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Thursday, 21 August 2025

帰国しました


日本に戻った。20日の朝8時半ごろ家を出て、子を祖父母宅へ預け、車でフィウミチーノへ。高速道路を2時間半。アドリア海からティレニア海側へ、長靴のちょうど反対側へ行く形になる。距離にして180kmくらいあるらしい。

イタリアの高速を走っていると急に中世の村みたいなのが出てくる
絵本の中みたいだけど、普通に人が暮らしている。教会と広場があるのが普通。

高速は130kmぐらいスピード出ていて途中で「タイヤおかしい」と言い出すので生きた心地がしなかったです。送ってくれたFはそのまま帰る。朝からたいへんな苦労をかけてしまったので来年はおとなしく高速バスを使おうと思った。たとえ3時間以上かかっても。それにしてもありがたかった。

14:55発なので、12時半に空港に着けば十分と思っていたら12時前に到着し、だいぶ余裕があった。ターミナル1。ゲートの番号さえまだ決まっていない。チェックインは前日にオンラインで済ませたので荷物だけ預けた。東京行きのチェックインが、そもそも始まっているのかもわからないが、預かってもらえたのでこれでよし。

荷物を持って店などをうろうろ見て回る気力も特にないのでそのまま手荷物検査を終え、パスポートコントロールへ。手荷物検査はPCなどをかばんから出す必要はないのでかなりスムーズ。パスポートも、来たときと同じでThird Countriesに登録されている国は別のレーンから進める。自分でパスポートを「ピッ」とやって、終わり。

機内持ち込み荷物のメモ。最近はリュックと貴重品ポシェットを持っていたが機内で必要なもの(まくら、スリッパ、着圧ソックス、アイマスク、歯ブラシ)をがさっと入れられるものがあるといいなと思ってためしに大きな薄いトートバッグに入れてみたら行きも帰りもこれが便利だった。滞在している間も、特に買い物袋として大活躍だった。

ゲートはEのエリアだということだけわかっていたのでそちらに進んだ。ベネトンの店舗があったので見てみたけどあまり買う気にはならなかった。


奥の方に行くと簡単なレストランみたいなのがある。6年前もここで食事をしたなあ。あのときもゲートはEだったのかなあ。迷ったけど12.5ユーロの"Tuna Poke"にした。ツナのサラダです。だいぶ大きくて、おいしかった。このへんはやっぱりイタリアだよなと思う。一食分あるくらいしっかりした量。空港の12ユーロは仕方ない。日本円にして2000円超える。円安…

席についてゆっくり食べることができてよかった。今回はコンセントにつなぐ、形を帰るやつ(名前がわからない)を持ってくるのを忘れたので、ここで充電はできなかった。来年以降の反省。

搭乗時刻の1時55分がようやく近づいてきたので席を立って移動。歯磨きしたりして待っていたらEの21という案内が。トコトコ歩いて到着。乗客は、またしてもほとんどイタリア人。8割くらいいるのではないだろうか。行きもイタリア人多かったのに。これから日本に行くということは、夏休みをこれからとる人たちもいるのだろう。

帰りもITAエアウェイズの直行便。残念ながら機体は、間違いなくかつてのアリタリアのものを使っている。白いから。外から見てもわかるボロボロ具合だった。これで本当に飛ぶのか、と思いたくなる。

基本的に、席の掃除はされない。というか掃除自体されない。座席ポケットは埃だらけ。床も髪の毛だらけ。飲み物をこぼして固まった跡が席の脇のところについている。そして画面が汚い。タッチパネルなのにタッチしたくない。運ばれてきた食事をテーブルにのせると、すーっ、と前にすべってくる。何回やっても同じ。つまりテーブルがまっすぐじゃない。これは初めてじゃないし、以前は手で支えながら食べなければいけなかったので今回のは許せた。

極め付けは、トイレの鏡が割れている‼︎しかもテープで貼ってある…。これはひどい。ここにかける金くらいあるだろうに。本当にこれでスターアライアンスに入るというのだろうか。ルフトハンザに怒られないのか。怒られてほしい。

それでも直行便の魅力には抗えないのだった。

まず搭乗すると大音量でイタリアの歌謡曲がかかっている。降りるときも同じだった。周りを見回すと、行きと同じように、italo-giapponese 親のどちらかが日本でどちらかがイタリア人、という子供たちが結構いた。イタリア語と日本語が混ざって出てくる。聞いていて面白い。それに親が何語をしゃべるかも面白い。日本語を話すイタリア人のお父さんもいれば、イタリア語を話す日本人のお母さんもいる(←これ多い)。ただし居住はどこかわからない。こどものイタリア語の流暢さを聞くと、これはイタリア在住だろう、と思うけど。

見た映画は、ブリジット・ジョーンズの日記(最新作)、バードマン、ミナリ。どれもかなりよかった。

ブリジット・ジョーンズは期待を超える良さだった。自分に子供がいるのもあるだろうけど泣いてしまった。そして演技がいい。続編をつくると大抵コケるのに、この映画はよくなっている。昔のやつもう一回見たいな。あれでどれほど英語を学んだだろう。

