Tuesday 30 July 2019

『新聞記者』を見た

「新聞記者」を見てきた。はたして邦画を映画館で見たことなんてあっただろうか、と思ったけど思い出せない。たぶん初めてなのだ。

映画はいつか見に行かなきゃなと思って結局見ないというパターンが多い。そして「割引の日にあたらなかったから」とか「それほど面白そうじゃなかったから」とか自分のなかで理由をつける。しかしながら、この映画については、どうしたことか、腰が上がったというか、見に行くことが義務のような感じがしたのだった。

望月記者を応援していたというのもある。怖いもの見たさというのもある。おもしろそう、というよりは「見なきゃ」と思った気がする。たぶん。

結果:
いい映画を見た。フィクションではなく現実だと思って見たから余計に緊張感があった。小さな映画館だったが上映後に拍手が起きた。意外なほどに年配の方が多かった。私の両隣はおそらく60前後の男性。

政治に関することを話すことさえタブーみたいになってきたこの世の中で、主役を引き受けたシム・ウンギョンと松坂桃李は素晴らしいと思った。

シム・ウンギョンについて:
望月記者ほど颯爽としたイメージではなく、むしろ猫背でオドオドした感じがしたのだがそれが逆によかった。後から気づいたけど、韓国映画の「サニー」の主役を演じた俳優である。彼女がどういう経緯でこの役を受けたのかわからないがきっと日本人女優でokを出す人がいなかったのではないか、というのは想像に難くない。

松坂桃李について:
私は普段からテレビも邦画も見ないため日本の芸能情報については知らないことだらけである。松坂桃李という俳優がいることは知っていたものの特にその特徴も、どういう演技をするかも知らずにいたのだが、この「新聞記者」に出ているというだけで(私のなかで)いっきに格が上がった。事務所その他、コントロールする存在はあるだろうが結局のところ演じるのは本人である。本人の決断があったわけだ。たぶん勇気がいることだったかもしれないしこれで敵を作る可能性も考えたかもしれない。こういう俳優がいるのだということに安心させられた。そして結構な演技力だった。途中で私も泣いてしまった。

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見ている間ずっと、村上春樹の「壁と卵」のスピーチが頭にあった。
Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg, I will be standing with the egg.
「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」

どうしたって動きそうにない権力を前に、どういう行動をとるのか。「王様は裸だ」と言えるだろうか。自分に問う。この国にまだ、こういう映画を作れる場があることを嬉しく思う一方で、「新聞記者」がメディアで報道されていないという事実が、まず怖い。そして映画に描かれているようなできごとは現在進行形なのである。

もっとこの映画が多くの人に見られますように。海外にも出ていきますように。そのきっかけを作ってくれている俳優、ありがとう。フィルムメイカーズに拍手。言いたいことを堂々と言える世の中になることを切に願って。

Thursday 18 July 2019

つれづれ

久しぶりに5:30に起きた。

ここ数日どうもイライラが止まらない。来週に三日間連続の研修が控えているからかもしれないし、疲れてるのかもしれない。天気が良くないせいかもしれない。それにしてもイライラし続けている気がする。こういう時はどうやったら解消されるのだろうなと思うのだが何かにあたってもイライラは増大されるだけである。鏡を見ても、いつも顔がこわばっている気がする。なんだかいろいろうまくいかない感じ。

ストレスフリーな生活をしたことがあるだろうか、と考えてみるとやっぱり一人暮らしのときは気楽だったような気もする。仕事を除けば好きな時に好きなことができたし、行きたい場所に行けた。自分を制限するものや条件がいっさい無かった。一方で、このまま子どものいない人生なのか、という行き場のない不安もあったかもしれない。

当たり前だけどこどもがいると自分の時間が取れない。例えば100円ショップに行きたいと思ってもそれさえ叶わずに1週間も2週間も過ごすことも多い。美容院や病院となると、計画的に予約等考えておかないと何ヶ月も行けなかったりする。というわけで昨日の夕方、1時間だけ自由時間を持つことができた。100円ショップに行き、ユニクロに行き、さらに今月はじめに修理を依頼していたリュックが直ったので取りに行った。買ったのが2004年だからかれこれ15年になる。修理代は6480円もかかったけどそれでも新しいのを買う気にはならなかった。

