」と先生に聞いてみた。すると「人によるけど、外回転をやってみるというのもひとつの手です」と言われた。

外回転…。それまで考えてもいなかったし、究極の、最後の手段だと思っていた。だけど自分の週数はそれを考えてもいい時期に来ていた。ネットでも本でも読んだことはあったが実際にそこに手を出そうとはしていなかった。あまり現実味は無かった。

ところが鍼灸の先生は外回転を試した人たちをたくさん知っていて、結構明るい感じで外回転の話をする。ほとんど成功しているそうだ。

ここから少しネットで調べ始めた。ネットでしか調べようが無い、というのがまた情報の無い者にとっては困ったところである。近くに経験者がいるならまだしも、私の友達に逆子の経験がある人はいない。そして、通っている産院からも特にすすめられない。少なからずリスクを伴うので、病院側はおおっぴらに「やってます」とも言わない。昔は施術をする人が多かったらしいが、最近ではどんどんやらなくなってきている。

調べたところ、堂々と「外回転やってます」と言っている病院はどうやら成育医療センターだった。そもそも「骨盤外来」というのまである。説明がとても詳しく載っていたので読み込んだ。

勢いで電話をかけると「病院からの紹介という形で承ります」と言われたので、通っている産院に電話をした。すると、次回の検診のときに逆子のままだったら紹介状を書きましょう、と言われた。これが33w3d。

鍼灸の先生にいろいろ聞いたら「外回転で成育に行く人は多いし、成育は日本一ちゃんとしてるし有名。逆に成育で回らなかったら、どこ行っても無理でしょう」と言われた。

33週のこの時点で外回転を「視野に入れ始めた」わけだが、ちょうど良かった気がする。35〜36週で外回転を試す場合もあるらしいので、外来に行って、そのあと施術という流れであればこの時点から本気で考え始めなければ間に合わなかったかもしれない。

◆34週
7月20日。34w2dで通常の検診に行った。もうこの時期にはおなかを触っただけで頭の形も分かるようになっていた。胎児が成長しているというのもあるかもしれないし、慣れたというのもあるかもしれない。鍼灸の先生がいつも「ここ頭ですね」と言うので判断が自分でつくようになっていた。だから検診の前に「もしかしたら回っているかも」という期待も特になかった。みぞおちのあたりにボコっと硬いものがあって、それが頭。

検診のときに、「成育に行ってみますか」と言われた。先週かけた電話の内容が先生にちゃんと伝わっていたのは嬉しかった。「やれるだけのことをやってみようと思います」と言った。そしたら紹介状を書いて、翌週の月曜に外来の予約を取ってくれた。

このあたりで、大きな希望ができたことに対してちょっと気持ちが明るくなった一方で、これって「もう回らない」とあきらめたことになるのかなとも思った。外野は「あきらめるな」みたいなことを言うのだが、この時期、子どもが大きくなったのがはっきりと分かるし、動き方も以前とは変わってきたのが分かった。回ろうにもスペースがない。苦しそうである。「あきらめるな」と言う人たちには決して言えなかったけど、「なんとなく回りそうな気配が無い」と思っていた。

だからと言って私は何か悪いことをしたか、というと特に何もしていない。体操をサボったか?いやいや、毎日やった。それでも何か足りなかったのかもしれない、と思うと、どーんと気分が落ち込んだ。何か私に原因があったのだろうか、と。考えても良いことない。

いずれにせよ35週に取ってもらった外来は1つの大きな「望み」である。007にQも言っていたじゃないか。「逃げ道は常に残しておけ」と。いや、逃げ道とは違うのかな。いずれにせよ、選択肢は多いほうが良い。

(つづく)

逆子レポート(1) 27~33週

実は現在妊娠37週です。ここまでどうして書かなかったか、というと、極めて私的な出来事であり公にする必要も無いだろうと思っていたから。

それなのに、予定日2週間前になってどうして公にしたかというと1つ書きたい話題があったから。どうしても、今書いておきたいことが。

それは;

外回転術

ご存知の方はそう多くはないと思う。というのも、関係が無ければ無いまま、問題なくLife goes onだから。これを終えて逆子ではなくなった今、書いておきたいと思った。

