Tuesday 30 December 2008

senza l'olorogio

数日前から実家に帰省している。郷里はいわゆる田舎であるのだが、言ってみれば私にとって異国である。東京とは環境が違いすぎるのである。飛行機で2時間飛んで目的地に到着すると、少なからず疲労を覚える。たとえそこが生まれ育った土地であろうとも、だ。

時差こそ無いものの、その土地の環境に慣れるのに、少し時間がかかる。ここ数日、やっと身体が適応してきた。すると、面白いほどにたくさん眠るようになってきた。まず、12時前には就寝するのだが、朝起きるのは9時すぎである。東京にいるとき、こういうことはあまりなかった。眠りたくても長く眠れないことが多かった。

しかし今ここでは、9時間寝てその後なお、身体が眠りモードに入っている。放っておくと、それが午前中であれ午後であれ、食事後すぐに眠りだす。一日中あくびばかりしている。

ここ数ヶ月のあいだ、不足していた分の眠りをここで取り戻そうとしているようだ。毎日仕事で気を張っていたんだろうなあ、と思いながら、存分に身体を休ませることにしている。

さて、実際ここで私は何をしているのか。簡潔に言えば、
①寝る
②食べる
以上。

それ以上もそれ以下もない。
本を読もうとすれば眠りに落ち、勉強しようとすれば夕飯の時間がやってくる。

今日が何曜日なのか、さらには何日なのか、そして今何時なのか、気にすることなく過ごしている。che bello

しかしながら、東京が恋しくもある。早く戻りたいが、年末年始を東京で過ごすのは避けたいのも事実だ。ぜいたくな悩み。

Friday 26 December 2008

潔い姿

「おぉ」と思う瞬間:



タバコ屋のカウンターで、迷わずにタバコの銘柄を注文する男性の姿。



家の近くにタバコ屋兼何でも屋さんがあるのだが、そこの、レジまで来てスパッとそれを告げる姿を見るといつも「おお」と思う。別にその男性の外見がどうであろうが、あまり関係ない。あまり聞き慣れない言葉を早口で、あまりハキハキとしない声で、ためらうことなく店員に告げる。



「マイルドセブン一箱」とか、そういう簡単なのをいう人もいるが、もっと複雑な銘柄を、ぱらぱらと言ってのける人もいる。



まあタバコを吸わない人にとっては分からないことだが。



一応メモ程度に、書こうと思いました。

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Tuesday 23 December 2008

mio nonno

My grandfather, at the hight of summer, 2008.

We love, respect and are proud of him truly and deeply. He - over 80 years old now - is able to use a cellphone and PC very well, just like young people do. Sometimes he sends me e-mail by using his cellphone, which surprises me even now. Actually he started learning it when he was 80 years old. It was impressive, amazing and ambitious. He is, of course, matured, but seems to be much younger than young people.

This picture is one of my masterpieces. Love ya, grampa.

Sunday 21 December 2008

迷子になる、コーチャン

久しぶりにプールに行ったら、工事中だった。引き返そうとしたのだが、係に話を聞いてみるとそこから近いところにまた別のプールがあるというので、行ってみることにした。とても新しくて綺麗なプールだった。同じ額を払うのであればこっちに来たほうがだいぶ良いと思った。

人も少なく、空いていて、気持ちが良かったのでつい1時間以上、1000メートル以上泳いだ。そして、帰り道、路頭にさ迷う事に。新天地を開拓してしまったばかりに、帰り道が分からなくなった。

しかもこの辺は結構な都会である。都会、しかも住宅地と来れば、そこには坂が多い、という事実は、東京に住んでいる人であればだいたいイメージは着くと思う。

そこを自転車でさまようわけである。きつくないわけがない。すぐに、汗だくになった。

途中で地図を見つけて、なんとか大きな道にたどり着いた。ここまで本格的な迷子になったのは久しぶりだった。周りも暗かったし、本当に心細かった。

もしかすると、水泳で消費した以上のカロリーを、迷子で消費したのではないか。そのくらいだった。

さて。

NHKのニュースキャスターが「こーちゃん氏が…」「こーちゃん氏は…」と、こーちゃんを連発しているので、何かの聞き間違いに違い無いと思ってテレビ画面にふと目を移した。

アメリカ人が死んだ、というニュースだったのだが、その人の名前が「こーちゃん」だというのだ。思わずはははと笑いそうになった。こういうのって、楽しいよね。純粋に、言葉って面白いなーと思う瞬間。
以下、そのニュース:


ロッキード事件で証言、コーチャン氏が死去
 【ロサンゼルス=飯田達人】田中角栄元首相らが逮捕、起訴された「ロッキード事件」で、航空機の売り込み工作について米議会で証言した元ロッキード社副会長のアーチボルド・カール・コーチャン氏が死去していたことが20日、明らかになった。94歳だった。

 コーチャン氏が晩年を過ごしていたカリフォルニア州パロアルトの高齢者用高級アパートの関係者が明らかにした。
 1976年2月、米上院外交委員会多国籍企業小委員会で、旅客機トライスターなどの対日売り込み工作について証言。これがロッキード事件発覚のきっかけとなり、「丸紅ルート」で田中元首相の逮捕につながった。しかし、日本の検察当局が求めた事情聴取は拒否。検察当局は不起訴(免責)を約束し、東京地裁の嘱託を受けた米連邦地裁による嘱託尋問が行われ、田中元首相に対する贈賄工作について詳述した。
(2008年12月21日13時50分 読売新聞

Wednesday 17 December 2008

そんなこともあるかな

「まあそんなこともあるかな」と考えられる人になりたいし、周りの人(具体的には親、恋人、友人)にもそうあって欲しいと思う。将来子どもを育てるとしたらそういう考え方のできる子であってほしいと思う。恋人や友人は、自ら選ぶことができる。だから、もともとそういう考え方のできる人が、自然と多い。ただ親と家族はそういうわけにはいかない。

いや、べつに親と衝突があったわけではないです。こんなことを書いているからと言って。今日は寝ます。おやすみ。

具合が悪かった

久しぶりに投稿をする。気付いたら一週間以上投稿をしていなかった。別に時間が無かったというわけではない。むしろ時間があるほうだった。仕事にもひと段落つきつつあったので。

I’ve been sick lately.

ただ、体調を崩していたのだ。先週月曜日の夜中、凄まじい吐き気と腹痛にみまわれた。おかげで眠れなかった。

火曜日は終日、胃の調子がおかしかったのでろくに食事をせず。さらに睡眠不足。

水曜は元気かと思われた。

ところが木曜の朝、熱が出た。びっくりした。というのも、風邪をひいてもなかなか熱が出ることは珍しいからだ。覚えている限りでは、2004年の9月が最後だった。イギリスに行って一週間後、ろくに食事もせず、さらに住みかも定まらず、いろいろな苦労をいっきに1人で抱えていて、毎日疲れているにも関わらず、それでもやっぱり新しいことだらけの毎日に振り回されていたそのとき、38度か39度の熱を出した。

それ以来ずっと発熱とは縁遠いと思っていた。木曜日は結局38度まで熱が上がった。だいぶたくさん寝てたくさん汗をかいたら、金曜の午後には治った。でも本当に辛かった。頭がふらふらする、というのはこういうことだったのだ。

誰かが前に言っていたけど、具合が悪くなると人の気持ちが分かるようになる。「熱が出ました」と言う人に対する見方が、以前とは変わったと思う。また、「うつ病かも」という友達の気持ちが、20歳ぐらいの頃はちっとも理解できなかったのだが、仕事を始めるようになってから気持ちが分かるようになった。特別な病気ではなくて、意外と簡単に陥るもので、かつ、程度の差はあっても結構つらいんだということを知った。

体調が整わないながらも、月曜~日曜まで働いた。つまり今度の日曜まで2週間、休みゼロである。仕方ない。その分、日々の負担は軽めなので、今のところやっていける。

睡眠と栄養はとらなければいけないと思う。健康を保つには最低限の条件だ。

しかし栄養をとっていても風邪を引いてしまうことがある。

そして睡眠をとっていても風邪を引いてしまうことがある。

ではどうすればいいのか。根源は、日々の疲れなのである。精神的にのしかかってくる負担その他がいつの間にか疲労という名前に変わってている。一週間経って蓄積されているその量に自分でも驚くことがある。

体調管理も仕事のうち、と言われるが、ときどき、いろいろなものがout of controlになってしまう。

身体の調子が悪いのと、心の調子が悪いのでは、どっちがましなのだろう、とつい最近、ありがちな質問を自分であらためて考えてみた。当然どっちも嫌だが、身体の調子が悪いほうが、ましな気がする。心が調子悪いときは、身体もそれにつられて調子が悪くなってくることがあるから。心が調子良いと、身体が不調でも、治せそうな感じがするから。

こんなことを分析していること自体おかしいですよね。

疲労の理由とか、精神的に元気かとか、幸せとは何かとか、深く考えずに毎日ストレスフリーに暮らせたら一番いいだろうに。

そういえば先日、右脚が痛くて痛くて眠れなかった。一体何の痛みだったのだろう。未だによく分からない。でも、眠れないほど痛かった。しかも右だけ。

それと同時に、浅く、怖い夢を見た。人間が引き裂かれたり、ドアにはさまれてつぶれたりする夢だった。肉片がたくさん飛んでいる夢だった。後で気付いたけど、あれはサウスパークの影響だ。最近よく見ている。アニメーションでもあれだけ残酷なのだから、実写版はどんなことになるか、想像つくでしょう。絶対に夢としてみることはお勧めできません。

Wednesday 10 December 2008

きり丸にふと疑問を感じる

時々、中途半端な時間に家にいて、とりあえずテレビでもつけてみると、そこでもやはり中途半端な番組しか放映されていない。そういうことってありませんか。私はある。

NHK教育の「忍たま乱太郎」をさっき少し見てみたのだが、この中に「きり丸」というキャラクターがいる。小さい頃は、このキャラクターが一番好きだった。理由たる理由は無かったのだが、あの、ナントカ先生(名前忘れた)の次にセクシーだと思った。まあ、今でもそう思う。

さて、このきり丸くんの最大の特徴は、お金が好きということである。お金に目がくらむちびっ子である。金銭を見ると、我を忘れて、夢中になる。お賽銭箱から盗もうとする話もある。そこで先生からとっちめられて、話は終る。

特に今まで疑問に思ってはいなかったのだが、お菓子より友情よりおもちゃよりなによりも「カネ、カネ」と夢中になるキャラクター―これはまさしく現代っ子の象徴である。おそらく放映開始から10年以上が経つとは思う。しかしまだきり丸はおカネおカネと言いつづけている。これを、現実世界に生きる子どもたちが「あはは」と笑いながらお茶の間で、毎日、目にしているのである。この状態って、突っ込むべきところではないのだろうか。(そしてなんで今まで気付かなかったんだろう。)

インドで、クレヨンしんちゃんが放映禁止になったというニュースを聞いた。原因は、言うまでもない、下品すぎるから、である。しかしながら、きり丸の「カネ根性」はもっと深刻なのではないのか。しんちゃんのほうがまだ許せる気がする。

あのサウスパークにすらそんなキャラクターは出てこないぞ。いや、あれはまた別問題(別格?)か。

キャラクターの特徴がほかにあって、おまけの要素くらいで「お金好き」がくっついているのであればまだそれは許せる。

しかしそうじゃないのだ。きり丸のメインは、カネ、なのである。

実際、最近の子どもたちは本当に「カネさえあれば」というセリフを口にする。これって結構怖いと思う。そして考えてみれば、自分もこういうことを言っていた記憶がある。

「結婚相手は、カネが一番重要」なんてことを、中学生くらいの女の子が言っている。「いや現実はそうじゃないよ」と言っても「いや、カネっすよ人生は」と切り返してくる。

いつかは考え方が変わるだろうと信じているが、そのままの考え方をひっぱって大人になる子だっているだろう。怖い。

いや、これが、すべて、きり丸のせいだといっているわけではない。しかも、私は今日久しぶりに忍たま乱太郎を目にしたので、そもそもどういうコンセプトの番組だったのか、あまりよく覚えていないし、きり丸の金銭主義がどの程度強烈であったのかも、はっきりとは分からない。だから完全にこの番組を否定するわけではない。

ただ、夕方5時ごろの番組で、目を¥マークにして「カネ~」とよだれをたらすきり丸を見て「ハッ」とした。それだけのこと。

Monday 8 December 2008

どっちが幸せか


昨日、シアトルズ・ベスト・コーヒーという名前のカフェに入って、チャイラテを飲んだ。まあ、そういうこともあるだろう。シアトルに行ったことも無いのに、シアトルといえばまず、なんとなくコーヒーをイメージしてしまうのは、あの緑色のマークの、スターバックスという名の、コーヒーやさんのおかげだろう。

ちなみにイタリアにはスタバが無い。今まで一度も見たことが無い。たぶん首都のローマにだって無い。(マクドナルドはときどき見かけるのだが、あくまでも"ときどき"であって、都市の規模に対して店舗数は少ないと思う。)飲食店について言えば、チェーン店というものがあまり流行らない気がする。その土地ごとに、個人が経営している店の持つ価値のほうが、より大きい。

その人しか作れない美味しさがあるし、よく分からないけど、きっとそれを、誰かが引き継ぐんだろう。中世から続いた「職人」の世界。そして、「あの曲がり角に行けば、今朝もあの子がいる」という安心感。毎日同じ人が同じ場所で「おはよう」と言ってくれる、安心感。

そういうのって素敵だと思う。人情とかコネがものをいう社会になっちゃうのも、分かる気がするし、仕方ない。

まあイタリアに限ったことではないだろうけどね。

とは言うものの、それなりに観光地化された都市で、個人経営のバールやカフェをうまく営んでいくことは、そんなに簡単なことではない。ここ3~4年の間に、何度かフィレンツェに行ったが、ちょうど2年を過ぎたあたりから、店の入れ替わりに気付き始めた。初めて会ったときは順調にビジネスをやっていた人が、いつの間にか店をたたんでいた。いつも店先でチャーオ、と言っていた相手が、急にいなくなっていた。それっきり会わなくなった。それはとてもショックだった覚えがあるし、ああ簡単なことじゃないんだ、ということに気付いた。

ただ彼らがうまく経営してなかっただけかもしれない。They never planned so wellってだけかもしれない。日本人くらい真面目に働いていたら、せめてあと3年はうまく行っていたんじゃないだろうか。そう思うことも事実である。

「お金は特に大事じゃない。大事なのは愛だから。」というセリフをよく聞くのだが、実際のところ、彼らが100パーセントそう思っているかといえば答えはノーだ、と私は思う。心のどこかでは焦りがあるし、お金が欲しいとも思っている。

ただ、その、お金を重視する度合いが、日本人(東洋人)よりもだいぶ低いのは事実だと思う。だから、使うことにたいしてもあまり躊躇いが無い。将来のために貯蓄するというのはあまり懸命ではないからだ。

むしろ、普段から無駄なものを買わない。あるもので暮らす。極度な節約はしない。バンバン稼がなくてもとりあえず、隣にいる愛する人と生きていく。日本人が見習うところは大きいですねやっぱり。ヨーロッパかぶれにはなりたくないのだが、結果的にどちらが幸せなのかといえばやっぱりのほほんと暮らしてる向こう側の国の人たちじゃないかと思う。無いものねだりでしょうかね。

シアトルズ・ベスト・コーヒーからここまでお話が飛んでしまった。今日こそ映画を見て、イタリア語をちょっと勉強しようと思っていたのに、4時ごろからずっとSouthparkばっかり見て、結局今日もこんな時間だ。せめて腹筋と腕立てはしてから寝よう。

駅で喧嘩をする

From 12-2008

今日は新宿駅構内でスペイン人と喧嘩した。通行人の注目度をこれほどまでに浴びたことはなかった。
いろいろあったけど、結果的に良い日でした。天気もよかったし。タイガーと仲良く暮らしています。

Friday 5 December 2008

スペイン料理

昨日カルボナーラを作った。一人で全部食べたけど美味しかった。時々こういう重いのが食べたくなるのだ。写真は特に関係ないのだが、この前の日曜に食べたパエリヤ、が、できる前の材料くんたち。写真にしてみると、あらためて綺麗だと思う。出来上がる前よりももっと画になる、と思った。

スペイン料理は美味しい。イタリアのそれより、もっと美味しいのでは、とも思うくらいだ。初めてスペインに行ったときに食べたハモンセラーノや、ガスパチョの味は、実に革命的とさえ感じられた。何を食べても、毎度毎度、「!!」と、目を丸くしていた記憶がある。(セビージャのハモンセラーノと、グラナダのスープが強烈だった。)それは単に、3ヶ月間の滞在の後初めてイギリスの外に出たからかもしれない。イギリス外の国ってこんなにおいしいのか、と思っただけかもしれない。スペインに滞在している友達をひどく羨ましく思ったものだ。

初めて行ったのが2004年の12月。あれから4年が経つらしい。それを早いと呼ぶのかどうか、まだ判断がつかない。

今夜は比較的落ち着いているのでBill Evans を聴いている。お休み前に一つどうぞ。ではまた明日。


Thursday 4 December 2008

バウムクーヘンについて

天気がよかったので気分も良かった。朝は何も食べないつもりでいたのだが、ふと昨日バウムクーヘンを買っていたことを思い出して、食べた。

バウムクーヘン。

粉でできた、お菓子である。ケーキとまでは呼べない気がするけど、ほかのお菓子よりほど軽い感じはしない。「チョコレートがなきゃ生きていけない」と言う人には時々出くわすが、バウムクーヘンが好物だという人にであった経験はあまり無い。嫌いじゃないけど、大好きというわけでもない、そんな感想がたいていの(日本)人から返ってくるだろうと容易に想像がつく。

最近食べる頻度が増えたことは確かだが、別に大好物だというわけではない。ふと食べてみたら今まで思っていたよりも美味しかったことに気付いた、それだけのことだ。

しかしながら、この焼き菓子に、これほどの考えをめぐらせたことは、生まれてこのかた、無かったのではないか。これほど、と言っても、大した考えではない。「そういえばバウムクーヘンって一体何なんだ」。この程度の考えである。

つまり、今までほとんど考えたことすらなかったのだ。バウムクーヘンについて。その起源、歴史、売っている値段の相場、美味しさ、種類、カロリー、などなど。

こういうときはやはりウィキに限る、と思い、検索してみたところ、「日本での人気は本場ドイツを上回るといわれる」とあった。こういうのって、面白くて好きだ。

とにかくこちらをご参照下さい。ヨーロッパ全体に広まっているのかと思ったのだが、ウィキの記事を見ると、ドイツ語、英語、ポーランド語、ロシア語、中国語、スウェーデン語 あとは、Lietuvių が何語か分からなかったけど、それだけしかサイトが無かった。イタリア、イギリスにも、存在したのかもしれないけど、私は見たことが無いと思う。

ちなみにスウェーデン語でバウムクーヘンのことはSpettekakaと呼ぶらしい。
スウェーデン。やはり、未知の世界である。

さて、バウムクーヘンのどのヘンが好きなのか。私はあの形が好きだ。およそ食べ物とは思えないほどである。何かの道具か、部品、あるいは現代アートみたいだ。ドーナツよりも整っている。

あのほどよい硬さも好きだ。ショートケーキほど脆くなく、飴玉ほどつまらなくは無い。
ちょうど、こう、愛でたくなる、あるいは壊したくなるくらいの硬さである。じつに、にくいやつだ。

とまあこれだけ語ったところで明日からの生活は何も変わらない。
いつものように朝がやってきて、コーヒーか紅茶を飲んだら、僕は玄関を飛び出すのである。

今度、ぜひ、村上春樹にバウムクーヘンを語ってほしいと思う。

Wednesday 3 December 2008

それぞれの記念日

今日はなんだか、良い日でした。まとまった文章を書くにはちょっと気力が足りない。ちなみに本日はどーもくんの誕生日らしい。1,2,3の日。うむ。それぞれのAnniversary

というわけでお休み前に和む映像をひとつ。

Monday 1 December 2008

All Day and All of the Nights



いい歌詞だ。これだけ率直に、歌に気持ちをこめられたら、歌手っていう仕事はまさに快感だろうなあ。理屈抜きで「あああ今日まで歌手やってて良かったあ!」って思いながら歌うんだろうなあ。

Girl, I want to be with you

風邪なんて引かないと思っていたんだけどどうも悪化している気がする。眠いのか何なのかよく分からないが、頭がぼけーっとしている。寝たほうが良いということなのでしょう。明日もハードだろうから寝よう。雨が降ってきました。

Sunday 30 November 2008

なんとなくとんかつ

時々、とんかつが食べたくなることがある。別に大好物というわけでもない。揚げ物が食べたいときというのは限られていると思う。ティーンエイジャーのように、揚げ物に対していつでも胃がOKを言うとは限らない。さらに、揚げ物なら何でも良いというわけでもない。とんかつなのだ。カツ丼でもない。とんかつなのである。月に1回か2回、「ああ今日はなんだかとんかつが食べたいな」と思う。
疲れを満たしたいのであれば通常、甘いものを食べたいと思う。外国産の、Fattyな、チョコレートまみれの何か、こう、Chunkを食べたいと思う。
でも、とんかつが食べたい時というのは、疲れている時というわけではない。一体どういうときに限られているんだろう。分析したことは無いけど、やっぱり、とてもおなかが空いているときだろうとは思う。
そして、確実にいえることがひとつ。それは、1人でとんかつを食べることは、まず無いということである。パスタとか、カレーとか、1人で食べて構わないけど、とんかつは、必ず誰かと食べる。というのも、カレーやパスタと違って家で作るのはあまり理想的ではないためだろう。

