Saturday 31 August 2019

時差ぼけと誕生日

時差ぼけ回復気味の私が帰国する二人を迎えに成田に行ったのが28日。それから3日が経ったがまさに時差ぼけとの闘いが続いている。これが大人だけならなんとかなるものの、3歳の子供となると大変なのである。

以下は大人にもこどもにも当てはまること:

(1) まず、初日はなんとなくまだ旅から帰って来たばかりでテンションが高かったり戸惑いがあったりする。同時に極度に疲れているのでぐっすりと眠りにつくことができる。なんというか、これが何年経っても「ふしぎな1日」なのだ。

(2) 2日目の夜、眠れなくなる。ぐっすり寝たあとなので、日中はなんとか「日本時間に戻ったかもしれない」という期待を抱きつつ過ごす。それから夜になると、少し眠っただけでそのあとは眠れなくなる。

(3) 3日目の夜もやはりまとまって眠れない。

(4) そのうちに、日中にものすごい眠気に襲われるようになる。これが1日か2日続く。

こうやって1週間を経過すると、どうにかこうにかもとの調子が戻ってくる、という感じだ。ちょうど我が家の2/3が(3)の状態にある。みんなそろって夜1時ごろに元気で起きているというのはとても変な感じである。こどもが8ヶ月のときにイタリアに連れて行ったが、そのときのことを思い出す。帰って来てからの時差ぼけも大変なものだった。小さかったので、抱っこしたまま真夜中にその辺を散歩したりした。

3歳となった今、ものごとが「わかる」だけ余計に混乱が激しいように見える。そう、混乱なのである。1ヶ月近く過ごした場所から、時差のこれだけ違う場所に1日をかけて移動して来るのだからそう簡単に適応できるわけはない。そして、眠れるはずなのに眠れないという状況をやや不思議に思っているようでもある。

東→西の移動は問題ない。たいへんなのはいつも西→東である。行った先で調子が狂うことがないので、そういう面ではヨーロッパ行きはアメリカ行きよりだいぶ良いのである。帰国後の混乱は帰国後に直せば良いと割り切るしかない。それにしてもこどもに付き合って連日夜中に起きているのは辛い。

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こどもが3歳になった。もう3歳である。3年前のきょう何をしていたかなと思うともうただひたすらに痛い記憶しかない。こどもを産む時が痛いと思っている人が多いかもしれないがもはやその時点では感覚を無くしている。痛いのはその前までである。陣痛。あの痛みはもう2度と体験しなくていい。断言できる。人類はどうかしている。感覚を持つ生物に耐えさせるべき痛みではない。出産の痛みは忘れるから、とかいう人いるけど、いやいや忘れませんよ一生。

というわけで3人とも時差ぼけと寝不足で苦しみながらの誕生日である。なんとか助け合いながら、お互いに休めるよう交代で子の相手をしながら午前を過ごした。来年はもう少し早めに帰国したほうがいいらしい。

昼に、いつものケーキ屋さんのケーキでお祝いをした。年々、より嬉しそうな顔をする。お祝いであることがよくわかるようになってきたのだ。

昼間に寝せるのは難しいけど少し昼寝すればいいなーと思いながら、子が静かにミニカーで遊んでいる横でパソコンを見ていた。そのうち、あれ、静かになったなと思ったらそのまま床で寝ている。滅多にないことなので、これは相当疲れていたということ。

本来は3時くらいで起こすべきかもしれないがせっかく寝たのでしばらくこのままにしておこう。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...