バードマンは一度見たことがあって気に入っていたので久しぶりにもう一回見たくなった。レイモンド・カーヴァーの小説を舞台でやる、という設定なので、小説も読み直したくなる。それにしてもカメラワークがすごすぎる。有名な話だが、この映画は2時間ずっとカメラの画面が切り替わらない。すごい映画だと思う。

ミナリ、これがよかった。韓国ドラマを見るようになって以来、欧米の映画やドラマを連続して見ているともの足りなさを感じる。嘘くさい、とまでは言わないけど自分から遠い感じ。ということで「ミナリ」を見た。とてもいい映画だった。案の定、たくさんの賞をノミネート、受賞しているらしい。

あとはひたすらテトリスをやって、到着まであと3時間というときにアイマスクをつけてみたらいつの間にか寝ていたようだ。2時間もないくらいしか寝ていないけど、なんだかそのあとがすごく楽だった。

揺れさえなければもう少し寝ていられただろう。あんなに揺れたのはきっと機体が古かったからじゃないのか?(と思いたくなるくらいボロボロの飛行機だった。)

到着と同時に拍手が起きて、旅の最後までイタリアだった。行きの飛行機よりさらにイタリア人が多いフライトだったし、これから日本観光をするワクワクでいっぱいの人たちなのでこうなる。

10時すぎに着いたので11時間半くらいで到着したことになる。たいていはほぼ寝ない状態でふらふらしながらリムジンバスに乗るのにきょうは余裕があり、しかも帰宅してから洗濯や荷物の片付けもできた。倒れ込むように寝ることはなく、2時から3時まで、1時間だけ寝た。

「すん」としていて静かな日本。これだけ人がいるのに電子音しか聞こえない。
そのあと買い物したり郵便ポストのチェックをしたりして今にいたる。

帰ってきてからの感想:

日本はまだまだ暑い。久しぶりに、ちょっと歩くだけで汗が出ている。まだ夏休みという人たちもいるのだろう、なんだか静かな感じもする。帰国してもいつもより「わー、久しぶりだなあ」という感じがしない。なぜだろうか。

気持ちがいいと思うことと、寂しく感じること:

東京は、人がきびきびと働いて、あちこちがキュッキュッと磨かれている。いいなと思う。いつもどこかで誰かがペコペコしている。日本の人は体が小さくて、細い。

バスから建物を眺めながら、こんなに狭いところに、こんなにたくさんの人がいるのに、整然と機能しているというのはやはり奇跡的なことだなと思う。その代わり一人一人の抱える我慢の度合いは高いし、ほかの文化圏の人たちが気づかないところまで気づくがゆえに、神経を使っている。無意識に。

仕事で頑張っている分なのか、ほかの場面ではコミュニケーションをとらない。とるのが下手、なのではなく、とらないのが普通。たとえばバスに乗車するときに挨拶はしないし、スーツケースを運転手から渡されても「ありがとうございます」の一言は出ない。

それでも、去年に引き続き、帰国して「日本いいな」と肯定的に感じている。豆腐と納豆が気軽に買える。自転車でどこにでも行ける。すぐ近くに病院も歯医者もある。銀行や役所が決められた通りに動いている。落ち着いていて、静かで、余計なことに口出ししてこない、黙っているだけで自分のテリトリーに誰かが入ってくることはない。出産やコロナを経てものの見方も変わった気がする。イタリアと日本、それぞれのいいところを都合よく使いながら生きていくつもり。

Thursday, 14 August 2025

偏見と思い込みから抜け出すために外に出る

きょうの午前中は台風が来たのかというほどすごい風が吹いた。雨はちょっと降っただけで、お昼ごろには風も止んで普通の天気になった。今は暑い。2週間前、ここに着いたときは寒いくらいだったのが、だいぶ気温が上がって夏らしくなった。きのうの夜は初めて、暑くて起きた。

来週の火曜に日本に帰る。もう木曜なので、1週間も残っていないのか、という事実を認めようと努力している。日本もお盆ということで、インターネットを見ている限り、なんとなく「お休み」な感じが伝わってくるので、こっちも遠慮せず休む。仕事のメールも見ない。多分1週間以上見ていない。こうやって「すべてを止める」期間をもう少し日本も確保していいだろうにな。たぶんお休みっぽくなるのは今週くらいだろう。

日本にくらべるとイタリアのほうががっつり休むだろう。イタリアの夏休みは3ヶ月。ただしこれは「学校の」夏休みである。全国民がいっせいに3ヶ月休んでいるわけではない。この前会ったイタリア人も「明日から仕事」とか「来週の金曜に戻る」とか言っていた。自分が休みをとれるところで取るのだろう。

こういうのは実際に来てみないとわからないものだなと思う。下手すると、イタリア人が3ヶ月ずっと休んでいるように思い込んでしまう可能性はある。日本にいて「いいなあガイコクは…」と思っていると。

思い込み、偏見、バイアスは怖いなと思う。相当意識しないといけない。頭ではわかってはいるけど、いったん自分が住んでいる場所を強制的にでも出てみないと、それらからはなかなか抜け出せない。あるいは統計を調べてみるなど。人間は偏見のかたまりです。

たとえば「◯◯人は〜〜している人が多い」というようなフレーズは簡単に使わないようにしている。せめて「…多いらしい」と断定を避けたり、「こういう人を見たことがある」とか、自分の経験から話すべき。

