Thursday 20 October 2011

80年代の色

こんばんは。今夜は冷えますね。

半そではまだ使うとしても、短パンは、しまう時期が来たらしい。
そしてヒートテックの出番。
今「さむ」と思ってヒートテック一枚引っ張り出してきて着替えたのだが、やっぱり全然違う。
暖かくなった。

明日は仕事がない日。というわけでこんな時間までゆっくりしている。
普段は遅くとも11時までには寝ないと次の日がだめになる。
しかし今朝は失敗した。アラームが聞こえなかったのだ。幸い、出発すべき時刻の15分前に起きたので、遅刻には至らず。ほっとした。

そういえば最近、バターが無い。
スーパーマーケットには「売り切れですごめんなさい」の表示しかない。
日曜日に3件ものスーパーに行ってみたが同じだった。

せっかくキッチンが広くなったのに、作りたいお菓子が作れない。
明日また行ってみよう、バター・ハンティング。

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「かなり昔の有名な人」と思っていたら実は自分が生きている時期と重なっていたということに気付く、ということが時々ある。

アンディ・ウォーホルを知った/好きだと思ったのはいつのことかもはや何歳だったときのことか覚えていないが、彼は私が3歳か4歳のころに死んだ。

シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、私が3歳のときに死んだ。

彼らを「生み出した」時代ではないが、生きた時代とは重なっている。

たとえば60年代と聞いただけで、色とか音楽とか、様々なイメージが浮かぶ。
80年代とは、「自分が生まれた年代」でしかなかった。しかし、そろそろ「色」がつきはじめるのかもしれない。あるイメージが定まってくるのかもしれない。

世の中ではすでにそうなっているのだろうが自分のなかでそう感じ始めたのはごく最近のことである。

将来、自分に子どもがうまれたら、「80年代」と聞いたときにどういうイメージを抱くのだろう。私が60年代に感じるクールさ、それに手の届かないもどかしさみたいなのを、彼(女)も感じるのだろうか。

さて、寝ます。

ありがとうとカルボナーラ

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