Friday 20 December 2019

届いたもの2つ:カゴとイタリア食材

11月末ごろから自分のなかで年末感がとまらない。あくまでも自分のなかで、である。ひとつ、仕事での大きなイベントが終了したあたりから「やれやれ今年も終わりだ」という感じになった。まだ終わっていないのに。東京離れてゴロゴロすることしか考えていない。ややエネルギー切れ感もある。息抜きになるような小旅行も11月のはじめに終わってしまって、そのあとは淡々と日々を過ごしているがだんだんと息切れしてきた。ちょっと空気を変えたいのです。

12月中旬を過ぎて本当に「仕事納め」感が出てきた。やるべきことを、慎重にこなしてみんなに挨拶をしたらこれで本当に仕事おわり。いったん、息をつきたい。

日々いろんな人のブログを読んでいるがそこで出てきた「コットンロープバスケット」が欲しいと思った。要は、ロープをぐるぐるさせて作ったカゴである。

用途は、というと、「一度着たけど洗うほどでもない服」の置き場として。これ、困りませんかみなさん。適当にコート掛けに引っ掛けたりとかしていたんだけどさすがに冬はそういう服の量が増える。そんなに毎日洗うわけでもない。かと言ってほかの服と同じようにたたんでしまうほどでもない。この行き場に結構長年困っていた。

もう一つは、洗濯して干して乾いた服をたたんだ後にしまうとき、手で抱えるのだがだいたい崩れてしまったり一気に運べなかったりするので、たたんだ場所から引き出しにしまうまでの運搬(?)用として。

というわけで買いました。コットンロープバスケット。sarasa design storeのものにした。送料とか考えてたらええい2個買ってしまえということでMとLの2種類買った。昨日届いたばかりなので使いごこちはまだわからんけど、意外と小さかった。想像していたのはもっと大きかったので。とりあえず毎日きているカシミヤのセーターとかユニクロのズボンとか、しばらく洗わないであろうリーヴァイスのコーデュロイパンツとか突っ込んだ。いずれにせよちょっと片付いた感じはする。

これまた別の話。ここ数日でイタリアから2箱荷物が届いた。一つは大量のクリスマスプレゼント。もう一つは大量の食べ物。「やったー♪」である。純粋に。クリスマス前のイタリア食材は本当に嬉しい。こどもはパネットーネの箱をみて速攻で飛びつき「おにもつうんぱんだよ、うんぱん♪」と言いながらテーブルに運んでいた。「夜には食べないんだよ」というイタリア人の言うことも聞かず。というわけで昨夜、通常夜に食べるものではないパネットーネをこどもとわいわい言いながら食べた。ああ美味しい。シンプルさとおいしさの両立でイタリアに勝てるのはないなとつくづく思う。

そういえば最近イタリアについての面白い本を読んだのだがこれはまた次回。

Tuesday 10 December 2019

LED電球で世界変わる

月曜は仕事休みだったので長めの週末が明けたような感じである。

日曜、久しぶりに合気道に行けた。水泳とは違って筋肉痛という症状が翌日出るがこれがまた心地よい。

昨日、スーパーに行った時のこと。「電池・電球2割引」とあった。ふーん、と思いながら値段を見てみた。LED電球の値段が手の届かないレベルではなかった。買う予定ではなかったのに買ってしまった。電気屋で買ったほうが安いのではないかと思いもしたけど試しに一個買ってみて損はないと思った。七百円くらいで、一つ。トイレの電気の反応が遅かったよなとか思い出したし。

で、帰って取り付けてみたら世界が変わった。照明ってこんなにまで大事だったとは。試しに洗面所の電気を変えてみたところ別の家かと思うくらいに雰囲気が変わった。こんなことならもう一個買っておくべきだったな。

全部とは言わないがLEDじゃない電球をLEDに変えることにして、yodobashi.comで三つ頼んでみた。そこではじめて口金の大きさについて学んだ。そうかこうやって測るのか。

ヨドバシはしっかりしている。送料も無料な上に翌日に届き、さらにポイントは10パーセント還元である。どうしてみんなアマゾンばかり使うのか??

というわけできょうの夕方電球が2個届く。楽しみだ。

Saturday 30 November 2019

Such a sweet age

当たり前だけど、小さな3歳にはたくさんの「はじめて」がある。

はじめてのたい焼き、はじめてのプール、はじめてのロマンスカー…

数えだしたらキリがないけどそれらを体験させてやること、あるいは体験させてやろうと思う瞬間のこちらの喜びはとてつもないものがある。大したことなさそうなことでも、「あ、これは一緒にやったら楽しいんじゃないか」とひらめくその時、飛び跳ねたくなるくらい嬉しくなる。

というのも、私にとっても「はじめて」なのである。

以上は「はじめて」について。それに限らずとも「きょうはおいしいもので喜ばせたい」とか、日々思う。大したことなくても、出前のそばを注文する、とか、一人ではやらないようなイベントを企画したくなる。

これほどまで無条件に、損得勘定なしで献身したい、なにかを与えたい、と思ったことはなかったと思う。

ある日、この世にひょこっと現れた、こどもという存在。やわらかい肌に触れて抱きしめるたびに、こういう種類の幸せがあったのだなと思い知る。

当然、疲れていて笑顔さえ出ないときもある。それでもこの子の存在にどれだけ救われているのだろう、と思う。ありがとうとしか言葉が出ない。

本当に、毎日を大切に生きよう。つまり、やりたいことはすぐやろう。まずは自分のことを大切にしよう。いい空気が巡るように、身の回りを整えよう。いつも心にスペースを。

Friday 29 November 2019

おしまいの季節

先週大きな仕事を終えたらもう気分は年末へ直行だ。毎日のように実家でごろごろする日々を夢見ている。冬休みはまるごと東京にいない予定なのでしっかりごろごろできるはず。

きのうも一つ、終わりを告げたものがある。長きにわたり今年のはじめから受け続けてきた研修が最終回だったのだ。参加者も早く終わらせたくてうずうずしていたのがよくわかった。平日の昼間にこの意味のないことをやらされてはっきり言ってたまったもんじゃないのだ。バカにしないでくれと言いたい。そんな研修もきのうで終わり。

やることはまだまだあるのだが、そんな感じでだんだんと終わりに近づいてきた感じがある。おしまいなのだ。一年はこれでおしまい。切り替えと入れ替えの時期。4月みたいなワクワク感はないけどとりあえず一旦お疲れ様でしたという感じ。

少しカタがついたら、会っておきたい友達に冬休み前に会うし、ぶらぶら買い物したり美味しいもの食べたりしたい。風邪ひかないようにたくさん寝ることだけは優先順位第一位で。

Tuesday 26 November 2019

笑顔になれる場所

個人的だがいろいろと問題があり、せっかくの休みだったきのうはぐったり疲れてしまった。久々に水泳に行けたので良しとしたい。

気が晴れないときに友達と話すとか、いろいろな解決方法はあるのだが根本的な解決にはならない。で、最近気付いたことだが、保育園っていいなということ。

子どもの送迎は任せることが多く、私は毎日保育園に行くわけではないのだが、ある程度の、確実な元気をくれる場所である。こどもたちの甲高い声が響くあの場所にはポジティブなエネルギーしか感じられない。どれだけ浮かない顔をして行っても、園内にいると必ず笑顔になる。

当たり前だが山ほど子どもたちがいる。自分の子以外ともたいてい「げんきにしてる?」「この服かわいいね」とかその程度ではあるけど会話をする。ぴょんぴょん跳ねながら行ったり来たりしている。笑顔にならないわけがないのだ。この子たちの未来は明るい、あるいは明るくあれ、と切に思う。

そこに明るい先生たちがいる。これほんとにずっと思っているんだけど、保育士さんってすごくないか?こんな明るくて前向きな職業人たちを私はほかに知らない。高く、よく通る声で「おかえりなさーい」と、しかもとびきりの笑顔で声をかけてくれる。

保育園に通わせはじめたのが子ども0歳11ヶ月の時。最初は認可外で、それから認可にうつり、さらに統合されて新校舎に移り、仲間も先生も変わったので現在3種類の園を体験したことになる。「○○組」の呼び方も以前から変わった。おかげさまで我が子はたくましく、健やかに育っている。

3年前まで未知の世界だったのだ、保育園なんて。子どものおかげで笑顔をくれる場所ができたのだ。というかそもそも笑顔をくれるのはいつも我が子だけど。

さて、今日こそ晴れますように〜。

Monday 25 November 2019

学祭・時は流れる

土曜日で仕事の大きなイベントが終わり少しホッとした。特にこの一週間、このために集中して考えることが多かった。ようやく肩の荷が降りたというか、別のフェーズに入った、というか。縛っていたものがほどけた、というか。自分のために何かご褒美をあげたいような気持ちである。もう冬休みに入っちゃっていいな。郷里に帰ってみかん食べたり本読んだりごろごろしたい。あと一ヶ月か。

ふと、フェイスブックの友達一覧を見た。だいたい200人前後が登録されているが、もはや現実世界で、いや、そもそもやりとりのない人が8割以上である。そして今後、もしかしたら一生会わない、あるいは会おうとしないだろうという人はその半分以上。

そんなものなのだ。時が経つということは。それぞれの生活があり、個人を取り巻く色々な状況により考え方も生き方もだいぶ変わってくる。

昨日は子を学祭に連れて行った。なんだかんだで0歳の時から行っているのでこれで4回目である。毎年、連れて行きやすくなっているし荷物も減っている。ミルクがいらなくなり、オムツがいらなくなった。たいてい歩き疲れるのと、私の思うように動きたいためにベビーカーがいまだに必要である。が、これもそろそろいらなくなってくるのだろう。

自分が通っていた大学にこどもが遊んでいるという景色はなかなか感慨深いものがある。歴史を感じる、というか。時は流れる。

3歳でできることはだいぶ限られているので毎回ながら滞在時間はそれほど長くない。焼きそばや甘いものを食べて帰る。本当に、行って帰ってくるという感じだ。ちなみに子にとっては、学祭自体よりも、その道すがらにあった消防署のほうが印象的だったようだ。(シャッター外からずっと見つめていたら隊員がシャッターを開けてくれた。)

夕方から短い仕事が一つあり、外出した。珍しく池袋に行ったので、毎年恒例のケーニヒスクローネで栗あずきのパイを買って帰る。

Thursday 21 November 2019

体調不良

体調がよろしくない。昨日の午前中からなんだか胃のあたりがおかしい。帰ると寒気もした。なんと昨日の夕方6時半から今朝6時までずっと寝た。途中少し起きたりはしたけど、だいたい寝ていた。今朝は…ちょっとマシだがやっぱりなんか変だ。きょうと明日と明後日はやらなければいけないことが多く、すべてをこなせる気がしない。きょうあたり休みをとれたらいいのだろうけど…。昨日は午前中から何も食べていなかった。さっきようやくりんごを食べてみた。きゅうに寒くなったので調子が狂ったのかもしれないしやること多いがための精神的負担からきている胃痛なのかもしれない。だましだまし今日を終わらせられると良いが。どうだろう。

Sunday 10 November 2019

ピアスをなくす季節

先日同僚が私のピアスを見て一言:

「あ、それはデンマーク王室御用達のものではないですか?」

驚いた。自分で作った240円のピアスだったからだ。

はははと笑って違いますよと答えた。マーガレットかデイジーの形をした大きめのピアス。見る人が見ればすぐ分かるのだろうが9割の人にはそんなこと関係ない。遠目だと余計にそうだ。

その後わざわざ同僚はパソコンを持って私のところにきて「これですよ」と画面に表示されたそのピアスを教えてくれた。確かに形がよく似ている。値段はなんと3万円。「そう見えるならデンマーク王室御用達ということにしておきます」と冗談を言いながら笑った。

ピアスやイヤリングというものはどうせなくす運命にあると思っている。そしてその季節がやってきた。マフラーやスカーフに引っかかるのである。後ろから留め具をしておかない限りどんどんなくなっていく。これまでいくつのピアスをそうやって失くしてきただろう。

そういうこともあってピアスにはお金をかけないことにしている。ほかのアクセサリーはそんな簡単になくならないけどピアスだけはお金をかけても無駄になることがあるのだ。

そういう話をしていたらそれを聞いた同僚が「そうなんですね!心にとめておきます!」と言っていた。ちなみに彼はもうすぐ結婚するのである。

ピアスをなくす季節ではあるが、この季節が好きだ。空気がピリッとしていていい。朝日が昇る前に起きて紅茶を飲むのが楽しみ。そういえば今年はなんだか紅葉が遅い気がする。

Wednesday 6 November 2019

ヒートテック毛布

だいぶ寒くなってきた。いい季節である。空の高さと空気の爽やかさがなんとも言えない。朝日も夕日もとにかく綺麗に、よく見える。日が暮れるのが早いのは切なくもあるがその分「家で何やろうかな」と考えるのが楽しみだ。読書とか、写真の整理とか、家でこそこそ何かをするのは小さい頃から好きなタイプの人間である。そしてこれから年末にかけては、クリスマスやお正月が控えていてたいてい楽しい雰囲気になる。

ユニクロのウェブサイトでしょっちゅう、何がセール中なのかなと物色しているのだが、割引でもなくて最近思い切って買ったものがある。毛布だ。ヒートテック毛布。これ絶対あったかいぞ、とわかっていたのだけど絶対必要なものでもなかったので買うには至らずにいた。持ち物増えるだけだしなあ、と。それでも、である。どうしても一度触って見たかったのと、今ある毛布は重くて結局使っていないのもあり、思い切って買った。

結果、大正解。本当にあったかい。さすがヒートテック。ちなみにシーツとふとんカバーもユニクロを使っている。こちらはエアリズム。夏用かと思いきや年中使えるし乾きやすさと気持ち良さが半端ないのでここ数年ずっとこれ。エアリズム寝具への信頼があったのでヒートテック毛布は間違いないだろうという確信があったのです。

保温力は言うまでもなく、軽い。洗濯も簡単にできそうな感じ。こうやっていいものを発見したら昔のものから移行すれば良い。本当のお気に入りにだけ囲まれて暮らすのは幸せなことだ。

Monday 4 November 2019

鎌倉一泊

子を連れて一泊二日で江ノ島と鎌倉に行ってきた。幸い天気もよく、子の鼻水は垂れつづけているものの熱が出ることもなかった。

初めてロマンスカーに乗る、というのが今回の目玉のひとつであった。ホームでしばらくロマンスカーを待っていたところ、青いロマンスカーが現れた。子は、ニコ〜と笑った。子の嬉しい姿を見るのがこちらもこんなに嬉しいなんて。少し緊張した感じで車内に入った。子は「よし、お弁当食べよう!」と張り切っている。使えもしないのに箸を持っている。手で掴んでそれを箸に渡し、手でおさえるようにして口に運ぶ。うんうんと頷きながら「おいしいね」と言った。すべてにおいて「いっちょまえ」な感じがするのがもう可愛くて仕方ない。一生懸命なのだ。これだけでも十分に連れてきた価値があったと思った。

あっという間に片瀬江ノ島に到着。水族館に行ってみたものの、人が多いのと暗いのと暑いので思うようには動けなかった。それでもクラゲとエイとペンギンはきちんと見られた。そして「すいぞくかん」というのは自分も水に入るところだと思っていたらしい。巨大な水槽を見て「水族館に行きたいよう」というので、違うよ、水族館は泳いでいる魚を見るだけだよ、と説明したがもうグダグダしはじめたのでさっさと外に出て海岸で遊んだ。これが一番楽しそうだった。やっぱりこの自由が必要だよなあと眺めながら思う。ほかの子供達も楽しそうにはしゃぎ走り回っていた。

それから電車に乗る途中でソフトクリームを買ってあげた。夢中で食べ続けて結局ほぼ全て一人で食べてしまった。満足だったようだ。こうやっていろいろな味を覚えていくのだなあ。

どうにかこうにか江ノ電に乗ったものの人がごった返していて車窓からの眺めはまったく楽しめず。降りた後もすごかった。

宿に着く直前にコンビニで何か買おうということになり、入って見るとすぐに子がつぶあんぱん5つセットを手に取った。それからオレンジジュースと、私のためのビールを買って宿にチェックイン。

部屋に入ってすぐ、窓の方にある椅子に子が座り「おやつパーティしよう〜」と言う。ニコニコしてかわいい。そうだね、おやつパーティだね、と言って一緒に座る。よくここまでわがままも言わずについてきたなあと感心しつつ一緒に休憩。

大きなお風呂に入り、夕方にはごはんを食べて、珍しくテレビを見ているうちにこどもは眠ってしまった。精一杯なのである。一緒にきてくれてありがとう、と寝顔を見ながら思った。

こういう一瞬一瞬を覚えておこうと思うのだけど日々は過ぎて行き、新しい出来事がやってきて、あっという間に上書き保存されてしまう。仕方ない。そんなもんだ。巻き戻しのできないこの時間を精一杯に過ごそうと思うのである。

Saturday 2 November 2019

前もって計画しておくこと

久しぶりに合気道に行くことができた。やっぱり汗をかくのは気持ちがいい。子供が生まれてからは月に一度、行けても二度、くらいなものだが、それも安定といえば安定なのである。やめようかなと思うこともあるけどなんだかんだで月1回は行けている。合気道始めてどれくらいかなと帰り道に考えてみたらかれこれ4年半がたつ。早いものだ。

9月から10月にかけて頻発するこの三連休をどう乗り切るかというのは大きな課題である。平日の忙しさをどう乗り切るか、よりも重大であると思っている。10月のやることリストには「11月の連休の過ごし方」というのがあった。懲りたのである。煮詰まるのである。3人で三連休はもはやつらいのである。度重なる三連休で、少なくとも今年に関してはいい思いをしたことがなかった。だから10月に、11月はなんとかしなければと思っていたのである。

10月のある日、もう無理だと思って勢いで、一度泊まったことのある鎌倉の旅館に電話をしてみた。11月の連休に空きがあるかどうか。日曜と月曜なら空いていますということだったので値段もきかずに「じゃあおねがいします」と言った。というわけで明日は子供をつれて一泊しに行く。

もしかしたら天気が悪かったりとか、体調が悪かったりとか、あるかもしれないけどこういうのは早めに計画を立てておくに越したことはない。予約が必要なものに関しては本当に、そう。このスタンスでいくと最終的には、失うものより得るものの方が大きい。

ずっと前に、高校生用に組まれたプラネタリウムで言われた言葉をよく覚えていて、時々思い出す。

「みなさん、冬休みの予定はもう立てましたか。冬休みの予定は、夏休みに立てておくんですよ。春休みの予定は、冬休みに立てておく。時間はあっという間に過ぎていきますからね」

私自身、人生を振り返るとその場で判断して行き当たりばったりで決めることがとても多いのだがそれと同時に立てるべき予定は確実に押さえておくタイプでもある。ある意味バランスが取れていると思う。その証拠に12月、来年1月、それから3月まで航空券購入済みである。それにあわせて動いて行けばいい。

Thursday 31 October 2019

友人に会う、子の夜泣き

昨夜は友達に会った。平日にこうやって会える相手は結構限られている。皆仕事や子供の世話で忙しいからだ。いや、平日じゃなくても皆忙しい。それでもこうやって会えるのは本当に嬉しいことだ。

ところで今、最高にいい気候だ。朝も夕も自転車に乗ったときの爽快感がなんとも言えない。ただ、10月のこの気候は残念ながら一瞬で終わる感じがある。今を満喫しておくべし。

いい気分で帰宅した昨夜、子どもがちっとも寝付かず困った。いったんは寝付いたのだがそれからまた起きてきて泣き出す。「耳がかゆい」と言う。そのあともずっと泣いていた。こんなことは滅多にない。少し寝たかと思うとまたすぐにギャーと聞こえる。なんと1時半までそんな状態。寝たい時に寝られないとこちらもストレスがたまる。参ってしまった。具合が悪かったのか、なんだったのかよくわからないが結局私はいつもの時間に起きこのとおりの寝不足である。なんなんだろうな。