日本人でもイタリア人でも、3ヶ月休む人はいるだろうし、逆に1日しか休みがないという人もいるだろう。

また、地域差もある。イタリア人はとても明るくてフレンドリーですぐに話しかけてくる、と思われている。日本と比較すると、それは本当にそうだと思う。ただし今私がいるところでは、人々はおとなしめ。観光地で当然のスリも泥棒もない。安全で穏やかそのものである。ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ…といった観光地を訪ねた人たちがここにくるとおそらく驚くはず。

スーパーで撮ったこの写真。

何かというと、全部ビール。ワインをよく飲む国というイメージがある。「イタリア」という言葉から連想されるイラストを描くと、パスタとピッツァに並んでワイングラスを描く人もいると思う。

実際、ワインはとても一般的で身近な存在だが、ビールもたくさんの種類があるし、よく飲まれている。違いとして面白いのは、缶入りはほとんどなく、瓶入りという点。


これらは「バイアスかかってますよみなさん」と知らせたいというよりは、自分への戒め。実物を見たり、データを見たり、経験をつんでいない限り断定をしてはいけない、ということ。繰り返すが、かなり意識しないと、バイアスから抜け出すのは難しい。

海に行った

肌の話の次は、海です。

月曜に行くはずが、前日の夜が遅かったせいで起きたのが遅く、では明日こそ、という話だったはずが、案の定この日(13日火曜)も男たちは10時ごろ起きてきた。(ちなみに私は毎日6時〜7時には起きています。)諦めそうになっていたので、遅くても行こうと私は言った。というのも信用ならないから。翌日の朝8時ごろまでに起きてくるとは思えない。

正直なところ、こうやって「海に行こう」と言う自分に驚いている。これはここ数年における変化ではないだろうか。なぜかというと毎回「海か…」と、むしろ渋々ついて行く感じだったのだ。それが「行きたい」と思えている。なんとなく「海に行かないと夏休みな感じがしない」と思っている自分を、正直なところ認めざるをえない。なんということだろう。

一年前、海についてどう思っていたのだろうと思ってブログを見てみた。うまいこといろいろ書いているけど、やっぱり気は進まないし日焼けを怖がっている。


去年と同じくぺスカーラに行った。車で1時間近く。観光地ではない。混んでもいない。アジア系は私だけ。水がすごくきれいなわけではない。太陽は強烈。

正直に言おう:

行ってよかった。楽しかった。

ぺスカーラの様子も、周りのあらゆる条件も昨年と変わっていないけど自分は変わっている。この海に行くのは5回目ぐらい。ようやく苦に感じなくなってきたということか。

パラソルの装飾?が、すずらんテープみたいなやつでできていて、当然、はげ、落ちまくる。落ちたすずらんテープ、つまりプラスチックは砂のなかに混じり、海に入る。これだけプラスチック減らすとか大騒ぎしているのにこういうのは認めるのか?

長い時間水の中にいた。深さも冷たさもちょうどよかった。海のなかにいるといろんなことがどうでもよくなった。水平線を眺めて、これは地中海?アドリア海?と思った。月並みだけど、この先には何があるかな、と思った。

ここにいる人たちはおそらく9割以上がイタリア人。生後、一体何ヶ月だろう、というくらいの、小さい赤ちゃんもいれば、老人もいる。みんなこんがり焼けていて、肌が白いと逆に目立つ。

パラソルの下に戻って本を読み始めたらものすごーく気持ちのよい風が吹いてきて、いつのまにか寝ていた。どのくらい寝てたのだろう。気づいたらひざより下に日差しが当たっていた。

5時ぐらいにピッツァを少し食べた。昼は食べていなかった。


でいう「海の家」みたいなのが陣地(?)ごとに海岸に並んでいる。パラソルとlettinoという、寝そべることのできる椅子が用意されている。きのうは海に近いほうで35ユーロで借りた。朝早く行けば選べる場所がもっとあったはず。ピッツァは2切れで5ユーロ。

帰り道、車のなかで感じる日差しも風も気持ちよかった。いろんなことがどうでもよくなった。少しくらい焼けるのも、勲章みたいなものかなと思った。夏を楽しんだ証。


に帰ったら、それほど焼けていなかった。首から胸にかけては赤いけど、何年か前のように肩から背中にかけて肌がヒリヒリして困ることもなかった。日焼けしないために必死になるより、いっそ水のなかにいる時間が長いほうがいいのかもしれない。だんだん慣れてきたのだろう。

スーパーに寄って、家に帰って、ビールを飲んで、チキンとかサラダとかいろんなものを食べた。とてもおいしかった。

また海に行きたいかと言われると、今年はもういいです。次に行きたいと思えるときまで。

Monday, 11 August 2025

終わりがなかなかこない夜の外出

Fが昔の友達と食事に行くことになり、私と子も一緒に行った。日曜夜、開始は8時半。イタリアの夏は9時ごろようやく日没なので8時ごろはまだ「夕方」な感じがする。すぐ近くのレストランに歩いて行く。地元の人たちがちらほらとやってくる。我々の場合は「友人とその家族」が集合して結局15名だった。小さな子どもがたくさんいた。
イタリアの食事は、アンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、ドルチェ、と続く。全部頼まなくてもいい、ということはもしイタリアのレストランに行く予定の人がいたら覚えておくといいかもしれない。

