Saturday 13 August 2016

位置情報について

数日前までの暑さがなくなってきた。このまま8月を終えられるのかもしれない、と期待している。とは言え九州はとても暑いらしい。お盆で帰省する人たちは、暑い方向へわざわざ向かっていくのだな、と思うとやや気の毒である。というのも自分はここに留まる予定なので。もう少しいい時期になってから行こう。

ミシンが楽しい。しばらく前に買ってから、大活躍である。この買い物は正解だった。昨日も少し使った。まだ生地は残っているのにまた新しく買ってしまった。きょうは何を作ろうかな。

今欲しいのはゴミ箱。ブラバンシアの20ℓが欲しい。けど高いのでそう簡単には手が出せない。もう少し検討を重ねることにする。

昨日はチーズケーキを作った。涼しいので台所に立つ気になった。やっぱり自分が食べたいものを作るのが1番である。ということで今朝のおめざになった。材料費もそれほどかからず、美味しい。

SNSなどで位置情報を知らせる人がいる。その瞬間にどこにいるか、情報が出てくる。便利なのか、特に理由は無いのか、分からないが私は決して知らせない。そもそも自分の端末に位置を認識させることに大きな抵抗がある。(まあスマホ持ってませんが。)美味しい店の名前であれば、確かにそれを見ている人にとっては役立つ情報にもなり得る。だけど、でも、何故?それが何になるのかが分からない。今その人が地球上のどこにいるか、なんて個人情報もいいところだと思うんだが。「○○空港/駅にいます」というやつが出てくるたびに「要らないなあ」と思う。だから何なんだろう。優雅に旅行しているという優越感?無事に着きましたという安否の報告?知らされたこちらは一体何を期待されているのだろう。気持ち悪くないのかなあと純粋に疑問。それとももしかしたら写真を撮った瞬間、自動的に判断されてしまうのかもしれない。そういう設定になっているのかもしれない。だとしたら恐ろし過ぎる。生年月日や経歴はもちろんのこと、位置についてもまったく知らせる必要はない。必要はないし、それを防ぐ/避けることは可能だ。その点に疑問を感じない人はたくさんいるんだろうけど、もはやスマホの奴隷になっている証拠だと思う。

ありがとうとカルボナーラ

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