Saturday, 7 April 2018

たった一週間しか経ってない

ふう、週末か、ようやく、と落ち着いていったん考えてみたら、実家から帰ってきてまだ一週間なのである。たったの?一週間?実際のところ実家から帰るといつも「まだ一週間しか経ってないの」と驚くのだが今回は特に長く感じた一週間だった気がする。たったの一週間か…信じられない。ものすごいいろいろなことが起こったということなのだろう。実家にいたのがもう遥か昔(二週間くらい)のことのように感じる。

そして、ようやく週末だ〜と思ったけど、なんと仕事にはたったの三日しか行っていないのだ。しかも、そのうち二日は早めに退勤した。三日の出勤でこれほど疲労を感じるとは。

新生活なのである。職場も変わらないし、住所も変わらないのだが、これはきっと新生活のストレスとプレッシャーということなのだろう。特に、こどもが保育園を移ったことが大きい。これは、本人はもちろんのこと、我々家族全員にとって大きな変化である。こども本人にとってはもはや試練であり、親はそのストレスを受け止め、理解につとめている。なるべく生活をととのえて、安心感を与えてあげたい。そうしながらも親にだってやらなければいけないことはあるわけで、こどものことばかり考えてもいられない。そんなわけで今週はみんな疲れた。

こどもとべったり過ごしながらも、クエン酸(粉)のボトルをあけて床にぶちまけられたり化粧水のボトルをあけて床にぶちまけられたりするとさすがにこちらも限界がくる。泣きたくなる以前に声も出ない。きのうとおとといに実際起きたことだけど。

ともあれ、ものすごい勢いで成長しているのがわかる。そういえば前回の投稿に加えて「あめ!」というのは「本をもう一回読んで」ということらしい。「あみ!」に聞こえるときもある。まさか命令形で「よめ」と言っていてそれが「あめ」になっているとは思えない。謎だが、シチュエーションは決まっていて、本を読み終わってもう一度読んでほしいときに出てくる言葉。

ようやくいけた1歳半の健診で、身長が84cm、体重が11.4kgということがわかった。2ヶ月くらい前には80cmだったと思うのだが。どおりでいろいろなものに手が届くわけだ。

今朝は5時半ごろ起こされてしまったので眠い。きのうとおとといは新しい保育園に3時まで預けてみた。しかしまだ昼寝ができずにいるために、夕方になるとウトウトしてしまい、夜は早く寝てしまい、その代わり朝早く起きる、という調子だ。睡眠が安定していない。きょうは家で昼寝をさせたが、この調子だとなかなかきついだろう。保育士さんによれば「まだ布団は許さないぞ、という感じです」だそうだ。そう簡単に布団でお昼寝はしないらしい。まあ確かに慣れていない場所で眠るのは大人だって難しいからねえ。これはもう少し時間がかかりそう。

Thursday, 5 April 2018

こどものことばのメモ

こどもの言葉がどんどん増えてきているのでメモ:

あーまね(友達のこと)
あーた(あおちゃんのこと)
ばばい(バイバイのこと)
ぴっちゃ(ピッツァのこと)
ぱちゃ、或いは、ぱた(パスタのこと)
ぱんぱん、或いは、ばんばん(パンのこと)
どーぞー(どうぞのこと)
しし(おしっこのこと)
びび(水のこと)
びび(ブルーベリーのこと)
うぃうぃ(キウィのこと)
わんわん(犬のこと)
だーい(ちょうだいのこと。ジェスチャーつき)
み(食べ物が料理されているところをみたいから自分を持ち上げてそのフライパンの中をみせてくれということ)
ない(ない、しない等すべての否定語)
あった(なにかがあったということ)
ばい(バイクのこと)

その他、やたらと「はい」がうまい。いつでも誰にでも言うわけではなくて返事がもとめられている時にかぎってとても短く「ハイッ!」と答える。ときどき「はーいっ!」上げ調子でいうのも面白い。一体誰をどう真似しているのだろう。

電話の真似も相変わらずうまい。というか進化している。これは上記の「はい」とはまた異なった言い方でいかにも電話っぽく「あい、あいあい、あい」と相槌をうつように発する。よく大人を見ている。