しかしきのうの場合は全部頼んでいた。分けあって食べられるように大きな皿で運ばれてきた。きのうは店の人がなんと1人しかいなかったらしく、ウエイターとシェフ役を1人でやっている女性は本当に大変そうだった。

そのせいで料理が出てくるのはとても遅くて、ようやく肉が出てきたときには食欲より眠気が勝っていた。時計は見ていないけどおそらく11時ごろだったと思う。

そこからさらにデザートを頼み始め、エスプレッソも出てきて、ついに12時をまわったころには私はイライラし始めた。子供たちはレストラン中を駆け回り、鬼ごっこをしている。いつものように「もう帰ろう」と言い始めてから少なくとも1時間はかかる。いい加減にしてくれと思う。

わたしのように朝型で、睡眠時間を何よりも優先させて日々を過ごしている人間には苦痛以外のなんでもない。20代のころは、日付が変わるような遅さに付き合えていたのだがだんだん無理になってきて、40過ぎた今となってはこの通りである。ただひたすらにつらい。「異文化体験だ」と言い聞かせて耐えている。

寝たのは1時を過ぎていた。ワインを飲んだのもあって、おかげできょうは頭が重く、朝から何をする気にもならない。夜ダラダラして、翌日、特に午前中をつぶすというのは愚かなことだと思う。昨夜の人たちが自分の友人だったら違ったのかもしれないが…。

イタリアの人たちにとっては、夜出かけて遅くまでいるのは当たり前のことで、楽しい時間はあっという間に過ぎるものだという共通認識(イタリア人に限らずそんなことは知っているけど、イタリアではもっとそんな感じがする)があり、日付が変わっても「楽しいならいいじゃん」「休暇だし」と、誰もが言う。いつも朝6時より前に起きている、なんて知ると「何か理由があるのか」とたいへん驚かれる。説明するのが面倒なので特に言わない。私のように朝型で、人と出かけるよりも早く寝たい人もいるのかもしれないけどきっと変わり者の部類に入るだろう。

Saturday, 9 August 2025

9日目の雑感

イタリアにきてあっという間に1週間が過ぎた。そう言っている間に10日、つまり休暇の半分が過ぎ、最後の1週間がやってくる。休暇が始まるやいなや「あとxx日か」と考えはじめる。まあそういうものだろう。

旅立つ前には「あれも要る、これも要る」と準備するものの実際に滞在してみるとさほど必要ではない。経験からじゅうぶんわかっているはずだが、渡航前はやはりいろいろな心配が出てくるものだ。服も、ほんのいくつかで十分足りる。

ヨーロッパではYahooが使えないので、日本でなんとなく見ていたYahooニュースに費やす時間が減った。これはよかったと思っている。あれは無駄な時間だった。ほとんど無意識に、ダラダラと閲覧することが多かった。しかもほぼ毎日。Yahooニュースには必要なニュースも含まれているけどたいていが無駄で、出どころのよくわからない記事の寄せ集めだ。それがわかっているのに見てしまう。日本でもいっそのこと見れなくなるといい。自分が見なければいいだけなのだが。その勇気があるだろうか。

日本のことを考える。自転車に乗って、平和に生活できるあの日常がいかにありがたいものか、を考える。必要なものがきゅっとまとまって、清潔で、安全で、いろんなものがよく機能する日本。極端に働き者で、人の話を聞き、周りのことを考えて動く日本人。もう少し楽に生きていいのに。

Tuesday, 5 August 2025

歴史を語る人たち

 きのうの午後、ふらっと親戚が来た。50代か60代?の女性。15分くらい話して帰る。「もうすぐ広島の日ですよね」と言われて、「そうです」と答えた。「もう一つは、長崎でしたっけ」「はい」

原子爆弾のことはイタリア語でbomba atomicaという。ボンバ・アトミカ。正直なところ、日本にいるよりもイタリアにいたほうが、広島と長崎の話を聞くことが多い気がする。世界でほかにない悲惨な歴史を抱えた国として、日本のことを認識していて、イタリアにいるとよく話題に出てくる。日本人より詳しいのではないかと思うことさえある。「原爆の後どうやって立ち直ったのか」「原爆を落としたアメリカとなんで仲がいいのか」など、興味津々で聞かれたことが、数えきれないほどある。

彼女はテレビで見たドキュメンタリーについて話していた。

こういうところが、イタリア人を良いと思う理由のひとつかもしれない。がっしりとした歴史に支えられていること。歴史を語ることが当たり前であること。歴史といっても紀元前から続くとてつもなく大きな流れをとらえていて、世界全体をながめる余裕があること。イタリア人の、ゆったりと、堂々とした生き方のベースはおそらく歴史にある。

この国では学校教育で徹底的に歴史を学ぶ。歴史を語ることは、一部の知識人の作業ではない。これはもしかしたらイタリアに限らずヨーロッパ各国は似たような傾向があるのかもしれない。