とんかつが食べたくなったとき、どうするのか。私は、誰かを呼び出す。
「とんかつを一緒に食べに行こう」と言う。そしてその相手はどうしても男友達である。
女友達を誘って女だけで、その店に、食べに行くことはまず無い。店の種類にもよるだろうけど、私が行きたいと思うその店に、ガールズはどうしてもふさわしく無い気がするのだ。そういうのって、わかるかな。

だからと言って、女友達とは決してとんかつを食べに行かないと断言しているわけではない。誰であっても、今度「とんかつの誘い」メールが来たら、「ああ来たな」と思ってほしい。いわゆる白羽の矢ってやつです。ただし、まったく私の気分によるものなので、「1時間後に西口で」とかそういう身勝手な呼び出しだけど、付き合ってくれたら嬉しいと思う。

写真は、先週行った店で。半年以上、食べてなかったけど、やっぱり美味しかった。

吉祥寺日和、Gokigen Music








どうしたわけか、昨日の午後の時点で既に、今日仕事に行くことを諦めていた。風邪をひきかけているのが分かった。喉が強烈に痛かった。数日もすれば治るくらいの痛みだった。熱があるとは思えなかった。そしてこれくらいの症状は毎年何度か訪れる。そのことも知っていた。


けれど今日は責任感よりも何よりも、自分の身体に従いたかった。身体が、到底、動くとは思えなかった。風邪よりむしろ疲れである。明らかだった。結局仕事を休んだ。


そして、8時ごろ、空を見たら、急に吉祥寺に行きたくなった。午前中、かなりのハイテンションで部屋の掃除をして、その後本当に吉祥寺に行った。中道通りの小さな店で、いかにも栄養がありそうな、煮込みハンバーグを食べた。これは本当に美味しかった。喉の痛みもだいぶひいた。


天気が良いと、人の気分は本当に変わるものだが、私が午前中ハイテンションで掃除をすることができたのはそれ以外にも理由があると思う。


まずは、仕事を休んだことによる解放感。

何か大きなことを成し遂げたような気分になった。しばらくの間、罪悪感を感じ続けていたが、だんだん気分が良くなってきた。実際問題、身体が、物理的に、ついていっていない。責任感というよりもむしろ強迫観念みたいなものにここ数ヶ月間は付きまとわれていて、未だに仕事の夢を見る。


そしてもう一つは、m-flo の存在である。え、エムフローってあの?と思ったそこのアナタ。そうです、あのエムフローです。留学中によく聴いていた「Astromantic」を数日前に引っ張り出してきて聴いたら、いっきに、あの当時の空気がよみがえってきた。日本人の友達と「いつまで経ってもさ、m-floって新鮮なんだよね。10年経っても20年経っても、古くならないよね」と言い合っていた。


何の音楽を聴きますか、と聴かれたらだいたい「ジャズ」あるいは「最近はロック」とか答える。しかし、m-floについて言えば「えむふろー」と答えるしかない。ラップとかヒップホップとかいうジャンルに分類できるのかもしれないけど、自分のなかでは、どれにも分類され得ないと思っているのがm-flo である。


無条件に良い


のである。耐えがたいほど、イカす人たち、あるいは音楽だと思う。疲れて帰宅したときも、パスタを茹でながら聴くと、だいぶ気分が良くなってくる。今朝みたいな天気の良い日に、大音量でかけると、掃除が楽しくなってくる。


嗚呼、なんたる、ゴキゲン・ミュージックなんだ…!



photo 1  煮込みハンバーグ

photo 2 ときどき、ゴダールの真似をしたくなる。単語のなかに単語を見つけて遊ぶ。tOKyo とかsoUPとか。

Friday 28 November 2008

No Head for Numbers

外国語を学ぶにあたり、苦労することはたくさんある。語彙が増えない、とか、文法に立ち向かう気力が無いとか。両者とも、自分の場合、当てはまるのだが、それよりも何よりも、苦手とするものがひとつある。

それは、数字に出くわしたときである。瞬時に読むことができないのである。そもそも母語を使っているときでさえ、数字に対してはとにかく「センス」の欠如を感じるのである。いわんや外国語をや。

1998 などという年号なら結構すぐに読めるのだが、例えば「日本の人口は」と訊かれたときに、英語やイタリア語だと、瞬時に出てこない。1億2000万という数字を、瞬時に変換できないのである。

…えっと、100万が、millionだから、一、十、百、千、万、一億…あれ? やっぱ書かんと分からんわー、 120000000だから…いち、じゅう、(再び数える。) 100万が、million で、ミリオン が…12個? ていうことは120 ミリオン? いや、 12ミリオンか。えーと…

毎回、こういった具合である。ただ、日本の人口についてだけは、すぐに「12ミリオン」と答えられるようになった。あまりによく訊かれる、お決まりの質問なので、そのうち暗記してしまったのである。

どうやら、ゼロの数が4つを超えると、頭があっぷあっぷしてくるらしい。povera...

ところで、つい昨日、40はfortyと綴るということを知った。いや、前から知っていたかもしれない。ただ、「4がfourなのだから40はfourtyじゃないのか」と他人から訊かれて、ふと、これまで自分が常識と思っていたものを疑い始めたのである。そうだよなあ、そりゃそうだよなあ、fourだからfourtyかもしれないよなあ、と思いながら辞書をひいたら、fortyが正解だった。知識や常識って、そういうものなのだ。

母語だって確信の持てないことはたくさんあるのだから、そんなことはしょっちゅう起きる。

言語に限らず、本当に確信の持てることなんて、ほんのわずかなのだ。何かに対して自信を持ったつもりでも、結局その期間って、長くは続かなかったりする。

自分のことすらよく分かっていない。まして他人のことがよく分かるわけが無い。それでも分かろうとする。共感して欲しいし、共感したい。ただ、そのバランスがとれていないから、世間はぐらつく。不安定なままどこかに進んでいる。

mm, adesso mi va a leggere Dazai.. 太宰治でも読んでから寝ようかな。

A proposito, sembra che abbia avuto rafreddore. Ho mal di gola... 風邪を引きはじめている。喉が痛いのだ。カモミールでも飲もうかな。

Thursday 27 November 2008

sono simpsonizzata!


mi somiglia?

自分をsimpsonizeしてみました。似てますかね。どうでしょう。SouthParkなんかもありそうだけどなあ。

Wednesday 26 November 2008

MSN、トマトの値段


久しぶりにMSNをダウンロードしてみた。MSNからSkypeに切り替えて、1年以上になる。変わったことは特に無いのだが、とにかく、"音"が懐かしい。留学していたころ(つまり2004~2005年ごろ)特によく使っていた。あの、誰かが話しかけてくるときの音が、私を3年前へ、いっきに引き戻した。



よく言われることだが、音声や嗅覚が持つ、記憶との結びつきはとても強い。毎度ながら感動する。




******
と、ここまで書いて、昨日はギブアーップ、していた。何かしら書くことはあるはずだし、書きたくないわけではないのだが、なかなか時間がとれなかった。ここ一週間はとにかくアップダウンが激しかった。それでも、良いか悪いかといえば結構良いほうです。

週末はたくさんの人たちと会って、普段とはだいぶかけ離れた生活を送っていた。殺人事件の犯人が捕まったことを知ったのが、逮捕から2日後だったことを考えれば、どれだけ部屋のテレビから離れていたか想像がつくだろう。

相変わらずパスタばかり食べているが、これがやはり身体に良い気がする。体重も変わらないし、身体の調子は良い。ほかの何かを食べたところで、パスタを食べないと食事をした気にならないので、パスタ以外のものを作るよりもむしろ、先にパスタを茹で始めたほうが、かしこい。食べ過ぎることの無いように。
半日勤務だったので昼に帰宅した。普通は寄り道をするのだが今日は天気も悪かったし、久しぶりに早く帰ってみようと思った。ずっと前から貯めていた貯金箱を持って、郵便局に行った。そのほか、必要と思われる食材を買い込んだ。ソーセージ、パン、牛乳、トマト…
トマト。
そう、トマト。
sono diventati piu costosi i pomodori. 高いのである。前から、安い野菜ではなかったしそのことは心得ていた。それを分かった上で、まあ、欠かせないからと思って買っていたのだが、今日は価格が最高値に達した。
具体的に言うと:
中くらいの大きさが4個入って300円である。以前は、小さめでも7~8個入って200~250円で済んだのに。
だからと言って買わないわけにはいかない。家に欠かすことのできない野菜・ナンバーワンである。スパゲティもブルスケッタも食べられなくなってしまう。
誰かも言っていたし、私も前から思っていたんだけど、野菜の値段ってどうして惜しんでしまうんでしょう。いや、野菜に限らないのかもしれない。いつも買っている牛乳が、20円でも値上がりしていると「えええ」と思ってしまう。
ほかの場所では20円なんて簡単に使うことができるというのに、なにゆえ、この20円を惜しんでしまうんだろう。
「キャベツ200円か!高いなあ!」と言うけれど、コンビニに行ってお昼を買うことを考えれば、どうだろう。あるいは、レストランに行って、パスタを選ぶとしよう。そこにあるメニューの、700円と900円の差ってあまり考えずに選んでいるのではないのだろうか。
なのにどうして、キャベツの200円を惜しんでしまうのだろう。
まだ実家にいたころの話だ。
家族で買い物に行った時、本当にキャベツが300円だった時があった。結果から言うと、それを買った。買ったのは父だった。我が家ではどうしてもキャベツを必要としていた、というわけでもなかったのだが、買うことになった。母か、誰か忘れたけど、誰かが買おうとして、迷って、いったんやめたのだが、結局買った。どういう経緯だったか、詳しくは覚えていないが、あとで父が「考えてみれば、300円なんてあっという間に使ってしまう。飲み会なんて考えてみれば、ねえ。」と言っていた。
当時の私にとっては300円という額は、結構高価だった。そして父の言うことの意味がいまいちつかめなかった。しかし今となっては、よく分かる。300円なんてあっという間に使ってしまう。それを惜しんでキャベツを逃すのであれば、その300円っていうのはあまり惜しくないのである、実は。300円で一週間分のビタミンを買うと思えば、実のところ300円は、特に惜しくないはずなのである。
まあここまで深くは考えていないが、今日トマトを買う時に少しそういうことを考えた。いや、むしろ思い出したというほうが、正しいかもしれない。
刻みながら、「ああ、そうか、これが、300円÷4個で…えーと、150円÷2だから…70円とか、そのくらいなのか。そんなにするのか、これ。」と思った。
まあ、しかし、トマトのおかげで健康が保てているのである。そう考えると、トマトの300円を惜しんだ結果、風邪をひいて病院に行かなきゃいけなくなったら、元も子もない。本末転倒よ、というお話。
Grazie a pomodori, sto bene.
ところで、写真も一緒にアップロードすることにした。いろいろと理由はあるのだが、純粋に、やはり、自分の撮った写真を見てもらいたいからだ。
今後とも宜しくお願いします。

Saturday 22 November 2008

10時のパンケーキ

金曜日は赤いものを身に着けたくなるのは一体どういうわけでしょう。

11時ごろ、急に思い立ってパンケーキを焼いた。卵は一個分です。だから大した量ではないのだが、問題は、ちゃんと、ごはん食べた後だったのに、作った、ということです。あまり深く考えずに、ノリで卵を割り始めたのでそのまま作っちゃった。結果的に、美味しかったからよかった。メープル・シロップと、バニラアイスクリームをくるんで食べた。いつものように。

だいぶ寒くなりましたね。人肌恋しくて泣きそうです。

酔って帰って、一番最初に選んだ曲はミシェル・ペトルチアニでした。Live at bluenote in tokyo

そういえば明日も仕事なんだった。

Thursday 20 November 2008

誰かと知り合う予感のする木曜の昼について

今日はちょっとした日だった。そんな日にするつもりはなかったのだが。昼間に職場を出てから、まっすぐ帰宅したらまた鬱状態になりそうだったのでそれはやめて寄り道をしてかえった。本気でグアテマラに行っちゃおうかという気になったところだった。そして、平日の昼にこの街を歩いていたらきっと新しい誰かと知り合いになれそうな気がした。だからとりあえず少し歩いて本屋に行った。ハルキ・ムラカミのペーパーバックや、スペイン語の辞書を手に取った。

イタリア語も、フランス語も、Collinsという会社の、ペーパーバックで勉強をした。(フランス語は勉強と呼べるまでに至っていないが。)表紙も、中身も、デザインが好きだったし、そもそも重くなかった。イギリスでとりあえずイタリア語の辞書を買わねば、という事態に陥ったときに、最初にこれを買ったのが始まりだった。緑色の辞書で、10ポンド未満だったと思う。辞書ってこんなに手軽に買えるものだったのか、ふーん、と思った記憶がある。そこまで頑張ってイタリア語を勉強することになるとは、当時、思っていなかったので、Italian for Beginnersの教官、フェデリ~コから「何か一つ辞書を買うこと」と言われたときには「えー」と思ったものだった。そもそも日―伊ではなく、英―伊なのだ。それでも、使っているうちに、この辞書では足りなくなってきた。簡単な言葉しか載っていないのだ。それがちょうど「ビギナーズ」を脱した時だったのだろうと今振り返ってみて、思う。

でも今日は辞書は買わなかった。何故かというと、2000円未満で買えるはずのものが、2700円だったから。これはおかしい、と思って店員とも話をしたのだが、アマゾンの値段とそこで比較することもできず結局買わないことにした。だから、文法書を買おうと思った。白水社どうしで迷った結果、薄くて安いほうの「CDエクスプレス」を選んだ。昔からよく見るシリーズだったし、図書館でも何度も借りたことがあったが今までに一度も買ったことはなかった。

本題はここからです。

それを持ってレジに行こうかとしていたときに、レジの前に立っていた男の人と目が会った。なんと大学の友人だった。あまり関わりはなかったが、会話をしたことはあったし、一緒に勉強をした仲間であることは間違いがなかった。最後に会ったのがいつかさえ思い出せない。おそらく3年以上前だろう。

おたがいに目があって「ああああ」と声をあげた。びっくりですね、といいながら、30分以上立ち話をした。

やっぱり自分はついてる、と思った。今日の午後うろうろしたらきっと誰かに会える、という確信のもとうろうろしていたわけだが、本当に会ったのだ。なんて素敵な午後だ。限りなく、新しい出会いに近いような再会だった。気分がだいぶ晴れた。良かった。

それにしても世界は狭い。これだけたくさんの人たちがいるのに、みんな、たいてい同じようなところで同じようなことしてる。小さなエリア内を、かつかつと動いているんだなあ、と思うと、なんだかかわいく思えてきて、温かくなった。どうも、世間が、憎めなくて。

世の中たくさんのいろいろな人たちがいるけど、みんな根本的には似てるし、同じようなところがあるらしい。だって人間だしね。動物だしね。


銀杏の葉が色づいてきた。こうして11月も終わりを告げるのでございます。さてさて。

Wednesday 19 November 2008

Toothbrush Incident

帰り道、なぜか段々とテンションが上がってきた。どうせなら朝、このくらいの勢いがあれば良いと思う。テンションのあがってきたときに、イヤホンから流れてきた曲は、Destiny's ChildのIndependent Womanだった。べつにDestiny~のファンでもなんでもないのだが、この曲はチャーリーズエンジェルのサウンドトラックとして数曲取り込んでいたものだった。家に着いたけどイヤホンを取りたくなくなった。

The shoes on my feet -I've got it
The clothes I'm wearin -I've got it
The rock I'm rockin -I've got it
'Cause I depend on me -If I wanted
The watch you're wearin -I'll buy it
The house I live in -I've got it
The car I'm drivin -I've bought it
I depend on me

良い歌詞じゃないか。そうなんだよ、私は自立しているんだよ。自分で稼いで、自分で生きている。必要なものは買うし、欲しいものも手に入れる。I depend on me.
タイムリーに心に響く歌詞というものはどうやら存在するらしい。

妙に、自分に自信がついてきた。一緒に踊って歌いながら、鍋を火にかける。ご機嫌すぎるぞ、これは。

埼玉と中野区の事件についてのニュースを見ながら、パスタを食べる。厄介な世の中だ、まったく。



事件が起こったのはその一時間後であった。

ゆっくりお風呂に入って、髪も乾かして、バスローブを羽織って歯を磨こうと思った。ベッドに向かった。歯ブラシをくわえたまま…

喉の奥に激痛が走った。

壁に、歯ブラシがぶつかったのだ。

くわえたままだったので、歯ブラシのてっぺんが、喉を刺したのだ。
どのくらい痛かったか、って、それはあまり説明のしやすいものではない。というのは、今まで経験したことのない種類の痛みだったからだ。吐くような気持ち悪さも同時にあった。とにかく涙が出た。口を洗ったら血が出てきた。当たり前だが。

しばらくしてから痛みが治まった。

ラジオ英会話を聴いていて、リピートをしようと思ったら、まだ痛みが強かった。これは困ったことになった。うまくしゃべれない。唾を飲み込むのさえ、痛い。何か食べるとなればそれは言うまでもないだろう。ホットミルクを飲もうかと思っていたのだが、無理だということを悟った。

明日の朝にはどうなっているんだろう。睡眠に差し障りはなさそうだから、今日は寝ることにします。

Tuesday 18 November 2008

Tables, they turn sometimes

相変わらずThe Strokesで、かっくんかっくんと頭を揺らしている今日この頃です。

ロックを聴く割合が増えてきたのは、精神状態を表しているんじゃないかと思う。「何やったっていいだろー 好きなように生きるんだー 知るかコノヤロー」みたいなノリが、以前に増して強まった気がする。それでもやっぱりジャズは聴くけど。

昨日は本当に10時に寝た。久しぶりだ、こんなのは。それで、今朝の目覚めはいつもより良かった気がする。

朝、起きてから家を出るまでの時間がどんどん足りなくなってくるのは一体どうしたわけだろう。以前から同じ時間に起きていたはずなのに、家を出なければいけない時間になると、時間が足りずにとても焦って準備をしている。寒くなってきたからだろうか。化粧に時間をかけるようになったのだろうか。心のどこかで「ああ~ん行きたくないよう」と愚図愚図しているのだろうか。よく分からない。色々理由はあるのだろうけど、イマイチどれも認められない。
不思議な現象である。

今日はおかしな事件が起きていますね。殺人事件が二件。気味悪い。東京だもんなあ。いくらでもヘンな事件が起きうるだろう。もっと起きててもおかしくないくらいだ。その辺に殺人鬼がうろうろしているのかもしれない。いやな世の中だ。使いたくて使っているわけではないがこのフレーズはとても便利だと思う。うん。やな世の中。

じゃあ、今日も早めに寝ましょう。腹筋して、腕立てして。明日も元気で過ごせますように。

Monday 17 November 2008

Your head's not right

先週のうちにたまっていた疲れを、昨日つまり日曜のうちに解消しきれていなかったらしく、今日は、疲れと眠気で頭がぐらんぐらんした。帰りの電車の中で特にそれを感じた。帰り道に―駅から家まで徒歩わずか2分であるにもかかわらず―よく、寄り道をしてチョコレートとかバウムクーヘンとかクッキーとか買って歩きながら食べることがあるが、今日はもう、どこにも寄らずにまっすぐ帰宅した。帰ってから4分以内にはパスタをゆでる準備にとりかかる。家に入ったとたんに、やることが「ばー」とやってくるのだ。時計、ネックレス、MP3プレイヤー、マフラーその他、装身具をとにかく外し、靴下を脱ぐ。服を脱ぐ。窓を開ける。カーテンを閉める。花びんの位置を移動させる。手を洗う。
これを一瞬のうちに、すべて同時に済ませられればいいのに、と思う。一秒でも早くリラーックス、したいのである。

どれだけ寝ても足りない気がするのだがそれは気がするだけじゃなくて本当に足りていないんだろうと思う。毎朝6時半に起床するような生活を送る人は、夜23時以降に寝てはいけないのである。村上春樹みたいな、農耕民族的な生活リズムを整えるのが望ましいのだろうと思う。

しかしながら私は、もっと家での時間が欲しいのである。夜7時から11時まで、家でゆっくりしていたとしても、たったの4時間ではないか。朝にいたっては、起床後30分もすれば家を出るのである。ということは、意識のある状態で家にいるのはたったの4.5時間である。その一方で、職場には10時間近く浸っている。日常は一体どっちだ。といわれたらそれはやはり仕事になってしまうのである。せめて半々であるべきではないだろうか。

同じ時期に大学を出た友達と話すと「だいたい終電でいつも帰るよ」という人ばかりである。毎度ながら、驚いてしまう。そんな生活は、人間の生活じゃないと思う。そんなことでほどよいバランスがとれるわけは無い。何かが狂ってしまう。そんなのを基準に生活のリズムを作っちゃったら、困るよ。

私は彼女たちに比べたらだいぶゆとりのある生活をしている。それでも「もっとプライベートの時間が欲しい」と思うことが多いというのに。一体この国はどうなっているんだろう。ヨーロッパでは、働きすぎの人に対してむしろ格好悪いなー、というイメージを持つ人たちが多い。プライベートが充実してこその仕事である。プライベートをなげうってでも仕事を頑張ることが美徳とされるこの国では当分叶いそうにない。でもさぁ、物理的に無理、っていう場合もあるでしょうに。