全部書くと長くなるので、外回転自体については次に書くことになる。まずはここに至るまでの経過とそれ以外にとった色々な方法について。

私のように「逆子をなんとかせねば」と必死になっている人が世の中(世界中)にはきっとたくさんいる。少しでもその参考になればと思った。というのも、私自身、色々な方の書いたブログ等を読んでかなり参考にさせてもらったし勇気をもらった(あるいは落胆もした)から。実際に体験した者として、公に記録しておく価値はあると思った。


【逆子だと何が困るのか】
産まれてくる胎児は通常頭が下にあり、脚が上にあるのだが、これが逆になっているのが逆子。そのまま産まれてくるとなると、身体のなかで1番大きい頭部が1番最後に出てくることになり、時間がかかって低酸素状態になったりする。危険。昔は「逆子だけどそのまま産んだ」という例も多かったらしいが、最近では産院がそもそもそれを許さないという場合が多い。だから最初から帝王切開を選ぶ。


【私の場合】

◆27週頃

初めて「逆子ちゃんですね」と言われた。「えっ」と思いはしたものの、「この時期は逆子珍しくないですから特に何もしなくていい」と言われて明るく構えていた。体操ってどうやるんだろうと少し調べてみたりもしたけど、そもそも指示が出ていないので下手に体操してもなあと思ってそのままにしていた。この頃はまだ産休にも入っていなかったし、やることもたくさんあったので深く考えることは無かった。

◆29週

ところがそれから2週間と少しが経った29週と6日に次の検診を受けたところ、まだ逆子で
「体操を始めましょうか」と言われた。この辺りからだ、焦りはじめたのは。「逆子のままだったら帝王切開」という事実が、この時までは現実的ではなかった。つまりほとんど人ごとのように考えていた。いきなり迫ってきた現実。初産でもあり、おなかを切るのは避けたい、と思った。

寝る位置について指示をされた。そのとき胎児は左側に背骨があったので、右を上にして寝るのは厳禁、と言われた。

ここから真剣に、逆子体操を始めた。15分間お尻を高くした状態でいる体操。

日々これを続けたが直らず。

◆30週

いよいよ鍼灸を試してみようと思ったが、相方に止められた。自然に回ると信じていればそんな必要ない、と。周りの人たちにも「まだ回る可能性はある」と言われる。


◆32週

産休に入った。人と話すことが減った上に、気にするべきこと、やるべきことと言えば逆子をなんとかする、ということのみ。ノイローゼになりそうだった。ありとあらゆるウェブサイトを読みまくった。ネットの情報を飲み込み過ぎてはよくないとは言うものの、やっぱり止められなかった。

何が悲しかったかって、赤ちゃんがおなかにいるという事実はとても喜ばしいことなのに、それを素直に喜べていないこと。おなかを触るたびに「はぁ」とため息をついてしまうということ。こんなことしてたら罰があたるわ、と思った。子どもが欲しいなと思っていた時のことを考えると、帝王切開なんて大したことはないはず。どんな方法を使ってでも子どもが欲しかった。それが今、胎児の向きが違うだけでこんなに憂鬱になるなんて、と、わがままな自分を心の中で戒めた。

産休に入ってすぐだったと思うけど、検診に行ったらやっぱり逆子だと言われ、その足で知人の家族にすすめられた鍼灸院へ行った。32週です、と言うと「急いだほうがいいですので今日来て下さい」と言われた。

そんな感じで鍼灸には行ったのだが、2回でやめた。まず、遠過ぎるということ。そして実際に直っているのかどうか全然分からないのに「回ったんじゃないですかね」と言われてしまうということ。今だから言えるけど、あれはやっぱり適当に言っていたと思う。

この時期、胎児はおそらく2000gに達さないくらいの大きさ。触ってすぐ頭の位置が分かるほどではない。泳いでいるような感じもあり、おなかの上も下も同じような「ぴくぴく」「にょきー」の動きがあるので、一体どっちがどっちやら見当もつかない。やはり確実なのは産院に行ってエコーで見てもらうこと。ちなみにエコーで逆子チェックをするだけで3000円くらいとられる。ちょっと渋ってしまう額。

この時期、しゃっくりをよく感じた。これがだいぶ下のほうで感じていたので何度も「しゃっくり 胎動 逆子」など検索をして、下のほうにあれば逆子ではないと書いている人たちの体験を読み「よしこれは可能性ある」と希望を抱いていた。

