ある同僚の話。娘が25歳になるらしい。もっと小さいかと思っていたのでびっくりした。そうか、もう25なんですか〜と話していた。同僚曰く、今になって「親と一緒にあまり過ごさなかった」とか「遊んでもらった記憶がない」とか言い出す、とのこと。たとえば10代の頃はそんなこと言わなかったのに、と。「そういうのてずっと記憶に残るらしいね。だから聞くたびに、あーそうか、そうだったな、って昔を悔いる気持ちもちょっとある」
そうかもしれないな、と思った。数日前に聞いたその話が私も結構印象に残っていて、よく考える。自分の親が自分をどう育てたかについて考えるのはもちろん自分が親になったからだろうけど、家を離れてしばらくした20代のころ、年子の妹と「あの時のあれはひどかったよね」「うちって実は色々変なのかもね」と話し始めた記憶がある。それぞれに忘れられないひどい思い出と光景が残っていて、話し始めると涙が出そうになるくらい、小さい子どもにとてそれは辛かった。あと、よく皮肉を言われていやな気持ちがしていた。怒られるときも「いやそれはそういうつもりじゃなくて」と言いたい場面が山のようにあった。だけど親だったからそれはもう絶対の存在で、逆らう術も弁解の余地もなかった。高校時代、何が嫌だったかって、親のお金で生きているという事実。自由がない代わりに、親にお金を出してもらっている状態をどうにかして脱したかったので早く自分で稼げるようになりたかった。
とまあ、いま思い出すとそれはそれは色々なことがある。親が望んだ通りにはならなかっただろうけど、私は、親からは切り離された、独立した人間になった。そして、また別の人間を養育する立場にある。未熟なのだ、親は。親とは言え、何をどうしたら良いかわからないことだらけである。全能でもなんでもない。この、不安定で情けない存在。
ひとつ確実に言えるのは、親も子も人であり、人として同じだけの権利と自由を持っていること。表現の自由も、ものを言う権利も、健康で安全に暮らす権利も。ただ今のところ3歳のわが子にとっては親が世界の大きな部分を占めていて、私の影響の大きさたるや、驚くべきレベル。最近は「まんまだいすきー。ぎゅー」と言いながら抱きしめてくれる。私が「この時間は貴重だな」と思っているより、子にとってもずっともっと貴重なのだろう。
Tuesday, 8 October 2019
海に行った
肌の話の次は、海です。 月曜に行くはずが、前日の夜が遅かったせいで起きたのが遅く、では明日こそ、という話だったはずが、案の定この日(13日火曜)も男たちは10時ごろ起きてきた。(ちなみに私は毎日6時〜7時には起きています。)諦めそうになっていたので、遅くても行こうと私は言った。と...
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きょうは代休。お昼を食べにでかけたら記録に値する興味深い出来事があった。赤ちゃん連れの多いオーガニックカフェ。昼はビュッフェ形式。私が案内されたのは一番奥の席。両隣にはすでに客がいて食事をしていた。二組とも、女の赤ちゃんを連れた母娘ペア。つまり、女3世代ということ。平日の客のな...
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みてきました。雨だし、平日休みだし、いましかない!と思った。やっと行けた。子の友達がこのまえ見に行ってて、遊びにきたときに感想をどんどんしゃべろうとするので、それを聞くより先に見に行ったほうがいいなと思った。 正直なところ前作のほうが「すげー」だった。が、今回の目標は今までの話...
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7時半ごろ、子といっしょに投票に行ってきた。てくてく歩いて、まあ暑いけど、耐えられる程度。500円渡して、コンビニで何買ってきても良いよというと、486円のフルーツサンドを買ってきた。高い。涼しいベンチで食べて帰ってきた。夏の朝の、ちょうど良い散歩。青空に、筆で書いたような、雲が...