Monday 29 September 2008

Rainy days and Mondays always get me down

…とカーペンターズは歌うが、今日はそのどちらもが該当する日である。ただ、昨日も勤務していたので「あああMonday again」という悲壮感と嫌悪感は無かった。幸いなことである。ずっと休みが無かったらずっと嫌悪を感じずにいられるのかもしれない。しかし、それは、まったくいやなことである。

今日の雨の降り方はあまり嫌いではない。
蒸し暑くもなく、寒くも無い。
つまり、秋なのだ。

人肌恋しくて、身が切り裂かれそうになる。

先日見た、ヴィム・ヴェンダースのRainみたいに、あちらこちらで色々なことが起きているんだろうと思う。街を、ぐぐぐぐーっと引いたファインダー越しに見つめてみたら、何か分かるかもしれない。

話は変わるが、最近、リーズが恋しい。ちょうどそういう季節なのだと思う。渡英してからの数日間、あの空気と感じを、ありありと思い出すことができる。

世の中には、そうやって「あの日あの時」のことを語る人はたくさんいる。
例えば、初めて海外に興味を持ったきっかけがパリコレを見たことであった、とか、
ジュリア・ロバーツがニューヨークを歩く映画を見て、身が悶えるほどの憧れを感じたとか。

聞いている側としては「ふーん」程度のものである。
ただし、当の本人の中では目まぐるしく「何か」が動いており、劇的としか言いようの無い、ある種の「よろこび」あるいは「感動」がある。
それについて、言の葉を尽くして、彼あるいは彼女は語るわけだが、やはり「ふーん」で終ってしまうのである。
到底伝わりようの無いことなのだ。
その日その時、その人の年齢をもって、その人しか感じられなかったことなのだ。いくら説明したって、そしていくら相手が感動を示してくれたとしても、わかっていない、と思う。むしろ、そんな簡単に理解されるような話であってはならないのだ。

ただし、そういうごく小さな瞬間を、上手く言葉で表す人がいる。村上春樹のエッセイなんて読んでいると、その巧みさに、思わずうなるほどである。まるで、空気に文字でも書いてあるかのようだ。

目に見えない抽象、または「センス」は、ここまで具象化されうるものなのである。

とまあここまで書いてみたものの、言いたいことのニュアンス部分までを伝えるのは実に難しい。これで一体、言いたいことの何パーセントが伝えられただろう。
11時になるのでこの辺で諦めて寝るとします。

ありがとうとカルボナーラ

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