Saturday, 20 October 2018

18から互いを知る友人

久しぶりに夜外出した。大学時の友人たちに会うため。平日の夜となるとたいてい疲れ切っていて5時ごろになると既に身体は緩むモードに入る。子供の世話をして8時ぐらいに寝せると自分もあとは寝るだけ、きょうもお疲れ様、という具合で1日を終えるのが通常であるため夕方以降にさらにまた着替えてとなるとやはり疲れるし何よりも移動が面倒である。それでも会う価値のある友人たちであることはわかっていたし、こどもを預かってもらって外出できるのはまたとないチャンスである。しかも翌日の仕事はない。ということで出かけたらやっぱり行ってよかった。これでもかというくらいに笑った。大学時代にこれらの人々と特別に仲が良かったわけでもないが卒業してからも結局10年以上の付き合いがある。16年くらい?知り合っていることになる。18歳の時からお互いを知る仲間というのは、なんというか、色々許しあえるというかもう隠すものも何もないような感じがする。一緒にいて無条件に楽しい。小学校ぐらいからの友達などがいる人たちはまさにそういう感じなのかもしれない。みんなそれぞれの人生を歩んでいる。34歳とか35歳とか36歳とか。ますますおもしろくなってきた。

25歳のときの自分を羨むか?いや、今のほうが断然楽しい。若さとか体力とかそういう面では断然20代のほうがいいけど今は文句なしに楽しい。「あのころは楽しかったな戻りたいな」とは思わない。たぶん昨日会った友人も今を楽しんでいる。

さてきょうは子どもの運動会です。どうやら晴れそうで、よかったよかった。

Saturday, 13 October 2018

長めの本を選ぶ、ことばの記録

金曜夜。夕飯後食器を洗っているといつものように床でこどもが遊んでいる。「きょうの夜読む本を選んだら」とすすめてみるとトコトコと本棚に行き、真剣に選びはじめた。何を選ぶかと思ったらHarry By the Seaという本。しばらく前に買っていたのだが思いのほか長かったので読んであげたことはなかった。(自分の小さい頃に「うみべのハリー」として日本語で読んだのがお気に入りだった記憶もあって買った。)本当にこんなの読むのかと思いながら食器を洗っていたら父親に読んでもらいはじめた。そして全部黙って聞いていた。しかも2回目を読んだ。そうか、こんなに長い本を読むのか。自分で選ぶということはやはり読みたい意志があるからに違いないのだがそれにしても成長を感じた。

ここ1ヶ月ぐらいだろうか、こどもがようやくビートルズ以外の歌をきくようになってきた。ずっと前にローマで買ったCafe Romaというイタリア語の古い曲がたくさん入った2枚組のCDだがその1枚目をよく聞いている。そしてよく真似して歌っている。Come PrimaとかOh mamamama...とか Mambo ItalianoとかArrivederci Romaとか。めちゃくちゃかわいい。きのうはギターをかき鳴らしながら「いぇいぇいぇい〜」と歌っていた。

こどものしゃべる日本語の動詞が活用するようになってきた。「あける」「あけて」「あいた」「あいちゃった」など。動詞の原型よりも実は「〜ちゃった」のほうが早い場合いくつかもあるような気がする。「ちゃった」はよく聞いているのだろう。そして「〜ちゃったった」と「った」が一個多い時があってかわいい。なるほどよく聞くこどもの言葉はこういう感じなのかと思う。

我が家に英語の環境はないが、いくつかこどもがよくしゃべる英語のフレーズが以下:
Oh No! (絵本の影響)
Come on come on (ビートルズの影響)
Hello, everybody (ラジオの影響。そのうち続けて「杉田敏です」と言うようになる日も近いのかもしれない)
Good bye!
Here we go! (これらすべてラジオだと思われる)

Tuesday, 9 October 2018

言い訳しないこと、スペースをもつこと

合気道に行ってきた。先週の金曜日も行った。9月いっぱい行けなかったのは言い訳をしていたに過ぎないと気づいた。「行くな」と言われたことは、誰からも、一度もないのに「こどもの世話で忙しくて行けない」と言い続けていた。いいよ、行っておいでと言われたら行けばいいのだ。行った結果やはりとても気持ちよかった。そんなことは最初からわかっているのに色々と理由をつけて行かない。雨が降ったからとか寝不足だからとか。

それにしても、言い訳というものはいとも簡単に出てくるものである。人の口から。たらたらと、だらだらと。水のように。とめどなく。今自分は言い訳をしていないか?と意識するようになったのは実際のところ合気道を始めてからだと思う。とは言えもちろんそれでも十分に言い訳しているのだが。

稽古に行かないことに理由などほとんどの場合ない。師は自分に恩赦してくれるか?言い訳は通用するのか?絶対しない。どんなにきれいな言葉を並べて挨拶をしても、手紙を書いても、贈り物をしても、姿を現さない者に「それ以上」は無い。その場に顔を出すかどうか、実物として存在を見せるかどうか、これが全てである。特別なこと、扱いは何もない。