それにしてもなぜ水を「びび」と言うのだろう。つい私も言いそうになるくらいだ。

Wednesday, 4 April 2018

新しい保育園、移動による刺激

認可保育園に移って3日目。かわいそうなくらいに泣き叫ぶ毎日である。口の形が四角になるまで泣いている。ここまで泣くとは想像していなかったのだがきっとじきに慣れると思う。きょうの帰りは、私は迎えに行かなかったのだが、階段ぎわの柵のところにしがみついて外に出たがっていたらしい。そういえば昨年7月、認証保育園に預け始めたときもそうだった。友達もおらず、ずっとドアに張り付いてそこから出られるのを一日中待っていた。そうしているうちにドアのところで目の際を切る怪我をしたんだったっけ。そういうこともあった。

当時に比べて今はより泣きが激しいのだが、無理もない。当時は0歳11ヶ月。今は1歳7ヶ月なのである。色々なことがより分かるようになってきている。環境が一気に変わったことへの戸惑いがないわけがない。大好きだった先生も、仲の良かった友達ももういない。場所や建物が変わったばかりか、周りはすべて知らない人なのである。仕方がないのだ。

これはこれで受け入れるしかないし、私も働かなくてはいけないのであっさりと「じゃあね、元気でね」と挨拶して去ることにしている。1歳7ヶ月がいま直面している最大の試練なのである。

ところで3月末から一週間、私の郷里にこどもを連れて帰った。1歳7ヶ月にしてなんと8往復目の飛行機である。つまり、15、16回目(国際線含む)。違った環境に身を置くとやはり本人にも刺激があるし、親である私にも刺激がある。ずっと同じ場所で同じことを繰り返しているとだんだんきつくなってくるしマンネリ化してくる。まあそれも仕方ないことなのかもしれないけど何ヶ月かに一度そこに刺激を与えるとなにかがコロっといい方向に転がる場合がある。私はそう信じているし実感しているので休暇が取れたら少なくとも一週間は別の場所に身を置いてみる。というのは別に子供が生まれたから始まった週間というわけではない。こどもが生まれる前も休みがとれるたびに海外に行っていた。海外に行くというと「いいねお金があって」とよく日本人は言うけど、いやいや少し(例えば10万)もあれば十分に旅ができるんですよ。それって仕事のある人であれば貯められる金額であって別に贅沢でもなんでもない。えーっと話それましたけど、やっぱり東京を親子揃っていったん離れたのはよかった。やっぱりいい変化がある。いやもちろん自然が多くてたくさん遊べるというのはあるけど、もっと小さなことでも。たとえばごはんを食べさせるときにいつも使っているエプロンをあえて持って行かなかったのだがその場でごく普通のタオルを使ってエプロンにしたらそれが食後のテーブル拭きまで役にたつことがわかってナイロンのエプロンを洗う手間が省けて少し楽になった。いやもちろんそのくらい東京にいたって考えられる案なのかもしれないけどルーティーン化してしまったらもはや変えるという考えすら浮かばなくなるのである。疑問さえ持たずに同じエプロンを使い続ける。そしてなんてことない移動によって別のやり方が採用されることがある。たとえばこんなに小さな刺激でも子どもにも私にもいい影響を及ぼす。

そしていったん離れてみることによってものごとの見方が変わってくることがある。海外に出ることなんてその意味ではとても大きい。だから一時的な「いくらかかった」というのは時間がたつとほとんど関係なくなる。

さてきょうも疲れました。寝るとします。

Wednesday, 21 March 2018

「スタイルよくて羨ましい」

寒い。3月21日なのにこんなに寒い。きのう寒かったからきょうは少し暖かくなるかなと期待していたけど変わらない。しかも小雨が降っている。こんな春分の日もあるのだ。

さて。faceboookを見ていたら誰かの写真に対する誰かのコメントに「スタイルいい〜 うらやましい」と書いてあった。いやそんなのどこにでもあるコメントなんだろうけどなんかこれが、こう、ひっかかるものがある。