そんなこんなできょうもはじまります。

Sunday 20 October 2019

日常から離れてそれを客観的に見る

郷里に戻っている。22日が祝日ということを知ってすぐ21日を休みにすることに決めて、何か月も前にチケットを購入しておいた。チケットを買う時点では、10月にどんな仕事を抱えているかもわからないし子どもも私も体調がどんな感じかは想像もつかないのだが、こういうときは覚悟を決めてスパッと購入してしまうに限る。絶対に逃がせない予定が未来にあればそれに向けて人は行動するものだから。仕事があるなら出発前までに片付けておくよう日々努力するだろうし、体調を崩す可能性があるなら(そんなの人間だから毎日あるけど)体調を崩さないように体調管理に日々気を付ける。で、幸い何事もなく、飛行機に乗ってここにやってくることができたのだ。

ほんの数泊でも、そしてお金と時間と手間がかかっても、少しだけ日常を脱することの意義は大きい。これまで何度もそのことを実感している。日々のゴタゴタから解放されて日常を少し客観的に見つめる機会になる。ゴタゴタと言っても、実際は大したことないのだ。詳しく説明しようと思っても、あれ、何がゴタゴタしてるんだっけと思い出せないくらいの、きわめて些末な日々の出来事である。些末な問題の連続。

子どもは祖父母に会えることが嬉しくて仕方ないらしく、飛行機が着陸してからも窓からずっと「おじいちゃんおばあちゃんみえる?」と言い続けていた。そして飛行機を降りてからゲートに向かうまで笑いが止まらずにいた。そのワクワクっぷりが想像以上で、少し驚いた。そうか、そんなに嬉しかったのか。今は庭をのびのびと駆け回っている。

やるべき仕事をひとつ持ってきたのでこれをさっさと片付けることにする。

Saturday 19 October 2019

ヨークシャー・ティーの季節

かれこれ10年以上、ありとあらゆるものに対する志向と思考を、ほぼ無意識のうちにヨーロッパ、とりわけイタリアに影響されながら生きている。自分でもこんなことになるとは思っていなかった。

そんな私にも確実に残っている「イギリスっぽさ」がある。


紅茶だ。


この程度のことで「ぽい」と呼んでいいのかどうか、とも思うが、ほぼ身体的なリズムとして確実に染み付いている。みなさん、朝起きて飲むものは何ですか。私は、年間の半分以上は紅茶を飲む。それも「ヨークシャー・ティー」を。つめたいコーヒーを作るのがだいたい6月〜9月だとすると、それ以外は毎日ヨークシャー・ティー。少し涼しくなってくると注文する。ブログを参考にさかのぼると、2013年に久しぶりにヨークシャー・ティーを手に入れたと書いている。2015年にも同じようなことを書いている。どちらも11月のはじめ。

2013年ごろは成城石井で買えたようだ。なんと400円未満で。それから取り扱いがなくなり、途方にくれて模索を続けていたがアマゾンで安定して買えるようになった。400円未満だったことを考えると値段はだいぶ上がるが、高いと思わないことにした。

で、今年も、先日、イギリスから箱が届いた。ロイヤル・メールのロゴが入っている。パッケージも極めて適当な感じで、箱自体がたいへん弱々しい。そしてビニールのパッケージを開けると紅茶のこまかい粉がパラパラと落ちてくる。この適当かつ雑な感じが私には心地よい。

日本とイギリスでは水の種類も違うので味もたぶん違うのだが、まあいいのです。

この季節のヨークシャー・ティー到着は、あっという間に過ぎ去った2004年から2005年にかけてのイギリス滞在を思い出す、毎年のささやかな恒例行事となっている。

貧しくて、心細くて、何も知らなかった21歳のわたし。今思い出すと涙が出そうになる。もし会えたならぎゅっと抱きしめてあげたい。「大丈夫だよ」と一言言ってあげたい。「そのままでいいんだよ」と。

Tuesday 15 October 2019

台風明け、下北沢にて

台風明けて、日曜は暑いくらいの陽気だった。なんと朝6時5分からこどもと散歩に出かけた。
子「パンかいにいく」
私「いく?」
子「うん」

本当に出かけたもののコンビニはどこも棚が空っぽで何も買えなかった。子のリクエストによりお惣菜のポテトサラダを買って帰る。

いったん帰宅して、10時ごろ、とりあえずまた出かけてみることになった。もう外に出たくて仕方なかったのだ。何しろ前日は24時間ずっと家にいたのだから。天気の良いなか、そもそも店はあいているのだろうか、電車は走っているのか、どの辺がどう営業を開始しているのかを直接見ようと、こどもとでかけた。閑散とした下北を歩くのは面白かった。子供がベビーカーを降りて歩いてもそれほど危なくないし人の邪魔にはならない。どの店も、正午ごろの開店だった。自販機で水を1本と、開店していたスーパーでツナ缶と、レーズンを買って帰った。

とにかく前日が嘘のような爽やかな天気。午後から私はプールに行き思う存分泳いだ。

それから夕方また下北を通ると午前中とは打って変わってすごい人の多さだった。だいたい週末はこんな感じだけど、この日はカレーフェスティバルが行われていたらしくさらに多かったようだ。

しばらく下北に住んでいた時期がある。秋から冬にかけてのこの時期はよくそのことを思い出す。夕暮れの空気とか色とかがどうしてもそれを思い出させて切ない気持ちになる。あれから私の生活も、下北沢駅周辺もまったく変わってしまって、下北に住んでいたのがまるでずっと昔のように感じるが、実際はたったの4年前なのだ。計算してみてその数字にだいぶ驚いた。

写真にとったわけでもないのに写真にとったかのようにくっきりと残る、描ける情景が人生にはたくさんある。そういうものを大事にしていきたいし、蓄積されるうちに人生はより深く、面白くなるのだと思う。村上春樹の言う「資料を集める」時期は私の場合はまだ続いている。

夕暮れの下北で、気持ちがあたたかくなるのを感じながら自転車をこいだ。

Saturday 12 October 2019

気象病だった

木曜朝からどうも調子が悪い。朝起きると、めまいのような、車酔いのような感じで目の前の景色がぐるーんと傾く。同じことが2年前にあった。休養をとるようにしてだいぶましになったが、まだスッキリしない。同僚からは、「三半規管の問題かもしれないから耳鼻科に行った方がいいのでは」と言われた。

で、さっき東洋経済オンラインで

台風19号の「低気圧」でで体調が悪い人の特徴

という記事を読んで、びっくりした。これだったのか、と。すべてが自分に該当している。気圧と天気のせいかなあとは思っていたのだがほんとにそうらしい。乗り物酔いもしやすいし。昨日ときょうは耳鳴りがする。やはり耳鼻科に行かねば。とりあえず台風を乗り切るまでこの不調は続くのである。

Tuesday 8 October 2019

親になって思う親と子について

ある同僚の話。娘が25歳になるらしい。もっと小さいかと思っていたのでびっくりした。そうか、もう25なんですか〜と話していた。同僚曰く、今になって「親と一緒にあまり過ごさなかった」とか「遊んでもらった記憶がない」とか言い出す、とのこと。たとえば10代の頃はそんなこと言わなかったのに、と。「そういうのてずっと記憶に残るらしいね。だから聞くたびに、あーそうか、そうだったな、って昔を悔いる気持ちもちょっとある」

そうかもしれないな、と思った。数日前に聞いたその話が私も結構印象に残っていて、よく考える。自分の親が自分をどう育てたかについて考えるのはもちろん自分が親になったからだろうけど、家を離れてしばらくした20代のころ、年子の妹と「あの時のあれはひどかったよね」「うちって実は色々変なのかもね」と話し始めた記憶がある。それぞれに忘れられないひどい思い出と光景が残っていて、話し始めると涙が出そうになるくらい、小さい子どもにとてそれは辛かった。あと、よく皮肉を言われていやな気持ちがしていた。怒られるときも「いやそれはそういうつもりじゃなくて」と言いたい場面が山のようにあった。だけど親だったからそれはもう絶対の存在で、逆らう術も弁解の余地もなかった。高校時代、何が嫌だったかって、親のお金で生きているという事実。自由がない代わりに、親にお金を出してもらっている状態をどうにかして脱したかったので早く自分で稼げるようになりたかった。

とまあ、いま思い出すとそれはそれは色々なことがある。親が望んだ通りにはならなかっただろうけど、私は、親からは切り離された、独立した人間になった。そして、また別の人間を養育する立場にある。未熟なのだ、親は。親とは言え、何をどうしたら良いかわからないことだらけである。全能でもなんでもない。この、不安定で情けない存在。

ひとつ確実に言えるのは、親も子も人であり、人として同じだけの権利と自由を持っていること。表現の自由も、ものを言う権利も、健康で安全に暮らす権利も。ただ今のところ3歳のわが子にとっては親が世界の大きな部分を占めていて、私の影響の大きさたるや、驚くべきレベル。最近は「まんまだいすきー。ぎゅー」と言いながら抱きしめてくれる。私が「この時間は貴重だな」と思っているより、子にとってもずっともっと貴重なのだろう。

Monday 7 October 2019

子と過ごす時間の質

先週はまたしても土曜出勤だった。9月は2週目を除いて全て土曜出勤だったので「またか」という感じである。さらに今回はやむをえず土曜保育を依頼することに。なるべくなら避けたい、というのは大人でさえせめて週2は家でごろごろしたいと思うのだからいわんや子どもをや。ああよくないなあこういうの、と思いながらも、こうやって罪悪感を持ちながら仕事するのもよくない。

どちらにしても割り切ることが大事で、朝早くから仕事に行くのはやめて、さっさと「遅れます」と連絡を入れ、ずっといけていなかった小児科に子を連れて行くことにした。優先順位は高い。そのまま休んでしまっても良さそうな感じだったけど9時過ぎに子どもを保育園に連れて行き、仕事へ。幸い、泣き叫んだりすることはなかったので救われた気分だった。

というわけで日曜は一日中子どもと過ごした。朝からプールに行ったが行く途中で雨が降ってきて、傘を求めてコンビニに駆け込む羽目になった。より浅い部分の多いプールだったので、より楽しめた。1時間近く遊んだあと、おなかすいたねえ、何食べようかなあと聞いたら「おもてさんどう」と答えたので連れて行くことにした。ゆっくり食事を楽しんで2時半ごろに帰宅。それからずっと室内で遊んだ。その間、保存食を作ったりごはんを炊いたりしながらのんびり過ごした。こういう日曜を求めていた。

子と一緒にいる時間の長さよりもその質が大事というのはよく聞く。なかなか一緒にいてあげられない場合は割り切って、こどもといる時間に集中する。だらだらと3日間過ごすのと違って、こちらも心に余裕があれば気持ちよく接することができる。そういうときは子どもも精神的に安定しているように見える。さて今週もがんばろう。

Thursday 3 October 2019

余裕のある水曜日

水曜はいい日だった。

久しぶりに自分が授業をできることになり、準備をしていた。朝出勤するときに自転車の上で無意識に言葉が出てきてしまうくらい。当然だが授業はうまく行った。なによりも、めちゃくちゃ楽しかった。

この感覚はほかの何にも代え難い。人生楽しいと心底思える時間は授業なのだ。たぶんいちばん自分が生き生きしている時間だと思う。この「楽しい」を分解するとなんだろうなあと考えた。人の役に立ってるという気持ち?好きなことができるという開放感?自由?いずれにせよこんなに楽しい仕事はほかにないだろうと思う。こう言うと、大げさすぎるかもしれないとも思うのだがこれが13年間続いていて変わらないどころかますますそう思うようになっているので、大げさでもなんでもなく、楽しいしそれを堂々と言える。

午後に2時間だけ休暇をとって、早めに帰った。少し買い物をしたり、洗濯物をたたんだりする時間がとれた。4時に子を迎えに行ったが、少しのわがままは笑って過ごせたのは自分に心の余裕があったからに違いない。毎日こうだといいのだけど。

保育園からまっすぐプールに行った。子、2回目のプールは、子供用に水深70cmになっている。泳ぎこそしないものの、大はしゃぎだった。たったの30分だが、楽しんだようだった。だいぶ水を飲んだようだが。ああ、平日の夕方にプールにいけるようになるとは。オムツが外れただけでできることがいっきに増えた。

それから家に帰って、さばの味噌煮を作った。プールに行ったのでおふろに入る手間がなく、だいぶ色々なことが片付いた。ああこの余裕。

仕事と家庭のバランスがとれているというのはこういうのをい言うのだろう。毎日こうは行かないが、充実感は相当なものがある。思わず「あー、きょうはいい日だなあ」と声に出るくらいだった。

Monday 30 September 2019

英語の読書と初めてのプール

土曜日は朝から晩まで仕事(引率)で、日曜は朝から晩まで子の世話という仕事。どっちが楽か?忙しさで言うと後者のほうが断然忙しい。何しろ相手は3歳なのだから。

というわけで土曜は仕事ではありながらも山のように時間があり、ずっと読書をしていた。疲れるくらい。kindle大活躍、である。Dahlの短編(BitchとThe Visitor)を読んだのだがこれがまた面白くてのめり込んでしまった。短編、というにはちょっと長かったかもしれない。長くても飽きずに読める。英語を読んでいることを忘れていることにふと気づく。

いつから英語を読むようになったか?あるいは読む楽しみを知るようになったか?ついここ数年のことである。たいていの場合は必要性に迫られないと英語を読もうなんてしなかった。読んでも、ちっとも頭に入ってこないのだ。それが、必要性から読むようになったころにコリン・ジョイスのエッセイに出会った。それからロアルド・ダールも読んでみた。そこから少しずつ広がっていった。と言っても、読書家に言わせれば私みたいなのは全然読んでるほうに入っていないだろうけど。

日曜は子を連れて朝から近所のプールに言ってみた。3歳になりついにオムツが外れたので念願の区民プールである。プール自体には入ったことがあるが、一般の人たちが使う、こういう大きなプールは初めてだ。私は週に1回くらい行くので、いつか連れていけたらなと夢のように思っていたのだがこの夏「あれ、オムツとれたから連れていけるのでは」と気づいた。ついに、である。

初めての場所は、子はいつも緊張していて、これがまたかわいい。言われたことを守り、ひとりで勝手にあちこち行ったりしない。更衣室に入ると、まず裸の大人たちに驚いていた。そして自分も「ぬぎぬぎ」し始める。プールには、子供用プールもないので、足がつくのは斜面になっているところだけである。深いところに抱っこして連れて行こうかとしたら、子は断固として私の助けを断る。「いやだ」「ひとりで」を繰り返す。私から触れられるだけでも嫌らしい。

あっという間に30分が経って、家に帰ることにした。もっと水で遊びたそうだったけどとりあえず今回はここまで。楽しかったようで何より。

ところで3歳の時点ではプールで何を教えてあげられるだろう。水が怖くない、水に慣れている、というだけで十分なのかな。そんなことを考えながら、自分がいつ泳げるようになったかを思い出していた。今は泳ぐのが大好きだが小さい頃は結構水を怖がっていたように思う。なるようになるものだなあ。

さて、子を連れてプールにいけたのはいいが、自分は何も泳げなかった。当たり前である。3歳児から目を離せるわけはない。頭を水につけることさえほぼなかった。泳ぎたいなあ。

Thursday 19 September 2019

アドバイスは年下から

先日、寝る前にツイッターを見ていたら池田修さんのツイートにこういうものがあった:

「40になったときに、アドバイスは年下からと決めた」

だよね、そうだよね、と思う。年上からのアドバイスが有効な年齢もあるのだがどうやらこれがいつごろからか変わって行く気がする。しかし実際、自分にできるだろうか。40歳ごろにそれほど柔軟な脳と若い気持ちを持っていられるだろうか。

だいぶ過ごしやすくなってきたここ最近。過ごしやすい時期は長くは続かないのだがいっぱいに秋の空気を吸って過ごそう。

Saturday 14 September 2019

年齢で人を判断しない

本格的に仕事が始まって忙しいのだが同時にとても楽しい。そのためか今日から始まる三連休にはあまりワクワクしない。どうせなら月曜は仕事に行きたかったなあと思っている。

仕事が嫌で仕方なかった頃もあったのかもしれないがたいていは楽しんで過ごしていると思う。今、「呼吸のしやすい」場所にいることがとにかくありがたい。つまり、肩の力を抜いて、言いたいことが言えて、声を出して笑える職場。20代の時に感じた「とりあえず下っ端だから聞いとけ」みたいなことがようやく消えてきたと思う。こうなるまでに10年以上かかるわけだ。10年もかける必要はないし働き始めたばかりの人がベテランより優れていることはきっと山のようにある。私に今できることは、若い同僚を尊重すること。「とりあえず年下は言うこと聞いとけ」みたいな態度をとらないこと。年齢で人を判断しないこと。

さて、子の朝ごはんを準備します。


Thursday 12 September 2019

9月始まってのつれづれ

9月から仕事再開して早12日。まだ12日間なのか、という感じもする。日本に帰って来たのなんてだいぶ遠い日のような。

当然といえば当然なのだがいっきに忙しくなる。いろいろなことが9月に迫ってくるのはわかっていたので7月のうちから先手を打って色々な仕事をリスト化し順番に片付けていた。資料の作成だけではなく印刷とかそういう作業も含む。なので、ここ1,2週間は7月の自分にだいぶ助けられている。

それでも忙しいことは忙しい。仕事と違って子どもという生きた存在があるから、その日その日でやるべきことが発生する。そしてそれらは予測不能。予測不能だからこそ日々にリズムを作っておくことは大事なのだ。規則正しい生活。すべてはそこに戻る。

ところで子供が熱を出している。おとといの夜から。昨日の夜も、寝ている間におでこを触るとまた発熱しているようだったのできょうもまた保育園を休ませるしかないと思う。

Saturday 31 August 2019

時差ぼけと誕生日

時差ぼけ回復気味の私が帰国する二人を迎えに成田に行ったのが28日。それから3日が経ったがまさに時差ぼけとの闘いが続いている。これが大人だけならなんとかなるものの、3歳の子供となると大変なのである。

以下は大人にもこどもにも当てはまること:

(1) まず、初日はなんとなくまだ旅から帰って来たばかりでテンションが高かったり戸惑いがあったりする。同時に極度に疲れているのでぐっすりと眠りにつくことができる。なんというか、これが何年経っても「ふしぎな1日」なのだ。

(2) 2日目の夜、眠れなくなる。ぐっすり寝たあとなので、日中はなんとか「日本時間に戻ったかもしれない」という期待を抱きつつ過ごす。それから夜になると、少し眠っただけでそのあとは眠れなくなる。

(3) 3日目の夜もやはりまとまって眠れない。

(4) そのうちに、日中にものすごい眠気に襲われるようになる。これが1日か2日続く。

こうやって1週間を経過すると、どうにかこうにかもとの調子が戻ってくる、という感じだ。ちょうど我が家の2/3が(3)の状態にある。みんなそろって夜1時ごろに元気で起きているというのはとても変な感じである。こどもが8ヶ月のときにイタリアに連れて行ったが、そのときのことを思い出す。帰って来てからの時差ぼけも大変なものだった。小さかったので、抱っこしたまま真夜中にその辺を散歩したりした。

3歳となった今、ものごとが「わかる」だけ余計に混乱が激しいように見える。そう、混乱なのである。1ヶ月近く過ごした場所から、時差のこれだけ違う場所に1日をかけて移動して来るのだからそう簡単に適応できるわけはない。そして、眠れるはずなのに眠れないという状況をやや不思議に思っているようでもある。

