図書館という場所が好きでよく行くのだが、1ヶ月ほど前に別の図書館での鑑賞会のお知らせポスターを見かけた。
今までも見かけたことはあったのだが、今回はあの『大人は判ってくれない』とある。これは見に行かねばと思って以前からスケジュールに組んでいた。この図書館には今まで行ったことが無かったので、入念に行き方をチェックした。歩くのはなんだか難しそうな位置にある。こういうときはバスだ。
定員60人らしい。初めて鑑賞会に参加するので、どのくらいの人が来るのかまったく未知だった。小さな地下室にパイプ椅子が並べてあった。明らかに60脚だと思った。エプロンをした司書さんから説明があり、映画が始まる。
予想外だったのが、本当に「映画」なのである。つまり、デジタルではなくて、あの、いわゆる大きなフィルムを映写機で回すのである。カタカタカタという音がする。そもそも古い映画であり、映像がよく乱れる。これぞ映画…!!
『大人は判ってくれない』は1959年の映画。確か、ゴダールの『勝手にしやがれ』と同じ年である。白黒だ。
大学時代、一日中映画ばかり見て過ごしていた時期があった。ライブラリにあるゴダール作品はほぼ全部見た。トリュフォーについては、そこで見損ねたまま、卒業してしまった。置いてなかったのかもしれない。
ゴダールの『男性・女性』でジャン・ピエール・レオーは見たことあったのだが、デビュー作の『大人は判ってくれない』を見たことが無いままだった。
ゴダールの『男性・女性』でジャン・ピエール・レオーは見たことあったのだが、デビュー作の『大人は判ってくれない』を見たことが無いままだった。
冒頭の古すぎて歪んだような音楽を聞いた瞬間に、古い映画を漁るように見ていた大学時代が一気によみがえってきた。あの時期に私は、村上春樹の言う「資料」を取り入れたのだと思っている。音楽とか映画とか本とか。『資料』をどんどん入れていく時期。知らず知らずに自分のスタイルも創られていく。
内容は言うまでも無く、映画にスタイルがある。決して聴衆に媚びていない。派手さも無い。映画のベーシック。ここからすべてが始まったのだ、とあらためて思う。
ファッション雑誌を読んだり新しい服や化粧品に何千円もかけるより、この時期の映画を一気に見たほうが「スタイル」への影響は大きい。その場で効果は出ないかもしれない。けれどやはり奥の奥にある自分自身のスピリットを鍛え、あるいは確立するのが「スタイル」の大前提だと思う。
ネクタイとコーデュロイのジャケットを着こなし、革靴と革のかばんでパリを駆け回る12歳の少年を見て思う。この人たちの文化は、もっと前の時代から今まで貫かれていると。
ちなみにこの映画、原題は"Les Quatre Cents Coups"(400回の殴打)だそうだ。何度も書くけど、昔の人たちのほうが邦題のつけ方が上手い。内容を見るとまさに『大人は判ってくれない』である。無理にカタカナにするわけも無いし(50年以上前に)、不自然な日本語でもない。
とても満足して図書館を後にした。帰ってから『DON JON』と『La Vie d'Adele』を見た。後者は映画のあちこちに青色がちりばめられていたのが印象的だった。