先日、恩師の誕生日だったので、メールを送ったら、返信が来た。仕事について「コツは、頑張り過ぎないことです」と書いてあった。なるほど。痛いほど身にしみる言葉であった。ぼちぼち自分のペースで行くのがいい。

と、こんなことを書くと、ああ仕事辛いのかなと思われそうだが、なんとかかんとかやっていっています。9月、10月に比べるとだいぶストレスも減って、日々も比較的安定している。日中のイライラが少なくなった気がする。

その代わり、朝、出勤前にイライラする時があって、仕事に行くまでに気分が乗らないことがある。だから今日は天井に向かって、えいやッ!とジャンプをした。奄美大島から来た友達がくれた黒砂糖の欠片を幾つかと、アールグレイを飲んで出かけた。

イライラするのは仕事のせいじゃない。結局のところ、もっと早く寝るべきなのだ。10時くらいに寝れば次の日の寝起きが良いだろう。寝起きが良いと、その日もポジティブに生きれるだろう。ということで今日は昨日より早めに寝たいと思います。

The strokes のDarling, your head's not right というフレーズが気に入っているここ最近。

Sunday 16 November 2008

週末は天気が悪かった。

何度読んでも『村上ラジオ』が面白い。エッセイというか「ぼやき」である。

さて、いつの間にか11月も半分が終ってしまった。早い早い。一週間が過ぎるのが早い。

昨夜は、一週間前から約束していた友達と会った。そして今日も昼頃から、上京している友達と会った。色々なことを話した。それぞれの生活があるなあ、と思った。

昨夜、12時前に友達が帰った後で、お風呂に入って写真をアップロードしていたのだが、いつの間にか眠っていた。はっと目を覚ましたら4時ごろで、パソコンも、電気も、つけっぱなしだった。これってとても珍しいことです、私にとっては。いつの間にか寝てしまうという経験がないわけではない。けれど、普通はどんなに眠くても、電気とパソコンその他の電源は切る。それを付けっぱなしで寝ていたという事実が、妙に新鮮で、知らない領域に達してしまったような、嬉しいような、罪深いような、変な気分になった。

結局今朝は九時過ぎに起きた。もっと寝たかったのだが、まあこんなものだろう。天気が悪いから、掃除洗濯をする気にはあまりなれなかった。最終的には洗濯しましたけどね。

一週間の休みが一日というのは、精神衛生上、かつ、生物学的観点から見ても、よろしくないと思う。全然足りないのである。人間はもう少し休息をとってこそバランスのとれた心身を保てるようにできているのである。眠りが足りないとかそういう問題じゃない。眠りだけなら平日だって回復できる。何が足りないのか。それは、ぼうっとする時間である。もっと必要なのだ。一人で色々考えたり、趣味に没頭したり、まあ、ぼうっとしていなくても、私的な時間が必要なのである。それが、一週間7日のうちに、たったの一日じゃあ足りるわけがないのである。理想としては、三日働いて四日休息するのが一番良い。当分のあいだ、叶いそうにはないけれど。

とにもかくにも、腕時計を外して過ごせる日が欲しいのである。時間も曜日も気にせずに過ごしたいのだ、たまには。

あと一週間頑張れば、二連休が待っている。よーし。早めに寝よう。

Thursday 13 November 2008

カモミール、レディオヘッド

追記:

RadioheadのCreepは名曲ですが、カモミールティーを飲んでいたらふと聞きたくなったのでRadioheadを数曲かけてみた。そういうときってある。

歌詞をまともに確かめたことがなかったなあ、と思い、radiohead creep lyrics と検索した。歌詞を見ながら聞いてたら、なんというか、主人公?の不器用さが切なくて痛々しくて、急に泣けてきた。

男も女も、考え方は基本的に異なるものの、やっぱり似ているところはある。みんなもっと、素直になれたらどんなに楽だろうね。

些細なことを気にせず無神経かつ鈍感に見える男の人でも、実際のところ、瞬間的であってもこういうことを考えたりするものなのだろう。なんて考えたら、人間の弱さというか脆さというか寂しさというか、そういうのが、一気に迫ってきてキューンとなった。ああ、良い歌詞だ。

カモミールティを飲んで、レディオヘッドを聞いたら、泣けた、とFくんに言ったら、「ひどい組み合わせだ。おまけにレディオヘッドは好きじゃない。ゆっくりすぎて」 と言われた。しかし、誰が何と言おうと、泣かせたのだ、Creepは。

今日も早めに寝ようかね。

食べ歩き、村上春樹

食べ過ぎているとは思えないのだが、午前中の吐き気、胃のむかつきが続いている。どうしようもない。おなかがすいているはずなのだが、そんな感じだから、食べる気はしない。言うまでもなく。

木曜日は半日勤務で帰宅するので、そのあとはたいていゆっくり料理をして早めに夕飯を食べるのだが、今日はどうしたことかいつまでたってもおなかが空かない。というのも、まあ、プリングルスを歩きながら食べたせいだろうけど。

私は歩きながらものを食べることを悪いと思わない。マナーがなってない、といわれるんだろう。確かに、見ていて気持ちの良いものではないのかもしれない。しかしながら、食べながら歩くからこそ、あるいはその逆で歩きながら食べるからこそ美味しい食べものって、ある。店頭で「ああこれが食べたい」と思って買ったものは、どの瞬間でもなく、「今」、それが食べたかったわけであって、家に帰って食べても同じ美味しさは味わえないのではないかと思う。つまり、その場で食べないと。

スウェーデン人が、学校からの帰り道に食べ歩きしているところを後から注意されて、とても不思議そうな顔をしていたことがある。What's wrong? を連発していた。洋服を汚してしまったらそれは問題だけど、それ以外に何の問題があるの、と。ごもっとも、である。全然悪くない。もっと言えば、電車の中で、携帯でしゃべるのがダメだという理由も、よく分からない。何がいけないんだろう。うるさいということだろうか。私が不思議なのは、むしろ、何でこんなに静かなの、と言いたい。人に聞かれたらまずいような内容をしゃべってしまったらそれはいけないだろうけどさ。

さて話を戻して:

6時過ぎ、さすがに何か食べなければいけないだろうと思って、トマトを二つ切って、パンを焼いて、ブルスケッタを作った。トマトを食べていればまず悪いことは無いような気がする。

*********

読まなければいけない本はたくさんあるのに、借りても結局読まずじまいで返している。こういうのって良くない、と思いながらも、気分がどうしてものらない。村上春樹にしか手が伸びない。もう何度目かすら忘れてしまった『パン屋再襲撃』と『100パーセントの女の子~』、これらによく手を出す。名作中の名作である。最近は特に100パーセント~のほうがやたら心に響いてくる。読んだことない人は読んでみてください。英語版も読むとさらに良いです。

昨日と今日は、二回目である『村上ラヂオ』を読んでいる。やっぱり面白いなあ。長編もエッセイも短編も。

ところで最近、寝起きの悪さにも関わらず、仕事が楽しい。一つ一つ、真剣勝負でやっているから。それだけにレスポンスも良い。

こんな感じで一年は終っていき、雲は流れ、私は歳をとり、桜は咲き、レディオヘッドは歌う。
ああ、諸行無常。こんなに良い言葉があろうか。

Wednesday 12 November 2008

タカナシ、ローファット

だいぶ寒くなってきた。容赦なく脂肪分の多いものを、夏と同じように、食べつづけていたら、おなか周りのみならず、身体全体がfattyになってきた気がする。なんとかせねばならない。放っておくことはできないのである。

昨夜は生理痛で死にかけた。夜中に起きて、薬を飲んだ。吐き気まですることはあまりないのだが、昨日は本当に吐きそうだった。絶対に仕事を休んでやる、と思いながら、起きてみると、だいぶマシになっていたので結局仕事には行った。そんなに苦しんだにも関わらず、恋人に去られるという夢を見た。久しぶりい恋人が出てきた。手に届く位置にいて、楽しく過ごしているのに、ずっと遠くに離れてしまう、という場面で、夢を見ながらも、実際に私は泣いていた。


タカナシのローファットについて。

これだけ聞いて「ははーん」と思ったアナタは相当な「ツウ」である。まず、牛乳の話だということは分かるだろう。まあ、回りくどい話を抜きにして言うと、最近「タカナシのローファット」を飲むようになった。今までは、普通の、成分夢調整の牛乳しか飲んでいなかったというのに。これは一体どういうわけか。

村上春樹の影響である。いや、村上さんがこの牛乳を飲んでいるかどうかは知らないのだが、「アフターダーク」に出てくるのである。アフターダークは別に好きな小説というわけではない。というかむしろ、苦手な小説である。よく分からなかったしあまり惹かれなかったから。

それでも、どうしたことか、あの白川さんが買う「タカナシのローファット」は、とにかく印象に残ったのである。先日ふとした拍子に「ああ、タカナシのアレを買ってみよう」という気になって、スーパーで探したら、あった。と言っても、「ローファット」と表示してあるものではなく、結局のところ普通の低脂肪乳なのだが、それでも、タカナシはタカナシである。そしてファットがロウなのである。いわゆる「タカナシのローファット」となると、あまり売っているのを見ない気がするし、加工乳であるのであまり美味しくないと思われる。今度みたら買ってみようとは思うけれど。

村上春樹がきっかけで
・ビールを飲むようになった
・スパゲティを茹でるようになった
etcの食べ物に関する影響はよく聞くのだが、
・タカナシのローファットを飲むようになった

という人もいるらしい。ためしに、グーグルで「タカナシ ローファット 村上」と検索してみてください。世の中には、同じことを考える、というか同じ方向、手段に走る人たちがたくさんいるらしいです。

というわけで昨日は散々な夜だったために、今日はもうこれで寝ようと思う。肉も野菜も食べているというのに、顔色がとても悪い。それにしても今回は、生理の始まる前にしては、精神的に落ち着いていたように思う。比較的。

Tuesday 11 November 2008

甥も、姪も、孫も、二ポーテ

昨日書こうと思っていたことをうっかり忘れていた:

イタリア語で、甥っ子のことをnipoteという。つまり、兄弟姉妹の子ども、のことである。それはよく知っていたのだが、なんとnipoteがさすものはもう一つある。
それは

孫。

初めて聞いた時は信じられなくて、直接イタリア人の口から聞いているにも関わらず「イタリア人ならもっとちゃんとイタリア語を勉強しなよ。まったく、嘘でしょ。だって、nipoteは、兄弟姉妹の子どものことを言うのに。Nephewのことだよ…」と、笑って言った。相手もまた「あれ、いや、たぶん、間違ってないと思うけど」という感じだった。

それ以降あまり気にしないまま時は流れた。

そして昨日、ふと、それが気になって調べてみたら

nipote
①姪、甥
②孫

とあるではないか。信じられない。姪と孫なんて、区別して当然のことではないのか。そんな言語があったなんて。

また、①と②を区別しないという事実と同じくらいにショッキングなのが、イタリア語を勉強し始めて今までの間に「孫って何て言うんだっけ」と、一度も思わなかったことである。思わずにいられたことである。つまり、3年近く、その場面に遭遇しなかったわけだ。「孫」という、実に基本の基本と思われる単語をおさえないまま、これだけの年月を過ごすことができたわけである。

どうやって、孫という単語を使わずにいたのだろう
①一度も会話の中に登場しなかった。
②他の単語で置き換えて回避していた。

可能性としてはこの両方がありうるだろう。もし、自分に孫がいれば、会話の中での頻度は高かったかもしれない。しかし、自分のことを話す場合、「私は、おばあちゃんから見たら孫で…」なんて言い方はしない。figlio di figlio(息子の息子)という言い方はできるけど、そもそも自分には子どもが居ないので、そこまで話す必要は無いのだ。
やっぱり、会話の中に、なかなか出てこないのである。

単語の由来がやはり気になって、少し調べてみたら、インターネットでは、ロマンス語、ラテン語、ルーマニア語、と言ったワードとともに、色々な説が紹介されていた。詳しい説明はここでは避けるので(というか単に面倒だ)、グーグルで「イタリア語 nipote」と検索してみてほしい。

イタリア人を笑い飛ばしていた私だが、相手は全然間違っていなかったことになる。(それにしても、相手も自信が無さそうだったのだが…。) 面白いのは、対して区別をしていないということである。nipoteには二種類ある、と意識している人はどのくらいいるものなのだろうか。実は我々人間にとって、甥と孫の区別なんて大した問題ではなかったのである。イタリア人に限らず、きっとそういうことなのだ。面白い。

Monday 10 November 2008

Everything Real

スカイプもFacebookも、オフラインにしてしまうと気持ちが良いですね。ほかのことに気が向くようになるし。I like something -everything- real. Especially communication - it should be real, i mean, nothing is as great as face-to-face, in terms of communication. I love to see you, talk with you, touch you, with all the expression such as smile, happiness, sadness, even anger.
Now cut the PC line, turn your phone off, go out, look up skyward, breathe the air. Sometimes you need it. Then you'll be feeling free, relaxed, and even getting sort of good inspiration - Look at how blue the sky is, how tiny you are, and how huge the world is.
All the world and his wife are waiting for you. Yes, the world is your oyster!

今、自分の中に創作意欲が湧いてきているのが分かる。画がかけそうな気がするし、何か書けそうな気がするし、撮れそうな気がするし、読めそうな気がするし、作れそうな気がするし、勉強できそうな気さえする。帰り道にそういう気分になるときは、とても明るい、なにかこう、開けたような気分になる。こういうところが私の長所だと思う。いわゆる、クリエイティヴ、ってやつだ。かつ、向上心がある。

色々書いたけど、今日は私が読むブログを一つ紹介します。
冨永愛のブログ



高校時代から、どうしたわけか好きで好きで仕方がなかった。今となってはまあその熱も収まったが、この人の存在を知った当時私は16歳で、わずか1歳違いの彼女の写真を見てはため息をついていた記憶がある。欧米のモデルにも感服するが、冨永愛にはまったく別の種類の魅力を感じたのだ。同じ日本人という人種であるだけに、その美しさが強烈に響いた。いや、そもそも、美しさ、というカテゴリに入れていいのかどうか、という問題もある。

マスコミ・メディアには叩かれまくっていて、私も、「ああ実は大したことないのかな」と思ったことも何度かあったが、結局のところ、それほど嫌いになる理由は、これと言って見つからなかったのだ。

というのも、この人と私は個人的な付き合いがあるわけではないから。本当に、なにか、迷惑を被ったことなんて一度もないから。だから、この人の写った写真を見ているだけの立場、つまり、見せられる側としては、十分に満足している。とことん美しいと思う。ただそれだけだ。

私が16歳当時、どうしてこの人の存在が気になっているのか、それを説明するときは必ず「日本で満足してないところがすき」と言っていた。当時から、日本におさまっていないというのはすぐ分かった。あまり日本で名の知られていない時期に、既に有名デザイナーのショーに出演していた。ポートフォリオを持って、パリの街を奔走する姿が印象的だった。まだ10代の、日本人の女の子が、ビシバシと英語で指示をしている姿は、もはやショッキングだった。そして文句なしに格好良かった。

だからって今、大ファンなのかといえばそうではないけど、時々こうやってブログを見て、ああそれぞれの人生があるよなあ、と思うのです。"Ognuno ha la sua vita."

しかしこの人、頭が良いのか悪いのか分からない。思うに、発信しすぎないほうがいいのではないか。イメージ戦略というのも色々あると思う。スーパーモデルなのにすごく完成度の低い映画やCMに出てしまっているのを見るにつけ(そういうのに疎いわたしでも)、もう少しよく考える(あるいは、止めに入る)人はいなかったのだろうか、と思ってしまう。

久しぶりにハービー・ハンコックを聴いています。

ああ、そういえば、右のquotation of the day、ご覧になってますか。面白いですね。今日はデカルトの言葉でした。
"I am indeed amazed when I consider how week my mind is and how prone to error."

ほほー。

Sunday 9 November 2008

孤独、グアテマラ、スペイン語

土曜日の予定がキャンセルされた。
それは金曜に分かっていたことで、まあ良いか、たまには1人で過ごすことにしよう、と思っていたにも関わらず、いざ土曜の午後となると寂しくなってくる。1人の時間は基本的に好きなのだが、いつの頃からか定かではないが、人に会っていないと、飢え死にしそう、と思うようになった。学生時代が終ってからだろうか。職業柄、だろうか。数年前までは「趣味もたくさんあって、1人でいても決して退屈しません」と豪語していた。むしろ人と会わずに過ごしたいと思うことのほうが多かったのに。それは単に、学生時代はいつも人と会える環境にあったからだ。キャンパスを歩いているだけで、たくさんの友達とすれ違った。「最近どう」「卒論は」「就職だっけ」「院は大変?」「彼氏はどうなったの」「留学らしいね」
そういう話題を、日常のなかで交換できた。それが今となっては、「公」の顔と「私」の顔をもつようになった。疲れるのも、寂しくなるのも、結局すべてはそのためである。

なんていうことを一ヶ月くらい前にも書いたような気がしますね。


話は戻って、そういうわけで土曜も結局、友達に会った。2件"はしご"して、結局家に帰らなかった。

会える人を探していて、ふと困ることがある。というのは、ダブルブッキングをしてしまうことだ。後先考えずに、相手から返事が来るのを待ちもせずに、どんどん連絡を送ってしまう。「どうせあたしゃロンリーなんだ。」というモードに、頭が突入しかけているため、その時点では「いいよ、会おう」なんて言う人はいない、という前提がある。それで連絡をしまくった結果、3者くらいにOkをもらう。そこで初めて「あら、身体が足りない」ということに気付くのである。まったくもって迷惑な話だ。

こうやって人を誘うことが多いのだが、あまり人から誘われることはない。いや、誘われても、自分の都合でほとんどの場合断ってしまっている。これも、まったくもって迷惑な話だ。連絡が来なくなるのも当たり前である。

日曜だというのに久しぶりに、泳ぎに行かなかった。その代わり、この前買ったブーツキーパーを返品しに行った。1980円が戻ってきた。そこで、皮の手入れ製品を買ったら、これがとんでもない不良品だった。だから、もう一回同じ店に行くことになった。ショックだ。お金を返して欲しい。

話は変わって、スペイン語を始めることにした。昨日の夜に決めた。そして、将来的に、中米を目指すことにした。いや、正確に言うと、目的地の候補に仲間入りしたのだ。具体的には、グアテマラに行きたくなった。

なんでもかんでも、急である。急に新しい世界が開けた。この一年で、スペイン語習得。それから、来年の夏にはグアテマラを見てみる。そういうわけである。

それにしてもどうして今までスペイン語をやってなかったのだろう。スペイン語をしゃべる友達が比較的多いのだが、一度もまともに取り組んだことはなかった。ドンデ・エスタ~とかオラ~とかパエージャとかセビージャとか、そういうレベルだ。

おそらく、理由の一つとしては「響きに惹かれない」というのがあるだろう。フランス語を始めてみたいと思った人は、あの響きに惹かれて、という理由からの人は少なくないだろう。けれどスペイン語ときたら…あれに魅力たる魅力を感じないのである。まず、ニワトリみたいだ。そして、口に液体が溜まったまま、のようなしゃべりかたをする。実際に聞いてみれば分かると思う。

しかし、スペイン語をしゃべれなくて悔しいと思ったことは、今まで生きてきた中で結構多かった。英語のしゃべれないドイツ人はなかなか居ないが、英語のしゃべれないスペイン人は結構多い。ノリで会話はするものの、スペイン語さえ分かればもっともっと通じることができたんではないか、と思うことがよくある。やって損はない言語だと思う。そして、イタリア語とフランス語の学習経験のある自分としては、今一番、手近に学べる言葉なのでは、と思う。

今日買った本はちなみに、スペイン語の本ではない。「フランス語、イタリア語、スペイン語が同時に学べる本」というものだ。こんなのあったのかー、と、感動してしまった。まだ数ページしか読んでいないので、構成の良し悪しも分からないが、買って後悔は無さそうだと思った。

もっと色々書こうと思ったけど、ちょっともう眠いからこれでやめます。またねー、おやすみなさい。

Wednesday 5 November 2008

終った時代 その2

昨日、一つの時代が終ったと書いたが、今日またそう思った。アメリカの新大統領が決まったから。演説を聴いて鳥肌が立った。何を隠そう、私は、そもそも政治には関心がない。何度も、無理に関心を持とうとしたが、やっぱりできなかった。

でも、スピーチには感動したし、この人が大統領になったことをとても嬉しく、喜ばしく思った。そして世界が少し動き出した気がした。この私にも、それだけは、その振動だけは伝わってきた。

今日の夕飯はNYチーズバーガーとチーズまみれのポテトとベーコンとクランベリー・ビールでした。
ジャンク!
満足!