稽古に行くとこれを身につまされる。絶対やめてはいけない。がんばれ自分。やめるのは一瞬。続けるにはたいそうな忍耐力が要る。その効果は絶対ある。続けていれば絶対いいことがある。だから続けようと思うことよりもやめようと思わないことが大事かもしれない。少しくらい行けなくても自分を責めないこと。上に書いたことと矛盾しそうだが、それくらいの余裕がないと続けられない。たとえば10年ものごとを継続するには少しのすき間とを残しておいたほうが良い。パンパンに服の入った引き出しは壊れるか変形するけどすきまのある引き出しは長くもつ。物理的にも、精神的にも、スペースが大事。

Monday, 8 October 2018

良品週間と物欲について

このバウムクーヘンそもそも一人で食べる用にはできていないのかもしれない。結構でかいしお腹にたまる。こどもにとっておこうかとも思ったけど結局ひとりで食べちゃっている。ヨークシャー・ティーとともに。そんな祝日の朝です。おはようございます。

ただいま無印良品週間。きょうまで10パーセント引きである。特に何かを買わなければいけないわけでもないが割引と聞くとそれではなにかを新調しようかしらと思う。無印だからと言ってすべてがいい製品とは限らないがこれまで使っているもので信頼できるものであれば二度三度買うこともある。で、今回は;

バスマット
コートスタンド
バウムクーヘン3つ(マロン、かぼちゃ、バナナ)
ステンレス製カゴ
ポリプロピレン衣装ケース

を買いました。

コートスタンドは大きな買い物なのでどうせ買うなら良品週間中にと思った。まだ手元にはない。

バスマットなんてものは古くてもどうにかなるし、もっと言うとなくてもどうにかなるのだがやっぱりいいものを使っていると気持ちがいい。足に触れるタオル生地の感覚がなんとも言えない。

ステンレスのカゴは何に使うかと言えば、シャンプー類を入れるため。「こんまり」に倣って私は浴室にシャンプー類は置かないようにしている。(自分のものに限る)それでいちいち取り出していたのだが百均で以前買ったプラスチックの入れ物にまとめて出し入れすることにした。それがおとといパキっと割れたのだ。水切りの加減からいってもステンレスのカゴはぴったりだったのでこれを買うことにした。ちなみに浴室にボトルを置かないのはとても良いです。掃除しなくていいし。ボトル自体汚れることもないし。手間かと言われれば、ぜんぜん手間には感じない。

そんなこんなで秋になり涼しくなったら物欲でてきたなあなんて思いながら夜な夜なアマゾンとか楽天とか見ている。

物欲といえば最近はやたら服とか靴とか化粧品とかほしいなと思うようになった。こどもが生まれてからしばらくの間は、それらにまったくきょうみがなかった。去年のいまごろもまったく魅かれなかったという記憶がある。買い物にいっても何も買わないし、ピンとくるものがないという状態だった。かわりに子供服ばかり見ていた。それが最近では服をほしいと思うようになったのだ。これは大きな変化だと思う。

ということを記しておこう。

Sunday, 30 September 2018

2歳と1ヶ月のきろく

ああ九月が終わってしまう。せめて月に一回は合気道に行くことにしているのだが今月は行けなかった。平日は家に直行するし週末は毎週何かしら用があった。夕方家を不在にすることにはどうしてもためらいがある。小さな子供のいる人ならわかるのでは。

そんなこんなで子供が生まれてから思うように合気道の稽古はできていない。それでもやめる気は今のところない。あの場所が自分からなくなってしまうのはあまりにも惜しい。そしてこどもはいつか必ず大きくなり私が自分の時間をとれるようになる時がくる。だから簡単にやめない。こういうのっていったんやめたら本当にもう行かなくなってしまうからね。なんとかしてつないでおくこと大事。

こどもは2歳になり、みるみるうちに「人間ぽく」なってきた。言葉がわかるようになってきたので100パーセントではないが意思疎通ができるようになってきた。「きょうなにしたの」というと「ぶどう」と答える。「そうなの、ぶどう食べたの」というと「 ぱぱ ぴっつぁ」と言う。「そっか、パパとピッツァ食べたの」と答えるとさらに「きーきーしゃ う〜」と言う。「救急車見にいったのね〜、う〜、ていってたの?見れてよかったねー」と会話ができる。

ひとりで黙って集中して遊ぶことも増えてきたので、朝早くから外に遊びに連れて行かなければいけない、ということも少なくなってきた。ブロックを手にすると20〜30分くらいひとりで遊んでいるようなことがある。その間、食器を洗ったりできるのでとても助かる。

以前のように「ぎゃああああ」と泣き喚くことが少し減った。わがままはあるけどまあ許せる程度である。言えばわかることが増えてきた。

まだオムツははずれないがトイレに行く前にしらせてくれるようになった。ものすごい助かる。

そんなこんなで一緒にいるのが楽しくなってきた。一緒に旅行に行ったり映画を見たりできる日も近いなと思うとやはり気持ちが明るくなる。絶望的に大変な時期はずっと続くわけではないのだ。