今朝、内田樹氏のブログを読んだらまさにイタリアの話題が出ていて面白かった。歴史修正主義は英語でrevisionismというらしいです。知らなかった。

以下引用。

イタリア人はとても親切である。まして同じ武道を修行する道友であるから、遠くから笑顔で手を振ってくれる。以前、神戸の私の道場に遊びに来てイタリア人の合気道家たちとおしゃべりをしていた時に、近代史の話になった。第二次世界大戦が始まった直後、ドイツがフランスを電撃的に攻略した時に、イタリアもフランス領土の一部を占領したことがある。45年の7月には三国同盟を反故にして日本に対して宣戦布告をしている。そのような自国の歴史の「あまり自慢にならない話」をあっさりと話してくれた。少し驚いて、「どうして、自国の歴史の暗部についてそんなに率直に話せるの?」と言ったら、しばらく考えて「昔、一度世界を支配したことがあるからじゃないかな」と答えてくれた。
 なるほどと思った。イタリア半島の住人たちはかつて世界を支配していたのである。だから、「余裕」があるのだ。いちいち「イタリアはすごい」と言挙げしなくても、ローマ帝国が世界帝国であったことを否定する人はどこにもいない。
 英国でもスペインでも中国でもたぶん事情は似ているのではないかと思う。一度は世界帝国になるだけの力を持っていた国である。その国民であるということの自信が歴史修正主義的なふるまいを自制させるということがあるのではないか。
 自国の歴史を虚偽を以て装飾しようとするのは(ドイツ、フランス、日本が適例だが)、そう望んだけれどついに世界帝国になることができなかった国の通弊なのかも知れない。 

Sunday, 3 August 2025

干草、お祭り

前日、寝る時間はすでに日付が変わって8月2日になっていた。それでも6時半ごろ目が覚めたのは、朝型のためか、時差ぼけのためか。いずれにしても朝は気持ちがいい。世界中どこにいたって朝が好きだけど、ここの朝はとても気持ちがいい。家からはこの眺め。

イタリアに行く前、負荷試験に行くバスのなかで、子と話していた時のこと。
「ままは、イタリアに行ったら何がしたい?」
「うーん… モッツァレッラ食べたいな」
「…えっ、それだけ?」
「うーん…」
考えてみたもののこれといった答えが出てこない。のんびりしたい、と思うがそれがアクティブな「したいこと」なのか、というとちょっと違うだろう。観光大国イタリアで「したいことがない」というのも変な話だが正確にいうと「何もしたくない」が答えである。これといって買いたいものもないし行きたいところもない。いや、行ってみたいところはいくつかあるけどそれはイタリアに行ってから考えてじゅうぶんな気がする。
ヨーグルト、ナッツ、アプリコットにオリーブオイル。イタリアではこうする、というわけではなくて私がこれを好むというだけのこと。

子といえば、子にはきのう久しぶりに会った。というのも1週間以上先に父子で旅立っていたため。あたたかく出迎えてくれたが、1週間会えなくて寂しかったね〜、というようなことはあまりなく、まるでこの1週間がなかったかのようにいつもの調子で注意したり怒ったりしている。再会を喜ぶやいなや日常に戻る。そういうものだろう。1週間いなかったからといって急に聞き分けのいい子になるわけがない。そんな調子の良いことはドラマの中でしか起こらない。

子は、祖父母宅ではだいぶ可愛がられていて、親としてはありがたい限り。「親は教育しなきゃいけないけどね、祖父母っていうのは孫を甘やかしていいんだよ、そのためにいるんだよ」と笑いながら言うおじいちゃん。自分の祖父母もそうだった。絶対的に自分の味方をしてくれる、逃げ場だった。

自分の祖父母が海外にいるっていうのはどういう感じがするんだろうな、と、我が子ながら興味深く思う。
とりあえずアンティパストを、と、この皿が出てきた。日本では「チーズとハムとサラミ」でしかないものが、ここでは膨大な数の種類が存在する。
そしてラザーニャが出てきた。表面カリカリで美味しかった。おなかいっぱいになった。

食事が終わってもさっさと片付けたりしないのがイタリアの家庭。誰かがまだ食事をしているのに席を立ってテレビを見に行ったりするのは、タブーとまではいかないが、その場に合った行為ではないだろう。ケンカでもしない限り。

では何をするのか。「おかわりは?」「コーヒーいる?」「デザートあるよ?」「果物はどう?」
これらのやりとりが必ずあり、世間話や、なんてことない家族の会話が続く。ようやく席を立つのは2時半くらいになる。家庭にもよるだろうけど。

いきなりイタリアの家庭で過ごすことになった外国人がいたら、この、ゆっくり流れる時間には戸惑うかもしれない。

帰り道、スーパーに寄った。Bio製品が多い。知ってはいるけどあらためて思う。オーガニック、無農薬の国産品がこんなに多くて、安い。乳製品コーナーに行くと、Avena(麦)のミルク、アーモンドミルク、米のミルク、豆乳、これらがすべてオーガニックで1ユーロ代で買える。日本だと健康志向の高い人のためのオシャレ製品になってしまって500~600円する。そもそもこんなに種類ないけど。

途中で降りて写真を撮ることにした。fieno(フィエーノ)という、干草を丸くしたやつがあちこちにあって、そこで写真を撮るといいね、と前から言っていたのだった。
ひらけた景色