東→西の移動は問題ない。たいへんなのはいつも西→東である。行った先で調子が狂うことがないので、そういう面ではヨーロッパ行きはアメリカ行きよりだいぶ良いのである。帰国後の混乱は帰国後に直せば良いと割り切るしかない。それにしてもこどもに付き合って連日夜中に起きているのは辛い。

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こどもが3歳になった。もう3歳である。3年前のきょう何をしていたかなと思うともうただひたすらに痛い記憶しかない。こどもを産む時が痛いと思っている人が多いかもしれないがもはやその時点では感覚を無くしている。痛いのはその前までである。陣痛。あの痛みはもう2度と体験しなくていい。断言できる。人類はどうかしている。感覚を持つ生物に耐えさせるべき痛みではない。出産の痛みは忘れるから、とかいう人いるけど、いやいや忘れませんよ一生。

というわけで3人とも時差ぼけと寝不足で苦しみながらの誕生日である。なんとか助け合いながら、お互いに休めるよう交代で子の相手をしながら午前を過ごした。来年はもう少し早めに帰国したほうがいいらしい。

昼に、いつものケーキ屋さんのケーキでお祝いをした。年々、より嬉しそうな顔をする。お祝いであることがよくわかるようになってきたのだ。

昼間に寝せるのは難しいけど少し昼寝すればいいなーと思いながら、子が静かにミニカーで遊んでいる横でパソコンを見ていた。そのうち、あれ、静かになったなと思ったらそのまま床で寝ている。滅多にないことなので、これは相当疲れていたということ。

本来は3時くらいで起こすべきかもしれないがせっかく寝たのでしばらくこのままにしておこう。

Tuesday 27 August 2019

仕事に戻る

久しぶりに仕事に行った。8月1日以来だから3週間以上が経っている。こういうときにやや緊張するのは実際は自分のみで、周りは気にしていないし、私が久しぶりに来ているのかどうかさえ誰も知らないし、そもそも周りだって休んでいる。だから結局みんな久しぶりなのだ。

仕事のペースに戻れるか、というと、戻れる。というのも、職場もまだ休みみたいなものでみんなのんびりしているから。これから8月最終週、ぼちぼち通ってペースを戻すという感じである。

夕方から友人に会いに行った。気軽に会える友達が近くにいるのは嬉しいことだ。みんなもっと近くにいてしょっちゅう会えればいいのに。

こどもがいないのは寂しいけど、自分の自由時間が心地よい。やっぱり一人になる時間、自分のために使える時間が必要だ。

Monday 26 August 2019

片付け、買い物、水泳

きのうは朝3時ごろからずっと寝ていなかったにも関わらずそのあと日中に睡眠をとることなく1日を終えた。朝6時とかそれくらい早くから普段なかなかできなかった場所の片付けをはじめた。それからやるべきことを一覧にして書き出した。いらなくなったピアスとブレスレットとネックレスをすべてリサイクルに出した。

10時ごろ出かけた。気持ちの良い天気だ。秋っぽくなって来た。それでも夏のワンピースを来て出かけた。電車のなかではどうも私だけ浮いているような感じがした。夏の終わりはこういうことが多いような気がする。

頭のなかには行くべき箇所が3箇所描かれていた。まずはイタリアでもらった万年筆のコンバーター購入。プロに見てもらって適切なコンバーターを出してもらう。「ヨーロッパ型ですね…」と言いながらスポイトでペン先を掃除する男性はまさにプロだった。モンブランの万年筆はカートリッジしか使えないということだった。watermanの万年筆2本はコンバーターを取り付けてもらえた。こういう、プロに頼んで小さい仕事を丁寧にやってもらうのが結構好きである。大したことない電池の交換とかでもわからない場合はプロに聞くとすっきりする。そして古いものをこの程度の手間で復活させるのも好き。その後、ヒカリエと無印に行って2時間くらいで帰る。それから家の片付けの続き。その間イタリアに一度電話。

4時ごろから水泳。夏休み終わりの日曜ということで人は多かったがそれでも快適に泳げた。海水浴もいいけどやっぱり普通に泳ぐに限る。

食べたいものをいくつか買い物して、ゆっくり家に帰る。こどもがいないので何時までに帰らなければいけない、という制限がない。なんという自由。家に帰ってふと気づくと7時から「村上radio」が始まるところだった。ビールを開けて、最高の気分でラジオを聞いた。ジャムセッションの収録が6月に行われたらしいがその録音が放送されたのであった。あまりに心地よくて気づいたらもう8時が近づいていた。村上radioが放送され始めてこれで一年くらい経とうとしている。「村上さんのところ」あたりから、村上さんが外に出てくる機会がだいぶ増えたなという印象。この5年間くらいだろうか。

9〜10時ごろにまたイタリアに電話。こどもはとても元気そうだった。あちらもそろそろ出発の日が近づいて来ている。

程よい疲れで気持ちよく眠りについた。暑さがないのでエアコンもいらず快適に眠ることができる。

Sunday 25 August 2019

時差ぼけと夏の終わり

絶賛時差ボケ中である。

今回こそはいけると思っていたのに…!!


というのも帰ってきた日、23日はそのまま夜まで寝なかったのだ。これはおそらく、ここ14年間において初めてのことである。つまり帰国後はだいたい午後に眠りに落ちていた。

昨日(24日。と言ってもほぼ境がないのだが)を振り返る:

8時半。近所で行われる工事の音で起きた。前日の9時ごろに寝たからほぼ12時間寝たことになる。本当にぐっすり眠っていた。こどものいない状態でこの部屋で寝たのは初めてのことだった。

たぶん掃除とかしたのだと思う。10時前に家を出て、10時から美容院。これはこどものいない間にできることとしては優先順位高い。

昼頃家に戻り、家を修理する人がくるのを待つ。部屋の壁と床の間に隙間があり、そこから虫が出てくるのでそれを塞いでもらう作業。

それから少し暇になる。洗濯とかしている間にあっという間に時間がたつ。

5時半から合気道へ。こどもの世話を頼まずに好きなことができるって、なんて素晴らしいのだろう。汗だくになって帰宅。ビールを飲んで、水菜とツナのサラダ。オリーブオイルが無いことに気づく。いや、無いのはわかっていたのに買うのを忘れていた。明日やることリストに追加。

10時ごろ寝た。

と思う。ちゃんと寝れたのだろうか。それさえわからない。とにかく途中で眠れなくなった。寝返りを打ち続けた。どれくらい経ったかわからないけどおなかが空いた気がしたのでヨーグルトを食べた。それが3時半ぐらい。

それから全く眠れず、いろいろ試みたけど外も明るくなってきたので、寝ようとするのをやめることにした。もういい。

結局帰国後の3日間くらいはこうやって境のないような状態になる。実際何日が経過したのかさえ自分でも不明になる感じ。それが夏の終わりのぬるく切ない空気とあいまって、一つの情景というかノスタルジックな感覚として自分のなかに、確実に存在している。

さて、何をしようか。

Saturday 24 August 2019

ひとり生活、知らない人には話しかけない

こどもが生まれて3年。初めてこどもなしで、東京ひとり生活を送っている。と言ってもほんの数日間だが。私は仕事があるので一人での帰国となった。

まず、こどもいなくて寂しいかなと思ったけどそれほどでもない。好きな時間に好きなことができるのは快適である。昨日帰ってきてから1)家が静かなこと、2)しなきゃいけないこと(こどもをお風呂に入れたりご飯作ったり)が無いことに少し戸惑いはした。でも日本とイタリアで簡単に連絡も取れるしとにかく元気であることさえ分かれば特に問題はない。面倒を見てもらえていることに感謝。おかげで長旅からの回復と、後片付けと、掃除に集中できる。

昨日夕方ちょっと買い物に出たときに、やはり日本って静かだよなとあらためて思った。これが悪いというわけではなくて、ひたすらに「違う」と。異様な静けさ。

そもそも、知らない人に話しかけることは滅多に無いのが日本。誰かに話しかけられるとも思っていないので、話しかけられるとみんなびっくりする。単独でいる時にはコミュニケーションreadyな状態ではない。だから逆に、誰かと社交する場となるときっと普段以上に神経を使うはずだ。表と裏とでも言おうか、差が大きいと余計に疲れるだろう。これは田舎だとちょっと違うかもしれない。

いっぽうイタリアでは隣の人に話しかけるのは普通である。何もおかしいことではないしこれはイタリアに限ったことではない。結構ふつうにバス停で「雨降ってきましたね〜」みたいなことをお互いに言い合ったりする。飲食店の店員と世間話をする、とかも日常である。これが日本だと、話をするとなると余計に気合いが入ってしまったり、どこで話を切っていいかわからなかったりするのだが、こういった社交スキルに長けた人たちは適度な話の長さと質が自然と身についている。

東京に帰ってきて最初に感じる寂しさが、この、知らない人と会話をするのが当たり前ではないという環境。寂しいし、もったいない。

さらに、話をしたとしても目を合わせない。まっすぐ目を見て話すということがどうしても身につかないのだ。大人がそうなのだから、あたらしく生まれてくる子供たちがそう育つわけがない。

「日本はそうですから」と開き直るのもありかもしれないが、もはやそうは言っていられないのではないか。帰国してすぐの諸々の感想というのは結構フレッシュかつ今限定のものなのでこうやってあえて記しておく。

Friday 23 August 2019

戻ってこれる場所

日本に戻ってきた。8月6日からイタリアにいたのだがその間一度もブログを更新しなかった。理由は、i padしか書く手段がなかったから。つまりキーボードがないと文章を書く気には到底なれないのだ。

あっという間に17日間は過ぎ、22日に出国してまる1日失い23日に帰国したというわけ。こどもはもう少しあとで帰ってくるので私だけの帰国である。こうやって一人で国際線、いや、飛行機に乗るのはおそらく2015年以来のこと。とてもラクだった。12時間のフライトも大したことないと感じるくらいだった。学生時代より体力はなくなっているだろうから12時間に耐えられるのかなと心配に思うときもあるが、きょう一人で乗ってみて、まだまだいけるなと思った。子供がいないから好きな時に好きなことができる。イタリア映画を4本見た。

1. Domani e' un altro Giorno
2. Ti Presento Sofia
3. 10 giorni senza mamma
4. Non ci resta che il crimine

4つ目は途切れ途切れに見た感じなのでまともに内容把握できていない。字幕がなくても映画をまるごとイタリア語だけで見られるようになったのだなあと14年前の、もう一人の自分のことを思い出しながら思った。

日本に戻ってくるとやはり空は灰色だった。覚えている限りで、帰国した日の空が灰色じゃなかった日はほとんどない。

そして、静寂。この十数年間の欧州との行き来での「日本に帰ってきた最初の印象」としてもっとも強いのがこれ。飛行機を降り立って、パスポートコントロールをして、荷物を取りバスに乗り込むまで、とにかく静かなのだ。これが普通だという人にはもちろんわからないだろうけど、私の印象はこれ。

さらに、すべてがsmooth and stableである。すいすい、と、ことが運んで行く感じ。表示や案内は時に多すぎるくらいだが確実で、迷ったり混乱したりすることがない。きょうなんて9時50分に着陸して10時半にはすでにバスに乗車、発車していた。なんてこったい、と逆に思う。

この国では「こいつら信じて本当に大丈夫だろうか」と疑う必要がほぼない。だいたいみんな誠実で、だいたいみんな働き者である。

戻ってこれる国があるのはいいよな、と、いつ頃から思うようになっただろう。バスの中できょう考えた。ひたすらイタリアに憧れてイタリア化を望んでいた時期もあったから、そのときはきっと、戻ってこれる国のある幸せなんて考えなかったのではないだろうか。わからない。もう覚えてない。けど、とにかく確実に自分を日本国民として迎え入れてくれる場所が地球上に存在するってありがたいよなと本当に思った。いや別にイタリアで迫害されたとかそういうわけではない。だけど、何があってもこの国に籍があって、この国に居場所を確保してもらえていることがいかにありがたい事実であるかを感じるのだ。ただしいったん外にでないとこの感覚はない。Homeなのだ。だからと言って日本が最高とか、白ご飯がないと生きていけないとか、そういうんじゃない。それとは違うしそうは思っていない。戻ってくる場所のあるありがたさと、日本サイコー、はまた違う。

いつもと違ってあまり眠くない。通常なら帰ってきてバタンキューでこれから1週間、時差ボケ祭りの始まり始まり〜、なのに。たぶん飛行機のなかで寝たのだろう。借りたまくらのおかげかもしれない。いろいろ書きたいことはあるけど、とりあえず帰国報告。

Tuesday 30 July 2019

『新聞記者』を見た

「新聞記者」を見てきた。はたして邦画を映画館で見たことなんてあっただろうか、と思ったけど思い出せない。たぶん初めてなのだ。

映画はいつか見に行かなきゃなと思って結局見ないというパターンが多い。そして「割引の日にあたらなかったから」とか「それほど面白そうじゃなかったから」とか自分のなかで理由をつける。しかしながら、この映画については、どうしたことか、腰が上がったというか、見に行くことが義務のような感じがしたのだった。

望月記者を応援していたというのもある。怖いもの見たさというのもある。おもしろそう、というよりは「見なきゃ」と思った気がする。たぶん。

結果:
いい映画を見た。フィクションではなく現実だと思って見たから余計に緊張感があった。小さな映画館だったが上映後に拍手が起きた。意外なほどに年配の方が多かった。私の両隣はおそらく60前後の男性。

政治に関することを話すことさえタブーみたいになってきたこの世の中で、主役を引き受けたシム・ウンギョンと松坂桃李は素晴らしいと思った。

シム・ウンギョンについて:
望月記者ほど颯爽としたイメージではなく、むしろ猫背でオドオドした感じがしたのだがそれが逆によかった。後から気づいたけど、韓国映画の「サニー」の主役を演じた俳優である。彼女がどういう経緯でこの役を受けたのかわからないがきっと日本人女優でokを出す人がいなかったのではないか、というのは想像に難くない。

松坂桃李について:
私は普段からテレビも邦画も見ないため日本の芸能情報については知らないことだらけである。松坂桃李という俳優がいることは知っていたものの特にその特徴も、どういう演技をするかも知らずにいたのだが、この「新聞記者」に出ているというだけで(私のなかで)いっきに格が上がった。事務所その他、コントロールする存在はあるだろうが結局のところ演じるのは本人である。本人の決断があったわけだ。たぶん勇気がいることだったかもしれないしこれで敵を作る可能性も考えたかもしれない。こういう俳優がいるのだということに安心させられた。そして結構な演技力だった。途中で私も泣いてしまった。

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見ている間ずっと、村上春樹の「壁と卵」のスピーチが頭にあった。
Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg, I will be standing with the egg.
「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」

どうしたって動きそうにない権力を前に、どういう行動をとるのか。「王様は裸だ」と言えるだろうか。自分に問う。この国にまだ、こういう映画を作れる場があることを嬉しく思う一方で、「新聞記者」がメディアで報道されていないという事実が、まず怖い。そして映画に描かれているようなできごとは現在進行形なのである。

もっとこの映画が多くの人に見られますように。海外にも出ていきますように。そのきっかけを作ってくれている俳優、ありがとう。フィルムメイカーズに拍手。言いたいことを堂々と言える世の中になることを切に願って。

Thursday 18 July 2019

つれづれ

久しぶりに5:30に起きた。

ここ数日どうもイライラが止まらない。来週に三日間連続の研修が控えているからかもしれないし、疲れてるのかもしれない。天気が良くないせいかもしれない。それにしてもイライラし続けている気がする。こういう時はどうやったら解消されるのだろうなと思うのだが何かにあたってもイライラは増大されるだけである。鏡を見ても、いつも顔がこわばっている気がする。なんだかいろいろうまくいかない感じ。

ストレスフリーな生活をしたことがあるだろうか、と考えてみるとやっぱり一人暮らしのときは気楽だったような気もする。仕事を除けば好きな時に好きなことができたし、行きたい場所に行けた。自分を制限するものや条件がいっさい無かった。一方で、このまま子どものいない人生なのか、という行き場のない不安もあったかもしれない。

当たり前だけどこどもがいると自分の時間が取れない。例えば100円ショップに行きたいと思ってもそれさえ叶わずに1週間も2週間も過ごすことも多い。美容院や病院となると、計画的に予約等考えておかないと何ヶ月も行けなかったりする。というわけで昨日の夕方、1時間だけ自由時間を持つことができた。100円ショップに行き、ユニクロに行き、さらに今月はじめに修理を依頼していたリュックが直ったので取りに行った。買ったのが2004年だからかれこれ15年になる。修理代は6480円もかかったけどそれでも新しいのを買う気にはならなかった。

長く続いた頭痛はもうすっかり治った。完全にスッキリするまでだいぶ時間がかかった。あれは一体なんだったのだろう。

雨や曇りの日が続いている。昨日は降らなかったしひさしぶりに太陽を見た。暑くてヒーヒー言っているよりはマシかなと思いながら過ごしているが、ここまでどんよりした空が続くとさすがに気が滅入ってくる。去年の今頃は気分が悪くなるほど暑かったと記憶している。もう少し夏らしくてもいいかも。

Thursday 11 July 2019

東京に戻って

火曜日に東京に戻った。3泊4日は短いながらもちょうど良い期間の滞在だった。気分転換と休養の意味ではとてもよかった。もちろん移動にはお金も労力もかかるが得るものは同等かそれ以上の価値があると思っている。意識的にこういうタイミングをとらえるようにしないと時間はあっという間に過ぎて行くのである。もちろん健康状態によるが。月、火と働いていなかった分、昨日は集中して終日働いた。

先週からずっと抱えていた頭痛だがだいぶすっきりしてきた。薬を飲んだり飲まなかったりして過ごしているがそろそろ大丈夫になりつつある。原因は分からないけど圧迫されるような感じとか奥歯の疲れたような感じとかが特徴的。蓄膿症みたいな感じではないかと思っている。

東京は涼しい。雨は振らないけど太陽も出ない。まあ心地よいと言えば心地よいが、7月ってこんなんだっけ?