Tuesday 4 November 2008

終った時代

仕事中を除けば、比較的気分の良い一日だった。そのかわり、仕事中のイライラはすごかった。
また壁を破壊しそうになった。早めにボクシングをスタートさせるべきかもしれない。
夕飯に、キャベツを1/2個食べた。
トマトとピーマン、たまねぎ、人参以外の野菜はあまり買うことすらないのだが、久しぶりにキャベツを山ほど食べたくなったのだ。

小室さん逮捕されました。
一つの時代が終りました。

いや、あの時代はもうすでに終っていたんだけど、はっきり終止符を打たれたというか、終ったことに気付いていなかったというか、そんな感じがした。
90年代は、もう終ったのだ。

とても眠いので、今日はこれで寝ます。


ところで誰か、カモミールティーにはカフェインが入っているかどうか、知っている人がいたら教えてください。昨日、2回も飲んだら、よく眠れなかった。気のせいでしょうか。

Saturday 1 November 2008

スパイダーマンに会う

11月になってしまった。今週はとても、長い一週間だった。

朝、おなかがすくまでにだいぶ時間がかかる。起きてからはとにかく、コーヒーか紅茶で限界だ。そうじゃない日もあるが、以前より、食べられない日が増えた。何か食べると、たいてい、通勤中に吐き気を催す。気付いたら夜の8時ごろまで、チョコレートひとかけらしか口にしていなかった、という日もあった。夜に限っては、ちゃんと食べている。生きるのに問題はない。

だいぶ涼しくなった。肌寒くなった。
ほらね、やっぱりね、秋はあっという間なのだ。落葉のスピードと同じか、それより早い。

"Everyone has their bad days."


家のドアに、この言葉を貼った。ラジオ英会話のテキストにあった「キーフレーズ」から切り取った。朝、ドアを開けると同時に、つぶやく。ほとんど無意識だ。
エブリワン ハズ ゼア バッドデイズ―

ここ数日間で、村上春樹の短編をいくつか読んだ。まだ読んでなかったものも、既に読んだものも。


ところで今朝、スパイダーマンに会った。
通勤中に、電車に乗り込んできた。びっくりした。全身スパイダーマンだった。野球少年たちと、仲良くなっているようすだった。やたらと周りの人に話しかけるスパイダーマンだった。フレンドリーだ。
無口だったサラリーマンたちが、話しかけられると急に笑顔になっていった。
ひどく愉快で、素敵な経験だった。

Monday 27 October 2008

新しい趣味

レビュー。

25日、土曜日。
3時頃に仕事を終えて、まっすぐ帰宅。すぐに眠った。前日に寝たのが遅かったから。
6時に待ち合わせがあったが、見事に寝過ごした。あわてて準備をして新宿へ。大学時代の友人と会う。
10時ごろから、ドイツ人の友達と会った。
というわけでこの夜だけで相当な量のビールを飲んだのだが、意識はしっかりしていた。
2時ごろに寝た。


26日。日曜。
昼前、11時ごろ起きた。久しぶりにこんな時間まで眠った。ちょうど12時ごろから、自転車に乗ってプールまで行った。1.2kmくらい泳いだ。

そのまま家に帰っても良かったのだが、ふと、新宿まで自転車をこいでみることにした。天気も悪くないし、行ってみたくなったのだ。

そしたら、近かった。自転車で15分くらいだったと思う。こんな近くに住んでいたのか、と、びっくりした。

ふだんは人で混みあう西新宿のオフィス街を、自転車で突っ切るのは、とにかく気持ちが良かった。泣けるほど気持ちが良かった。
ああ、私の原点はこれなんだよなー、と、あらためて思った。

そもそも自転車との付き合いは長い。小学生のころからずっと乗ってきた。中学~高校の6年間は、毎日自転車で登校していた。
大学に入ってからも、やっぱり変わらなかった。ほとんど毎日、自転車を使った。

結構遠いところまでも、自転車さえあれば、行けた。わたしの世界は自転車によって広がり、あるいは、保たれていた。

仕事を始めてからというもの、自転車を毎日使うことは、なくなってしまった。週に一回くらいなものである。こんなことは、今までなかった。つまり、自転車に乗れるようになって以来、である。

だから昨日は久しぶりに、"呼吸する"ことを感じた。
普段も自転車を使うことは使うが、やはりある程度の距離があってこそ、の、自転車なのである。

それにしても、昨日は何が特別だったかというと、新宿を走った、ということである。普通の道を自転車で走る経験はけっこう簡単に得られるだろうが、これだけ大きな都市をスイスイと走るのは、格別だった。

新たな趣味ができた。

Saturday 25 October 2008

二日酔い

昨夜の誕生会に参加してくれた人たち、本当にありがとう。あまりに盛大で、招いた本人も唖然とするほどでした。

プレゼントは2人がかりで、やっと家に持ち帰った。言葉どおり、それはもう"山のよう"で、部屋はあっという間にプレゼントとその包装紙と箱と花束で埋め尽くされた。まさに、足の踏み場もないほど、だった。どれもこれも実用的で、素敵で、本当に、心から嬉しかった。
まだ余韻に浸っていたかったけど、今日の午後、とりあえず少し片付けることにした。


昨夜はなかなか眠れなくて、結局2時まで起きていた。
きっと、昼12時~4時ごろまで眠っていたせいだろうとは思う。
しかし、今朝5時に起きたのは意外だった。もっと寝るつもりだったのに、なぜこんなに早く起きたかといえば、身体が痛かったからだ。アルコールの蓄積されたときのイタさ、である。何とも表現し難いが、身体に溜まっていると、まず、ふくらはぎあたりがいたくなる。そして、関節が痛くなる。
ちょうどその感覚だった。しかしビール3杯でここまで弱る身体ではないはずだ。
とにかく今朝は、もうそれ以上寝ていられなくなって、5時に起きた。シャワーを浴びたらだいぶ良くなった。けど、やっぱり一日中、あくびばかりしていた。無理もない。3時間しか寝ていないのだから。

これを二日酔いというのかどうか分からないけど、朝からとにかく食欲が無かった。というか胃が気持ち悪かった。人からもらったキャドバリーのチョコレートを少し食べたあとは特に何も食べず、2時には職場を、逃げるようにして、出た。

4時過ぎごろから、6時ごろまで、眠った。それから、パスタを茹でた。トマトをきざんだ。食べようという気分になったので、ちゃんと食べた。ただし、アルコールは控えた。代わりに、カモミール・ティを飲んでいる。
4月の香りがする。

意外と、雨をうっとうしく感じなかった。誕生日パワーがまだ続いているらしい。

1 more day to go

Thursday 23 October 2008

Absence of Absolutes

25歳になった。メールをくれた人たち、ありがとう。

昨日書いた文から引用:

「25歳になるにあたって」
何を目標としたいのかなーこの僕は、なんて帰りの山手線で考えていた。
「人にやさしく、自分に厳しくなる」
「ゴミの分別をする」
「首のシワをなくす」
「もっと責任感を持つ」
「ちょっとは連帯感とか協調性とかを感じれるようにする」
「もっと上品になる」

etc

電車の中で色々考えて、 お風呂に入ってからも結構色々考えて、
トマト刻みながらも考えてみたんだがその結果、


もうこのままでいいや


という結論に落ち着いた。どこも変えなくていいや。
目標立てたところで変わる気がしない。別にそんなに悪いところもないんじゃないか、そして結構素敵に生きてるんじゃないか、何かがいい方向に動くとすればそれはその時なんじゃないか。私ががむしゃらに動いたって、時間、タイミング、運、そのへんに敵うものはないんじゃないか。すべてその辺が変えてくれるし、そこに従って良い。なにごともなるようになる、けど、「なるようにしかならんさ」とうのは父の言葉である。がんばってもどうにもならない時がある。運を天に任せる、てやつ。

一日中Downerだったんだが、村上春樹を読んでエヴァンスを聴いたら、結構解決されたような気がする。あと一時間くらいで25歳になりますよ。


朝起きたら、郷里の祖父からメールが届いていた。携帯で撮ったおじいちゃんの写真が添付されていた。おじいちゃんは80歳を過ぎてからパソコンをはじめ、携帯を使い始めた。今はどちらも駆使している。ついでにデジカメも使いこなす。ついでにおじいちゃんは、詩を書く。文章を書く。

それって超かっこいい、と思う。「いつまでも若い」なんていう決まりきった言葉ではうまく言い表せないが、私はおじいちゃんのお茶目さと、その新しいもの好きなところが、とても好きだ。

パカ、っと携帯を開いて「はいチーズ」と写真を撮る姿を見るたびに思う。


私は、両親を見ると「本当に、どこが似たのだろう」とよく思う。性格で「似てるなあ」と思ったことは、覚えている限りではあまり無い。しかしながら、祖父母に関していえば時々「ああこの人の孫だ」と思えることがある。

「いいんじゃない、それで」とか「放っておけばなんとかなる」とか「そんなこともあろう」とか、基本的に大雑把な性格は、父方の祖母みたいだ、と思う。よく言えば、大らか、ということ。そして、どこか残っている、堅さと頑固さは、祖父譲りだ。



祖父母の視点からものをとらえたら、どうだろう。私が悩んでいることなんて、どれくらい"些細"なんだろう。80年生きているってどんな感じなんだろう。80年間の経験と知識って。
25になったって、やっぱりKidだよなあ。成長したつもりでも、おじいちゃんみたいな「余裕」にはまだまだ届かない。

21歳のころ、早く25になりたいと思っていた。さして変わっていないような、変わったような。20の時に「これからの5年は大きな意味を持つと思う」と言っていたのを覚えているが、果たしてその意味とは!

ま、時は流れて、すべては移りゆく。流れるままにまかせていい。諸行無常。absence of absolutes

Tuesday 21 October 2008

10月 is the best

映画を見ていたら、途中で眠ってしまいそうになった。昨日は、夜中にふと思いついて手紙を書き始めたので、就寝時間がいつもより一時間ほど遅かったのだ。それでも、その手紙は、その時に書かなければいけないものだった。これといった理由もないが、とにかく"気が向いた"のだ。たとえそれが夜中3時であっても、書いたんじゃないかと思う。

というわけで手紙は今朝、ポストに入れてきた。

今日も汗ばむくらいの良い天気だった。誕生日が近づいているので、日々のイライラも多少なら耐えられるし、縮小される。誕生日に免じて、てわけだ。

自分の誕生日をあまり気にしない人もいる。むしろみんなに祝って欲しくない、という人もいる。ちなみに私は、小さい頃、とても誕生日を楽しみにする子どもだった。一ヶ月以上前から、いや、むしろ毎月、カウントダウンしていた気がする。「あと6ヶ月」とか、そういう具合に。だから、いざ、10月になると、興奮して、日々がキラキラどころかギラギラと輝いて目に映った。必要以上に。「私の月が来た」とさえ感じていた。

そしてそれは、幼いころに限ったことではなく、今でも、結構、そうだ。
間違いなく、10月は1年のうちで一番いいと思う。

気付いたらもう半分が終っていた。

Monday 20 October 2008

登校拒否とエンパシー

こんばんは。

昨今の物価の上昇により、ビールでなく発泡酒で妥協してしまうことが最近増えたAmos & Andyです。

10月に入ってから、ブログの投稿が順調だ。コンスタントに、ほぼ毎日更新できている。それだけ書くことが多かった、ということなのか、それとも、1人でいる時間が多かったということなのか。答えはその両方であり、さらに、それだけではない。

まず、なるべく自分を客観的にとらえようとしているのだろうと思う。それがメンタルヘルスにとって少しでも助けになるかどうか、その効果は別として、書くことで自分を落ち着けようとしているのだと思う。

さらに、書くことが習慣化してきたのだろうと思う。ある程度、日課として、毎日、同じくらいの時間帯に、同じくらいの時間をかけて、同じくらいの量で、文章を書いている。他人に読んでもらえるくらいの文章を。

もちろん、"記録"としての、極めて日記的な意味も持っている。この日は誰と会った、とか、何を食べた、とか。そもそも記録好きな人間でもある。

とにかく、こうやって書くことで一日を終えようとしているのだ。それはほとんど無意識だが。

*********

さて、今朝は初めて本気で、仕事を休もうかと思った。久しぶりにラジオ体操をしなかった。
理由の半分は、体調不良、もう半分は気分不良、である。

鏡の前に立って、自分を見つめて、何度も何度も問いかけた。ここで休んでは、負けのような気もした。そして、逆に、行っては負けのような気もした。「どうする」と何度も自問自答した。

ただ、強引に着替えて身だしなみを整えてしまったので「これで行かなかったら勿体無いな」という思いがふとよぎった。というか、よぎってしまった。ああ、こうやって結局行っちゃうんだよなあ、と、半ば自分自身にうんざりしながら、駅へ向かった。本当に嫌になったら、その時は途中で引き返せばいい、うん、よしよし、と言い聞かせながらドアを開けた。

ところが、である。朝日を浴びたら「まんざらでもないな」と思っちゃったのだ。

朝日の持つパワーは前から感じてはいたのだけど、やっぱりその威力は凄い。今朝あらためて思った。結構、いろんなことを帳消しにしちゃうくらいの、パワーだと思う。100パーセントとは言わないにしても。
素敵な威力だ。

まいっちゃったなー

結局、いつもより少し遅かったけど、出勤した。「行ったら行ったでそれなりにいいことあるかな」と思いながら。そして、実際に、行ったら行ったでそれなりにいいことあった。これは、結局いつもの流れである。
「逃げちゃダメだ」という、ティピカルな、まるで漫画みたいなセリフがしばらく頭から離れなかった。


**********

帰り道、母親と電話で話したら、家族はまだ誰も帰宅していない、ということだった。

「みんな、なーんか、たーいへん」
と言うので、はははと笑った。
「それぞれにねー、生きていくとに、せいいっぱいやねー」
と言っていた。

我が母ながら、これは名言だと思った。

そうなのだ。
みんながそれぞれに、"いっぱいいっぱい"なのである。

電車で押し合いへし合いしているのも、相手に考えが伝わらずに涙するのも、すべては、自分が自分のことにいっぱいいっぱいだからなのだ。

今日読んだ、イタリア語の新聞に、「エンパシー」についての記事があった。エンパシーってのは、感情移入とか、共感とか訳される。あまり詳しくは読んでいないが、「みんながもう少し感情移入できたら、世の中もっと良くなるのにね」みたいなことが書かれてあった。

分かっているんだよね。世の中、みんな、そんなこと分かってるんだけど、なかなかできない。みんなひねくれていて、みんなKidに過ぎないから。30になっても、40になっても、所詮はみんなKidなのだ。

高校一年のときに、担任の先生が「思いやりは、想像力」と黒板に書いたことがあった。当時15歳の私は「ふーん」と思っていたのだけど、結局それが10年経った今も忘れられないフレーズになっちゃっているんだから、びっくりである。

結局のところ、やっぱり、ひろーい考え方のできる人でいたいと思う。「そんなこともあるかな」とか「私があの人だったらどうするかな」とか、あっちこっちの視点から物事をとらえられたら、もっと肩の凝らない生活が送れる気がする。

一つのことでも、色々な見方があるのです!


なんて、そんなことまだまだ達成できそうにない、所詮KIDのぼやきでした。
ああそろそろココアの恋しい季節ですね。

Sunday 19 October 2008

風邪を引いてしまった。

とある検定試験を受けた。そのため日曜にも関わらず目覚ましをセットして起きなければいけなかった。と言っても普段より1時間半長く寝られたので、まあよしとする。

まる一日このためにつぶれた。買い物も掃除も洗濯も、いつものようにはできなかった。仕方ない。

月曜は仕事休んでやるー!
と土曜日に意気込んでいたら本当に風邪を引いてしまった。試験中、鼻水が、ひどかった。ずず、という鼻の音が気に障るらしく、試験中に試験官がやってきた。
「鼻の調子がお悪いようです。一度トイレにいかれてはいかがでしょう。ただし、試験時間延長はいたしません」
と書かれたメモを机の上に差し出した。
びっくりしたけど指示に従って一度トイレに出た。

もうその後から数時間、つまり朝9時から夕方4時半まで、ずっと鼻水との戦いだった。止まらないのだ。ついでにくしゃみも。周りに迷惑をかけているのは分かるのだが、止まらないのだ。どうしようもなかった。

さらに午後から、強烈な睡魔に襲われる。意識が朦朧とする中でとりあえず問題を解いたが、あれが「問題を解く」と言える行為だったのか。頭はガックンガックンしつづけていた。

帰路が長く長く感じられた。距離的にはそれほど無いはずなのだが。

いくらか買い物をして、帰ってからモッツァレラとトマトを食べた。その後、パンケーキを焼いた。バニラ・アイスクリームと、ブルーベリー・ジャムを塗って、くるくると巻いて、ナイフで切って食べた。5枚くらい食べた。とりあえずビールはやめておこう。

明日こそは仕事休んでやる、とか思っても、結局行ってしまうのだ。どうしても、最後の最後には、(自分で言うのも何だが)、まじめなのだ。ああ、でも、本当にきつい。鼻の下が痛いよ。

Saturday 18 October 2008

青山テルマ、筋がつかめない、ひかりのまち

ようやく土曜の夜がやってきた。友人に会おうかとも思っていたのだが、すっかり疲れ切ってしまっていて、一刻も早く家に帰りたいと思った。とてつもなく過酷な一週間だった気がする。よく乗り切ったと思う。

いつもどおり、ビールを飲んで、パスタを茹でて、トマトを刻む。

『Wonderland (ひかりのまち)』 という映画を見た。イギリス映画。イギリスの映画というだけで私はもう無条件にそのブリティッシュ・アクセントにノックアウトされてしまう。毎度のことだ。「ノッティングヒルの恋人」や「ラブ・アクチュアリー」は、あれだけベタな映画で、評価は特に高くないはずなのに、どうして気に入ってしまうかというと、きっとあのイギリス英語のせいだ。間違いない。100パーセントとは言えないにしても。

それで、このワンダーランドはいかがだったか、と言うと、★★★★☆である。意外と良かった。最初はストーリーがつかめずに困った。いつものことである。時々、8ミリビデオを見ているような感じもした。カメラワークの不自然な映画は好きだ。

ストーリーがつかめないことに関して:

一番ひどかったのがマトリックスとミッション・インポッシブルである。まだ中学生か高校生だったと思う。初めて見たときは、それはそれは衝撃だった。
「なんかすごい、けど、ようわからん」
というのが感想である。何がどうなっているのか、さっぱり分からなかった。家族からは「ばかちん」の烙印を押され続けた。何を見ても、理解が遅いのだ。家族は皆、映画の続きを見ているのにその途中で「ちょい、待って、これどういうこと」と質問しまくったので、家族はうんざりしていた。

未だにそれは変わっていない、とよく思う。映画を見ていても、集中していないとあっという間に話の中身が頭から飛んでいる。

そもそも私は人の話がよく聴けないたちである。一対一で話す時は別だ。その場合はよく聞くことができる。問題は、講義やスピーチを聞かなければいけないときである。ちっとも頭に入ってこないのだ。いわゆる「ウワノソラ」状態である。もう、これは、仕方ないと思う。

まあ、最低限、聴かなければいけない大事な部分だけは聞けるようでなければいけない。


ところで、青山テルマの「そばにいるね」が良い。今年の春先、ドコモのCMでこの曲が聞こえてきたときは、ほとんど耳を疑った。曲だけじゃなくて、CM自体、とても良かった。泣かせるわーこれ、と、自分の数年前の上京当時を懐かしく、切なく思い出した。ドコモに機種変更しようかと思わせるくらいよかった。

普通は、邦楽の新曲を聴いて「おお」と思うことが少ない。というかほとんどないのだが、これは久しぶりのヒットだった。ただし、曲自体が長すぎる。そこは惜しいところだ。

素直すぎる歌詞が、心にグサグサと刺さる。自分の母語で歌われると、痛々しいなあ、と思いながら、口ずさんでいます。

ああ、疲れた。寝ようかな。

Friday 17 October 2008

スウェーデン

今日の仕事量は前代未聞であった。どの同僚に言っても「それ、ないですよ」と言われた。が、一通り、こなした。朝起きてからも、これから始まる一日の予定が信じられずに「やだー」と、一言、言ってみた。言ってみたところでマシになるかと思ったけど、特に変わらなかった。「やだやだやだ」と言いながら、体操した。それから電車に乗ったけど、ひとつ遅い電車だった。ほとんど無意識である。

午後になると「バッテリ切れ」という言葉が頭に浮かびはじめる。声すら出なくなってくる。というのも、昼もろくに食べてないからだ。むしろ、食べられないのである。いやな環境で食べても、美味しくないのだ。だから、職場で"もりもり"と何かを食べることはない。

家ではよく食べているのだ。私は自分の家が好きなので、この環境では、いいものを食べたいと思うし、食べると美味しいと思う。たとえ1人でも。

夕方から頭痛とめまいがしてきて、4時ごろから、一時間程度、姿をくらますことにした。

誰も追っかけてこない場所で、スウェーデン人の女の子たちとおしゃべりをした。スウェーデンの学校の仕組みについての話を聞いた。

スウェーデンについて。

どうしたことかスウェーデン人の友達が多い。まあ、ほかの国の友達に比べれば大した数ではないだろうと思う。けれど、不思議なのだ。どうしてスウェーデンなのだろう。たとえば日本に来るアメリカ人なんてたくさんいるだろうし、私も英語を勉強している身である、アメリカ人の友達は数人いたって特に不思議でもなんでもない。あるいは、イタリア語を勉強していて、イタリアに興味を持っているから、自然とイタリア人の友達も増えていくものだ。これは事実だ。

けれど、スウェーデン。

私はスウェーデン語を勉強したこともないし、これまで特にスウェーデンに強烈に惹かれたこともなかった。スウェーデンに行ったことなんて、ましてや、無い。

なのに、スウェーデン。

気付いたらこれまで会ったスウェーデン人の知人・友人はみんなとても素敵だった。そういえば、共通する魅力があることに気付いた。大学時代にもひとり、スウェーデン人の友達がいたが、ふと気付けば、ここ2年の間に、さらに友人・知人が増えている。

国の仕組みが面白い。そして自分の国を、これほど自慢げに、かつ自信を持って話す国民をあまり見たことが無かった。そして、みんな賢い。頭が良い、というよりは、賢い。つまり、単に成績が良いわけではない。生きていく知恵みたいなものを知っている感じがする。

"かまえ"が違う。なんと言うか、余裕がある。そして、基本的に、満たされているのだ。いい顔をしている。いい目をしている。

ここまで自分がスウェーデンを感じることになるとは思っていなかった。知らない間に興味が芽生えているのだ。こういうのは、いままであまりなかった。スウェーデンに行ってみたいと思うし、スウェーデン語を少し学んでみたいと思う。

こういう興味の芽生え方も面白いと思う。そして、ほとんど興味のなかったエリアに私を運んでいってしまった、スウェーデンという国は、一体何なんだろう、と思う。

そもそも900万人しか国民が居ないのに、その中の数人に、ここ数年のあいだに知り合っているという事実が、自分にとって新鮮で、愉しくて、嬉しくて、仕方ないのだ。

なんで、みんな揃ってあんなにスマートな生き方ができるのか。国家レベルで世界に尊敬されるそのゆえんは、何なのか、知りたい。最近、切にそう思う。

☆☆☆☆☆

環境を変えたい、とここ数日思っている。なんで二年間も同じ環境にいれるのだろう、私は、と、ふと不思議に思うことがある。毎日見る景色が何も変わらないのだ。そんなのに毎日耐えているのか、私は。こんな人間だったか。まったく私のことを知らない人たちがいる環境に行ってみたい。こまごました人間関係に、ここで振り回されるような器の人間じゃないはずだ、そもそも。しがらみ、呪縛、縛り、そういった類のものから抜け出すか否か、それはすべて自分次第なのである。

昨日もまた職場の夢を見た。幸いなことに、中身をすっかり忘れてしまった。幸いなことに。

ちょっと時間が出来たらやりたいことリスト

・イタリア語、英語の勉強

・スウェーデン語とギリシャ語にふれてみる

・写真をとる

・おえかき

・ピアノ

・衣替え

・手紙を書く

・そしてもちろん映画を見る

このうち2つくらいは明日にでもできそうだ。one more day to go

Thursday 16 October 2008

There' s something about Me.