帰ってから庭のプールで遊び、夕飯を食べて、9時ごろから近くのお祭りに行った。

最初から行こうと思っていたわけではなく、帰り道に、上の写真のようななだらかな丘で、何か準備しているなと思っていたらどうやらそこでコンサートをやる、とのこと。じゃいってみるか、ということになった。ここではなにもかもが自然発生的、不随意的に起こる。spontaneousという英単語がぴったりの人たち。
バンドの演奏といくつかの屋台。日本の屋台のような、けばけばしい感じはない。数も少ない。来ている人たちは年齢層が高めだが、子供も、中高生も、子育て世代もいる。300人はいると見た。小さな村の、小さなお祭りに、こんなに人が。注意書きなどはほとんどなく、椅子とテーブルが並んでいるだけ。

クレープと、すぐこわれそうなおもちゃ屋さん。剣のおもちゃをねだる我が子にうんざりする。当然買わない。
後半になると前に出てきて踊る人たちが出てくる。スマホを見ている人がほとんどいない。
走り回る子どもたち。「子どもは寝る時間」というのは、存在しなそう。

だんだん寒く、眠くなってきて11時半ごろに帰った。「帰ろうか」と言い始めてから本当に帰るまでに1時間くらいかかる。知っている人みんなに挨拶をしてから帰るから。イタリアでは、こういう場で知人がしれっといなくなることはまずない。

倒れた椅子を起こそうとしていた子供たちがいたので手伝ってあげたら、女の子が
"Grazie. Come ti chiami?(ありがとう。名前は?)"と聞いてきた。教えてあげると"Io sono Alessandra." と教えてくれた。アレッサンドラ。写真左の子です。

そのあと前歯が抜けたらしく、これまた報告に来てくれた。コミュニケーションに壁がない。わたしを見て「アジアっぽいな、なんか違うな」と思わないのだろうか。日本でもそうだろうか、それともこの子がイタリア人だからか。

Saturday, 2 August 2025

イタリアに着いた

あっという間にイタリアに着いた。こんなに簡単に着いていいのかという気さえする。去年も思ったけど、
・成田ではなく羽田
・経由便ではなく直行便
ただこれだけの違いが、大きな違い。イタリアに行き始めて(?)20年くらい経つけど、当時のこと(つまり成田、経由便)を考えるとそれはもう楽になったと思う。

8:20に家を出て、電車とバスで10時前に空港着。12:45発で14〜15時間。

なんというか、「いよいよ近づいてきたな」という感じがしない。どこでもドアというと大袈裟かもしれないが、降りたらそこは目的地、という、あっけないような感じもする。
派手な色の機体

楽に感じた理由のひとつとして、今回は特に、席の指定をしたこともある。席が指定できるなんて当たり前じゃないかと思うだろうが、違うんですこれが。ITAエアウェイズだと席を指定するだけでお金がかかる。エコノミークラスでもそう。(ほかの航空会社ももしかしたらコロナ以降はそうなっているかもしれないけど。)指定しないとどうなるかというと、チェックインで自動的に割り当てられたところに座るしかない。

昨年、指定なんてするわけがないと思って当日まで放っておいたら案の定、両脇に人がいる席になってしまった。それはそれでなんとかなったけど、やっぱり立ちたい時に立てる席がいい。お金を払う価値はある、と思って往復ともに指定。あわせて9000円くらいかかった。

特に今年は、腰の問題があるので極力同じ姿勢を続けないように、しょっちゅう立った。水を飲みに行ったり、トイレに行ったり、歯磨きに行ったり、ただ立ったり、体操したり。これだけでだいぶ、膝や腰への負担は減ったと思う。これからも席は指定しよう。

着いたあと、夕焼けに照らされた機体を見ながら、当たり前だけど「そうかもう着いちゃったのか」と、あらためて気づく。これだから直行便はやめられないよな。2〜3万円の違いなら断然価値はある。他の会社に比べてITAのサービスに劣るところがあったとしても、直行便の魅力はほかの何にも代え難い。そしてもうすぐスターアライアンスに加盟するというから、ますます選ばない理由がない。

「日本国籍多めです」と、搭乗するときにスタッフがやり取りしているのが聞こえた。「多め」だけど、どちらが多いのだろう。日本からイタリアに帰るイタリア人が多いように感じるのは、とにかくしゃべるから。存在感が、すごい。

今さらいうことではないだろうけど、イタリア人はしゃべる。しゃべる、しゃべる、しゃべる。しゃべってなんぼの人たちである。搭乗して隣のイタリア人が自分と同じように日本への旅行を終えたばかりとわかると"Piacere(はじめまして)"と名乗りながら、この旅行で撮ってきた写真を見せ合う。

わかりやすいのがCAたちである。男女半々くらいのスタッフがいるが、後方にたまって立ったり座ったりしながら15時間しゃべりつづけている。話が聞こえないように声を小さくすることはない。これが誰かにとって迷惑かというと、そんなことはまったくない。そもそも乗客もしゃべるので、誰も気にしない。

残り3時間くらい、というところで少し眠った。寝れても1時間程度。映画を3つ(コンクラーベ、10 giorni con i suoi、Anora)見て、テトリスで遊んだ。字幕もなくてコンクラーベは全然意味がわからなかった。飛行機のなかで字幕なしで映画を見るというのは、最も高度な外国語の聞き取りのうちの一つだと思う。飛行機の音がすごいから。
到着時刻は8時半だったが、8時ごろには着いた。パスポートのチェックは、昨年と違って列に並ばなくてよかった。いままではEUとその他、だったけど、今年は日本とほかのいくつかの国は「その他」から除外されていて、早いレーンに行けた。機械の読み取りだけで外に出られた。荷物も問題なく、結構すぐに出てきた。

