これから先はヘーゼルナッツとくるみが残っている。
帰宅したあとで、新しい自転車を受け取りに行った。そう、新しいのを買ったのだ。ということはつまりこれまで15年近く乗っていた相棒と別れることになる。これがもはや信じがたく、ここ数日は乗るたびに「もうお別れか」という思いが募った。仕方がないのだ。サドルもブレーキもタイヤもチェーンもハンドルも全部かえてきた。それもボロボロになっていて、ついには心臓部分がすり減り、切り替えがきかない時がでてきて、自転車屋に相談しても修理をすすめられなくなった。いよいよ限界か、と思ってついに購入に至ったのだった。
自転車屋にはピカピカの、新しい私の自転車が届いていた。店に入ったらすぐわかるくらい目立った。
カゴを注文していなかったので、どうしたらいいか話したら、今使っているものを移植できるらしい。時間に問題はなかったのでその場でお願いした。
移植も整備も点検も防犯登録も終わって、いよいよ別れるときになったらちょっと涙が出そうになった。「よくがんばったな」と言って、頭を撫でるように、ハンドルの部分をポンポンとした。「ちょっと写真とっていいですか」と言ったら自転車屋さんが外に出してくれた。ガラケーしか持っていないので、仕方なくそれで撮った。ほんとによくがんばった。毎日往復1時間近くの出勤に付き合ってくれた。雨の日も風の日も、なんなら雪の日も、去年事故にあってぶっとばされた時も、この自転車といっしょだった。週7日で乗らない日は、まずなかった。感傷的すぎるだろうか。「この前、盗まれたんですけど、戻ってきたんですよ」と自転車屋さんにいうと「そんなことがあったんですか〜」と。
実際、盗まれたことも買い替えのきっかけだったと思っている。葬るなら自分の手で、お礼を言って、葬りたいと思った。
自転車を買い替える人たちはこんな気持ちがするのだろうか。
自動車を買い替える人たちも似たようなものだろうか。
自転車屋さんはこういうシーンをこれまで何度かみてきたんだろうか。
新しい自転車は、それはもちろん乗り心地がいい。ちょっと前より重くなった気もする。タイヤが少し太い。その分安全な感じはする。まだ「乗り心地最高」とは言えない。まだ「私のもの」になっていないから。
同じ日、地球の向こう側ではoasisのコンサートが開かれている。歴史に残るレベルだと思っている。
朝、できるだけ新聞を読むようにしている。ニューヨーク・タイムズでは「oasisが今度こそアメリカでうまくいくか」を書いていて、
久しぶりに1ページまるごと読んだ。「欧米」とは言うものの「欧」と「米」はだいぶ異なる、といういい例だ。
土曜は合気道の朝稽古。気持ちよかった。エアコンがきいているのにすごい量の汗をかいた。
日曜はプールと、いつものレストランと、韓国ドラマと、バーガーキング。週末はこうあるべき。土日とも、バナナブレッドを焼いた。軽いのであっという間になくなる。砂糖は15gに減らしてみたけど、じゅうぶん甘い。もしかして砂糖はいらないのかもしれない。