◆33週
それでも逆子チェックに行った。「回ったんじゃないか」という期待が大きくなってきたのだが確信は無く、ええい、いくらかかろうが行ってしまえ、と思って行くことにした。するとやっぱり逆子のままだった。先生は「話しかけてあげて」などと言うものの、たぶんそういう精神的な面の問題ではないんじゃないのか、と私は思っていた。メルヘンの世界ではない。物理的に、この子は頭を上にしているのには何か理由があるのだ。

そこから、その足で今度はまったく違う鍼灸院に行った。もうこの時点では「お金が…」とかは考えなくなっていた。何が何でも回したかったし、週数から見るとかなり厳しい状況に突入しつつあるのが分かっていた。だいぶ焦っていた。

今考えてみればこの時期は7月で、まだ暑さもそれほどではなく、しかも身体の重さもそれほどではなかったので歩きやすかった。だからあっちこっち鍼灸に行ったりできるくらいフットワークも軽かった。

距離とネットの評判だけで選んだのだが行って正解だったと今は思っている。なんと費用がかかるのは初回のみ。逆子が回るまでそのあとは無料で処置をしてくれる。あと、何が良いかと言えば、エコードップラーという機械を使って胎児の心音を聞きながら処置をしてくれるので、心臓がどこで頭がどこで、というのが分かる。適当に「たぶんこのへん」とか「たぶん回った」という感じではない。

あと、先生の言葉もいろいろありがたくて「焦らずにやりましょう」と言われてほっとした。

(つづく)

タクシーおばさん

ふう、10日になりました。

最近の暑さは異常ですね。もう、どうしたらいいんだろう。身動きがとれない。湿気が無いのでそれほど汗をかかないのは、まあ救いだけど。

昨日、ちょっと面白い、いや、不思議なことがあった。
暑過ぎるので駅からタクシーに乗ろうと思って道端にいたら、女性が私に話しかけてきた。
小柄。細め。メガネ。50歳ぐらい。短めでカールの髪。

「エクスキューズ・ミー。」

(ん?英語?)と思ったが

イエス、と答えると、そのまま英語で話しかけてきた。
"Are you going to take a taxi?" (タクシーに乗ろうとしているの?)

この方、見るからに、日本人だけどなあ。
だけどもしかしたら日系何世、とかで海外に住んでいる人なのかもなあと思って英語でまたイエスと答えた。

すると「赤いライトを見ればいいんですよ。」
「この道だとタクシーつかまりにくいから、反対側に行くかあそこの角らへんまでいかないと難しいかも」と、流暢な英語で説明をしてくれる。

この際、と思って私も英語しかしゃべれないフリをすることにした。
(さすがに赤いライトについて教えられたときはI knowと反射的に答えた。)

「そうですね、じゃあそこまで行くか…」
と言っていたところ

「私があっち側まで行ってつかまえてくるから、つかまったらここまで乗ってくるわ」とその女性はいい、日傘をさしたまま走って去った。


は…???

この人の狙いは何?
ただの親切なのか?
この暑い中、他人のためにタクシーをつかまえる?
ただ英語がしゃべりたいのか?
私はそんなに日本語をしゃべらなそうに見えるのか?

この人一体何がしたいのか?

ちょっと気味が悪くなってきた。
この人に頼らず自分たちでタクシーをつかまえよう、と思った。

それから10分くらい経過。
相変わらずつかまらない。
昼の1時ぐらい。
暑いからみんな歩かずタクシーに乗るのかもしれない。
暑い。
もう電車と徒歩しか無いのか…。

うーん、とうなっていたところ、白いタクシーがやってきて目の前で止まった。


まさか



と思ったら、さっきの女性が降りてきた。
"Where are you going?" と言うので家の方向を伝えると、ばっちり日本語でタクシーの運転手に「○○の方向だそうです」と告げていた。

なんだ、やっぱり日本語話者じゃん。

その女性とはそこで別れた。
どうやら本当に親切心だけでタクシーをつかまえてくれたらしい。

困っている人を助けたかった、ということか?
英語をしゃべってみたかったのか?