こどもは元気に過ごしている。朝起きてから1時間ずっと一人で話しながら車で遊んでいる。「特にギミックはありませんけど〜」とか「うしろに解説がついてますね〜」とかいうセリフはYoutubeからきたものだ。そんなしょっちゅう見せているわけでもないのだけど…

Saturday 6 July 2019

日伊言い間違い

我が子はバイリンガルである。イタリア語と日本語のどちらも話せて、聞いて理解ができる。今の所、どちらの言語もバランスがとれていると思う。干渉が起きているようには見えない。言えることの範囲としてはやはり日本語のほうが広いかもしれない。というのは日常生活においては日本語話者と会う機会が圧倒的に多いし、なによりも保育園でのことばは日本語である。以前は保育園でイタリア語をしゃべって先生が「わかんなーい」と困る、ということがよくあったがここ半年くらいはそれがなくなり、パキっと使い分けるようになった。

どの言語でも言い間違いはあるのだが、最近かわいいと思ったイタリア語の、特に動詞の言い間違い(イタリア語が分かる人にしか面白くないとは思う)を忘れないうちにメモ:

・dico,dici,dice(言う)の原形がdireではなくdicereになる。
・va via(行ってしまう)の過去形がe' andato viaではなくva viatoになる
・pulisco,pulisci,pulisce(掃除する)の原形がpulireではなくpuliscereになる
・andare(行く)の三人称単数がvaではなくandaになる。"Dove anda?"など。
・l'autobus(バス)がlaptus

イタリア語は原形と、それ以外の形(二人称、三人称など)が全然違うものがたくさんある。たとえばdiceの原形がdireだとは習わない限り分からない。andareなんてもっとそうだ。誰がvado,vai,vaとandareが同じ動詞だと思うだろうか。

それでも、自然と身につけるとこういうことになってしまう。つまり、三人称、二人称あたりから原形を推測して自分で形をつくりあげる。だからVuoi dicere?とか言う。間違える姿を見ながらほとほと感心してしまう。私自身もイタリア語学習経験があるので興味深くて仕方ない。ほほー、と思いながら見ている。あまりにもかわいいのでそのままにしておきたいくらいである。

ちなみに日本語の言い間違いもいくつか:

・クロネコヤマト→くろやまとねこ
・きんぴら→ぴんぴら
・ふみきり→ふきみり(これはもう直ってしまった)

正しく直るとちょっと寂しいのが本当のところ。

Thursday 4 July 2019

左頭痛

こどもの熱は下がった。36.7℃。よかった。

私は、熱はないものの昨日の夜に頭の左側の痛みが強くなってきた。それから寝て、少しましになったもののまだ痛みは残る。昨年あった、体の「こり」から来る頭痛だと思っている。あとはここ最近の風邪の影響で左側だけやや蓄膿症気味とか。昨年4月の症状によく似ている気がする。あの時は涙が出るほど辛かったのだが今回はそれほどでもない。とにかく今朝は、きのう9時に寝ているにも関わらず6時過ぎてもまだ眠れる感じだった。

だいたい体調を崩すのは学期末である。Facebookが見せてくる「去年の今日は」みたいな情報によるとだいたいこの時期に「咳が止まらない」とか書いている。エアコンの使い始めにめっぽう弱くなってしまった。

明後日からまた少しだけ実家に帰る予定なのである。完治させたいがやらなきゃいけないことも多いこの季節。バランスのとりかたが難しい。

Wednesday 3 July 2019

こども発熱、ジレンマ

朝6時。こどもが起きてきた。「まぶしい」と言いながら目をつぶって私のところにきた。いつもよりおとなしい。なんとなく熱かったので熱を測ると37.5℃。保育園行かない方が良さそうだなと思った。しばらくしてもう一度測ると37.1℃。土曜夜に一度熱が出てから完全に回復していないらしい。

きょうは幸い、朝ひとつ試験監督があるのみなので早く帰って病院に連れて行こう、と決めた。ただ、保育園に行かせるかどうかはまだ様子がはっきりわからず決められない。

行かせてみて、調子悪ければ戻ってくるってことでいいんじゃないか、ということになり、7時半ごろ私は仕事にでかけた。試験監督が終わってから携帯を見ると、イタリア人からメッセージが。やっぱり38度になったので保育園行かずに家にいます、との連絡。ああやっぱりそうか、と思い9時20分ごろ保育園に欠席連絡。

最近食欲なかったしな、とか、トイレ拒否からの便秘状態が原因かもしれない、とか思いながら自転車をこいで家へ。「オレンジジュース飲みたいって言ってたな」と思い出してスーパーでオレンジジュースと、くだものゼリーを買っていった。

ぜえぜえ言いながら家に帰るとこどもはぐっすり眠っていた。起きたら病院に連れて行こう、と思いながらソファに座ると頭がくらくらした。ここ最近私も調子がよくない。鼻水がとまらないのと、咳が出る。エアコンの季節の始まりは毎年こんな感じになる。そしてきょうは暑いうえに、急いで自転車をこいだので頭が痛くなったのだ。少し休んだ。

こどもが具合悪くなると、全面的に責任がのしかかってくる。選択、判断、決定の連続。そもそも具合の悪いこどもの姿を見るだけで精神的にストレスがかかるのだ。

さらには自分のしなければならないこともある。まずは仕事。どれくらい優先させるべきことなのかを自分のなかではからなければいけない。あちらこちらに申し訳ないと思いながらも、どこかのタイミングで、バサッと思い切る必要がある。周りにどう思われる、とかはもはや心配しないし気にならない。問題は、集中したい仕事がある場合だ。絶対に代わりのいない仕事だとわかっていて、切り捨てることはできない。まさにジレンマなのである。

まあこういうときに人間の深みは増し、人生勉強していくのだろうな!そしていろんな立場にいるいろんな人たちの気持ちに近づくことができるようになるのだろうな!

と思いながら過ごす7月3日の午前中でした。

早くよくなれ〜。

Tuesday 2 July 2019

たんざくにお願いごと

保育園に用意してある笹の葉に短冊をつるすことになっている。(配られた短冊は運動会用の何かだと思っていて運動会に持っていったのだが誰も使っておらず、「?」のまま持って帰ってしばらくして「あ、短冊か!」と判明した。)

昨日の朝はめずらしくこどもが8時過ぎまで寝ていた。普段起きるのは6時半くらい。起こさねばと思いながらもこれだけすやすや眠っている姿を見るとどうしても「そうか疲れていたんだろうな」と思うし、寝姿はもはや天使なので、起こすのがためらわれる。

そんなこんなで起きたあと、ヨーグルトとさくらんぼを食べている我が子に「おおきくなったら何になりたいの」と聞いてみた。

すると即答:

「大きくなったら、ちっちゃくなる」

爆笑した。もうそれ以上聞かなかった。そうか。そうなのか。ほかの願い(しょうぼうしょに行きたい、救急車見たい、いすず見たい)も聞いて、短冊に書いてあげた。子どもの心ほど美しいものがあるだろうか、と思う。フィルターのかかってないまっすぐな心。

ところで最近思ったこと。

どうして人は「鍛えよう」とするのかなあ、と。靴を一生懸命履こうとしている子どもに手を貸さずに見ていたり、わかっていても答えを教えなかったり。相手が子どもに限らず、である。

私もそうしていたときがあったかもしれないとここ2、3年のことを思う。こどもが助けを求めるかどうかによるが、なるべく助けて甘えさせてあげれば良いと思う。私自身がやたらと鍛えられて育ったので、そのプラスもマイナスもわかる部分がある。

きょうは雨。1日元気で、なにごともなく過ごせますように。

Monday 1 July 2019

週末のこと(運動会と発熱)

こどもがかわいい。それはそれはかわいい。もうかわいくて仕方ない。時よ止まってくれ、と思うくらいかわいい。しっかり意思疎通ができるので、例えば半年前などと比べるとお互いにストレスが減った。

どんなに願っても時は止まってくれないので、その時、その瞬間を精一杯に生きてありったけの愛情を注ぐしかない。

土曜日は運動会だった。小雨の降る中、小学校の体育館を借りて行われた。一番最初に参加した運動会から数えるとこれで3回目だが、だいぶ成長したなと思う。出番が終わったら帰って良いので、実質1時間半ぐらいで終了。1歳とか2歳とかの小さい子たちにはありがたい。お昼にはpizzaを食べて、そのあとはろくに昼寝もせずに過ごした。

その日の夜、子どもが寝ている間にちょっとおでこを触ってみたらとても熱かった。金曜か土曜の夜に発熱、というのはありがちなパターンである。昼寝もしないから疲れがたまっている。

翌朝、起きてきてからはだいぶ疲れきった様子だったのだが、運動会のごほうびにもらったジュースを飲んだらすっきりしたのかだんだんと元気になってきた。熱は37.7℃。朝ごはんはそれほど食べなかったが、元気なことは元気。結局、日曜はいつもとそれほど変わらず過ごすことができた。

ただしどんなにかわいくても、だが、丸一日一緒に過ごすのが大変だということは変わらない。もちろん以前よりはだいぶ楽になってきた。(以前は、この子とあと3時間この部屋で一体どうやって過ごすんだろう、というのが毎土日のことだった。)だけど同じ相手と24時間いるというのはそれが大人であれ子どもであれ疲れることだと思う。

というわけで、1日のうちの2、3時間は自分のために使う。土曜の夜は合気道に行き、日曜の午後はプールに行ってきた。程よい疲労感とともに昨日は、おそらく子どもより先に、9時前に眠りについた。睡眠がすべて、である。

ところで1ヶ月くらい前、鏡の中の自分を見てびっくりした。というのは、肩から腕にかけての筋肉がすごい。ムキムキである。水泳の効果、と言っても毎日泳いでるわけでもない。週に1回、30分泳ぐだけ。水泳に加えて、子どもを抱える動作のおかげもあるのかもしれない。これは一体なんと言う筋肉なのだろうと思って調べてみたら「三角筋」というらしい。あまりムキムキになりたくはないのだが、筋肉はないよりもあったほうがいいのは事実。

Monday 24 June 2019

育てるのと育てられたのと

子供と意思疎通ができるようになってようやく「子育て」という感じがしてきた。イヤイヤ期までは「育てている」というよりも「制御する」というべきか、その場にいてとりあえず安全を保証し生命をつなげるのが精一杯だった。大げさかもしれないけど本当にそんな感じ。家のなかは誰もがギリギリの状態だったのでは、と今振り返ると思う。「つらいけどかわいい」じゃなくて「かわいいけどつらい」だった。本当に辛かった。それが今となってはそこに「やりとり」が存在するようになった。先日読んだ本のせいもあるかもしれないけど「そうだ、こうやって心を育てるんだなあ」とか思う。自分に余裕がでてきたのだろう。土日が怖くなくなってきたので「日曜日は何をしようか」などと話をするのが楽しい。新しい経験をさせてあげられるのが嬉しい。

こうしていると嫌でも自分がどう育てられたかを考えるようになる。親から課されたよくわからないルールの数々、親からたたかれたこと、しかられたこと、皮肉を言われたこと、きょうだいと比べられたことなどを嫌でも思い出す。ほかに客観的な視点を持たない子供時代なので、親の指導が正しいという結論のもとにものごとは動いて行ったし、我が家こそが「正解」の形であるのだと思い込んでいた。誰だってそうだろう。こどもにとってはその家庭が、世界である。早く自立したい、外に出たいとずっと思っていたし、その通りに18歳で家を出た。

親はきっといっぱいいっぱいだったのだろうと今、自分が人の親になって思う。誰だってそんなにいつもニコニコはしていられない。ただ「私が親にこう育てられたから」と言ってそれを無理に意識することは無いと思っている。こうされたからこうしないようにしよう、とかその逆とか特に意識しない。というのも私と親は別の人間だから。生きた時代も違うし育った環境も違う。それはそれ、なのである。

Saturday 22 June 2019

誰よりも楽しんでいる

自分を優れた教師だとは思わない。論文や書籍などをきちんと読むことは稀で、指導案作成をして外部に発表をしたこともほんの数回しかない。評価方法もきちんと定まっていないし、これはやらねばと思ったことは先送りしてしまっている部分が多い。

それでも、たぶんほかの誰よりもこの職を楽しんでいることは間違いない。仕事が楽しくないと思ったこともあったかもしれない。でも覚えてさえいない。「仕事とは修行のようなもので、辛いこともあるけど耐えてこそ、である」みたいな考え方もあるのかもしれないけど私はまったく賛成しない。

人が新しいことを覚えて、できるようになって、自信をつけて、自分のことを少しでも認められるようになるのは、単純だけど素晴らしい。(若かろうが年老いていようがそういう学びは日々行われているはずなのだが本人は意外と無自覚だったりする。)それを後押ししたり機会を与えたりすることに関われる教師という職業は、それはそれは楽しい。自分に自信がついて、自分はこれでいいんだと思うことができれば、その人の人生はそれ以前よりちょっと楽しいものになる。

とは言え、授業は毎回うまくいくわけではない。その時の準備具合、内容、天候、生徒の調子、私の調子、などなどいろいろな要素が絡み合い、うまくいなかいときもたくさんある。ただしうまくいったときは、そこから寝るまでの間くらいはとても嬉しい気持ちでいられる。きょうはよかった、と、鼻歌でも歌いたくなるくらいだ。

ほかの職業についたことは無いが、今のところこの仕事が楽しくて仕方ないので、そうしようと思うことはまずない。たぶん、今7億円くらい手に入れて、仕事をしばらくしなくていいよという状況になったとしても私は授業をさせてほしいと言うと思う。せめて1日1クラスくらいは。

今、教員になって13年目である。これはやりたい、と思っていたことをやらずに過ごす月日はあっという間に流れる。まだ時間はある、と思っている間に生徒は卒業してしまう。思い立ったら即日やる、くらいのつもりで準備をしなければいけない。

Sunday 16 June 2019

初めてのハンバーガー

すべて納得いくようには生きれていないかもしれないけど日々は楽しい。あっという間に1日は過ぎるので先を見通しながら生きて行かないと貴重な時間を失うことにもつながる。

ふと気づくと、週末が怖くなくなっていた。去年の秋冬は、特に12月は家に帰るのさえ嫌だったし土日なんてもっとも恐れていた。仕事がいかに楽しくて、楽か、と思っていた。金曜の夕方が憂鬱で、月曜の朝が爽快だった。というのも、こどもといるのが大変すぎたから。大変すぎてこっちも泣いたことが何度かあった。それが、週末が怖くなくなっている。そして一緒にいるのが楽しくなってきた。

イヤイヤ期を抜け出したころ、ちょうど霧が晴れていくかのような感じがした。それからしばらく経った今、言うことも聞くようになってきたし、言葉で意思疎通ができるようになってきた。8月で3歳になる。イヤイヤが辛かったころ、「成長のあかしだから」とか「一生続くわけじゃないから」と色々な人に言われたし私自身も自分に言い聞かせていたのだが、実際その通りで、だんだんと大変さはなくなるのだ。その時によって「大変」の種類も違うのだろうけど。

つい最近、何がきっかけだったかわからないけど佐々木正美という人の「子どもの心の育て方」という本を読んだ。これが想像以上に自分にいい影響を及ぼした。正確に言うと自分と家族に。想像以上に、というのは、普段めったに育児書等を手に取ったり買ったりすることはないから。

読みながらとにかく思い出したのは父のことだった。父が私の子ども、つまり孫に接する態度はまさにここに書いてることそのものだったのだ。

この本を読んで以降、心が楽になったし、なんとなく「すべて受け止めよう」という気持ちの余裕ができてきた。そして明らかに変わったのは私に対する子どもの態度だった。単純に言うと、よりくっついてくるようになった。そしてより笑顔が増えた。

0~3才までの子育てについて情報が多かったので、こんなことならもっと早く読んでおけばよかった、とは思ったのだが、まあすぎたことは仕方ない。今からだって、いくらでも抱きしめてあげられる。そして遅かれ早かれこの本に出会えたのはよかった。

きょうは念願の「ハンバーガー」をふたりで食べにいった。

夏用のズボンを手作りしているのだがあと、ウエストのゴムだけが足りなかったのでそれを買いに行った。昼を食べて帰るつもりはなかったのだが私もおなかが空いたし、ふと思い出して「ハンバーガー食べようか」と持ちかけてみたら「そう」と答えた。

こどもの所有するトミカのコレクションのなかに「ハンバーガートラック」というものがある。トヨタのタウンエースなのだが、トラックの後ろに巨大なハンバーガーがのっている、という、トミカにしては珍しい架空のトラックである。それをいつも見ながら、つまんで食べるふりをしたり、「ごまがついてるね」とか「チーズが入っているね」と言っていた。「そうだね」と言いながらこれはいつか食べさせてやりたいと思っていたのだった。

それほど不健康ではなさそうなモスバーガーを選んだ。店のとびらの前でニコニコしながら「ハンバーガーやさん」と言っている。少し緊張した感じで店内に入り「モスバーガーとモスチーズバーガーを単品で」とお願いしたら「おこさんはこちら食べやすいかもしれませんよ」と普通のチーズバーガーを提案してくれた。年配の女性で、とにかく親切だった。つい「この子、きょう人生で初めてハンバーガーを食べるんです」と言うと、嬉しそうに対応してくれた。

外の席で食べることにした。それを伝えると「持ってきますからね、お待ちください」と言われた。トレーを持って外にでて「ここに座るんだよ」と言ったらこどもはおそるおそる、なんと椅子ではなく地面に座った。「こっちこっち」と言って椅子に座らせると「あぶないね」と言いながらじっとしていた。最近こうやって初体験があるとだいたい大人しくしていて、これがまたかわいいのである。

しばらくして持ってこられたハンバーガーたちを見て最初は食べ方に戸惑っていた。一口食べて見せると、小さな口を懸命にあけてかぶりついた。感動の美味しさであったようだった。結局私のぶんまで食べた。すぐに「モスバーガー」という名前まで覚えた。「ごちそうさま、って言ってトレー戻すんだよ」と言って中にもう一度入ると、レジのほうへ子どもはかけていって、「ごちそうさまでしたー!!」と大きな声で挨拶をした。店員はとても喜んでいて、後から追いかけてきて塗り絵をくれた。

こども以上に私が幸せだった。待つときの目も、食べるときの小さな口も、ハンバーガーを持つ手も、食べた後にハンバーガーについて語る様子も、すべてが愛おしくて仕方なかった。

いろいろな経験をさせてあげよう。ものすごく貴重な時期である。

Monday 10 June 2019

土日のこと

土日は特に予定もなく過ごした。

土曜は朝から美容院に行き、家族で昼を食べて午後は家で過ごし夕方から合気道に行った。行かない言い訳を続けて1ヶ月ほどたったので、何がなんであろうと行くことにした。やっぱり行ってよかった。行かなきゃよかったと思ったことは一度もない。土曜なので子供を寝せたあとで自分は起きて、ビールを飲みながらパソコンを見たりしてのんびりと過ごした。この時間が最高なのである。

日曜は子供を連れて表参道へ。よく食べてくれて嬉しかった。店から出て、地下鉄に乗るためのエレベーターに乗ろうとしたら子が「いやだ」と言う。まあ、それはそうだろう。より開放的な空間でブンブン通る車を見ていた方が気持ちがいいに決まっている。よし、それでは、ということで渋谷まで歩くことにした。10分も歩けば着く。結構疲れたけど歩いてよかった。ベビーカーから見える景色をこどもも楽しんでいるようだった。家に帰ってから、雨が降り出したので外に連れて行くこともできず、まだエネルギーの有り余っている子供と家のなかにいるのは結構つらかった。どこからその元気は来るのだろう、と思うくらいに元気だった。夕方、少し一人で買い物に出かけた。戻ってから、お風呂に入れて、ごはんを適当に作り(と言ってもはんぺんを焼いただけ)、こどもを寝かせた。同時に自分も寝た。相当疲れていたのだと思う。

朝起きたらきょうもまた雨。雨が降るのは困るけど、この時期の天気は結構好きである。あまり同意してくれる人はいないかもしれないが、細胞が生きてる感じがするから。初夏から梅雨にかけて、なので実際は1週間くらい前の気候が一番いいのだが。さて、仕事に行く準備をしよう。


Tuesday 28 May 2019

万年筆ライフ

ここ最近、生活に大きな変化があった。と言っても転職したとか引っ越したとか、そういうことではない。

万年筆を買った。

なんとなく買いたいなあと思いながら過ごしていたのだが、思い切ることはできずに「万年筆 人気」とか検索する日々だった。ロフトで見た1000円の万年筆さえ買うには至らなかった。それが、5月中旬のある日、歯医者に行った帰り、京王の文房具コーナーでまたあの1000円の万年筆に出会った。試しに買ってみよう、と思った。

買って、職場に持って行って、万年筆を使っている同僚に教わりながらカートリッジを入れた。しばらくして、するする、とインクが出て来る。なんなんだこの快適さは。以来、革命的に書くことが楽しくなってしまった。

そもそも買いたいと思うようになったきっかけの一つは、アルバム作成だった。こどもの写真を整理して、写真とともにコメントの紙を入れることにしたのがここ最近。そのために新しいアルバムを買ったりしたのだがコメントを書くにあたり、どうせならちゃんと書きたいと思ったのである。持っているペンのなかで最もいいペンと言えば、元同僚から転職祝いにもらったWatermanのボールペン。大切に使っているのだが、やはりボールペンには結構な筆圧が必要になる。3月末に長い手紙を書く機会があった。(これも珍しいことなのだが。)そこでこのボールペンを使ったのだが、やっぱりだんだんと手が疲れてきた。

それにくらべると万年筆は紙面を「滑る」。その快適さに加え、文字をきれいに書きたくなる。英字なら自然と筆記体になる。そうかこんな世界があったとは。

最初のカートリッジがなくなったので、ついにボトル入りのインクに手を出してしまった。きのう、コンバータと、インクと、新しい万年筆がもう一本届いた。きのうからインクを眺めてはその美しさにためいきをついている。

文房具にこれほど興奮するのは、おそらく小学校の時にシールとかノートとか手に入れた時以来かもしれない。何年間もふでばこを買ってもらえなかった子供時代の不自由さを考えると、欲しいものを自分のお金で好きな時に変える、大人って素晴らしいなと思わずにはいられないのである。

Monday 27 May 2019

Bello, questo colore.