仕事の話をすると暗くなるので、あえて避ける。まあ、でも、部分的にはとても楽しいです。


村上春樹の「レキシントンの幽霊」を少し読んでいる。読んだことのある話もいくつかあったように思う。今朝は『沈黙』という話を読んだ。ちょうどボクシングやりたいなと思っていたところだった。だから「お」と思った。タイミングが良い。

今日も良い天気だったので、昼間に、買い物がてら、散歩しながら帰った。新しいドライヤーを買った。あまり迷わなかった。お金使いすぎかな…という思いもよぎったが、まあ誕生日プレゼントということで、許した。最近そういうのが多すぎる。困ったものだ。「誕生日だからいいか」。こう言い聞かせてばかりいる。考えてみれば10月に入ってからずっとこんな感じだ。しかしながらリミットはあと一週間だ。あと一週間たてば、一つ歳をとる。

さて。新しいドライヤーを使った。

そしたら今日は髪の調子が良い。ただ、昨日変えたシャンプーのせいか、ドライヤーのせいか、分からない。

そういえば昨日変えたシャンプーの試供品が、今朝ちょうど駅前で配られていたので、タイミングが良すぎてびっくりした。コンディショナーは買っていなかったから、どんなもんだろうなー、と思っていたところだったのだ。

パスタを3袋買った。あとは、ピーマンと、モッツァレラと、小麦粉を買った。小麦粉なんて今まで買うことなかったのに、どうして急に買ったのか。それは、パンケーキを焼くためだ。新しいフライパンで焼くのはとても楽しい。

帰ってから、映画を見た。『迷子の警察音楽隊』というエジプト映画。

素敵な映画だった。ほとんど期待していたのと変わりない映画だった。気に入った。ハリウッドしか見たことの無い時期にみたら「So what?」「だからなに」みたいな感想を抱いただろうと思う。

☆☆☆☆☆

自分は運が良いと思う。霊感があるとは思えないし、信心深くもない。しかしながら、ある意味強運の持ち主ではないかと、思うことがある。100パーセントではないが、ある部分では、そう信じている。

何かしら、「運を引き寄せる力」みたいなのがあるのではないかと思う。いわゆる、偶然のめぐり合わせ、というものが比較的多い気がする。漫画か映画のような話の流れが、現実に自分の周りで起こっている、という場合が今まで何度もあった。友達に話せば「嘘でしょそんな」とよく言われる。

きちんとした根拠は無いけど「ついてるな」と思うことが多い。こういうのがスピリチュアルってやつなのかもしれない。

だから「私には何かがある」と思っている。前、「メリーに首ったけ」という邦題で有名な映画があった。あの、もともとのタイトルは「There's something about Mary」だったと思う、確か。メリーならぬ、There's somethig about Me. である。
私には何かがある。

今日、ちょうど、西新宿を歩きながらそう思った。
10月にしてはやや強い日差しを浴びながら、歩いていると、気持ちよかった。ガラスの扉に映った自分を見て、妙に、自信がわいた。

紫のシャツもよく似合っている
髪の調子も良い

「よし」


そうつぶやいて、大きな横断歩道を渡ると、そこに宝くじ売り場があった。吸い寄せられるように300円の衝動買いをした。買うつもりなんてなかったのに。しかしおかげで、今後前向きになる材料が増えた。

当たったら、まず、日本を出よう。


☆☆☆☆☆

今日はスカイプを完全に断ち切っている。強気な僕はパソコンから距離を置いてピアノの練習をすることにした。30分以上練習した。指がちっとも動かなかった。なにせ、本当に久しぶりなのだ。

時々パソコンが大嫌いになる。
こんなの消えてなくなれば良い、と思う。時々だけど。

Wednesday 15 October 2008

manic-depressive

元気なときとそうじゃないときのテンションの差が激しくて、もはやこれはいわゆる躁鬱状態なのではないかと自分でも思う。ここ最近である。家にいるときの暗さはもう尋常じゃない。ここ数日ビールを飲んでないせいかもしれない。少しのアルコールは摂ってもいいかもしれない。

気付いたら10月が半分終っていた。一年の中でいちばんいい季節である10月が。
そんなに簡単に終らせるわけにはいかないのに。と言っても、仕方がないのです。
時とはそういうもので、特に、秋とはそういうものなのです。

もっと生産的なこととか意味のあることを書こうと思うのに、毎日こういうことしか書いていない。どうしてこうも悲観的なのだろう。

最近ちょっと思うのは、私は、自分が思うほどネガティブではない、ということ。周りの人には、少なくとも、暗い気分を与えるようなことはしていないし、比較的そういう人間ではない。

ところで私という人間は、一見すると「いつも不機嫌」らしい。「最初は怖いと思った」というのがたいていの人が言うことである。ああやっぱりそうなのか、と、ハッとすることがある。あまり笑わず、ものごとに関心を持たないように見えるらしい。結果的に「万年不機嫌」と。

「でも実際はそうではないのにね」
と今日言われた。見た目と、知り合ってからのギャップがあるらしい。

仲のよい友達は、もうすでに仲がよいわけなので、第一印象について話すことなんてなかなかない。むしろ、内面について語ることが多いのだ。

だから、そういう第一印象や見た目の話をされるととても新鮮である。実に客観的で、遠いところからの、新鮮かつ貴重な意見だ、と思う。

******

毎日、仕事からの帰り道に、「帰ったら映画を見よう」と思う。うちにはまだ見るべきDVDがたくさんある。見たい時にいつでも見れるように、見たことの無いDVDが常備してある。ビールみたいなものだ。飲みたいときに飲めるように、冷蔵庫に常備してある。

しかしながら帰宅後食事をして、お風呂に入って、洗濯をして、落ち着いた頃には、すでにDVDを見る時間はなくなってしまっている。だから結局、週末に1,2本見るしかないのである。

時間が足りない。いつまで経っても、ヴィムヴェーンダースが見れない。

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今日もカウンセリングに行った。先週より言うべきことが増えていた。話して解決するとその直後に何か問題が増えるのである。どうしようもない。もぐらたたき状態だ。

でも、カウンセラーは本当に良い人である。これぞプロってものだ、と思う。人の話を聞く、というプロフェッショナル。

******

新しいシャンプーを使ったら、気持ちがよい。指どおりが変わった。でも私はシャンプーを変えるたびに同じことを思っている気がする。慣れた環境から、違う環境に変えると「おお」と思うのである。でも、しばらくそのシャンプーを使い続けると、結局普通のシャンプーになってしまう。

だから、よいと思っているけどそれは、錯覚にすぎないのかもしれない、と思っている。

*****

最近、ちっとも写真を撮っていない気がする。

Tuesday 14 October 2008

月曜みたいな火曜日

朝からとても気分が悪かった。何も食べずに家を出た。途中でチョコレート・ビスケットを買ったが、夕方4時になるまで、結局開封することなく、食べなかった。昼に、何か食べねばと思って、「2色ぱん」なるものを食べてみた。が、「とりあえず食べなきゃ」と思って食べるのは、食べたいと思って食べるのとはだいぶ違うと思う。

昨夜は10時半ごろ眠りについた。連休だったのでもう仕事関連の夢は見ないだろうと思っていたのだが、またしても見た。

しかも今回、私は、病人役だった。

病院で、食事をとらなければいけなかった。バイキング形式なのだが、方法がよく分からずにいた。どうしたものか。ふと見上げると、食事を作っているのは高校時代の同級生だった。ありがちな話である。

そこで困っている私に食事のとりかたを教えてくれたのは、職場の人だった。

****

職場を出るまで今日はずっと、軽度の吐き気、というより胃の気持ち悪さを感じていた。
人生色々、である。
帰り道、ボブ・マーリーが "Don't worry, Be happy" と歌っていた。

雨が降っている。
少し寒い。

Monday 13 October 2008

偏食体育の日

起きたら、とても気分が悪かった。ちょうど寝不足の時のような感じだった。しかし寝不足であるわけはないのだ。昨日は12時前に寝たし、起きたのは9時ごろ。なのに顔が引きつったような、しびれたような。そんな感じだった。もう一度寝ようと思ってもなんとなく眠れなかった。

妹に電話をかけた。1時間近く話した。

掃除と洗濯をした。りんごを煮た。音楽をかけたら元気が出てきた。スウィング・ジャズ。日曜日の昼、スウィング・ジャズ。

図書館に行って雑誌を読む。その他、雑用を済ませた。朝からまともに食事をしていなかったが、あまり何かを食べる気にもならなかった。そのうち生理痛がきつくなってきた。結局そのまま夕方になった。日曜はやはり泳ぎに行くべきなのだ。身体はそういうふうに言っている。

商店街でやっていた「健康チェック」というのに参加してみた。無料ですよー、と言われたし、勧誘っぽいことをするようには見えなかったので。

体脂肪率は前より高くなっていた。体脂肪計を持たなくなってからもう数年が経つ。買うべきかも知れない。

基礎代謝量は1350kcalと言われて、それが良いのか悪いのか分かっていなかったが、話によると、良い方らしい。

体内年齢 24歳
推定骨量 2.7kg
筋肉量  41.6kg
BMI 21.5
血圧 112/68
脈拍 58

自称「ダイエットマスター」さんに、相当褒められた。だが、きっと誰にでも同じことを言っているに違いない、と思った。目標体重より3キロくらい多かった。わかってはいたけど、ちょっと絞る必要がある気もする。

最近、糖分と脂肪を摂りすぎている。少しならいいのだが、プリングルスの、あのでっかい筒とか、手のひらより大きいバウムクーヘンとか、平気で買ってしまうので、少し考え直す必要があろうかと思っている。

思っている。

…思っているのだが、今日は、パンケーキを焼いた。(昨日買ったフライパンを、どうしても使いたかったからだ。出来は上々だった。このフライパンは使いやすい。)じゃがいもとソーセージを夕飯に食べた後のことだった。そういえば、ハンバーガーも食べた。外を歩いているときにお腹が空いていたので、もらったクーポンで買ったのだ。

これは、栄養が偏っているというものだ。そろそろ米を消費するべきかもしれないと思っている。というのも、母親が米を送ると言ってきたのだ。
前の米はちっとも減っていない。けれど、なんとなく断れなかった。困った娘である。

フラフープを回しながら、NYが舞台の映画、『ディナーラッシュ』を見た。レストランの話は面白い。でも、『王様のレストラン』がに敵うものはないと思っている。


そうえいば体育の日だった。フラフープくらいだろうか、体育的だったのは。

Sunday 12 October 2008

新しいフライパン、スナッチ

『snatch』
を見た。
・だいぶ分かりにくい。筋をつかむのが遅い―特に私のような―人間にとっては。
・BGMとテンポがとにかく軽快で愉しげなのだが、そこはとても気に入った。場面の切り替わり方とか。
・ところどころ、タランティーノを思わせる。が、タランティーノの要素にかぎらず、ゴンザレス・イリニャトゥの『アモーレス・ペロス』を思わせる部分もあった。どっちが先だったかな。忘れた。
・そういえば女性がほとんど出てこない。メインキャラクターは10人を超えるのだが、その中に1人も女性がいない。最初から最後まで、男くささが漂う作品だ。
・ブラピの「パイキー」訛りが愉快だった。本物のパイキーに会ったことが無いんだけど、ああいう感じなのかな。興味深かった。
・ガイ・リッチーって他に何をした人だっけなー、よく聞くけど …と思っていたら、そうでした、マドンナの旦那さんでした。


今日は美容院に行った。結構前から楽しみにしていた。一刻も早くこのもじゃもじゃ頭をどうにかしたかったからだ。だいぶすっきりして気分が良くなった。

その後、フライパンを買った。4年くらい使っていたT- falのフライパンが、テフロンがはがれてボロボロになってしまったからだ。先週、パンケーキ祭のときに、これは新しいのを買うべきだ、と確信した。

ということで今日買ったのは、またしてもテフロンであることに代わりはないのだが、今度はBIALETTI社のものだ。BIALETTI社はイタリアの会社で、コーヒーメーカーを2つほど持っている。コーヒーメーカー専門だと思っていたら、フライパンを作っているらしい。

へえー、と思いながら見ていたら、隣のカップルが「これ、買ってみたらよかった」と、女性が男性に向かって言っている。思わず

「買ってよかったですか??」

と訊ねてしまった。女性は驚いた。だけどすぐ笑顔になって「おすすめですよ」と言ったので、「ありがとうございます」と言って、迷わず買った。あとは、シューズキーパーも170円で安かったので買った。

それから、金属じゃない(つまり、フライパンをいためない)ターナー、つまり、フライ返し、を買った。

さらに、ソルトシェーカー(塩入れ)も買った。私は、毎日塩を使うのに、タッパーしかもってなかった。振ってかけるものがずっと欲しかった。やっと、気に入ったのがあったので買った。長くかかった。

キッチン用品はいつも愉しい。見ているだけでも愉しいが、買うことを前提としていると、もっと愉しい。ただし、よく考えて買わないと結局ガラクタになってしまう。


さて、新しいフライパンがきたので、誰かパンケーキ祭、しましょう!

週末、趣味の悪いビデオ

長い一週間が終った。最終日の今日は一番疲れた。忙しかった。よくがんばったと思う。急に思いついて友達と会った。パスタと、プリングルスを食べて、ビールを飲んだ。

ブリトニー・スピアーズが完全復活を遂げたらしい。
その新曲womanizerのミュージックビデオを見た。趣味が悪すぎる。写真で見た時点では、面白いもの ―クリスティーナ・アギレラの、Candy Manくらいの―が仕上がっているような気がしていたのに、これでは全然ダメである。音楽と映像がまったく合っていない。そして、そもそも音楽が良くない。世界のファンたちはどう思っているのだろう。

ちなみに私はブリトニーのファンでもなんでもない。世の中のブロンド姉さんたちが、「ブロンドってだけでバカっぽいイメージをつけられるのよ」と嘆いていたとしたらその一因はこのトラブルメイカーにもあるだろう。
「時に、哀れ・ブロンドよ」
そのくらいなもんである。

今ならここから見れるので、ぜひどうぞ↓

http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/showbiz/music/article1793799.ece

Friday 10 October 2008

私は孤独なのか。孤独は良いことなのか。

いつも友達か恋人とくっついていなければ寂しくて仕方なくて、身の置き所がなくて、落ち着かない、というような人が世の中にはいる。学生時代、特に、そういう人がみっともなく、情けなく見えたものだ。友達がいないわけではなかったが、自分だけは少なくとも違うと思っていたし、むしろ1人でいることが心地よいと感じていた。家族と離れて暮らすことを寂しいと思ったのは上京当時の、最初の数ヶ月だけで、きまった恋人がいなくても、寂しさに悶えることは無かった。

どうして急にこういうことを書いたかといえば、自分は本当に1人なのか、と最近疑問を抱くことがあるからだ。いや、「1人で生きていけるんじゃないの。うん、そうだよ。趣味もたくさんあるし。友達たくさんいるし。」と自問自答して、さらに、言い聞かせることが増えてきた。

つまり、学生時代の方が強かったししっかりしていた気がする。就職してからというもの、軸がふらふらして、ますます頼りなくなっていく気がしている。人に会わないと寂しいと思うようになったのは就職してからだ。

それは単純に、学生時代ほど、友達の近くにいるわけではないからだ。それが大きな理由だと思う。一日中「私」でいられた。講義を受けたって「公」になることはなかった。そして、その間は基本的に「1人」だった。

ただし今は、起きている時間のほとんどを「公」として過ごしているのだ。疲れるのも当然である。そして、ふと「私」に戻った瞬間、急に1人になってしまったような気になる。学生のあいだは、つらつらと、思いついたことはその都度、口に出していたのに、そういう環境が手に入りづらくなってしまった。

毎日、たくさんの人たちに囲まれていると、結局自分がどういう人間なのか見失いそうになる。どんどん分からなくなってくる。こんなことを考える必要も無いくらいに、揺らぎの無い、なにかこう、しっかりとしたものを持っていたように思うのだが。

画を描く、音楽に没頭する、映画を見る、本を読む、写真を撮る、新しい言語を勉強する
こういうことができればきっと、寂しいとか弱いとか感じなくなるのだろう。だけど結局のところ、私が一番好きなことは何か―
人としゃべることである。何よりもそれを楽しむ人間である、と思う。
最近ますますそれを感じるのである。

いずれにせよ、一度、完全に1人になってみるべきだ。色々なものの影響と刺激を、素直に受け入れることのできるような、ひらいた身体でありたい。ビタミンCの入ったすっぱいレモンのジュースが今冷蔵庫にあるのだが、ちょうどあれを飲んで、身体にしみわたる時みたいに。

身体が、何かをリセットしたがっている。

Thursday 9 October 2008

気になって仕方ないブログとイタリア、平日昼の街、そしてルーマニア

前にも書いたけど、横尾忠則の息子が書いているブログをよく読む。というよりむしろ、見る。知人でもファンでもないのだが、どうしても気になって仕方ないブログである。毎日、食べ物の写真ばかり載せている。独り身で、食べてばかりいる人、というイメージしか、もはや、無い。ほかにどういう才能があるのかよく知らないのだが、とにかく食べるのが好きであるということは疑う余地も無さそうである。朝からパスタとシリアルを食べているというから呆れる。外食が多そうだ。いや、明らかに多い。その食事内容が、からだに良いものであったとしても、これは過度と呼ぶのではないのだろうか。良いものだって、良くなくなってしまう気がする。ここまでくると、もう、感心するしかない。どこでどうお金を調達したらこんなにたいそうなものばかり食べることができるのだろう。そして、「食」だけに向けて、ここまで情熱を注ぐことができるのだろう。よくわからないけど、この人はずっと「横尾忠則の息子」を超えられない気がして仕方ない。本人をよく知らないまま、ブログだけの印象でこんなこと言ってしまうのは失礼だとは思うのだが。

それでもなんだか気になって毎日のように見てしまうブログなのである。書いている内容が素晴らしいというわけでもない。なんでだろう。

結局、写真と食べ物が好きなのだ。きれいな食べ物の写真がならんでいるとなんとなく嬉しくなる。おそらくそういう理由だろう。


話は変わって。

またパン屋再襲撃を読んだ。そういえば今日はノーベル文学賞の発表日だったが、結局村上春樹は受賞に至らなかった。有力候補といわれ続けてもう数年が立つ。いつまでも引き伸ばされる。


仕事で嫌なことがあった。ちょっとうまく行ったと思うとすぐに何かが起きる。仕事に限らず、なんだってそうだ。
波、波、波―
壁を殴りそうになったので、すぐに職場を出た。

ところで、平日の昼間、街を歩くのは快感である。「イタリア展」をちょっとだけ見てきた。何人かのイタリア人と話した。たったこれだけで、気持ちがだいぶ楽になる。

ちなみに、話したといっても、話しかけられたわけでもない。かといって私から話しかけるわけでもない。目が合うと、どちらからともなく笑顔になるし、言葉が出るのだ。これって、残念なことにほとんどの日本人が、できないことだと思う。ああこの人は話したがっているな、というサインを察知する、それだけである。イタリアにいると、公共の場でやたら人がしゃべっているように見えるが、実は隣にいる人が赤の他人である場合が少なくない。