長く続いた頭痛はもうすっかり治った。完全にスッキリするまでだいぶ時間がかかった。あれは一体なんだったのだろう。

雨や曇りの日が続いている。昨日は降らなかったしひさしぶりに太陽を見た。暑くてヒーヒー言っているよりはマシかなと思いながら過ごしているが、ここまでどんよりした空が続くとさすがに気が滅入ってくる。去年の今頃は気分が悪くなるほど暑かったと記憶している。もう少し夏らしくてもいいかも。

Thursday 11 July 2019

東京に戻って

火曜日に東京に戻った。3泊4日は短いながらもちょうど良い期間の滞在だった。気分転換と休養の意味ではとてもよかった。もちろん移動にはお金も労力もかかるが得るものは同等かそれ以上の価値があると思っている。意識的にこういうタイミングをとらえるようにしないと時間はあっという間に過ぎて行くのである。もちろん健康状態によるが。月、火と働いていなかった分、昨日は集中して終日働いた。

先週からずっと抱えていた頭痛だがだいぶすっきりしてきた。薬を飲んだり飲まなかったりして過ごしているがそろそろ大丈夫になりつつある。原因は分からないけど圧迫されるような感じとか奥歯の疲れたような感じとかが特徴的。蓄膿症みたいな感じではないかと思っている。

東京は涼しい。雨は振らないけど太陽も出ない。まあ心地よいと言えば心地よいが、7月ってこんなんだっけ?

こどもは元気に過ごしている。朝起きてから1時間ずっと一人で話しながら車で遊んでいる。「特にギミックはありませんけど〜」とか「うしろに解説がついてますね〜」とかいうセリフはYoutubeからきたものだ。そんなしょっちゅう見せているわけでもないのだけど…

Saturday 6 July 2019

日伊言い間違い

我が子はバイリンガルである。イタリア語と日本語のどちらも話せて、聞いて理解ができる。今の所、どちらの言語もバランスがとれていると思う。干渉が起きているようには見えない。言えることの範囲としてはやはり日本語のほうが広いかもしれない。というのは日常生活においては日本語話者と会う機会が圧倒的に多いし、なによりも保育園でのことばは日本語である。以前は保育園でイタリア語をしゃべって先生が「わかんなーい」と困る、ということがよくあったがここ半年くらいはそれがなくなり、パキっと使い分けるようになった。

どの言語でも言い間違いはあるのだが、最近かわいいと思ったイタリア語の、特に動詞の言い間違い(イタリア語が分かる人にしか面白くないとは思う)を忘れないうちにメモ:

・dico,dici,dice(言う)の原形がdireではなくdicereになる。
・va via(行ってしまう)の過去形がe' andato viaではなくva viatoになる
・pulisco,pulisci,pulisce(掃除する)の原形がpulireではなくpuliscereになる
・andare(行く)の三人称単数がvaではなくandaになる。"Dove anda?"など。
・l'autobus(バス)がlaptus

イタリア語は原形と、それ以外の形(二人称、三人称など)が全然違うものがたくさんある。たとえばdiceの原形がdireだとは習わない限り分からない。andareなんてもっとそうだ。誰がvado,vai,vaとandareが同じ動詞だと思うだろうか。

それでも、自然と身につけるとこういうことになってしまう。つまり、三人称、二人称あたりから原形を推測して自分で形をつくりあげる。だからVuoi dicere?とか言う。間違える姿を見ながらほとほと感心してしまう。私自身もイタリア語学習経験があるので興味深くて仕方ない。ほほー、と思いながら見ている。あまりにもかわいいのでそのままにしておきたいくらいである。

ちなみに日本語の言い間違いもいくつか:

・クロネコヤマト→くろやまとねこ
・きんぴら→ぴんぴら
・ふみきり→ふきみり(これはもう直ってしまった)