日曜朝。こどものオムツを変えようと、よっこらしょと抱えると、背中のほうから手を伸ばし、新しいワンピースを着た私の背中をさすりながら

"Bello, questo colore (この色きれいだね)"

と言った。驚いた。

イタリア語をしゃべることに驚いたのではない。絶妙なタイミングで、2歳の口から上手に褒め言葉が出て来るということに驚いたのだ。通常私には日本語で話しかけるが、これだけはイタリア語だった。それはそうだろう。 賞賛の表現が豊なのは、断然イタリア語のほうである。「だまってもわかる」文化ではない。日常で褒められるときもイタリア語で言われることが明らかに多いのでその表現が出て来るのは自然なことなのだ。私も通常日本語で話しかけるが、褒めるときはどうしてもイタリア語が出る。bravo!とかbello!とか、むしろ日本語でどう言えばいいのだろう?「良い子」?「かっこいい」?だいぶ違う気がする。

とにかく、ワンピースの色を褒められたのはとても嬉しかった。素直に笑顔になり「ありがとう」と言って抱きしめた。かわいすぎる。こうやってイタリア人は出来上がって行くのだ。

Sunday 26 May 2019

時間がないときに何を犠牲にするか

暑い。こんなに暑くなるとは。初夏を飛び越して夏がやってきた。これは困る。好きな季節だなと思っていたところだったのに。きっともう一回気温が下がる時が来るだろう。それにしてもこの週末はひどい暑さだ。サングラスと帽子を身につけて自転車に乗ったが、家に帰ると身体が火照り、だるく感じた。いっきに日焼けした感じ。

今週は土曜出勤だったので、長く感じた。と言っても月曜は休んでいるので5日間働いたことに変わりはないのだが。

10連休があったことはよかったのだろうが、仕事の絶対量は変わっていないわけなので必ずどこかでしわ寄せが来る。ということで職場でも5月はいろいろな「不調」を目の当たりにした。

時間がないのである。

時間がないのにいつもと同じことをやろうとすると
1、仕事の質を落とす
2、健康を犠牲にする

このどちらかしかない。全体的にスピードを上げて質を落とさないのが理想的なのだがそれができる人は限られていると思う。

私はどうしたって1をとる。睡眠時間を削るとか家で仕事をするというのはまったく間違っているしすべての崩壊の始まりだと思う。すべての、というのは健康をはじめとして自分の人間関係、日常における仕事のパフォーマンス、私生活、家族との関係、すべてである。

そもそも仕事量を減らす方向に全体で転換しなければいけないのだろうがそれが「全体」なものだからうまく行かないのが日本人。やれやれ、である。

「やりたくないことをやらない勇気」という言葉を前に聞いたことがあるが、まったくもって日本のみなさんに必要な種類の勇気だろう。

Monday 13 May 2019

自分を大事にする母の日

母の日だからと言って特別なことはしないが、自分にとっては「そうか母か」みたいな日でした。母になって3回目の母の日。感謝されるというよりも自分を振り返るような気持ちになってしみじみした。

朝9時過ぎからこどもをつれて図書館へ。特に予定もないのでいろいろしゃべりながらゆっくり歩いて行った。そのまま昼はpizzaを食べに連れて行った。子供の父親から花束をもらって嬉しかった。天気はとてもよく、いったん帰ったあとで美容院に行くことにした。きょうはtreat myself well、自分を大事に扱う日にしよう。髪を切ったあとでたちよったメガネ屋さんで試してみたら以前よりもだいぶレイバンの形が改良されていて日本人の顔に合うようになっている。1年か2年前のモデルのものをひとつ買うことにした。

最後に買ったのは3,4年前だった気がする。サングラスは買ってしばらくすると、どうも合わなくなってくる。流行り廃りもあるかもしれないが納得がいかなくなる場合が多い。それで数年後には新しいものを見つけて買う、を繰り返している。今度こそ本物だわ、とおもっているけどたぶん数年たったらまた新しいの見つけて買っているかもしれない。ま、いいよそれでも。サングラスは見つけたときに捕まえておかないと同じのに会うチャンスは結構低い。こうやって自分にお金をかけて更新するのも大事。

最高に気持ちの良い気候のなか、充実した土日を過ごしました。

Sunday 12 May 2019

初夏がやって来る、こどもメモ

だいたいいつも4月から6月にかけて「ああこの季節好きだなあ」と言っている気がするけどいよいよ本当に好きな季節に入ってきた。初夏がとにかく好きなのです。新緑がまぶしくて、空気が適度に湿気を含んでいる。視力がよくなったような、身体中の細胞が起こされるような感じがする。ちょうど「半袖でちょうどいいかな」というような気候が最高。

というわけで昨日は最高の気候でした。家の中では袖なしでちょうどいいくらいで、外は日光が強くはあるものの気温はそれほど高くない、そんな天気。

久しぶりに週末らしい週末。朝から子を連れて表参道に行って来た。30分くらいしかかからないけど目指す時間の1時間半も前に家を出た。こどもも出たがっていたし、何よりも天気がよかった。

消防署に寄って消防車と救急車に乗せてもらい写真を撮った。ゆっくり歩いて、駅に向かい、電車に乗った。ぜいたくな時間の使い方だなあと思ったけどこれを贅沢だと思うほどに毎日ドタバタしているのだろう。朝も夕方も、平日はこうやってこどもとのんびり過ごす時間はなかなかない。

ランチバイキングに行くと、だいぶおとなしい顔をして一緒について来ていたのだがしばらくすると調子に乗って私の視界から消えた。これが本当に困る。追いかけるとさらに逃げる。放っておきたいところだが、公共の場である。放っておくと何が起こるかわからない。追いかけて捕まえたところで、赤ちゃんのように軽く抱えることはできない。しばらく放っておくと不安になって遠くから「おかあさん!」と呼ぶ。だったらこっちに来ればいいのに来ない。参る。

言って聞かせてどれくらい効果がわからなくても話はすることにしている。これがごく正常な成長過程だ、と私の父は言っていた。確かに。辛抱するしかない。

それでも以前より外出がだいぶ楽になった。いつ泣き出すかわからないあの不安はほんの一時期しか続かなかった。しょっちゅうおむつを替えてあげなければいけないわけでもない。財布と鍵だけあれば出かけられる。

ところで最近こどもが車に限らずいろいろなロゴやブランドのマークを一回で覚えて言うようになった。きのうは表参道にいたせいかGUCCIを覚えていた。そしてさっきは「あ、これおかあさんと同じでしょ」と言ってサッカーボールを持って来た。そこにはadidasのロゴがあり、私がきのうはいていたハーフパンツもadidasだった。たくさんアルファベットが書いてあるものを持って来て「sはどこにある」ともきく。つまり文字を読んでいるのだ。すごいなあ。

Sunday 5 May 2019

連休が終わる

あっという間に連休が終わってしまう。明日東京に帰る予定だ。連休の前半は寒かったり雨が降ったりしたが、5月1日を境にはっきりと季節が変わった。ここ数日は夏のような天気である。おかげで外出するのにも子どもに帽子をかぶせるのが大変だ。いや、言うことを一発で聞いてくれれば問題ないのだが。

連休中のメモ:

1.こどもの成長
これは毎回のことだが、はっきりと成長が見える。言葉については言うまでもないが、それ以外にもこの10日間でいっきに「変わったなあ」と感じることが多い。いつも接している人(保育園の先生、両親)以外の人と意思疎通をはかり、うまくやっていくためには本人のなかでも変化させなければいけないことが多いのだと思う。しかもこの家はとにかくお客さんがよく来る。隣人と親戚をはじめありとあらゆる人たちが入れ替わり立ち代わりやってくる。毎日違う人と顔を合わせるという貴重な機会に恵まれている。しかも自然のなかでまさに野生に戻ったかのように遊びまわっている。

2.陶器市
両親の助けのもと、こどもをつれて陶器市に行くことができた。ものを増やしたくないのに皿が欲しい、というジレンマに苛まれつつ、前から探していた黄色い皿を一つ買うことができた。あとは青い皿を一つ。それからピアス。買いまくったわけではないが、まあ適切な感じで買えたのではないか。時間がたつと食器も違って見えてきたりするのでこれからこの二枚の皿が日常にどう馴染んでいくか楽しみである。

3.古い写真の整理
これは昨日と今日のことだが、古い写真の入っている棚を掃除した。古いといってももう亡くなった祖父母の若いころの写真が入っているのである。めちゃくちゃ古い。アルバムがあるのは分かっていたが、まさかその下にいくつもの封筒と袋が潜んでいるとは知らなった。たぶん誰も知らなかったと思う。祖母については「アルバム」が存在するのは知っていたのだが、その下に眠っていたのは祖父の写真だった。多くは職場からもらったであろう写真たちで、おそらくもらった時のまま、封筒に入っていた。おそらく40年ぐらい?誰も手を付けていなかったと思われる。その証拠に写真どうしがべったりくっついて大変なことになっていた。一枚一枚はがして、何も写真のないアルバムを運よく見つけたのでそれにランダムだがとりあえず入れ、見られる状態にしておいた。そしていくつかの貴重な写真はスキャンしてデジタルデータとして保存しておくことにした。しかしまだ半分も終わっていない。今回のところはここまで、である。それにしても貴重なのだ。なんてったって戦前の写真である。当時の生活の様子が見える。ものすごい写真の力強さである。普通の光景のはずなのに迫りくるものがある。ちょっと一仕事やった感じ。いつか誰かがやらねばならない仕事であれば、これを苦に思わない私がやるに越したことはない。とりあえずこれ以上の劣化からは救った。

さて、寝よう!

Tuesday 30 April 2019

kindle効果

昨日からずっと雨が降っている。今日こそは、と思ったけど相変わらずの雨。昨日の大雨に比べればだいぶマシになったような気はするが。

一か月くらい前にkindleを買った。スマホさえ持っていない私だが、友達が使っているのを見てふと買ってみようかなと思った。というのも毎月ラジオ講座のテキストが「欲しいけどまあなくてもいいか、いや、でも買おうかな」という感じで微妙に増えていく。もうこれは中学の時からずっとこんな感じなので仕方ないのだがいよいよ本棚に入りきらなくなってきた。だいたい、買おうかどうか迷うのは置き場に困るからである。置き場さえ困らなければ買う。

そこでふと思いついたのがkindleだった。とりあえずこの一カ月間、kindleに入っていたのが:

・遠山顕のラジオ英会話 4月号
・実践ビジネス英語 4月号
・山本高史 『案本』

これだけ。
そもそもゆっくり読書をする時間もないまま一か月が過ぎた。『案本』は読みかけ。それから数日前、実家に旅することになったわけだがその時にkindleをとりあえず入れた。「あ、そっか。どの本を持っていこうか、と迷う必要がなくなったのだ」とその便利さを実感した。そして重さも考えなくていい。

着いて翌日、『案本』の残りを読み、すぐにほかのをダウンロードした。翌日には読んでしまった。それからまた別のをダウンロード。

…これはどうやら紙の本を読むよりだいぶ読書が進みそうだ、ということに気付く。

「ついつい買ってしまってお金が飛ぶ」と同僚が言っていた気持ちはよくわかる。本当にクリック一つで一分後には読めるのでついつい買ってしまう。しかし本は買うものだ。今まで本を買うのに戸惑っていた理由は、場所をとるから、というのに他ならなかったのだがこれだったらためらわずに買える。しかし買いすぎないように一つ読み終わるまでは次のに手を出さないようにはしている。

電子書籍なんて、と思っていたが意外なほどに、おかげで読書が身近になった。

ところで買った本のうちの一つがこれ:

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

よくある健康本とはだいぶ違い、きわめて「冷静に」書かれているのでとても読みやすかった。おすすめ。

さてきょうは何を読もうかなあ。



Sunday 28 April 2019

旅メモ、実家

忘れないうちに旅メモ。

昨日から郷里に帰ってきた。子どもを連れての旅である。4月の初めに二泊三日で一度帰ってきたので今月だけですでに3回目の飛行機搭乗となる。連休なので混んでいるかな、とか毎回やや不安はあるものの飛行機なので、新幹線とは違い乗車率160パーセントとかそういうことはまずない。どんなに「混んで」いたとしても席は必ずある。

朝はいつものように起きて、出発の2時間前ごろから準備をする。搭乗に関して言うと毎回が挑戦で「そんなの慣れっこ」ということはできないのだが、準備は回を追うごとに「慣れたもんだなあ」と思う。絶対に忘れてはいけないのはANAのカードと、こどもの保険証。それ以外はもし無かったとしてもなんとかなる。何せたった数時間の国内での移動なのだ。こどもの服は少し迷う。これを持っていくべきかどうか、とか。自分の服は靴下一足とヒートテック一つ以外は何も持って行かない。実家にあるものですべて事足りる。いつもの軽いスーツケースにこれらをぱぱぱと詰めこめば完了。

さて、家から空港までは珍しく電車とバスで移動することにした。理由は、①前回のタクシーが飛ばしすぎで酔った②午後の便なので時間に余裕がある ということ。実際のところ時間は余裕すぎるくらいあったのでこれは正解だった。羽田までのバスは、レインボーブリッジを渡るときの景色が結構好きだ。バスは座席も高いので眺めがいい。開けた海の眺めが気持ちよかった。

空港ではかなり時間に余裕があった。メルセデスベンツの店で車を見学してこどもは喜んでいた。

飛行機にのって離陸すると同時に子どもが寝た。これは助かる。私は身動き一つ取らずなんとかその眠りを続けさせようと頑張った。その結果、着陸の5分前まで眠り続けてくれた。素晴らしい。これがうまくいくことはめったにない。2歳8か月。記憶が正しければこれが27回目の搭乗である。すげえよ。退屈だから降ろせ、とかそういう泣き方をすることはあっても、飛行機自体に慣れなくて泣くこと(たとえば耳が痛いとか怖いとか)はほぼない。昨日初めて、離陸のときに外を見てすこし怖がっているようではあった。もっと小さいころはどうってことなかったものが2歳8か月になって「怖い」という感情が出てきたのだろう。おもしろいなあ
こどもが寝てくれたおかげで初めて機内プログラムを視聴することができた。映画って何があるんだろうなと思ったら「カメラをとめるな」があったので見てみた。しかしイヤホンもないし腕にはこどもを抱いておりあまり動けなかったので音声なしで、英語字幕で見るということになった。そして残りのフライト時間より上映時間のほうが長く、全部見れなかった。それでも、である。これは相当面白いなということが分かった。機会があったらあらためてちゃんと見たい。音声つきで。ほんとに久しぶりに映画見たなあ。
せいか、着陸前にだんだん具合が悪くなってきた。たぶん、だが、疲れているときこそ乗り物酔いしやすい。揺れている機内で頼むから早く着いてくれと思った。

迎えに来てもらって、車に乗っている間に少し眠ってしまった。少しごろごろして、夕方お風呂に入ったらだいぶすっきりした。9時ごろ就寝。

それにしても実家はいい。日々の戦闘態勢からしばし休戦状態に入ったような感じがする。ここにいる人たちは完全に私の味方であり理解者であり協力者である。自分を許してくれる人たちのいる場所が世界のどこかにあるというのはこれほどにも大きな安らぎを与える。

10日間まるまるここにいる予定。思いっきりごろごろするつもり。完全にスイッチ・オフさせていただく。

Tuesday 23 April 2019

22日のこと。都庁、発熱

体内年齢20。体重も元に戻ってきた。やっぱり数日間はゆるめる時期があっていい。何を食べてもいいし運動しなくてゴロゴロしててもいい、みたいな時期。

昨日、病院に検診結果を聞きに行ったら、結果がよかった。だからもう、アポを取って検査に通う必要がなくなった。一年に一回、検診センターで受ければ良いということ。無事卒業である。

さらにそこから都庁へ向かい、いざ免許申請。土壇場で「この書類はこれじゃダメです」とか「この単位使えません」とか突き返されるのではとこれまでずっとビビり続けていた。書類チェックの間、座って待っていてください、ということだったがこれがまったく落ちつかず、ちょっと手が震えるような汗ばむような感じだった。

呼び出される。一個だけ、職場から出してもらう書類のなかに必要な一文が欠けていた、と言われる。またここにくるのか、と思ったが郵送でなんとかなるということ。ホッと胸をなでおろす。ほかの書類には問題がなく、なんとかこれで通るようだ。あとから何か判明しないことを願う。

とりあえずホッとした。ここ2年くらいずっとこの厄介な手続きに気を揉んでいたのだがようやくそこから解放される兆しが見えてきた。一個単位を落としたことによる予定の狂いは大きかったがそれでもなんとかここまでこぎつけた。でもまだ安心はできない。役所仕事だから理不尽な何かが待ち受けている可能性もある。

それにしても、である。
教育庁人事部は36階だったんだけど、毎日あんな高いところで働いて気分悪くなったりしないのかなあ。24時間窓開けられないってどんな気持ちなのだろう。そびえ立つ都庁とその中の人々の日常を少し想像した。

せっかく平日に新宿にいるのだから買い物をと思って、服と本を買っていたところ保育園から電話が。熱が39度超えました、とのこと。やっぱりそうか。熱っぽかったのに今朝はほかに選択肢もなく預けにいったのだった。泣き叫び床に転がる我が子の片手引っ張って先生に預けたのが、強引すぎたなあと今朝少し反省していた。昼頃電話をかけて様子を聞こうかどうしようかと思っていたところにあっちから電話がきた。やっぱりそうか。

ということで昼をどこで食べようかななんていう考えは吹っ飛び(というか諦め)、そのまま保育園へ。新しい保育園には医務室もあり看護師さんもいる。熱はあっても健気にしゃべったりしていた。ああ今朝はごめんよ、とは思ったけどこういうときはむやみに謝らないようにしている。実際そのときの私はそうするしかなかったし泣くのは仕方なかった。自分に関することでやたらに申し訳なさそうなお母さんなんて、こどもだって嫌だろう。そもそも終わったことを何か言っても仕方ない。

連れて帰ってから寝せた。そしていつの間にか私も眠っていた。

夕方病院に連れて行くと、溶連菌ではない、ということがわかった。熱は39.6度。いちごを食べたいとかすかな声で言うので買いに行ったら喜んで食べ、6時すぎに寝た。じきによくなりそうな感じがする。

Monday 22 April 2019

きょうやること、こどもメモ

めちゃくちゃ天気が良い。でも一番良い時期は少し過ぎつつあるかなという感じ。というのも暑くなってきたから。この時期しか着れない服というのがいくつかあって、仕事に行かない今日なんかはそれらを着るのにもってこいの日なのだが、1日に何着も着られるわけではない。

土曜の夜からこどもがなんとなく熱っぽい。さっき寝ているすきに熱を測ったら36.7なのでまあ大丈夫かなとは思うものの少し風邪気味のようではある。

きょうは仕事がないのだがやることが二つある。しかも大きめの。

まずは病院に行く。婦人科の検診結果を聞きに行く。これはすでに予約が入っているものなので9時厳守。

それから免許申請。金曜だったか、ついに免許に必要な書類が届いたのだ。理不尽にも待たされていたがその待ち時間は二週間くらいで済んだ。4月なので激混みなのではと予測しているがどんなに混んでも、これは行かねばならない。無事に申請できますように。

