Sunday 28 September 2008

"Tomorrow is another day"

ブログの時間がやってきた。実際のところもう少し早いはずだが、今日は、レイアウトの変更をしていたら遅くなった。ちょっと変わったことにお気づきですか。サイドバーを見てください。

今日、このブログへのアクセス数が20を超えていたので驚いた。普段は10くらいなのだ。そして、新しい事実に気付いた。

それは、グーグルで検索すると、このブログがヒットするということだ。これは驚きである。公開しているし、検索エンジンにひっかかっていいですよという設定にしているので、当然といえば当然なのだが、新鮮だった。ちょっと、気合を入れなおした。人に見せるというのは、こういうことなのだ。つまり、「ああ読まれているんだ」と思うと、きちんとしたことを書かねばという気になる。

今日も仕事に行ってきた。あえて感想は書かないでおく。

今日も映画を見て、スパゲティをゆでた。(いつものDe Ceccoじゃないやつを使ったら、やっぱり美味しさが格段に下がってしまった。)

ゴダールの『彼女について私が知っている二・三の事柄』を選んだ。見るのは二・三回目である。なんちゃって。

今日買ったもの:

・DVD-R 20枚
・モッツァレラチーズの巨大なかたまり
・はみがきこ
・はぶらし
・カーネーション一束

やたらと湯量の多いお風呂に入る。村上春樹の『パン屋再襲撃』を持ち込む。何行か読んだら、思わず音読を始めてしまった。

いい本や好きな本は、音読したくなる癖がある。特にお風呂に入っているときが多い気がする。たとえば吉本ばななの『哀しい予感』など。

もし、手元にあるそれが外国語で書かれたものであればなおさらである。声に出さずにはいられなくなる。

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そういえば昨日の夜も、職場の誰かが夢に出てきた。誰だったかもよく覚えていないが、起きて、反芻して、がっくりした。頼むから切り離させてくれ、と思った。もっと自分の時間が欲しい。なにゆえこんなにまで、おびえ、慌てなくてはいけないのだろう。自分は何か悪いことをしているんじゃないか、と、思う。間違っていなくても、やっていることに自信が持てていないのだろう。常に誰かに見張られている気がするのだ。家に帰ると、安心する。「よし、ここまできたらもう誰も追ってこない」と。一体何を糧に生きているんだろう。よく分からない。昨日、カウンセラーに話したときに、同じセリフを三回口にしたことに気付いた。それは、「今のところそれが救いです」というセリフだった。そのうち二回分は
①会いたいと思ったら会える友達がいること
②家で毎日、きちんと料理をして食べていること
だった。救いが三つもあるだけ、マシなんだろうと思う。
ただここでクエスチョン:何を糧として生きているのか。
生活のなかで、楽しみは何なのか考えてみた。食べ物を、惜しまずに買ってきて料理すること。友達と会う予定を立てること。映画を見ること。だいたいこのあたりに尽きる。ただ、支えが欲しいと思う。そもそもの根源は、遠く離れた恋人にあるのかもしれない。彼がここにいるだけで、現状の70パーセントは軌道修正、というか回復しそうな気がする。

ぐだぐだ言ってても、明日は明日でやってくるのです。Time is a cure - I keep saying it.
All I need to do (or I can do) is to switch off the light and go to bed.

ありがとうとカルボナーラ

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