「電車のドアなかなか開かないわね」
「息子が待ってるのよ」
「あらお宅はどこから」
「私はパルマから。あなたは」
「私は…」

とまあこういう具合である。目が合って話しかけたところで誰もそれを不思議には思わない。

むむ。これさえできればこの国ももっと"豊かに"なるだろうに。
今年の夏、ローマで会ったおじさんが言っていた名案をここで紹介しよう。

「1000万人のナポリ人と、1000万人の東京人を、まるごと交換すれば、世界は、より良くなると思うんだよ」

名案、かつ、名言である。


さて、そのあと、服を買った。普段は混んでいるであろう、店も、平日の昼間は空いていて、良い。ZARAに行ってみた。ちなみに、学生時代からずっと、日本でZARAに入ることは、まず、無い。値段が微妙に高いのである。だからヨーロッパに行ったときに買うのが賢いと思っている。

ではなぜ今回ZARAで買う気になったのか。学生時代ほどお金に困っていないというのも一つの理由である。気に入ったものをその場で見捨てて次にヨーロッパに行くまで待てないと思ったからでもある。

つまり、(orそして)ヨーロッパに次行くのがいつか分からないからである。今のところ、今年の冬も、春も、行くつもりは無い。もう少し具体的に言うと、2週間、とか、1週間、というかたちで行くことはしばらく無いと思っている。次に行くときは何かしら覚悟を決めようと思っている。この3,4年のあいだ、行ったり来たりを繰り返していたが、その時期をそろそろ終えなければいけないと思っている。

パスタを食べながら『トランシルヴァニア』を見た。

結構好きだ。
東欧のジプシー音楽を一時期きいていた時期があったが、それを思い出させた。
ルーマニアに行ってみたくなった。

Wednesday 8 October 2008

エニー・アザーの件

久しぶりに米を食べた。
そして久しぶりにトマトを食べなかった。

2度目のカウンセリングに行ったが、それほど話すことがなくなっていた。ここ最近は心が、一度目よりは健康である。

一週間以上前に買ったカーネーションがまだ綺麗に咲いている。こんなに保てるものなのか、と、驚いている。これは過去最長記録である。

今日メインの出来事といえば、
NY is larger than any other city in the U.S. という文についての論議である。cityでなくcitiesでもアリなのではないか、というのが私の考えである。ネイティブは、どちらでもアリじゃん、というのだが、また一方で完全に否定をされたので悔しくて色々調べてみたらやっぱり「複数も可」という説もあった。
ただ、「任意の」ひとつの都市と比較していると考えるので、単数形というのが「無難な」説である。
たいていの人がひっかかるのが
any other questions?? などという場合は複数形でOKなのか、ということだ。
そう。比較の表現でany otherを用いる場合に限り、単数形にしなければいけないのである。
結局テストで複数形を書いたら×になるというわけだ。

もう。

文法なんてso what的世界である。
気になり始めたら仕方ないけど気にしたところでソー・ワット?
こういうのを念頭においてたらかえってしゃべれなくなりそうだ。
確かに、大切なんだけど。んんー、実に、"原点"て感じの疑問・矛盾である。

こういった、矛盾する気持ちってのも忘れちゃいけないと思っている。

Tuesday 7 October 2008

捨てたモンじゃないっスね

電車から降りて、改札を出てから、地面が濡れていることに気付いた。花屋がそこにあるので、おじさんも大胆に水撒きをしたものだ、と思ったら、それは雨が降っているためだった。どうやらおじさんの仕業ではなかったらしい。

帰宅してすぐに、服を脱ぐ。だいぶ涼しくなった、と思う。水の入った鍋を火にかけて、テレビをつけると、すぐ聞こえてきたのが、有名な日本人俳優の名前だった。

「俳優の緒方拳さんが―」

なんとなく嫌な予感がした。こういうときはたいてい、訃報なのだ。NHKのニュースが突如として、俳優の名前を挙げるとしたらそれは、国際的な映画祭で受賞をしたか、訃報か、あるいは覚せい剤所持か、原因はそのへんに決まってるのだ。

予感は当たった。


緒方拳が死んだ。


そこそこの、喪失感に襲われた。知り合いでも、大ファンでもないのだが。
彼が一番活躍していた時期に、私はまだ生まれていなかった。自動的に、有名な大河ドラマ、太閤記での格好良さもよく分からない。

ただ、この国は、すごい人を失ってしまったぞ、と思った。偉大なる人材の喪失。

トマトを刻みながら、しみじみ彼の死を悼んだ。


パスタが茹で上がった。完成して、食べようとテレビの前に座った瞬間

「えー、たった今入ったニュースです」

ノーベル賞が決まったのだ。3人の日本人が受賞した。
驚いた。
とても喜ばしいと思ったと同時に、なんとなく妙な、不思議な気持ちになった。奇しくも、緒方拳の訃報と同日である。大きなニュースが二つ。

これによって緒方拳の死が人々の印象から薄れるのかもしれない、とも思った。しかし逆に、同日ということがかえって、あることについて考えさせる機会を与えているともいえる。
あること。
それは、日本の抱えている人材について。日本人について。日本について。

「3人。へぇー。捨てたモンじゃないっすね」
という街頭インタビューが、きわめてありきたりなのに、いちばん印象的だった。

今日ももうまぶたが下りてきたのでそろそろ寝たほうが良さそうです。おやすみなさい。

Monday 6 October 2008

パンケーキ祭り!

昨夜は友人と2人でパンケーキ祭を開催した。雨の降る中、スーパーマーケットに行き、何も考えずに買いたいものを、買いたいだけ、買った。外食よりも高くつくくらいの値段で、2人とも呆れたが、外食よりやっぱり楽しいと思う。つまり、家に誰かを招いて、食べ物を共有するというのは。

パンケーキはびっくりするくらい美味しかった。20枚くらい焼いた。クレープに近いけどクレープより美味しい。バニラのハーゲンダッツと、ラズベリージャムをぬって食べた。というわけで、パンケーキ祭りは成功に終ったのだった。

面白いことに、この友人と会うときは必ず雨が降る。ほかの友人がいれば降らないのに、2人で会おうとするとこのアリサマである。2人で会ってはならない理由が、あるのかもしれない、と、昨日は、さすがに思った。

というわけでRainy dayでありMondayである。確か先週も同じようなことを書いた気がする。ただ、そこまで気が滅入ることは無かった。なんとか今日を終えた。そうやっているうちにすぐ冬がやってくるのだ。早く来て欲しいような、もう少し待って欲しいような、複雑かつ不思議な心境である。

ともかくこの、秋の一番良い時期というのは、ほんとうに、瞬時に過ぎていく。9月の終わりなんて、結構感じることの多い季節なはずなのに、ストレスに追いやられている間に終ってしまっていた。10月を満喫しよう。
この世で一番良い季節である。

ところで、栃木、宇都宮の餃子が真っ二つに割れたらしい。いたずらか、と思いきや、作業員のミスだというからまったく「おいおい…」的事件、いや、事故である。ニュースを見ながら、思わずふきだしてしまった。あーあ。

さらにあと一つ、ドバイに1kmの高さのビル建設計画が持ち上がっているらしい。10年以上かかるらしい。これも同じく、ふきだしてしまった。

今日はこれで寝ます。昨日は、1kmも泳いだくせにそのあとのパンケーキ祭りにより、就寝が1時だった。5時間ちょいしか寝てないので、もう今日はこれで限界です。明日もがんばろう。

Sunday 5 October 2008

maple cookies

哀しくなるくらいに天気がよい。この天気に対して私は一体何ができるだろう!
たぶん、何も無いのだ。このベッドの上で1人、パソコンいじったりテレビみたりしているのが一番いい気がする。友人と会う予定がある。気が向いたらその前にでもプールに行って泳ごうと思う。

昨日3時に寝たにも関わらず、今朝は8時に起きた。またヘンな夢を見た。

恋人と住む高級マンションに、警察が大勢やってくるという夢だった(刑事さんだけ何故かカッコよかった)。覚せい剤所持とかそういう容疑だったと思う。恋人と住んでいると私は思っているのだが実際のところそこにあったのは恋人の姿よりも親戚の姿だった。
同僚や仕事の夢じゃなかっただけマシだ。

先週は、冗談抜きで、同僚と職場の夢を見続けた。連日、である。つらいものがあった。寝ているときは無意識だからこれは本当にコントロールできない。

でも昨夜の夢は、怖かった。ハッと目を覚ますと、身体が硬直していた。おもわず「ああ」と声が出た。夢か…という感じ。

金曜日に買ったメープルクッキーが美味しい。カナダについて特に興味があるわけでもないしカナダについてはよく知らないのだが、メイプルクッキーが美味しいということが知っているし、メイプルクッキーが好きだ。カナダじゃないとこんなに美味しいメイプルクッキーは作れないだろう。日本のクッキーは、チョコレートやクリームといった何かをサンドする場合は、二枚で一個になるわけだから、一枚が薄い。どうせくっついて一つになるなら薄くて良いと思っているのだ。

しかしながら、欧米産のお菓子は違う。厚さも甘さも大きさも、容赦ない。半端無い、というよりは容赦ないという表現のほうがふさわしかろうと思う。

4、5年ほど前のことだ。カナダに留学する気も無いのに、カナダ留学説明会へ行ったことがある。大使館で開かれた。九月だったと思う。青山という場所に行ってみたかった、というのもあるし、そもそも行き先は何処であれ留学に向けて何か動き出さねば、と思っていたから。

それで、結局何が言いたいかというと、そこでメープルクッキーを山ほど食べたということだ。だから何、というわけでもない。ただ、「ご自由にどうぞ」tとあったので、本当にご自由に、食べたいだけ食べた。18歳のときの話だ。

チョコレートと比べて、「もういいや」と思うのが遅い気がするんだよね。メープルという、あの独特の味。

最終的な結論もオチも何もありません。カナダのメイプルクッキー、好きです。

週末です

何かに参加するかしないか、迷った時は、たいてい、参加したほうが良いケースが多い。

まあよく言われることではあるが、今日、あらためてそれを感じた。仕事は半日で終わり、そのあとぶらぶらしてから帰宅。5時過ぎから少し眠って、9時から渋谷に行った。

一週間くらい前から、今日のつどい(?)は誘われていたのだが、今日、仕事からの帰り道で、なかなか行く気がしなくなってきていた。とりあえず家でじっとしておきたいと思ったし、家でいったんくつろいだら、もう人ごみのなかに戻る気はしなかった。人に会いたいのとは別に、ただただ「面倒」なのである。

ただ、睡眠をとったら事態が変わった。急に、外に出たくなった。ここで過ごすのは勿体無い気がした。

行ったバーは、雰囲気も良かったし、適当な値段だった。久しぶりに友達にも会えた。ビールを3杯くらい飲んで、鶏のなんこつを食べた。

そこで、ドイツ人の女性と知り合った。一時間くらいだろうか、結構色々な話をした。

考えてみれば、日本人以外の、女性の友達があまりいない。だからこの人との出会いは結構嬉しかった。その場限りであろうとも、これだけのことが話せたというのは、嬉しかった。

言うまでも無いことだが、ヨーロッパの女性は強い。自分の主張、あるいはポリシーみたいなものがわかっていて、感情表現が豊かだ。そして、相手が同性だろうが異性だろうが、あまり媚びたり飾ったりしない。

まあ、いわゆるステレオタイプかもしれないが、知っている限りではそういうことが言える。

ほんの数時間の外出だったけど、行って良かった。

夜のテンションは不思議だ。日本人はシャイ、とかそういうのがほとんど関係なくなる。行き過ぎは問題だが、軽く酔ったくらいの街は好きだ。

Friday 3 October 2008

6時半の体操、ジブリ

9月からはずっと、6時半起床である。これでも十分に間に合うということが分かったし、日中、睡眠不足を感じる回数が減った。いや、ほとんど無くなった。そして、NHKのテレビ体操をすることにしている。これが、とても気持ちよい。どうして今まで気付かなかったのだろう。始めたのはつい最近のことだ。

30分から「みんなの体操」が始まるのだが、これはあまりやる気がしない。身体が伸びた気にならないからだ。だから、この数分の間に顔を洗ったり腕時計を身につけたりする。それからすぐあとに、テレビ体操―俗に言うラジオ体操である―が始まる。それがラジオ体操第一か、第二かは、その日によって違う。

ストレッチをするとすっきりする、とよく言う(し、自分でもそう思う)が、思うに重要なのは肩の筋肉なのではないか。疲れると肩をまわす同僚を時々見かける。私もよくやる。

ずっと前に齋藤孝の本を読んでいたら、「頑固なおじさんは肩が硬い」と書いてあった。精神的な柔軟さにもつながるのかもしれない。身体論の詳しいことはまったく知らないのだが、肩の筋肉をほぐすと良い、というのは、感覚的に分かる気がする。呼吸をして、身体を「開く」という感じ。

**********

テレビをつけたら、「ハウルの動く城」が放映されている。見るのは初めてではない。「千と千尋~」以上に、よく分からない。分からない、というよりむしろ「つかめない」「つかみどころがない」といった感じだろうか。

原因の一つは、変化(へんげ)するキャラクターたちにあると思う。たとえば「トトロ」といわれたらあるひとつのイメージが頭に浮かぶ。一般的なレベルの話である。

それにくらべて「ハウル」はどうだろう。そして「ソフィー」は。

見た人は分かるだろうけど、物語を通して、彼らはどんどん姿が変わっていく。一定の「イメージ」というものがきわめて浮かびにくい。ハウルは結局のところ「キムタク」に落ち着いてしまう気がするのだが…まあそれは極端な例かもしれない。

原因その二:
「"異国"になりきれ無さ」
設定は完全に魔法の国なので、現世からはぶっ飛んだイメージが描かれるわけだが、これがどうも極端すぎて、収拾がつかなくなっている気がする。空想世界という点でみれば、ラピュタだって千と千尋だって同じである。でも、もっと統一感があったと思う。

まあ、あと何回か見てみればもっと分かってくるのかもしれない。

ちなみに私がもっとも好きな宮崎アニメは『紅の豚』である。
今に始まった話ではなくて、小学生のときからこれが一番好きだった。よく分かってないながらも、好きだった。擦り切れるほど…とまでは言わずとも、何度も何度もビデオテープを巻き戻した。見たこともない「アドリア海」という海に憧れたものだった。当時から、ジーナは私にとって世界一魅力的な女性として君臨し続けた。

フィオという女の子が出てくる。
彼女の名前はどう考えてもイタリア人女性の名前とは違う。最後がOで終る名前は、通常、男の名前である。それで今ふと分かったのだが、もともとの名前は「Fiona」なのではないか。そのニックネームでFioと呼ばれていたのではないか。ちなみに女性の名前はAで終るものがほとんどである。それだったら納得がいく。

ハウルからフィオの名前の話まで飛びました。でも、これで納得がいった。そろそろ寝ることにします。

Thursday 2 October 2008

携帯チェーンジ。

またしても上司に小言を言われる。鈍感力流に「はいはい」で切り抜けようと試みたのだが気になるものは気になる。

携帯電話を替えた。俗に言う"キシュヘン"ってやつだ。高校3年生の終わりから携帯電話を持ち始めて、これが4代目になる。これまで3つとも、「新規購入」してきたので、「キシュヘン」は初体験である。

携帯電話には、特にこだわりの無いままここまで来た。「電話とメールができればそれでいい」というスタンスは18歳当時から少しも変わっていない。最近では月々の代金が、3000円を下回っている。そのくらい、使わない。使わなさ過ぎではないかという説があることも確かである。

これだけ使っていないにも関わらず、どうして替えたくなったのか。

答えは単純だ。「気分」である。キシュヘンの「ヘン」は、気分転換の「転換」を表すのだ。もう少し具体的に言うと、先日ちょっとイカすデザインを見つけたときのことだ。よく見るとそれはSony Erricsonだった。

何を隠そう、今使っているTOSHIBAの携帯の前は、Sony Erricsonしか使ったことが無かった。デザインもシンプルで分かりやすくて気に入っていた。それに比べて今使っている携帯電話は「イケて」ない。

その機種について、値段と料金プランの説明を受けてみた。現在3000円をきっている携帯料金が、さらに安くなる可能性があるということが分かった。なんてこったい。

9月中、食費を除くと出費をやや抑え気味にしていた。だから、まあこのくらいは気分転換に良いのではなかろうかと思ったのだ。それもあって突如、携帯購入に至ったわけだ。

変更した感想はといえば、特にリフレッシュした気分でも新しい気分でも無い。これは期待外れだった。前回買ったときはなぜあんなにすっきりしたんだろう、と考えてみた。

前回は、ストーカー対策もあって、携帯を解約したのだ。同じ会社から同じ会社に買い換えた。完全にアドレスと電話番号を変えた。ずいぶんと新しい感じがしたのはそのせいがあったんだろうと思う。


ところで、時々「ドコモっぽいよね」といわれることがある。これがよく分からない。
子どもっぽい、ならまだしも、ドコモっぽさって何なんだ。スタイリッシュ!とか、ヤング!とか、ポップ!とか、そういうイメージが携帯会社ごとに、存在するらしいが、私はよく分からない。

しかし、私はドコモ使用者ではありません、残念でしたー。おしまい。

10月1日によせて

・新しい手帳を買った。最近の手帳はきっちり1月(あるいは4月)始まりじゃないから困る。でも、手帳を買うのは楽しい。

・献血をしようとしたらヘモグロビンが足りなかった。貧血である。

・新しいストライプのシャツと、変わった色のセーターを買った。

・ブログのデザインを変えた。今朝撮った写真を使ってみた。撮りたてっていうわけです。カーネーションの一番きれいなとき。昨日会った友人が着ていた服の色に似ている。そのことに今さら気付いた。

ほかにも書くべきことはあるが今日は寝ることにする。

Wednesday 1 October 2008

Wed. Off

休みだ。水曜が休みだからこそ先日の日曜も出勤できた。「あと二日行けば休み」というのが分かっているから、月曜と火曜日の仕事は、やる気が出る。

毎週水曜日を休みにしてしまえばいいのに、と思う。とても都合が良い。

そうすれば世の中の働き人たちはせめてあと少し良好なメンタルヘルスを保つことができる。ストレスの軽減により、仕事の効率はアップするに違いない。売り上げも伸びて、水曜日に買い物に出ちゃったりしたら経済も活性化するに違いない。

休んでこそ上がる成果っていうのもあるはずだ。私の理想は週3日仕事をして4日休むことである。お金がたまったらそれも可能なのかもしれない。

昨夜は小雨の降りしきるなか、友人がやってきた。深夜2時まで話して、起きたら外は明るかった。11時だった。よく寝た。寝すぎたせいか、頭の左側が痛い。いわゆる頭痛とは違い、キーン、とする。ふとした拍子に、キーンとする。

ツタヤが、一週間にわたり半額セールを行っているので、ここ数日のあいだにいくつか借りた。こういった、セール中に借りておいて、あとでゆっくりと、気が向いたときに見る。

プリングルスを食べた。こういう、身体に悪そうなものを一気に食べたくなるときがある。極めて身体に良いものばかり食べさせられて育ったので、その反動じゃないだろうかと自分でも時々思うことがある。

天気は悪いが今日はひょっとして吉祥寺日和なのではないかと思う。なぜか分からないけど、一ヶ月か二ヶ月に一度くらい、吉祥寺に呼ばれるのだ。別に予定を決めていたわけでも、誰と会う約束があるわけでもないのに、吉祥寺に行きたいと思う日がある。天気がよかろうが、悪かろうが。

目的も無く吉祥寺に行きたくなる。


この前買ったカーネーションのつぼみが開き始めた。たぶん、今が一番きれいだ。

Monday 29 September 2008

Rainy days and Mondays always get me down

…とカーペンターズは歌うが、今日はそのどちらもが該当する日である。ただ、昨日も勤務していたので「あああMonday again」という悲壮感と嫌悪感は無かった。幸いなことである。ずっと休みが無かったらずっと嫌悪を感じずにいられるのかもしれない。しかし、それは、まったくいやなことである。

今日の雨の降り方はあまり嫌いではない。
蒸し暑くもなく、寒くも無い。
つまり、秋なのだ。

人肌恋しくて、身が切り裂かれそうになる。

先日見た、ヴィム・ヴェンダースのRainみたいに、あちらこちらで色々なことが起きているんだろうと思う。街を、ぐぐぐぐーっと引いたファインダー越しに見つめてみたら、何か分かるかもしれない。

話は変わるが、最近、リーズが恋しい。ちょうどそういう季節なのだと思う。渡英してからの数日間、あの空気と感じを、ありありと思い出すことができる。

世の中には、そうやって「あの日あの時」のことを語る人はたくさんいる。
例えば、初めて海外に興味を持ったきっかけがパリコレを見たことであった、とか、
ジュリア・ロバーツがニューヨークを歩く映画を見て、身が悶えるほどの憧れを感じたとか。

聞いている側としては「ふーん」程度のものである。
ただし、当の本人の中では目まぐるしく「何か」が動いており、劇的としか言いようの無い、ある種の「よろこび」あるいは「感動」がある。
それについて、言の葉を尽くして、彼あるいは彼女は語るわけだが、やはり「ふーん」で終ってしまうのである。
到底伝わりようの無いことなのだ。
その日その時、その人の年齢をもって、その人しか感じられなかったことなのだ。いくら説明したって、そしていくら相手が感動を示してくれたとしても、わかっていない、と思う。むしろ、そんな簡単に理解されるような話であってはならないのだ。