正しく直るとちょっと寂しいのが本当のところ。

Thursday 4 July 2019

左頭痛

こどもの熱は下がった。36.7℃。よかった。

私は、熱はないものの昨日の夜に頭の左側の痛みが強くなってきた。それから寝て、少しましになったもののまだ痛みは残る。昨年あった、体の「こり」から来る頭痛だと思っている。あとはここ最近の風邪の影響で左側だけやや蓄膿症気味とか。昨年4月の症状によく似ている気がする。あの時は涙が出るほど辛かったのだが今回はそれほどでもない。とにかく今朝は、きのう9時に寝ているにも関わらず6時過ぎてもまだ眠れる感じだった。

だいたい体調を崩すのは学期末である。Facebookが見せてくる「去年の今日は」みたいな情報によるとだいたいこの時期に「咳が止まらない」とか書いている。エアコンの使い始めにめっぽう弱くなってしまった。

明後日からまた少しだけ実家に帰る予定なのである。完治させたいがやらなきゃいけないことも多いこの季節。バランスのとりかたが難しい。

Wednesday 3 July 2019

こども発熱、ジレンマ

朝6時。こどもが起きてきた。「まぶしい」と言いながら目をつぶって私のところにきた。いつもよりおとなしい。なんとなく熱かったので熱を測ると37.5℃。保育園行かない方が良さそうだなと思った。しばらくしてもう一度測ると37.1℃。土曜夜に一度熱が出てから完全に回復していないらしい。

きょうは幸い、朝ひとつ試験監督があるのみなので早く帰って病院に連れて行こう、と決めた。ただ、保育園に行かせるかどうかはまだ様子がはっきりわからず決められない。

行かせてみて、調子悪ければ戻ってくるってことでいいんじゃないか、ということになり、7時半ごろ私は仕事にでかけた。試験監督が終わってから携帯を見ると、イタリア人からメッセージが。やっぱり38度になったので保育園行かずに家にいます、との連絡。ああやっぱりそうか、と思い9時20分ごろ保育園に欠席連絡。

最近食欲なかったしな、とか、トイレ拒否からの便秘状態が原因かもしれない、とか思いながら自転車をこいで家へ。「オレンジジュース飲みたいって言ってたな」と思い出してスーパーでオレンジジュースと、くだものゼリーを買っていった。

ぜえぜえ言いながら家に帰るとこどもはぐっすり眠っていた。起きたら病院に連れて行こう、と思いながらソファに座ると頭がくらくらした。ここ最近私も調子がよくない。鼻水がとまらないのと、咳が出る。エアコンの季節の始まりは毎年こんな感じになる。そしてきょうは暑いうえに、急いで自転車をこいだので頭が痛くなったのだ。少し休んだ。

こどもが具合悪くなると、全面的に責任がのしかかってくる。選択、判断、決定の連続。そもそも具合の悪いこどもの姿を見るだけで精神的にストレスがかかるのだ。

さらには自分のしなければならないこともある。まずは仕事。どれくらい優先させるべきことなのかを自分のなかではからなければいけない。あちらこちらに申し訳ないと思いながらも、どこかのタイミングで、バサッと思い切る必要がある。周りにどう思われる、とかはもはや心配しないし気にならない。問題は、集中したい仕事がある場合だ。絶対に代わりのいない仕事だとわかっていて、切り捨てることはできない。まさにジレンマなのである。

まあこういうときに人間の深みは増し、人生勉強していくのだろうな!そしていろんな立場にいるいろんな人たちの気持ちに近づくことができるようになるのだろうな!

