Tuesday, 5 August 2025

歴史を語る人たち

 きのうの午後、ふらっと親戚が来た。50代か60代?の女性。15分くらい話して帰る。「もうすぐ広島の日ですよね」と言われて、「そうです」と答えた。「もう一つは、長崎でしたっけ」「はい」

原子爆弾のことはイタリア語でbomba atomicaという。ボンバ・アトミカ。正直なところ、日本にいるよりもイタリアにいたほうが、広島と長崎の話を聞くことが多い気がする。世界でほかにない悲惨な歴史を抱えた国として、日本のことを認識していて、イタリアにいるとよく話題に出てくる。日本人より詳しいのではないかと思うことさえある。「原爆の後どうやって立ち直ったのか」「原爆を落としたアメリカとなんで仲がいいのか」など、興味津々で聞かれたことが、数えきれないほどある。

彼女はテレビで見たドキュメンタリーについて話していた。

こういうところが、イタリア人を良いと思う理由のひとつかもしれない。がっしりとした歴史に支えられていること。歴史を語ることが当たり前であること。歴史といっても紀元前から続くとてつもなく大きな流れをとらえていて、世界全体をながめる余裕があること。イタリア人の、ゆったりと、堂々とした生き方のベースはおそらく歴史にある。

この国では学校教育で徹底的に歴史を学ぶ。歴史を語ることは、一部の知識人の作業ではない。これはもしかしたらイタリアに限らずヨーロッパ各国は似たような傾向があるのかもしれない。

今朝、内田樹氏のブログを読んだらまさにイタリアの話題が出ていて面白かった。歴史修正主義は英語でrevisionismというらしいです。知らなかった。

以下引用。

イタリア人はとても親切である。まして同じ武道を修行する道友であるから、遠くから笑顔で手を振ってくれる。以前、神戸の私の道場に遊びに来てイタリア人の合気道家たちとおしゃべりをしていた時に、近代史の話になった。第二次世界大戦が始まった直後、ドイツがフランスを電撃的に攻略した時に、イタリアもフランス領土の一部を占領したことがある。45年の7月には三国同盟を反故にして日本に対して宣戦布告をしている。そのような自国の歴史の「あまり自慢にならない話」をあっさりと話してくれた。少し驚いて、「どうして、自国の歴史の暗部についてそんなに率直に話せるの?」と言ったら、しばらく考えて「昔、一度世界を支配したことがあるからじゃないかな」と答えてくれた。
 なるほどと思った。イタリア半島の住人たちはかつて世界を支配していたのである。だから、「余裕」があるのだ。いちいち「イタリアはすごい」と言挙げしなくても、ローマ帝国が世界帝国であったことを否定する人はどこにもいない。
 英国でもスペインでも中国でもたぶん事情は似ているのではないかと思う。一度は世界帝国になるだけの力を持っていた国である。その国民であるということの自信が歴史修正主義的なふるまいを自制させるということがあるのではないか。
 自国の歴史を虚偽を以て装飾しようとするのは(ドイツ、フランス、日本が適例だが)、そう望んだけれどついに世界帝国になることができなかった国の通弊なのかも知れない。 

肌について不思議に思うこと

肌の話。 昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。...