Saturday 27 September 2008

Going to Therapy

カウンセリングに行った。

一週間以上前に予約を入れていた。勤務時間帯だったが、この時間しか無かった。予約を入れた当初ほど、ストレスは溜まっていないんですよ…と言いながら、あれこれ話し始めたら、20分くらいで泣き始めた。ずっと泣きたかった。そのことはよく分かっていたのだけど、この場で泣くとは思っていなかった。洗いざらい全部話して、涙が出ないわけは無かったんだよね。まさに「こみ上げる」といった感じだった。

同時に、初対面の相手なのにここまで話せるものなのか、と少し驚いた。そして自分がいかに弱っているかを感じた。「このくらいみんな耐えているんだから」とか、極力、自分に言い聞かせないように、と思った。カウンセラーに対して「私、逃げてるんですよ」とか「わがままなので」とか、そういうセリフを何度も何度も口にしているのが自分でも分かった。他人を基準にすることはない。色々な人がいるんだから。キャパシティは人によって異なって良い。

ここ最近、連日、夢に職場の人たちが出てくる。そのせいか、眠りが浅い。自分の家が、寝るだけの場所になってしまっている。日曜日に、きつくて、動けない。

考えてみれば、今年度が始まって以来、日々が楽しい、あるいは、これだったらやってける、と感じたのは、7月と8月だけである。9月に入って抱えているストレスについていえば、6月のそれを超えている。

次に会議が入っていたので、カウンセリングは途中で打ち切った。会議中にまた涙が出てきた。当然こらえたけど。緊張が解けたせいか、思い出して泣けてきたのか、いったいどういう感情からくるものか、よく分からなかったけど、カウンセリング後、電車の中や、別の場所で、何度か涙しそうになった。

人間、もろいのである。
できる無理にも限界がある。

おばあちゃん(もう死んじゃったけど)みたいに、大らかに、なんでも寛大に受け止めることができるようになれたらいいのに、と切に思う。ただ、性格はそんな簡単に変わらないので、今の私にはまだ難しい。経験と知識をつむことが必要なのだろうと思う。

カウンセラーは、私の主張や意見を何一つ否定しなかった。妥協できない主張っていうのは持ってていいらしい。それをわがままと呼ぶ人もいるかもしれないけど、変わってはいけない部分、あるいは染まってはいけない部分が、ある。

と、まあこんなこと書いているけど明日も勤務なのです。土日とも勤務。また休みはお預け。
ちょっと泣いていいですかね。

ありがとうとカルボナーラ

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