ただし、そういうごく小さな瞬間を、上手く言葉で表す人がいる。村上春樹のエッセイなんて読んでいると、その巧みさに、思わずうなるほどである。まるで、空気に文字でも書いてあるかのようだ。

目に見えない抽象、または「センス」は、ここまで具象化されうるものなのである。

とまあここまで書いてみたものの、言いたいことのニュアンス部分までを伝えるのは実に難しい。これで一体、言いたいことの何パーセントが伝えられただろう。
11時になるのでこの辺で諦めて寝るとします。

Sunday 28 September 2008

"Tomorrow is another day"

ブログの時間がやってきた。実際のところもう少し早いはずだが、今日は、レイアウトの変更をしていたら遅くなった。ちょっと変わったことにお気づきですか。サイドバーを見てください。

今日、このブログへのアクセス数が20を超えていたので驚いた。普段は10くらいなのだ。そして、新しい事実に気付いた。

それは、グーグルで検索すると、このブログがヒットするということだ。これは驚きである。公開しているし、検索エンジンにひっかかっていいですよという設定にしているので、当然といえば当然なのだが、新鮮だった。ちょっと、気合を入れなおした。人に見せるというのは、こういうことなのだ。つまり、「ああ読まれているんだ」と思うと、きちんとしたことを書かねばという気になる。

今日も仕事に行ってきた。あえて感想は書かないでおく。

今日も映画を見て、スパゲティをゆでた。(いつものDe Ceccoじゃないやつを使ったら、やっぱり美味しさが格段に下がってしまった。)

ゴダールの『彼女について私が知っている二・三の事柄』を選んだ。見るのは二・三回目である。なんちゃって。

今日買ったもの:

・DVD-R 20枚
・モッツァレラチーズの巨大なかたまり
・はみがきこ
・はぶらし
・カーネーション一束

やたらと湯量の多いお風呂に入る。村上春樹の『パン屋再襲撃』を持ち込む。何行か読んだら、思わず音読を始めてしまった。

いい本や好きな本は、音読したくなる癖がある。特にお風呂に入っているときが多い気がする。たとえば吉本ばななの『哀しい予感』など。

もし、手元にあるそれが外国語で書かれたものであればなおさらである。声に出さずにはいられなくなる。

*******

そういえば昨日の夜も、職場の誰かが夢に出てきた。誰だったかもよく覚えていないが、起きて、反芻して、がっくりした。頼むから切り離させてくれ、と思った。もっと自分の時間が欲しい。なにゆえこんなにまで、おびえ、慌てなくてはいけないのだろう。自分は何か悪いことをしているんじゃないか、と、思う。間違っていなくても、やっていることに自信が持てていないのだろう。常に誰かに見張られている気がするのだ。家に帰ると、安心する。「よし、ここまできたらもう誰も追ってこない」と。一体何を糧に生きているんだろう。よく分からない。昨日、カウンセラーに話したときに、同じセリフを三回口にしたことに気付いた。それは、「今のところそれが救いです」というセリフだった。そのうち二回分は
①会いたいと思ったら会える友達がいること
②家で毎日、きちんと料理をして食べていること
だった。救いが三つもあるだけ、マシなんだろうと思う。
ただここでクエスチョン:何を糧として生きているのか。
生活のなかで、楽しみは何なのか考えてみた。食べ物を、惜しまずに買ってきて料理すること。友達と会う予定を立てること。映画を見ること。だいたいこのあたりに尽きる。ただ、支えが欲しいと思う。そもそもの根源は、遠く離れた恋人にあるのかもしれない。彼がここにいるだけで、現状の70パーセントは軌道修正、というか回復しそうな気がする。

ぐだぐだ言ってても、明日は明日でやってくるのです。Time is a cure - I keep saying it.
All I need to do (or I can do) is to switch off the light and go to bed.

Saturday 27 September 2008

Going to Therapy

カウンセリングに行った。

一週間以上前に予約を入れていた。勤務時間帯だったが、この時間しか無かった。予約を入れた当初ほど、ストレスは溜まっていないんですよ…と言いながら、あれこれ話し始めたら、20分くらいで泣き始めた。ずっと泣きたかった。そのことはよく分かっていたのだけど、この場で泣くとは思っていなかった。洗いざらい全部話して、涙が出ないわけは無かったんだよね。まさに「こみ上げる」といった感じだった。

同時に、初対面の相手なのにここまで話せるものなのか、と少し驚いた。そして自分がいかに弱っているかを感じた。「このくらいみんな耐えているんだから」とか、極力、自分に言い聞かせないように、と思った。カウンセラーに対して「私、逃げてるんですよ」とか「わがままなので」とか、そういうセリフを何度も何度も口にしているのが自分でも分かった。他人を基準にすることはない。色々な人がいるんだから。キャパシティは人によって異なって良い。

ここ最近、連日、夢に職場の人たちが出てくる。そのせいか、眠りが浅い。自分の家が、寝るだけの場所になってしまっている。日曜日に、きつくて、動けない。

考えてみれば、今年度が始まって以来、日々が楽しい、あるいは、これだったらやってける、と感じたのは、7月と8月だけである。9月に入って抱えているストレスについていえば、6月のそれを超えている。

次に会議が入っていたので、カウンセリングは途中で打ち切った。会議中にまた涙が出てきた。当然こらえたけど。緊張が解けたせいか、思い出して泣けてきたのか、いったいどういう感情からくるものか、よく分からなかったけど、カウンセリング後、電車の中や、別の場所で、何度か涙しそうになった。

人間、もろいのである。
できる無理にも限界がある。

おばあちゃん(もう死んじゃったけど)みたいに、大らかに、なんでも寛大に受け止めることができるようになれたらいいのに、と切に思う。ただ、性格はそんな簡単に変わらないので、今の私にはまだ難しい。経験と知識をつむことが必要なのだろうと思う。

カウンセラーは、私の主張や意見を何一つ否定しなかった。妥協できない主張っていうのは持ってていいらしい。それをわがままと呼ぶ人もいるかもしれないけど、変わってはいけない部分、あるいは染まってはいけない部分が、ある。

と、まあこんなこと書いているけど明日も勤務なのです。土日とも勤務。また休みはお預け。
ちょっと泣いていいですかね。

Friday 26 September 2008

ストレス、映画、広告批評

22日。

「ああ嬉しいなようやく休日だ」とブログを書き始めてすぐにインターネットエクスプローラがフリーズしたため結局何も投稿しないまま休日を終えた。そしてまた忙しい日々に突入して、今日で二日目である。



昨日、今日、と仕事のストレスが最高潮に達した。昨日の方がもっと酷くて、職場を出てからしばらくの間、何度か泣きそうになった。世の中の人たちはどうやってストレスと闘っているのだろう。それにしても、自分がここまで弱いとは思っていなかった。



最近では家がまるで逃げ場みたいになっている。ここにいる間だけ、かくまってもらえるような気になる。シェルター、か。



嫌なことがあると(いやむしろ、無くても)映画を見る。ただし、見たことのある映画、だ。見たことの無い、新しい映画を見るのは、じっと座っているだけの、2時間という充分な時間が持てるときである。気分転換したい時、あるいは現実から少し遠ざかりたい時、何十枚かあるDVDをぱらぱらとめくって、その時の気分に合った映画を一本選ぶのである。ただ、それを二時間ずっと見ているわけではない。洗濯物干したり、スパゲティを茹でたりしながら、都合の良いときだけ、好きなシーンだけ見る。そして満足をする。というわけで、DVDは、もしかするとCD以上に、私にとっての必需品なのである。



こうやって「その時の気分」によって選ばれた回数でダントツ1位なのが、言うまでもなく『パルプ・フィクション』である。最近はあまり見ていないが。



ちなみに昨日は『プラダを着た悪魔』を見て、ああニューヨーク行きたいなーとか、やっぱり仕事よりプライベートだよなとか、Mocean Workerいいよなあとか、アン・ハサウェイの英語聴き取りやすいなーとかそういうことを考えてました。ビール飲みながら。



さらに、ちなみに今日は『デス・プルーフ』である。なんらかの「痛快」なやつを見たかったので。グロいし、エンジン音がぶんぶんうるさい映画だが、容赦ないスラングと、「あっはっは」な最後が気持ちいい。





**********



話は変わって、マキアージュのCMに、アギネス・ディーンが出てるのは変だと思いませんか。そんなの私だけだろうか。4人の日本人のなかに、アギネスが1人。日本人4:イギリス人1というアンバランスさは言うまでもない。加えて、格の違いが目に付いてしょうがない。エビちゃんとアギーを並べてしまってよいのか。だいぶ格が違うんでは?と思うのは私だけだろうか。アギネス・ディーンがどれくらい売れてるかって、ジゼルに負けてないんじゃないか、と思えるくらいだ。イギリスのニュースサイトを見ると、毎日のように写真や記事が載っている。どうもあの広告が"しっくりこない"のである。



そもそもイギリス人のアギネスが、日本人向けの化粧品の広告に出てきたところで、現実味が無い。こればっかりはどうしようもないのである。例えばハーバル・エッセンスのシャンプーCMに出てくるラテン系のお姉さんがどんなに綺麗であろうとも私ら日本人の黒髪にとって結局、合うシャンプーはツバキだったり、あるいはアジエンスだったりする。



アギネス・ディーンが綺麗なのは当然だが、綺麗でしかなくて、そもそも細胞の種類が違う(科学的なことはよく分からないけど)西洋人が、化粧品を宣伝しても、説得力に欠ける気がする。



(カネボウかどこか、あまり覚えてないけど「おとなButかわいい」のキャッチコピーで、いつだったか。ジェマ・ウォードが登場していた。日本人の女優以上のCM料が発生したんだろうなと思った。だって、世界のジェマである。こんなのによく出てくれたよなあ、と思った覚えがある。

しかし、これだけの大スターを使いながらもやっぱり話題性と売れ行きで勝るのは、日本人女優を採用したメーカーであるように思う。人によって違うかもしれないけど。)



あー資生堂も広告のためにだいぶお金を払ったんだろうな、と思わせる広告である。少なくとも私にとっては。



さらにもう一つツッこませてもらうと、あの音楽はどうかと思う。Power of the Woman(かな?たぶん)は、ちょうど私が中学生ごろに聞いていた曲だ。懐かしくあることは確かだが、それだけじゃ認められない。曲のタイトルと内容があからさま過ぎるし、なんだか幼稚な感じがする。そもそもあの「画」と合っていない。「ア~ ドゥードゥードゥー…」って、なんだかガックリである。



とまあ、見過ごせない広告についてこんなに書いてみたんだけど、今になってマキアージュのサイトを見てみたら、もう次のCMに移行しようというところでした。そしたら、ほらね、もうアギネスが出てない。The Strokesのボーカル(名前忘れた)との熱愛で、シセイドーどころではないのである。マキアージュは、伊藤美咲とエビちゃんで貫き通して良いと思うんだよね。

Sunday 21 September 2008

フランス語を話した

土日ともに働いた。ちなみに明日、月曜も勤務である。これでは曜日の感覚が無くなっていく。そして、曜日の感覚というのは、生活のリズムをつくる上で実に大事だと思う。週末を失うという体験をして初めて分かることだ。あと一日。あと一日行けば、休みがやってくる。

ベルギー人と会話をした。知り合って数週間になるが、今日は、初めてフランス語で会話をした。これは感動的だった。会ってから今までずっと英語を使っていたのだが、ついこの前、あることにふと気付いた。彼女の母語は、フランス語なのである。これは、私のフランス語の出番が来たのではないか。

実に、年に数回、数える程度だが、フランス語を話す機会がこうやって訪れる。ほかの言語をしゃべれないときより、フランス語をしゃべれないときの悔しさのほうがだいぶ大きい。
私のフランス語がどういう具合かというと、「だ、だいがくでェ~、ワタシは~…ふ、フランスゴヲ~、べんきょ、チョット、したあるヨ~」という具合である。大学で、最後の一年だけ履修した。楽しかったのでもっと早くから真面目にやっておけばよかったかもしれないと今さらながら思う。本当にあの一年は楽しかった。

書き、となるとデタラメこの上ないが、聞く、となると、ある程度できる。一年という学習歴にしてはまあまあじゃないか、と自分でも思う。聞くことに関して言えば、私はフランスの映画がとにかく好きなので、耳が慣れている。見る映画の割合としては、英語と同じくらいかそれ以上、フランス語の映画が多い。フランス人の友達はいなくても、映画のおかげで、決まり文句くらいは聴き取ることができる。

話すとなるとどうしても「恐る恐る」にならざるを得ない。これはきっと慣れていないからに他ならない。さらに、フランス語は母音も子音も多くて、ちゃんと相手に聞きわけてもらうにはある程度の気配りが必要である。英語も然り。イタリア語やスペイン語、韓国語となるとその心配があまり無い。

だから心理的な壁ができてしまう。こんな発音で通じるんだろうか、という「恐る恐る」にいたる。

英語の場合はなぜそんなに恐れないかというと、場慣れしているからだ。これまで習ってきた年数もあり、そもそも、フランス語母語話者と話した経験VS英語母語話者と話した経験 を比較してみると、答えは…言うまでもない。やはり慣れは大きい。

まあ、いずれにせよ、忘れかけていた活用を思い出しはじめた。今度の休みにでも文法書を引っ張り出してみよう、と思う。「右」と「左」すら逆に覚えていたようなので。いい機会だから復習しよう。

Saturday 20 September 2008

19日の夢、トマトについて

19日の夢について。

弟がいじめにあうという夢だった。最悪だ。そもそも以前から「ぼくはクラスで好かれているほうじゃないし」というセリフを何度も聞いたことがあった。それがなぜ今さらこんなかたちで現れたのだろう。クラスメイトに無視され続けるという夢だった。つらそうだった。

こういうとき、分からないのが、私自身が夢の中でどこに位置しているのか、という問題である。
まったく不明なのだ。ちょうど、村上春樹の「アフターダーク」みたいな感じだ。自分の視点だけが宙に浮いて、対象をおっかけているような、そんな感じ。

今日の帰り道、急にそのことを思い出して弟に電話をかけた。仕事中はとても忙しくて、夢のことをすっかりわすれていたのだが、職場を出たらすぐに夢のことを思い出したのである。

心配には及ばず、元気であるようだった。良かった。安心した。

*****

トマトについて。
どうでも良い話だが、トマトが好きだ。あんなに嫌いだったのに。
そう、かつては嫌いな食べ物ナンバーワンだった。何が嫌いか、と言われれば、相手が食べ物、動物、テレビ、その他もろもろ、一体何について訊いているのか、それさえ分からずともとにかく最初にトマトと答えていた。20歳近く、もしくはそれより前、味覚が変わり始めたころ、だんだんと「好きじゃないけど食べれる」ようになってきた。そして、イタリアにしばらく滞在したころ、トマトが美味しいということを知った。それでもまだ好きとは言えなかったのだが、今となっては、トマトを食べない日は無い、というほどまでになってしまった。常食である。常に冷蔵庫に5個以上ある。1日に2個は食べている。トマト無しには食が始まらない、というほどまでになった。というのも、主食がパンとパスタになってからのことである。トマトなしで食べることは考えられないのである。両者とも。

「見かけからして、あれさえ食べてれば大丈夫そうだよね」

と同僚が言っていた。

私も、そんな気がする。

Friday 19 September 2008

追記:18日夜の夢

バトンをまわす16歳くらいの女の子たちが出てきて、私に「辞めて下さい」の請願書をつきつけてきた。怖かった。

語学はせっぱつまって伸びる

雨が降っている。特に書くべきことが無い。仕事の愚痴なんてものはいくらでも書ける。しかしここではやめておこう。

9月から再開させたラジオ英語は、高校時代ほどとまではいかずとも順調に続いている。ビジネス英語なんて、特に、知らない単語が本当に多くて毎度自分を責めることになる。未熟さを痛感している。今までどれだけ怠けていたか、文字通り「痛い」ほどに「感じ」るのである。

イタリア語も英語も、もっときちんと勉強したいのだが、どうにもこうにも、時間をとるのが下手になっている。やろうと思えばできる。英語のほうはまだ勉強しやすい。イタリア語については、インターネット記事を読んだりする。
http://seidimoda.repubblica.it/home
しかし、なんというか、もっとはまりたいのだ。没頭したい。語学って、ある程度没頭したほうが効果が出やすいような気がする。ぼちぼち、一日少しずつ継続させていくのは大事だ。しかし、同時に、一ヶ月くらい、その言語づけになるのはかなり効果的であるように思う。科学的根拠までは語ることができない。よくわからないから。ただ、ある程度、せっぱつまったくらいのほうが伸びる。だから、検定試験なんてものを自分に課すとちょうど良いのである。事実、韓国語も、イタリア語も、そうだった。受験料もったいないじゃーーん、とせっぱつまるのである。自動的に、貧乏性だと必死度も増す。

ま、いいや。今日は寝よう。

どうも身体がFlabbyである。嫌気がさす。

Thursday 18 September 2008

ナイーブな日本語、レモングラス

「さきほどニュースで“つくばエキスプレス”とお伝えしましたが、正しくは“つくばエクスプレス”でした。訂正いたします」
さっき、NHKのアナウンサーが、ニュースで言っていた。エクスプレスかエキスプレスか。どっちでもいいじゃないか。と言いたいところだが、私にとってはこれが魅力のひとつでもあるのだ。つまり、外来語を統一できていない、ナイーブな感じがするニッポン。いや、むしろ日本語。ほっとけないわけよ。いわゆる、ツッコミどころ満載の、日本語。

一つの、れっきとした「言語」であるわけだが、耳にする語彙はほんの数年のあいだに、みるみるうちに変わっていく。さらに、あふれかえる外来語と向き合うべきなのか、明確な指針も決まりも無いまま、エクスプレスになったりエキスプレスになったりする。City bankがシティバンク(Shitty bank)と発音されちゃったりもする。よくも悪くも無い。ただ、どこまでも面白いと思うし、奇妙だと思う。言語ってこんなにも脆いのか、と、驚いたり、むしろその柔軟性に感心したりもする。

話は変わって、先日、友人宅でレモングラスティーをご馳走になった。とても美味しかった。アールグレイが美味しいとか、お茶について私がしゃべれることは限られていて、たいして詳しくはない。

レモングラスティーを飲んだのはおそらくこれが初めてで、美味しすぎてびっくりしてしまった。どれくらいびっくりしたかって、飲んだ瞬間「わ!」と声が出たくらいだ。

カフェインも入っていないので、夜飲んでも、不眠に悩まされることはない。むしろ身体が落ち着いて、眠りやすくなるらしい。機会があれば、ぜひみなさんもどうぞ。

Wednesday 17 September 2008

長い水曜のぼやき、いくつか

世の中、みんな水曜日は辛いようだ。私にとってもそれは同じで、スケジュールはタイトであり、メンタリー、あまりかんばしくない。そんな気がする。

ところで今日はまあまあ調子が良かった。昨日、すごい病みかたをしたから心配していたのだが。

***

リアム・ギャラガーが本当にジョギングを続けているらしい。
http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/showbiz/bizarre/article1677180.ece
売れに売れているアギネスの記事を読んでいたら、リアムが出てきた。画像のコピーはできないのでこのリンクで確認してほしい。リンクが消えないうちに。写真がなかなかシュールで面白い。
ロックスターたるもの、酒とタバコと女だけじゃやっていけないんですね、どうやら。

イギリス紳士に「ザ・サンを読みなさい。英語が上手になりたいなら」と薦められたことがある。滅多に新聞なんて買わない私だが、イギリスではこの新聞を何度か買ったことがある。使われている単語が明らかに特殊である。書き方も違う。素人でも分かるのではないかという違いである。そして英語学習の教材としてはパーフェクトである。かなり上級だが。

****

帰り道にふと、プリングルスを買ってみた。ジャンクフードが欲しくなるときがある。帰り道、歩きながら食べた。歩き食べは見っとも無いということは分かっていても、歩きながらしか味わえない味というものがあると思う。やや強引だが。ほんとうに。その場で食べたいからこそ買ったもの、というのは、やっぱりすぐに食べたいものだ。

眠い。

かかりつけの医師に、昨日のメンタルヘルスについて説明をしたところ、うつ病の始まりかもしれないと言われた。早めに診察をしたほうが良い、と。ただし、今日は平気なのだ。ほうっておくとまた昨日みたいなことになりかねないのだが、確かに一度はカウンセリングを受けてもいいかもしれないと思う。

先週買った花を、よく世話している。そしたら一週間経ってもまだ元気であるのだ。世話の仕方は影響するのだなあと実感している。

周りにもストレスを感じている人が多い気がする。共感しあえる。五月病にはかからないけど、九月のほうがだいぶ危険性が高いと思う。季節柄もあるだろう。夏が終って切ないうえに、急に忙しくなり、現実に戻されるから。

今回、生理痛が全然ひどくなかった。久しぶりに苦しまなかった。その代わりに、ストレスがすごかった。ホルモンバランスの崩れがすごかった。自覚症状があった。

どっちが良いのだろう。いわゆる究極の選択、である。選べない。どっちもやだ。

先日思いついた誕生会参加者が、今日だけで10人近くに達した。このブログを読んでいて、来たいという人があれば連絡下さい。

Tuesday 16 September 2008

ある種のディスオーダー

今日は朝からストレスに押し殺されそうだった。メールの転送システムを解除しておいて本当に正解だったと思ったと思う。(数日前のブログを参照。)
帰り際までずっと苦しくて仕方なかった。こんなにもストレスに弱かったのか、とおもった。そして、どう対処していいのか本当に分からなかった。ここまでストレスを感じたのは、いつが最後だったろう、と思ったけど思い出せなかった。
強いストレスを感じると、どうなるか。具体的には、耳の後ろから方にかけての部分がひどく凝り固まったような感じになる。ちょうど、角でも生えてきそうな感じである。さらに、腹の中がすごい。もののけ姫が煮えくり返ったような感じになる。正確に言うとそれはもののけ姫ではなくて、私が「もののけ姫」と聞いて最初に思い浮かぶあの、ぬるぬる、あるいは、どろどろした、黒いもののことである。ああいうものを胃の下あたりに感じるのだ。