まず1点目、ここでいう「スタイル」という言葉は和製英語だ。手脚が長くてウエストがくびれていて…というような身体的なバランスの良さについてstyleとは言わない。はいでは辞書をひいてみよう。そうすると「様式、型、形式、流派、暮らしぶり」と出てくる。やっぱそうだよね、うん、だから「スタイルがいい」と聞いたり見たりすると、かっこいい生き方をしている、とか、自分にあったいいものをうまく取り入れている、とかそういう感じに聞こえる。少なくとも私には。でも和製英語の意味も知っているから「ああそうかこの人は身体的な分配のバランスの良さについて言っているのだな」といったん脳内で修正する。正しく広まるためにはやはりまだまだ時間がかかりそうな言葉だ。

そして2点目、「羨ましい」ということ。他人知人友人が身体的に美しくてそれが「うらやましい」というその感覚がどうしても理解できない。手脚が長くて顔のきれいな人はもちろんたくさん知っているけど「うらやましい」と思ったことはない。「自分もそうなりたい」ということだろうけど、こうやって「うらやましい」と聞くとその人が、自分もそうなるための努力もせずに「いいなー」「恵まれてるね」「あんたラッキー」「それに比べて私はこんな感じに生まれちゃったんだよ」「だから自分はどうしようもない」「がんばっても変わらない」と、もはや無気力にうらやんでいるように感じてしまう。何の努力もせずに。言い過ぎですかね。

でも、だって、他人なんですよ。自分は自分なのに。「そうなりたいと憧れる」ならわかるけど。他人のことは他人のことで放っておけばいい。自分には自分の頭と身体と人生、生き方がある。そこを分けて考えられないとなると人生羨んでばかりになってしまう。「お金があってうらやましい」「イケメンの彼氏でうらやましい」「英語ペラペラでうらやましい」。巷にあふれるこういう言葉は、やっぱりひっかかるのである。

Monday, 19 March 2018

「機嫌は自分でなおすものだよ」

ツイッターのアカウントは保持しているがもっぱら閲覧用であり特に発信することはない。だったら意味無くないかと言うといやそれが意味あるんです。閲覧しているあいだにときどき自分に「ぴたっ」とくる言葉があるのでやっぱりやってていいことはあるものだな、と。

そこでようやくタイトルに戻る。

「機嫌は自分でなおすもの」

いつだったか、そして誰のツイートだったかも忘れたけどそういうことが書いてあった。つまり誰かに「大丈夫?」と言われて機嫌をなおしてもらうようなことを期待してはいけないと。それができなかったからお母さんは大人になってからたいそう苦労しているんだよ、みたいなことを自分のこどもに向かって言った、という内容だったと思う。

まあ当たり前のことなんだけどこれが妙に「ぴたっ」とはまって、それ以降機嫌が悪くなるとこの言葉を思い出すようにしている。目の前にいる人やものの存在は実際のところ私の「機嫌」とは関係がない。あるように感じるけどない。だから機嫌が悪いのは別に誰のせいでもない。そういう場合はそのままにしていたら誰かを傷つける可能性もあるので限界だと思ったらその場を離れるしかないと思う。(逆に、あきらかに誰かのせいであればそれを直接言うなりして解決策を探ることができる。というかそうするべき。言わないと永久に歩み寄れない。)誰のせいでもないよな、と思ったら機嫌がなおる努力をするべき。さっき書いた「その場を離れる」以外にどういう方法があるか?

・体を動かして汗をかく
・シャワーを浴びる
・アルコール摂取

いずれにせよ「水」に関係している気がしませんか。水の力ってやっぱりすごいんだと思う。アルコールはちょっと違うかもしれんけど。「水に流す」という言葉のとおり。

そして最終的には:

・睡眠をとる

これに限る。機嫌が悪い原因の一つは睡眠不足からくる疲れである場合が多い。そう、そうなんです、疲れているんです。これだけ客観的に考えられているんであれば、今寝ない手はない。ということでおやすみなさいませ。

Thursday, 15 March 2018

もめんやまきのの実力

ブログを書く時はたいてい文章を書いてから最後にタイトルをつける。ところがきょうは逆です。もめんやまきのの実力。この一文が先にうかんでいた。これについて書くぞ、と思って、はい、今から書きます。