空港はだいぶ整備されていて、昔とは全然ちがう。良いこと。しかし昔が懐かしくもある。
ローマは、いつものあのぬるい空気がなくて、だいぶ涼しい。20度台だそうです。迎えにきてもらって、車でアブルッツォまで、2時間以上走る。11時くらいに着いて、空を見上げたら、落ちてきそうなくらいの星。どわっと、降り掛かってくるような勢い。

Saturday, 24 August 2024

22日、フレジェネとトレヴィの泉

21日にローマに戻り、22日。

朝から聞こえる喧騒は、ローマだなあと思う。

叔母さん一家を訪ねてフレジェネへ。車で20〜30分くらい。空港に近い。

それはもう豪邸で、庭はもはや公園サイズ。プールもあるが、これがしっかり泳げる、深さも広さもあるプール。海よりやっぱりこっちのほうが良い。水はつめたかったけど嬉しくてずいぶん泳いだ。

叔母さん一家も、知り合って15年くらいになる。どこの馬の骨?か知らないジャポネーゼ、という存在だったはずの私でも、イタリアに行くたびに挨拶してこれだけの年月が経つと、やはり気楽さが増すし距離が近くなった。

運動するとおなかがすいてお昼もおいしい。

それにしても裕福な人たちというのはやさしい。損得を考えていなくて、裏がなくて、ただその場にいる人たちが心地よく気持ちよく幸せに過ごしていることを願っている。生まれ故郷どころか東京でもあまり出会うことのない層の人たちなので、あらためてそれを感じる。

ローマに戻ってから、日が沈むころ。空がピンクで、きれいだったので撮りたかったけど難しくてこんなになった。

9時過ぎに、トレヴィの泉を見に行くことにした。9時に外出なんて、と思うだろうけどローマは夜の散策のほうが断然良い。日中は暑く、混んでいて、そもそも車で中心部まで入ることができない。
相変わらずの大迫力でした。そしてこの時間でもものすごい人の多さでした。初めて行ったときは、イメージしていたよりも大きいということにだいぶ驚いた覚えがある。そう、ひとつひとつの彫刻がかなり大きい。その辺の噴水とはわけが違う。そしてまた驚くのはごく普通の細い、石畳の道を歩いていてこれがズドーンと現れる、ということ。遠くから見えて「あ、あれだよ」とかそんな感じではまったくない。予期せぬ出現の仕方をする。
ジェラートを買って食べたけどやはり観光客向けの店はただひたすらに甘くて必要以上に大きく、胃にもたれてしまった。子は嬉しそうだったが思ったとおり、食べきれなかった。

Friday, 23 August 2024

トゥスカーニャ散策 ラツィオ州 Tuscania, Lazio ②

21日、トゥスカーニャの続き。
この小さな町は、これがとにかくきれいで、よく管理されている。イタリアの有名な観光地は人が殺到して汚れるがここはそんな感じがしない。

チェントロ・ストリコ(中心街)をゆっくり歩いてみた。いい風が吹く。
ふと横を見るとこういう感じ。絵画のよう。ヨーロッパではこういう石畳のシーンが当たり前すぎるのだが写真にとってあとから見ると「わーきれいだ」と思う。
つたで覆われたこの建物、レストラン。木がにょきにょきはえていて、その間にテーブルがある。
ここにしましょうか、ということでお昼休憩。人気の店なのか、テーブルはあいていなかった。ほんの数分たったら座れた。
「特徴的なのは、メニューがないこと」とマリア。ええっ、と驚くが、考えてみればイタリアでこういう店に出会うのは初めてではない。その日にある、その場のメニューを、言われてサッサと選んで答える。店員がでてきて、「ニョッキかタリアテッレ」x「トマトソースかラグー」というメニューをすごいはやさで伝える。わたしはタリアテッレのラグーにした。メニューがないということは値段も不明。

まあ美味しかったけど特別に美味しいとは感じなかった。なので写真もなし。私にとっては量が少なかった。
ながめのいいところに行こう、ということで少し歩くと、これまたよく管理された公園のようなところに出た。ここからトゥスカーニャのパノラマが見渡せる。これは本当にきれいだった。

よく晴れているけどそれほど暑くはない。30度台の前半だと思う。汗もかかない。気持ちが良い。
遠くに見えるのはお城か、教会か、と思っていたら「さっき行った教会」ということ。そうか、あっちからこっちにきたのか。
中世(より前)からこれがまるごと残っているというのはもはや奇跡に近いなと思う。シルヴィアは「有名な観光地はたくさんあるけどトゥスカーニャは真珠だと思う」と言っていた。perla(真珠)と。ちっちゃく、宝物のように、きれいに管理されて、そのまんま残っている町。
かつて演劇が行われていた場所。
かわった椅子があるなあと思っていたら、女性への暴力防止の啓発のため近年作られているらしい。赤い色がそれを表す、とのこと。

