Monday 10 November 2008

Everything Real

スカイプもFacebookも、オフラインにしてしまうと気持ちが良いですね。ほかのことに気が向くようになるし。I like something -everything- real. Especially communication - it should be real, i mean, nothing is as great as face-to-face, in terms of communication. I love to see you, talk with you, touch you, with all the expression such as smile, happiness, sadness, even anger.
Now cut the PC line, turn your phone off, go out, look up skyward, breathe the air. Sometimes you need it. Then you'll be feeling free, relaxed, and even getting sort of good inspiration - Look at how blue the sky is, how tiny you are, and how huge the world is.
All the world and his wife are waiting for you. Yes, the world is your oyster!

今、自分の中に創作意欲が湧いてきているのが分かる。画がかけそうな気がするし、何か書けそうな気がするし、撮れそうな気がするし、読めそうな気がするし、作れそうな気がするし、勉強できそうな気さえする。帰り道にそういう気分になるときは、とても明るい、なにかこう、開けたような気分になる。こういうところが私の長所だと思う。いわゆる、クリエイティヴ、ってやつだ。かつ、向上心がある。

色々書いたけど、今日は私が読むブログを一つ紹介します。
冨永愛のブログ



高校時代から、どうしたわけか好きで好きで仕方がなかった。今となってはまあその熱も収まったが、この人の存在を知った当時私は16歳で、わずか1歳違いの彼女の写真を見てはため息をついていた記憶がある。欧米のモデルにも感服するが、冨永愛にはまったく別の種類の魅力を感じたのだ。同じ日本人という人種であるだけに、その美しさが強烈に響いた。いや、そもそも、美しさ、というカテゴリに入れていいのかどうか、という問題もある。

マスコミ・メディアには叩かれまくっていて、私も、「ああ実は大したことないのかな」と思ったことも何度かあったが、結局のところ、それほど嫌いになる理由は、これと言って見つからなかったのだ。

というのも、この人と私は個人的な付き合いがあるわけではないから。本当に、なにか、迷惑を被ったことなんて一度もないから。だから、この人の写った写真を見ているだけの立場、つまり、見せられる側としては、十分に満足している。とことん美しいと思う。ただそれだけだ。

私が16歳当時、どうしてこの人の存在が気になっているのか、それを説明するときは必ず「日本で満足してないところがすき」と言っていた。当時から、日本におさまっていないというのはすぐ分かった。あまり日本で名の知られていない時期に、既に有名デザイナーのショーに出演していた。ポートフォリオを持って、パリの街を奔走する姿が印象的だった。まだ10代の、日本人の女の子が、ビシバシと英語で指示をしている姿は、もはやショッキングだった。そして文句なしに格好良かった。

だからって今、大ファンなのかといえばそうではないけど、時々こうやってブログを見て、ああそれぞれの人生があるよなあ、と思うのです。"Ognuno ha la sua vita."

しかしこの人、頭が良いのか悪いのか分からない。思うに、発信しすぎないほうがいいのではないか。イメージ戦略というのも色々あると思う。スーパーモデルなのにすごく完成度の低い映画やCMに出てしまっているのを見るにつけ(そういうのに疎いわたしでも)、もう少しよく考える(あるいは、止めに入る)人はいなかったのだろうか、と思ってしまう。

久しぶりにハービー・ハンコックを聴いています。

ああ、そういえば、右のquotation of the day、ご覧になってますか。面白いですね。今日はデカルトの言葉でした。
"I am indeed amazed when I consider how week my mind is and how prone to error."

ほほー。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...