うーん。
しかしこういうの、海外でもし出会ったら絶対に信頼できない。
余計なお世話、では済まない。
運転手と組んでいる可能性は大。
お金をとられるとか危ない目にあうとか、何か起きる。
昨日のような例があったとしてもやっぱり私は不審を拭えない。

まあ結果オーライだけど世の中にはいろいろな人がいるものだ。

一夜明けた今も「あれは一体なんだったんだろう」の疑念が消えないでいる。

Monday, 8 August 2016

片付け上手な人のブログ

8/7(日)
朝から忙しく、そして暑かった。9時すぎには家を出なければならなかった。久しぶりにこの時間に外に出た気がする。朝だと暑さもやはり少しマシだなと思った。それでもクラクラしたけど。
昼の時間帯になると、もはや外に出ている人が少なかった。具合が悪くなりそうな暑さである。殺人的。
帰る頃にはだいぶ太陽が沈みかけていたが、限界を感じてタクシーで帰宅した。

昨日、ふとしたことから、インテリア&片付け系のブログを読むのにはまってしまった。それ系のブログにも好き嫌いはあるのだが、昨日見たブログは相当おもしろかった。したがって、片付けしたい欲求がむくむくとわきあがってきた。私にもできそうなことがいくつかあるから。

賛否両論あるだろうが、たとえばこんまりの「人生がときめく…」は私にとって結構なヒットである。そのなかで実践しているのは「バスルームにはシャンプー類を置かない」ということ。

カビやぬめりが気になるのは、結局いつもそこにモノがあるから。だったら使うたびに持ち込めば良い、というのがこんまりの考え方。なるほどねえと思って引越を機に実践してみたら、確かにカビもぬめりも気にならなくなった。

そして、きのうためしに無印で吊るす形の洗濯バサミ?フック?を買ってみたので、それを使って洗顔フォームと歯磨き粉をつるしてみた。これだけ。これがもう快適である。置いてあるものがなにも「無い」という状態。

ああもうちょっと何かやりたいなー。きょうはもう少し片付け上手かつミニマリストさんたちのブログを読んで勉強することにする。

Sunday, 7 August 2016

暑い日、プール

8/6(土)。

6時半ごろ目覚めて、ヌテラを塗ったトーストと、アイスコーヒーと、桃の朝ご飯を済ませて、ああ暑いなあとエアコンの効いた寝室に戻ったが最後、そのあと11時半まで眠り続けた。「黙祷をしなければ…」と思いながら、結局眠りについた。壮大なる二度寝。自分でもびっくりした。

それから夕方5時半ごろまで読書とネットサーフィン以外何もしなかった。
図書館に行こうかとも考えたが、外出なんて自殺行為に近いな、というくらいの日差しと熱さだったのでやめておいた。わざわざ出なきゃいけない理由なんて無い。

4時頃に出ようか、と思っていたのだがどんどん遅くなって5時半。ようやく日が傾いてきた。まだまだ暑かったけどだいぶマシになったので、プールに行くことにした。ちょっと遠めの方へ。

なんと気持ちが良いんだろう、水の中。
身体が軽く、楽になる。1時間ちょっとを水中で過ごした。水泳に勝るスポーツは無いと思っている。私にとって、だが。まさに生涯スポーツである。部活に所属したこともないし、特に水泳だけを鍛えたことは無いが、並に泳げる。小学生から水に親しんで、もう何年も経つわけだ。スポーツの持つ意味とはなんだろう。私の場合は、気持ちがいい、楽しいと思えること、そして、長く続けられること。

ところで最近桃が美味しいです。そんなに高いのは食べられないけど、最近食べているのは山梨産で、3つ入って500円くらいの黄色い桃。ああ幸せ。小さい頃はこれも食わず嫌いだった。信じられない。

Saturday, 6 August 2016

クレヨンハウスでお昼

8/5(金)。
起きて早速、うんざりするくらいの暑さだった。
何もしたくないけど一日中エアコンの下でごろごろするわけにもいかない。

前にも書いたかもしれないが8月のこの時期に国内に留まっているのは、学生時代に卒論を書いていたあの夏以来だ。したがって「こんなにつらいのか」と半分驚いてもいる。

これが田舎だったらまだ風があるが、建物と人が混み合う東京ではひどいことになるのだということを肌で感じている。東京を脱したい…。

あんまり予定をつめ込むと疲れるので、1日1イベント、ということにしている。
そこで昨日は久しぶりにクレヨンハウスに行くことにした。
9月で期限切れを迎えるクーポン券があり、忘れないうちに使っておきたいと思った。

表参道から遠いところに住んでいるかというとそういうわけでもないのだが、やっぱりこれだけ暑いと「はるばる」という感じがした。汗だくになった。行くだけで本当に疲れた…。