話は変わってこどもの寝顔が天使である。もうこれはかわいすぎる。いや寝てなくても可愛いのだけどね。こんなかわいいやつがいるだろうかと思う。小さい頃も可愛かったけど今は今でめちゃくちゃかわいい。そしておもしろい。自慢してもしきれないくらいかわいい。あまりにも毎日かわいいかわいい言っていたら、トミカを見て「このミニクーパーちょっとかわいいねえ」とか言うようになった。(実際ミニクーパーはかわいい。)

道ゆく車で、社名のわからない車はもうない。日本車、メルセデスベンツ、アウディはもちろんプジョーやレンジローバーまでわかる。かなり遠く離れたものでも「ダイハツ」とか「ホンダ」とか「メルセデスベンツ」とか言う。「え、なんでこの距離でわかるの」と言って通り過ぎるのをしばらく待つと、それが本当にそうなのである。驚愕してしまう。最近は「フォルクスワーゲン ゴルフ」とか下位の種類まで言うようになってきて、私ももうまったくわからない。私にとって車は車でしかない。

さてきょうはどんな顔をして起きてくるだろう。

Sunday 21 April 2019

睡眠、友人の講義

今週の振り返り。

先週に比べると過ぎるのが早かったように思う。月曜から土曜まで働いた。月曜からだいぶ元気に過ごし、水曜は午後休みをとって水泳に行き、木曜の夜あたりでだいぶ疲れがたまり、金、土をなんとか乗り切った感じ。

睡眠の負債がたまってくるとそれがよくわかる。睡眠不足と肥満はなんとなく私のなかでつながっていて、もちろん目に見えて肥満ではなくてもなんだか身体がたるんでいるような気がする時というのは全体的に調子がよくなく、頭も冴えない。突き詰めて行くと原因は睡眠不足にある、という場合がよくある。そういうときはつべこべ言わずに8時に寝る。そして起きたくなるまで寝る。

睡眠の負債を貯めてはいけない。少しでもたまると日中のパフォーマンスが下がる。当たり前である。これをわかっていない人が世の中には多過ぎると思う。というのは自分が8時に寝るという経験をし始めてからあらためて、心からわかったことだ。寝溜めと世の中で言われるものは、実際に何も貯めていなくていままでのツケ、つまり負債を返済しているに過ぎないということ。平日のパフォーマンスを低下させて週末を無駄にしているだけ。日々の負債をゼロにしておくこと。少しでも借金したと思ったらすぐに払い切るべし。

ところで、睡眠不足が肥満に繋がるというのは嘘ではなく、科学的に根拠が示されているらしい、というのはあちらこちらで聞く。睡眠不足は何も良いことをもたらさない。犠牲にしているものが大き過ぎる。

テストの点数を上げたかったら、夜中まで勉強するよりさっさと寝たほうが効果は大きい。これだけは言える。私は高校時代からずっとそんな感じ。時間が来たら、終わりなのだ。ずるずる引っ張っても何も生み出さない。

とは言え、夜だからこそ力を発揮できる人もいるだろうし一概にこうすべきとは言えないんだけど。

話は戻って。

金曜午後に、仕事が終わってすぐ母校へ向かった。近くはないのだが友人が卒業生として講演をするというのでこれは見に行くべしと思ったから。スタートに間に合わないのは承知の上で行ったのだが、結果から言うと行って大正解だった。通常、人の話を10分以上継続して聞くことは私にとってたいそう困難なことだ。しかしこの話は、もっと続けてくれ、と思うくらい面白かった。ただものではなく面白くて頭の良い友人なのできっとそうであることを期待して行ったのだが。内容の深さももちろんのこと、分かりやすさがこの上ない。こんなに面白い話を聞いたのはいつぶりだっただろうか、と思った。この日を境に、漠然とだが沸々と勇気とやる気が湧いて来た。これらをぶつけられる仕事を持っているという事実が幸せそのものである。

来週からも思いの丈をぶつけていくつもり。精一杯に、自分のしたいことをする。そのために、寝る!

Thursday 18 April 2019

お役所仕事、体重とか

朝の気持ち良さは私にとって貴重である。やっぱり私は朝型人間だよなあと思う。もちろん前日寝るのが遅くて朝「もっと寝たいよう」と調子悪く起きるときもある。でも割合としては圧倒的に気持ちよく起きる日のほうが多い。朝日ですべてが活性化される。朝日を浴びるとひとつひとつ細胞が起きだす感じがする。

免許申請の手続きが進まない。これにはイライラする。書類が揃わない。役所の仕事を待っているだけである。理不尽極まりないなと思うのだがこればっかりは考えても仕方ない。文科省に文句を言うしかない。

夏に行われる研修に仕事関連で参加しなければいけないのだがその研修先一覧がまだ届かない。リストはできていないのにその締め切りだけは決まっているという。4月26日。冗談だろう。見てその場で決めるしかないのではないか。これもお役所仕事を待っているだけの話。

今年度は、この免許取得と研修が2大イベントである。結構大きなことなのでいい加減には済まされない、とこっちは覚悟しているのだが、役所がいい加減なので、始まって早々ガックリしている。

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水泳なり合気道をして身体の調子を保とうと気をつけている。体重はだいたい58〜59kg代を行き来している。数年前からするとちょっと痩せたが調子はいい。冬は体重計も私の足も冷たくて、体重以外の体脂肪その他はちゃんと計れなかったけど最近はきちんと測れるようになった。体内年齢というのが出る。これが19才〜20才だと調子が良い。ただし身体のサイクルというものがあるので、昨日からの数日間は体重と体内年齢を気にしないことにしている。たとえばきょうは59.9kgと22才だが「まあいいや」である。サイクルがあるので仕方ないしいずれまた戻る。腹筋もしないし食べ物も制限しない。いったん身体を緩めるのも大事。

Tuesday 9 April 2019

寝不足

天気が良い。専修免許取得にかかわる書類の件できのう確認の電話を都庁にしたところ今取得している書類をあらためてとりなおす必要があることが判明しとにかくストレスをかかえている。なんとしてでも修了期限前までにこの面倒な作業を完了させる必要がある。早いところ解放されたい。

そんなこんなで考え始めると結構イライラそわそわしてきて夜も何度か起きたりした。極めて変な夢をいくつか見た。

今朝起きると天気が良いのできのうのイライラがだいぶ晴れた。朝は良い。だいたい嫌な気分から抜け出せなくなるのは夜である。

朝5時20分からこどもが元気よく起き出して「まんま起きる」と私の髪をひっぱったり私の上を這い回ったりで大変だった。寝たふりをしようとしたがそれどころではなくなってきたので諦めて5:50に起きた。日が昇るのが早くなるに従いこどもの起床時間も自然と早くなるのだと思う。自分のために朝の自由時間を取れるのが3、4日に1回になってきている。

昨夜はしかもなんども蹴りを入れられたり突然泣き出したりして私も起きる羽目になりきょうはだいぶ寝不足気味である。しかし同時に仕事始め、ということで、仕方ない。やれやれ。

Sunday 7 April 2019

ほっとけーきに始まり6時就寝の日曜

こどもメモ。

ここ数ヶ月、土日はこどもが昼寝をしなくなってしまった。先週だったか珍しく寝たことがあったけど今週末はまったく寝なかった。体力が付いてきたのだろうけどやっぱり眠そうである。必死に「寝ない」と言うが目は朝の70パーセントくらいの開きかたになる。

で、きょうのこと。

きょうこそ、なんとしてでも一人の時間が欲しかったので朝5時半ごろ目覚め、私はふとんを抜け出した。その5分後だったか、がさごそと音が聞こえる。なんとこどもがトミカのカタログを暗闇で読んでいるではないか。無言で。

「おおいどうしたの、もうすこし寝ようよ」
と言うと、
「救急車どこ」
と返ってくる。少し泣きが混じっているのでいつもほど機嫌がよくないのがわかる。「救急車はねえ」とページをめくってあげると喜んだ。それからまったく寝る気にはならず、そのまま起きてきた。

6時過ぎた頃だったか「わたし ほっとけーきつくるのよ」と言った。かの有名な「しろくまちゃんのほっとけーき」からの引用である。セリフはたいてい覚えている。

「え、ホットケーキ食べたいの?」と聞いたら「そう」と言う。

ホットケーキミックスはなかったのだが、しろくまちゃんの本を思い出しながら
「たまごをわって ぎゅうにゅういれて」「こむぎこ おさとう ふくらしこ」を材料にして適当に作った。要は、固まれば良いのだ。

「こなはふわふわ ぼーるはごとごと だれかぼーるをおさえてて」
「ぽたあん どろどろ ぴちぴち ぷつぷつ やけたかな まあだまあだ しゅっ ぺたん ふくふく くんくん はい できあがり」
である。

まったく、よくできた本だ。感心せずにはいられない。
本にはないが、冷凍のブルーベリーを入れてあげたら喜んで食べた。

そんなこんなで始まった日曜日だが、前述のとおり昼寝をしなかったため夕方には不機嫌の限界がやってきた。どうにかしておふろに入れたものの、おふろをあがってから、泣き始めた。「こっちおいで」と言うと丸まったようにして腕の中に入ってきて、2秒で寝た。

なんということだろう。6時に眠りにつくとは。

30分たって起こそう、と思いながら、あえて中塚武の上機嫌な音楽を再生してビールの缶をあけた。私にとって何よりの「小確幸」はビールかワインをのみながら音楽をかけて料理をすること、である。料理といっても大したものではない。水菜をハサミでばしばし切って、サラダスピナーに水といっしょに入れる。特大のボウルを用意してツナ、ゆでたまご、アボカド、水菜、オリーブオイル、塩、バルサミコ酢を入れてまぜて、終わり。ばんごはんそれだけなの、と言われそうだがこれが大量なのでじゅうぶんに満足なのだ。

寝た。こどもが寝た。私は自由だ。

半分踊りながらビールを飲み友達と少しメッセージのやりとりをして幸せを噛みしめる。嗚呼、最高。

それでもこどもを起こさないわけにはいかないのでちょっとひと段落してから起こしてみたものの失敗に終わった。本当に眠かったらしい。ごはんは食べさせてないけどそのまま朝まで寝てくれることを期待して、寝る場所へ移動させることにした。そのきっかけになったのは、こどもが寝返りをうってソファから落ちかけたのをスライディングでキャッチしたから。「あっぶねー」とつぶやきながらこれはここに寝せとくべきじゃない、と思った。

寝てしまうと楽、とは言いつつも、こどもがかわいい。めちゃくちゃかわいい。12月の超イヤイヤ期を終え、今に至るわけだが意思疎通ができる程度に言葉が使えるようになっているのであの時ほど限界状態に陥ることはない。あれ以上辛いものはない、と思っている。「家に帰りたくない」と思うことが当時はよくあったが今は保育園に預けている時間にこどもの声が頭のなかで響く。今頃何てしゃべっているんだろう、と思う。かわいくて仕方ない。こんなにかわいい生物が世の中にいるかよ、と思うくらい。

きょうは合気道に行ったので実は身体中、疲労困憊である。世界一かわいい生物のとなりで寝ることにしよう、そろそろ。

Tuesday 2 April 2019

元号発表を知らなかった

郷里にいる。

昨日のフライトは混んでおらず、久しぶりに一人一席を使うことができた。こどもにとって、私の記憶が正しければこれが25回目の搭乗である。すんげえな…。

言ってわかることが増えてきたので泣きわめいたりすることもなく2時間を超える飛行機の旅を無事に終えた。えらい。ほんとうにえらい。

さて機内にて。11時過ぎごろ、やけにテレビ画面が騒がしい。生中継とか書いてある。官邸の様子と、黒い車が移動する様子が映し出される。何だろう一体、と思っていたら、新元号発表らしい。へえ?と思っていたら飛行機は着陸態勢に入り画面が消えた。

着陸後アナウンスで「新元号はれいわになったそうです」。

ということはもしかして今日は歴史的な日だったということか?まったくニュースに追いついていない私。飛行機を出てから家族にそのことを聞くと家族は私の知らなさぶりに驚いていた。

まったく気にしていなかったです…。

テレビを見なくなって約1年半が経つ。それでも決定的に困ることはない。きょうも、元号が発表されるのを知らなかったからといって何か困ったこともなかった。

まあこれからもきっとこんな感じです。新年度、新しい章の幕開けである。

Monday 1 April 2019

ひとつの章が終わり

4月になってしまった。昨夜は友人を見送りに空港まで行ってきた。別れは辛かったし事実を受け入れるのは大変なことだった。でも別れを恐れていたらそもそも出会いさえないのだ。

29日は退職する同僚の最後の出勤日だった。丁寧にもみんなにメッセージを残して、涙を流して去って行った。

別れを惜しんでいる間に4月である。どうしようもない。悲しんでいる暇もないのだ。1日は24時間しかなく、夜は必ず明けるので、残酷なほどに時間は過ぎ「はい次」と示される。誰がどんな感情を抱いていようとも、時間は流れる。そしてたいていのことは時間が解決する。

きのうで一つの章が終わった。「終わり」である。これから待ち受ける新しい出会いに期待をして4月の、この朝を迎える。

今日から2泊だけ実家で過ごすことにした。あと1時間半でここを出るのでそろそろ荷物を準備しよう。天気も良いのでいいフライトになること間違いない。

Wednesday 27 March 2019

出会いと別れについて

月曜日でいったん仕事に区切りがついたので少しゆっくりしている。

専修免許申請のために集めなければいけない書類があり、時間のあるときにと思ってここ数日集中して準備することにした。今は東京都の免許申請受付停止期間なのだが、まあ5月ぐらいに開始だったかしらと思っていたら4月16日再開だということ。だったら急がなければいけない。書類関係は面倒なのだが、それだけに勢いをつけて一気に済ませてしまったほうが良い。ミスすることなく申請がうまく行けばいいと思っている。

3月は別れの季節で、最終週である今週は特に各地で色々とドラマが繰り広げられている。

かく言う私も例外ではなく、(いや、私は去らないのだが)近々東京を去る親しい友人がいるし、尊敬する同僚の一人がこの3月で退職する。去る人々をとどまらせることは不可能で、かと言って自分が一緒に去るかと言うとそうもいかないのが現実。

だったらどうするのか。

受け入れるしかないのである。去る者は去る。残る者は残る。いつもどんな時代も、別れというものがある。どれだけテクノロジーが発達しようとも、そこには去る人がいて、とどまる人がいる。どれだけ辛かろう受け入れるしかない、その別れを。

何かが終わるということは、そして区切りをつけるということは、新しい章の始まりでもある。前向きになろう。別れと言っても生きている限りはどこかで出会うことはある。きっと楽しいことが将来には待ち受けている。人生には色々なことが起こるので、別れと行ってもその中に起きる一つの通過点にすぎない。

辛かったり楽しかったり、色々あるけど思い出は多いほうが良い。何年も経ってからそれが大きなエネルギーになっていたりするし、人生をより深いものにしてくれる。

というのは村上春樹が言っていることですが。最近それが少しわかるようになってきた気がする。人は思い出を作ろうと思って生きるわけではないだろうけど、よき「思い出」ができるためには、新しい人と関わり、新しい場所に出かけ、新しいことに挑戦してみることがまず必須だと思う。ぼうっとしていると時間はあっという間にすぎて行くんだけど、実はチャンスはすぐそこの曲がり角まできているかもしれない。

別れがある以前に、出会いがある。出会いがあってこその別れだ。

Sunday 17 March 2019

還暦を祝う会、こどもがかわいい

てな訳で(どういうわけかというのは、前2投稿をお読みいただきたい)、この土日はこどもがいつも以上に尊く可愛く愛おしく感じられた。わがままで泣いてもそれほどイライラしない。そこに元気でいるだけで、いや、生きているだけで上出来すぎるぐらいに十分なのである。これだけの危険に囲まれて暮らしているのに何事もなく今ここにいるというだけで奇跡みたいなものなのである。

たったの一週間で色々なことがありすぎた。人生観を変える、というと大げさかもしれないがそれくらいに大きな出来事だった。もう二度と無くていい。

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きょうは恩師の還暦祝いに行ってきた。15年ぶりに会う人でも顔を見れば「あ」とお互いなんとか思い出せた。居心地の良いゼミだったのだがその9割以上は先生の人柄によるものだったと思う。学部のゼミにも修士とかなんとかとかいろいろずっといた気がする。それくらい人が集う、言い方を変えるとなかなか人が出ていかない場所だった。

ゼミで学んだことに直結する職についたものの、学生時代ろくに勉強をしなかった。控えめに言ってもだいぶ横柄な学生だったと思う。現場では困ることだらけだった。先生に連絡を取るようになったのははっきりいって職についてから、である。なんであの時勉強してなかったのだろうとしきりに思ったし、先生だったら何と言うのだろうといまだによく思う。

先生のゼミに入ったことがきっかけで、その後15年もたっても、基盤となっている考え方は崩れていないと思う。大学二年間に勉強できなかったとしても、勉強はこれからもできるわけです。

先生からいい影響を受けた学生の一人として、先生が目指してきたことや、主張されてきたことを少しでも現場に還元する役割を担えればと思っている。

そしてこれだけ人に慕われる「師」というのは一体どういうものかなと考えると、同じ教師という立場にある者としてやはり学ぶことが尽きないのである。

家に帰るとこどもがきょう借りたレスキュー車の本を見せながら「これもいす〜ず」「これもいす〜ず」と言って走り出てきた。さらに「新しい笑い方」を披露してくれた。かわいい。かわいすぎる。丸くて柔らかい肌に触るだけで究極に幸せな気持ちになる。こどもは三日連続で昼寝をしていないので案の定疲れはたまっており、すぐに眠りについた。明日は元気に登園できますように。

Saturday 16 March 2019

救急車 その2(アナフィラキシー・ショック)

木曜日、4時に迎えに行った。新年度のため改めてアレルギーの書類を書いてくださいと受け取り、それについて翌日の4時に園長先生と面談するという話になった。

私はこの日年度末の忘年会だったため5時半には家を出ようと思っていた。こどもはイタリア人とともにパスタを買いにスーパーまで行った。

5時すぎ。帰ってきてすぐに「お風呂に入ろうか」というと大人しく入った。だいぶ早いけどまあいっかと思って一緒に入ったものの様子がおかしい。声が枯れている。顔色もおかしい。青いような黒いような色をしている。反応も鈍い。「いたい」と言いながらおなかをひたすら掻いている。だんだんと目が閉じてきた。風邪かな、どうしたのかな、胃腸炎が流行ってるとも聞いたからそれかもしれないなと思いながら「髪洗うのやめとこうか」と聞いたが、ウトウトし始めてほとんど反応しない。「おふろあがる?」と言ってもほとんど眠るような感じになってきて反応がない。乾かしてもらおうとタオルでくるんだところ、吐いた。

ああやっぱり胃腸炎か、と思った。大丈夫だよ心配しなくていいよと言いながらちょっと洗ってあげた。吐くと毎回本人はそうとうショックを受ける様子で、さすがにちょっと泣いていた。

着替えを頼んで、私はゆっくりお風呂から上がろうと思っていたところ、大声で名前を呼ばれた。こどもが相当やばいらしい。早く救急車を呼ばないとやばい、と。急いで着替えてこどもの様子を見ると、ぐったりしている。慌てて小児科に電話すると「救急車すぐ呼んで」と言われた。

そして、スーパーに行く途中で会った知り合いからもらったクッキーのなかにピーナッツが入っていたということがわかった。

救急車を呼んだのだが到着するまでに結構時間がかかった。車が来ない代わりに救急隊の人たちが到着した。それから救急車を待った。その間、子供は大変なことになっていた。思い出したくもないくらい。白目をむいて、ぐったりしていた。父親は「目覚まして」と叫び続けている。手を握り返せますか、と救急隊の人から言われたのでやってみたがまったく握り返さない。何の反応もない。声も出ない。消防車のおもちゃを持ってきて、「ほら消防車だよ」と言っても反応がない。

