Thursday, 9 October 2008

気になって仕方ないブログとイタリア、平日昼の街、そしてルーマニア

前にも書いたけど、横尾忠則の息子が書いているブログをよく読む。というよりむしろ、見る。知人でもファンでもないのだが、どうしても気になって仕方ないブログである。毎日、食べ物の写真ばかり載せている。独り身で、食べてばかりいる人、というイメージしか、もはや、無い。ほかにどういう才能があるのかよく知らないのだが、とにかく食べるのが好きであるということは疑う余地も無さそうである。朝からパスタとシリアルを食べているというから呆れる。外食が多そうだ。いや、明らかに多い。その食事内容が、からだに良いものであったとしても、これは過度と呼ぶのではないのだろうか。良いものだって、良くなくなってしまう気がする。ここまでくると、もう、感心するしかない。どこでどうお金を調達したらこんなにたいそうなものばかり食べることができるのだろう。そして、「食」だけに向けて、ここまで情熱を注ぐことができるのだろう。よくわからないけど、この人はずっと「横尾忠則の息子」を超えられない気がして仕方ない。本人をよく知らないまま、ブログだけの印象でこんなこと言ってしまうのは失礼だとは思うのだが。

それでもなんだか気になって毎日のように見てしまうブログなのである。書いている内容が素晴らしいというわけでもない。なんでだろう。

結局、写真と食べ物が好きなのだ。きれいな食べ物の写真がならんでいるとなんとなく嬉しくなる。おそらくそういう理由だろう。


話は変わって。

またパン屋再襲撃を読んだ。そういえば今日はノーベル文学賞の発表日だったが、結局村上春樹は受賞に至らなかった。有力候補といわれ続けてもう数年が立つ。いつまでも引き伸ばされる。


仕事で嫌なことがあった。ちょっとうまく行ったと思うとすぐに何かが起きる。仕事に限らず、なんだってそうだ。
波、波、波―
壁を殴りそうになったので、すぐに職場を出た。

ところで、平日の昼間、街を歩くのは快感である。「イタリア展」をちょっとだけ見てきた。何人かのイタリア人と話した。たったこれだけで、気持ちがだいぶ楽になる。

ちなみに、話したといっても、話しかけられたわけでもない。かといって私から話しかけるわけでもない。目が合うと、どちらからともなく笑顔になるし、言葉が出るのだ。これって、残念なことにほとんどの日本人が、できないことだと思う。ああこの人は話したがっているな、というサインを察知する、それだけである。イタリアにいると、公共の場でやたら人がしゃべっているように見えるが、実は隣にいる人が赤の他人である場合が少なくない。

「電車のドアなかなか開かないわね」
「息子が待ってるのよ」
「あらお宅はどこから」
「私はパルマから。あなたは」
「私は…」

とまあこういう具合である。目が合って話しかけたところで誰もそれを不思議には思わない。

むむ。これさえできればこの国ももっと"豊かに"なるだろうに。
今年の夏、ローマで会ったおじさんが言っていた名案をここで紹介しよう。

「1000万人のナポリ人と、1000万人の東京人を、まるごと交換すれば、世界は、より良くなると思うんだよ」

名案、かつ、名言である。


さて、そのあと、服を買った。普段は混んでいるであろう、店も、平日の昼間は空いていて、良い。ZARAに行ってみた。ちなみに、学生時代からずっと、日本でZARAに入ることは、まず、無い。値段が微妙に高いのである。だからヨーロッパに行ったときに買うのが賢いと思っている。

ではなぜ今回ZARAで買う気になったのか。学生時代ほどお金に困っていないというのも一つの理由である。気に入ったものをその場で見捨てて次にヨーロッパに行くまで待てないと思ったからでもある。

つまり、(orそして)ヨーロッパに次行くのがいつか分からないからである。今のところ、今年の冬も、春も、行くつもりは無い。もう少し具体的に言うと、2週間、とか、1週間、というかたちで行くことはしばらく無いと思っている。次に行くときは何かしら覚悟を決めようと思っている。この3,4年のあいだ、行ったり来たりを繰り返していたが、その時期をそろそろ終えなければいけないと思っている。

パスタを食べながら『トランシルヴァニア』を見た。

結構好きだ。
東欧のジプシー音楽を一時期きいていた時期があったが、それを思い出させた。
ルーマニアに行ってみたくなった。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...