Wednesday 10 August 2016

逆子レポート(6) 回った今思うこと

翌朝またNSTテストと超音波をして、背中のカテーテルをとり、退院することになった。回ったということが信じられなくて、夜の間にまた逆子に戻ったんじゃないかという疑念がわいていたのだが、超音波で「ちゃんと頭が下にありますよ」と言われた。

気になる費用だが、¥25,000だった。覚悟していたほどではなかったのでほっとしたし、これだけ安全な手術と、丁寧な世話をしてもらって25,000円はむしろありがたいと思った。アメリカだったらこうはいかないだろう、なんて思った。
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逆子であれ何であれ、赤ちゃんが産まれるということはとても喜ばしいことである。もしそのまま逆子だったら覚悟を決めて帝王切開に望むべし、というのも、ものすごく良く分かっている。周りの人たちは「どっちでもいいじゃない」と言う。特に逆子の経験がない人は。回そうとする努力や、焦りや、回ってないときのがっかりした気持ちは、やっぱり経験が無いとなかなか分からない。何か自分に原因があるのだろうかと自分を責めそうになったりとか、「今日は回るかも」と思いながら1日を過ごして結局回った気配もないまま日付が変わろうとするときの気持ちは、やっぱりすごく辛かった。週数がだいぶすすんでいる時に「いずれ回るから」とか「治らなくてもいいじゃない」と言われると、分かってはいるけど、やっぱり少なからず傷ついたし、誰も本当に分かってくれている人はいないんだと思って少し悲しい気持ちになった。結局は人ごとなのだ。外回転を試すと決めたときに「回るといいね」と言ってくれた友達や、「でーんと構えてて下さい」と励ましてくれた鍼灸の先生の存在はとても有り難かった。

元気ピンピンなのにあらかじめ身体にメスを入れることを覚悟するのは、少なくとも私にとっては難しかった。これでダメなら仕方ない、と外回転の前に思ってはいたけど、できることなら避けたいと願った。麻酔の前でさえあんなに怖かったのに、切開するとなると一体どれだけシャレにならない怖さだったんではないかと想像する。

外から回すという方法が最終手段としてあると分かっているのであれば、やっぱり試してみる価値はあるのではないか。ただし、きちんとした大病院で。現代医療を信じるしか無いが、信じてよかったと思うし、私のように焦ってノイローゼ気味になってどうしようもない、という人たちには「こういう方法がありますよ」と産院はすすめるべきだと思う。確かにリスクは伴うが、それを内緒にするのではなくて1つの案として、大きな病院を紹介するのは決して間違ったことではない。

むりやり回すことはおなかを切りたくないという自分のエゴなのではないか?と思うかもしれないが、成育医療センターの医師は「自力で回るのが難しくなった時期に、お手伝いをしてあげる」という表現をしていた。その考え方を聞いて少し安心した。鍼灸の先生は「胎児はより自然な方法で産まれたいわけですから、むしろ自然ではないのは帝王切開のほう」と言っていた。確かに。だから罪悪感はまったく感じなくて良い。胎児ももちろんだが、母体も気分良く過ごすのがとにかく大事。

あと、日本(語)では「逆子が治る」という言い方をするけど、そもそも病気ではないのだからその言い方はふさわしくない、と私は思った。だからあえて「治療」とか「治す」とかいう言葉を使うのは避けて「回る」という言葉を使った。治るとか言ったらそれこそ赤ちゃんが可哀想である。

欧米と日本での違いについてもだいぶ考えた。英語で書かれた知恵袋的なものもだいぶ読んだ。そもそも検診の回数が少ない欧米では、逆子に気づくこと自体がとても遅い。そしてそもそも比較的、楽観的なので「まだ回っていない」という言い方を36,37週ぐらいの人がしている。「まだ」と。信じられないなとは思ったが、帝王切開に対しての抵抗はおそらく日本より小さい。というのも大陸の狩猟民族と、島国の農耕民族では、身体加工に関しての感覚が異なる。例えばピアスやらの装身具は大陸発祥。動物を殺して切って食べ始めたのも大陸。さらに我々日本人にとって帝王切開は「切腹」であり、やっぱり重い。

6回にわたり長々と書いたが、本番はこれからである。まるで出産が終わったかのような安堵感のように見えるが、覚悟をするべきはこれから。ただ、ひとつ大きな、貴重な経験をしたと思っているし、同じ立場の人たちの気持ちがこれでより分かる。周りにもし助言を欲する女性がいたら、こういう方法があるよと参考までに教えてあげたい。あくまでも参考までに、ですが。

ありがとうとカルボナーラ

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