女性といえば、ほんの数時間だったけど女3人で出かけたのは楽しかった。自分が年取ったのもあるけど、イタリアの女性がどう生きているのかというのはとても気になる。話す内容や、立ち振る舞いが日本人とは違う。どっちがいい悪いではない。それでもなんだかのびのび、かつ堂々としている雰囲気はどこからきているものなのか、会話をしているうちに感じるものがある。

マリアは自分より20歳か30歳年上。小柄。小麦色の肌だけどシミがない。背筋が伸びていて、落ち着いて話す様子がとても知的だと思った。

シルヴィアは私と同世代。あちらは2歳と5歳の男の子の母親であり、私は7歳の男の子の母、という時点で共通して話せることは尽きることなく、ある。日伊の違いについてお互いに興味があってたくさん話した。お互いに、母親であるというのは、やりがいはあるけどやはりすごく大変なことであり、言語や環境が違っても共感できることはたくさんある。

家に着いたら、男5人はまだ帰ってきていなかったので「もう少しだけ静かな時間があるわ〜」と言いながらゆっくりした。どこの国に行っても、同じだ、と思った。こどもが生まれてから、そして40過ぎた今となってからのイタリアの見方は、自分のなかでちょっと変わった気がする。なんというか、欧米人に対して抱く劣等感が以前に比べて減ったと思う。子供うまれて、年取って「いろいろたいへんよね」はどこの国行っても変わらず、こどもがいるという経験を経た今は、以前より堂々としている。
本当はもう1泊する予定だったけど、翌日の予定を考えると厳しい、ということに気づいて1日早めてローマに戻ることにした。モンタルトの駅を18:18に出る。まだまだ日が高い時間。
友人に別れを告げる。今度会うときにはきっとお互いのこどももずいぶん大きくなっているだろうね、と。

トゥスカーニャ散策 ラツィオ州 Tuscania, Lazio ①

 21日。数時間お出かけする。友人の母、マリアさんが"Approfittiamo"と言ったのがなんだか忘れられなくて、なるほどこうやって使うんだなと思った。approfittareというのは「利用する」という意味だけど、特にこの日のように「男5人が海に行っていて、残りの女3人だけで静かに過ごせるというまたとない機会を利用する」ときにはぴったりの言葉。語彙の習得はエピソード記憶だなとあらためて思う。

寝不足だったのでごろごろしていたい気もしたが行ってみたらそんな気持ち、いや、そんなことを考えていた事実すら忘れてしまった。

さて、Tuscaniaというまちについて。カタカナ表記だと「トゥスカニア」とか「トゥスカーニャ」とかが近いだろう。大事なのは「トスカーナ」と間違えないことだ。私も最初にきいたときはきっとトスカーナ州にある町なのだろうと完全に勘違いしていた。トスカーナ州ではなくラツィオ州にある。そしてトスカーナは州で、トゥスカーニャはコムーネ(基礎自治体)である。これは本当に間違えやすい。Tuscaniaと検索すると「トスカーナの間違いでは?」と出てくるくらいだ。

ここにあるChiesa di San Pietro (サン・ピエトロ教会)とChiesa di Santa Maria Maggiore(サンタ・マリア・マッジョーレ教会)を訪ねた。

まずサン・ピエトロ教会。ファサードの美しさが際立つ。一瞬で、これは古いなと思った。


ロマネスク建築。私にでもわかる中世っぽさ。

中はこんな感じ。ロミオとジュリエットの、古いほうの映画はここで撮影されたらしい。

地下に降りて行く。ひんやりしてくる。ローマでカタコンベに行った時と同じような空気。


下りてみて、息で、しずかに「わあああ」と声が出た。スペインはコルドバのメスキータを思い出した。
なにが嬉しいかというと、この場所を本当に中世の人たちが歩いたんだな、と思うこと。興奮せずにはいられない。そして観光客が全然いないので余計にそれを感じられる。
柱の影から聖職者が出てきそうな感じがした。
別にもともと行きたかった場所というわけではないのに感激、感無量である。
イタリアはどこにいってもこういう歴史的建造物があり、観光客が殺到していない場所もたくさんある。こういった壁の絵なんかも「触らないでください」とか注意書きはない。触らないのが当然なので。

ふたたび上に上がった。
地面のモザイク。


誰が何の目的で書いたのだろう。

11世紀ぐらいですかね、とマリアにきいてみたら、解説を読んでくれた。始まりはもっと古く、7世紀ごろだということだ。日本だと大化の改新とか、そのへんかな。
メモとして解説の部分もとっておく。

それから聖マリア・マッジョーレ教会。同じ名前は各地にある。
閉められる直前だったので、最後の訪問者としてほんの5分くらい見せてもらった。
中は改装中。
カラーで残っている。
このへんは比較的新しい感じがした。
新しいといっても、調べてみたらこの教会の始まりは8世紀らしい。レベルが違う。
この階段の上に上がって、聖職者が説教をする。登れないようになっていたけど、実際今使われているのかどうかは謎。
やはりファサードが印象的だった。
(つづく)

8連勤とアルファルファ

もういい加減にこの暑さに疲れてきたなあ。雨が降る前よりだいぶマシになったと思うけど、それでもこの季節はもっとこう、スーッと風が吹いてほしい。もう体力がもたない。今週は土日勤務で、9月第1週は長い。8連勤。毎年のことだ。きょうは7日目。 なるべく元気に過ごしたいけどまだ身体は夏休み...