Saturday 5 January 2019

飛行機、帰京、大荒れ

昨日東京に戻った。こどもを連れての飛行機はこれで24回目。すんごい回数だ。しかしながら何度乗っても楽になるということはない。もちろん「2歳で初めて乗る」という状況に比べるとこちらも色々と予測ができるし準備にも慣れているので楽なことに間違いはないが、乗れば乗るほど楽になるというわけではない。その時々の要素によってその時々の問題が発生する。
要素というのは:

1. 何歳何ヶ月かという成長度合い
2. 何時の便に乗るか
3. どの席に乗るか
4. Wifiの使える機種か

例えば一番最初、生後1ヶ月で飛行機に乗せたときが楽だったかというと、そうでもなかった。寝かせておけば良いのだろうがあまりにもふにゃふにゃの弱さなので気が気ではなかった。そしていつ泣き出すか予測がつかなかった。かと言って、身体ががっしりしてきて意思疎通のとれる今のほうが楽かといえば、決して違う。途中で「おりる」とか言い出すので困る。そして祖父母に会えなくなった「寂しさ」のような感情も持つようになっているのでこれも面倒である。

つまり「一番楽なとき」みたいなのは無くて、その時々で大変さは違う。嘘みたいに楽だったときもあるけどそれは偶然寝てくれたにすぎない。

それにしても席にスクリーンがついた機体の場合は本当に楽である。助かる。帰りの便は残念ながらスクリーンが付いておらず、それどころかWi-Fiさえ使えなかったので大変だった。この便に行きの便以上の運賃を払っているというのが信じがたい。早いところ全便Wi-Fi対応してもらわないと。

ちなみに昨日の午後便で寝ると思っていたこどもは寝ず、家に帰ってからも寝ず、今朝は機嫌が良いかと思いきやまだ眠気が残っているため大荒れで、ものすごいパニック状態に陥るまで泣いて、昼ごはんも食べずに寝た。今もまだ寝ている。

2歳のこどもにとってこの環境の変化は大きいのだろう。それにしてもひどい泣きようだった。こちらの耳だけでなく心もつぶれそうだった。外に出たいと言って床でジタバタするこどもをよそにトイレに入ったとき、安堵のため息が出た。間に一枚壁があるだけでこんなにホッとするとは。

大変すぎるのである。これは早く保育園に行かせないともうもたない。

何をしても「違う」と言うのはここ1ヶ月以上ずっと変わっていない。今朝、外に連れ出して歩いているときに相変わらず「違う」の繰り返しで、その間になにか心のなかでぷつんと切れてしまった。切れるというのはブチ切れるとかじゃなくて、気力がなくなる感じ。これだけすべてを否定され続けるとこちらももういいやという気になってくる。そして歩いているうちにもはや私から話しかけなくなってしまった。それが泣きわめくきっかけを作ってしまうこともあるから。早く仕事に行きたい。行かせてくれ。明日は日曜出勤なのに嬉しささえ感じるのである。

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