Wednesday 10 September 2008

まーだ水曜だわ

多忙である。

たとえば、一般企業に勤めている人たちがどのくらい忙しいのか私は知らない。想像はできるが、経験が無いので実際はわからない。しかしながら今の状況は間違いなく多忙と呼べるだろう。断言できる。座っている暇が無い、という時点で、間違い無く、私は多忙、だ。

ただ毎日そうというわけでもなく、今日なんかは、たとえば、二回も休憩をとった。2時間近く休んだ。二回も休めるならその間に片付けられる仕事があるはずだ。しかし私はあえて、手を止めることにしている。片付けるべき仕事を見ないで、休むときは休まなければいけない。仲の良い同僚と、あえて時間を合わせ、色々なことを話す。必要な時間である。

この週末をとても楽しみにしている。いつの間にか、人と会う予定で埋まりつつある。友達の存在は大きい。本当に大事な友人というのは、しばらく会っていなくても、ふしぎとつながっているような気がする。ふと会いたいなあと思ったら、相手から連絡がきたりするものだ。

ただ、大学を出て二年経った今、思うのは、ある程度「連絡をとろう」という気持ちと、まめさも必要かもしれない、ということだ。暫く連絡をとっていなかっただけで「あいつはどうせ連絡くれないから」という変な勘違いが生まれることも、無くはない。

幸いなことに、私はそこまで気にするたちではない。

ただ、ふとした、とある瞬間に、ある人の顔が思い浮かんだら、それをなるべく逃したくないと思う。「会いたいな」と少しでも思ったら、すぐに会えるわけでなくても、メールなり電話なり、する。
「げんき?」と。
別に特別に仲良いわけではなくとも、「あー、げんきかな」と、ぼやーっと思った瞬間に、私は今きみのことを思い出したよー、というサインを出すのは、うれしくて、素敵なことだと思う。まぎれもなく。

縁ってのはそういうものだろうと思う。ほとんど、すべては「あー、げんきかな」から始まる。

*****

総裁選が始まる。麻生さんになっちゃって良いのだろうか。不安だなと思うものの、あの人の話し方には注目せざるを得ない。滑舌が良いのももちろんだが、あのイントネーションが、実に上手い。人々が「気になって仕方ない」しゃべり方である。だてに吉田茂の孫やってないなあ

いずせにせよ、もう、5人中5人とも、一年後にはサヨウナラになっちゃってそうだ。悲しいかな、そう見えて仕方ない。

ありがとうとカルボナーラ

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