平日だったが相変わらずの盛況っぷりで、1時過ぎには満員だった。この暑い中、テラス席で食べている人がいて、これは強者だなと思った。

ふだんはここで米を食べることはないのだが、きょうはなんだか食べてみたくなった。玄米と、おかかのふりかけ↓

珍しく、黄色いズッキーニ。
ココナッツ風味のかぼちゃと、とうもろこし。
とうもろこしってこんなにおいしかったっけ、と思った。

キウイ入りのサラダ↓

クレヨンハウスは小さい子もたくさんいる。
そして客の9割は、昨日見渡してみたところ、女性だった。
ここのバイキングは、ほかの、ガツガツ系のバイキングとはだいぶ違う。
山ほど皿に盛る人もなかにはいるけど「元取ろう」みたいな感じで来ている人はそもそも少なくて、「身体にいいものを腹八分目」という目的の人がより多い。だから雰囲気もいい。実際に、食べたあとはお腹が、というよりは細胞が満たされたような感じになる。

何十年も続いている店らしいが、これからもがんばってほしい。
表参道の駅からすぐです。

おなかが落ち着くまでゆっくりしてから店を出た。

Friday, 5 August 2016

冷やし中華(今度は写真付き)

珍しく7時前に目が覚めた昨日、結局「冷やし中華を食べに行く」という決断に至った。
きっと暑い1日だろうからほかに色々な予定はつめ込まずにそれだけやることにした。
で、例の冷やし中華を食べにはるばる吉祥寺まで。

お昼の時間としてはだいぶ遅いのもあり、私が行く時はだいたい店内にほかに客がいない。

前回、窓から差し込む光を見て、この光で写真が撮れたらなあなんて思っていたのだが、今回はばっちり撮れた。
自然光で撮る写真はやっぱりきれい。

前回食べた時よりも量が多く感じた。


友人の頼んだランチセットは五目野菜炒め。

これで850円だからお得。

私も少し考えたけど、朝からあれだけ冷やし中華のことを考えて来たんだからやっぱり冷やし中華を頼んだ。


ところで、きくらげは海藻じゃないということを私が知ったのはここ数年のことです。ずっと海藻だと思ってた。同じように思っていた人がほかにもいっぱいいるんじゃないかと信じている。

Thursday, 4 August 2016

ひまわり

友達から花をもらった。
しかもひまわり!
大好きな花のひとつ。
実はうちでも育てているのだが、種をまいたのが確か6月に入ってからで、結構遅かったのもあり花はまだ咲いていない。いや、時期は関係ないのかもしれない。去年は5月にまいたけど、確か花が咲いたのは9月か10月だったから…。
今まだこんな感じです↓
いやはやきょうも暑そう。
久しぶりに7時前に目が覚めて、二度寝しようとしていたんだけど、きょう何をしてすごそうかななんて考え始めたらやっぱり起き出してしまった。根っからの朝型人間は自分自身とその身体に嘘がつけない。

Wednesday, 3 August 2016

麦茶

7月のはじめ。
知人から麦茶のパックを一箱もらった。
麦茶なんて実家にいるときぐらいしか飲んでなかったし、麦茶を冷蔵庫に入れておくための容器(?何と呼んだらいいかわ分からない)がうちにはない。
どうしたもんかね、と思いながらあっという間に1ヶ月が過ぎ、いわゆる麦茶の季節は半分ぐらい終わってしまった。
先日友達と話していたときに、「ペットボトルでいいんだよ」と言われて、ああ、そうかと思い、ためしにやかんで麦茶を作ってみることにした。1ℓぐらい。
冷やしてみたら、なんだかすんごい家庭の味がした。「いえ!」って感じ。
美味しいのには間違いないです。
あんまり飲み慣れてないゆえに、新鮮な感じがする。


きのう図書館で平野紗季子の「生まれた時からアルデンテ」を借りて読んでいたら、同じようなことが書いてあった。

(以下引用)

「小さい頃、人の家の麦茶が不気味だった。
口をつける時にひやっと集中してしまう あの いやな感じ。
学校で友達がくれた卵焼きも、食べたら気持ち悪かった。
プラスチックピンクの弁当箱から出てきたやつ。
味がまずいとかそういうことではなくて、どうにも生々しくていやだった。
他人の、極めて個人的な部分が、なみなみと自分の喉を通って入りこんでくるのが。
紅茶にはなくて麦茶にはある
境界がくずれてしまう あやうさの味。」

(引用終わり)

あー、わかる。
卵焼きも麦茶も、その家の台所のふきんのにおいとか流しの食器とか、キズついたフライパンとか、その麦茶の入った容器の汚れさえも連想させてしまう、まさに「生々し」さ。