きょうは午前で仕事を終わらせ、4月からの認可保育園のためのシーツのための布のための…布、を買いに行った。いや正直なところ本当に見つかる自信はなかった。下北沢のユザワヤは小さくてあまり生地の種類がないということはわかっていた。だから明日、吉祥寺のユザワヤで最終的には見つけるつもりでいた。というわけで今いちど、一応、下北のユザワヤに行ったがやはりピンとくるものはなく。まあいっかと思いながらエスカレーターを降り、5階のダイソーと3階と2階のユニクロを見学して帰る。

そしてまだ時間があったので北口の生地屋さんまで行くことにした。これが「もめんやまきの」である。どこでも見たことないような生地を売っていたりすることがある。個人的にはユザワヤのようなどうせ潰れたりすることはなさそうな店よりも小さい店を応援したくなるのでちょっとした手芸用品(糸など)でも、こういうところで買ったりする。

そしてきょう、運命の生地(とまで言うと大げさかもしれないが)に出会ったのである。めちゃくちゃかわいい。車がかなり大きな柄で使われているが、子供向けというより大人向けである。かわいいと同時にかなりクールである。これでカーテンとかクッションカバーとか作りたい感じ。

私の前にいたアメリカ人(ぽい)カップルが大量に布を購入していたのでかなり待った。それから保育園のシーツの話をしたら、店員さんはものすごく詳しく作り方を説明してくれた。小さい紙を、布に見立てて、ここをこうやって切る、という具合に。そしてどの生地だとどういう利点があるかという話もしてくれた。そもそもミニふとんカバーがすでに作成、展示されていた。

そして私の選んだ生地について「これね」と話し始める。なんと20年以上前の代物らしい。もはや日本中探しても残ってないかもしれない、とのこと。おおおユザワヤにあるわけないよね。「あれこんなのがこんなところに」と思って、店に出してきたばかりだそうだ。「ウッドストック」と言っていたけどそれって何だろう。聞けなかった。40~50歳の男性店員だが、とにかく詳しい。作り方も、生地の種類もものすごくよくわかっている。これぞ布屋さんである。もめんやさんである。

たぶんここにはお得意様がたくさんいるんだろう、と思いながら「もめんやまきの」と検索してみるとなんと昭和29年からずっとある店だという。うおおおお。こういうの大事にせないかんやん。下北はどんどん変わっていって、小さな店がどんどん立ち退いて「クリーン」な感じになってきたけど、このごちゃごちゃ感、失うまじ。なんとしてでも残ってもらわねば。ますます「贔屓にしよう」と思ったのでした。

Tuesday, 13 March 2018

「でんきつけてよ」

暖かくなるかな〜と期待しながら朝窓を開けるとまだ空気が冷たい…ということをこの一週間くらいずっと繰り返している。なかなか「春だ〜」とはいかない。明日こそ、どうでしょうね?

ちょっと今週は忙しい。やることが片付き次第ヒマになるはずなので集中して頑張ろうと思う。四月からまた新しい年が始まる。すでにワクワクしている。

こどもの変化をメモ:

寝るために灯りを小さくするとギャアギャア泣くようになってしまった。怖いのだろうか。

そのことで、どうしてもわからないことが一つある。立ち上がって、灯りを指差し、一生懸命何か言う。この、あかりを消して号泣、というパターンを繰り返すうちに、どうやら毎回必ず同じことを言っているということに気づいた。「ちしゃ!」か「ちさ!」か「きさ!」みたいに聞こえる。電気を指差して涙を流しながら「ちしゃ!」。んー。何だろう?一体なんて言っているのだろう?消したときだけ言うこのセリフ。不思議で仕方ない。いやもちろん「でんきつけてよ」って言ってるのに違いないだろうけど、読み解きたくて仕方ない。気になる。そのうちわかるようになるのかもしれないし今だけの発話なのかもしれない。レコーディングしたいなと思うけどこどもがギャンギャン泣いているときにその余裕はない。

きょうはちなみに、その立って指差しているときにそのまま抱きしめてあげたらすーっとおとなしくなって落ち着いた。相当疲れていたらしい。

たった一週間しか経ってない

ふう、週末か、ようやく、と落ち着いていったん考えてみたら、実家から帰ってきてまだ一週間なのである。たったの?一週間?実際のところ実家から帰るといつも「まだ一週間しか経ってないの」と驚くのだが今回は特に長く感じた一週間だった気がする。たったの一週間か…信じられない。ものすごいいろい...