それでも完全に目が閉じていたわけではなかったので絶望的にならずに済んだ。焦ってもどうしようもないとわかっていた。

どれくらい時間がたったかわからないけど救急車がやってきた。救急車を見てこどもがようやく「いすず」と反応した。おお、よし、だいぶましになってきたぞ、と思った。救急車に乗る頃には最悪の状態を脱したと思った。が、乗っている途中でまた同じような症状になった。つまり目を閉じて反応がなくなっている。一生懸命名前を呼んで、起こそうとした。私の両親に電話をした。今考えてみるとあれは、知らせなければいけないというより、こどもを直視できなかったので何かしら他の行動を取ろうとした結果なのかもしれない。たぶんその電話をした前後だったと思うが、その日初めて「これは本当にやばいかも」というネガテイブな感情が出てきた。心臓がドキドキするのがわかった。まさか、そんな、頼む、と思った。まさに生きた心地がしなかった。

自分の体のことではないのに、自分の体が切り刻まれるかのような気がした。

病院に着いてからは最悪の状態は脱していた。医師と看護師は結構のんびりした感じで対応した。「今すぐ注射しなければいけない、というような感じではない」と言われた。しかし「このまま帰らせるわけにはいかないので入院」と言われた。

採血、点滴、レントゲン撮影を経て入院の説明が始まり、部屋に通された。

9時過ぎだったか、子供が寝た。私はまだ神経が尖っていて、呆然としていた。wifiのパスワードを看護師に聞いたりしていたところで荷物を取りに一旦家に帰ってくれていたイタリア人が戻ってきた。

二人で寝息をたてる子供を見たら、いっきに力が抜け、涙が溢れてきた。本当によかった、無事でよかった、と。元気でさえあれば他に何も要らないと思った。どんなに泣き叫んでも、わがまましてもいいから、元気でさえいてくれれば良い。救急車で味わったあの感じは、もう二度とごめんである。

そのあとも、寝る気にはなれず、暗い部屋で二人でこどもを眺めてぼうっとしていた。思いついたこと(「なんとしてでも守ろう」とか「この小さい身体でどんな辛かったろう」とか)をぽつぽつと呟きながらも、ほとんどは静寂だった。

買ってきてもらったコンビニの弁当を食べて、突然襲ってきた空腹を抑えた。こんなベッドで眠れるのかなと思いながらも予期していたよりだいぶ深い眠りについた。

二日連続で救急車に乗るとは。こんなことは人生で滅多に起こるものではない。

救急車 その1

今週は2回も救急車を呼ぶことになった。しかも連日。

水曜日。私だけでごはんを食べさせることになるのはわかっていたので新鮮な魚でも買おうと思い帰り道にスーパーへ。鯵が美味しそうだったので焼いて食べさせた。骨のある部分を口に入れたので「あ、吐き出して」と言ったものの手遅れ。痛い痛いと泣き出した。最初は冗談で言っていると思ったのだがどうやら本当に痛いらしい。午後6時半。2017年秋に救急車を呼んだことがあったがそれと同じ時間帯だ、と思いだした。小児科はちょうど閉まったばかりで、急患はまだ開いていない。こういう時間帯に病院に行くことになった人はどうしようもない。つまり救急車を呼ぶしかない。すぐに呼んだらすぐに救急車到着。どの病院に連れて行くか、救急隊の人たちが探してくれている。そしてようやく見つかって「車走らせます」というとき、赤色灯が点滅するのを見て子供はぴたっと泣き止んだ。痛くないのかと聞くと「いたくない」と答える。おかしなことだがだんだん雰囲気も和やかになってきた。いつも見に行っている消防署の人たちだったので顔も知られており「いつもの子だよね」と言われた。病院に着く頃にはけろっとしていた。「このまま乗せて帰ろうか」と隊員さんも冗談を言うくらい。

診察はしてもらったものの実際に骨が見えるわけでもない。結局救急車に乗って戻ってくるだけの旅だとなった。

帰りのタクシーでなんだか気持ちが悪そうだなと思ったら案の定タクシーが止まった瞬間に吐いた。車酔いしやすい性質らしい。これまでなんども同じパターンがあった。本人も驚いてイタリア語で「ケ コルポ」とつぶやいている。「びっくりした」の意味だ。

いずれにせよ何事もなくてよかった。とりあえず家に帰り子供を寝かせたあとで嘔吐物で汚れた服を洗った。やれやれ、で水曜日は幕を閉じた。

Monday 11 March 2019

こどもメモ 2歳6ヶ月「いすず」

こどもメモ。

2歳と6ヶ月。
車への強い関心はとどまるところを知らず。

もっぱら救急車と消防車に熱中していたと思っていたらだんだんと工事現場の車や乗用車にも興味を示し始めた。なかでも感心させられるのが、車のメーカーを言い分けること。特に「いすず」には過敏に反応する。理由は、消防車がISUZU製なのでそれがきっかけでいすずを先に覚えた。大きいはしご車になると「HINO」と書いてあるのでそれもすぐに覚えた。

あまりにもいすずに熱中していて、散歩しようにも散歩がまともに進まないほど。昨日は止まっていたトラックを指差して「あれ、いすーず」と言うのだが、前面はこちらから見えなかった。「うーん、そうかもねえ。前が見えないからわからんねえ」と言うと、なんと後方にあるタイヤの泥除けに「ISUZU」のロゴが。そしてそれを指差している。まさかこんな小さいのを見ているとは。

それにしても世の中にこれほどまでいすずが溢れているとは思わなんだ。考えたことさえなかった。トラックのほとんどはいすず、と言ってもいいほどである。

救急車はトヨタ、というのも覚えた。そして「三菱CANTER」も覚えた。ただし発音はイタリアっぽく「みつびし きゃんてる」だが。

近所に駐車してあるありとあらゆる自動車のロゴを見てはvolvo, nissan, ford... と指差して言う。ものすごい遠くから走ってくる車も「ニッサン!」と言うのでほんとかよと思ってみると本当なのである、これが。

メルセデス・ベンツ、BMW、ポルシェなどの高級車も覚えたのだがなにせ教える側がイタリア語話者なので日本での呼ばれ方とは少し異なる。

例えば:
「メルセデス」ではなく「メルチェデス」
「びーえむだぶりゅ」ではなく「びえむゔ」
「ぽるしぇ」ではなく「ぽるしゅ」

ポルシェなんて確かにイタリア語のほうがだいぶ本物に近い。

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昨日は近くで行われていたフリーマーケットに3人で行ってきた。数々のミニカーを買ってもらえたおかげでこどもは退屈することなく、まるでマタタビを浴びた猫のように車に陶酔しており帰宅後も、何時間も一人で遊んでいた。本を読むと言っても、「消防車もみる」と言って車にも本を見せようとし、寝る時もものすごい数のミニカーに囲まれて寝ていた。寝にくそうだが本人にとってはこれが天国なのだろう。かわいいなあ。

Sunday 10 March 2019

土曜、合気道

土曜は朝からこどもを小児科に連れていき、アレルギー関連の書類をもらい、そのまま図書館とスーパーに行き、いったん家に戻り、それから電車に乗って下北沢へ行き、無印でお菓子を買い、ピッツァを食べて帰り、こどもを置いて、さっきまでいた下北沢にまた自転車で戻り、美容院に行った。

花粉が飛んでいる。結構ひどい気がする。「例年に比べて…」というニュースはあまりあてにならないので参考にしないようにしている。というか参考にしたところで対処の仕様もないから。目を触らなければなんとか1日を乗り切れると思うのでメガネをして過ごしている。それでもだんだん調子が狂ってくる。発熱とか、そういう本当の具合悪さとは違うものの、ものごとが思うようにいかない感じがする。ストレスがたまる。ストレスの原因はあちらこちらにあるのだろうが花粉症のせいということにしておこう。

それで、数日前から心に決めていたとおり昨夜は合気道に行ってきた。すべてを忘れるにはこれが一番良い。水泳でも良いのだがプールは結構いつでも開いているので行けるチャンスは多い。合気道は決められた時間にしか行われておらず、さらにこどもを預かってもらう都合もあり、行けるチャンスを逃すとなかなか難しくなる。だから今週土曜は行く、と宣言しておいたわけです。

二月に二級へ昇級したのでその免状をもらった。みんなに拍手してもらって嬉しかった。大人になってこういう褒められ方をすることは滅多にない。逆に、注意されることもない。立場は全員同じで、ここでは職業も年齢も何も関係ない。全員がフラットな関係を保っている。合気道は私にとってかなり貴重な場なのである。

子供が生まれてからは「月に1回行ければよし」と自分を許している。そのくらいじゃないと続けられない。とりあえず決めていることはただ一つ:辞めない、ということ。それだけ決めている。なかなか行けないときも自分を責めないこと。そうすると自然と言い訳をする必要もなくなる。

家に帰って、子供を寝かして、シャワーを浴びてからモッツァレッラとアボカドとソーセージを食べた。花粉の季節が終わるまでにあと二週間くらいだろうか。

Saturday 9 March 2019

いいものに囲まれて暮らす

パペリナのラグを買った。今まで使っていたものに満足していなかったわけではないがキッチンから移動させて使いたい場所があったのと、キッチンには実は50cmほど足りていなかったので思い切って2mのものを買ったのでした。どのデザインにするかだいぶ迷った。一年くらい迷っていたんじゃないだろうか。結局赤いやつにした。届いたのはイメージとちょっと違ったけどすぐに慣れてきた。

イッタラのティーマ(赤17cm)を追加で1枚と、クチポールのナイフとフォークも試しに買ってみた。

キッチンマットとか皿とか、役目さえ果たせばどれでもいいのは事実なのだがいいものに囲まれて暮らしていると、どうでもいいものを使っているよりは生活がずいぶん楽しいものになる気がする。

同時に、どうでもいいものは処分しないとものは増えていく一方である。

最近「こんまり」が海外で大ブームのようだ。日本国内でも最近こんまりのことを知ったという人もいるのかもしれない。日本で最初の本が出たのはだいぶ前のこと。5年くらい前じゃないのかな。結構私は当時影響を受けたうちの一人で、その時の「たたみ方」がいまだに身についているくらいである。あの本はやっぱり革命的に良い出会いだった。そのほかにもお片づけ本はたくさんあるけど、こんまりのを読めばほかはあまりいらない気がする。

こどもがいると当時のように思うようにはいかないのだが、それでも基本の考え方はしっかり持てている。おかげさまで。

そろそろ本棚に集中して手をかける予定。

Tuesday 19 February 2019

パルプ・フィクションを映画館で見る

日曜に出勤して考えることと言えば当然「明日の代休何しようかな」に限る。というわけでおととい、映画館のサイトをクリックしていたら目を疑った。

「パルプ・フィクション」

まじかよ、と思って詳しく見ると、古い映画をこうやって映画館で上映するらしい。聞いたことはあったけど、そうか、パルプフィクションは古い「名作」にカテゴライズされるのか、「ふむ」と一呼吸おいた上で、自分の置かれた状況を冷静に考えた;

月曜
代休
子供は保育園
午前10時
一番好きな映画の一つ
特別料金

逃すわけにはいかない!
というわけで、最初にぼんやり立てていた予定(「歯医者に行こうか」とか「友達に会おうか」とか)を一気に頭の中から取り払い、何よりもパルプフィクションを優先させることにした。これ以上いいタイミングはないのだ。

パルプフィクションは大好きな映画の一つである。100回というと大げさかもしれないがそのくらい何回も見た。最初に見たときはVHSだったのではないかな?VHSの再生できるテレビに、ずっと入りっぱなしだった気がする。それをひたすらBGMのように流していた。おかげでセリフを一部暗記してしまったほど。

で、映画館で見た感想:

良すぎる。最初の、ハニーバニーが叫んだあとに音楽と共にタイトルが入ってくるところとか、ミアとヴィンセントの話とか昔の感情がそのままよみがえってきてだいぶ興奮した。とにかく音楽が久しぶりすぎて、もうこんないい映画ないよな〜うんうん、と思いながら思わず踊り出しそうだった。

DVDより断然良い、というかいろいろと気づかなかったことに気が付いた。そもそも久しぶりに見たので「あれ、ここってこんなんだったっけ」みたいなシーンもあったけど、それよりも細部に気が付くことが多かった。最初のレストランのシーンでも、ヴィンセントが歩いて行くのが写っているというのは知ってはいたけど、会話をよく聞いていると背景にジュールスとヴィンセントの会話が低く聞こえる。これはDVDだと気づかない。そして映画館で集中して3時間座っているというのはやはりしっかり映画に向き合っているので良い。家のDVDだと途中でお茶入れたり歯磨きしたり邪魔が入ったり小包が届いたり…と全然集中できない。

しっかし、やっぱいいよなパルプフィクションは。センスよすぎる。もう一回ちゃんと見ようと思った。

Monday 18 February 2019

消防署内見学

今週は土日も仕事だった。12日から6日間ずっと働き続けたので結構疲れた。何よりも、通常とは違う種類の業務だったのでより疲れた。頭の右側の「こり」が出てきた。昨日ですべてが終わったのでとりあえず息抜き。今日と明日は休み。長かった。

昨日は昼頃帰ることができた。疲れているはずだけど天気は良い上に仕事が終わった開放感から気分は軽かったのでこどもを連れて外へ出た。図書館に行き、公園に行き…とだいぶ動いた。気づいたら2時間歩き続けていた。

いつものように消防署へ行くと、なんときょうは特別に消防署の中へ入れてもらえることになった。文字通り毎日通いつめて一年ちょっと。中へ入れてもらうのは初めてのことである。こどもが興味あるのは消防「署」よりも消防「車」なのでより興味津々なのは明らかに子より私である。

入ってみるとカレーの調理中だった。お話を聞いたところ、常時15人がいて、全員分の食事を自分たちで作るということ。メニューも自分たちで考える。そうなのか。食事作る専門の人がいても良さそうなのに。

それからお風呂を見せてもらった。驚いたことに、湯船はつかるためにあるのではなく、体を洗っている時に出動することになった場合、飛び込んで一瞬で体の泡とかシャンプーとかを落とせるように湯船はあるらしい。なんと。これは知らなかった。びっくり。

寝室も見せてもらった。とてもいくつもベッドがあるけど並んでいるわけではなくてうまい具合に干渉しない程度にずれている。駅員さんみたいにベッドが動いて起こす、とかはなくて意外とすぐに起きれるらしい。「いつも緊張しながら寝てますけど」と言ってたけど、本当に眠れるのだろうか。

あらためて、仕事の重さというか命がけっぷりを感じた。すごい仕事が世の中にはあるものだ。

しかもこの人たちいつも爽やかで明るく優しい。常に身体は鍛えられて髪は切りそろえられとにかくかっこいいのである。精神面の構えも違うのだろうなと思う。尊敬すべきヒーローたち。こどもがいなかったらこんなに間近で毎日見ることもないのだが。

Monday 11 February 2019

連休、こどもメモ

連休3日目。

金曜…通常の仕事のあと夕方から友人が来てくれてpizzaを食べる。こども大喜び。

土曜…雪が降るということで覚悟していたがそれほどひどく降ることなかった。雪の降っていない午前中のうちにこどもを連れて図書館へ。図書館に掲示してある、先週から気になり続けている北斎のポスター。鬼が書かれているのだが怖さが少しあるものの近づきたくて仕方ない。近くまで行って「これは?」「これは?」「この人はほくさい?」を繰り返している。トイレの近くに貼ってあるので、トイレに行こうとする人をみると「あのひともほくさいみる」と言う。かわいすぎて喜ぶ図書館員たち。午前中のうちにプールへ行きひと泳ぎ。関税がなくなって安くなったワインを買い、飲みながら料理。さばの味噌煮、まぜごはん、切り干し大根のサラダ、きんぴらごぼう、などなど、ひたすら料理し続ける。

日曜…日差しは暖かいが昨日からの冷たい空気が残っている。特に予定は無いのできょうも図書館へ。それから電車に乗って無印へ行きバウムクーヘンを買う。20分とせずに帰る。目的は電車に乗ることでありそれに付随したバウムクーヘンなのでこれで良い。駅で偶然昔の教え子たちに会う。全員の名前思い出せず。帰宅後昼ごはんを食べさせて午後からプールへ。今週はこれで4回目である。新しい水着を買ったことの効果たるや、大きい。村上radioの第4回目が本日であることを朝偶然、幸運にも知ったので7時から聞く。「思い出は、たくさんあると後になってからエネルギーとなるし人生のクオリティが違う感じがするのでたくさんあったほうがいいです」みたいなことを村上さんが言っていて、本でも読んだ内容だったけど本人の肉声で言われるとやっぱり響き方が違ってそうかなるほどと思った。第五回が楽しみだ。8時半ごろにこどもと一緒に寝た。

月曜…そして今日。友達に会う約束をしている。きょうはたぶんプールには行かない。軽い風邪状態なのでちょっと控えておいたほうがいいかもしれない。

こどものメモ。

2歳5ヶ月。ものすごくよくしゃべる。イタリア語を。こうやって連休ともなると保育園に行かないのでますます、である。たぶん本人もこれが心地よいのだろう。「イタリア語で知ってるけど日本語で言えない」みたいな単語もだいぶ増えてきている気がする。ここ数日、線路の脇にある「らくがき」のことをずっと言っているのだがもちろんらくがきという言葉は知らないのでgraffito arancioneというイタリア語で表される。間投詞もほぼすべてイタリア語である。罵り言葉こそ出ないものの、ネイティブっぽい言葉が次から次に繰り出される。日本語でのコミュニケーションに困難は今の所なさそう。

The Beatlesについての知識がすごい。イントロ1秒で(たとえば)I wanna hold your hands!とかタイトルが出てくるのははっきり言って驚愕する。Youtubeでも同じ。再生前の画面が見えるだけでタイトルを言う。「次の曲」として小さい画面で出て来ているときも同じ。本当に1秒でタイトルを言う。これは特殊能力かも、と思うほど。感心する。そしてもちろん歌詞もだいぶ歌えるようになってきた。I wanna hold your handsの"And when I touch you I feel happy inside, it's such a feeling that my love I can't hide..."の部分をきのうも流れるように一人で歌っていた。すげえ。Help!もI need somebody, not just anybodyと歌える。これは放っておこう。それがいちばんいい。

生まれる前から、きっとイタリア語と日本語のバイリンガルになるだろうからそれを伸ばすにはどうすればいいのかなと考えていた。とくに英語を教えるつもりはまったくなかったし英語は嫌いにならなければたぶん自然とくっついていくのではと思っていた。イタリア語とは近いし。今もやっぱり教えるつもりはない。放っておこう。きっかけを与えるもなにも、たぶん自分で次を見つけてくるはず。

Monday 4 February 2019

いつでも、どこにでも飛んで行けるように

Travel lightというのは好きな言葉で、荷物少なく移動するという意味。イギリスにいるときに何人かのイギリス人との会話の中で出て来たのでああこうやって使うんだなと思った。

動きたいと思ったらすぐに動けるように、持ち物は少なくしておく。旅行の荷物に限らず、家の中の持ち物についても言える。いつでも、どこへでも飛んで行けるように。まずは自分の持ち物を把握すること。それからいらないものを捨てる。捨てるものをちょっと探してみると常に何かしらあるのが驚きである。不要物と一緒に暮らしているのだ。本当に必要なものを見極めるのは気持ちの良い作業だ。