同時に、昼寝してるおばあちゃんとかプールの塩素のにおいとか昼ごはんのきゅうりとかそうめんとかいっきに思い出した。夏休みの色。味。におい。

生々しさと懐かしさにひたりつつ、この夏は麦茶というものを飲んでみようと思う。

ところで「生まれたときからアルデンテ」はアマゾン等では酷評されているようだけど私は暇つぶしにページをめくるには面白いと思った。まあ、ウェブで公開するので十分だな、という内容ではあるけど。

下北の変貌

7/30のこと。
友達に会いに下北沢に行った。
それはそれは暑い日で、本当なら夜に出かけたほうが良かったと思う。
土曜の南口は相変わらず人でごった返している。
ごった返すと言っても新宿渋谷ほどではないのでまあ動ける。

で、驚いたのがこれ↓



小田急線へのエスカレーターが新しくなっていた。
1階から直通なのかな。
それでもどんどこ降りるのに変わりはないのだが、だいぶ便利になった。

この街の変貌はすごい。いや、街というか駅というか。
ローカルなお店がここ数年でどんどん姿を消して行った。
駅の内部は日々刻々と変わって行く。
井の頭線から見える景色もすぐにこれじゃなくなっていくのだろう。
お願いだからつまんない街にはならないでほしい、下北。

Tuesday, 2 August 2016

友達に会う

8月1日。友人が遊びに来てくれた。
こんなに暑いなか、はるばる自宅まで。ありがたい。

話すのに夢中で、前日に作っておいたチーズケーキを出すのをすっかり忘れていたことに友人が去ったあとに気づいた。やれやれ。
ということで今朝はひとりでチーズケーキを食べた。
朝ごはんのケーキってすんごい好きです。糖分は、もはや気にしない。

家族や恋人とは違って友人というものは会う義務感みたいなものがそれほど無いので、放っておくと何年も、会わなくなってしまう。一緒に住んでいる訳でもなく、職場も学校も別の場合はなおさらそうだ。10年だって20年だって、会わないままにあっという間に過ぎて行く。同時に自分にとってその人がどういう影響を及ぼしうるかまったく未知である。

無理することは無いけど、自分から声をかけて、会いたい人には会うようにしている。大学を出てから10年経つが、会う人も限定されてきたような気がする。良いものは自然と残るから、と誰か言っていたが、人間関係も同じかもしれない。

Monday, 1 August 2016

アボカドとトマトのスパゲッティ

去年のきょうはウクライナにいた。
あれからもう1年も経つのだ。早い。
1年間もあれば本当に色々なことが起きうる。
それを実感すると1年を「短い」とも言い切れない。
ただ、Life is shortだから、思い立ったらその時に、やりたいこと存分にやっとかないと。
時間はただただ、冷静に過ぎて行く。
こっちがどんなにじたばたしようと。

さて暑すぎて何もしたくない時の昼または夜ご飯。
アボカドとトマトのパスタ。

イタリア人より日本人のほうが好みだろう、たぶん。
イタリア人はそもそも食べ物をそれほど冷やしたりしない。

私はこれが、麺にコシがあるようにきちっと冷やしてレモンとオリーブオイルで和えて食べるのが好きです。あればバジルを入れる。

特に暑くなくても食べるけど、やっぱり夏がいちばん美味しい。

Sunday, 31 July 2016

渋谷でカレー

梅雨が明けたらいっきに空気が変わった。
暑いだけじゃなくて、「重い」感じがなくなった。いわゆる夏がやってきたのだ。

おととい、渋谷に行った。

露出を間違って写真が青くなった。午後1時頃の渋谷。めちゃくちゃ暑いけど日陰にいればなんとかなる。

放っておくと家では何も作らず、食べず、になってしまうので意を決して外食をしたわけだ。ものすごい久しぶりにカレー。少し食べてお腹いっぱいになってしまった。

帰る時間帯、暑くて、駅から家まで歩くのがとても辛かった。この時間に外出はするまい、と本当に思った。

眠い

うーむいろいろ書きたいことはあるのだが今日はとにかく眠い。昨日は代休できょうは久しぶりに普通どおりの仕事だったが、これが眠いのなんのって。昨夜いつもと寝る位置を変えてみたら予想どおり子どもが途中で起きてこちらの睡眠も妨げられるという事態に陥ったため睡眠不足がひどい。座っているとい...