Friday, 21 September 2018

セサミストリートの「自閉症のジュリア」

きのう「セサミストリートのアートとバーニーはカップルなのか」の記事が少し出回っていて、確かに自分も気になっていたことだったので「なるほどそうなのか」と思いながら読んだ。元脚本家は「そうだ」と言っていて、番組制作側は「違う」と言っているらしい。うーん。真相は誰もわからない。この「気になる」気持ちをどこに持って行こうかと思ったが結局「どっちでもいいや」という結論に達した。子ども向けの番組なので、子どもの視点から見て受けいれられ、理解されるがままの形で良い。

で、色々調べるうちに「セサミストリート」のキャラクターのなかに「自閉症のジュリア」というキャラクターがいるということを知った。かるく衝撃を受けた。確かに多様性にとんだキャラクターであふれていることは知っていたが、自閉症のキャラクター?子ども向けの?初めて聞く。

セサミストリートはYoutubeで毎日見ている。もちろん子どもの影響である。エルモが大好きなのでElmo's Worldばかり見ている。そのなかにも何種類もの動画があるがやはりお気に入りがいくつかある。それらについてはセリフを覚えてしまうほど毎日繰り返し見ている。

しかしジュリアの存在は知らなかったので昨夜、こどもが寝てから動画をひとつ見てみた。見ているうちに、シンプルなメッセージがぐっさぐっさと心にささり感動してしまった。想像以上の、良い衝撃を受けた。

話はこうだ:
ジュリアが初めて出て来る回を見たのだが。行動が他の子と違う。反応も違うので初めて会うビッグバードはたいへん戸惑う。サイレンがなるとジュリアはパニック状態になってしまう。そんなジュリアにどう接するべきか考えているビッグバードに、エルモとアニーが「みんな違う(No one are exactly the same.)」という言葉をかける。「だって私たちだって鳥と、モンスターと、妖精なんだから」と。それでみんな友達になる。この10分の動画内では、自閉症の人にどういう特徴があるのかもていねいにゆっくり説明してくれる。

ここまでストレートに、「自閉症(autism)」という言葉を出しながら自閉症について扱うこども番組がかつてあっただろうか。子供番組に限らない。あるほかの記事を読むと「レインマンしかみんな知らず、私は数字に強いと周りに思われる」と言う自閉症の人のコメントがあった。

私はマイノリティを勝手に「見ない」ことにしていたんじゃないのか。自分に関係のないものとして扱っている。それで自分の日常に支障はない。いきなりボランティアや募金に参加をするか?全然しない。まず「知る」ことから始まる世界があるよなあと思った。簡単に「みんな平等」とか「いっしょに」とか「仲良く」とか言うけど、まず知ろうとする姿勢とか知るきっかけとかあると一気に考え方が変わったりする。変わるというほどじゃないにしても、私は少なくとも昨夜のジュリアの動画だけでいっきに自閉症が身近に感じられた。今まで難しく、遠く考えていたことに気づいた。

それにしてもセサミストリートすごいなあ。子どもと見るようになってから、昔とは違う視点で見ていた。メキシコ系のキャラクターが増えたなあとか多様性へのこだわりが色々と見えて日々感心していたのだが。こんなに思い切ったことまでやっているとは、やはり理念をもった番組なのだなとますます尊敬するのである。

ところで私のお気に入りキャラクターはクッキーモンスターです。昔からなんとなくそう。青のインパクトと、単純さがいい。

Monday, 17 September 2018

実家に帰っている

実家に帰っている。また?と思われるだろう。自分でもそう思うくらいだ。8月末に東京に戻ったばかりなのだから。まだそれから一か月もたっていない。それでも、春ごろに秋以降のカレンダーを見てから「お、この日はいける」と思っていたのでかなり早くチケットを取っていた。いつもそうだけど、一つ楽しみが終わったらその次の楽しみが待っている状態にしておくのがよい。旅(ともいえないかもしれないけど)の醍醐味はそこに到達するまでの、待つ時間にあるといっても過言ではない。

そもそもどうしてそんなの実家に帰りたいのか。実家が好きというよりも、子どもと過ごす日々に変化が必要だからである。だから行先は実家じゃなくてもよいのだがいちばん行きやすいのは実家である。毎週同じような日々と同じような週末だとどこかで必ず行き詰ってしまうのだ。これまでの経験から言って、そう。誰が悪いというわけでもないのにイライラして八つ当たりしてしまったりする。そういうときに少し日常を離れるだけでまた戻ってきたときに日常が別の角度から見えることがある。

というわけでこどもは生後11往復目の飛行機。だから21回目の便に乗ったことになる。今回は午後の便にしたのだが離陸と同時にすーっと眠りについたのであまりにも楽だった。機内誌などをゆっくり読むことができた。そして2歳になった今自分でとことこ歩くので機内でも空港でも必ず抱っこしていなければいけないということはない。抱っこ紐はもはや必要ない。成長が見える。

18から互いを知る友人

久しぶりに夜外出した。大学時の友人たちに会うため。平日の夜となるとたいてい疲れ切っていて5時ごろになると既に身体は緩むモードに入る。子供の世話をして8時ぐらいに寝せると自分もあとは寝るだけ、きょうもお疲れ様、という具合で1日を終えるのが通常であるため夕方以降にさらにまた着替えてと...