食器と言えば陶磁器で、陶磁器と言えば有田。私ときょうだいにとってはそう。
質が良いものだが、質が良いかどうかあまり疑問も持たずに上京するまでずっとそれで暮らしてきた。
それで大人になった今思うのは、質の良い食器を使っていると、質の良くない食器を見たらすぐに分かるということ。
1枚1000円と1枚100円の皿、お互いに似たような模様で同じ形をしていたとしても、手に取るとなんとなく違いが分かる。これは100円ショップだろうなと。
どちらに入れても料理の味は実質変わることはないだろうが、やはり良い食器に乗った食べ物は美味しく見えるし目でも楽しめる。
質の良い食器を使うことの問題点は、唯一、「割ったらもったいない」ということ。
しかしそれを恐れて使わずにいると、ずっと食器は使われないままである。
これは洋服に似ている。
質の良い、あるいは高級な服を「汚したらどうしよう」と思ってよそゆき用にとっておいても、結局のところほとんど着られないままに終わってしまう。
「フランス人は10着しか服を持たない」にも同じようなことが書いてあった。お気に入りの服「しか」持たないようにして、いい服を普段から切るようにするべき、と。そうすれば所持する服の量も減る。確かそういうことが書いてあったと思う。
洋服も食器も、思い切って普段から使うべきなのである。
割れたら、または汚れたら、それはそれで仕方が無い。
そういう運命にあると思うしか無い。
ただ、東京の家にそういう良い食器を持っているかというと、残念ながら、無い。
IKEAで買った99円の皿や、ヤマザキ春のパンまつりでもらった白い皿、あとは300円(100円ではない)ショップの皿。自分で絵付けをした皿もある。
ただ、そのなかで最も活躍しているのはどの皿かと言うと、2年くらい前に有田陶器市で買った黄色と緑の椀なのである。
高級と呼ぶにはほど遠いが、質は良いと思い、気に入って、自分で選んで買ったもの。
なんとなく棚にある食器というわけではないのだ。
自然とこの食器に手が伸びるし、(2年前のブログによると)邪魔になるかなと思いながらも結局一番よく使っている。
事実、有田焼の食器は30年以上、割られることなく活用されている。
良い食器を使えば毎日付き合っているうちにその扱い方は子どもでも学ぶようになるのだと思う。繊細なものの扱い方。
「割りそうだから子どもには触らせない」ではなく、むしろ小さい頃から本物に触れさせるのは大切かもしれない。
いやもちろん勇気は要りますけど。
どうして食器のことを書き始めたかというと、もちろん今、実家にいて、いい食器を使っているからなのだが、それに加えて先日、友人に香蘭社の食器を贈ったこともある。
カタログを見てやっぱりきれいだなと思ったし、手の届かない値段ではないので、自分もいつか自分のために買ってみたいと思った。
こういうことに考えが及ぶようになったのも、成長したということだろう。(これを「歳をとった」と言う人もいるかもしれないけど。)
私も詳しくはないけど、香蘭社のデザインは洗練されていて、値段も手頃です。
実家の食器棚にもたくさん並んでいる。
(画像はウェブサイトから借りました。)
贈答用や、自分用にも、ぜひ。