その後何か食べたような気がしたが忘れた。
パソコンの電源を入れる。
この動作がとにかく好きだ。電源を入れることが好きなのではない。朝起きてから、パソコンの電源を入れるのが好きなのである。自分が眠っていた数時間のうちに、世界では一体何が起きただろう。そういう想いからくるのかもしれない。よく分からないけど、起きてから数秒後にテレビの電源を入れる行為も好きであることを考えると、やっぱりそうだと思う。
しばらくしてから、読みかけていた『お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人』を読み終えた。この筆者の本は、主観が相当入っているし、おい極端だなと思うことが多い。しかしながらこのタイトルは当たりだと思う。ベストセラーになるひとつの理由。
9時半ごろから眠った。起きたら11.59だった。ぴしゃり。
ミューズリーを食べた。少し掃除をした。しばらくしてからバナナを食べた。
*****
そのあとずっと、YoutubeでOasisを見た。ステージ上で兄弟ゲンカをしてリアムが立ち去る様子をはじめ、ありとあらゆるインタヴューを見た。相変わらず、マンチェスター訛りの英語を、ちっとも聞き取れないでいるのだが。
まあそれにしても痛快である。と、あらためて思った。何回か見た映像ではあるものの、何回見てもやっぱり面白い。個人的に一押しするのが、オーストラリアでのインタビューだ。リアムがカメラに指を突きつけ:
"I'll tell you kids- I'd rather walk."
この一言である。"Legend!" と誰かがコメントを残していたが、うむ。確かに。
"You said it."と返したい。
そういえばもうすぐ、新しいアルバムが出る。と思っていたら、後で行った図書館で、雑誌のコーナーを通りかかったらロッキン・オンの表紙にリアムが載っていた。
やれやれ、今日はOasis Day、である。
雑誌のインタビューによると、最近、リアムは禁煙をしているらしい。さらには、ツアーのための体力づくりとしてランニングをしているらしい。
…あと何日もつだろうか。
そもそも、どうして今朝に限ってOasisの映像を見たくなったのか。
もともと好きだしよく聴く音楽ではあるのだが。
金曜日、仕事中に二回もWhateverを聴く機会があった。歌詞を見ながら、である。
そしたら、急に涙がこみあげてきた。
なんて泣かせる歌詞なんだろうと、そのとき、初めて思った。
なぜって、タイムリーなのである。ちょうど、将来や人生ついて真剣に考え始めたここ最近、こんなことを歌われてしまってはもう泣かないわけにはいかなかった。
I'm free to be whatever I
Whatever I choose
And I'll sing the blues if I want
Whatever you do
Whatever you say
Yeah I know it's alright
ちなみに恋人はOasisの世界を地で行くような人間だ。しばらく前、まさにこういうことを語っていた。人生ってのはこうあるべき、みたいな真剣な話だ。後にそれは、この先を考え始めるきっかけとなり、起点となった。
その日のことを思い出した。
曲を聴いているうちに、思考は、壮大な規模でぐるぐると回転を始めた。
ほんの何秒間かのあいだ、頭の中に映像が浮かび上がった。
それは、岐路に立たされている自分(のようなもの)だ。
具体的に言うと、(典型的かつ短絡的で申し訳ないが、)広い荒野に、いくつか道があって、そこにぽつんと人間が立っている様子。
岐路なのか、今って
やっぱりそうだったのか!
今の生活に疑問は無いのか
このままでいいのか
何か、選ばなければいけないんじゃないのか
考えるのはまさに今なんじゃないのか
そういうときなんじゃないのか
幸せとか、辛さとか
我慢とか、愛とか
と、仕事中に何秒か目を閉じて、信じられないくらいたくさんのことを考えた。
まあ、言葉に表すとこんなちっぽけなもんだ。いくら並べたって足りない、パローレ・パローレ。
私の頭のなかでそれだけのことが繰り広げられていたなんてその場にいた誰が気付いただろうか。
というわけでここ数日ずっと頭の中でWhateverが鳴り響いているのであります ― 応援歌のごとく!
******
(自分で言うのも何だが)私は想像力が豊かである。幼いころからそうだった。
いわゆる「ワンダーランド」みたいなものが常に存在していた。そしてそれを画に描いていた。
まだ幼稚園児かそれ以前に、「ピンク色の世界に住みたい」と祖母に言った。おそらくドラえもんか何かの影響だったと思う。
「あっちこっちにお菓子が浮いていて、お友達も、家族もみんなふわふわ飛んでうごくせかい」
と説明したら祖母は
「そりゃ、おしっこもできん」
と一蹴した。
少女は紛れもなくガビーンΣ( ̄□ ̄;)と衝撃を受けたのだった。
が、今となっては微笑ましい想い出である。