Monday 8 December 2008

どっちが幸せか


昨日、シアトルズ・ベスト・コーヒーという名前のカフェに入って、チャイラテを飲んだ。まあ、そういうこともあるだろう。シアトルに行ったことも無いのに、シアトルといえばまず、なんとなくコーヒーをイメージしてしまうのは、あの緑色のマークの、スターバックスという名の、コーヒーやさんのおかげだろう。

ちなみにイタリアにはスタバが無い。今まで一度も見たことが無い。たぶん首都のローマにだって無い。(マクドナルドはときどき見かけるのだが、あくまでも"ときどき"であって、都市の規模に対して店舗数は少ないと思う。)飲食店について言えば、チェーン店というものがあまり流行らない気がする。その土地ごとに、個人が経営している店の持つ価値のほうが、より大きい。

その人しか作れない美味しさがあるし、よく分からないけど、きっとそれを、誰かが引き継ぐんだろう。中世から続いた「職人」の世界。そして、「あの曲がり角に行けば、今朝もあの子がいる」という安心感。毎日同じ人が同じ場所で「おはよう」と言ってくれる、安心感。

そういうのって素敵だと思う。人情とかコネがものをいう社会になっちゃうのも、分かる気がするし、仕方ない。

まあイタリアに限ったことではないだろうけどね。

とは言うものの、それなりに観光地化された都市で、個人経営のバールやカフェをうまく営んでいくことは、そんなに簡単なことではない。ここ3~4年の間に、何度かフィレンツェに行ったが、ちょうど2年を過ぎたあたりから、店の入れ替わりに気付き始めた。初めて会ったときは順調にビジネスをやっていた人が、いつの間にか店をたたんでいた。いつも店先でチャーオ、と言っていた相手が、急にいなくなっていた。それっきり会わなくなった。それはとてもショックだった覚えがあるし、ああ簡単なことじゃないんだ、ということに気付いた。

ただ彼らがうまく経営してなかっただけかもしれない。They never planned so wellってだけかもしれない。日本人くらい真面目に働いていたら、せめてあと3年はうまく行っていたんじゃないだろうか。そう思うことも事実である。

「お金は特に大事じゃない。大事なのは愛だから。」というセリフをよく聞くのだが、実際のところ、彼らが100パーセントそう思っているかといえば答えはノーだ、と私は思う。心のどこかでは焦りがあるし、お金が欲しいとも思っている。

ただ、その、お金を重視する度合いが、日本人(東洋人)よりもだいぶ低いのは事実だと思う。だから、使うことにたいしてもあまり躊躇いが無い。将来のために貯蓄するというのはあまり懸命ではないからだ。

むしろ、普段から無駄なものを買わない。あるもので暮らす。極度な節約はしない。バンバン稼がなくてもとりあえず、隣にいる愛する人と生きていく。日本人が見習うところは大きいですねやっぱり。ヨーロッパかぶれにはなりたくないのだが、結果的にどちらが幸せなのかといえばやっぱりのほほんと暮らしてる向こう側の国の人たちじゃないかと思う。無いものねだりでしょうかね。

シアトルズ・ベスト・コーヒーからここまでお話が飛んでしまった。今日こそ映画を見て、イタリア語をちょっと勉強しようと思っていたのに、4時ごろからずっとSouthparkばっかり見て、結局今日もこんな時間だ。せめて腹筋と腕立てはしてから寝よう。

いっさいはんは最強

 1歳半。 めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、た...