いやあ、すばらしい天気。やっと夏が終った感じがする。
暑いけど、湿度がだいぶ下がった。
今日は休日。朝は寝たいだけ寝て(と言っても、遅くとも8時には目が覚める)、雑用を済ませ、料理をして、プールに行く。吉祥寺にも行く。
きのうは仕事で腹の立つことがあって、しばらく嫌な気分が続いた。
世に言われることではあるが、職場での自分と、家での自分を切り替えられない人たちが本当に多いと思う。
私生活を投げ打ってでも、仕事に全力投球することが良いことだと履き違えている人たちが、ほんとうに多い。
いや、もしかすると多くないのかもしれないけど、一部にそういう人たちがいると、いやいやながらも従わざるを得ない犠牲者がいっぱい出てくる。
「そこまでしなきゃいけないんでしょうか」とみんな思っているんだけど、怖くて言えず、従う。
そんな日々が続いていくうちに、私生活を犠牲にすることが「文化」あるいは「慣習」となってくる。
慣れは怖い。
自由な時間を優先させようとすると「非国民」ならぬ「非職員」となる。
そうやってギリギリ、限界のところまで自分を追い詰めて体調を崩したり精神を病んだりする人たちがいる。体調を崩すだけではない。顕著なのは「家での自分」がすっかり無くなることだ。つまり、24時間のうち100パーセントが「仕事」になってしまっている人。
朝から晩まで仕事に明け暮れて、家に帰ってもひとり、という状況がたいていの大人たちが過ごしている毎日だと思う。
友達に連絡をとる暇も、会う暇も無く。
とくに女性は、仕事に打ち込んでいて、気がついたら子供を産める年齢を過ぎていた、というのはよくある話なのだと思う。
考えるだけで恐ろしいが、実際、社会はその傾向を推し進めてきた。
バリバリ仕事をする「キャリアウーマン」が女性のモデルとして掲げられてきた。
それで今さら問題となっている「少子化」。
人生は仕事でなりたっているわけではない。
職場での顔もあれば、家庭人としての顔もある。
夫として、妻として、親として、子供として、友人として、さまざまな顔がある。
さらに自分の身体という、必要不可欠かつ優先順位の高いコンディションがもうひとつある。
それらすべてのバランスがとれて初めて、いろんなことが動き出すのではないか。
あまりにも自分の身体の声を聞けない人が多い。
周りの人は忙しすぎてそういう同僚がいることに、気付けない。
友人と会う時間も無く、まともな食事をとる時間もなく、恋愛さえできなくなっている人たちを、どうにかして「ゆるめ」てあげられないのだろうか。
我々はロボットではない。身体には限界がある。いくら体力があっても、生物として生まれた以上、いつか滅びるし、生物としての欲求がある。
身体が出すサインを無視し続けると、怖いことになると思うんですが。
私はこの社会に危機感を抱いている。
Thursday, 8 September 2011
お父さんの回復、12月の疲れ
父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...
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