知人から麦茶のパックを一箱もらった。
麦茶なんて実家にいるときぐらいしか飲んでなかったし、麦茶を冷蔵庫に入れておくための容器(?何と呼んだらいいかわ分からない)がうちにはない。
どうしたもんかね、と思いながらあっという間に1ヶ月が過ぎ、いわゆる麦茶の季節は半分ぐらい終わってしまった。
先日友達と話していたときに、「ペットボトルでいいんだよ」と言われて、ああ、そうかと思い、ためしにやかんで麦茶を作ってみることにした。1ℓぐらい。
冷やしてみたら、なんだかすんごい家庭の味がした。「いえ!」って感じ。
美味しいのには間違いないです。
あんまり飲み慣れてないゆえに、新鮮な感じがする。
きのう図書館で平野紗季子の「生まれた時からアルデンテ」を借りて読んでいたら、同じようなことが書いてあった。
(以下引用)
「小さい頃、人の家の麦茶が不気味だった。
口をつける時にひやっと集中してしまう あの いやな感じ。
学校で友達がくれた卵焼きも、食べたら気持ち悪かった。
プラスチックピンクの弁当箱から出てきたやつ。
味がまずいとかそういうことではなくて、どうにも生々しくていやだった。
他人の、極めて個人的な部分が、なみなみと自分の喉を通って入りこんでくるのが。
紅茶にはなくて麦茶にはある
境界がくずれてしまう あやうさの味。」
(引用終わり)
あー、わかる。
卵焼きも麦茶も、その家の台所のふきんのにおいとか流しの食器とか、キズついたフライパンとか、その麦茶の入った容器の汚れさえも連想させてしまう、まさに「生々し」さ。
同時に、昼寝してるおばあちゃんとかプールの塩素のにおいとか昼ごはんのきゅうりとかそうめんとかいっきに思い出した。夏休みの色。味。におい。
生々しさと懐かしさにひたりつつ、この夏は麦茶というものを飲んでみようと思う。
ところで「生まれたときからアルデンテ」はアマゾン等では酷評されているようだけど私は暇つぶしにページをめくるには面白いと思った。まあ、ウェブで公開するので十分だな、という内容ではあるけど。