同僚が何かあったのかと訊くので「おなかが、もののけ姫」と答えておいた。

帰り道、人ごみのなかで、ちょっと通り魔の気分が分かってしまった。こりゃーナイフふりまわしたくなるわ、と思った。みんな消えちまえー、て。「誰でも良かった」というおなじみのセリフの意味が、やっと分かった気がした。

ほんの20分くらいだが新宿のカメラ屋に用があって行った。できあがったフォトブックを取りにいくのだ。これで段々と気分が紛れてきた。レモングラスと、ローズマリーとハムを買って帰宅。スパゲティを茹でて野菜を刻みまくっているあいだに、さらに気分が回復してきた。それからビールを飲んだら、70パーセントくらい解決したように感じた。

人間ていうのは面白いと思った。実に単純である。
"Tomorrow's another day."
このセリフがすぐに思い浮かんだ。そして急に明るくなってきて、昨日思いついた誕生会の計画を立て始めた。楽しくなってきた。結局、夕飯もしっかり食べた。
やっぱり、ほら、時間が解決した。もがいても、どうにもならないときがある。
明日は明日の風が吹くのだ。

Monday 15 September 2008

Another Sleepless Night

昨日はブログを書く時間も、書くこともたくさんあったというのに何も書いていなかったらしい。朝もまともな時間に起きて、比較的健康的だと思った。でも一日が過ぎて夜10時ごろになって気付くと、その日はチョコレート、バナナ、コーヒーとパンしか食べていなかったということに気付く。それでもあまりお腹は減っていなかった。

掃除をしたのは覚えている。アイロンもかけた。ほかは、ずっとベッドの上にいた。午後4時過ぎまで一歩も部屋の外に出なかった。テレビも音楽も結局消して、何ひとつせずに空っぽの部屋で1人、ぼーっとしていた。寝ればいいんだろうけど、既に眠ったあとだった。

泳ぐことにした。巨大なストレスを感じたのだ。普段なら1kmに達する前に、面倒になって泳ぐのをやめるのだが、そのまま泳ぎ続けて1.25km泳いだ。久しぶりにこんなにたくさん泳いだ。それでもまだまだ泳げそうなくらいだった。こんなにエネルギーがあったのか、と驚いた。エネルギーというか、ストレスだ。

シャワーを浴びて、コカコーラを飲む。

少しスカイプで話してさらに不機嫌になる。今日食べたものを思い出してみたら、やはりまだ何か食べる必要があると思ったのでブルスケッタを作った。3枚。あとは、モッツァレラと、ビール。

11時過ぎごろから手紙の続きを書き始めた。合計で、7枚の手紙になった。我ながらすごい勢いで書いた。その証拠に(?)辞書を一度も使わなかった。気がついたら日付が変わって、2時半になっていた。「明日は休みだから昼まで寝よう」と思った。

しかし結局眠りにつけず。結構気分が悪くもあったし、コカコーラに入っているカフェインのせいだったろうとも思う。

見た夢がとにかくむちゃくちゃだった。職場で会うはずの人たちが私の実家に大勢やってくる。職場の人たちの同窓会が、近くの学校を貸しきって行われている。なのに私の家にも人があふれているのだ。大宰府乗り換えで行く~、とか、意味の分からない単語がたくさんでてきた。大宰府?そしてやたらと母親の出番が多かった。「ここが自分のうちであることを言ってはいけない」と言われた。「それは無理だ。むしろ意味が分からない。何のために」と訊いたら「こんなに大きな家を持てる人は世の中になかなかいないし、みんなが羨ましがるから偉そうにしないの」みたいなことを言われた。なのに彼女は、ホスト役をやっている。ほとほと理解しかねた。

昨日読んだ内田樹のブログによれば、「夢というのはその日に構築した思考を解体するものだからなるべく支離滅裂(意味不明?)であることが望ましい」らしい。うむ。昨日は確かに色々なことを考えた。

体重がまた減っていた。何年間か見たことの無い数字だった。驚いた。きっと、考えることにエネルギーを使いすぎたせいだろう。

というわけで長く寝るつもりでいたのに、ご覧のアリサマである。2時半に寝たのに、8時前に起床。12時まで寝たかった。とりあえずはちみつ(同僚にもらった)パンとミューズリーを少しだけ食べたものの、しばらくしてもう一度寝ようと思う。最近撮った写真をFacebookにアップロードしておいた。

もう一回昨日の話に戻る:The strokesとRadioheadをよく聞いた。今日こそは何か映画を見たいと思っている。そしてもう少し生産的な一日を過ごそう。一日24時間じゃ足りないんだよね僕には

Saturday 13 September 2008

a milestone

さてさて、待ちに待った連休である。9月第一週に比べると今週は短く感じた。仕事の量も少なかったと思う。本日土曜は、時間になったら逃げるように職場を出た。身体が、休みを待ちきれずにいたのだ。

昨日に続いて、友人に会った。こういうのって楽しくて仕方ない。つまり、"気のおけない"友人と、ゆっくり話しながら時間を過ごすこと。もう少し正確に言うと、その日の終わり、つまり仕事の後に、人と会う予定が入っていると分かっていて過ごす一日は結構いい。仕事中が楽しい。さらに、帰り道が楽しい。
わくわく、というより、うきうき、に近い。そして事実、わくわく、より、うきうきのほうが好きだ。

数日中にアメリカへ経つ友人を送ったあと、本屋に行ってみた。買うべきものは無いのだが、知的好奇心ってやつがオイラをここに導くのさ、的入店に過ぎない。だいぶ長い間、色々と見てまわった。これだけじっくり本屋に浸るのは、実は久しぶりである。

情報量の多さに、目が回りそうになる。雑誌のカラフルさもそのひとつだが、一番「わあ」と思ったのは自己啓発本のコーナーである。

「病んでんなあー」

と思わず口に出しそうになった。仕事から恋愛まで、人は「助言」を求めるのである。今も昔もきっと変わらないと思う。ただ、どれだけベストセラーになろうとも、それが啓発系の本である場合は特に、自分に合うかどうか、まったく予測不能である。小説であればベストセラーなりに、「おお」と思う、つまり、ある程度ヒットする確率は高い。しかしこういう自己啓発系は、その人に「ヒットする」可能性は低いと思う。

「ストレスをためない」「鈍感力」「"いい加減"が効く」「聞き流す法」

といったようなタイトルが多いなと思いながら、新書のコーナーに行くと、姜尚中の「悩む力」という本が目に入る。
もう、本当に世の中矛盾だらけだよなあ、と、心のなかで苦笑いした。

たとえば、悩むな、という人もいれば、悩むことはいいことだ、という人もいる。助言を求めたところで、適切なものが得られるとは限らないのだ。つまり、そもそも助言が多すぎる。書き手は、相手を知ってるわけじゃないから。無差別なのだから、対象は。

私はファッション誌を買わない。あれだけ情報があふれているのだが、本当に自分に必要な情報なんて、実を言うとほぼゼロに近いのである。そういうことを、既に分かっている。買わない、というより、買えない、のである。

話は変わって:
『キンキー・ブーツ』を見た。イギリス、サウサンプトンの話だった。☆☆☆★★かな。音楽が良かったから。

たとえば、ニューヨーク・シティが映画の舞台として「サマになる」のと同じように、イングランドのさびれた街も、「サマになる」と思う。「ビリー・エリオット」や「フル・モンティ」を思い出した。


少し北部イングランドが恋しくなった。ふと気付くと、今日は13日。確か、4年前の今日、イギリスに向けて日本を旅立ったのではなかったか。マイルストーン的な日である。誕生日やほかの記念日とは別の、ささやかながらも私にとっては深い意味を持った、マイルストーン的な日である。

転送設定解除

数ヶ月ぶりに親しい友人と会った。半年近く会っていないにも関わらず、不思議と久しぶりな感じはしない。たくさん話した。精神的な成熟度が人一倍高いと学生時代から思ってはいたが、今夜会って、さらに成長していると感じた。

*****

私が普段使っているメールは、仕事上のメールも転送するようにしている。4月ごろにそう設定した。というわけで、家でも見ることができるわけだ。

しかしながら昨日、ついにその設定を解除した。せっかく半日勤務で早く帰宅して休んでいたところに、パソコンのo-la-la (メールが届くとこの音声が鳴るようにしている)が鳴って、誰かと思えば同僚からのメールである。うんざり、というか、げんなりした。毎度のことではあるのだが。
家に帰ってまで、見なくていいはずのメールを見たくは無いと思った。
「あれ、これを解除すればいいだけの話ではないか」と、ふと気付いた。単純なことだ。これを今までプレッシャーに感じていたのだ。少しはストレスが軽減されるだろう。

というわけでだいぶ気分が良かった。

さてさて! one more day to go!!!

Wednesday 10 September 2008

まーだ水曜だわ

多忙である。

たとえば、一般企業に勤めている人たちがどのくらい忙しいのか私は知らない。想像はできるが、経験が無いので実際はわからない。しかしながら今の状況は間違いなく多忙と呼べるだろう。断言できる。座っている暇が無い、という時点で、間違い無く、私は多忙、だ。

ただ毎日そうというわけでもなく、今日なんかは、たとえば、二回も休憩をとった。2時間近く休んだ。二回も休めるならその間に片付けられる仕事があるはずだ。しかし私はあえて、手を止めることにしている。片付けるべき仕事を見ないで、休むときは休まなければいけない。仲の良い同僚と、あえて時間を合わせ、色々なことを話す。必要な時間である。

この週末をとても楽しみにしている。いつの間にか、人と会う予定で埋まりつつある。友達の存在は大きい。本当に大事な友人というのは、しばらく会っていなくても、ふしぎとつながっているような気がする。ふと会いたいなあと思ったら、相手から連絡がきたりするものだ。

ただ、大学を出て二年経った今、思うのは、ある程度「連絡をとろう」という気持ちと、まめさも必要かもしれない、ということだ。暫く連絡をとっていなかっただけで「あいつはどうせ連絡くれないから」という変な勘違いが生まれることも、無くはない。

幸いなことに、私はそこまで気にするたちではない。

ただ、ふとした、とある瞬間に、ある人の顔が思い浮かんだら、それをなるべく逃したくないと思う。「会いたいな」と少しでも思ったら、すぐに会えるわけでなくても、メールなり電話なり、する。
「げんき?」と。
別に特別に仲良いわけではなくとも、「あー、げんきかな」と、ぼやーっと思った瞬間に、私は今きみのことを思い出したよー、というサインを出すのは、うれしくて、素敵なことだと思う。まぎれもなく。

縁ってのはそういうものだろうと思う。ほとんど、すべては「あー、げんきかな」から始まる。

*****

総裁選が始まる。麻生さんになっちゃって良いのだろうか。不安だなと思うものの、あの人の話し方には注目せざるを得ない。滑舌が良いのももちろんだが、あのイントネーションが、実に上手い。人々が「気になって仕方ない」しゃべり方である。だてに吉田茂の孫やってないなあ

いずせにせよ、もう、5人中5人とも、一年後にはサヨウナラになっちゃってそうだ。悲しいかな、そう見えて仕方ない。

Sunday 7 September 2008

I'd rather walk.

7日ぶりの何も無い日。この日を待ち望んでいた。誰からも、何ごとも強制されない日である。昼まで寝るつもりだったのにいつもの癖で7時ごろ目覚める。睡眠が足りているわけはないのに。空腹であるようなないような、そんな気がしたのでマシュマロを食べた。食べかけたまま冷蔵庫に入れていたら一晩で干からびていた。
その後何か食べたような気がしたが忘れた。

パソコンの電源を入れる。

この動作がとにかく好きだ。電源を入れることが好きなのではない。朝起きてから、パソコンの電源を入れるのが好きなのである。自分が眠っていた数時間のうちに、世界では一体何が起きただろう。そういう想いからくるのかもしれない。よく分からないけど、起きてから数秒後にテレビの電源を入れる行為も好きであることを考えると、やっぱりそうだと思う。

しばらくしてから、読みかけていた『お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人』を読み終えた。この筆者の本は、主観が相当入っているし、おい極端だなと思うことが多い。しかしながらこのタイトルは当たりだと思う。ベストセラーになるひとつの理由。

9時半ごろから眠った。起きたら11.59だった。ぴしゃり。

ミューズリーを食べた。少し掃除をした。しばらくしてからバナナを食べた。

*****

そのあとずっと、YoutubeでOasisを見た。ステージ上で兄弟ゲンカをしてリアムが立ち去る様子をはじめ、ありとあらゆるインタヴューを見た。相変わらず、マンチェスター訛りの英語を、ちっとも聞き取れないでいるのだが。

まあそれにしても痛快である。と、あらためて思った。何回か見た映像ではあるものの、何回見てもやっぱり面白い。個人的に一押しするのが、オーストラリアでのインタビューだ。リアムがカメラに指を突きつけ:

"I'll tell you kids- I'd rather walk."

この一言である。"Legend!" と誰かがコメントを残していたが、うむ。確かに。
"You said it."と返したい。

そういえばもうすぐ、新しいアルバムが出る。と思っていたら、後で行った図書館で、雑誌のコーナーを通りかかったらロッキン・オンの表紙にリアムが載っていた。

やれやれ、今日はOasis Day、である。
雑誌のインタビューによると、最近、リアムは禁煙をしているらしい。さらには、ツアーのための体力づくりとしてランニングをしているらしい。

…あと何日もつだろうか。


そもそも、どうして今朝に限ってOasisの映像を見たくなったのか。
もともと好きだしよく聴く音楽ではあるのだが。

金曜日、仕事中に二回もWhateverを聴く機会があった。歌詞を見ながら、である。
そしたら、急に涙がこみあげてきた。
なんて泣かせる歌詞なんだろうと、そのとき、初めて思った。

なぜって、タイムリーなのである。ちょうど、将来や人生ついて真剣に考え始めたここ最近、こんなことを歌われてしまってはもう泣かないわけにはいかなかった。



I'm free to be whatever I
Whatever I choose
And I'll sing the blues if I want
Whatever you do
Whatever you say
Yeah I know it's alright



ちなみに恋人はOasisの世界を地で行くような人間だ。しばらく前、まさにこういうことを語っていた。人生ってのはこうあるべき、みたいな真剣な話だ。後にそれは、この先を考え始めるきっかけとなり、起点となった。
その日のことを思い出した。
曲を聴いているうちに、思考は、壮大な規模でぐるぐると回転を始めた。

ほんの何秒間かのあいだ、頭の中に映像が浮かび上がった。
それは、岐路に立たされている自分(のようなもの)だ。
具体的に言うと、(典型的かつ短絡的で申し訳ないが、)広い荒野に、いくつか道があって、そこにぽつんと人間が立っている様子。

岐路なのか、今って
やっぱりそうだったのか!

今の生活に疑問は無いのか
このままでいいのか

何か、選ばなければいけないんじゃないのか
考えるのはまさに今なんじゃないのか
そういうときなんじゃないのか
幸せとか、辛さとか
我慢とか、愛とか



と、仕事中に何秒か目を閉じて、信じられないくらいたくさんのことを考えた。 
まあ、言葉に表すとこんなちっぽけなもんだ。いくら並べたって足りない、パローレ・パローレ。

私の頭のなかでそれだけのことが繰り広げられていたなんてその場にいた誰が気付いただろうか。
というわけでここ数日ずっと頭の中でWhateverが鳴り響いているのであります ― 応援歌のごとく!

******

(自分で言うのも何だが)私は想像力が豊かである。幼いころからそうだった。
いわゆる「ワンダーランド」みたいなものが常に存在していた。そしてそれを画に描いていた。

まだ幼稚園児かそれ以前に、「ピンク色の世界に住みたい」と祖母に言った。おそらくドラえもんか何かの影響だったと思う。
「あっちこっちにお菓子が浮いていて、お友達も、家族もみんなふわふわ飛んでうごくせかい」
と説明したら祖母は

「そりゃ、おしっこもできん」

と一蹴した。
少女は紛れもなくガビーンΣ( ̄□ ̄;)と衝撃を受けたのだった。

が、今となっては微笑ましい想い出である。

Saturday 6 September 2008

Vacanze bye-bye, come mantenere energia e pensieri positivi

un articolo da Repubblica.it

http://seidimoda.repubblica.it/dettaglio/Vacanze-bye-bye/52248



Vacanze bye-bye, come mantenere energia e pensieri positivi
di I. E.
Avanzini, A. Croce, A. Remenghini
Estate agli sgoccioli. Come togliersi di
dosso la malinconia del rientro? Con i giocattoli, come le bambine: un pennello
magico, il fard oro colato, la crema che fa lievitare il seno, il mascara con le
setole a ventaglio...

Ormai ci siamo. Le giornate si stanno accorciando
e la nostra pelle se n'è accorta subito: la brezza marina è più fresca,
soprattutto dopo una certa ora, quando la sabbia sembra polvere d'oro. Ma non
eravamo appena arrivate? Per una strana legge del tempo, invece, le vacanze sono
agli sgoccioli. Coraggio, per affrontare questo piccolo trauma, ci vuole un po'
di psicologia spicciola applicata. Come? Con lo shopping, antidoto alla
malinconia così potente da richiamare continuamente l'attenzione degli studiosi.
Importante è non mandare in tilt il bancomat, perché se lo shopping diventa il
proprio Prozac-on-demand si tende a spendere cifre più alte del previsto, come
sottolinea la ricercatrice Cynthia Cryder, della Carnegie Mellon University di
Pittsburgh, in una recente indagine. «Le piccole delusioni a volte si combattono
regalandosi qualcosa di speciale, come un acquisto non pianificato, che ci fa
svagare dai pensieri negativi», conferma il dottor Alessandro Miani, esperto di
strategie di comunicazione e autore, insieme a Gianfranco Virardi, del libro “Il
marketing dei 5 sensi” (in uscita a settembre, Fausto Lupetti Editore).Joshua
Freedman, neuroscienziato della University of California, si è invece spinto
oltre il concetto di puro possesso scoprendo che, in realtà, i centri del
cervello legati al piacere di una ricompensa si attivano non appena ci rendiamo
conto che l'oggetto desiderato è alla nostra portata: «Sì, posso comprarlo», et
voilà, una cascata di energia positiva invade i nostri circuiti cerebrali. E
dato che anche un piccolo acquisto diventa un talismano antidepressivo, la
profumeria è il luogo ideale per questo tipo di gratificazione.

Oggetti
del desiderio accessibili e seducenti: le donne si regalano rossetti e profumi,
ma secondo un rapporto Unipro (Associazione italiana delle imprese cosmetiche)
sono attirate anche dall'innovazione tecno-logica, tanto che nel 2007 il settore
trattamenti antiage è cresciuto del 37%. Il make up, comunque, fa sempre la
parte del leone. «Impossibile resistere alle variegate palette multicolori, in
secondo luogo si viene conquistati dalla piacevolezza tattile, visiva e
funzionale trasmessa da prodotto e confezione. La marca invece non solo è
garanzia di qualità, ma crea l'illusione di entrare in un mondo magico ed
elitario», continua Miani. «Si sta acquistando un sogno, un sogno di bellezza e
di appartenenza». Non a caso alcune aziende scelgono packaging molto attraenti,
alcuni sembrano veri e propri gioielli: bracciali, ciondoli, collier che
nascondono gloss, ombretti, illuminatori.Seduzione a prima vista, certo, ma
anche naso, tatto e olfatto possono essere ammaliati altrettanto efficacemente,
come rivela Miani: «Oggi si parla di marketing dei sensi: si fonda
sull'importanza del fattore emotivo nella decisione del consumatore, e poiché le
sensazioni soggettive e irrazionali che influenzano lo shopping dipendono dagli
stimoli sensoriali ricevuti in quel momento, si cercherà di trasmettere input
sempre più mirati.

In certi casi poi la moderna comunicazione si esprime con capacità
espressive polisensoriali davvero sorprendenti. Per esempio, l'anno scorso
un'azienda di materie plastiche ha inventato un flacone capace di “ricordare” la
fragranza del contenuto. Così, per annusare il profumo all'interno è sufficiente
prendere in mano il pack senza bisogno di aprirlo. Ma c'è chi, ancora, si affida
a sensazioni più vere, come spiega Isabelle Gex, senior vicepresident global
marketing Parfums Givenchy: «Mi piace far testare i nostri prodotti più
particolari in ufficio dove lavorano molte donne. Quest'anno tra le tante novità
ci sono un orologio da taschino che contiene un fard illuminatore e una crema
antietà nera, profumata e setosissima al tatto, ma totalmente incolore sulla
pelle. Bene, le nostre ragazze li guardavano sorridendo. Sarà perché la nostra
audacia creativa ci ha sempre premiato, ma sono sicura che avranno
successo»
(Pubblicato il 29 agosto 2008)

いっさいはんは最強

 1歳半。 めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、た...