一週間前に例の試験が終わって以来、ちょっと暇ができたと思っているのだがその暇を何に使っているかというと、いらないもの探しである。無意識に家のなかのものを見渡し、一箇所場所を決め、引っ張り出して「要」「不要」に分けるという作業をやってしまう。暇ができたら本を読もうとか好きなこと勉強しようとか思っていたのに、例えば、結局本を読もうと思って本棚をみるといらない本探しの作業に入ってしまう。

海外でもだいぶ有名になった「こんまり」だが私も実際大きく影響を受けている。かれこれ5年ほど前だった気がするのだが、一度本を図書館で借りて読んでから大きく考え方が変わり、何度も本を借りることになったので結局一冊買ってしまった。今も、なんとなく手にとってしょっちゅう見てしまう本のなかの一つである。

一人で住んでいるわけではないので思いっきり捨てられるものにも限界はあるのだけれどこういう考え方を持っておくことは大事だと思う。

さて、月曜がやってきた。今週はいろいろ忙しくなりそうだけど明るく楽しく生きたいですね。

Sunday 3 February 2019

合気道昇級

久しぶりに合気道へ行った。なんだかんだで行けておらず、まともな稽古は11月以来である。それでも今回はあまり「行きにくいなあ」という気持ちはなかった。なぜかはわからないけど。行ったらやっぱり「行ってよかった」と思った。とても楽しかった。稽古前にストレッチングをしていたとき、ふと「昇段、昇級者」の札に目をやった。なんと私の名前があるではないか。1ヶ月に1回くらいしか稽古に行かなくなって久しい私は昇級などこれっぽっちも期待していなかった。しかも11月からずっと来ていないのだ。これは先生たちからのメッセージがこめられているなとちょっと気が引きしまる思いがした。つまり「昇級したからがんばろうよ」と。「ちゃんと見てますから来てくださいよ」と。

合気道を始めたのは確か2015年の5月。3年以上が経つが、合気道を初めて約半年後に妊娠したため、週2、3のペースで稽古に行くことができていたのはその当時だけである。妊娠してからはもちろん稽古はできなかったし、子供が産まれてからはもっとできなくなった。それでも今のところやめる気はまったくないし、稽古代が払えないほど困窮してもいない。もしその月に行けなかったとしても勿体無いという思いはあまりない。というのもものすごい長ーい目で見ているから。何十年と続けたいから。水泳に加えて生涯における「体を動かすこと」の一つにしたいから。そもそも試合の無い武道なので、勝って賞が欲しいという欲もない。でも、なによりもやってて楽しい。自分に合っている気がする。たとえ1ヶ月に1度であれ、行きたい場所、行ける場所があるのは嬉しいことである。

今回久しぶりに稽古してあらためて思ったことだが、2ヶ月ぶりであろうともやっぱり体は覚えている。受け身ができなくなるとか、基礎からわからなくなっているとかそういうことはない。久しぶりであれ投げられたらそれなりの受け身ができるし身体は「のって」くる。もちろん周りから見たらまだまだなのだろうけどこれは自分のなかでだけわかること。

稽古後のほどよい疲れは本当になんとも言えない。筋肉痛さえ心地よい。

「行けない自分を責めない」というのはずっと前に合気道仲間から聞いた言葉で、そうだよなそれだよなと思っている。この言葉が結構心の支えになっていて、おかげで細々と続けて行くことができている。

ということで、気持ちをあらたに今後も細く長く続けていこうと思う。

Sunday 27 January 2019

試験からの解放

試験が終わった。お疲れ様、自分、である。1年半の長きに渡る放送大学生活が終わる。木曜の朝と昨日土曜の夕方に一つずつ、最終の試験を受けた。「教育心理学」と「教育文化の社会学」。解いた感じとしては、どちらも受かったと思う。致命的なミスをしていない限り90%くらいは合格の自信がある。

試験のプレッシャーって嫌だなと感じ始めたのが一週間かそのくらい前で、それからようやく勉強を始めた。重い腰を上げ、聞いていなかった放送をようやく聴き始め、問題を解いた。

試験からの解放感ってとてつもないなと今、思っている。今朝起きたときに「そうか放送聞かなくていいのか」と思ったらなんとも心が軽くなった。解放されたのである。やらなければいけないこと、が無い。free from examsである。

そうか、一般的に試験を抱えている人たちというのはこういう気持ちなのだな。

タイミングよく昨夜は友達がうちに来てくれることになっていて、ピザとビールでリラックスした楽しい時間を過ごした。

試験結果がくるまでには1ヶ月くらいかかるらしい。まあきっと大丈夫なはず。特に今できることはないので、ネットで買い物でもだらだら楽しむとしよう。

Wednesday 16 January 2019

おばあちゃんに来てもらう

1月が半分終わったらしい。「早い」と言いそうになるが実際のところ初詣とか餅つきとかやってた頃のことを思い出すとだいぶ時間がたっている感じもする。毎年のことだ。

仕事はちょっと疲れたけどやはり職場に行けたのはよかった。3日間同じ景色ばかり(家)を見て過ごしていたので、広い世界に出たように感じた。

こどもは熱のかわりに今度は咳が出ている。完治するにはやはり時間がかかるのだろう。お風呂に入れるのはやめておいた。

昨日から実家から母に来てもらっている。ありがたい。人手が増えると気持ちがこんなに違うのだ。安心していられる。普段いかに綱渡り状態かが分かる。おばあちゃんに会えてこどもも嬉しそうである。今週は気兼ねなく仕事に集中することにする。

休みの間ずっと一緒にいたのでこどもは少し甘えん坊になっている感じもする。当然だろう。仕事に行くというと脚にしがみついて止めようとする。2歳ってどんな気持ちなのだろうなあ。

Tuesday 15 January 2019

水泳、仕事

こどもの具合はだいぶよくなった。少し咳をしていて、かすれたような声を出すことはあるがそれを除くと食欲も戻ったし吐くこともなくなった。よかった。もう保育園にいかせても良いんじゃないかと思うのだがそうはいかないのがインフルエンザである。これから木曜までは登園禁止。私は働かなければいけないので今日から郷里の母に来てもらうことになった。申し訳ない。でもありがたい。今週一週間は甘えさせてもらうつもり。

昨日も一昨日も、夕方に水泳へ行って来た。ほんの30分だがこの効果は大きい。特に猫背になりやすい冬は、こうでもしないとなかなか背中の筋肉を動かすことがない。そして泳ぐとよく眠れる。眠りの深さが全然違うのがよくわかる。二日連続で行って、ほどよい疲労と筋肉痛を得た。きょうから仕事再開である。

三日間の休日は長い。長すぎるのだ。子供が元気であれ病気であれ、三日間家にいるのは飽きる。きょうはちなみに大きな仕事はないのだがそれでも仕事に行けるのが嬉しくて仕方ない。昨日からずっとワクワクしている。

私が仕事をしている理由は、もちろんお金を稼ぐためだが、それ以上に楽しいからである。単純に、それだけ。楽しくなかったらたぶん別の仕事をしている。他人に自慢ができるくらい自分の仕事を楽しんでいる。無償でもやってしまいそうな時もある。産休と育休でいったん仕事から離れて「やっぱ必要だわ」と仕事の大事さに気づいたというのもあるかもしれない。

さて準備をしよう。きょうもいい1日でありますよう。

Sunday 13 January 2019

インフルエンザ

こどもがインフルエンザにかかった。

昨日、土曜日の朝、8時を過ぎてもこどもが起きてこないので様子を見に寝室へ行くと目をあけたまま横になってぼーっとしている。お熱があるの、と聞くと「ちがう」と言う。しかし少しも動かないのでこれは普通じゃないなと思い熱を測ると38.8度ある。もしかしてインフルエンザかもなと思いながら病院の予約をとり、タクシーを呼ぶ。歩いて10分もかからない距離をタクシーで行くのはこういう場合のみだ。病院についてしばらく待って検査をするとインフルエンザA型と診断された。タクシーの中で一回吐き、家に帰ってからも3回か4回吐いた。キウイやパイナップルを食べたいと言ったのであげてみたがその度に吐く。ほんの少しの量でも吐く。水を飲んでも吐く。坐薬の吐きけ止もあまり効かない様子。熱は、39度に到達してからは特に測らなかった。そのまま寝せて、よくなるのを待つのみ。インフルエンザと診断された時点で、来週は少なくとも木曜まで登園できないということがはっきりしている。長い。

今朝は熱が37.1まで下がっている。が、しかし起きてすぐに胃液を吐いた。それからちょっと元気になりはじめていくつか食べ物を口に入れ始めた。そしてまた吐いて、の繰り返しである。それでも熱が下がったので昨日よりはだいぶ過ごしやすそうである。幸い明日も休みなのでこの三日間でゆっくりと調子が戻れば良いと思っている。

Saturday 12 January 2019

「先生これやってみました」ー自由に泳がせる効果

メモとして。普段仕事のことは書かないのだがこれは記録しておくべきと思ったから。

「冬休みの宿題」というものがあるのだが私はこの宿題以外に"Winter Challenge"と題して「やるかどうかは自由で、やってみたらできたよと報告しに来てください。3学期の成績に加算します」という形式の、課題というほどでもないものをで生徒に提示してみた。

こんな感じ:

・英語の本を読んでみる
・字幕なしで映画を見る
・英語で日記をつけてみる
・英語以外の外国語に挑戦してみる(これは私がDuolingoを紹介した)

これ以外でもいいけど、例えばこういうものはどうでしょう、冬休みという時間を有効に使ってみましょう、という感じにした。ほかの言語をやってみるというのは、世界には英語以外の言語もあって、ちょっととっついてみるとやれないことはないし視野はぐんと広がるよという話をよくしているから、冬休みをひとつの機会ととらえてはどうだろう、ということ。

まあ一人くらい報告に来るかもな、ぐらいの構えでいたのだが昨日の始業式で早速二人やってきた。「インドネシア語やってみました」と「日記をつけました」という子。とても嬉しかったのでかなり感動しながら、やっぱり提示してみてよかったなと思っていた。それをきっかけに色々話ができた。

もうそれだけでも十分に嬉しかったのだが、翌日つまり昨日、なんと、最初の授業がおわった後に10人を超える生徒たちがどんどんやってきて、自分のやったことを見せてくれた。種類としてはこんな感じ:

・スマホのアプリで、英語で日記を書いた
・スペイン語を勉強してみたので書いてまとめた
・Duolingoでフランス語を始めてレベルだいぶ上がってきた
・旅日記を英語で書いてスケッチブックにまとめた
・Duolingoで韓国語やってみてるけど難しい
・ハリーポッターを2回目だけど字幕なしで見た
・翻訳に挑戦してみてるけどまだ途中です

嬉しさと驚きと感動でちょっと涙出そうになった。そうか、ちょっと言ってみただけなのに、自由に泳がせただけでこんなにやる気を引き出せたのか、と。教師としての私の役割はこれほどまでに大きいのである。宿題を強いるよりこちらのほうが断然効果が大きいしお互いにストレスが少ない。たとえば、地道にフランス語をゼロからやってみたんだなとその子の冬休みを想像すると、きっとそれは驚きと喜びに満ちていただろう。その体験を16歳の今できたということは、その子の今後の人生に、楽しいこととして残るはずである。やらされたわけではないから。「学習」のあるべき姿。

やれと言われてやったことはたいてい身につかないのだ。きっかけになることはあったとしても本人のやる気と情熱がともなうことはまずない。

かつて無理やりピアノを習わされた経験があるがまったくと言っていいほどあの時期にならったことは今残っていない。苦痛以外の何でもなかったので無意識のうちに記憶から消し去ろうとしている。教師から叩かれたこともあった。毎日五分でいいからピアノの前に座れと言われて、5分間ピアノを蹴り続けた。私はこどもだったけど、あの理不尽さというか無益さはよくわかっていた。こどもだったけど。

というのはつまり、こどもだからという扱いで何かを強いても、こどもはなんでもわかっているということ。これ意味ないんじゃないのか、とかこの人おかしいんじゃないのか、とか。上下関係からくる支配欲は機能しないどころかマイナスに働くことが多い。「先生のいうことをきく」のはなぜか?その理由が「先生だから」だとしたら、彼らはどれだけ思考を停止させれば良いのか?その「先生」は一体何者なのだ?どれだけ偉いのか?

話は戻って、その次から次にやってくる子たちを全部まとめて抱きしめたいくらい嬉しい気持ちでいっぱいでした。本当に教師やっててよかったと(しょっちゅう思うけど)あらためて思ったし、心がじんわり暖かくなった状態で研究室に戻ったのでした。その、例のフランス語の画面をみて「私もがんばるから、みんなもがんばろうね!」と、少女漫画みたいなキラキラしたセリフが自分から出て来たことにちょっと驚きつつもそれが自然に発生した気持ちなのだと今考えて思う。3学期も幸先良い!楽しい毎日が過ごせる気がしている。

Tuesday 8 January 2019

バイリンガル事情

やっと保育園が始まった。帰りに迎えに行くと、先生が髪を切っていてこれがめちゃくちゃかわいかった。かわいいと伝えると照れていた。こどもはというと一日中「こっぱみじんに」と「きさま」を繰り返しているらしく、もう笑うしかなかった。

経緯は、こう:

「三びきのやぎのがらがらどん」を実家にて祖父に読んでもらったところ、印象に残ったのがその二つの言葉だったらしい。今まで私も何度も読んであげていたのだが英語でしか読んだことがなかった。日本語にしてみるとたちまちその二つを覚えた、というわけ。

それにしてもひと昔前の外国語絵本の翻訳ってすごい日本語を使ってある場合が結構多い。「ちびくろさんぼ」などもその例だろう。「すてきな3人組」にも「みなしご」という言葉が出てくるが、もうこれ以降は印刷されないかもしれない。まあ、こっぱみじん、ときさま、は別に古い言葉でもなんでもないんだけど。

こどもは10日間イタリア語から離れた環境で過ごしたにも関わらずその間もずっと一人でイタリア語を話し、周囲を困らせていた。流暢なのである。あの自然なアクセントの置き方はまさにネイティブのそれで、もはや私は敵わない。

父親と一緒にいる時間が多いから、というのはわかるけど、それにしても日本に住んでいるのだし保育園はすべて日本語なのだから日本語中心になるとばかり思っていた。どうしてだろうなと思って見ているが、やっぱりその方が本人として心地が良いのかもしれない。自分をより表現できるほうの言語を選んでいるのだろう。ちなみに日伊ともによく理解している。ただ、出てくる言葉がイタリア語のほうが流暢というだけ。

これで、保育園の友達がもっとしゃべるようになってくるとたぶん日本語のほうが強くなるだろうし今後変わってくるだろう。いずれにせよ興味深いバイリンガルの生態。

Monday 7 January 2019

わるごはん

休日出勤を終えたらもうきのうは眠くて仕方なくてやっぱり子供と一緒に寝た。9時ごろ。そしたら今朝は6時まで眠り続けていた。こどもは昼寝を5時近くまでしていたのもありなかなか寝付こうとしなかった。しかし思う存分寝たおかげで機嫌はよくおかげでお風呂に入れるのもごはんを食べさせるのもそれほど困らなかった。

こどもと二人でごはんを食べるときは特に加工食品に頼ることが多くこっそり「わるごはん」と呼んでいる。きのうはレトルトのミートボールとブロッコリを煮込んだ。全然悪くないじゃんと思うかもしれないがオーガニックやら自然派やらにやたらこだわるイタリア人のせいで(おかげで?)加工肉や冷凍品は出番が少ない。「わるごはん」という名前もかわいいしおもしろいのでまあいっかという感じである。そのうちふたりでカップラーメンでも食べ出す。

食事に限らず「まあいっか」と思うときたいてい私の頭には私の父、または父の母、つまりおばあちゃんの顔が浮かぶ。この人ならこう言うだろうなと簡単に想像できる。おおらかさと、寛大さと、忍耐強さをそのまま人間の形にしたような人たちである。なかなかああいう人間にはなれないのだが。「たまにゃそんなこともあるさ」ぐらいで構えておかないと自分ももたなくなる。そういう意味ではこどもにだいぶいろいろ勉強させてもらっている。

ところで、新年となったが相変わらず目標たる目標はない。年が明けても毎日は同じように過ぎていく。後悔のない1日を過ごすこと。「今」を楽しむこと。明日死んでも良いように。

Sunday 6 January 2019

肩こり、休日出勤

朝起きると右肩と首の間が痛い。いつものことである。特に冬になるとこうなることが多い。ひどい時は振り返ることさえできないのだがきょうはそれほどでもない。

水泳に行っていないのだ。年末からずっと行けていない。暇ができたら行かねば。こうやって身体のあちこちが痛いときはたいていどこの病院に行ってもすっぱりと治るということはなくて、最善の解決策は「動かす」ことだということをここ数年で学んだ。マッサージも一時的だし、整骨院ができることも限られている。日々がんばって自分で動かすしかない。

きょうはなんと日曜出勤である。が、これを実は結構楽しみにしてしまっている。まあ休みに越したことはないが家での休日よりはだいぶマシなのである。

Saturday 5 January 2019

飛行機、帰京、大荒れ

昨日東京に戻った。こどもを連れての飛行機はこれで24回目。すんごい回数だ。しかしながら何度乗っても楽になるということはない。もちろん「2歳で初めて乗る」という状況に比べるとこちらも色々と予測ができるし準備にも慣れているので楽なことに間違いはないが、乗れば乗るほど楽になるというわけではない。その時々の要素によってその時々の問題が発生する。
要素というのは:

1. 何歳何ヶ月かという成長度合い
2. 何時の便に乗るか
3. どの席に乗るか
4. Wifiの使える機種か

例えば一番最初、生後1ヶ月で飛行機に乗せたときが楽だったかというと、そうでもなかった。寝かせておけば良いのだろうがあまりにもふにゃふにゃの弱さなので気が気ではなかった。そしていつ泣き出すか予測がつかなかった。かと言って、身体ががっしりしてきて意思疎通のとれる今のほうが楽かといえば、決して違う。途中で「おりる」とか言い出すので困る。そして祖父母に会えなくなった「寂しさ」のような感情も持つようになっているのでこれも面倒である。

つまり「一番楽なとき」みたいなのは無くて、その時々で大変さは違う。嘘みたいに楽だったときもあるけどそれは偶然寝てくれたにすぎない。

それにしても席にスクリーンがついた機体の場合は本当に楽である。助かる。帰りの便は残念ながらスクリーンが付いておらず、それどころかWi-Fiさえ使えなかったので大変だった。この便に行きの便以上の運賃を払っているというのが信じがたい。早いところ全便Wi-Fi対応してもらわないと。

ちなみに昨日の午後便で寝ると思っていたこどもは寝ず、家に帰ってからも寝ず、今朝は機嫌が良いかと思いきやまだ眠気が残っているため大荒れで、ものすごいパニック状態に陥るまで泣いて、昼ごはんも食べずに寝た。今もまだ寝ている。

2歳のこどもにとってこの環境の変化は大きいのだろう。それにしてもひどい泣きようだった。こちらの耳だけでなく心もつぶれそうだった。外に出たいと言って床でジタバタするこどもをよそにトイレに入ったとき、安堵のため息が出た。間に一枚壁があるだけでこんなにホッとするとは。

大変すぎるのである。これは早く保育園に行かせないともうもたない。

何をしても「違う」と言うのはここ1ヶ月以上ずっと変わっていない。今朝、外に連れ出して歩いているときに相変わらず「違う」の繰り返しで、その間になにか心のなかでぷつんと切れてしまった。切れるというのはブチ切れるとかじゃなくて、気力がなくなる感じ。これだけすべてを否定され続けるとこちらももういいやという気になってくる。そして歩いているうちにもはや私から話しかけなくなってしまった。それが泣きわめくきっかけを作ってしまうこともあるから。早く仕事に行きたい。行かせてくれ。明日は日曜出勤なのに嬉しささえ感じるのである。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...