Friday, 28 December 2018

自分のことを話せるようになってきた

先日、初対面の人と話しているときにこどもの話を持ち出さずに話を続けてみた。こどもがいる身分であるということを言わずに話してみたということ。

すると、ともすればこどもの話に移りそうになるし、こどもの話を出さずに話を続けるのは難しいと思った。日々の生活がこども中心で回っているので、たとえば「休みの日に何をしますか」という普通の質問でさえ、土日は子どものいる私にとって休みではなく自分の時間をもって好きなことや趣味をするのはほぼ不可能に近いため「掃除と洗濯」以外の答えが出なくなってしまう。

しかし、それでも、だ。
以前よりも話せることが増えてきた気がする。つまり、自分について。子ども以外のことにまったく手が付けられなかったときのことを考えてみると今はだいぶ「自分」が取り戻せてきた気がする。

特に、仕事を一人前にこなしているから。他人に認められ、必要とされ、責任の伴う仕事をやっているおかげで自分に自信が持てる。仕事に携わる、手に職を持つというのはこんなにも素晴らしいことなのだ。育休なんてことをよくやったよなあ私、と今振り返ると思う。

2年前、近況報告なんてしようものならこどもの話題しか出なかった。どこをどうひねっても絞ってもこどもの話題しか出てこなかった。自分が何をしたいのか、普段どういうことを考えているのか、それすら言えなかった気がする。本も読めなかったしそもそもまともに眠ることが一年間ずっとできていなかったのだからそりゃ本どころじゃないよねという話で。

最近こどもが、より「別の人」に見えてきた。つまり自分の付属品(最初からそうは思ってないけど)ではなく「もう一人の人」に見えてきた。その証拠に顔がどっちに似ている、というのも考えることさえなくなってきた。この人はこの人なのだ。

そして私は私なのである。こどもがいてもいなくても私は私でしかない。こどもに合わせて人生に制限をかけない。なぜならいずれこどものせいにしてしまう気がするから。こどもの世話が忙しくて身だしなみに気を配らなかったり体重が増えたりというのはよくあることだけどそこでこどもを言い訳にしてはいけない。すべては自分次第。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...