と思いながら過ごす7月3日の午前中でした。

早くよくなれ〜。

Tuesday 2 July 2019

たんざくにお願いごと

保育園に用意してある笹の葉に短冊をつるすことになっている。(配られた短冊は運動会用の何かだと思っていて運動会に持っていったのだが誰も使っておらず、「?」のまま持って帰ってしばらくして「あ、短冊か!」と判明した。)

昨日の朝はめずらしくこどもが8時過ぎまで寝ていた。普段起きるのは6時半くらい。起こさねばと思いながらもこれだけすやすや眠っている姿を見るとどうしても「そうか疲れていたんだろうな」と思うし、寝姿はもはや天使なので、起こすのがためらわれる。

そんなこんなで起きたあと、ヨーグルトとさくらんぼを食べている我が子に「おおきくなったら何になりたいの」と聞いてみた。

すると即答:

「大きくなったら、ちっちゃくなる」

爆笑した。もうそれ以上聞かなかった。そうか。そうなのか。ほかの願い(しょうぼうしょに行きたい、救急車見たい、いすず見たい)も聞いて、短冊に書いてあげた。子どもの心ほど美しいものがあるだろうか、と思う。フィルターのかかってないまっすぐな心。

ところで最近思ったこと。

どうして人は「鍛えよう」とするのかなあ、と。靴を一生懸命履こうとしている子どもに手を貸さずに見ていたり、わかっていても答えを教えなかったり。相手が子どもに限らず、である。

私もそうしていたときがあったかもしれないとここ2、3年のことを思う。こどもが助けを求めるかどうかによるが、なるべく助けて甘えさせてあげれば良いと思う。私自身がやたらと鍛えられて育ったので、そのプラスもマイナスもわかる部分がある。

きょうは雨。1日元気で、なにごともなく過ごせますように。

Monday 1 July 2019

週末のこと(運動会と発熱)

こどもがかわいい。それはそれはかわいい。もうかわいくて仕方ない。時よ止まってくれ、と思うくらいかわいい。しっかり意思疎通ができるので、例えば半年前などと比べるとお互いにストレスが減った。

どんなに願っても時は止まってくれないので、その時、その瞬間を精一杯に生きてありったけの愛情を注ぐしかない。

土曜日は運動会だった。小雨の降る中、小学校の体育館を借りて行われた。一番最初に参加した運動会から数えるとこれで3回目だが、だいぶ成長したなと思う。出番が終わったら帰って良いので、実質1時間半ぐらいで終了。1歳とか2歳とかの小さい子たちにはありがたい。お昼にはpizzaを食べて、そのあとはろくに昼寝もせずに過ごした。

その日の夜、子どもが寝ている間にちょっとおでこを触ってみたらとても熱かった。金曜か土曜の夜に発熱、というのはありがちなパターンである。昼寝もしないから疲れがたまっている。

翌朝、起きてきてからはだいぶ疲れきった様子だったのだが、運動会のごほうびにもらったジュースを飲んだらすっきりしたのかだんだんと元気になってきた。熱は37.7℃。朝ごはんはそれほど食べなかったが、元気なことは元気。結局、日曜はいつもとそれほど変わらず過ごすことができた。

ただしどんなにかわいくても、だが、丸一日一緒に過ごすのが大変だということは変わらない。もちろん以前よりはだいぶ楽になってきた。(以前は、この子とあと3時間この部屋で一体どうやって過ごすんだろう、というのが毎土日のことだった。)だけど同じ相手と24時間いるというのはそれが大人であれ子どもであれ疲れることだと思う。

というわけで、1日のうちの2、3時間は自分のために使う。土曜の夜は合気道に行き、日曜の午後はプールに行ってきた。程よい疲労感とともに昨日は、おそらく子どもより先に、9時前に眠りについた。睡眠がすべて、である。

ところで1ヶ月くらい前、鏡の中の自分を見てびっくりした。というのは、肩から腕にかけての筋肉がすごい。ムキムキである。水泳の効果、と言っても毎日泳いでるわけでもない。週に1回、30分泳ぐだけ。水泳に加えて、子どもを抱える動作のおかげもあるのかもしれない。これは一体なんと言う筋肉なのだろうと思って調べてみたら「三角筋」というらしい。あまりムキムキになりたくはないのだが、筋肉はないよりもあったほうがいいのは事実。

いっさいはんは最強

 1歳半。 めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、た...