Sunday 3 November 2013

ほんとうの「ティー」を思い出した

おはようございます。だいぶ早く起きてしまった。
3連休2日目。
パートナーは、連日早朝からの仕事。だから1人で過ごす。
NHK BSの海外ニュースを見ながら曇りの朝を過ごしている。
朝から世界中の言語が聞こえてくる。楽しい。
報道の仕方にも地域によって違いがあって面白い。
今はドイツ。

ところで、ヨークシャーティーがついに手に入りました。
イギリスにいる間にあれだけ紅茶派だったのに、日本に帰ってきてからはちっとも紅茶を飲まなくなっていた。
というよりも、おいしい紅茶に出会ったことが無かった。
たとえTWININGSでも、「んー、なんか違う」と思った。
イギリスの家庭には必ずある、あの、ごく普通のティーは何と言う名前だったのだろうか、と時々思った。

別にアールグレイが欲しいわけでもない。
別にダージリンが欲しいわけでもない。
イギリスで飲んでいた紅茶には、そういった「名前」が無かった。
友達の家に行って"Tea?"と聞かれて"Yes, please."と答えて出てきたあの紅茶は。
ティーといったら、ティーなのだ。

思ってはいながらも、私の家にはイタリアのコーヒーがあり、それもめちゃくちゃ美味しいのでコーヒーを飲んで過ごしていた。
何よりも、2005年以来、私の心はイギリスから遠く離れ、イタリアに支配され続けてきたというのもある。
かれこれ8年。

先日も書いたがColin Joyce氏の"An Englishman in N.Y."を読んだ。
そこに「コーヒーを燃料として回っている都市において、紅茶好きであること」についての話があった。
「コーヒーは、ドラッグみたいなもので、神経を興奮させ、身体・頭を目覚めさせる。紅茶は逆に落ち着かせる。」
と書いてあるのを読んでほほうなるほどと思った。
コーヒーが身体にやさしいとは言いがたい。

この話に限らず、この人のエッセイを読めば読むほどイギリスが懐かしくなってきた。
そこである日、ふらりと入った「成城石井」で、紅茶をチェックしてみた。
すると、ヨークシャーティーが目に入った。

私がいたのは、リーズという街で、ヨークシャーにある。

これを買おう、と思った。
しかしその日、レジの列が長すぎたので買うのを諦めた。
レジの列は、買い物の気を削ぐ。

後日、別の店舗で訊ねてみたところ、売り切れだといわれた。
注文ができるというので、注文してもらうことにした。
スーパーで、注文までしたことはない。

40袋入りで399円。イギリスだったらこの半額で買えるかもしれない、とは思ったが、イギリスに思いを馳せられるなら安いものだ。
そして昨日、ついに買った。

そして楽しみにしながら昨日は寝た。
今日、開けてみた。そもそも袋がそのまんま入っている。トワイニングスみたいな丁寧な包装ではない。これがすでに懐かしい。
パッケージにはこうある;
"A classic black tea blend with a lovely, refreshing flavour"
そうなのだよ、 flavorではなく flavour なのだ。u が必要なのだ、uが。

飲んでみると、やっぱり当時の「ティー」はこれだったということが分かった。
ほかのメーカーでもたぶんそうなのだけど、「アールグレイ」などの名前は無い。
もしかしたらこれがEnglish Breakfastなのかもしれないけど、それほど洗練された感じはしない。
これでこの冬は、9年前のヨークシャーでの日々に思いを馳せながら過ごすことにする。

万年筆、外出

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